倒産危機に「仕事が楽しくなった」見つめ直した大切なことは「世界ブランド」
株式会社サマンサタバサジャパンリミテッド
代表取締役社長
寺田 和正
1994年3月10日日本の女性たちを魅了するファッションブランドが誕生した。サマンサタバサである。若き寺田和正は独自のブランド戦略を展開し日本そして世界市場へと進出を図っている。起業して数年後に会社存亡の危機に見舞われるも寺田の周到な海外戦略が功を奏しサマンサタバサはよみがえった。日本初のファッションブランド、サマンサタバサのブランド戦略は果たして世界を席巻することができるだろうか。その戦略に迫る。
寺田激しいですよね。
蟹瀬この辺はどういう風にごらんってそん中で生き延びなきゃいけないわけでしょ?
寺田そうですね、ですからオリジナリティーのある商品戦略であり、オリジナリティーのある宣伝戦略、そしてロイヤリティの高い販売スタッフ。こういったものをしっかりとこうプレゼンをしながらそれをしっかりと確立していけば、場所というのは必然的に僕は生まれるんではないかな、という戦略の元、各国へ回ってやってるんですけども。
蟹瀬具体的な出店計画っていうのは何年までに何店を、こことここに出す、みたいなことはあるんですか?
寺田実はリーマンショック以降ですね、アジア戦略ということで一国一国やっていくんでは、ちょっとあまりインパクトないなと。一気にバンッと行こうというのが実はテーマでして。ですからシンガポールに今月8月31日にオープンしますけども。もう各地域でとにかく出店をどんどん加速させていこうと。香港から、9月は今度は北京と上海。1,2年の間には、これを10店舗ぐらいまで持っていこうと思っていますし、北京も1号店はもう決まって、9月の終わりにオープンする。もうすでに2号店、3号店のオファーを頂いてますから、そういった形で3年から5年のスパンでですね最低3桁のお店は出していこうということで、今動いています。
蟹瀬いま中国のお金持ちは北京にいるんです、実は。だからやっぱり北京での展開というのはすごく大事ですよね、上海は華やかに見えるんだけど財力的には北京なんですよね。
寺田北京も本当に北京の中の一番いい百貨店さんと言いますか、商業施設のうち日本ブランドで初めて1階を頂くことができました。これもかなりインパクトのあるお店を作れるんではないかと。
蟹瀬中国で最大のライバルというとどこなんですか?
寺田ブランド名で言うとコーチさんとかアニエス・ベーさんとか、我々のライバルっていう風に考えています。
蟹瀬それともう一つ、やっぱり中国ですごく気になる部分というのは、やはり中国での支払いですよね。そういうものを、どうやってきちんと管理するのか。よくものは売れるんだけれども、お金が回収できないとか、人民元で入ってきますよね。これをどういう風に管理するのか、というのが最大の問題だと思うんです。その辺はどうなさってますか?
寺田基本的には我々日本企業ですので、いかに中国で稼いで、それを日本に持ってくるかと。これが一つのテーマですので、この辺りは現地法人、まあ上海とか北京とか香港だとか、シンガポールにもありますけれども、いろんな知恵と工夫をうまく合わせて、やっていきたいなという風に思っております。
蟹瀬さて先ほどキーワードで、「ブランドの数値化」という言葉を出されました。ブランドの数値化は、そうなかなって思うほど難しい。では具体的にどういうことなの、というのはわからないんですけども、これどういう意味なんですかブランドの数値化っていうのは。
寺田ブランドビジネスの数値化っていうことなんですが、2005年に我々は上場をしたんですけども、その時のコンセプトはブランドというのは数値化できないと。
蟹瀬そのものはね。
寺田ブランドビジネスを数値化するのは非常に難しくて、例えばウキウキとかわくわく、ウキウキ100点、このウキウキは100点でこのわくわくは50点とかって点数つけれない。なかなか数値化するのが難しいということをずっと言ってきたんです。今はそういった物の組み合わせにおいて、すべてをどうやれば数値化できるのかっていう。例えば雑誌で特集を組んでいただけるとすると、その雑誌の特集の組み方ひとつをとって、数値化できないかというような。
蟹瀬何ページつかわれているとか?
寺田そうですね、何ページとか例えばモデルのだれかだとか、例えば前の方だとかそういうことの。
蟹瀬確かにありますよね。
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