時代刺激人 Vol. 182
牧野 義司まきの よしじ
1943年大阪府生まれ。
弁護士の話では、流出技術が秘密保持契約の対象か
立証困難なケースも
現に、知財問題などを取り扱う友人の弁護士の話では、新日鉄の損害賠償請求訴訟には実効性という面で、意外に厄介な問題がある、という。具体的には、企業にとって、重要かつ中核技術の開発にかかわったり、あるいは技術の現場への普及で指導的な役割を果たした技術者が仮に、退職する場合には、今回の新日鉄OB技術者のケースと同様、当然のことながら、技術流出防止のために秘密保持契約を結ぶ。
しかし、流出した技術が、その秘密保持契約を結んだという当事者から出たのかどうかの証明が必要、とくに今回の場合、ポスコも訴訟対象に加えているが、技術流出に関して、ポスコの関与がどうだったのか、その立証もなかなか厄介だ、という。
毎日新聞が5月9日付の朝刊で、「経済産業省が技術流出の実態調査へ、製造やITなど1万社対象」という記事を出していた。産業や企業を行政対象にしている経産省としては、当然やるべき問題だが、記事によると、企業は退職する人たちとの間で秘密保持契約を結ぶと同時に、競業他社への転職も禁止する契約を結ぶが、現実問題として、契約上の「企業秘密」の定義があいまいで、実際の技術流出が確認されても訴訟で企業の有利にならないケースも多い、という。友人の弁護士が指摘したとおりだ。
企業のリストラ合理化で押し出された技術者が
新興国のヘッドハント対象
しかし、現実の世界のことで言えば、もっと生々しい問題がある。バブル崩壊後の日本経済の長期デフレ過程で、多くの製造業の現場では、多くの企業が激化する競争に勝ち抜くという理由で大胆なリストラ、端的には技術者らの人材に対して早期退職制度や退職勧奨制度などで人員整理の合理化を進めた。このため、対象の技術者のうち、その企業にいることを誇りにしていた人たちには別にして、悶々としていた技術者にとっては辛いものがあった。
そんな状況下で、韓国のみならず新興アジア、とりわけ中国などは日本市場を熟知しているヘッドハンティング企業を通じて、ターゲットになりそうな技術者人材の積極雇用に踏み出すケースがここ10年ほどの間、急速に強まっている。
そればかりでない。まだ現役バリバリで活躍している技術系人材を引き抜くケースも、いろいろ聞く。その場合、いつも笑ってしまうのは、「うちであはあり得ないが、ライバル企業では中国や韓国から引き抜きにあって悲鳴をあげている、と聞いている」という言い方が多い。
企業によっては技術流出防止対策で週末の海外旅行に歯止めも
また、ある機械関係の企業の幹部から聞いた話では、韓国や中国から狙い撃ちされそうな技術分野のセクションで、技術指導名目で大金の特別手当を出して、勧誘されるリスクがあり得るため、技術担当の社員が週末や休日の短期海外旅行をする場合に疑え、ということ、その場合、パスポートなどを半ば強制的に企業側があずかる、という形で防御に出るケースもある、という。
さきほどの友人弁護士らは、企業にとっては秘密保持契約などを結ぶことも重要かもしれないが、実効性に疑問があるということになれば、企業は、重要技術や中核技術に関して、知的財産保護の措置を二重、三重に講じる、いわゆるブラックボックス化をしっかりと行うことがやはり最重要だ、と述べている。
技術流出や盗まれること前提のリスクマネージメント対策も必要に
ただ、リスクマネージメントの問題で言えば、以前紹介したことのある米国の原子力技術者から聞いた話が、今回の技術流出防止策に参考になる。その話のポイントは、米国の場合の原発事故のリスクマネージメントは事故が起きるとの前提で、起きたあとのリスク対応を常に考える、という。これと対照的なのが日本のケースで、米国と違って、原発事故を起こしてはならない、そのための安全対策を講じる、といった点に重きを置いているため、事故が現実に起きた場合のリスク対応が全くできていない、という。
今回のテーマである技術の流出策に当てはめれば、この米国の原子力技術者の話のヒントは、どんなにブラックボックス化しても盗まれる可能性がゼロではないので、むしろ、流出したあとのリスク対応に、比重を置くということになる。確かに、技術が守りきれず、結果的に流出してしまったあとの混乱リスクを考えれば、こういった対応策を考えておくことも確かに必要だ。新日鉄の技術流出訴訟がもたらした問題を教訓に、いろいろリスク対応を考えることは、いずれにしても重要、ということだろうか。
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