トヨタはリコール問題でなぜ危機管理のイロハ怠ったのか、信じがたい 過去の成功体験強く技術過信で対応遅れ、それとも大組織病がまん延?

日本企業の中だけでなく世界でもトップランクのトヨタ自動車(以下、略称トヨタ)が、リーディング・カンパニーのメーカーの証明ともいえる品質(クオリティ)、そして安全の面で、信じられないリコール(道路運送車両法にもとづく不具合や故障のあるクルマの回収・無償修理)問題に直面したばかりか、その対応に遅れがあったため、厳しい批判を浴びている。とくに米国でのペダルの不具合や事故への対応遅れが大きな問題になり、あおりで米ゼネラル・モーターズ(GM)経営破たんの反動か、今やトヨタ・バッシングに発展しつつあり、下手をすると日本の自動車メーカー全体にまで波及するリスクさえある。
それにしても、なぜトヨタほどの企業がリスクマネージメント(危機管理)のイロハを怠ったのだろうか。何とも信じがたいことだ。経済ジャーナリストの好奇心と問題意識でもって今回のトヨタのリコール問題を取り上げてみよう。結論から先に言えば3つほどのポイントが考えられる。
1つは、過去の成功体験が強すぎて、「そんなことはあり得ない」とする意識が強いのか、あるいはトヨタの持つ技術への過信が強いためなのか、結果として、問題対応が遅れる局面があった点だ。

リコール問題の発端は2009年8月の米国でのレクサス車での死亡事故
 今回のリコール問題が大きくクローズアップされる発端は、2007年ごろからアクセルペダルの不具合での苦情が米国であった、というが、一気に表面化したのは、09年8月の米カリフォルニア州でのトヨタ最高級車レクサスでの4人の死亡事故で、フロアマットにアクセルペダルが引っかかって暴走し事故につながった、というものだ。
米運輸省道路交通安全局(NHTSA)は、アクセルペダルの引っかかりで「踏みっぱなし」状態になる可能性について、9月にガイドラインを出し、さらに11月にはトヨタのユーザーに対してフロアマットそのものの交換か取り外しを強く勧めた。同時に、トヨタに対しても、顧客目線での対応を求めた、という。この指摘を踏まえて、トヨタは11月時点で、改良品のフロアマットとの交換など自主改修には応じることにした。しかしペダルに欠陥はないとして譲らなかった。自主改修対象の台数は426万台に及んだ。
 技術の専門的な話になると、私も断定的なことを言える立場にはないが、メディア報道をチェックしたところ、09年10月に米国やカナダ、欧州でアクセルペダルが戻りにくい、との苦情が多かったという。それへの対応結果なのか、トヨタは今年2010年1月21日に初めてペダルに設計ミスがあったとし米国でトヨタ車のリコールを行った。29日になって欧州でもリコールを発表した。となると、やはりペダルの品質に問題があったのか、と言わざるを得ないのだが、肝心の対応策発表は2月に入ってからだった。

ハイブリッド車ブレーキでも不具合、技術担当役員は「しっかり踏んでもらえれば、、」
 その発表は、トヨタが2月2日に「アクセルペダルの不具合に関するリコール対象車両の改善措置」という形で行った。それによると、「アクセルペダル内部のフリクションレバーの一部が摩耗した状態で、仮に低温時にヒーターをかけたりした場合に結露現象が起き、最悪の場合、ペダルが戻らない現象が発生する可能性があるため、スチール製の強化板を挟むなどの改善措置をとる」というものだ。ここに至るまでに、昨年秋から4カ月ほどが経過してしまっている。しかも一時はペダルには欠陥はないと表明したいわくつきのものだ。これも見方によっては、トヨタの技術への過信が対応行動を遅らせたとは言えまいか。
 また、今年に入ってトヨタの誇るハイブリッド車の新型プリウスのブレーキが一時的にきかなくなる問題が表面化した。これまた、専門技術的な話だが、トヨタ技術担当の横山裕行常務が行った2月4日の記者会見での説明によると、凍結した道路などを走っている際にブレーキが瞬間的に1秒ほど、きかなくなるもので、クルマのスリップなどを防ぐためのアンチロック・ブレーキ・システム(ABS)というソフトに問題があったのでないかという。
私は、この記者会見には出ていないので、正確には語れないが、複数のメディア報道では、横山常務はその際、「ブレーキをさらに踏みこんでもらえば、クルマはきちんと止まる」とし、言外に、ブレーキそのものに重大な欠陥という認識がない、というのだ。これも技術過信とも受け取られかねない発言だが、トヨタは結果的に2月9日に、新型プリウスのリコールを届け出し、問題のABSの電子制御プログラムを修正するとしている。

米キングストン氏「日本企業の危機管理は遅れている」「問題を最小限に見せる」
 ここで、2月8日付の米ウォール・ストリート・ジャーナル紙にテンプル大学アジア研究所長のジェフ・キングストン氏が「トヨタの危機はメイド・イン・ジャパン」と題するコラム記事で問題指摘をしている。参考になるので、少し引用させていただこう。
「トヨタは当初、きかないブレーキやドライバーが自らの意思を持つはずのアクセルペダルの問題の所在を否定し、最小限まで矮小(わいしょう)化しようとした」、「トヨタの反応が鈍く、的外れなのは意外ではない。日本では危機管理がひどく遅れているのだ。過去20年を振り返っても、日本企業が危機管理に成功した例は思い当たらない。どの問題でもパターンはお決まりで、当初の対応は通常遅く、問題を最小限に見せようとする。製品リコールを先延ばしにし、問題についての対外的コミュニケーションも不足し、製品から悪影響を受けた消費者へのいたわりや配慮がなさすぎる」とも。
さらに「この危機対応の誤りには、日本の企業文化的な要素もある。技能と品質に対する脅迫観念のある国で、製品の欠陥を告白することは不名誉や当惑が伴うため、公表や責任を負うことに対する基準が高いのだ」というのだ。何とも鋭い指摘だが、危機管理に関しては、うなずける面もある。

豊田社長に危機意識が欠如、技術担当役員にまかせずトップが説明責任を
 2つめの大きな問題は、組織が肥大化し大組織病が知らず知らずのうちにまん延した可能性が強いことだ。今回の場合、豊田章男社長に対して危機の実体が十分に伝わらず、このため社長自身が記者会見対応や米国政府対応で的確なリーダーシップを発揮し得なかった。その結果、トヨタ車のユーザーにいち早く不具合対応をする決断を伝えるのが遅れたのでないだろうか、という点だ。
豊田社長は2月5日午後9時という、常識では考えられない遅い時間に緊急記者会見を行い、「お客さまに不安を与えてしまい大変申し訳なく思っている。品質への不安を与えることは製造業トップとして非常に残念。1日も早く信頼を回復したい」「現在起きていることは大変なことで、危機的な状況だ」と述べた。
米国メディアの間では、豊田社長が記者会見に応じるタイミングが遅すぎる、説明責任は社長自身にあるとの批判報道が目立ったが、その記者会見でも、質問の形で出た。これに対して豊田社長は「トヨタで一番技術に詳しい人間が説明してきた。トヨタは(誰が説明しても答えは同じという意味で)ワンボイスだ。今後も、私か、それに準じる者が対応する」と述べた。

豊田社長は創業家ファミリー御曹司、傷をつけてはならないという配慮が裏目に?
 しかし、この社長発言は説得力を欠く。やはりトヨタほどのグローバル企業ともなれば、経営トップが率先して会見対応し、説明責任を果たすべきものだ。技術担当の副社長や品質保証担当の常務だけでは、その企業の経営姿勢が問われる。私が想像するに、豊田社長は創業者の豊田ファミリーの御曹司であり、あらゆることに関して、傷がつかないように大事に育てられてきた結果、たとえば危機対応を含めた危機管理についても、十分な訓練を受けていなかったのでないだろうか。
それは、ある面で大組織病の典型だ。しかし、もし豊田社長のもとに、報告が逐一届きながら、肝心の社長自身に決断がなかなかできず問題先送りがあったとしたら、それはトヨタ自体の危機となる。
 3つめの問題は、トヨタのグローバル展開のスピードが早すぎて、しっかりとした現地化対応が追い付かず、自らの生命線とも言える品質管理に問題を生じたことだ。

トヨタの積極的グローバル展開に伴う現地化で品質管理面でのリスクが増大
 今回の米国でのリコールの問題は、トヨタ自身が説明しているとおり、米国トヨタにペダル部品納入している米国インディアナ州の自動車部品メーカー、CTSのものに不具合があったのだ。トヨタとしては、日米摩擦回避のために、輸出先最大市場だった米国で現地生産に切り替え、トヨタの伝統的な「カイゼン」を含むさまざまな品質管理システム、技術の供与を図ると同時に、現地雇用を進めてきた。さらに、米国販売会社のトップは米国人を起用するなど、経営面での一体化も行ってきた。この判断は、まったく正しいし、今後も一段強化すべき点だろうが、たまたま、自動車部品の所で不具合などの問題が出てきたのだ。
しかし、ライバルメーカーの米GMやクライスラーが経営破たんする一方で、韓国などの新興国メーカーの追い上げがある現実を踏まえ、トヨタの歴代経営トップはグローバル展開のチャンスと見て、ロシアやアジアに積極進出を果たしてきた。そこで当然のごとく起きる問題は、戦線が延び切ってしまい中央のコントロールがきかなくなり、とりわけトヨタのような品質、安全を生命線にする企業にとって生産技術、品質管理技術などの徹底が及ばないリスクだ。現に、今回、それが出てきてしまったのだ。何とも悩ましい問題だ。

今回の対応遅れでぜひ「失敗の研究」を、組織に病理あるかどうかチェック必要
 これからのトヨタの最大の難関は、米国議会公聴会などでのトヨタ・バッシングにどう耐えることができるかどうかだ。私は、トヨタの持つ生産技術力、品質管理力はまだまだずば抜けている。海外でトヨタが永年かけて培ったそのブランド力は、日本にとっても誇りだ。その意味で、厳しい試練に耐えると同時に、今回の問題の教訓として、豊田社長が率先垂範して危機管理対応を行い、先頭に立って説明責任を果たすと同時に、供給先行型の企業成長スタイルでなく、顧客、消費者目線での需要創出型の企業成長スタイルに、大胆に切り替えてほしい。
その意味で、あえてアドバイスするならば、今回のリコール・ミス問題での対応の遅れなどに関して「失敗の研究」を、トヨタがしっかりやることを勧める。つまりヒューマンエラーではなく、肥大化した大組織のどこかに、端的には意思決定過程などに問題があったとして、組織エラーに至る問題個所を探り、その問題解決を図ることだ。組織に病理があるかどうか、チェックすることは重要だ。
たとえば、技術系部門に似たような発想、行動形態をとる人ばかりがいたら、出る結論は同じなので、そこに別の発想をする社会科学系の社内人材を起用するとか、いろいろ対策はあり得る。トヨタならば、リカバリー・ショットは打てるはずだ。

8%成長の中国経済の勢いはすごい、だが制御不能に陥るリスク消えず 世界からの「機関車役」期待に北京中央は背伸び、地方政府は過大投資

欧米主要国のマイナス成長が続く中で、中国経済の年率8%成長は勢いがあり、率直に言ってすごい。かつて日本やドイツが世界経済の機関車役と言われた時期があったが、いま、中国が肩代わりして、新たな期待を担っている。オバマ米大統領が11月17日の北京での米中首脳会談で、これまでの中国との「戦略的経済対話」を一段と強め、「戦略的信頼の構築・深化」の関係に踏み込んだのは、意味深長だ。経済的に重症の米国にとって、中国の巨大な内需は、対中国向け輸出増大のチャンスでもあり、米国再生の切り札となるとみているのは間違いない。
 しかし、中国経済をウオッチしている経済ジャーナリストの立場で言えば、中国経済の動きに水をさすわけでないが、中国政府が打ち出した今後2年間に4兆元(円換算約58兆円)にのぼる巨額資金投入の内需拡大策が地方政府の現場でオーバーヒートし始め、マクロ経済運営的に制御不能に陥るリスクが消えていない。そこで、今回は、中国経済の専門家や地方経済の現場を見てきた人たちの話を踏まえ、勢いある中国経済のリスクに焦点を当ててみたい。

広州モーターショーが異常人気、外資は世界最大の新車販売数の中国に熱い視線
 まずは、勢いのある話から先に始めよう。直近の話で言えば、11月24日からスタートした第7回中国国際汽車展覧会がすごい。中国では汽車は自動車のことを意味するが、この展覧会は、日本のメディアの呼び方で言えば広州モーターショー。何がすごいかと言えば日本、米国、欧州などの海外自動車メーカーを含めた出展社数が約670社にのぼり、その展示スペースは約15万平方メートル。11月上旬まで開催されていた東京モーターショーに比べ出展社数で6倍、展示面積で3倍というスケールの大きさだ。
 かつては東京がモーターショーの花形的存在だったが、中国経済の勢いがすべてを決めてしまった。東京への出展を見送った米ゼネラル・モーターズ(GM)や独フォルクスワーゲンなどが躊躇(ちゅうちょ)なく今回、広州に積極参加している。いずれも中国の新車販売台数が今年、世界最大の1300万台にのぼり、来年2010年も1500万台に及ぶ見通しという急成長市場のため、新型車の販売を見込んでの出展参加であることは言うまでもない。欧米の主要メーカーにとっては、もはや東京は眼中にない、東京でデモンストレーションしても販売増を見込めない、それよりも急成長の新興経済市場の中国に、という判断なのだ。

OECD世界経済見通しでも中国は09年8.3%成長で突出、日本など青色吐息
 経済協力開発機構(OECD)が11月19日に公表した世界経済見通しでも、中国の2009年の実質成長率が8.3%で突出している。同じ新興経済国のインドも気を吐いて6.1%成長で続いている。中国やインドはOECD加盟国になっていないが、肝心の加盟国では日本がマイナス5.3%、米国が同じくマイナス2.3%、ドイツがマイナス4.9%で、OECD全体でもマイナス3.5%成長だった。日本や欧米諸国が米国発の金融・経済危機のあおりで青息吐息なのに比べ、中国の成長が突出しているのが、おわかりいただけよう
2010年度見通しによると、さすがに各国のマクロ政策面での景気刺激策が実体経済に寄与し始め、日本が1.8%、米国が2.5%、ドイツが1.4%、OECD全体でも1.9%とプラス成長に転じる。しかし、中国は、その勢いにさらに弾みがついて10.2%の2ケタ成長、インドも7.3%成長で先を走っている。

APEC首相会議で中国は一番乗りしホストのシンガポール顔負けの経済外交展開
 11月中旬にシンガポールで行われたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議では、そうした中国の勢いを裏付ける動きが見られた。胡錦涛中国国家主席が首脳として一番乗りで会議に顔を見せ、後から続々と訪れる米国のオバマ大統領らを待ち受けたのだ。ホストのシンガポール顔負けの動きだったが、中国が経済成長を背景に、政治的な力も誇示しようとした計算づくの行動であったことは言うまでもない。
 米国が、ゴルフでいうリカバリー・ショットを打つべくオバマ大統領、クリントン国務長官ら首脳陣がAPECに参加し、シンガポールやブルネイなど4カ国との自由貿易協定(FTA)をアジア太平洋全体に拡大していく構想を打ち上げた。しかし現時点での米国と中国の経済の力強さの差は歴然で、中国の迫力が米国を上回った、というのが会議に参加した日本側政府関係者の話だった。
事実、中国を軸に広がる東南アジア諸国連合(ASEAN)のFTAの動きに比べれば米国の構想はスケールも小さいし、経済の勢いも異なる。しかも中国がAPECの場で、貿易・投資の自由化をアピールしたため、首脳会議の大きな流れは中国に傾いた。日本の鳩山由紀夫首相は東アジア共同体構想をアピールし、会議ではそれなりの共感を得たが、中国の勢いに比べれば、やはり迫力負けは否めなかったようだ。

中国「財経」誌の前編集長の実体経済分析は鋭い、金融政策の出口戦略がカギ
 さて、中国経済に勢いがついている話は、書きはじめると、あれだけ広大な国だけに、材料はいろいろあるが、今回のテーマは、むしろ、その勢いある経済のリスクに関するものなので、問題をそちらに移そう。
最近、日経BP社が主催したアジアの経済セミナーで、ぜひ会いたいと思って参加したのに、その人が直前に講演キャンセルになって残念な思いをしたことがある。それは中国の有力経済誌「財経」の女性編集長の胡舒立(こじょりつ)さんだ。この胡さんは1998年に編集長就任以来、この雑誌編集に携わってきたが、残念なことに経営者との編集方針をめぐる対立が表面化し、11月9日に辞職したばかりだ。その編集方針は、中国の経済メディアとしては、なかなかリベラルな報道ぶりで、時に調査報道を踏まえて、権力批判も堂々と行うので、われわれ中国経済ウオッチャーとしては常に注目していた。
 胡さんが、セミナーに対しておわびの形で送った中国経済に関する分析レポートがなかなか鋭い。私の見方を裏付ける点も多く、今回のテーマの参考になるので、少し紹介させていただこう。結論から先に言えば、胡さんは、中国当局のマクロ経済運営は難しい局面にあるが、内需拡大の景気刺激策がインフレを誘発するリスクを抱えており、人民銀行を含めた政府当局の金融政策の出口戦略、端的には利上げ政策がポイントになる、という。

巨額の財政刺激策が地方政府にバラマキ型投資の口実与え随所で設備過剰に
 胡さんの分析によると、中国にはいくつかの誤算があった。米国のリーマン・ショック直前までは、経済過熱を抑えるために金融引き締め政策をとってきたが、突然の米国発の金融危機、経済危機の影響を受け、金融政策のかじ取りを金融緩和策に切り替えた。しかしリーマン・ショックの影響は1997年から98年にかけてのアジア金融危機時と比べものにならないほどのボディブローのような影響が中国経済に押し寄せた。このため、北京中央政府は危機感を強め、財政面でケタ外れの2年間にわたる総額4兆元の巨額の財政刺激策を講じた。その一方で、金融政策運営に関しては、人民銀行は過去、過熱経済の抑え込みには自信があったが、こと、デフレ対応に関しては経験が少なく、日本銀行の超金融緩和政策などを参考に、「適度の金融緩和」を次第に「極度の金融緩和」に切り替えざるを得なかった、という。
 ところが、胡さんの分析レポートによると、4兆元の財政刺激が、とくに地方政府に対してバラマキ型の投資政策の絶好の口実を与えてしまい、地方経済は鉄道、道路、飛行場の3つのインフラ投資に集中している。過剰な投資、生産能力の増強が進むが、肝心の市場が吸収し切れず、かといってはけ口の輸出も大きな期待が持てない。いわば設備過剰のツケが数年を待たずにやってくる可能性が高い。その関連で、金融機関の野放図な融資が不良債権の増加リスクにつながっている。また、金融緩和は不動産投資融資などにも向かい、資産バブルが起きている。行き場のないマネーが不動産、マンション、そして株式投資に向かっていて、この面でのリスクも再び増大している。
そこで、胡さんのさきほどの結論部分につながる。北京中央は、来年2010年春までは、この内需拡大のための景気刺激策を続けるだろう。このため、インフレ警戒の利上げ、金融引き締め政策はとりにくい。インフレ率の許容限度は3%で、このレベルを超える物価上昇となったら、引き締め政策に転じるだろうが、内需拡大は必要だし、さりとてバブル、あるいはインフレ過熱は抑え込まなくてはならないし、まさにマクロ政策的に進むも退くも難しい、という局面がやってくる、という。

8%成長割れ回避の財政刺激策が功を奏したが、加熱経済の抑えは大丈夫か
 最近、日本で出会った中国の北京大学教授も、地方政府のバラマキ型の投資の弊害を危惧していた。ある省では、その省自体が大きいということもあるが、鉄道建設の計画に整合性がとれていなくて、重複投資になっていて、出来上がった時に旅客需要が計画どおりに見込めなければ、赤字の不採算路線になることが目に見えている。それでも北京中央の内需拡大の号令を大義名分にして、大胆な投資を繰り返している。そればかりか、地方政府の幹部の中には、投資資金の活用に困って、高級外車を買いまくるケースもあり、このままでは、いずれ巨額財政刺激策のツケが実体経済に押し寄せるリスクがある、という。
 中国にとっては、もし成長率が8%割れになると、失業や失職による雇用不安が社会不安、そして政治不安に発展するリスクが一気に高まる危機ラインであるため、北京の中央政府は必死で巨額の財政刺激策を講じた。米国のリーマンショックはある面で、そうした財政刺激策による8%成長維持政策に弾みをつけるものだった。ところが、それに弾みがついて、一気に、OECD世界経済予測にあるように、中国経済は突出した経済成長を実現し、今や「世界の機関車役」の期待にも応える様変わりの状況だ。
しかし、問題は、胡さんが危惧したように経済過熱リスク、そして地方政府を含めた経済の過熱に対してマクロコントロールが利くのかどうか、制御不能に陥るリスクが消えていないというところが心配だ。

江戸東京野菜を仏料理で地産地消、三國清三さんの心意気は素晴らしい 大消費地東京で旬の野菜の活用、都市農業にはビジネスモデルのはず

今回、「時代刺戟人」を文字どおり地で行く人がいるので、ぜひ、取り上げたい。日本のフランス料理界を代表するチャレンジ精神旺盛な有名シェフ、三國清三さんだ。その三國さんは東京・丸の内ビジネス街の一角、ブリックスクエアにあるレストラン「ミクニ マルノウチ」などで東京地元産の江戸東京野菜や自然野菜を「地産地消」の形でフランス料理に積極活用し、生産農家を応援している。その心意気が都市農業を元気づけ再生するきっかけともなるので、紹介したいと思った。最近発売の週刊エコノミスト誌2月23日号「問答有用」で、私がインタビューして三國さんを取り上げておりご覧いただけばと思う。
 三國さんに関しては、ご存じの方が多いはず。フランスに拠点を置く超一流ホテル・レストラン協会ルレ・エ・シャトーから、1998年には世界のトップシェフ60人の1人に、また翌年1999年には世界5大陸トップシェフ6人の1人に選ばれた。それがきっかけとなったか、三國さんはフランス高級料理組合に日本人シェフとして初めて加入することが認められた。日本には数多くのフランス料理シェフがいるが、海外、それも本場のフランスで高い評価を受けている人は三國さんを除いてあまり多くない。そればかりでない。2007年には日本政府から技能の人間国宝にあたる「現代の名工」も受章している。三國さんにとっては、この「名工」はとても誇りのようだ。

そこで、本題の「フランス料理で東京産自然野菜などの地産地消」を取り上げる前に、三國さんの人となりを、もう少し紹介しよう。三國さんの話を聞いていると、苦労人、がんばり屋、負けず嫌い、そして好奇心のかたまりのようだが、同時に自然素材、食材の生まれ育ちにこだわるところは別格という感じがある。それは北海道増毛町という日本海に面した半農半漁の町で生まれ、父が漁師、母は畑で野菜を作っていたことともからむ。というのも、料理人としての三國さんはものすごく素材にこだわり、その産地や生産者に敬意を払いながら素材本来の持ち味を引き出そうとする。今回の地産地消の話も、そうした故郷の原風景のなかにあるのは間違いない。

帝国ホテル修行中に塩の振り方だけでスイスの日本大使館料理長に抜てき
 三國さんのエピソードは数多くあるが、まず興味深いのは帝国ホテルでの修業中の20歳の時に当時村上信夫料理長に才能を認められ、駐スイス日本大使館の料理長に推薦をうけたことだ。三國さんは家庭環境もあって中学卒業後に料理人を志し、単身、札幌市に出て札幌グランドホテルで修業したが、さらに上をめざし帝国ホテルで見習い修業した。当時500人もいたコックの中で、三國さんはひたすら皿洗いなどの下働きばかりで、本格料理を作ったこともなかった。村上さんがそんな三國さんの才能を認めたポイントは、たまたま三國さんが何かの食材に塩を振るのを見で、その力量を鋭く見抜いたのだと言う。三國さんによると、確かに塩を振るのはなかなか難しく、素早く均等に振らなければならない。村上さんはその塩の振り方だけで、この男なら海外の日本大使館の料理長をまかせることができると大抜てきしたのだから、すごいことだ。
ところが、三國さんのエピソードはこれにとどまらない。三國さんは1974年からの大使館勤務時代、休みを使って当時のフランス料理シェフ界の「5人の神様」と言われるうちの1人、フレディ・ジラルデ氏のもとに通い詰め、必死で技術を学び取った。フランス料理の世界では技術を盗むことは許されていて、盗める技量があるなら盗んでみろ、という気風があるそうだ。1978年に大使館を離れてからもジラルデ氏のもとで腕に磨きをかけるべく修業。その後、残る4人の「神様」3つ星レストランシェフのもとで技術の習得に励んだが、三國さんが料理の面で特に大きな影響を受けたのは、最初のジラルデ氏とアラン・シャペル氏の2人だった、という。

フランス料理「神様」の自然と同化した料理に共鳴、今の地産地消に至る
 ここから、少し本題の話にからむエピソードを紹介したい。三國さんは、この2人の神様のうち、ジラルデさんの料理には天才と言えるほどの独創性があり、徹底的に真似をして自分なりに吸収すれば天才に近づけると思った、という。ところが、追いつこうとしても、そのさらに先を走るジラルデさんを見て、ある時にムダであることを悟る。そして、むしろ対照的に、自然素材をしっかり活用するシャペルさんに出会い、自分の料理はこれだということをつかんだ、という
三國さんによると、シャペルさんはパリなど都市部ではなく田舎にレストランを構え、毎日、素材を探しに自分で畑に出かけていく。そして自然に逆らわず、野菜などの自然素材の持ち味を十二分に引き出すことに力を割く、ところに言い知らない魅力を感じた。三國さんに言わせると、40代になって、やっとシャペルさんの領域に入った、という。その領域とは、自然と同化した料理で、江戸東京野菜など自然野菜の地産地消もその延長線上にある、という。四ッ谷にある三國さんの出発点の店であるオテル・ドゥ・ミクニで「自然派創作料理」と謳っているのもそれだそうだ。三國さんは、自身の料理をフランス料理でも日本料理でもなく「三國料理」というオリジナルになってきているという。
三國さんは「自然の風味に満たされている素材には、なるべく手を加えないのがぼくのやり方です。メニューに産地などを入れていますが、これは信頼できる生産者であるこの人が作ったおいしい野菜ですよ、という素直な気持ちを出したいと思って、書いています」と述べている。

「東京産食材のみずみずしさ、うまさが地元で知られてないのは灯台もと暗し」
 三國さんが伝統的な江戸東京野菜をはじめとした地産地消に取り組んだきっかけが面白い。1つは、江戸東京・伝統野菜研究会を主宰する大竹道茂さんという人との出会いが大きかった。伝統小松菜、一般的な青首大根の2倍も大きい大蔵大根、柔らかさが特徴の金町小蕪(こかぶ)、小ぶりで風味の強い寺島茄子など全部で20数種類もある江戸東京野菜の存在を知った。しかも東京だけで1万6000戸の農家が低農薬でさまざまな自然野菜を生産しており、三國さんの言葉で言えば「地域で生産された旬の野菜の独特のうま味を、その地域で味わう、というのは大事。東京産の食材はどれも本当にみずみずしく、味がいい。このおいしさが大消費地である地元の東京で意外に知られていない。まさに灯台もと暗し」と考え、フランス料理に活用することにした、という。
もう1つは、笑い話みたいなものだが、三國さんによると、「僕の知人が、東京に住む知り合いの主婦に江戸東京野菜の話をしたら、『えっ、東京に野菜があるの?』と驚かれた、というのです。僕の店に来られるお客にも同じ受け止め方をされた経験があり、そこで地産地消に取り組む必要があると感じた」というのだ。

都市農業は不動産ビジネスに走らず今こそ地産地消の農業モデルを
 東京から遠隔地にある北海道、東北あるいは九州の生産農家の人たちには申し訳ないことだが、三國さんが指摘するように、地域で生産された旬の野菜などの独特のうま味を生かすには地産地消がベストだ。確かに、東北などの巨大な生産地からすれば、大消費地の東京に出荷し消費してもらうことで農業生産が成り立つ。そのための調整弁として卸売市場があり、全国から東京の築地卸売市場などに出荷された野菜などがセリにかけられ小売店やスーパーを通じて消費者の手元に届く。ところが、市場流通のウイークポイントは流通に時間がかかり、肝心の野菜などの鮮度が落ちる問題がつきまとう。地産地消がいま、大きくクローズアップされるゆえんだ。私は、東京で消費される野菜などをすべて地産地消でなどという極論をぶち上げる考えはないし、卸売市場機能の重要性は引き続き生きると思っている。
ただ、私は、東京だけで1万6000あるといわれる都市農業を営む生産農家がバブル時代の名残りか、農地を宅地転用などして不動産ビジネスに一生懸命になり過ぎてしまい、本来の農業に強い志や生産意欲を見せない農家が意外に多いのが残念で仕方がないのだ。経済ジャーナリストの問題意識で言えば、大消費地の東京という地の利を生かしたビジネスモデル、まさに地産地消をベースにしたビジネスモデルづくりに乗り出せば、都市農業は不動産ビジネスなどに依存するよりも、はるかに面白いし、産業としての農業を実現できる、場合によっては私などが強く推進したい農業の6次産業化、早い話が第1次産業の農業を軸に加工などの第2次、そして流通の第3次まで、すべて農業主導でいくビジネスモデルを作り上げれば、都市農業は十分に再生可能なのだ。

三國さん「食と農がリンクし好循環の関係つくればWIN・WINは可能」
 そういった意味で、三國さんのようなフランス料理の有名シェフが伝統野菜の江戸東京野菜だけでなくさまざまな自然野菜を地産地消していくシステムを作り上げていくことは素晴らしいことだ。追随するレストランやシェフ、料理人の人たちが増えることを期待したい。そして消費者も、そのみずみずしい地元産の野菜などの味のよさに感動して、消費者の側から地産地消のよさを積極的に受け入れていけば、都市農業に再生に向けてのエネルギーが出てくるのでないだろうか
私がインタビューで、「古くからある日本の食材をフランス料理で応援しようという心意気がいいですね」と聞いたら、三國さんも「都市化が進み、住宅地に囲まれてしまった農地でも、しっかりとした志を持ち、低農薬、有機肥料で、おいしく体にいい食材を一生懸命作っている生産者がいるのです。彼らの生産した旬のものを、地元でおいしく消費することができれば、生産者も料理人もお客さんもみんながうれしい、ウィン・ウィンの関係ができる。お客さんの東京野菜に対する高い評価が生産農家に伝わり、彼らを勇気づけることができれば、その関係は好循環を始める。食と農は単体で考えるのではなく、リンクさせることが何よりも重要だと思っています」と述べている。
今回、三國さんがフランス料理で東京産野菜などの地産地消に取り組んだ意味は極めて大きいと思う。都市農業は不動産ビジネスなどに走って、自らの農業再生チャンスをつぶしてしまう状況でない、とも思う。いかがだろうか。

トヨタの品質問題検証どころでない、日本のモノづくりにも大きな警鐘 電気自動車が好例、新興国はモジュール型組み立て技術で日本に揺さぶり?

 さすがグローバル展開する世界でもトップランクのトヨタ自動車(以下、略称トヨタ)だけに、リコール(不具合や故障のあるクルマの回収・無償修理)問題で日本どころか世界中のメディアが連日、大きく報道している。その報道は、トヨタの品質管理が十分だったと言えるのか、という問題に始まって危機管理に課題を残したこと、消費者対応の遅さにまで及び、いずれも手厳しい批判だ。2月24日の米議会公聴会での豊田章男トヨタ社長聴取が当面のヤマ場となり、経済ジャーナリストとしても目が離せないが、再度、トヨタの問題を取り上げよう。今回は、アングルを変えて、トヨタの品質問題を冷静に見た場合、実は日本のモノづくりへの大きな警鐘にもなっている、という点を指摘したい。
 えっ、どういうこと?と思われるだろう。結論から先に申し上げれば、今回のトヨタ問題の教訓は、海外に進出して現地生産などを通じてグローバル展開する日本のモノづくり企業、メーカーにとっても無関係でない重要な問題が浮かび上がったということだ。その1つが、カイゼンなどを通じて品質管理に厳しかったトヨタでさえ、「設計複雑化」という生産のカベにぶち当たり、日本のモノづくり企業の強みだった名工、職人的な「すり合わせ」技術を駆使した生産が限界にきた可能性があること、そして今後は中国など新興経済諸国から「モジュール化(部品組み合わせ)」技術による簡単な生産手法によって凌駕(りょうが)されるリスクが強まってくるのでないだろうか、ということだ。これは実はかなり重要な問題であり、あとで、もう少し詳しく申し上げる。
もう1つは、グローバル展開するモノづくり企業にとっては、海外の生産拠点で進出先の国との摩擦回避で現地雇用、現地部品調達など、いわゆる現地化を進める問題と関連して、精密さを要求される部品などの品質管理をどこまで徹底できるかどうかということ、とくに今回のトヨタの場合を見ても、海外生産拡大路線を強めた結果、いわゆる戦線が延び切ってしまいトヨタの生命線とも言える品質管理の徹底がルーズになったのでないかということだ。言ってみればキーワードは現地化という問題だ。

電気自動車が主流になればトヨタの精緻な「すり合わせ」技術車にとっては脅威
 まず、問題提起した2つのうち、最初の問題から始めよう。私は、今回のトヨタの問題を見ていて、二酸化炭素の排出など環境に有害なガソリン車に代わって、地球環境にやさしい電気自動車が時代の主流になってくる場合、電気自動車はモーターや電池などの組み合わせ加工でつくれるので、中国やインドなどの新興経済諸国が、さまざまな地域や国からかき集めた優れものの部品などを相対的に賃金コストの安い労働力を使って完成品にすることは十分に考えられる。それが一気に加速すれば、精緻な「すり合わせ」技術でハイブリッド車などをつくってきたトヨタにとっては、大きな脅威になるな、と思っている。
そんな問題意識で取材していたら、野村総研の北川史和さんらが書かれた「脱ガラパゴス戦略」(東洋経済新報社刊)でも取り上げていた。参考になるので引用させていただこう。「日本企業が得意とする“すり合わせ”の技術を(電気自動車は)ほとんど必要としない。ある程度の部品さえ調達すれば、誰でも簡単に組み立てることができる。長距離走行に耐えられるかどうかといった性能上の違いがあるにせよ、より安価でつくろうと思えばいくらでも可能なのだ。電気自動車が普及してくれば、世界中で新規参入組が続々と登場する可能性がある」と。

日本のエレクトロニクス衰退はモジュール化が一気に進んだことが原因との指摘も
 また、経済産業省OBで、現富士通総研取締役エグゼクティブ・フェローの根津利三郎さんも2月18日付の読売新聞コラム「談論」で同じく問題提起されている。日本のエレクトロニクス産業衰退の理由が2つある、とし、その1つが、調達した部品を組み合わせて生産する「モジュール化」が一気に進んだことで、それによって電機産業は急速に競争力を奪われた、という。
そして根津さんは「自動車業界でも同じことが起きかねない。今回のトヨタの新型プリウス問題などでブランド力がそがれ、その処理がもたつけば、北米だけでなく中国、インドなどの成長市場でも韓国などに優位を奪われる懸念がある」という。まさに、そのとおりだ。根津さんはさらに踏み込んで「自動車は幸い、すり合わせを駆使した『統合一体型』の生産方式をおおむね維持できていたが、モジュール化の芽はすでに出始めている。(モジュール化の広がりに対抗できる)高い技術力や信頼を維持しなければ電機の二の舞になる可能性もある」と指摘している。
 日本のモノづくり企業、産業の強みは依然として精緻な「すり合わせ」の技術にあることは今も変わりない。とくにトヨタは、レクサスやプリウスといった技術の粋を極めたとも言える高級車を作り出せる技術力、品質管理力などがずば抜けていた。そればかりでない。トヨタは、それらの最高レベルの高級車を大量生産できる生産力を持っていたことがすごいことで、米ゼネラルモーターズ(GM)などを追い抜いて世界トップランクに躍り出る大きな要因となった。

「すり合わせ」技術は日本企業の戦略的な強み、モジュール化との融合も
 だから、トヨタはもとよりだが、日本のモノづくり企業、産業も、この戦略的な強みに磨きをかけ、競争力の優位さを保つ努力を続けることは必要だ。間違いなく重要だ。だが、その一方で、いま述べてきたように、「すり合わせ」技術の対極にある「モジュール化」というさまざまな部品を組み立てる技術の台頭に対して、その技術をどう取り込むか、また日本のモノづくり企業が得意な「すり合わせ」技術との融合をどう進めるか、あるいはその部品の部分に付加価値をつけたり、他の国々が真似のできないすごい技術特化をはかれるかどうか――などがポイントなのかもしれない。
この分野では専門家で、私自身、とても尊敬する東大教授、東大ものづくり経営研究センター長の藤本隆宏さんが今回のトヨタ問題では2月12日付の朝日新聞、18日付の読売新聞に引っ張りだこでコメントされている。藤本教授は「(トヨタは)設計複雑化という魔物に力負けした。すり合わせ型で、設計要素群が複雑にからむ自動車は、機能も不具合も非線形的に発現し、問題の与件が難しい。今回も制御ソフトという本命、他はアクセルペダルという伏兵だった」と。

藤本東大教授「『現地現物』の徹底、『問題発見・解決』の風土などトヨタらしさを」
 しかし、藤本教授は「今後の自動車産業はエコカー、高級車など先進国向けの『複雑系』と、新興市場向けの低価格な『単純系』の車の両面戦略が必要になる。それに勝つには内向きにならず、『現地現物』の徹底や『問題発見・問題解決』の風土など、トヨタらしさをよりオープンな形で取り戻すことが大切だ」という。
とはいえ、「モジュール化」が進めば、アッセンブリー(組み立て)企業が幅をきかせ、人件費を含めてコストの安さを武器にするところが勝つばかりか、競争力を強め、「すり合わせ」などで技術力を駆使していたモノづくりのメーカーは、ことコスト競争力の面では太刀打ちができなくなるジレンマに陥る。これはトヨタに限らず日本のモノづくり企業、産業に共通する大きな課題だ。
 さて、もう1つは現地化にからむ経営戦略の問題だ。今回の問題で、トヨタ幹部だけでなく、トヨタOB、さらにトヨタと取引がある大手商社の人たちなどに、いろいろ話を聞いたが、それらの中でいくつか興味深かったのは、トヨタがかつて、米国で摩擦回避だけでなく経営拡大路線のために生産工場を増やしトヨタの部品調達の合理的効率化システムのカイゼンや品質管理などのトヨタ方式を現地の米国人に教え込み徹底する人材の供給が追い付かなくなった、明らかに戦線が延び切るリスクが増大した、ということがある。

トヨタの経営拡大路線で「トヨタ方式」の徹底など現地化が追い付かず?
 またまた引用して恐縮だが、米国人ジャーナリストのウィリアム・ホルスタインさんが著書「GMの言い分――何が巨大組織を追い詰めたか」(PHP研究所刊)で、GMの問題に関連して米国でのトヨタの失敗に言及している。「トヨタが『成長痛』を感じているという最初の兆候は2004年秋のことだ。伝統的に内政重視の企業が突如、26カ国に26万人の社員を抱えることになった。トヨタはどうやってその成長を管理するのか、そしてどうやって日本の本部と外国地域との間の決定権のバランスをとるのに悪戦苦闘していた。米国市場の大きさのせいで、日本と米国の間のバランスはとくに不安定だった」という
トヨタは、グローバル展開するにあたって、これまでトヨタの経営理念やカイゼンなどのトヨタ方式を世界中の現地工場で、それぞれの現地の人たちに教育、研修を含め周知することに関して、ある面で現地化のモデル企業のようなところがあったはず。たとえばタイにあるトヨタ・モーター・エイシア・パシフィック(TMAP)という研修センターは有名で、世界各地の現地法人や生産工場から中堅幹部を含めて人材を集め、さまざまなトヨタ方式のトレーニングをしている。
グローバル展開する企業にとっては、当然のことかもしれないが、今回のトヨタのリコール問題では米国での現地部品調達面で、日本の系列部品メーカーのデンソーの部品とは質的に落ちる米国企業の部品が問題を引き起こした。タイの研修センターにとどまらず、それぞれの国々でトヨタ技術の移転に関しても、しっかりやっていたはずなのに、問題が起きたというのは、経営拡大路線のとがめだったのか、ちょっとした現場の品質管理の徹底に緩みが出ていたのか、現時点では定かではない。しかし、現地化に課題を残したことは事実だ。それは、ひとりトヨタの問題ではなく、日本のモノづくり企業、産業にも共通する課題とも言える。いかがだろうか。

今こそチャレンジ、日本は温暖化ガス削減で企業、一般家庭が積極取り組みを 「小宮山モデル」はCO2減、燃料費節約の一挙両得、政府は政策でサポート必要

地球の運命を決める、と言っても過言でなかった国連の気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)は、残念ながら昨2009年12月、各国の利害がからみ問題先送りとなったが、早いものでまもなく3カ月となる。しかし日本がアピールした「2020年時点での地球温暖化ガス削減目標を1990年比換算で25%削減」との数値目標は、間違いなくハードルが高いが、チャレンジする価値は十分だ。私は63回のコラムで「日本は環境先進国アピールのチャンス、産業界も時代先取りが必要」と指摘したが、今回は企業の取組みと同時に、一般家庭の二酸化炭素(CO2)排出量の大胆な削減をぜひ訴えたい。「日本は、世界中のどの国もが到達できないゴールをめざしてすご~いことをやる。世界をリードする環境先進国だ」と言われるように、アクションを起こすべきだ。
 そんなことを思っていた矢先、朝日新聞2月15日付の朝刊で「25%削減が経営を強くする」という刺激的な記事が出ていた。そのメッセージ発信人は京都商工会議所会頭でオムロン会長の立石義雄さんだった。長年おつきあいしていながら、京都商工会議所会頭になられて以降、京都でのお仕事が多忙なため、ほとんどお会いするチャンスがなくなったが、記事を読んでいて、立石さんらしい時代先取りの経営者の発想だと思った。

立石オムロン会長「25%削減が経営を強くする」「地球益への貢献が必要」
 なかなか刺激的であると同時に、興味深いので、少しポイントの発言部分を引用させていただこう。「これまでの(企業の)『強み』を定義し直す時期だろう。たとえばパナソニックが今年に入って『環境革新企業』をめざすと宣言されたが、環境を軸にすべての事業やコストを見直す、それが国際競争力になる、と(パナソニックは)考えたのだ、と私はとらえた。『25%削減』に誰よりも早く応えるほうが経営を強くする。何より、こうした『地球益』への貢献は社会の働きがいにもなる」と。さらに「温暖化対策で、生産設備を省エネタイプに変えるなど、大きな投資を求められた。だけど、そのノウハウをコンサルティング事業に生かすことができる。お客さまに提案する前に、社内で実験しているようなもの。そうした事業は早くやれば、その分、(いい意味で会社の)『創業者利益』も大きい」と、立石さんは語っている。
 立石さんは京都議定書が発効してから5年という節目を迎えたいま、京都商工会議所会頭の立場で「京都のモノづくりは、長い歴史の中でまがい物でなく本物をつくるという特質、人のやっていないことをやるという独創性を持っている。(中略)京都議定書誕生の地ということに加え、京都産業界は、そんな特性を持つだけに、日本の首相が発したメッセージを重く受け止めて、改めて『起業家精神』を発揮しよう、温暖化対策はビジネスチャンスになることを信じて経営をしよう、という思いがあった」ので、あえて音頭をとることにした、という。商工会議所会頭というビジネスリーダーとしても重要なメッセージ発信だ。経済ジャーナリストの立場でも、こういった志をしっかりと持つ人は応援したいと思う。

ホンダの1970年排ガス規制克服が日本の自動車ブームの引き金に
 さて、本題の企業の温暖化ガス25%削減問題に対する取組みに関して、もう少し申し上げよう。63回目のコラムでも指摘したが、企業にとっては、難しい課題に対するチャレンジが産業を変えたという意味での先進モデル事例として、ホンダ自動車が排ガス規制クリアするCVCC(シビック)エンジンを必死の努力で誕生させたのを思い起していただきたい。ホンダのたくましいチャレンジ精神で、ゼネラルモーター(GM)やフォードなど米自動車ビッグスリーが絶対に困難と言い続けていた1970年の米マスキー法規制をクリアした話だ。当時、開発チャレンジを渋っていたトヨタ、日産といった主要大手自動車メーカーもホンダの課題克服事例が刺戟になったのか、あわてて追随し見事に規制クリア車を実現、あっという間に日本車ブームをつくりあげた。
 そればかりでない。危機がチャンスという先例をつくったばかりか、日本の産業技術は原油価格高騰時代に省エネ技術に磨きをかけ、「環境先進国」という存在感を生みだした。同時に、それが日本の戦略的な強みもなった。今回の温暖化ガス25%削減問題も、そういった意味で、日本企業にとっては大きな試練だが、危機をビジネスチャンスに切り替えるばかりか、新たな日本の戦略的な強みにすればいいのだ。産業セクター別で温暖化ガスの削減幅の課題が大きい鉄鋼や電力などの企業は「乾いた雑巾をもうこれ以上はしぼり切れない」と異口同音に言うが、石油ショック時のホンダの先進モデル事例を参考に、ぜひ多くの日本企業を勇気づける先進例を示してほしい。

環境省の「25%削減ロードマップ」では一般家庭は最大31%削減案
 冒頭で申し上げたように、今回のコラムでは、エネルギー消費量の多い一般家庭、つまり国民1人1人も同じ課題を背負っており、どうすればいいか、取り上げたい。その手掛かりになるのが、2月17日に環境省公表の温暖化ガス25%削減の目標達成に向けた「中長期ロードマップ(行程表)」案だ。それによると、90年比で一般家庭が最大31%減(05年比49%減)、オフィスなどの企業業務部門で21%減(同じく45%減)、トラックなど運輸で25%減(同37%減)、そしてこれまで述べた工場などの産業企業で24%減(同20%減)となっていて、一般家庭の削減努力が大きな課題になっている。
 結論から先に申し上げれば、一般家庭の削減にはぜひ積極的に取組み、国民の自助努力を求めると同時に、政策誘導するために、政府がエコポイント制度の活用はじめ省エネタイプの器材購入補助、減税といった形で家計をバックアップすると同時に、マクロ経済的な新規の需要創出につながるような政策をとればいいのだ。

石油ショック時は総需要抑制策だったが、今回は需要創出しながらCO2削減案を
 ご記憶があるかどうか定かでないが、かつて石油ショックの時に、政府は総需要抑制という形でガソリン消費を抑えたばかりか、東京銀座など繁華街のネオンサインはじめオフィスビルの照明を抑え、エネルギー消費を省エネ型の政策に切り替えて、何とか事態乗り切りに成功した。当時も、一般家庭のエネルギー消費量は膨大なものがあり、それを抑えることはやむを得なかった。しかし、今回は経済のデフレ化のもとで、総需要抑制の形でのマクロ政策はとりにくい。当然だ。むしろ、いまはマクロ経済的な需要創出につながるような策を講じながら、同時に温暖化ガスの削減につながるようにもするということで行くしかない。
 そこで、ヒントになるのが以前も時代のキーワード「課題先進国」の話で、このコラムで取り上げた前東大学長で現三菱総研理事長の小宮山宏さんの提案だ。新エネルギーセミナーなどで何度かお聞きしている話だが、聞くたびに、これは取組み用によっては、新規需要創出になると同時に、温暖化ガス削減にもつながる一挙両得のアイディアだなと思うようになったので、ぜひご紹介させていただきたい。

小宮山前東大学長は自宅リフォームで実践、電気ガス代が年間6分の1に節約
 小宮山さんが自ら自宅で実践されたことを踏まえて提案されているので、なかなか説得力がある。自宅をリフォームし、まず断熱材を入れると同時に、窓を二重ガラスにする、また電力などエネルギー多消費型の旧式の冷蔵庫やエアコン、テレビなどの電気器具も最新型の省エネタイプのものに切り替える。またガス給湯器も高高率の給湯器に切り替える。さらに極めつけは屋根に太陽光発電ができるように太陽電池などを取り付ける、というものだ。小宮山さんは「リフォームの初期費用はかなりかかったが、エコハウスにしてみて結果は長い目で見てプラスだった」と語る。具体的には、電気やガス代がそれまで年間約30万円かかっていたのが省エネ器材の導入によって、いまは年間6分の1の5万円弱で済んでいる。リフォーム投資は300万円ほどかかったが、10年超でモトがとれる計算だ、という。

政府はエコポイント制度活用、省エネ家具購入補助、減税で対応を
 京都議定書にもとづく主要国の2012年までの暖化ガスの削減目標のうち、日本は90年度比6%削減が義務付けられているが、環境省によると、07年度の排出量が逆に9%増加した。工場など企業のや産業部門では省エネ対策で、それこそ雑巾をしぼりにしぼって2.3%削減したが、一般家庭からの排出量が41%も増えたため、それが全体を押し上げ、9%プラスになったのだ。2012年の目標年次はあとわずか。それどころかポスト京都議定書がらみで冒頭の2020年問題がある。
そうしたことから見ても、一般家庭の削減努力は今や国民的、いや国家的課題なのかもしれない。それからすれば小宮山さんの実績値でもわかるとおり、際立った効果が上がっているのだから、あとは政府がエコポイント制度の活用はじめ省エネタイプの器材購入補助、減税といった形で一般家庭の削減を応援すると同時に、産業や企業にとっての新たなビジネスチャンスにすればいい。いっけ、重そうな課題に見えるが、チャレンジする意義は十分にあるし、それによって、日本は間違いなく課題克服によって「環境先進国」になり得る。

民間に政策シンクタンクが必要だ、霞ヶ関行政機構も賞味期限切れ? 何ともひどい、国交省傘下の財団法人が「国に配慮、過大な航空需要予測」

「これでも政策シンクタンクを本気で任じているつもりか。何ともひどい」と思わせる東京新聞3月6日付の1面トップのスクープ記事で、私はつくづく霞ヶ関の行政機構も賞味期限切れだ、この際、色のつかない純然たる民間の政策シンクタンクが必要だな、と感じた。スクープのもとになった財団法人「運輸政策研究機構」(東京都港区、羽生次郎会長=元国土交通審議官)という交通運輸政策に関する政策シンクタンクは何と「運輸政策研トップが明言、国に配慮、航空需要で過大予測」「静岡、茨城空港建設は必要なかった」というものだったからだ。
 東京新聞記事を少し参考にさせていただこう。それによると、この運輸政策研究機構は、全国で空港建設が本当に必要かどうか、主として需要予測を手掛けるのが業務だが、昨年6月に開港した静岡空港や北九州空港などの需要予測では、実需の2、3倍もの予測を出しゴーサインを出した、という。羽生会長は東京新聞の取材に対して「いかなる理由があれ、予測が外れたのは恥ずかしい。予測に使うモデルは、新たに開発するのが大変なので、既存のモデルを加工する形で使っていたが、基本的には国内総生産(GDP)が増えれば、航空需要はそれを上回って伸びる仕組みだった」と述べている。

羽生会長「発注者の意図をおもんぱかる。国からの委託事業は注文建築と同じ」
 問題は、そのあとの発言だ。羽生会長は「予測の間違いは、予測モデルのせいというよりも、発注者(国)の意図をおもんばかってしまう点にある。国からの委託事業は注文建築と同じだ。こういう結果を出せとまでは言われないが、大きな事業ほど、地元業者などの期待感も大きい。それを感じつつ、これに反する結果を出すには相当に強い意志が必要だ」という。聞き捨てならない話だが、さらに「静岡空港にしろ、茨城空港にしろ、必要か聞かれればつくるべきでなかった。予算が限られる中、近年つくられた空港のうち、本当に必要なのは羽田空港の第4滑走路ぐらいだろう」「非常勤の会長として率直な考えを申し上げた。運輸政策研究機構もシンクタンクである以上、評判は重要だ」という。ただただあきれ返るばかりだ。
 霞ヶ関の行政機構の官僚組織は、志が高く鋭い問題意識で国家の将来のあり方を考える政策官僚も多いが、その一方で、問題先送り、前例踏襲、リスクをとりながらチャレンジを試みるといった発想のない官僚がいるのも事実。現に、2003年に霞ヶ関の構造改革をめざす若手キャリア官僚の人たちが強い危機意識から組織した「新しい霞ヶ関を創る若手の会」(NPO法人プロジェクトK)が著書「霞ヶ関維新」(東洋経済新報社刊)で「霞ヶ関が国家戦略を策定するにあたって3つの大きな問題をはらんでいる」と、問題提起している。

霞ヶ関官僚の現実、「事なかれ主義」「専門家不在による国際競争力不在の政策」
 それによると、1つがジェネラリスト特有の事なかれ主義、2つが専門家不在による国際的に競争力のある政策の不在、そして3つめが戦略や政策論議する時間の不足だ。このうちジェネラリスト特有の事なかれ主義は大きな問題。問題の本質に関与してしまうと、世論を二分する大問題になってしまったり、既得権益を持っている関係団体と、その支援を受けている政治かたちからの猛反発を受けたりすることとなり、物事が進まなくなる。そうならないように霞ヶ関では、既得権益をあまりいじらない方向で、省庁内部および政治家や関係者との調整に膨大な時間を使う、という。
しかし、私が民間に政策シンクタンクを、と思わず考えたくなる「専門家不在による国際的に競争力のある政策の不在」という点について、彼ら危機意識を持つ若手官僚によると、「昨今の行政は、国民のニーズの多様化に伴い、それぞれの業務がどんどん専門化しています。従来の行政と比しても、専門家不在で戦略・政策をつくることに限界が生じていることは自明です」という。

運輸政策研究機構は政策シンクタンク任じているが、単に都合のいい政策下請け
 こうしてみると、冒頭の運輸政策研究機構という官僚の天下り財団法人も、政策シンクタンクには程遠い存在だ。専門家不在で戦略・政策をつくることに限界、という官僚組織の現実の中で、国土交通省の航空政策に携わる官僚にとっては、このシンクタンクは政策下請けしてくれる貴重な存在となっているだけ。
そればかりでない。運輸政策研究機構は、実体と遊離した航空需要の数字を出して官僚のご機嫌うかがいをする。そうすると、国土交通省官僚も、族議員や地元政治家の政治的ニーズに巧みに応えながら、その一方で、官僚としての政策実績を残したいがために、運輸政策研究機構の過大な航空需要予測の数字を十分に検証もせず、専門の政策シンクタンクという都合のいい存在を巧みに活用して、最後は巨額の国家予算を空港建設につぎ込んでしまう。
仮に、あとで需要予測と違った現実が出てきても気にしない。もっともらしい理屈をつけてエクスキューズし、決して自らの政策ミスをおくびにも出さない。運輸政策研究機構も元官僚の天下り組織だから、そのあたりの「傾向と対策」はしっかりと出来上がっている。そして、国土交通省官僚と同様、「米国発のリーマンショック、原油などの資源価格の高騰といった想定しきれない経済の急変に遭遇し、航空需要が大きく落ち込んでしまった」というのだ。

民主党も力不足で霞ヶ関の巨大シンクタンクを使いこなせず
 私は、このコラム49回で、「霞ヶ関巨大シンクタンクの政策立案能力は活用次第、民主党の官僚敵視はリスク」といったことを書いた。民主党政権が政策立案に際して脱官僚、政治主導を全面に押し出し首相直属の「国家戦略局」を設け国家ビジョンや予算の骨格策定を集中的に行うこと、政策テーマごとに関係大臣で政策調整する「閣僚委員会」、天下り法人や霞が関行政機構のムダや不正をチェックし改革につなげる「行政刷新会議」を新設することなどを評価したが、現実は、試行錯誤で、まだまだ道半ば、それどころか鳩山由紀夫首相の主導力不足が目立ち始める一方、閣僚や「政務3役」の中にも足並みの乱れが見えて先行き不透明さを感じるほどだ。霞ヶ関巨大シンクタンクの政策立案能力は活用次第という前に、民主党の力不足で、使いこなすどころの状況でなくなってきている。
 そこで、私は、かねてからの持論でもあるが、霞が関の官僚政策シンクタンクに相対峙(あいたいじ)する形で、しっかりした民間の政策シンクタンクをつくるべきだ、という考え方でいる。49回コラムの最後の部分で、「その場合、霞が関の行政組織に対しては、情報を独占することなく、むしろ情報開示を求める」と同時に、「制度設計を含めて、民間の政策シンクタンクと政策面で競い合う関係をつくればいいと思っている」と述べた。

今こそ日本で独立系のしっかりとした政策シンクタンクを、財政基盤がポイント
 いま、民間では野村総研や日本総研、みずほ総研、富士通総研といったシンクタンクがあるが、富士通総研といった一部のメーカー系を除いて、大半が銀行、証券系のシンクタンクばかり。かつてバブルのころ、ある銀行系シンクタンクの幹部が言っていた「われわれは、政策提言を含めてシンクタンクとして自立しようという考えがあるが、現実は親企業の銀行からの受託業務でコストをまかなっている部分が多い。下手をすると、銀行の営業部門から審査業務の肩代わりの役割を求められ、不良債権を抱える問題融資先に関して、『融資に問題なし』という黄色信号を青信号に変えるお墨付きを与えることもある」と語っていたのが印象的だ。
 そういった意味で、民間に新たな政策シンクタンクをつくる場合、利害のからまない日本のあるべき政策、制度設計などを真剣に議論し、そして立案して、政治の要路にしっかりと実現、実行を促す、もっと言えば「なるほど、これは素晴らしい」と言わせて積極導入するような政策立案能力を持たねばならない。また、あらゆる権力などから独立して状況に流されないで済むように、財政基盤もしっかりしたものにしなくてはならない。いわゆる大相撲の世界でいう力士のひいき筋、後援会の谷町筋、「タニマチ」が必要だ。ただし、資金は出すが、いっさい口出し、注文をつけない志の高い人たちの浄財が何としても必要だ。

米国では政策シンクタンクは民主党系、共和党系という、言ってみれば政党系のシンクタンクがあることは、ご存じの方も多いはず。米国の政治土壌で生まれたシンクタンクはそれなりの存在感を持って、政策立案をしているが、日本では政党系のシンクタンクはなかなかなじまない。現に、自民党、民主党それぞれつくったが、中途半端な形に終わっている。その意味でも、つくる場合、独立系にして、しっかりとした財政基盤づくりに知恵を働かせ、優秀な人材を集め、まさに英知の結集をはかれば面白い存在になるように思う。

韓国企業の国際競争力策に日本は学ぶこと大、新興国市場戦略に鋭さ 徹底した現地化で消費者ニーズに応え市場シェアを確保

最近、広島県へ取材で出かけた際、広島空港からの高速道路リムジンバスで面白いことに出くわした。日本語、英語、そして中国語、韓国語の車内アナウンスがあったのだ。4ヶ国語でのバス・アナウンスは初めてだったので、思わず苦笑してしまった。広島は原爆被災地だけでなく宮島などの観光資源もあり、中国や韓国からの観光客を意識したのかなと思った。そんな折に、数人の友人たちとの会合で、たまたま韓国のことが話題になり、国際競争力の強さを踏まえ、日本は韓国に学ぶことが多いという点で一致した。そこで、今回はなぜ韓国経済が日本にとって学習の対象なのか、という点を取り上げてみたい。
 その韓国だが、読売新聞3月14日付け朝刊のワールド・ビュー・コラムで、ソウル支局長を終えて帰国することになった森千春さんという記者が「時代の波に乗る韓国」というタイトルで、これから私の申し上げる話にからむ問題を取り上げておられるので、現場経験者のレポートとして、ぜひ引用させていただこう。

「桜は盛りを過ぎた。韓国のムグンファは満開。中国のボタンはこれから咲く」
 「韓国の評論家、池東旭氏は日韓中の経済を花にたとえて『(日本の)桜は盛りを過ぎた。ムグンファ(韓国の国花)は満開。ボタン(中国の国花)はこれから咲く』と表現した。リーマン・ショックと呼ばれる世界的金融危機で、マイナス成長に落ち込んだ日本を尻目に、韓国は急速に回復した。家電や自動車という花形産業で先進国市場に頼ってきた日本と、成長力に富む新興国市場を押さえた韓国の差が出ている」という。
さらに「韓国には不安材料も多い。基礎技術面の弱さ、為替変動に振り回されがちな経済体質、貧富の格差拡大、日本よりも低い出生率、そして北朝鮮との関係という変数も抱える。それでも韓国の存在感は今後も増すだろう。なにより国民、企業、政権のそれぞれがグローバル化に背を向けては韓国に未来がないと覚悟を決めた強さがある。バブル崩壊後、自信を失い変革の方向がいまだに見えない日本にとって、韓国の姿は参考になる」と。
 同じことを、友人で、旧大蔵省(現財務省)財務官、現早稲田大教授の榊原英資さんも最近、ある会合で述べていた。「2週間前に、仕事で韓国に行ったが、いろいろな人と出会って話をしていて、経済活動に自信を持っているのには正直、驚かされた。いまの日本のように発想も行動も内向きになっているのとは極めて対照的だ」と。

アジア通貨危機時のIMF金融支援条件のマクロ政策面での内政干渉も克服
確かに1997年から98年にかけてのアジア通貨危機の際には、韓国経済は壊滅的な打撃を受けた。日本が1970年代の原油価格高騰時のオイル・ショックで厳しい事態に追い込まれたのとは比較にならないほどのものだった。当時、韓国は国際通貨基金(IMF)などの国際的な金融支援を仰がねばならないほどだった。とくにIMFの金融支援に際しては、マクロ、ミクロ政策両面で内政干渉かと思えるほどの政策面での注文がつき、プライドの高い韓国を傷つけた。しかし、韓国のすごさは、その厳しい試練を乗り越えて、ややオーバーに言えば不死鳥のごとく再生したことだ。今回の米国発の金融危機、リーマン・ショックでも、日本のようにマイナス成長に陥らず乗り切りを図れている。
 今回、私が韓国経済の国際競争力の回復策で学ばなくてはならないのでないかと思ったのは、その韓国の企業の海外戦略だ。具体的に言えば、中国やインドなど今や世界の成長センターとも言えるアジアの新興経済諸国に積極的に進出し、いわゆるボリューム・ゾーンと呼ばれる経済にチャレンジし、しかも現地化を徹底して進めていることだ。

LGエレクトロニクスはイスラム社会に目をつけコーラン内臓テレビを販売
 韓国の代表的企業の1つ、LGエレクトロニクスがいい例だ。韓国ではトップ企業のサムソンに次ぐエレクトロニクス大手だが、海外市場で常に現地消費市場に食い込むには徹底した現地化しかない、という戦略判断がすごいのだ。具体的にはインドでのテレビ販売に関して、インドで方言を含めおびただしい数の言語があるのに対応して、それぞれの言語でのテレビの操作マニュアルをつくったり、低音が大きく出るようにスピーカーを増設したりする。言ってみれば、それぞれの国々の消費者のニーズが何かを見極め、それこそ痒(かゆ)い所に手が届くような徹底したサービスぶりなのだ。
その極めつけは、中東はもとよりアジアでもインドネシア、マレーシアなどイスラム教の言語、文化圏が大きく広がっていることに対する対応ぶりだ。LGエレクトロニクスはイスラム教の教典コーランを内蔵したテレビを売って大人気を博している、という。これは聞いた話の受け売りだが、ハードディスク装置の中にコーランを内蔵していて、画面に文章を出したり、教典を読み上げる機能もつけている。単にテレビでニュースを見たり娯楽番組を見ることが出来る、というだけでなく、生活の中に根付いているイスラム教を巧みにテレビに活用したのだ。LGエレクトロニクスの現地化戦略は現地の消費者ニーズの把握はじめ製品面での技術対応などを素早く地元の技術者を取り込んで対応している。
 日本企業もこれまでは海外でそれぞれの国々での現地化に対応してきたはずだが、韓国企業の徹底ぶりには驚かされる。しかし、それだけでない。韓国企業が国際競争力を回復しているすごさは、さきほど述べたボリューム・ゾーンという新興国の中間所得階層に鋭く食い込む戦略をとっていることだ。

新興国のボリューム・ゾーン、中間所得層の照準あて食い込む作戦
 このボリューム・ゾーンは今では当たり前に使われているが、2009年の通商白書で今後の日本企業の取り組むべき重点戦略市場として取り上げられた。具体的には1世帯の可処分所得が5000ドルから3万5000ドルのゾーンに入る中間所得階層群、中国では4億4000万人、インドでは2億1000万人がその対象で、アジア全体では8億8000万人にのぼる巨大消費市場が想定される、というものだ。確かに、中国やインドなどでは、かつては人口の多さが成長の制約要因だったのが、今ではその人口に消費購買力をつけ、逆に成長の起爆剤にしている。当然、所得水準が上がれば、中間所得階層が増え経済社会にとって安定したパワーとなる。韓国企業は、日本企業以上に徹底して、このボリューム・ゾーンに照準を当てているのだ。
 75回目のコラム「トヨタの品質問題検証どころでない、日本のモノづくりにも大きな警鐘」で紹介した野村総研の北川史和さんらが書かれた「脱ガラパゴス戦略」(東洋経済新報社刊)でも、韓国企業のすごさを取り上げているので、再度、引用させていただこう。「もともと韓国の人口は4000万人程度であり、国内市場は小さかった。だから韓国企業は、早い段階から米国を中心に海外を『主』、国内を『従』の市場として捉えてきた。現在は中国、インドでも存在感を示している。日本のように、国内需要に引っ張られてガラパゴス化する環境にない。常に海外市場で拡販することに経営の主眼を置いてきた」という。確かにそのとおりだ。

価格帯もハイエンドからローエンドまで網羅、日本は「一種の一物二価は無理」
 そればかりでない。北川さんらによると、「韓国企業は(高価格の)ハイエンドから(低価格の)ローエンドのものまで全面展開している。(中略)ローエンドモデルのものがいくら売れたところで、ウォン建てで見た場合の利益は少ないかもしれない。しかし、あらゆる手段を駆使したコスト削減に大胆に取り組んでいるから、利幅まで薄いとは言い切れない。重要なのは、こういうリスクを取ってリターンを狙う姿勢だ」という。
日本国内のある大手製造業企業の幹部は「韓国企業のようにハイエンド、ローエンドのものをフルラインでそろえるという戦略は日本企業ではとりづらい。現実問題として、デザインなどの企画、設計から生産ライン、そして販売の末端まで、一種の一物二価政策をとるというのは企業としてとりづらい。ハイエンドで安定的に売れるなら、何も無理してハイエンド商品の値崩れを起こしかねないローエンド商品をつくる必要がない、極端に言えば自分で自分の首を絞める行為になりかねない」というわけだ。早い話が、昔、銀行の人が言っていたことだが、手間ひまかけて小口預金を集めるよりも少ないコストで大口預金をとった方が効率的で、ムダなことはしないという発想につながるものだ。
ところが韓国企業は先進国市場ではハイエンド、ローエンド、新興国市場ではローエンドに絞り込んで市場シェアを確実に上げているのだ。しかもそこに徹底した現地化戦略が加わるから強い。日本企業は以前、韓国企業のことを、日本をライバル視しながら、その一方で技術の模倣したり盗んだりして平然としていると言った形で見くだしていたが、今や海外、とくに新興国市場ではその力関係が変わってきた。そういった意味で、日本企業こそがこの際、謙虚になって韓国企業の「強み」の研究をする時期に来ている、と言えまいか。

郵政改革法案めぐる鳩山政権内対立は見苦しい、首相はもっと指導力を! 郵貯限度引上げの狙いは国債や株式買支えのPKO原資確保?どこかおかしい

 日本の政治の質の劣化は旧自民党政権時代から続いていることで、今に始まったことではない。しかし、有権者はこの国の将来に少しでも期待が持てるようにと、政権交代による改革の道を選んだ。民主党政権が最初から素晴らしい改革を次々に出してくるとは思えず、「期待半分・不安半分」だったが、半年以上たった鳩山民主党連立政権の現状は、不安部分が増幅するばかり。とくに最近の郵政改革法案をめぐる迷走ぶりは見苦しい。この国の周辺では地殻変動が起きているというのに、政治が内向きになっていていいのだろうか。今回は、郵便貯金の限度額引き上げなどをめぐる郵政改革法案の問題を取り上げよう。
 郵政改革法案をめぐる迷走は最終的に、3月30日夜の鳩山内閣の全閣僚による臨時の閣僚懇談会で、鳩山由紀夫首相が一任をとりつける形で決着がついた。その決着内容は今後、国会に出される政府の郵政改革法案で明らかになるが、現時点では、鳩山首相は亀井静香郵政改革・金融担当相や原口一博総務相が6日前の3月24日に記者発表した最終案を呑み込む形となっている。何が問題かは、これから申し上げるが、この決着を報じた3月31日付の新聞各紙の見出しは、手厳しい。「郵政票無視できず、参院選意識、首相が急旋回」(日経新聞)、「亀井案で決着、首相、連立を優先、郵政票にらみ仙谷氏支持広がらず」(毎日新聞)、「首相、郵政亀井案丸飲み、政権危機回避へ即断」(朝日新聞)、「総理一任で矛収める、『限度額見直せる』仙谷氏軟化」(読売新聞)などだ。

鳩山首相一任で最終決着したが、一時は民法TVで亀井・菅両閣僚が口論
 国民の前に醜態(しゅうたい)をさらしたのは3月28日の民放テレビ朝日の討論番組でのことだ。ご覧になっていた方が多いかもしれないが、ちょっと再現してみよう。ゆうちょ銀行の預け入れ限度額(現行1000万円)を倍増の2000万円に引き上げる亀井氏の最終案について、菅直人副総理・財務相・経済財政担当相が「(記者発表する前に)事前に、そういった数字は聞いておらず、知らなかった」と述べたら、亀井氏は「鳩山総理に話をして了解された、ということで、菅さんにも電話で全部、申し上げたはずだ」と反論した。これに対して、菅氏は「いや、具体的な数字は聞いていない」と述べたら、亀井氏が「菅さんにだけ、数字なしに報告するわけがない。今後、菅さんとの電話(での報告)はテープにとっておかないといけない」と述べたあと「あんた、耳が悪いんだよ」と言ったものだから、菅氏がムッとした表情になり、一瞬騒然となる状況だった。
 しかし、この郵貯の限度額引き上げなど郵政改革法案をめぐる鳩山内閣内対立は、民主党連立政権の底の浅さ、政権基盤の弱さを露呈するものだ。というのは、菅・亀井論争レベルにとどまる話でないからだ。仙谷由人国家戦略相はじめ主要閣僚も記者発表によって新聞などに発表内容が出るまで知らなかった。政策決定の透明性が問われるので、閣議決定の前に議論するべきだ、と場合によっては振り出しに戻せという動きにもなっている。そればかりでない。「鳩山首相の了解は得ている」と、亀井氏が突っ張りの根拠にした肝心の鳩山首相自身も記者発表後、「私が(最終案を)了解したと伝えられているが、実際には了解ではない。これから閣議で調整されるべき事項だ」と述べたのだ。これら一連の言動を見る限り、この連立政権はいったいどうなっているのかと、誰もが思うだろう。

亀井氏には7月参院選での選挙戦を有利に運ぶための政治的思惑が先行
 「時代刺戟人」ジャーナリストの立場で、いくつか問題指摘したいが、まず、亀井氏の胡散(うさん)臭い政治行動に早く歯止めを、という問題だ。私は、第60回のコラムで、日本郵政社長人事に関して「脱官僚依存の新しい政治を標榜(ひょうぼう)していた民主党政権が、こともあろうか旧大蔵次官OBの大物を起用したうえ、決定に至る手続きが実に不透明で、到底、国民の共感を得るようなものでない」と批判した。同時に、「日本郵政の社長人事だけでない。銀行の貸し渋り・貸しはがしに対応する中小企業や個人の借金返済猶予(モラトリアム)法案もしかりだ。民主党政権は政策決定プロセスを限りなく透明性の高いものにするはず。亀井氏はそれに逆行することを平然かつ強引に行っている」と。 亀井氏はもともと、旧小泉政権時代の郵政民営化に反対して自民党を離脱したあと、全国郵便局長会を選挙支持母体にする国民新党の創設に加わり現在に至っている。そこで見えてくるのは、今年7月の参院選を前に、支持母体の一段の選挙協力をとりつけるために思い切った郵政改革法案をつくるしかない、という政治的な思惑だ。事実、3月24日に記者発表した郵政改革法案のポイント部分を見ると、民主党連立政権の改革案というよりも、自らが代表を務める国民新党の選挙対策的な意味合いが強い。
 4月中に政府の最終的な改革法案が国会提出されるので、それを見るしかないが、当初の亀井氏の改革案の主なポイントを見てみよう。今の日本郵政の5社体制を3社体制に変えること、その際、持ち株、郵便、郵便局の3社を統合して親会社とし傘下に郵便貯金、簡易保険の金融2社をぶらさげること、郵便のみに義務付けられている全国一律のサービス提供を貯金、保険の金融2業務にも拡大すること、ゆうちょ銀行の預け入れ限度額を倍増の2000万円にすると同時にかんぽ生命保険の保障限度額も1300万円から2500万円に増額すること、さらに極めつけはグループ内の業務委託にかかる消費税の免除、郵便局への金融検査の簡素化、そしてグループで約20万人の非正規社員のうち10万人を正社員化することだ。とくに、この最後の雇用対策部分は、支持母体の全国郵便局長会の受けを狙ったのでないかと勘繰られても抗弁できないのでないかと思えるものだ。

政治の胡散臭さを持つ亀井氏の言動に、実は、民主党内でも冷ややかな受け止め方だけでなく、「この際、参議院での過半数確保対策のために、民主党の政策の根幹がゆがめられる事態になっては何も意味がない。相容れないものがあるなら、社民党ともども国民新党との連立解消に踏み切るべきだ」という若手幹部の声さえある。しかし現実問題として、目先の参院選対策を意識する小沢一郎民主党幹事長の強い意向に反旗をひるがえす動きは鳩山首相を含めて出てきていない。それが結果として、亀井氏の増長を誘い、「連立解消、閣僚更迭など、やれるものならやってみろ」という開き直りの姿勢にもなっているのでないだろうか。何とも危うい政権基盤だ。

ゆうちょ銀資金増えても融資ノウハウなし、国債運用に振り向ければリスク大
 今回、もう1つ、ぜひ指摘しておきたいのは、郵貯の預け入れ限度額の拡大、かんぽ生命の保障額拡大の2つの改革案に関する問題だ。結論から先に申し上げれば、金融システムを非効率にしてしまう話で、私は、まったく無意味だと判断し反対だ。郵貯の限度額引き上げに際して、民間金融機関の経営破たん時の預金保証である「ペイオフ」とのからみがどうなるかがポイントだが、今のところ、民間の元本1000万円と利子分しか払い戻さない、という点と同じにするとしている。しかしゆうちょ銀行への政府の間接的な出資が残るため、暗黙の政府保証がつく形となり、それを期待して、郵貯の限度額引き上げ分の2000万円に預け入れられる可能性が大きい。かんぽ生命の保障額拡大も同じだ。
 はっきり言って、ゆうちょ銀行は貯金を抱え込む必要は今、何もない。かつて戦後の財政を陰で支えた財政投融資制度は、郵貯資金や簡保資金を旧大蔵省資金運用部に預託され、そこを通じて政府系金融機関や政府系機関に貸し出されて運用された。しかし、不透明な資金運用が問題になり廃止された。それに伴い郵貯資金はゆうちょ銀行の自主運用に委ねられているが、一部、民間のスルガ銀行と提携し貸し出しノウハウを学ぶと同時にスルガ銀行の金融商品を代行販売したりしている。しかし現実はゆうちょ銀行の資金の80%が国債投資の形で運用しているだけ。かんぽ生命資金の60%も同じく国債運用だ。しかし、国債運用はリスクが大きい。日本政府の国債に対するマーケット評価が仮に悪化して急落どころか暴落したりした場合、評価損などでゆうちょ銀、かんぽ生命は大変な損失をこうむる。そのリスクを抱える中で、郵貯の預け入れ限度額で増えた資金をどう活用しようというのか。本来ならば民間金融機関を通じて、運用されるべき資金が事実上の官業金融機関に吸い取られて非効率なものになりかねない、というリスクこそが問題だ。

国債や株価PKO対策と今後の国債増発に備える「本音」が見える?
 今回、鳩山首相が閣内の不協和音を呑み込む形で「私に一任を」と収拾を図ったが、最初で紹介した新聞各紙の見出しにあるように、国民新党などとの連立政権維持を優先したこと、7月の参院選を意識して郵政票の取り込みを図ったことなどが真相なのだろう。早い話が問題先送りだ。
しかし、新聞各紙があまり取り上げていないポイント部分を申し上げよう。それは冒頭の見出しに掲げたように、国債価格や株式相場の下落を防ぐための買い支え資金に充てるのでないか、ということだ。ご記憶だろうか。PKOという言葉を。かつて旧自民党政権時代に、株価を押し上げるために郵貯や簡保の資金を使ってPRICE KEEPING OPERATION(PKO)を行った。時の政権にとっては、年度末などに株価が大きく下落したりすると、企業や投資家のマインドを冷やしし、ひいては景気にも悪い影響を与えかねないと、買い支えの行動に走った。それを今度は国債も対象に加えて、大がかりな相場の下支え、あるいは押し上げの武器に使おうということが考えられる。
日本郵政ならば、まだ政府が株式を保有しており、経営に対して発言権も行使できる。社長に旧大蔵省事務次官OBを起用したのも、そうした布石だったのかもしれない。それならば、亀井氏の批判ばかりに終わらず、民主党としても譲歩は可能だ、とでもする気なのだろうか。私に言わせれば、もしそういったことで、今回の郵政改革法案をあいまいなものにするならば、民主党政権自体が問われる。今後、税収の伸びが大きく期待できない中で、政策需要が多く、一時的に国債増発に頼らざるを得ない。そこで、PKOを含めて、ゆうちょ資金などを使って国債買い支えで相場下落に歯止めを、という別の思惑が働いている可能性もある。しかし、マーケットの時代に、そういったPKOが通用すると思っているのならば大間違いだ。

マーケットがどう受け止めるかも関心事、まだまだウオッチと検証が必要
 もう1つ、見過ごせないのは、いま申し上げたように、今後の景気動向次第で大型補正予算で景気対策を打たねばならなくこともある。その場合、緊急避難的に国債増発で切り抜けるしかない。しかし、国債増発がマーケットでどう受け止められるか、消化が進まなければ、長期金利の跳ね上がりにつながるリスクがある。民間金融機関や一般投資家がどこまで増発国債を買ってくれるか、そこで、安定的に国債消化してくれる「頼りになる存在」が必要だ。それが今回の郵貯限度額引き上げ論の背景にあると思う。それに、政府は日本銀行とのマクロ政策面での財政金融一体化を主張しているが、日銀の金融政策の独立性を尊重せざるを得ない。となれば、財政政策となると、税収低迷のもとで国債増発に頼らざるを得ず、その金融政策とのからみでもマクロ政策の自由度をつくっておきたい、という点が指摘できる。また、前原誠司国土交通相は政府ファンドでインフラ投資への活用構想も打ち出しているが、このあたりは、まだ政策的にも未成熟な感じがする。いずれにしても、この問題はまだまだウオッチと検証が必要だ。

米国の人民元切り上げ圧力、かつての円切り上げ時の「強引さ」とは様変わり 切り上げ後の中国の対応策がポイント、日本のバブル・崩壊から何を学ぶか?

米国が執ように迫る中国の人民元通貨の切り上げ。中国側がこれをどう受け止めるか、大きな関心事となっている。しかしこれだけ人民元切り上げ問題が取りざたされれば、中国も2005年夏以来の再切り上げに踏み切らざるを得ないだろう。あとはいつ、どういったタイミングで、どれほどの通貨切り上げに踏み切るかだが、この問題を見ていると、かつて米国が日本に執ように迫った円切り上げ要求時と状況が酷似している、と思われないだろうか。
 でも、結論から先に申し上げれば、中国は今、かつての日本と同じように対米貿易不均衡という経済摩擦問題を抱えているが、当時の日本と違って、極めてしたたかなうえ、プライドの高い国なので、内政干渉のような米国の要求を突っぱねる面があり、一筋縄ではいかない。むしろ、中国は米国に対し巧みに恩を売りながら、政治的に活用する可能性が高い。しかし、そのことよりも、中国がもし人民元切り上げ対策への対応を誤れば、日本が円高不況対策から大胆な内需拡大策に走り、超金融緩和政策によって結果的にバブルを誘発、そのあとバブル崩壊、あおりで「失われた10年」どころか20年という長期デフレに至ったリスクに陥ることを、場合によっては覚悟しなければならない。その意味で、中国は日本の失敗から何を学ぶかが、実は極めて重要だ。

米議会が中間選挙控え強硬ながら米政府は中国を追い詰めずの姿勢
 その前に、最近の米国と中国との人民元切り上げ問題をめぐる動きに、ちょっとした変化が起きていることを申し上げておこう。確かに、ここ数カ月間の米中間の人民元切り上げ問題をめぐる動きは、ひと昔前とは様変わりの状況になりつつある。それどころか、米国が日本に対して、円切り上げのみならず、大胆に市場開放策を含む経済構造改革を迫ったころとは大違いのところがある。
具体的に言うとこうだ。以前ならば、米中間選挙を今年秋に控えた政治的季節のもとで、米議会が声高に中国の為替政策、端的には中国がドル買い・人民元売りという通貨介入政策で人民元安状態を作り出していることを批判し、それが中国の対米貿易黒字を生み、米国人労働者の失業をもたらしているかを挙げ、人民元の大幅切り上げを求める。それを受けて米国政府も中国政府を厳しく糾弾し切上げを迫る。これに対して、中国政府は、内政干渉は断じて許されない、と突っぱねるというのがパターンだった。
 今回は、米議会の動きは同じだったが、米中両政府の対応に違いが出た。このうち、米上院は米シンクタンクなどの調査データをもとに、人民元相場が40%も過小評価されているとし、中国が為替操作国であるという認定が簡単に出来、対抗的にペナルティ関税などの強硬措置がとれるように超党派で法案を議会に提出した。下院も超党派で130人の議員連名でガイトナー米財務長官に中国への政策対応を求める書簡を送った。

米政府は為替操作国認定などの為替報告の議会提出を先延ばし
 これに対する米中両国政府の動きは、以前とは大きく違ったのだが、まず、米国政府はガイトナー長官が米議会公聴会で、人民元相場が中国政府の為替介入によって人為的に過小評価されている、と発言しながらも、他方で「中国政府が市場本位の為替相場を容認することは、世界経済のバランスにとって重要」と述べ、中国政府を追い詰める方策をとらなかった。それどころか、4月3日に柔軟姿勢に転じた。ガイトナー長官が、主要貿易相手国の為替政策を審査する為替報告の議会提出時期について、当初予定の4月15日から3カ月ほど延期する声明を出したのだ。4月末のG20(主要20カ国財務相・中央銀行総裁会議)、5月の米中閣僚レベルによる戦略経済対話の見極めが重要というものだが、米議会が要求する中国を為替操作国とする認定の先延ばし作戦に出たのは明らかだった。
これはオバマ米大統領にとって重要な国際政治イベントである4月12日、13日の「核安全保障サミット」に中国の胡錦涛・国家主席が参加を表明し米中首脳会談開催に応じる姿勢を表明したため、米国政府が対中関係の修復、とくに人民元問題での事態打開に道筋をつけようとしたのは間違いない。当時、米検索大手のグーグル社に対する中国政府の検閲問題、中国の軍事力増強問題などが錯そうして米中関係、とりわけ一時はG2(米中主要2カ国)ともてはやされた蜜月関係に亀裂が生じていただけに、好転の兆しだった。

中国も人民元切り上げに柔軟姿勢中央銀行総裁がタイミング探る発言
 中国側にも人民元改革問題で際立った動きが出てきた。国家発展改革委員会が4月6日に公表のマクロ政策報告書で「為替変動にかかわるリスクを適時公開し、中国輸出企業の損失を減らす必要がある」との意味深長なメッセージが打ち出された。人民元の切り上げはある程度、やむを得ないにしても影響を最小限にとどめる手立てが必要とのメッセージだなと受け止められた。また中央銀行の人民銀行の周小川総裁も3月6日の記者会見で「金融危機下での人民元相場に関して、中国は特殊な相場形成メカニズムを採っていた。非常時の政策は遅かれ早かれ正常に戻す必要がある。そのタイミングは早すぎないように慎重に考えねばならない」と再切り上げに含みを残す発言をしており、われわれジャーナリストには中国もタイミングを探っているな、というふうに見えた。
そこへ飛び込んだのが海外訪問中のガイトナー長官が4月8日、帰国途中に急きょ、予定外の中国訪問を行い、北京空港で王岐山副首相と緊急会談を行ったことだ。会談後の声明は特別なものはなかったが、米中双方の歩み寄りは明白だった。現に、核安全保障サミット時の米中首脳会談では、オバマ米大統領の人民元改革要求に対して、胡錦涛・中国主席が外部の圧力で改革を行うことはあり得ないとしながらも、世界経済の変化と中国経済の運営を考慮し自主的に判断していく、と含みを残す発言を行った。間違いなく、以前のように厳しく突っぱねる姿勢ではなかった。

米政権にとって財政赤字ファイナンス輸出先市場として中国を無視できず
 この動きをどう見るかがポイントだ。私の見るところ、米オバマ政権は今秋の米中間選挙を意識して議会対策が重要の一方で、米国の財政赤字ファイナンスの担い手、端的には大量発行する米国債の買い手として、経済成長に勢いのついている中国に頼らざるを得ない。そのあたりを勘案すると、かつて米国が日本に対して円切り上げのみならず内政干渉まがいの市場開放策要求、さらにはさまざまな経済構造改革を迫ったようなやり方で中国を追い詰めるのは得策でない、むしろキーワードの戦略的経済パートナー国という位置付けで対応した方がいいと判断したのは間違いない。米国自身、過剰消費体質を抑える一方で、輸出拡大戦略を打ち出しており、その輸出先市場として中国を大事に扱うべきだ、ということだろう。
米国も、かつての日本に強いたマクロ・ミクロ政策面での経済構造改革要求などは、今の米国の経済力の低下のもとでは、とても打ち出せないことだが、それよりも、米国自身が中国を重要視せざるを得ない状況にあることだけは間違いない。

中国も人民元切り上げ狙う投機マネー流入対策ドル建て資産確保対策が必要
 他方、中国も実は今、為替政策をめぐってジレンマがある。人民元高を抑えるために行ったドル買い・人民元売りの為替介入でドル資金の外貨準備高は2010年3月時点で2兆4000億ドルというケタ外れの額に及び、とくに最近は急増している。知り合いの国際金融専門家によると、これは、貿易代金の形で今後の人民元切り上げを見越した投機マネーが中国に入り込み、中国政府としては為替介入でそれらドル資金を吸い上げねばならず、ジレンマに陥っている、というのだ。つまり中国政府の内需拡大の財政支出増とからめて、為替介入した人民元が過剰流動性の形で市中に出てしまい、インフレ過熱リスクが高まっている。
そこで、中国政府は米国の動きをにらみながら、人民元切り上げに対する投機筋の思惑を払しょくするためにも早めに手を打つ必要がある。同時に、ケタ外れに膨らむドル資金の運用先としては、米短期、長期問わず米国債買いは重要ながら、ドル下落あるいはドル暴落リスクにも備えねばならない。そのためにも、米国政府の財政赤字のファイナンスを支援しているという恩を売ると同時に、米国のマクロ経済政策にもニラミをきかせることが大事。政治的かつ外交的にうまく活用し、同時に投機マネーの思惑を封じるかタイミングを探っているのでないか。

日本が陥った円高不況回避のための財政・金融政策の失敗をしっかり研究する必要
 さて、こうしたことを踏まえて、中国が人民元切り上げに踏み出すのは間違いない。国際金融市場もすでに織り込んでおり、あとはその切り上げタイミングがいつかに関心が移っているように見える。しかし、私の関心は別にある。冒頭に申し上げたように、日本が1985年のG5(主要5カ国会議)プラザ合意で、米国の財政や貿易赤字の救済策の一環として、ドル高是正、つまりドル安政策への政策協調のために旧西ドイツのマルク高と並んで円高を容認した。しかし、日本政府は「先進国クラブ・G5」での政策協調とはいえ、国内的には大わらわで、円高不況対策のために必死の対応を余儀なくされた。それが超金融緩和策などで、そのツケがバブルを生み、さらに一転しての金融引き締めの対応ミスでバブル崩壊、あとは長期のデフレのトンネルに突っ込んで今に至っている。

中国が政策判断ミスで日本と同じ「失われた10年」に陥れば世界中にリスク
 中国は、人民元切り上げ後のマクロ政策対応をめぐっては、正直なところ、かつての日本以上に政策のカジ取りが極めて難しい中国国内の経済状況にある。私の知り合いの中国人エコノミストによると、中国国家発展改革委員会のみならず中国社会科学院、それに北京大学などは今、日本の円高不況、円高デフレ回避のために打った財政、金融政策のどこに政策判断ミスがあったか、なぜ長期の「失われた10年」どころか20年に至ったか、かなり専門的に研究している、という。ただ、現実問題として、今のようなグローバルの時代、スピードの時代、マーケットの時代に、「失敗の研究」はもちろん重要ながら、政策発動タイミングが極めてポイントになる。ちょっとした判断ミスも許されないかもしれない。
今、中国自身だけでなく、世界の成長センターのアジア周辺にいる日本やアジア諸国、さらには欧米諸国にとって、中国が、かつての日本と同じような「失われた10年」の道に陥ることは何としても避けねばならない。その意味で、政策協調は、かつてのG5の先進国クラブと違う形できめ細かく協力しあうことが重要だ。今回の中国の人民元切り上げ問題は、そういった意味で、極めて重みのある話だと思う。いかがだろうか。

大丈夫か鳩山民主党政権、誰が見ても迷走にしか見えない高速道路料金改革 統治能力の欠如も極まれり、「小沢さん、あなたが口出しするたびに事態悪化だ」

ガバナンスは、統治能力をさす言葉だが、今の民主党、そして鳩山由紀夫政権は、政策決定過程での迷走の度が過ぎ、統治能力そのものがすっかり欠如してしまっている。政権交代で、この国が変わってほしいという期待が大きかっただけに、事態は憂慮というレベルを越えてしまい、この国の経営を民主党政権にゆだねておいていいのだろうか、という不安に駆られる。最近の高速道路の料金制度の見直しをめぐって、政府と与党の対立が高じて二転、三転し、とどのつまりは事実上の問題先送りとなったことが象徴的だ。メディアで散々、批判を浴びており、このコラムで取り上げても「またか」と思われるだけと思いながらも、やはりジャーナリストの立場からすると、黙ってはおれない。

問題は3つ、鳩山首相の指導力のなさ、小沢幹事長の二元政治、労組の権益擁護
 結論から先に申し上げれば、統治能力の欠如はいくつかの問題に起因する。1つは、鳩山首相自身の指導力の決定的な欠如は言うまでもないこと。2つは、民主党政権が政策決定の一元化という形で内閣に最終的な決定権限を与えていたにもかかわらず、小沢一郎民主党幹事長が目先の参院選の選挙対策などからの口出しで政策がひっくりかえる二元決定が常態化してしまっていること、3つが、民主党は旧自民党政権時代の族議員政治、業界団体などの既得権益擁護の政治を否定しておきながら、その実、連合や自治労、日教組などの労組に支持基盤を置いていて、労組などの既得権益を擁護する現実があり、国民から見れば、政治は何も変わっていないという印象しか与えていないということだ。

さらに付け加えれば、民主党とは相容れない国民新党、社民党との与党連立政権の枠組みが政権を一段と不安定にしている。参院での過半数を制するという数合わせだけの論理で連立を組んだが、亀井静香国民新党代表に振り回されてしまっていて、民主党らしさがまったく出ていない。連立の解消をどこかのタイミングでとらない限り民主党らしさは失われるばかりだ。

小沢氏の古い政治体質、権力体質が民主党を劣化させるばかり
 とはいえ、最大の統治能力欠如は、最初の3つの問題から起きている。いずれもが複雑にからんで、何か問題があるたびに、ねじれ現象を起こし、最後は冒頭に申し上げたように、政権の統治能力の決定的な欠如という事態に至ってしまっている。しかし首相の指導力のなさは今に始まったことでなく、旧自民党政権時代の安倍晋三氏、福田康夫氏、麻生太郎氏といった二世議員首相時代から共通したことで、政治家の質の劣化がひどくなっていた。それが今回、鳩山首相にも表れただけだ。
それよりも、私が問題視したいのは、小沢氏の古い政治体質、権力体質だろう。政治家としての志の高さといったものを感じさせず、この国の将来を託してみたいな、という気持ちすら起こさせない。政治手法も古いし、こわもてが高じて一種の恐怖政治のような状況を民主党に生みだしている。民主党を劣化させるばかりだ。「小沢さん、あなたが口出しするたびに鳩山政権への政策信頼度が低下し、内閣支持率低下に拍車をかけ、このままでは参院選での手痛い敗北という事態に陥りますよ。いいのですか」と言いたい。

舛添新党改革代表「小沢幹事長が政府方針を左右することが問題」 と鋭く指摘
 新党改革代表となった舛添要一氏が自著「日本政治改革原論――厚生労働省戦記」(中央公論新社刊)で、面白いことを言っている。「民主党の小沢一郎幹事長が政府・与党の一元化を唱え、民主党内の政策調査会・部門会議を廃止したのは、自民党の族議員の弊害の反省に立てば合理的な決定である。田中角栄、金丸信の直系だからこそ、旧来の自民党政治の問題点もよく把握しているのだろう。ところが実際には、政府の方針を小沢幹事長が左右するといった、およそ理想とはかけ離れた政治運営がされている」と批判しているのだ。

まさにポイントを衝いている。ご記憶だろう。昨年12月の政府・与党首脳会議で、小沢幹事長が鳩山首相に2010年度予算案への18項目の重点要望という形で政策変更要求を行った時がそれだ。とくに、民主党がマニフェスト(政権公約)で掲げたガソリン税の暫定税率の廃止について「業界団体や自治体、全国民からの陳情、要望だ」として、暫定税率の維持を迫り、有無を言わせずに実現してしまったことだ。景気低迷で税収が落ち込んでいる中で、暫定税率を廃止すれば税収減に追い打ちをかけるばかりか、予算編成が出来なくなる、それでいいのか、という判断からで、小沢氏としては、当時、財源不足で予算編成が袋小路に入った事態の打開を図ったつもりなのだろうが、結果として、内閣の政策一元決定の大原則を突き崩してしまった。

旧自民党政治の「失敗の研究」効果で、与党幹事長室に陳情調整の権限集中
 旧自民党政権時代も政権と与党との間に派閥政治がからみ、二元決定は日常茶飯事だった。小泉純一郎政権になって一時、首相官邸に政策決定機能が収れんしたことがあったが、その後の安倍、福田、麻生政権時代は旧自民党自身の地盤沈下だけでなく、トップリーダーとしてのそれぞれの首相の指導力のなさで、政策どころでなくなっただけ。
小沢氏は、政権交代で民主党が権力を担ってから、多分、最も意識したのが旧自民党政治の「失敗の研究」効果として、与党幹事長に力を集中することだったのだろう。そこで、旧自民党のような政務調査会、総務会などの組織を廃止した。政策決定では与党は関与しないというポーズをとりながらも、現実には与党、とりわけ与党幹事長だけが政策に関与する権限を持つというふうにした。その足掛りが、税制改正や政策の利害調整の陳情などの窓口を民主党幹事長室に一本化させたことだ。旧自民党時代には税制改正は自民党税制調査会が窓口になっていたし、政策の利害調整は族議員が行っていたが、民主党政権になってからは、小沢氏の判断で与党幹事長室をすべて窓口にした。当然ながら、業界団体などにニラミがきく。参院選など選挙対策には、それが好都合だということを知り抜いてのことだろう。

小沢氏の見直し要求は参院選対策見え見え、政策決定システムのいい加減さ露呈
 今回の高速道路料金の見直し問題での小沢氏の口出しは、まさに参院選の選挙対策に他ならない。前原誠司国土交通相が政務3役で決めた「普通車の高速道路料金の上限2000円」の新料金制度は、小沢氏が昨年12月の2010年度予算案への18項目の重点要望にあった高速道路整備の推進とからむものだったが、今の小沢氏にとっては、この新料金制度では一部の地域で値上げとなっており、トラックなどの運送業界の組織票をとり逃がすリスクを感じた。それが政府・与党首脳会議の場での小沢氏の見直し要求となったのだろう。
しかし、前原氏がその後、問題視したように、新料金制度案を閣議決定しているのだから、小沢氏が口出しすること自体、おかしな話であることは間違いない。そのうえ、鳩山首相が混乱を招き、まず小沢氏の要求を受け入れてしまったこと、その後、今度は担当の前原氏から「冗談じゃない」とねじ込まれたら、鳩山首相が再び態度を変えてしまい、世の中には二転、三転する政策決定という最悪の印象を与えてしまった。誰が最後の振り付けをしたのか定かでないが、前原氏は鳩山首相や平野博文官房長官との会談で、1)現時点では制度の再見直しはしない、2)6月実施に向け国会での関連法案のスムーズな審議を求める、3)ただし高道路料金のあり方に関しては、国会審議の状況を踏まえ、国土交通省で総合的に判断する、という考え方を示し、首相官邸での鳩山週相らの3者会談は「それでいこう」となった。現実は問題先送りだが、小沢氏の口出しは参院選対策が見え見えとはいえ、民主党政権の政策決定システムのいい加減さを露呈してしまったのだ。

郵政改革法案も参院選対策で鳩山首相はおかしな決着、今後がさらに心配
 79回のコラムでも取り上げたように、郵貯の限度額引き上げなど郵政改革法案をめぐる連立政権内の対立でも政策決定の透明度がなくなっている。そして鳩山首相が政治指導力を発揮できず、目先の参院選での全国郵便局長会などの郵便局票をとり込みたい亀井国民新党代表(金融および郵政改革担当相)の思惑に、鳩山首相は妥協し、政権内部の他の閣僚の批判も振り切って、わけがわからない形での「総理一任」で亀井案を事実上、受け入れるおかしさだった。
最近のメディアの世論調査では鳩山政権の内閣支持率は下がるばかり。鳩山首相が盛んに5月末の決着を公言する沖縄の米軍普天間基地問題についても、客観情勢は厳しくなるばかり。鳩山首相の最近の首相番記者とのぶら下がり会見を見ていると、目が泳いでいる。早い話が逃げの姿勢で、毅然とした指導者の姿勢が見受けられない。日本は危うい、大丈夫なのかなと思わず思ってしまう。