翼の再生を納得する「フィロソフィ」の中身とは? 元操縦士の挑戦と行き先
日本航空株式会社
代表取締役社長
植木 義晴
ナショナルフラッグキャリアとして、戦後日本の高度経済成長の一端を担ってきた航空会社、日本航空が2010年1月19日に経営破綻した。JALの再建を請け負った、京セラ名誉会長の稲盛和夫は、破綻後わずか2年8カ月というスピードで、東京証券取引所第1部への再上場を成し遂げた。JAL再生のために稲盛が手掛けた改革の2つの柱。それは「意識改革と部門別採算」であるが、驚異のV字回復を成し遂げるに至ったその原動力は、経営幹部から現場のマネージャークラスまでを対象に行われた、リーダー教育だと言われている。その再建の中心で、稲盛イズムを直接受け継ぎ、生まれ変わった日本航空株式会社代表取締役社長植木義晴が目指す新生JALとは、その全容に迫る。
植木高校2年のときに大学の進路を選ぶときに、その先に職業として何を選ぶんだということを考えたときに、僕自身はパイロットというものを職業として選んだというのが、高校2年。お父さんがパイロットの方がいて、その方のうちに行ったときに、実は制服姿で帰って来られて、かっこいいなと、ここらへんから始まっているんですけれども。特に私の時代、ちょうど航空大学に行っていたときですけれども、田宮二郎さんの『白い滑走路』なんかがあり、憧れる要素は十分にあったと。
蟹瀬そして実際にパイロットになられて、35年空を飛ばれて、そうすると自分の仕事はこれだという思いは、相当強かったわけですよね。
植木ありました。僕にとってパイロットが天職だという思いで飛んでいました。
蟹瀬しかし会社経営、社長にまでなられたと。
植木きっかけはやはり会社が経営破綻したというところですね。
植木経営破綻した日も私は機長として、飛んでいました。その数日後に会社から電話がありましてね、執行役員として、運航本部長として、パイロットのボスの役目ですけれども、そのオファーをいただいたんです。私はそのときに、「少し考えさせてほしい」とお答えしたら、「役員のオファーですよ」と「断る方はいらっしゃいません」と、こう言われたんです。しかし「自分の人生は自分で決めたいので、もしお断りするようであれば、日本航空に残るつもりはありません」と、少し時間くださいと言って3日ほど考えました。
蟹瀬そのときは、どういうことを考えてらっしゃったんですか。
植木先ほども言ったように、自分にとってはこのパイロットが天職だと思っていましたし、自分が社会人になって唯一誇れるのが、パイロットであって、役員になるとこういうことを捨てないといけないんですね。それで一生悔いを残さないかということを自分に自問自答しました。ただ、経営破綻といえば聞こえがいいですが、会社が潰れました。その中から自分一人だけ先に逃げて行っていいのかという思いがあって、会社の再建のためであれば操縦桿を置いても、恐らく悔いは残さないだろうと、こう思い立ってその役員をお受けすることにしたんです。
蟹瀬奥様にはご相談なさったんですか。
植木しました。
蟹瀬何とおっしゃいましたか。
植木言い出したら聞かないんだから、勝手にしなさいということでした。ただ1つ言いましたのは、ものすごく厳しい道が待ち受けているとは思っていました。「自分が思ったことを、恐らく稲盛会長にも、管財人の方にも言うだろう、3日でクビになるかもしれないけど、それでもいいか」と聞きましたら、「あとは何とかするわよ」と言われて。
蟹瀬できた奥様じゃないですか。
植木じゃ、やってみようかって。
蟹瀬本当に悩まれたと思うよ。
白石そうですよね。最初のキーワード、「JALフィロソフィ」とお答えになりましたけれども、哲学、理念という意味ですよね。具体的にお話いただけますか。
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