教育と医療福祉のリーディングカンパニーを目指し、世界中の人々が豊かに暮らせる社会に貢献

放送15周年の特別インタビューとして、これまでに「賢者の選択」にご出演いただいた方々に、時代や環境変化への対応や展望についてお話しを伺いました。
(株式会社学研ホールディングス 代表取締役社長 宮原 博昭:賢者の選択ご出演 2012年12月放送)

単に日本発ではなく、世界に通用するものをアジアへ
ロボットプログラミングなどSTEAMの分野が大きな伸び

教育のICT化が求められて久しい。放送当時、子どもたちが伸びていくためには、教育のデジタル化、コミュニケーションの伸長が大切だと語っていた。

「当時と違うのはビッグデータ処理やCBT、AIなどICTを超えるステージに上がってきたことです。こうなると、もう世界レベルでしか戦えないものですが、日本は残念なことに立ち後れています。ひとつの企業だけではなく、他社や海外の企業と組んで、もう一度、教育の国際化を図っていかなければ難しいと考えています」

同社の海外展開もエリアが変わってきた。

「現在はタイとミャンマーでの展開に力を入れています。既に成功と言えるレベルに達しており、今後も大きな伸びが期待できます。また、インドネシアでも課外授業で当社の教材が使われています。学力の向上だけでなく、あいさつや子供が勉強する姿勢、生活習慣の向上にもつながることから、教育関係者から高い評価をいただいています」

特に注力しているのは、STEAMの分野だ。

「STEAMの中でも、今はロボットプログラミングは世界的に流行っています。日本はもちろんアジアでも人気です。かつては科学でしたが、これが今、STEAMに変わってきています。これからの時代は、日本の良いものをアジアに輸出していくのではなく、世界で通用するものを日本で作り、それをアジアに送り出さなければなりません。そうしなければ、取り残されてしまうのだと思います」

少子化、高齢化が進む日本の社会にありながら、マーケットは必ずしも縮小傾向ではないのだという。

「少子高齢化は確かに大きな打撃となります。出生数は第1次ベビーブーム期には約270万人、第2次ベビーブーム期には約210万人でしたが、2017年にはでは約95万人までに減っています。しかし、一方では通塾率が上がっています。これは大学進学率と正比例する傾向にあります。現在の大学進学率は52.1%ですが、通塾率は約55%です。人口は減るのですがマーケットは現状維持か伸びる傾向にあります。さらに、学校で対応できない部分も増えていきます」

アジア圏では今後の成長に期待がかかる。

「海外ではアジアで塾ビジネスに成長が期待できます。この背景にあるのは都市化により都市部に人口が集中するためです。かつての日本がそうでしたが、日本以上に速いスピードで動いています。都市化によって、所得差と地域差が生じ、教育にも差が生まれます。所得のある人は塾や家庭教師をつけるなど教育へのニーズが高まります」

事業は教育サービスにとどまらない
福祉分野は成長戦略の大きな柱になる

教育サービス以外の分野ではどのような展開が進んでいるのだろうか。

「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)を約5500居室、保育園・学童施設合わせて50の子育て支援施設を運営しています。医療福祉サービス事業は、拠点の拡大やサービスの拡充により、今後に向けた大きな柱として成長してきています。特にサ高住は、公的年金の受給範囲で住める高齢者のお住まいとして高い評価をいただいており、今後全国の中核都市を中心に、更に広げていきたいと考えています。」

 
出版も続けていかなくてはならない重要な事業分野だという。

「出版は0を1にする仕事です。無から有を作るという仕事はこれからもなくしてはいけないと思います。これまで紙に表していたのを、液晶やデジタル化、映像になるという進化はやっていかなければいけません。今後も紙媒体が築いてきたものづくりのノウハウを守っていきます。正確なコンテンツをしっかり作るのはやはり出版。途絶えさせてはいけないと思います」

地域差・所得差からくる「学力差」や高齢者の生活格差など課題は山積している。同社は、民間企業としてその一つひとつの解消にまじめに取り組んでいく考えだ。

低迷するボウリング・アミューズメント業界で躍進、北米にも20店舗以上をグローバル展開

放送15周年の特別インタビューとして、これまでに「賢者の選択」にご出演いただいた方々に、時代や環境変化への対応や展望についてお話しを伺いました。
(株式会社ラウンドワン 代表取締役社長 杉野 公彦:賢者の選択ご出演 2009年10月放送)

ボウリング・アミューズメントの原点アメリカへも進出
「ラウンドワン」経営が受け入れられ北米に20店舗超を展開

日本を代表する複合エンターテインメント空間「ラウンドワン」を全国に100店舗以上展開する株式会社ラウンドワン。ボウリング・アミューズメント・カラオケ・スポッチャ(スポーツを中心とした時間制の施設)等を中心とした、地域密着の屋内型複合レジャー施設の運営を幅広く手がけている。

「現在、事業を展開しているのは、日本だけではありません。2010年から北米進出をスタートし、2018年9月現在では25店舗に広がっています」
  
その計画は放送当時から既にスタートしていた。日本はこれから人口がどんどん減少していく。日本だけを視野に事業を展開していては、やがて成長が滞る時期を迎えることを同氏は予見していた。

ならば、ラウンドワンを受け入れてくれる国を探そう。1番の候補に挙げたのは北米だった。それは、ボウリング・アミューズメントの原点だから。本場で、日本仕込みのラウンドワンの事業とその手法が通用するか、試してみたい。それがたとえ夢で終わろうとも。

2010年8月、ロサンゼルス市内のショッピングモールにある家具店の跡地に1号店を出店。アメリカで、ラウンドワンがエンターテインメントとして通用するだろうか。その可能性を探った。

「十分な手応えを感じました。日本でもかつてそうであったように、ボウリング場はどこも老朽化していたのです。明るく、健康的なアミューズメント施設を待ち望んでいたのかもしれません」

第1号店を皮切りに順調にアミューズメントの本場で出店を重ね25店舗。今後もさらに出店予定が多数計画されており、その勢いまだまだ続く。日本のマーケットに目を向けてみよう。業界全体を見渡すと、下降曲線に入っていると同氏が見通していたように、厳しい状況を迎えているのが現実だ。

「現在は、カラオケ4,000億円、ボウリング800億円、アミューズメント4,000億円、その他1,000億円の市場で、アミューズメントが伸びてはいるものの、全体では約20%の落ち込みです」

こうした背景にありながらも、全国100店舗超の運営を維持し続ける同社は、大きく健闘していると言えるだろう。

「シニア層を中心にボウリング人気は根強いものがあります。平日の昼間などを中心に無料に近いレッスンを開催し、ボウリング自体にもゲーム性を高めるなどの工夫をして、より受け入れていただけるように改善を図っています。また、健康志向の高まるなかでスポーツ要素の高いスポッチャのポジションが定着しました」

ラウンドワンといえば、創業当時から続く人気の秘訣がイベントの豊富さだ。「毎日が学園祭」「いつ行っても楽しめる」というのは、同社ならではの大きな魅力で、飛躍の原動力のひとつにも数えられる。

「現在もコアになっているお客様は大学生です。しかし、小学生など若年層を中心に、ボウリングを一度も体験したことのない人がどんどん増えているのです。そこで、『ボウリングって楽しい』『カラオケは面白い』という経験を若い頃に味わってもらえるようなイベントを積極的に開催しています」

通信で離れた場所で同時間に同窓会ができる新サービス
ちょいのみ需要に対応する1ドルビールを逆輸入

一度もやってみたことがない、連れられていったがつまらなかった──そんな思いを経験してしまっては、どうしても足が遠のいてしまう。同氏が同社だけでなく、業界の未来を見据えて実行しているのは、そうならないための地道な「種まき」だ。

「例えば、同窓会のアトラクションといえば、ボウリングやカラオケは定番です。しかし、一堂に会さなければ同時にプレイすることはできません。離れた場所で生活している人が同じ時間、同じ場所に集まるのは難しいものです。そこで、当社の店舗を通信ネットワークで結び、テレビ会議のように何人かがそれぞれが離れた店舗にいながら、同じ時間に同じ楽しみを共有するシステムを開発し、2018年12月より順次全店舗へ導入をすすめていく」

 
時代が移り変わっても、より楽しい空間を提供しようという同氏の思いは、変わることがない。さらにアメリカで反響の大きかったイベントを日本国内でも採り入れるという動きもある。

「来店機会を増やしてほしいと思い、ビールを1.99ドル程度で提供するサービスを始めたところお客様から好評でした。そこで、日本でも期間限定でビールを1杯100円で召し上がっていただけるキャンペーンを開催したのです。当社が居酒屋やレストランではないからこそ実現できたイベントです」

ビールが100円で飲めるという手軽さは、ちょい飲み需要を誘い、日本でも反響が大きいという。また、今後国内でも人気が高まりつつあるeスポーツに関連した需要も取り込んでいくなど、同社の斬新な戦略は尽きることがない。株式会社ラウンドワンの成長はこれからも続いていくことだろう。

スピード感のある経営判断でサスティナブルな企業を目指し、海外事業の拡大を進める

放送15周年の特別インタビューとして、これまでに「賢者の選択」にご出演いただいた方々に、時代や環境変化への対応や展望についてお話しを伺いました。
(サラヤ株式会社 代表取締役社長 更家 悠介:賢者の選択ご出演 2009年12月放送)

アジアを中心とした各国や地域の需要に柔軟対応
現地の産業を支援しながら新たな海外展開を積極的に推進

ニッチなグローバル企業になりたい。その思いから高い目標を掲げ、ビジネス領域の拡大を続けるサラヤ株式会社。マーケットの声や動き、研究開発をいかにスピーディーに、かつ安定感を持ちながら経営に生かしていけるか、あらゆる方面から探ってきた。

こうしたなかで、アジアを中心とした積極的な海外展開は、大きな広がりを見せている。

「ベトナムでは衛生事業を展開しています。病院や高齢者介護施設などでは、利用者が増えて、看護師が衛生器具を洗浄する時間がなくなるほど逼迫した状況を迎えていました。そのため自動的に洗浄する機器や、高圧蒸気滅菌に対応した機器を提供しています。また器具によっては高温にさらせないケースもあります。そこで、低温で処理するためにチャンバーを真空にしてプラズマを当て、薬剤を満遍なくいきわたらせることが出来る新しい機器を採り入れました」

従来から展開するディスペンサーに加え、新たな技術を現地の情勢や需要に即した形で提案したものだ。

「当社はアルコールを使った消毒剤を多数展開しています。しかし、それだけではなく、アルコールのマイナス30度ほどに冷やしても凍らないという特性を利用し、袋に入れた魚の切り身などを冷やしたアルコールに漬けることで急速冷凍できる機器を開発しました」

従来の冷凍方法では、先に氷の結晶ができるため、細胞を傷つけてドリップが起こったりするなど、品質劣化の原因になりかねない。

「ラピッドフリーザーという機器で急速冷凍することにより、品質劣化をほとんど気にすることがなくなります。海外ではカンボジアで実証実験を行っており、養殖したティラピアという白身の淡水魚を切り身に加工し、それを急速冷凍。現地スーパーで販売するなどのテストを進めています」

今年5月からはアフリカに急速冷凍機器を持ち込んで、日本食レストランなどでの活用を探っている。現地の水産加工業も支援する取り組みだ。カンボジアからウガンダへと活用の場は広がっている。

食品・公衆衛生、医療衛生、コンシューマーの3本柱を中心に
国内における安定的な事業展開と成長を今後も継続

「ウガンダでは2010年からユニセフと共に『100万人の手洗い運動』を展開して一般市場における衛生啓発を行っていますが、同時に病院における院内感染予防なども働きかけています。これら医療衛生の分野に食品分野を組み合わせ、さまざまな領域で事業展開を進めているところです」

これらは同社が手がけている一部の領域に過ぎない。さまざまなプロジェクトを通じて、国内外の新たな市場を切り拓いているのが同社だ。

「国内では基本的に食品・公衆衛生、医療衛生の業務用分野に、コンシューマーの一般小売分野の3本柱を中心に安定的な成長を図っています。常に新しい商品とサービスの提案を積極的に進めています」

同社の事業は、サービスとシステム、機器、薬剤を組み合わせた、国内外へと領域は拡大している。目まぐるしく移り変わる社会の動きに対応する、スピード感のある経営判断で、サスティナブルな企業として今後の発展が期待される。

日々の積み重ねが、企業を危機から救い、成長へと導く。

放送15周年の特別インタビューとして、これまでに「賢者の選択」にご出演いただいた方々に、時代や環境変化への対応や展望についてお話しを伺いました。
(古賀オール株式会社 代表取締役社長 古畑 勝茂:賢者の選択ご出演 2010年9月放送)

東日本大震災で取引先から多くの支援、平常時の良好な関係性が大切と気づく

独立系の鉄鋼専門商社として、鋼板を様々な産業に向けて安定的な供給を続けてきた古賀オール株式会社。番組放送以降、同社にとって最大のできごとは、東日本大震災だった。

「いろいろな意味で勉強ができました。当時はまだ製鉄大手の再編前でした。メイン仕入れ先の茨城県鹿嶋市にある製鉄所が津波の被害を受けて、まったく作ることができなくなったのです。3月の震災から、少なくとも6月までは製鉄所稼働のメドが立たず、それ以降もどれくらい供給できるか分からないという状況でした」

同社は製鉄所からの仕入れが滞ってしまったのだ。さらに状況は悪化する。

「宮城県白石市にある当社の工場も大きな揺れでクレーンのレールをとめるボルトが曲がったり、折れたりして稼働できなくなりました。東京工場も液状化で周辺の舗装も修復が必要な状態でした。東京工場の耐震性を速やかにチェックし、修復工事に当たりました」

業界内には、同社は鉄鋼を仕入れられない状況にあり、発注しても納品できないという噂が流れたのだという。

「当社は早急に他社から仕入れなければならなくなったのです。当時、既に製鉄会社大手の合併が発表されていましたから、大半は合併する製鉄会社からの供給を取り付けました。さらにメインではないものの、従来から取引のあった国内の製鉄会社数社に事情を話すと、こころよく『応援しましょう』と融通してくれたのです。また、韓国の製鉄会社にも打診しましたら、緊急に鉄鋼の供給を約束してくれただけでなくお困りでしょうと、当時不足していた乾電池を大量に送ってもらいました」

感謝の意を伝えるとともに、改めて心に刻んだことがあるのだという。

「取引の量に関わらず、いかにふだんから取引したい会社だと思っていただけるような、お互いに気持ちのよい取引をしていたかが問われているのだと、身にしみました」

壊れたボルトの代替品もボルトメーカーが休日返上で製作してくれたという。

「自分たちはいかに多くの方々に支えていただいて、事業ができているのか痛感しました。しかし、苦難はまだ続くのです。多くの取引先からサプライチェーンの寸断により、稼働できないので納入を中止して欲しいという連絡が相次いだのです」

同社の売上は6割にまで落ち込んだという。これはリーマンショック時に匹敵する状況だ。

「天は乗り越えられない試練は与えないという言葉を思い出し、なんとか乗り越えることができたのです。何ごともあきらめてはいけません」

よい製品を供給するための最新設備と、優れた社員が企業の成長を支えてくれる

現在は落ち込んだ売上も回復し、堅調に推移。今後順調に伸びていく傾向がみられるという。同社はたとえ不況下にあっても、積極的な設備投資を行い、最新設備で顧客の要望に応えてきた。

「よい製品をお客様にお届けするためには、最新の優れた設備が必要なのです。さらに優れた社員も大切です。よい会社にはよい社員がいます。よい社員がいるからといって、必ずしもそれがよい会社かどうかは分かりませんが、優れた社員がいなければよい会社にはなれません。そこで当社は社員教育に力を入れています。また、教育だけでなく社員の意見を吸い上げることも必要です。トップダウンばかりでなく、ボトムアップが企業をのばすのです」

企業の進化にゴールはない。日々の積み重ねが取引先からの信頼を得て成長につながるのだという。

イノベーション都市深圳レポート 番外編 日本経済が今や中国、新興国から問われている

イノベーション都市深圳レポート 番外編
日本経済が今や中国、新興国から問われている

イノベーションセンター化が進み、アジアのシリコンバレーと言われる中国深圳の現場をしっかり見ておこう、という日本の企業関係者などが急速に増えている。私自身もその1人だが、最近、深圳訪問した私の友人グループの話を聞いて、中国企業経営者が、日本経済や企業の往時に比べての衰退ぶりを憂えていることを知り、思わず考えさせられた。

中国スマホ大手幹部「あこがれの存在だった日本がなぜ、急速に衰えたのか」

話はこうだ。友人グループが、急成長し世界ランクに入るスマホメーカー本社を訪問、経営陣に面談した際、若手経営者の中に1人だけいた50歳代の経営幹部が、日本側の質問を遮るように「先に、教えてほしいことがある」と切り出してきた。「我々の年代にとっては、日本企業はまさに輝くような、あこがれの存在だった。それがどうして、急速に(勢いがなくなり)衰えたのか、ぜひ教えてほしい」と。真剣な顔つきだった、という。

これに似たことが私の深圳訪問時、広州ジェトロ主催の中国ハイテクベンチャー、ベンチャーキャピタルの企業との交流の場で起きた。「日本企業関係者が最近、ひっきりなしに視察に訪れる。ビジネスチャンスありと思えそうな人にビジネスを持ちかけると、決まって返ってくる答えが『面白いご提案だ。でも私の一存では決められない。東京の本社に戻って話し合って回答する』と。経営判断がスローすぎる。日本企業はビジネスチャンスの芽を自ら摘み取っている」と。私は、聞いていて、指摘どおりと思わざるを得なかった。

近藤さん「敬意と軽蔑が入り混じって『日本は老いた金メダリスト』と聞き、ショック」

これらの問題に関連する話をもう1つご紹介しよう。私の友人で講談社の中国ウオッチャー、近藤大介さんが最近出版した「2025年、日中企業格差」(PHP新書刊)で、興味深い話を書いている。「かつては『日本が手本』『ルックイースト』などと言っていたASEAN(東南アジア諸国連合)は、今や最大の貿易相手国の中国になびいている。ASEANの国際会議を取材すると、日本のことを『老いた金メダリスト』と呼んでいるのを聞き、ショックを受けた。『昔はすごかったのだけどなあ』と、敬意と軽蔑が入り混じったような表現だ」と。親日国が多いASEANのリーダーと目される人たちの見方だけに、辛いものがある。

過去3回の深圳イノベーションセンター報告で深圳問題を打ち止めにしようと思ったところに、こんな話が出てきて、日本の存在が問われた。しかも前回コラムで、日本企業の今後の対応について、私が「日本は、深圳版エコシステムなど彼らのイノベーションモデルを真似るのではなく、秘伝のたれのようなコアの強みの独自技術を知財管理でクローズドにすると同時に、それを武器にオープンな連携などでイノベーションに大胆チャレンジを。その場合、自前主義を捨てることが必須」と問題提起したら、いろいろ参考意見をいただいた。そこで、それらご意見を踏まえ再提案したい部分もあり「番外編」という形で、もう一度、イノベーション問題にからめて日本企業の課題を取り上げたい。

ホンモノの働き方改革を実践中。理念のない会社も経営者も存在意義がない

四国国で創業 家賃は7万円
給料はゼロだった

ネットワーク環境を利用してスケジュールやファイル、電子メールなどの情報を共有することで会社内やチームでの作業を効率化するための情報共有ソフトが「グループウェア」だ。 その有効性は急速に認知され、導入企業も増えつづけている。そのグループウェア市場で圧倒的なシェアを誇るのが、青野慶久氏が社長を務めるサイボウズである。
青野氏から手渡された彼の名刺は、創業20周年の特別バージョンになっていた。それは2つ折りになっており、裏には、20周年を迎えての決意を示す文章が綴られている。冒頭には次のようにある。
「誰でも使えるグループウェアを作りたい。20年前、そんな動機で会社を辞め、3人でサイボウズを設立しました。2DKのマンションでした。給料はゼロでした」
サイボウズの創業は1997年で、最初のオフィスは四国の愛媛県松山市に置いた。青野氏と創業メンバーで初代社長を務めた高須賀宣氏が愛媛県出身であり、もう一人の創業メンバーである畑慎也氏も徳島県に本社のある会社に就職していたので四国には土地勘があるということで松山市に決めたのだ。家賃が7万円だったことも、大きな理由だったに違いない。
たった3人で始まった会社は、またたくまに成長していく。

規模だけを追った それが大きな勘違い

思い描くソフトがあったら創業しなかった
サイボウズも存在しなかった

青野氏は1994年に松下電工(現・パナソニック)に入社しているので、創業は3年後のことになる。創業のきっかけは、「ウェブ」という新しいインターネット技術が1995年ごろから普及してきたことだった。 「それを使ってモノを売ったり、メディアをつくるなど様々なアイデアがあったはずです。しかし私は、そんなことに興味がなかった。
この技術を使って情報を共有できるようにしたら、もっと効率よく、そして楽しく働けるだろうな、と考えていました」
当時、私が思い描いたソフトが市販されていれば、それを松下電工に導入して終わりだったはずです。サイボウズの創業はなかった」
創業からわずか2カ月後の1997年10月には、サイボウズ初の製品となるグループウェア・ソフト「サイボウズ Office」が発売される。使いやすくて手軽に情報共有を実現できるまさに青野氏の思い描いたソフトだった。
売れ行きは好調で、グループウェアのニーズを実感することになる。その年の12月は単月で黒字化、翌年の3月の売上は1000万円を超えるという、まさに「うなぎ登り」だった。
勢いは止まらず、売上が増えて、人手不足が深刻な状況になっていく。人材確保のために、1998年に大阪市へ移転する。そして1年間で社員を15人増やし、1999年に市場投入した「サイボウズ Office4」が大ヒットとなる。マンパワーが功を奏したのだ。
2000年には東京オフィスを開設し、東京証券取引所(東証)マザーズへの上場も果たした。2年後には東証二部へ市場変更する。創業から約4年7カ月後での二部上場は、史上最短だった。ただし、順風満帆とはいかない。

社長としての暴走
自信をなくし死のうと思った

2005年に、青野氏は社長に就任する。彼は、世の多くの経営者と同じく、会社を大きくして名経営者と呼ばれることに取り憑かれた。そして次々とM&Aを実行、その数は1年半で9社にものぼった。売上は短期間で4倍になったが、買収した会社の実態は最悪だった。 「規模を大きくすることだけ考えて、買収した会社の実情を見ていなかった。M&Aに本気ではなかったんですね」
2006年には、業績の下方修正を発表しなければならないところまで追い込まれた。
「ネット上でも『バカ社長』とか、ボロクソに言われました。自信もなくし、本気で死のうと思っていました」
そんなとき、ふと目にしたのが、松下幸之助の言葉だった。それが、「本気になって真剣に志を立てよう」
目が覚める思いだった。真剣に命をかけられるものだけやろう、と決意した。売上が減ることも怖くなくなり、命をかけられない事業は売却した。

命をかけられる
それだけが残った 初心に戻った

命をかけられるもの、それを真剣に考えた。答えは簡単だった。
「グループウェア」
チームが楽しく生産性よく働けるソフトをつくる、創業の志である。以来、青野氏の志にブレはない。それが、20周年名刺に記された「グループウェアを作りたい」に表れている。

なぜサイボウズは働き方改革を詫びたのか

ブラック企業から人が去る それには理由がある

2017年9月13日付の『日本経済新聞』に、サイボウズは一面広告を載せている。製品を宣伝する広告ではない。
「働き方改革に関するお詫び」
これがタイトルである。安倍晋三内閣は2016年9月、内閣官房に「働き方改革実現推進室」を設置し、働き方改革を提唱した。以来、「働き方改革」が大きな関心事になっている。
その働き方改革については、安倍内閣が提唱するずっと前から、サイボウズは実行してきている。そのため、「働き方改革といえばサイボウズ」との評価も受けてきた。しかし自分たちが実行してきた働き方改革と世間のそれとは大きなズレがある、と青野氏は違和感を感じていた。そこで、先の「お詫び広告」だった。「お詫び」となっていたが、実はサイボウズからの「苦言」といったほうが正しい。

4人に1人が辞めていく ブラックな企業だった
それが理由だ

サイボウズの「お詫び広告」は、「この国に『働き方改革ブーム』が到来し、私たちの活動に広く注目していただけるまでになりました」と述べ、その後に次のように続けている。
「ところが、ところがです。私たちの意思はまったく伝わっておりません。とにかく残業はさせまいとオフィスから社員を追い出す職場、深夜残業を禁止して早朝出勤を黙認する職場、働き方改革の号令だけかけて職場に丸投げする職場。なんですか、そのありがた迷惑なプレミアムフライデーとやらは・・・」
痛烈である。それだけ世の中の働き方改革についてサイボウズは、誰よりも青野氏は怒っているのだ。世の中の働き方改革とはまるで違うサイボウズの働き方改革を知るには、まず、なぜサイボウズで働き方改革が始まったのか、について知っておく必要がある。青野氏が語った。
「私が社長になって約1年後の2006年1月期に、サイボウズ社員の離職率は過去最高の28%になっていました。4人に1人が入社して1年以内に辞めていた。さすがに、この状況は変えなければならない、と考えました」

そこまで離職率が高かったのはなぜなのか、その質問に青野氏はきっぱりと答える。
「ブラックな働き方を社員に強いていたからです」
さらに、「ブラックな働き方が当然だと思っていましたからね。ITベンチャーでブラックなんて普通だろう、と考えていました」とも言って笑った。そういう働き方を青野氏自身がやってきたからでもある。
創業したころの青野氏の退社時刻は、夜中の1時や2時が普通だった。しかも、給料はゼロである。そんな働き方を続けていたある日、アパートに帰るや前向きに倒れ、心臓はバクバクと異常を示し、気を失ってしまった。幸い、12時間くらい後に意識を取り戻したが、まさに過労死寸前である。本人も、「死ぬのか」と思った。
だから、「ブラックで普通だ」という感覚にもなる。自分の経験からしか発想できず、時代の流れを読めない世の経営者たちと、青野氏も同じだったことになる。
そういう組織では、不満や文句ばかりが飛び交う。そして、辞めていくのだ。かつてのサイボウズが、まさしく、その状態だった。
多くの経営者は、社員の不満や文句を無視してしまう。「仕事とは、そういうものだ」で済ませてしまうのだ。辞めていく社員を止めることは絶対にできない。
青野氏が違っていたのは、辞めていく社員がいる現実を直視し、辞めさせない具体策を考え、実行したことだ。それをやっていなければ、いまごろサイボウズはブラック企業の烙印を押されていたかもしれない。
その前に、現在のような一目置かれる業績をあげられていたかも疑わしい。社員が辞めない会社をつくるために、青野氏は何をやったのか。
「一人ひとりの我が儘を受け入れることでした。それこそが本当の働き方改革です。
残業をしたくないなら、残業をしなくていい。短時間しか働きたくなかったら、そうすればいい。在宅勤務をやりたければ、在宅でいい。そんな働き方を選べる改革を進めました。そういう働き方ができて、はじめて楽しく働けます。楽しい会社なら、社員は辞めません」
とはいっても、社員それぞれが望む働き方は違っている。それを、すべて聞き入れていては収拾がつかなくなるはずだ。その疑問を青野氏に向けると、笑いながら答えた。
「いっぺんにはできません。だから、こっちを先にやるから待ってね、と順番でやっていく。それでも、要望を無視することはしない。必ず実現できる体制を整えて実行してきました」
社員目線での働き方改革なのだ。そこが世の中の働き方改革とは大きく違う。青野氏が「お詫び広告」ならず「苦言広告」を行った理由が、そこにある。

人類を救う がん治療法の開発者 「創りたい」と思わないと何も生まれない

人類を救う がん治療法の開発者
「創りたい」と思わないと何も生まれない

今のがん治療にはなにがしかの「副作用」がある。外科手術でがんを取り除く場合はがん細胞だけでなく正常な組織も切り取ることが多い。そもそも身体を傷つける。抗がん剤治療や放射線治療は激しい副作用が付きもので患者は苦痛を強いられるのが一般的だ。
小林久隆さんが開発した「近赤外線光免疫療法」は体に害を与えるようなものを使わず、副作用はほとんどないという。しかもどんな部位のどんながんにでも治療は可能だとみられている。転移したがんやがんの再発にも対応できるという。夢のような治療法である。

夢のがん治療法 薬を投与
近赤外線をがん細胞に5、6分でがん細胞が破壊

小林さんは言う。
「これまでの治療法とは全く違います。治療の前日に薬を体内に入れ、翌日、がんがある部分に近赤外線という体には無害の光を当てます。光を当てるのは一カ所5、6分です」
治療はそれだけだ。治療にかかるコストも理論的には現在の治療法よりも安くできるという。
この治療法が一躍有名になったのは2012年。オバマ米大統領(当時)が一般教書演説で正常な細胞にはなんらダメージを与えず、がん細胞だけを消滅させる治療法を開発中だと称賛した。小林さんは米国の国立保健研究所(NIH)の国立がん研究所(NCI)の主任研究員。研究の大半は米政府の税金でまかなっている。「税金を使っている研究ですから、国民に対する説明責任があります。オバマさんはいい研究はいわば『宣伝』したかったのではないでしょうか」小林さんはおどけて話すが、一般教書演説で取り上げられほどの人類にとって画期的な治療法だった。
 2015年から米国で治験が始まり、15人中14人はがんが縮小し、7人はがんが消えたという。日本でも国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)で3月から治験が始まった。
小林さんが、この治療法で使う「抗体」を研究し始めたのは1985年。京都大学医学部の4年生のころだった。病理学の研究室で「抗体を触り始めた」(小林さん)という。
抗体はタンパク質の一種で、体内に入った病原体などの異物にある「抗原」にくっついて、異物を除去する。がん細胞にもくっつく。抗体を使えば、がん細胞だけを攻撃することができる。抗体との出会いが、小林さんのその後の研究の道筋を決めた。
病理学の研究者を目指したが、指導教授の勧めで臨床医の経験を積むことに。病理学と同様に全身を対象にする放射線科で臨床を経験した。
4年間の研修医生活で臨床の厳しい現場に直面した。がんの放射線治療に従事したが、患者のがんを完全に治せないばかりか、副作用で患者を苦しめることもあった。

近赤外線光免疫療法の仕組み

①がん細胞にくっつく抗体に無害の化学物質「IR700」を組み込み、静脈注射で体内に入れると、がん細胞の周りに抗体がくっつく。
②注射の翌日、近赤外線を患部に。身体の表面から2cm以上深い部位のがんならば光ファイバーを身体に挿入し、患部に近赤外線を当てる。
③近赤外線が当たった「IR700」は化学反応を起こして、がん細胞を破壊し死滅させる。
④光免疫治療法は皮膚の近くにできやすい乳がんなどでは有効と期待される。またマウスの実験では一度、光免疫療法を施すと転移がんも攻撃するほか、他の部位での再発を防ぐ効果も確かめられている。

治療をしても治せない
副作用で苦しむ患者さん
臨床現場で感じた「無力感」がバネに

「医者として無力感を感じた。患者さんにダメージを与えず、がんを治す治療法を開発したいと思いました」と小林さん。「現場」を知ったことで、研究への強いこだわりが生まれた。
抗体に放射性同位元素を組み込めば、がん細胞に放射線をあてることはできる。だが体内に放射性同位元素が入ると正常な細胞まで被ばくする。95年に博士号を取得した博士論文は放射性同位元素を体外にどう流し出すかという研究。患者のために、いかに副作用をなくすかをその時も考えていた。
「世界を知らずに研究はできない」(小林さん)と、95年、NIHへ。抗体と放射性同位元素を使ったがん治療の研究を続けた。98年に帰国し、2001年に再び米国へと渡る。研究に没頭できる環境で研究したかったからだ。
だが、この治療法には限界があった。抗体に組み込んだ放射性同位元素ががん細胞を殺しても副作用は残った。放射性同位元素を体外に流し出す努力をしても脊髄が被ばくし、白血球の減少は避けられない。研究は行き詰った。放射線を使う治療法の限界が見えた。
ではどうするか。がん細胞だけを叩くにはがん細胞にくっつく「抗体」を使わざるを得ない。がんを「毒」で殺そうとする限り、抗体と一緒に体内に入った「毒」は副作用を起こす。
「ならば『毒でないモノ』を体内に入れて、がん細胞にくっつくとスイッチがオンになり『毒』に変わり、がん細胞を殺す―そんな工夫はできないかと考えたのです」
小林さんのこのユニークなアイデアは03年に生まれた。問題はどんな仕組みで「無毒」から「毒」に変身させるかだ。通常は薬などの化学物質を体内で別の化学物質と反応させ、無毒な状態から毒に変えると考える。だが小林さんは「化学物質同士を体内で反応させると、治療には化学物質が2つ必要だ。それでは治療薬にする際の治験を2回もしなければならない。開発費が膨大にかかり、結果的に治療費が高くなるから、ダメでした」と振り返る。
あくまでも開発の前提は経済性合理性が成り立つかどうかだ。お金をかけて新しい治療法を開発しても、治療費が高くなっては市場が広まらないし、患者のためにもならない。小林さんは患者オリエンティッド、つまりカスタマーオリエンティッドな開発姿勢を貫いた。
無毒な化学物質を変化させるのに、小林さんは光エネルギーという物理エネルギーで化学変化を起こし、無毒から毒に変えられないかというアイデアにたどり着く。化学だけでなく物理学にも造詣があった小林さんは持てる知識を総動員し、副作用がなく、実現の可能性の高い仕組みを考え続けたのだ。
可視光線より波長が短い紫外線やX線は細胞にダメージを与える。細胞にダメージを与えず、体の中を2センチほど透過する光は近赤外線と呼ばれる光。それよりも波長が長くなると、細胞が熱を帯び、焼けてしまう。身体に害を与えずに組織を透過するのは「近赤外線」しかない。
理詰めでゴールに近づいて行った。残ったのは近赤外線を当てれば細胞にとって「毒」になる物質が何かを突き止めればいい。近赤外線に反応する色素のような化学物質を選び出し、抗体に組み込んだ。それをがん細胞にくっつけて近赤外線を当てて反応を見た。200前後の物質を確かめ、「IR700」という治療に有効な化学物質を突き止めた。
IR700を組み込んだ抗体ががん細胞にくっついた状態で近赤外線を当てるとがん細胞が破裂し、みるみる壊れていった。
03年に近赤外線光免疫療法のアイデアを考え、IR700にたどり着くまでに5年以上の年月を費やした。11年、米医学誌に光免疫療法の論文が掲載され、医学界に衝撃が走った。

日本にもある医療研究の土壌
機器メーカーとの柔軟な協力態勢を築け

使えるものは使う 捨てるものは捨てる そしてたどり着いた新治療法

小林さんは「使えるものは使い、捨てるものは捨ててきたら、この治療法にたどり着いた」とこともなげに言う。遺伝子操作を利用してがんを治療する遺伝子治療などが流行った時期もあった。多くの研究者がしのぎを削ったが、早々と「捨てた」(小林さん)という。
「遺伝子治療はがんを治すこともできるが、正常細胞をがんにしてしまうリスクも高い。また研究費が高くつくので、結果的に治療費も高くなる。だから研究はせず、捨てなのです」
小林さんのNIHの陣容は10人ほど。規模は小さく、巨額な研究費を使っているわけではない。求められる治療の前提として、副作用がないこと、つまり苦しみのない治療であること、そして治療費が安いことを小林さんは常に心掛けた。お金をかけてすごい治療法を開発したとしても治療を受けられる患者が少なければ意味はない。研究者の自己満足である。
なぜ世界の研究者の中で小林さんだけが光免疫治療法にたどり着き、がんをノックアウト寸前まで追い込めたのか。小林さんは少し考え、こう語った。
「患者さんを苦しませず、治療費も抑えられる新しい治療を創りたいと本当に思ったかどうかの違いではないでしょうか」
イノベーションを生み出したのは、現場で見た患者の苦しみを楽にしたいという強い思いだったのかもしれない。

イノベーション都市深圳レポート3 日本の対抗軸はオープン&クローズ

イノベーション都市深圳レポート3
日本の対抗軸はオープン&クローズ

中国国内各地からビジネスチャンスを求めて、あるいは出稼ぎ労働で押し寄せる「移民」、そして海外留学からスタートアップで帰国する海亀組によって人口が1190万人に膨れ上がった香港そばの巨大都市深圳。その人口の平均年齢は32.5歳。成長への執着心の強い人たちを中心に人材集積、そしてハイテク・ローテク技術の集積があり、しかも電子部品を軸に数時間で部材を供給できる製造業サプライチェーンが出来ている。そこに深圳版エコシステムというヨコ連携の独特のイノベーション起こしの仕組みが作動し、時価総額10億㌦(円換算1100億円)のユニコーン企業などを数年内に誕生させている。

過去2回の現場レポートでご紹介したとおり、中国深圳はアジアのシリコンバレーと名付けてもおかしくないイノベーションセンターだ。この現実を見て、日本はサプライズだけでは今や済まされない。深圳から何を学びとり、どう対応するかが問われている。

自前主義と決別し、オープンイノベーションで必死かつ大胆にチャレンジを

そこで、私の問題提起だ。結論から先に申し上げよう。深圳でのスタートアップ企業のアイディアをすぐ製品化するメーカーズスペースといった、オープンな技術情報の交換広場システムはじめ参考になるものが多かった。しかし日本は、これら深圳モデルを真似ても無理がある。それよりも日本企業が自らの強み、弱みをしっかり見極め、その力をフルに作動させる新たな日本版エコシステムづくりに踏み出すしかない、と私は考える。

その軸になるのは、やはりオープンイノベーションでないかと思う。ところが日本では、このシステムについては誰もが重要と認めながらも、産学連携など大学や研究機関とのおつきあい程度の連携にとどまった。肝心の企業内部でも、総論から、いざ各論に移った段階で、自前主義が災いし、実体が伴わず現在に至っている。
でも、私の見る限り、日本はこのオープンイノベーションの重要性を再認識し、必死でチャレンジするしかない。その際、企業はレガシーと言われる過去の成功体験に執着せず、しかも自前主義、とくにすべて自前でやり遂げるというフルセット型、垂直統合型自前主義と決別し、時代の先を見据えて、既存の枠組みと違って新しい発想で動く内外のスタートアップ企業などとオープンに積極連携することだ。

強みのコア技術を知財特許で固め、それを武器に他企業とオープン連携が重要

そのカギを握るのがオープン&クローズ戦略だ、と私は最近、実感している。具体的には、強み部分のコア技術、秘伝のたれの技術を知財特許でしっかり固め、それを武器にさまざまな企業と大胆にオープンベースで連携し、知識情報や技術情報の交換を行って新事業にチャレンジする。クローズドの強み技術部分をうまく活かすことがポイントだ。

日本企業は、優れもののオンリーワンの技術に加え、品質管理技術、メインテナンスの技術など、他の国々に比べて、まだまだ強み部分を持っている。だから、あとは自前主義を捨てて、新たにオープンイノベーションによって、広い外部の世界に横たわる新事業創出のビジネスとの連携を探ればいいのだ。あとでも述べるが、日本にとっては、そのオープンイノベーションの展開の場の1つが、アジアの成長センターだと考える。成熟市場とはいえ、人口減少で内需先細りの日本にしがみつく必要はない、と思っている。

イノベーション都市深圳レポート2 独自エコシステムがユニコーン企業を創出

イノベーション都市深圳レポート2
独自エコシステムがユニコーン企業を創出

世界のハイテク・イノベーションセンターの名乗りをあげつつある中国深圳。その現場レポート第2弾は、なぜ深圳で次々に企業イノベーションが起きるのか、それにリンクする中国企業の動きとはどんなものか――などを取り上げよう。

ハード&ソフトウエアの2イノベーションが連鎖、米シリコンバレーなどにない強み

結論から先に申し上げよう。深圳は、米国シリコンバレーや中国北京の中関村といったソフトウエアを軸にした既存のイノベーションセンターとは大きく違っていて、深圳版エコシステムという独自のヨコ連携のサポートシステムを持っていること、それらがフルに機能してハードウエアとソフトウエアの2つのイノベーションが互いに連鎖しあうように実現していることが「強み」となっている。

要は、モノづくりの先端技術を持つスタートアップ企業を、起業からわずか数年でマーケット評価を得て企業価値10億ドル(円換算1100億円)のユニコーン企業、あるいはそれに匹敵する事業規模の企業に大化けさせる深圳版エコシステムがあるのだ。
このエコシステムはエコロジー(生態学)の意味合いを持つ生態系のことだそうで、それが転じてビジネス現場で収益を上げていくためのヨコ連携システムとも言われている。

ネット上で技術情報をオープン交流、アクセラレーターなどヨコ連携のエコシステム

深圳の場合、電子部品などを安価で豊富に供給する、東京秋葉原の数倍規模の広大な華強北地区はじめ、それら部材を数時間で融通し合える製造業のサプライチェーン網があること、技術情報をネット上でオープンに交流したり、互いにアドバイスし合うメイカーズフェア、メイカーズスペースという独自のモノづくり広場システムのあることが大きい。

さらに、スタートアップ企業を投資対象にしながらもアドバイスやサポートも行うインキュベーター、アクセラレーター、ベンチャーキャピタルなどイノベーションを支える企業群が控えていること、そして極めつけは、深圳地方政府がイノベーション都市を世界にアピールするため、補助金などで財政支援を行うほか、海外から優秀な人材を招致する孔雀計画でバックアップしていることだ。
これらによって、深圳には中国国内はもとより海外からもビジネスチャンスを求めて技術集積、人材集積が可能になり、それらが文字どおり好循環している。

「北京から遠い南方で既得権益がなく自由度がプラスに働く」深圳の特性も重要

20数年ぶりに訪れた深圳がこんなにすごい、世界でも例を見ない独自のイノベーションセンターになっていたのは、私にとってはビッグサプライズだった。

前回レポートでの中国関係者の話をもう1度、紹介しよう。「深圳地方政府は共産党の指導があるとはいえ、(中国各地からビジネスチャンスを求めて集まる)移民人口が生み出す活力は大きい。しかも権力志向の強い北京中央政府から距離的に遠い南方地域にあり、改革開放モデル地区として自由度を与えられていたこと、(巨大な移民都市だけに)既得権益勢力がはびこる余地がなかったことがプラスに働いた。だからイノベーションに対し貪欲なチャレンジが可能になった」という指摘は重要ポイントだ。

中国イノベーション都市深圳で数々サプライズ 日本が忘れていた成長への執着心などが随所に

中国イノベーション都市深圳で数々サプライズ
日本が忘れていた成長への執着心などが随所に

香港のすぐそばにある中国の新興都市、深圳は今や北京・中関村と並ぶ中国のシリコンバレーと言われるほど、ベンチャービジネスが主導するハイテク・イノベーションセンターとなりつつある。
私は最近、その興味深い深圳に、日本商工会議所の「深圳メイカーズ・スタディツアー」にジョインし、イノベーションの現場を歩き回るチャンスがあった。私自身、20数年ぶりの深圳訪問だったが、極めて刺激的、かつサプライズなことが多かった。そこで、3回にわたって深圳の動向、また日本は何を学ぶかなどを短期集中的にレポートしてみよう。

まず、結論から先に申し上げる。深圳には、日本が長期デフレ経済に落ち込んで忘れてしまっていた経済成長への執着心、ハングリー精神、イノベーションに対するどん欲なまでの好奇心などが随所に感じられ、経済全体に勢いがあった。とくにインターネットを軸にしたデジタル社会を大胆かつ積極的に活用していた。日本はモノづくりの面で基礎技術をベースに技術開発力、品質管理力などの強みを持っているので中国に凌駕されることはないと、たかをくくっていたら、間違いなく負けるな、と思ったほどだ。

南山ハイテクパークにベンチャー企業が集中、ヨコ連携のエコシステムがフル稼働

すごいなと感じた例を挙げよう。深圳・南山地区のハイテクソフトウエア・パークがその一つだ。高層ビルが林立しIT企業のTENCENT(テンセント)などの巨大企業からベンチャー企業までが密集していた。ある高層ビルの前で、入居企業名を書いたボードを見て驚いた。ハイテクベンチャーのスタートアップ(起業)をサポートするアクセラレーター、インキュベーターとすぐわかる企業が名前を連ね、ビルが丸ごとハイテクソフトウエア関係企業の相互交流かつ連携の場になっている。近くには弁護士会館があり、ベンチャー企業向け法務サービスを支援する弁護士事務所が数多く入居していた。ベンチャー企業やそれに関与の人材、技術が集積し、ヨコ連携を図るエコシステムがフル稼働している状況だ。
今回ツアーで案内役を担った地元のメイカーフェア深圳運営委員会メンバー、高須正和さんによると、そのハイテクパークは、深圳市政府が主導して土地開発を進めた。完成した2015年6月に高須さんがお披露目のメーカーズ祭りに行った際、あまりに新設ビルが多いため入居者があるのだろうか、いずれゴーストタウンになるのでないかと危惧した。ところが1年とたたないうちに、さまざまなベンチャー企業が続々と進出、精華大学なども大学研究院やR&Dセンターづくりに乗り出し、あっという間に南山地区自体がイノベーションの中核センターとして大化けし、今や深圳の中核地域になった、という。

中央政府の「大衆創業・万衆創新」が弾み、深圳市政府の「孔雀計画」などがすごい

中国関係者によると、李克強中国首相が2014年9月の天津・世界経済フォーラムで「大衆創業・万衆創新(大衆の起業・万民のイノベーション)」を、と方針表明したことが中国経済のイノベーションに弾みをつけた。中でも深圳市政府は、この中央政府の方針に共鳴した。深圳にはモノづくりのサプライチェーンなどが出来上がっていたが、市政府は当時、大胆に独自の補助金を使い支援策を打ち出した。民間も積極的に呼応したという。
そのベンチャー支援策が際立つ。興味深いのは孔雀計画という高度専門人材、グローバル人材などの誘致策だ。ノーベル賞受賞者ら優秀人材には最高1人あたり研究補助700万元(円換算1億2000万円)を支払い、海亀組と言われる海外留学中の優れもの技術者らも積極誘致に乗り出しした。すでにかなりの人材を招き入れている、という。
このほか新世代情報技術(5G)、人工知能(AI)、医療、ライフサイエンス、ロボット、電気自動車、ウエアラブル端末、ドローンなどの技術開発型ベンチャー企業にはとくに積極支援する、といった内容だ。