東電福島第1原発事故、「多重防護」の安全神話が崩れた、廃炉もやむなし 今後は間違いなく原発冬の時代、他電力も「想定外」許されず安全対策徹底を

 東京電力福島第1原子力発電所(以下原発)での水素爆発事故には本当に驚かされた。巨大な地震・津波の影響とはいえ、第1号機、第3号機の強固なコンクリート建屋を吹き飛ばすほどの爆発事故は、日本ばかりか世界中を震撼させた。率直に言って、震撼という言葉がピッタリするほどだった。誰もが一時は、そんなことは絶対にあってほしくはない、と念じながらも、ひょっとして不測の事態が起き、福島第1原発が制御不能に陥ってしまう最悪の事態もあり得るのだろうか、と何度も不安に駆られたことは間違いない。

東京消防庁や自衛隊、警視庁機動隊の決死の挑戦で、原子炉や使用済み核燃料プールへの冷却水注入が進み、それと平行しての電気系統の復旧工事が必死に進められた結果、3月22日の時点で、ヤマ場を越したのかな、という感じも見受けられる。しかし、そんな矢先に「第3号機から原因不明の煙が出て作業を一時中断、退避へ」といった速報ニュースが流れたりすると「えっ、また何か起きたのか?」と不安に陥る。私でさえ、テレビなどの情報源に目が離せない状況が続くが、原発周辺地域から緊急退避された人たちを含め大震災ですべてを失った人たちにとっては、気持ちの休まる日がない。本当に心が痛む。

放射能遮断の「5重の壁」があり安全性は絶対大丈夫との説明受けてきたのに、、、
 これまで毎日新聞経済記者時代にエネルギー問題を担当した私は、取材先の電力業界からは、放射能を外界と遮断する圧力容器、格納容器など「5重の壁」による「多重防護」によって原子炉がしっかりと守られており、安全性は全く心配ない、と聞かされていた。公益性の高い日本の電力会社は、それぞれ培った技術力、それに厳しい品質管理で安全確保をしてくれているものと信じていた。

しかし今回の事故で、その安全神話がもろくも崩れてしまった。東電の清水正孝社長は記者会見で「未曾有の津波という想定外の事態で、こんな結果になり申し訳ない」と述べたが、ここまで事態が深刻化すると、「想定外」というエクスキューズ(釈明)はかえって経営の逃げにしか聞こえなくなってしまう。

CO2排出量の低さ考えると原発活用せざるを得ないが、信頼の確保が最優先
 そこで、今回は、原発問題について、取り上げてみたい。結論から先に申し上げれば、私は、石炭や石油火力発電で出る二酸化炭素(CO2)排出量からみて、その度合いが圧倒的に少ない原発エネルギーに関しては、地球環境保護の面で、安全性確保を最大条件にやはり活用せざるを得ないこと、その安全性の確保に関しては第3者機関や監督官庁の原子力安全・保安院の監視やモニターを徹底すると同時に、信頼の確保のためにあらゆる情報を開示すること、それと、今後は中国やインド、中東諸国など原発運転経験の少ない新興国で原発建設ラッシュが始まるだけに、運転不慣れによるリスクが増大する。このため世界各国間で、過去の旧ソ連のチェルノブイリ原発や今回の原発事故で出てきた問題や課題を開示し、安全管理に関する技術協力を活発に行うことだ。それが最低限必要だ。

ただ、日本に関しては、今回の原発事故がもたらした被害は計り知れず、誰もが「想定外」でやむをえなかった、と片付けるわけにはいかないと思っている。東電の経営責任も厳しく問われるのは避けられないだろう。それに、福島第1原発のすべての原発に関しては、再稼働そのものに対する理解は到底得られにくい。原子炉の廃止処分となるのは確実だ。現に、枝野幸男内閣官房長官やエネルギー担当の海江田万里経済産業相は記者会見などで「廃炉は避けられない」と明言している。

太陽光や風力など再生可能エネルギーの重要度高まるが、安定供給が期待できず
 そればかりでない。福島第1原発を含めて日本全国に54基ある原発すべてが海岸立地している。東電を含めて電力各社は、今回の事故をきっかけに「想定外」リスクに対応すべく安全対策のハードルを一段と上げて、厳しく対策を講じないといけない。問題は2020年に9基、2030年に14基の原発新設が計画されていることだ。最後は国民の選択によるが、現状では延期か凍結という事態になるだろう。そういった点で、今回の福島第1原発のもたらした問題で、日本の原発は長い冬の時代に入るのは間違いない。

問題は、日本のエネルギー政策が、原発をエネルギー供給全体の30%に起き、それをベースにしていただけに、政策の根幹を揺さぶる事態になってくることだ。今後の電力需要をいったい何でまかなうのか、という重大な問題が出て来る。理想は太陽光や風力、地熱発電、バイオマスなど、原子力よりもはるかに環境にやさしい再生可能エネルギーの活用だろうが、率直に言って、巨大な需要をまかなうだけの供給力が期待できない。

新たな成熟社会システムづくりスタートさせ「課題克服先進国」に向けて取り組みを
 しかし日本が今後、本格的な成熟社会に入り、ひたすら高成長を求める時代でなくなってくることを考えれば、新しい社会システムづくりを考えるべきだろう。このコラムで再三、キーワード的に申し上げている「課題克服先進国」をめざすことだ。その課題の1つが、省エネルギーをベースにした社会の制度設計だ。

まず、需要サイドではエネルギー多消費の生活スタイルに区切りをつけること。産業のエネルギー消費も技術力を駆使してエネルギー節約型にする。ビジネスモデルが出来上がれば、中国など新興アジアにモデルを販売したり、技術協力してもいい。その場合、間違いなく日本は素晴らしい、時代の先を行く「課題克服先進国」という評価につながる。

電力、ガス、石油の3業態を一体化し2つか3つの総合エネルギー企業に集約も
 当然のことながら、供給サイドも、この社会システムに対応せざるを得ない。電力、石油、ガスなどのエネルギー産業が過大に張り合って競争する必要はない。むしろ電力、ガス、石油の3つの業態が経営統合して、新しいタイプの総合エネルギー企業になった方が重複投資も不要だし、戦略が見えてくる。
液化天然ガス(LNG)1つとっても、電力、ガス企業が互いに競合してロシアなどで権益確保に走っていたが、結果的に、供給国のロシアから足元を見られ、割高なものを買う羽目に陥っていた。そういった点でも、大胆に産業再編成して、新しいタイプの2つか3つの総合エネルギー企業に集約するのも、この機会に考えるべき視点だ。

中国やインドなど資源買い漁りの新興経済大国が登場してくる中で、エネルギー資源を買い負けないようにすると同時に、エネルギー供給国との交渉力を強めるためにも、経済安全保障の立場で、産業再編成をとか、そこに国も関与させるべきだといった議論もあり得る。しかし、まずは日本国内の内需が人口減少とともに小さくなる中での産業のあり方から言っても、総合エネルギー企業づくりは1つの考え方だ。

第1原発の津波の高さは14メートル以上と判明、「想定外」にどこまで対応可能?
 さて、今回の東電福島第1原発での問題に、もっと踏み込まねばならなかったのに、今後の問題に比重をかけ過ぎてしまったが、現場の問題について、述べておこう。まず「想定外」のリスクに関する問題だ。3月22日付の日経新聞によると、東電は今回の福島第1、そして第2の2つの原発を襲った津波の高さが少なくとも14メートル以上だったことが判明した、という。東電が当初、津波の高さについて第1原発で10メートル、第2原発で12メートルと見積もっていたが、敷地内のタービン建屋などに残されていた津波の痕跡から、当初の推計を上回る高さだった、という。

あるTV局の報道では、40年前に東電が第1原発の工事許可申請書を出した際の記録では想定津波の高さが4.2メートルだったという。ところが別の新聞報道では東電は第1原発については津波の高さを6メートル弱と想定、そこで原発の敷地の高さを海水面から10メートルの高さに設定した、という。今後、「失敗の研究」をする場合、その想定が正しくはいくらだったか、安全確保の面で40年前当時の設計判断はどうだったか、工事許可を下す監督官庁の行政判断はどうだったか――などの検証が必要だが、今回のように最大14メートルの津波だったら、リスクの想定がいずれも甘かったことになる。

プラント専門家「安全のための巨額コストどこまで覚悟するか、経営には重い課題」
 あるプラントメーカーの専門家は、「今回ばかりは、こんな大事故を引き起こした東電も想定外だったと津波の異常な高さをエクスキューズには出来ないだろ。今後の問題として、海岸立地している他の原発の安全対策見直しに関して、最悪の事態を想定して、どこまで補強すべきなのか、場合によってはゼロからの再設計ということも考えられる。その場合、投資額がケタ外れになる。事業体として、安全のコストとしてどこまで覚悟できるかだ」と述べている。経営にとっては重い課題だが、世界中を震撼させた事態を踏まえれば20メートル、30メートルの津波も想定した原子炉建屋の再設計にせざるを得ない。

今回事故の教訓、安全性確保のため津波は過去最悪データのさらに数倍想定必要
 日本原子力技術協会の前理事長の石川迪夫さんが3月19日のBS朝日番組で、「一般論として、我々、原発などの設計にかかわる工学屋は、自然災害への対応として、過去の積雪、洪水、津波などの最悪のデータをもとに、その50%増のレベルを想定して設計する」と述べていた。石川さんは「原子炉の暴走――臨界事故で何が起きたか」(日刊工業新聞社刊)などの著作で有名な人だ。

以前、私が新潟県柏崎市で開催された中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発の耐震問題をめぐる国際シンポジムに参加した際、問題意識の鋭さに感銘したが、その石川さんでさえ、福島第1原発に関して40年前当時、6メートル以上の津波を想定した、という話で、それよりも2倍以上の津波まで想定出来ていなかった。しかし原発の安全性を考え直す時には、50%増レベルでなく数倍を考えないとダメだというのが、今回の事故の教訓だ。

東京消防庁や自衛隊、機動隊の「見えない恐怖」との決死の作業には敬意
 最後に、今回の原発事故処理で、ぜひ述べておきたいことがある。東京消防庁や自衛隊、そして警視庁機動隊の決死の挑戦で、原子炉や使用済み核燃料プールへの冷却水注入が進み、そのおかげで電気系統の復旧作業にも道筋がついたことだ。

このうち東京消防庁の佐藤康雄総体長、高山幸夫現場隊長らの3月19日深夜の記者会見の模様はとても迫力があり、聞いていてとても感動した。とくに高山さんは「放射能という目に見えない恐怖との闘いに際して、隊員が短時間に被爆せずにどうやって任務を果せるか、隊長として辛いものがあった」と述べていたこと、また佐藤さんが携帯メールで決死の覚悟の気持を「これから出動する」と奥さんに送ったら「日本の救世主になってください」との返信メールがあったことを会見で明らかにしたことだ。現場での決死の気持ちが伝わる思いだった。本当に素晴らしい。最大限の敬意を表したい。
どれだけ多くの人たちが、この原発事故の処理にかかわっているか、その献身的な、自己犠牲的な努力が下支えになっている。東電の経営者は、事故のもたらした重みを感じなければならない。

言論はメディアの独占物ではない、日本国難の今こそ談論風発が大いに必要 日本の底力を海外は注目、4月スタートの議論広場「メディアウオッチ」活用も

 経済デフレの「失われた20年」にあえぐ日本を震撼させた東日本大災害からまもなく3週間がたつ。自宅も家族も失って茫然自失の被災者の人たちが、突然の非日常から次第に辛く、長い過酷な日常化した時間の世界に入って来ると、心的な疲れも出てくるので、そのご苦労ぶりには改めて心が痛む。その一方で、新たな厳しい事態が次々に出てきて不安が増幅される東京電力福島第1原発の深刻な事故を見ていると、決死の覚悟で復旧に取り組む最先端の現場の人たちのご苦労にも頭が下がるが、制御不能といった最悪の事態だけは回避を、と思わず念じる気持ちだ。

今回は、言論っていうのは、何もメディアの独占物ではない。今のように日本が国難の時にこそ、メディアの論調、報道姿勢に注文をつけたり、批判するばかりでなく、みんなが談論風発でもって積極的に日本という国の再出発、新たな立て直しを議論すべきだ、言論は国民全体のものだ、ということを述べてみたい。談論風発は、文字どおり意気盛んに議論をすることだ。今こそ、多くの人が海外も注目する日本再生に向けた取り組みをめぐって知恵を出し合うべきでないだろうか。

「AERA」誌の恐怖あおる表紙は大問題、三流雑誌ならいざしらず見識問われる
そんな折に、同じジャーナリストとして最近、とてもがっかりしたのは、朝日新聞出版が発行する週刊誌「AERA(アエラ)」3月28日号が表紙に「放射能が来る」とのセンセーショナルな見出しコピーだけでなく、恐怖をあおるような写真も載せたことだ。案の定、多くの人から「メディア自身が風評被害をもたらすのか」といった抗議が来たためか、朝日新聞出版はおわびを出した。しかし、その雑誌に随筆連載の劇作家・演出家の野田秀樹さんは納得せず、抗議の意味で、随筆連載を止めると発表した。確かに、三流雑誌ならいざしらず、歴史のある雑誌だけに、編集者らの見識が問われる1件だ。

「なんだ、メディアは言論の砦だとか、反権力だと言っておきながら、やっていることは商業ジャーナリズムでないか。センセーショナル、刺激的なものにして雑誌が売れればいいのか。単なるパニック製造機ではないのか」と言われたら、いったいどうするのか。そう批判されも抗弁できないのでないだろうか、と思う。本当に残念だ。

「メディアウオッチ」は新聞記者OBが現役メディアの報道分析や評価を呼びかけ
 こんな話を持ち出したのは、新聞記者OBを中心に最近、メディアのみならず大学、シンクタンク、企業、行政の現場にいる人たちなどに呼び掛けて「メディアウオッチ100人の会」を立ち上げ、メディアをチェック・分析・評価するニュージャーナリズム、新たな言論の場をつくろうという動きがあったからだ。私は、「面白い」と思い、即座にメンバー登録した。4月からスタートで、いま数回「メディアウオッチ」試行版を出している。

発足の会合では朝日新聞OBの田岡俊次さんが「第1線記者の取材力の衰退はすさまじい。単にOB同士で、それを嘆いているだけではダメだ。このニュースチェックやウオッチは現役の記者や編集デスク、編集局長ら幹部にこそ、読んでもらい、考えてもらうものにしなければならない」と述べた。私も冒頭に申し上げたように「言論はメディアの独占物ではない。このメディアウオッチもOBの現役不満をぶつける場にするのでなく、メディア以外の人たちの参加を仰ぎ、議論交流の場にすべきだ」と問題提起した。

私は原発事故で機能不全の原子力安全委を追及しないメディア姿勢を問題視
 私がメディアウオッチ試行版で書いたものを1つ、見ていただきたい。「なぜ今ごろ原子力安全委員会が顔を出す? メディアの追及も鈍過ぎる」という見出しで、「東電福島第1原発事故で、連日のように問題個所が出てきているのに、原発安全性問題での政府のお目付け役であるはずの原子力安全委員会の問題指摘がなく、班目春樹委員長も事故から12日たった3月23日夜に初めて記者会見に応じる異常ぶりだった」と指摘した。
そのあとで「主要メディアでは読売新聞が翌日24日付の朝刊で『処理能力を越えた、と班目委員長が反省の弁』と批判記事を書いたのが目立っただけ。朝日新聞は25日付朝刊で『安全委は国民の前に立て』とやんわり批判、毎日新聞は27日付朝刊の社説で『安全委、情報伝達もっと積極的に』程度だ」と述べた。

そして、最後に「原発の安全管理の責任を負っているはずの原子力安全委がなぜ機能しないのかと疑問に思う。班目委員長は『菅直人首相への説明に追われた』との発言で、国民目線がない。それに、情報発信の場である安全委のネット上のホームページも目を覆うひどさだ。メディアはもっと切っ先鋭く問題追及すべきだ」と書いた。

政府スポークスマン会見が「非常事」理由にフリー記者排除おかしいとの指摘鋭い
 もう1つ、同じ「メディアウオッチ」での指摘を紹介しよう。北海道新聞OBの上出義樹さんが書いた「大地震で露呈した首相官邸記者会見の閉鎖性」の問題だ。民主党政権になって、外務省など行政官庁の記者会見は、オープン化という形でフリーランスの記者やネットメディアの記者に開放していた。その後、首相官邸で行われる政府スポークスマン、内閣官房長官の会見も、毎週金曜日の夕方の会見だけOKと部分ながらオープンした。

ところが、上出さんによると、首相官邸は、何と東日本大災害による非常事を理由に、急に、首相官邸記者クラブの登録メンバー以外はすべてシャットアウトした。こういった時にこそ、ネットメディアなどを通じて、国民にいち早く伝えることが必要なのに、政府自身が閉ざしてしまうのは本末転倒だ。上出さんの問題指摘は極めて重要なことだ。

外国メディアの日本発発信に問題多いと首相官邸会見に急ぎ一元化も対応遅い
 このメディア対応で言えば、外国メディアへの情報発信も同じだ。政府は、外国メディアが日本発で発信する大災害、原発事故のニュースには過大もしくは誤まって報道されているものが多く問題だ、との批判にあわてて対応方針を変更したのだ。それまで外務省まかせだった海外メディア向け情報発信に関して、3月21日から、国内向けメディア対応と連動して、首相官邸での会見に一元化したのだ。日本国内のネットメディアやフリーランスの記者らへの対応も、その後、変わりつつあるが、これらは政府のリスクマネージメントにもかかわる問題で、メディアウオッチなどでしっかりと問題指摘も必要だ。
メディアウオッチに関心を持っていただけるなら「メディア評価研究会」(電話&FAX 03-5261-3514)Mail;mediawatch100@nifty.com にご連絡願いたい。

さて、言論の担い手とも言えるメディアに、言論を独占させないで大いに議論交流を、と申し上げたが、最近、新聞で投稿の形で書かれていたコラムのうち、まだにメディアにとって欠けている視点だと思ったものを、ここでお伝えしたい。

哲学者・内山さんの「システム依存からの脱却」という問題提起はメディアのテーマ
 その1つが、東京新聞3月27日付朝刊「時代を読む」で、立教大学大学院教授の哲学者、内山節さんが描いた「システム依存からの脱却」という問題提起だ。今回の東日本大災害をきっかけに議論すべきポイントだ。ぜひ、引用させていただこう。

内山さんはこう述べている。「私たちは、さまざまなシステムに依存して暮らしている。電気をはじめとするエネルギーの供給システムも、その1つだし、携帯電話やインターネットなどの情報通信システムにも依存している。(中略)そのシステムは何らかの想定の範囲内で維持が可能なように、設計されている。原子力発電もその1つであった。これ以上の地震は発生しないという想定にたってシステムは設計されていた」
「ところが今回の大災害も含めて、この数年に世界で起こっていることは、システムの前提の想定が、人間の思い込みにすぎなかったという事実の暴露であった。想定と現実が合わなくなったとき、市場システムも、年金・社会保障システムも、混乱を見せ始めた」

「システム崩壊時に助けになるのは人間の支え合い、その社会を創造を」と主張
 「ところが、今回の災害時にも示されたように、想定外の事態がおこり、システムが崩壊したときに助けになるのは、人々の冷静な行動であり、支え合おうとする人々の意志と働きなのである」
内山さんはこういった問題意識をもとに「想定にもとづいてつくられたシステムは、想定外の事態がおきた瞬間に崩壊する。それに対して、支え合い結びあう人間たちの働きは、どんな事態でも力を発揮する」「とすると、未来は、どんな方向に向かうべきなのか。それはシステムに依存し過ぎた社会からの脱却だろう。私たちに求められているのは、人間の結びあいが基盤になるような社会の創造である」と。
哲学者の内山さんの指摘だけに、う~ん、なるほどと思わずうなずく部分が多い。人間の結びあいが基盤になるような社会をどう作り上げるか、ということは意外に重要なことだ。ただ、現実問題として、今回の大災害をきっかけに、内山さんが描く社会を含め、どういった新しい社会システムをつくるかが大きな焦点になる。

ライフスタイルや社会システムをどう変えるか、本気で議論交流が大事
 東電の供給力ダウンを踏まえて、電気の需給バランスを維持するため、計画停電が実施されたが、東電は当初から、想定もしていなかったため、制度設計が出来ていなかったのか、首都圏で大混乱をもたらした。しかし、首都圏の私鉄の運行システム、オフィス街や繁華街の節電システムなど、慣れて来ると、次第に、そう不自由を感じず、それに見合った対応を考え出す。私などは個人的には、1970年代の石油ショック時の総需要抑制時代を経験しているので、特に違和感がない。

そうすると、日本のような国は成熟社会ながら、与件構造の変化、つまり与えられた条件が大きく変化し、電力を含めたエネルギー供給が潤沢になどということはあり得ない、という状況の下で、新事態に対応して、われわれ日本人のライフスタイルをどう変えるか、社会システムもどう変えるか、といったことも考えるべきだ、というふうに私自身も思う。こういった問題提起なども当然、メディアの責務だと思う。

内閣参与の松本さんは被災地を国が買い上げ、住民は山間部に移住をと提言
 内閣官房参与になった評論家の松本健一氏が3月28日、菅直人首相と大災害復興策で会った際、大津波ですべてを流された被災地の人たちには、海岸から離れた山の中腹に住んでもらい、そこから漁港に通うなど、津波リスクを最小限に回避するために、山間部に集団移住してもらうこと、そして流された被災地の全部の地域を国が一括で買い上げて、新たな町づくりを行う、という提案を行った、とメディアが一斉に報じている。

私もこれに似た考えを126回コラムで問題提起したが、復興とか復旧という発想でなく、全く新しい東北をつくるように、被災地を大経済特区にし、そのために国が厳しい財政状況ながら、新モデル地区に取り組む構想の具体化が重要だ。
言論はメディアの独占物でないことは、すでに申し上げたが、メディアウオッチに限らず、いろいろな議論交流の場をつくり、多くの人が、日本再生に関する談論風発することが大事だ。

大型の連続余震で首都東京震災に現実味、広域災害リスクにどう立ち向かうか 「3.11」震災で大都市の弱さ露呈、いつでも機能移管できる副首都建設も課題

 大震災や原発事故以外のテーマでコラムを、と思いながらも、この問題が今や日本のみならず世界を揺るがす事態に発展していることもあってか、まるで吸い寄せられるように、またまたこのテーマになってしまう。だが、今回取り上げてみたい、と思ったのには実は理由がある。
「3.11」大地震・大津波からわずか1カ月ほどの間に、間断なく大小の地震の揺れが続き、私自身、ずっと不気味な感じを持っていた。ところが、4月7日深夜になって宮城県沖でマグニチュード(M)7.1の大地震が発生、その4日後の11日には福島県東部で夕方遅くM7.0、そして夜に入ってM6.0の大地震がほぼ連続的に発生したのだ。明らかに異常としかいいようがない。被災地の人たちの不安はピークに達したはずだ。

M7クラスの大きな余震が関東や東海地方に今後発生するリスクあり、と気象庁
 気象庁の発表によると、いずれもM9.0の巨大地震だった「3.11」の本震によって誘発されたものだ、という。そればかりでない。本震の規模自体が大きかったため、今後の一定期間は、このM7クラスの大きな余震が発生するうえ、その対象は東北から関東、中部東海地方に至る可能性もあり、警戒が必要だという。要は、広域災害リスクに発展する可能性が否定しきれない、という。

いやはや何とも不気味な話だ。東京電力福島第1原発事故でキーワードになった「想定外」リスクという言葉で片付けられない事態が起きる可能性も出てきた。端的には首都東京という人口の過密集中地域に、大震災の発生することが現実味を帯びてきた、といっても過言でない。もし、そうなれば、これは日本にとって重大リスクだ。

あの「3.11」の時には岩手県、宮城県、福島県、そして茨城県の東日本地域の人たちが恐怖のどん底に追いやられたばかりか、今も苦しんでおられる。それとは比較のしようがないが、さまざまな都市機能が集中する東京で大地震がもし起きた場合、何が起きるかわからない。現に、あの日も「高層難民」「帰宅難民」「介護難民」といった言葉が新聞の見出しになるほど、首都東京は大混乱の事態に陥った。大都市の弱さを露呈している。

「3.11」大地震時に東京で帰宅難民が続出、タクシーで10時間で帰宅ケースも
 私の友人は都心で夜に会食後、一緒にいた人の自家用車で帰宅したが、交通渋滞に巻き込まれて、平時ならば1時間で済むところを何と6時間もかかった、という。もっとすごい話をタクシー運転手さんから聞いた。東京都心の赤坂から神奈川県に隣接する町田市まで乗せた乗客の場合、大渋滞で10時間もかかり、タクシーメーターは4万円をつけた、という。その乗客は、家族が地震で大けがをしたため、帰宅せざるを得なかったのだ。
そればかりでない。東京のベッドタウンとして、埋立地跡に建設された千葉県浦安市の高層マンション群、分譲住宅は地下の土壌が液状化し、あっという間に傾いたり、地面が異常に隆起したりして、大騒ぎとなった。

こんな事例は、枚挙にいとまがないほど、あの「3.11」の東京で起きた。しかし、東電の原発事故で放射能汚染の水道水の話が東京にニュースで流れた時には、わずか1日で、その恐れもなくなったにもかかわらず、一時はミニパニックのような状況だった。大都市の東京は、巨大な人口が集中しているだけに、波紋の広がりはケタ外れなのだ。

河田教授の「もしも東京に大津波が来たら、、、、」での問題指摘はすさまじい
 もし、東日本大災害のような大地震、大津波が東京を襲ったら、いったいどうなるのだろうか。そんな関心から、たまたま読んだ河田恵昭さんという関西大学の教授・社会安全学部長の著書「津波災害――減災社会を築く」(岩波書店刊)に、それに関する話が出ていた。「もしも東京に大津波が来たら、、、」という記述の部分で、思わず吸い寄せられた。ぜひ、その一部を引用させていただこう。なかなかすさまじいのだ。

「市街地はん濫の恐怖がどこから来るか、示してみよう。東京湾に津波が来襲すると、埠頭や桟橋に係留中の船舶が衝突したり乗り上げたり、また直接、津波によって施設の破壊や燃料タンクの破損から火災発生の危険性がある」、「津波はん濫が最初に襲うのは臨海コンビナートである。石油精製施設、化学物資合成施設やそれにつながるパイプ群を破壊し、ここから出火する危険がある。もっと怖いのは致死性の有毒ガスの漏出である」と。

ゼロメートル地帯は一面の海原に、押し流された船舶や壊れた住宅が破壊力
 話はもう少し続く。「ゼロメートル地帯は一面の海原になって、はん濫水の流速が一向に遅くならない。船舶はもとより壊れた住宅や家具、倒れた街路樹や車も一緒に移動するので、極めて大きな破壊力を持っている。この状態が断続的に6時間は続く。(中略)津波は数十分ごとに繰り返し来襲するから、はん濫水や漂流物の移動方向は、時間的に逆転を繰り返す」という。想像しただけで、何とも恐ろしい世界だ。

河田さんは、専門家の1人として、こうした事態回避のために、津波対策や危機管理策を早くやれと政府に提言している。しかし同時に、河田さん自身は、日ごろから津波減災社会、つまり津波で命を失う危険性が高い人たちを何とか失わないようにする社会の実現をめざすことが、まずは大事だ、という。
それを実現するキーワードは、災害文化とユニバーサルデザインだという。このうち、災害文化は、社会の仕組みや生き方の中に津波防災・減災の考え方が入るようにすることが必要だという。またユニバーサルデザインは、それにリンクする考え方で、たとえば地域に傾斜のある避難路を整備する際には階段だけでなく車いすの人が利用しやすいようにスロープも取り付ける、といった都市デザインだという。

社会派作家の吉村昭さん作品「三陸海岸大津波」はすごい、過去3大津波を検証
 この津波のこわさに関して、常識的な知識しか持ち合わせない私自身は、今回の東日本大災害を招いたM9.0というケタ外れの巨大地震が津波とリンクすれば、とてつもない破壊力を持つものだ、ということを初めて知った。ところが、私が日ごろから好きな社会派の作家、吉村昭さんが「三陸海岸大津波」(文春文庫、文芸春秋刊)で明治29年、昭和8年、そして昭和35年と繰り返し三陸、とりわけ田老町を襲った大津波について、現場を歩き、過去の記録や証言などを掘り起こして生々しく描いているのだ。

読んでみたが、実にすばらしい。ジャーナリストになったらいいと思うほど、吉村さんの好奇心に裏打ちされた克明な取材力は迫力がある。過去に度々、大津波被害に遭遇した田老町は過去の教訓から学んで津波から町を守るため、吉村さんが調べたところ、全長1350メートル、海面からの高さ10.6メートル、根幅最大25メートルという大防潮堤を築いた。世界的にも有名になり、見学者が多かった。
ところが、今回の大災害では、その田老町の大防潮堤を飛び越す津波が押し寄せ、ひとたまりもなかった。自然災害のこわさを思い知らされた一瞬だ。こんなケタ外れの大地震・大津波が首都東京を襲ったら、文字どおり壊滅的な甚大な地獄絵を見るような世界が目の前に現れる、ということをさきほどの河田さんは警告しているのだ。

18世紀半ば、ポルトガル首都が地震・津波襲来で人口が3分の1の壊滅的被害
 地震や津波が首都を襲って壊滅的被害を与えた事例としては、18世紀半ばにポルトガルの首都リスボンで起きており、その時は何と人口の約3分の1が亡くなった、という。
歴史家で、大阪大学名誉教授の川北稔さんは4月7日付の朝日新聞オピニオン欄で、「歴史のいま」というテーマ・インタビューに答えて、そのことに言及し「これが、ポルトガル没落の直接の契機だと見るのは正しくありません。震災前から、その地位が低下していたところを襲われたのです。大災害は、すでに起きていた流れ、特に後退気味の傾向を早めてしまうことを、ポルトガルは教えてくれます」と述べている。

ポルトガルがなぜ衰退の道をたどったのか、閉そく状況に陥る成熟国家の日本と重ね合わせながら衰退国家に至る国家の研究をするのも一案かもしれない。しかし川北さんが指摘するように、すでに衰退過程にあったポルトガルが首都リスボンの防災対策に機敏な対応策をとれず、その能力自体を欠いていたから、壊滅的な被害にあったと見た方がいい。

「首都直下地震の復興対策のあり方に関する検討会」報告がめざすものは何か
 そこで、ポルトガルから学ぶ教訓は、最近のM7クラスの余震が次第に首都東京に近づき、大災害が現実味を帯びて来るとしたら、それこそ未曾有の大災害、とくに広域にわたる大災害を巨大なリスクと受け止めることだ。リスクが想定出来るなら当然、早めに手立てを講じることが政治や行政、研究者の大きな課題であることは言うまでもない。

その点に関して、興味がわいてきたので、いろいろ調べたところ、当然のことながら、行政レベルでもいろいろな会議や検討会などが立ちあがっていて、それなりの報告書が出ている。1996年の阪神・淡路大震災での大都市災害に対応して、同じ年に中央防災会議が首都直下地震対策大綱をまとめている。それが内閣府の「首都直下地震の復興対策のあり方に関する検討会」に引き継がれ、今年3月にタイミングよく報告書が出ている。

M7.3大地震で首都は死者1.1万人、経済被害112兆円の広域災害と想定
 それによると、被害想定は、東京北部でM7.3の大地震が発生したというもので、その場合、死者が約1万1000人、建物全壊・火災による建物焼失約85万棟、経済被害約112兆円にのぼると推定している。そして、復興のための体制と手順に関して、網羅的にまとめあげているが、広域での連携対応を軸に、生活復興、産業復興、都市復興に関して、それぞれとるべき必要な対策を挙げている。
同時に、経済・財政対策に関しても「被災後になって初めて財源確保のための国民負担を提案することは、国民感情や経済への悪影響を考えれば、必ずしも適切でなく、円滑な財源確保のためには、被災時に特別な国民負担を強いることを事前に広く周知しておくことも考えられる」と、復旧・復興財源の資金調達に関しては、早めに国民のコンセンサスを得る努力が必要だという。極めて官僚的な発想だが、リスクへの対応という点では、今回の大災害での復興財源確保と連携し、国民全体で考えるチャンスかもしれない。

日銀OB安斎さん、首都復興対策として副首都をつくり災害時に移転を、と提案
 私の友人で、日銀OB、現セブン銀行会長の安斎隆さんは、興味深い提案をしている。福島県出身の安斎さんは、政府が東日本大災害復旧に全力をそそぐことも重要ながら、20年後の東日本、さらには日本という国全体の国づくりの青写真をつくる必要がある、と指摘している。
それと「面白い」と思ったのは、首都東京の機能マヒ対策として副首都をいち早く建設すること、埼玉県小川町は地形的に岩盤が強固なので、早急に建設を計画すべきだ、災害発生と同時に機能移転すればいい、との大胆な発想でいることだ。

タテ割り行政が東日本大震災復興に「待った」、有事法制などが必要

 「えっ、そんな頑なことが現場で起きているの?」「いまはスピード感が大事だと、みんながわかっているはずなのに、いざ現実に直面すると、リスクをとって思い切った判断がなぜ出来ないのだろうか」――「3.11」大地震・大津波から、すでに1カ月がたったというのに、被災地の現場ではタテ割り行政が、復興に向けた動きに「待った」をかけてしまったり、透明性などを重視し過ぎるあまり、フレキシブルに事態が運ばない、といったケースが出てきている。1995年1月17日の阪神・淡路大震災でも同じことがあったと聞く。なぜ「失敗の研究」結果や教訓が十分に活かされないのか、なぜ同じことを繰り返して学習が出来ないのだろうか、ということを改めて感じる。

まずは、コンビニ大手の社長さんのケースだ。被災地の現場を動き回ったあと、自衛隊の幹部から食材の調達を頼まれ「よし、引き受けた。協力しましょう」と言った所まではよかったが、そのあとに予想外の事態が起きて、思わず「エッ?」と返す言葉に窮した、というものだ。具体的には、ある自衛隊幹部から、災害現場での遺体探しや生活支援などにかかわる自衛隊員用に13万食分のカップラーメンを確保してほしい、という依頼だった。「いますぐということであれば、1万6、7000食ぐらいなら確保が可能。しかし13万食はすぐには難しい。手配するにしても、時間がかかる」と答えた。

自衛隊員13万食分ラーメン早期に必要なのに手続きは競争入札
 問題はそのあとだ。コンビニ大手の社長が「品物の手当の必要もあり、一部は現金前払いなど、買い付け方法はどうされますか」と聞いたら、「週明けに入札でやりましょう」との回答だ。この社長さんにすれば、自衛隊員の苦労ぶりを見ていたので、時間のかかる公開入札手続きには驚いた。「隊員の人たちは、早く口にしたいのでしょう?そんなノンビリしたことでは、対応しきれませんよ」と言ったが、防衛省の物品調達規定では公開競争入札が原則、その入札結果を踏まえて、安く買える事業体のものがあれば、そこでの最終落札、との手順を崩せない、という。

この話は、友人が社長から直接聞いたものだ。私も興味があって、その後、どう対応したか確かめたいと思ったが、多忙な社長なので、なかなかつかまらず、話は競争入札手続きにこだわった部分までで、あとのことが聞けていない。でも、大事なことは、防衛省が非常事の現場で食材の確保にも透明性の確保にこだわって公開入札方式でいく、との姿勢を貫いたことだろう。過去に、不透明な資材の購入などで問題を起こしたことを踏まえてのものだが、この社長にすれば、フレキシブルにやればいいのに、という判断だ。

危険な避難所からの強制的移住の有事対応が必要、と石井さん
 次は被災地の医療にかかわった日本看護協会の石井美恵子さんの話だ。医師や看護師、医療ジャーナリストらのシンポジウムがあり参加した際、パネリストの石井さんの話が興味深く、直接、具体的な話を聞いた。石井さん自身は、阪神・淡路大震災時に出来た災害支援ナース(看護師)のネットワークの有力メンバーだが、東日本の被災地の現場で3月22日以降、高齢者や要介護の人たちの支援の仕事にかかわった、という。

石井さんの問題提起はこうだ。被災地の石巻などの現場で避難所そのものが、次の地震や津波災害に遭遇するリスクが高い場所にあることが多く、しかも避難所が急ごしらえで、設備も劣悪な状況にある。有事対応として、より安全な場所に強制移住させるべきなのに、システムそのものが平時のものになっていて「場所がない」「動かせない」の一点張り。行政がもっと敏感に受け止めて、新たな災害リスクを回避する取組みが必要だ、という。確かに、行政は、こういった現場の貴重な指摘に耳を傾け機敏に動くべきだろう。

被災地の病院間で不足する薬融通規制を緩和するのに長時間
 医療の件では別の人から、こんな話も聞いた。宮城県の被災地のいくつかの病院で薬局部門がダウンして薬の不足が起きたうえ、薬を納入してくれていた卸売業者とも連絡とれずパニック状態になった。そこで、病院間で連絡をとりあって、互いに余裕のあるものを融通しあったりして連携対応した。ところが、薬を融通し合うこと自体が薬事法違反にあたる、という。最終的に、厚生労働省が被災地現場からの要求もあって、有事対応が必要ということで規制を緩和してくれたが、そこに至るまで1、2週間かかってしまった、なぜ、もっと機敏に動けないのかという反発がある、というのだ。

読売新聞が4月16日付の「検証 東日本大震災」企画で、国の硬直対応に批判、という記事でも、似たような話があり引用させていただこう。それによると、岩手医大の小川彰学長が地震直後、緊急に必要な医薬品などの支援を厚生労働省と文部科学省に求めた。ところが数日後、「知事を通じて首相官邸に要請してくれ」という回答。そこで岩手県内を視察中の知事の帰りを待ち、改めて要請したところ、医薬品が届いたのは10日以上もあとのこと。そのころには卸売業者から薬が入った、という。要は非常時に、タテ割り組織が硬直化した対応をやっていては緊急支援の意味がない、というものだ。

自衛隊の行方不明者発見時に警察や消防に通報義務も異常
 もう1つ、まだ現場無視のタテ割り行政があるのか、と思ったのは、自衛隊員が被災地でがれきの山の中から行方不明者を探す際に起きる問題だ。要は、遺体を発見した場合には関係者に連絡し、遺体安置所に運ばなければならないが、まずは警察に連絡し、遺体の身元確認や死因の特定のために検視官、医師、とくに歯型などから身元確認する歯科医にチェックを求める。法律上、それが義務付けられているので、自衛隊員はそれに従う必要がある。一方、運よく生存者を見つけ出した場合には警察ではなく、消防署、その関連で救急車に連絡する必要がある。これも法律で義務付けられている、というのだ。

自衛隊は阪神・淡路大震災後に、災害対策基本法が改正され、警察官が周辺にいなくても救急車の通行をスムーズにするため、放置自動車の移動や撤去などの作業を行えるようになった。しかし自衛隊法では被災地での遺体の捜索や収容、あるいは搬送などの仕事が主たる業務として、位置づけられる状況でない。ましてや遺体や生存者の発見後の処理に関する自衛隊法での明記がないため、遺体は警察に通報義務、また生存者は消防・救急車に通報義務といった形になる、というのだ。

機動対応できる有事法制が必要、全体最適の発想も重要
 最近、宮城県や福島県の被災地を友人の見舞いで訪問の際、この自衛隊の不安定なポジションの話を聞いた千葉商科大学の島田晴雄学長は「まったくおかしな話だ。ある面で、タテ割り組織の弊害だ。自衛隊が被災地で機動的に対応出来るように、有事法制をつくるべきだ」と述べている。確かに、そのとおりだ。既存のタテ割りの法律に振り回されてしまうと、行方不明者の捜索のために自衛隊員、警察官、消防署員が必ず3人1組で行動せよ、といったバカげた事態にもなりかねない。

私はぜひ言いたい。こういった非常事に、タテ割り組織にこだわっていると、互いの行政組織が機動性を失い、何も動かずに停滞だけが残って問題解決にならない。有事の危機対応が問題先送りされるリスクなので、タテ割りの組織に横串をさして連携をとり、速やかに行動する必要がある。要は、部分最適にこだわるのでなく、むしろ全体最適を重視する行動をすべきだ、ということだ。

阪神・淡路震災時に日銀支店長が機敏行動、現場判断の勝利
 そこで、今回は、阪神・淡路大震災時の日銀神戸支店で、当時の遠藤勝裕日銀支店長が現場の判断で機敏な行動をとり、タテ割り組織の弊害をいち早く砕いた、という話をぜひご紹介したい。なかなかわくわくする話だ。
遠藤さんによると、1995年1月17日早朝に大震災が起きた際、とっ嗟に考えたのは、その日午前9時の営業開始と同時に、日銀を含め民間金融の現場で大混乱を起こさないこと、そのためにはマニュアルに沿って、金融特別措置を発効させることだ、と腹をくくった点だ。この金融特別措置というのは、金融機関は、預金者らが通帳や印鑑が紛失していても何らか本人確認が出来るものがあれば、いつでも預金引き出しに応じる、というもので、生活者や企業などの立場に最大限、配慮した措置だ。

この特別措置を素早く発効させるためには日銀支店長の遠藤さん、それに旧大蔵省の近畿財務局神戸財務所長の塩屋さんの2人の署名が必要だった。ところが塩屋さんが地震で大けがをして病院での手術が必要な状況だったが、とりあえず止血だけしてもらって、日銀神戸支店で2人そろって手書きでサインして発効させた、という。

旧大蔵省は当初、日銀での仮店舗営業は銀行法違反とクレーム
 問題はそれからだ。農協系の農林中央金庫と政府系金融の中小企業金融公庫の店舗が全壊ということで、頑丈だった日銀神戸支店に避難してきた。さらに、震災翌日の1月18日には旧日本興業銀行や旧第一勧業銀行が同じく神戸支店が全壊ということで、日銀神戸支店に駆け込んできた。そこで、当時、神戸に本店機能を持っていた旧さくら銀行、旧兵庫銀行、旧阪神銀行の本店もしくは支店に頼みこんで、それら店の一角を使って預金の払い出し業務をやらせてもらうようにした。
非常事だけに、すべてが異例づくめだった。ライバル銀行に、本店などの軒先を貸して商売をさせる事態ことは、平時ならば考えられないことだ。圧巻は、遠藤さんの判断によって、18の民間金融機関のうち、14機関を日銀神戸支店で、残り4機関をさくら銀行などの仮店舗で、すべての預金の払い戻しに応じさせたことだ。

ところが、当時の旧大蔵省銀行局は、被災地の現場にある日銀神戸支店で14の民間金融機関が仮店舗の形で預金の払い出し業務をやるのは、銀行法違反で、事前許可が必要と、東京の日銀本店にクレームをつけたというのだ。遠藤さんはすでに、現場ベースで旧大蔵省の出先機関の塩屋財務所長とも連携して金融特別措置を発効させ、それにあわせて民間金融機関に預金者が殺到する事態に備えた有事対応を適切に行っている。旧大蔵省も実態を知って、最終的に文句のつけようがなく了承した、という。現場の完全勝利だった。

スピード感ある政治が大事、いまだに有事立法ができず
 この場合、日銀支店長の遠藤さんが的確な判断、そして機敏な行動をとったからこそ、奇跡的に金融の現場で混乱が起きなかった。しかし、もし現場が、全体最適でなく、部分最適の発想で行動し、責任逃れの行動に終始したり、上司や上部組織におうかがいをたてる行動に出ていたら、それこそ大混乱になっていただろう。
その点に関して、今回の東日本での大震災はまだ、復興までには気の遠くなるような長い時間がかかる可能性が高い。とくに東電福島第1原発の事故現場は、東電が公表した工程表では安心できる状態までには6~9ヶ月がかかる、という。それぞれの現場が、この阪神・淡路大震災時の日銀神戸支店長のような果敢な判断で、タテ割りの行政のカベ外しに、大胆に挑戦してほしい。政治は、さまざまな対策会議ばかりつくって、いまだに有事立法に積極的に取り組んでいないが、スピード感のある政治をしないと、ますます政治不信を生み出すだけだ、と言いたい。

原発事故の風評被害が海外で深刻 日本のソフトパワー・食文化に揺さぶり

東京電力福島第1原発事故に伴う放射線への不安が、風評被害といった形で、ソフトパワーとも言える日本の食文化にまで影響を与えている。具体的には、日本産の食材を使った料理を売りものにする海外の日本食レストランに、外国人客が、日本食というだけで寄り付かなくなったことに加え、主だった国で、日本からの農水産物輸入について停止措置や安全証明を求める規制などによってボディーブローとなっているのだ。明らかに過剰反応だが、放射能汚染リスクという風評被害がもたらしたのは間違いない。最近、予想外に厳しい状況にあることがわかったので、今回は、この問題を取り上げてみたい。

私は現在、日本食レストラン海外普及推進機構(JRO)というNPO組織にかかわり、日本の食文化をソフトパワーにしていくため、海外の日本食レストランへの日本産の農水産物輸出の障害克服はじめ、食文化普及のための課題解決への取組みなど、さまざまなプロジェクトを応援している。そのJROが海外の日本食レストランで風評被害などの影響がどう出ているか、電話などでヒアリングしたら、いろいろな問題が噴出し始めていた。

香港のレストラン「日本産の水産物は使っていない」とアピール
 ヒアリング結果のうち、日本食レストランの数がアジアで際立って多い香港では、ある日本食レストラン関係者の話によると、日本産水産物を扱うレストランの売り上げが大きくダウンし、長期化すれば倒産リスクが避けられないという。放射能汚染のリスクがあるという不安感だけの理由で、香港の消費者が寄り付かなくなったからだ。そんなこともあって、中国系の回転すしチェーンの店では、わざわざ「うちの店は日本産の水産物は使っていませんので、安心を」という表示を早々と出すしたたかさを見せている、という。

また、香港系中国人のある経営者は、中国料理の店がもうからないと見て、日本料理店に模様替えして商売したばかりなのに、東電福島第1原発事故後、わずか1週間であっという間にイタリア料理の店に変えて平然と商売している。日本食への根強いブームへの期待で資本投下して開店したが、原発事故で素早く切り換える変わり身の早さだ、という。

英国ではお客が「日本産の食材を使わないでほしい」と注文
 また、英国ロンドンの日本食レストランでは、英国人のお客から原発事故後、「放射能は大丈夫か?」とか「日本産の食材は使わないでほしい」といった異常な要求まで出たほか、いつもなら来てくれる常連客の足が遠のいている、という。

イタリア・ローマの日本食レストランでは、地元メディアが日本での水産物や農産物の放射性物質の汚染ぶりを報じるため、すし店のお客が減るなど影響が大きい。日本食が大好きと言った愛好者までが店に来るのを敬遠しており、日本政府が原発事故は終息したと安全宣言でも出さない限り、客離れは止まらないとの悲観的な声まで出ている、という。米国メディアでも報じたが、米国ニューヨークのスシ・バーでは「このサカナは日本産か、放射能の心配はないか」との客の不安に応えるため、やむを得ず放射能測定器を使って安全の証明をせざるを得ない。明らかに異常な不安ムードだ、という。

風評被害ピークは原発事故評価尺度をレベル7に2段階引上げた時
 その動きがピークに達したのは、日本政府の原子力安全・保安院と原子力安全委員会が4月12日に、原発事故の国際評価尺度を最悪のレベル7にまで、一気に2段階も引き上げた時だ、という。現に、JROの会議に参加したオタフクソースの佐々木直義専務は「最近、中国の上海のスーパーなどを回ったが、中国ではレベル7で一気に日本のマイナスイメージが高まってしまった」と述べている。

風評被害に関しては、いろいろな原因がある。今回の場合、原発事故で放射能汚染が広がるのでないか、という不安心理が日本人の中にも根強いが、情報が極端に不足する海外の国々では、外国メディアが過剰に危機や不安をあおるような情報発信をすると、それだけで不安心理が増幅されてしまう。そして「ちょっと、ここだけの話」といった形で、根拠のない噂を流す動きが加速されて一気に風評被害になってしまうのだ。

「安全な国」「技術力抜群」評価あった日本への不信が風評を増幅
 しかし、今回は、そういったことばかりでない。安全・安心といった点では世界的に強みを誇っていた日本が問われてしまったからだ。端的に言うと、技術力や品質管理力などで、日本は間違いなく世界でも群を抜いている、との国際的な評価があった。その日本で細心の注意を払うべき原発の事故が起きた。しかも事故によって放射能汚染が広がるのでないか、という不安心理が広がっていた時に、日本政府が原発事故リスクを一気に2段階も引き上げ、最悪のレベル7にした。これが決定的だった。

レベル7評価の表明は、日本が原発事故で制御不能に陥ったことを事実上、認めたことに等しい。そればかりか、東電の事故現場で放射線量が多い汚染水を韓国や中国など近隣諸国に事前通報もいっさいせずに海に垂れ流してしまった。日本政府の海外向けリスク情報の発信がただでさえ不十分だと批判が強かったのに、この放射能汚染水の海水投棄に関する周辺国を含めた海外への情報発信欠如で日本不信がピークに達した。「日本は危機を管理する能力のない国」といった評価になってしまったのだ。

中国で「原発事故制御できなければ日本は無能な国」との評価に
 確かに、私の友人の中国人の大学教授は「中国は今、国内の膨大なエネルギー需要を満たすため、原発建設に傾斜しており、日本の原発事故の動向には極めて神経質になっている。だから、中国政府部内では『レベル7は最悪だ。日本は原発事故の制御ができないならば、国際社会では間違いなく能力なし、と見捨てられるだろう』といった日本不信、そして日本を突き放すような声まで出ている」という。

無能呼ばわりされるのは、何とも腹立たしい。しかし現実問題として、東電福島第1原発の事故処理には、まだメドさえついていない。東電が公表した6~9カ月かかるという事故処理の工程表について、科学者ら専門家の一部から「楽観的過ぎるのでないか」といった声を耳にすると、風評被害に拍車がかかりかねないなと懸念せざるを得なくなる。

日本の食文化が原発事故の風評被害で壊されるのは耐えがたい
 しかし、風評被害によって、日本の食文化が壊されるのは、私にとっては、とても耐えがたい。なにしろ、日本の食文化は、これまでは欧米、それに新興アジアで、スシブームなどのように単なる流行現象の1つだったのが、ここ数年、日本食が「おいしい」「安全・安心」「健康的」に加えて、おもてなしの行き届いたサービスがプラスに働き、ソフトパワーという形で日本の戦略的な強み部分にしてもいいほど力をつけてきていたからだ。
 そんな矢先、とてもうれしい話が舞い込んできた。米国で、日本食レストランだけでなく米国の有名レストラングループからローカルレストランまでが加わって、国境を越えた「DINE OUT FOR JAPAN RELIEF」(日本支援のために日本食レストランで食事を)のイベントが3月23日から1週間、ニューヨークで行われ、食事だけでなくレストランでの寄付が何と6万5000ドル(円換算530万円)にのぼり、その義捐金が日本赤十字に送られた、という。

食文化への風評被害対策、日本自身で「安全の証明」が必要に
 ところで、農林水産省によると、日本のすべての食品について輸入停止もしくは安全証明書の発行を要求している国が4月20日現在、18カ国・地域に及ぶ。たとえば中国は福島、宮城、千葉など12都県のすべての食品や調味料は輸入停止、またこれら12都県以外のすべての食品、飼料に関しては日本政府作成の放射能基準適合証明書、生産地の安全証明書が必要、という。
 マレーシアやベトナムに至っては47都道府県のすべての食品に関して、日本政府もしくは指定検査機関の放射能基準適合証明書、輸出企業作成の原産地証明が必要という。放射能汚染リスクなどにかかわらず食品の安全性確保には以前から厳しいEU(欧州共同体)も福島など12都県の食品に関しては政府の放射能基準適合証明書を求めている。言ってみれば、日本政府自身の「安全の証明」が必要だというのだ。

行政機関では放射能検査や証明書発行でたらいまわし
 しかし、肝心の行政機関で、この海外からの「安全の証明」要求に対して、対応ぶりに大混乱があるのだ。農林水産省自身が、現時点ではEUの放射能基準適合証明書発行の要求に対して、当初は、福島や宮城県などの関係自治体だけでなく、それ以外の都道府県も、自治体が証明書を発行すべきだ、といった対応姿勢だった。農薬などにからむ安全性確保に関しては、もちろん業務上、関係するので、対応可能だが、問題は放射能汚染防止やそのリスク評価などに関するノウハウがほとんどなかったため、対応しきれていない。
 食品関係の輸出企業の関係者によると、実態はもっとひどい。ある人は「放射能検査に関して、農林水産省に問い合わせたら、『うちは管轄外だ。原子力安全・保安院を抱える経済産業省が管轄なので、そちらに行ってくれ』と言われ、経済産業省に問い合わせたら、『食品は管轄外なので、検査対象になっていない』と行政のたらいまわしだった」という。また、別の関係者は「現時点で、食品の放射能検査が出来る認定機関は日本国内でわずか10か所しかないことがわかった。認定機関の絶対数が不足して、ここで滞留すれば生鮮食品などは検査待ちの段階で、腐敗したり品質劣化するので、結局は廃棄処分するしかない」という、何ともお寒い状況だ。

最後は政府の「非常事態解除宣言」や「原発安全宣言」が決め手
 こうした行政への不満は、現場の食品輸出企業の間ではエスカレートし、「放射能汚染リスクの問題は非常にデリケートなので、政府が主導的に、しっかりとした対応してくれないと、物事は前に進まない。日本政府自体が情報発信を含めて、信用されていないのが現状なのだから、国際的な評価の高い海外の第3者検査機関の証明で対応するなど、機敏な行動が必要だ」との指摘も聞いた。
 今や、食品だけでなく工業製品まで及んだうえ、原発地域とは遠く離れた愛媛県の今治タオルまでが「安全の証明」の対象になってしまっている。こうなると、やはり、風評被害をなくすには原発現場で安全面で問題はなくなった、という政府の「非常事態解除宣言」や「原発安全宣言」が最終的には必要だ。となると、風評被害の長期化リスクは避けられない、という悲しい状況になるのだろうか。

阪神・淡路大震災の教訓が活かされず 非常事態法など危機管理体制構築を

 大地震、大津波による東日本大震災、そして身の毛がよだつような東京電力福島第1原発事故。日本ばかりか世界中を震撼させたあの日から間もなく2カ月がたつ。にもかかわらず被災地の人たちを含め誰もが先行きに対して、未だに何の展望も持てないままでいる。劣化した政治、とりわけ菅直人首相の指導力のなさを含め、多くの問題が指摘されているのは事実だが、スピード感が全くないうえ、半ば機能不全のまま、時間ばかりがどんどんたっていく。何かがおかしい。

ジャーナリストの問題意識で、1995年1月の阪神・淡路大震災時の教訓や課題が何だったのか、を調べてみた。実は当時も同じような事態が起きており、当然のことながら問題提起もされていた。ところが今回の大震災ではそれらがほとんど活かされていない。そこで、今回のコラムでは、阪神・淡路大震災時の教訓をもとに、今からでも対応が必要な日本の危機管理の課題について、ぜひ、取り上げてみたい。

東日本で先進モデル例をつくるための法的バックアップに

 結論から先に申上げれば、前々回の131回コラムで取り上げた「政治は、さまざまな対策会議ばかりつくって、いまだに有事立法に積極的に取り組んでいない」という点と絡むが、国家非常事態法のようなものをいち早くつくって、今回の有事の時には復興、再興を最優先に、既存の法体系を越える超法規的な権限を与えること、その最終責任は総理大臣が負うこと、それによって広域災害に及んだ東日本で復興の先進モデル例をつくるための法的なバックアップシステムにすることがポイントだ。

加えて、余震が続く現状を見ていて、危機をあおるわけでないが、首都圏、東海、南海などの大震災のリスクが現実味を帯びてきているため、その最悪の事態を想定して、米国の連邦緊急事態管理庁(FEMA)、またロシアの非常事態省のような危機管理に対応した超法規的な行政組織の創設も議論したらいい。もちろん、その場合、行政組織に屋上屋となるような有事だけの非効率な組織になりかねない。そのためにも既存のタテ割り組織にメスを加え、省庁横断的な、危機に機動的に対応出来る組織にすることが絶対に必要だ。

131回コラムでのタテ割り組織の弊害問題にさまざまな意見

 この話を持ち出したのは、他でもない。私が131回コラムで、日本のタテ割り組織がまたまた、今回の大震災の現場で「待った」をかけ、身動きがとれないどころか、スピード感が何よりも必要なこの時期に、弊害になってしまっていること、政治は政治休戦して今こそ政治のリーダーシップを発揮し、有事の機敏な対応システムづくりをすべきだ、といった問題提起をした。

そうしたら、共感するコメント、さらに「タテ割り組織の弊害というよりも硬直的な制度にあり、その制度改革が大事」との指摘、「当たり前の指摘で、問題解決になっていない」といった批判意見など、予想外にリアクションをいただいた。それらの意見をヒントに、阪神・淡路大震災時の教訓を再チェックし、日本の危機管理問題とからめながら、もう一度、考えてみた結果、やはり、今のような身動きがとれない広域災害対応には国家非常事態法をつくることが必要だ、という結論に至ったのだ。

「世界で非常事態宣言法があり自然災害時に直ちに発令される」

 国家非常事態法という名前自体が、おどろどろしく、テロや軍事リスクに対応することが前提のような法律名で、今回のような大地震、大津波、原発事故という3つの集中リスクに対するものとは異なるのでないか、といった指摘もあり得よう。その点、私は名称自体、どんなものでもいいのであって、大事なのは大震災といった国家の非常事態の危機に対応する超法規的な枠組みづくりが必要だ、と思っているだけだ。

私がかつて勤務した毎日新聞の外信部記者OBで、モスクワ特派員経験もある友人、石郷岡建さんは私のコラムへのコメントで「世界では、どの国でも非常事態宣言法があり、自然災害や動乱、大事故などの際には直ちに発令される。日本にはそれがないのが問題だ。ロシアの場合、非常事態省という役所があり、非常事態の際に動く部隊組織や機器、輸送手段を持っており、24時間いつでも直ちに動ける態勢にある」という事例を引き合いに、私が指摘したタテ割りの行政組織の弊害といった問題指摘にとどまらず、むしろ「非常時と平常時では法律やルールが違うのが当然で、この際、非常時対応の組織を、一定期間の間に別個につくる、という考え方が必要だ」と述べている。

阪神・淡路大震災時の反省で日本版FEMA創設論も根強い

 私が指摘したのも、これに似たことだ。今回のような大震災時に既存の行政のタテ割り組織がネックになって身動きがとれないこと自体が問題なのであり、既存の行政組織、その法律に優先して機敏に有事対応、危機対応が出来る特別立法が必要、ということだ。

その絡みで言えば、阪神・淡路大震災時の教訓を踏まえて米連邦緊急事態管理庁(FEMA)に似た日本版組織をつくればいい、という意見が当時、多かったが、今もその議論は根強い。このFEMAは、米国で1979年に、核戦争への対処機関として、当時のカーター米大統領直属の機関としてつくられた。危機管理にかかわる連邦機関が当時、100以上あり、有事に機動的に対応するには統合が必要だ、ということで出来た。ところが、その後、9.11のテロ事件で、当時のブッシュ米大統領のもとで、国家安全保障省の傘下に入り、権限や規模が縮小されてしまったが、主要国の間では依然として、先進モデル事例の1つになっている。私自身は今でも検討していいテーマだと思っている。

神谷さん「官僚主義体質改めない限り日本版FEMAは無意味」

 しかし、時事通信記者として、かつて阪神・淡路大震災時の現場取材した神谷秀之さんはその著書「阪神・淡路大震災10年 現場からの警告――日本の危機管理は大丈夫か」(神戸新聞総合出版センター刊)では、「平時のタテ割りを是正しなければ、日本版FEMAは導入しても役立たない」と述べ、官僚主義の体質を改めない限り無意味、という発想だ。
 少し引用させていただこう。「日本の省庁は、現場の『必要性』、『ニーズ』よりも『前例』『法的・制度的な決まりごと』を最優先する。『前例』のないことへの対応は極めて不得手で、『前例』のないものはすべて『想定外』となり『想定外』危機への対応は常に後手に回る。その元凶は、現場をないがしろにする中央の集権システムにある」という。

この神谷さんの指摘も理解できないわけでないが、ニワトリが先かタマゴが先かのような議論になりかねない。むしろ、私は、岩盤のように強固な霞ヶ関のタテ割りの官僚組織が、それぞれの拠って立つ基盤の行政組織の設置法などを根拠に動かないため、今回のような非常時にもタテ割り組織の壁を崩せないでいる。だからこそ、超法規的な臨時立法措置を講じて、対応すべきだと思っているのだ。日本版FEMAもその1つだ。

貝原兵庫県前知事は当時の経験踏まえタテ割り行政組織を問題視

 前兵庫県知事の貝原俊民さんは阪神・淡路大震災時の現場知事としての経験を踏まえて書かれた「大地からの警告――大震災は何を語りかけたか」(ぎょうせい刊)で「阪神・淡路大震災時に、主要幹線道路がマイカーなどによって大渋滞を起こして、公共的緊急輸送ができずに被害を大きくした。このような事態を避けるために、都道府県公安委員会は一般車両の通行禁止や制限をすることが出来ることとされているが、当時、主要幹線道路が国道であったため、霞ヶ関の関係省庁との協議に時間を要し、現実に通行規制ができたのは24時間たったころとなってしまった。制度を立案する時には、机上の理論だけでなく、現実を踏まえて判断しなければならない」と述べ、タテ割り行政組織が災害対応を遅らせたと問題視している。

この教訓が今回の大震災時にもほとんど活かされていない。それどころか、131回コラムでも指摘したように、タテ割り組織の弊害、硬直性が事態を悪化させている。「失敗の研究」が研究のままで終っているようでは、日本は先進国家とは言えなくなる、と言えまいか。

「有事の特別行動規範、指揮命令系統の確立を」と財務省OB

 この点に関して、財務省OBの私の友人は「タテ割り組織の弊害というよりも、硬直的な制度の問題だ、と思う。役人は、法令に従って仕事をするように義務付けられているので、自分の心が痛んでも思うように行動出来ず、言うこともできない。それを取り除くためにも、平時と区別した有事の際の特別行動規範、それに指揮命令系統の確立が必要だ」と述べている。確かに、官僚組織をうまく動かすためにも、有事に対応する特別立法、超法規的な臨時立法をつくればいいのだ。
 これに関連して、国会で立法考査にかかわる私の友人は、政治リーダー、とりわけ首相がしっかりとした指導力を示し、官僚がリスクをとって責任ある行動をすることに対して支えたりバックアップする姿勢を見せなければ、官僚は動かない、という。
 「肝心の政治トップリーダーが頼りにならず、余計なことをしたと責任をとらせるようなことがあれば、役人は、良心に従って行動したのに、出世を棒に振り、しかも退職を余儀なくされ退職金自体も失うようなことになりかねないならば、危険回避のために権限外のことはやらなくなる。役人は、法律論をあれこれ言うが、内心では、このままでは日本はダメになると思っていることもある。だから、政治家がいい意味で『政治判断』で決断してくれれば、役人は喜んで新事態に対応する」と述べている。

与野党とも権力闘争止め、まずは国民や被災者目線で行動を

 こうして見ると、国家非常事態法を素早くつくり、有事対応に機敏な指導力を発揮する政治リーダーが必要だ、ということがわかる。政権交代した民主党政権には、誰もが失望し、今や前の自民党政権と同様、国民の間では政治不信ばかりが強まっているが、今のような日本自体が非常事態の時に、与党であれ野党であれ、ここは政治休戦して、とにかく指導力が問われる菅直人首相でも、まずは危機対応を最優先に、国家非常事態法はじめ、必要な有事対応法案を早く実行に移すことが先決だ。
 とくに、与野党政治家の国会の予算委員会の議論を聞いていても、政権の足を引っ張ることに終始し、議員立法でこの法案成立をめざそうといった言動が見受けられない。といううか、国民目線や被災者目線に欠ける。政治家に輝きもなければ、見識も感じられずない。さらにはこの国の襲来を託したい、という気持ちが起きてこない。政治にすべてを託さなくても非常事態が乗り切れるならば、言うことはないが、現実は悲しいかな、政治に頼らざるを得ないのだ。

浜岡原発全面停止の経営判断は評価できる 安全確保を最優先、福島事故の教訓活きる

中部電力が、原子力発電所(原発)の安全性確保を最優先にすべきだという国民の強いニーズに応え、静岡県御前崎市の太平洋岸に立地する浜岡原発の安全対策完了までの2~3年間、原子炉3基の運転を全面的に停止することを決めた。東京電力福島第1原発事故の教訓が、こういった形で活きる結果になった。素晴らしいことだ。経済ジャーナリストの立場で見ても、危機管理を重視した経営判断であり、率直に評価したい。

もともとは、菅直人首相から5月6日、「30年以内にマグニチュード8クラスの東海大地震が起きる可能性が87%と切迫している。防潮堤など中長期の安全対策が完了するまでの間、原発運転を全面停止してほしい」との政治の要請があったことが出発点だ。とはいえ、中部電が要請から3日間に2度の臨時取締役会を開いて議論し、早期決断に踏み切ったのは危機感の表れと言える。

間違いなく東電事故の学習効果、他電力への波及を期待
 中部電の水野明久社長は5月9日の臨時取締役会後の記者会見で「原発への不安が高まり安全最優先の基本を貫くべきだと考えた。安全強化は、長期的には利用者や株主の利益につながる」と述べた。原発の安全性に対する国民の不安や疑念が高まっているため、そのリスクが経営に与える影響を重視したことは間違いない。東電福島第1原発事故が他の電力会社の経営に与えた学習効果とも言える。今後は他電力への波及を期待したい。
 菅首相が浜岡原発の全面運転停止の緊急要請というニュースは、私が北海道に農業取材で出張していた際、現地の新聞報道で知った。瞬間的に、ビッグニュースだ、と思った。
 浜岡原発は太平洋岸に立地し、かねてから東海地震リスクとのからみで安全性確保は大丈夫か、という懸念が言われていた。私は130回コラムで、東日本大震災の余震リスクが消えないうえ首都圏での震度の大きさが中途半端でないため、首都東京大震災も現実味を帯びてきた、と書いたが、その時、東海大地震リスクにまで踏み込むかどうか悩んだ。最終的に、問題が拡散してしまうと考え、思いとどまったが、当時、浜岡原発にマグニチュード7や8クラスの巨大な地震や津波が起きたら東電福島第1原発と同じリスクが発生するのでないか、という不安は消えなかった。

浜岡第3号機の運転再開に中部電は当初意欲、最後は政治に譲歩?
 その点で、中部電の今回の経営判断は危機を敏感に先取りというふうに見えるが、現実は違っていた。原子力安全・保安院が行っていた浜岡原発3号機の定期検査終了後の運転再開問題に関し、中部電は最近、静岡県など自治体にも了解をとりつける考えを打ち出していた。私の見方では東電福島第1原発事故で原発の安全性が論議を呼んでいたうえ、浜岡原発の「想定外の大津波リスク」が消えていない段階で、中部電は火に油をそそぐような問題提起を、よくやるな、という感じがあった。
 その経営判断が180度も変わったのは、何だったのだろうか。安全対策となる防潮堤の投資額は膨大で、負担が経営圧迫要因となる、目先、夏場の電力需要のピーク時に対応する供給電力の確保も不透明、東電への電力融通も厳しくなる、株主への説明責任を果せるかといった点で悩んだのは間違いない。しかし、中部電の経営陣の背中を押したのは他にある。原発不安が高まる中で、政治要請に反発して突っ張るよりも政治に恩を売って安全対策後の運転再開での国の支援を確保した方が得策と見たのは否定できない。それと原発の安全性確保に経営のカジを切った方が長い目で見てプラスとの判断だろう。

政治もやればできる、政治が動かなければ原発全面停止は引き出せず
 それに加えて、今回の政治の動きは興味深い。東電福島第1原発事故以来、国民の間に広がっていた不安を取り除く方向に、政治がやっと動いた、と言える。この菅政権の政治判断は国民受けを狙ったもので唐突すぎる、といった批判も出ているが、今回ばかりは、政治が動かなければ、中部電の原発全面停止の経営判断を引き出せなかったし、実現もしなかった。その意味で、政治もやれば、できるではないか、と言いたい。
 ただ、朝日新聞などの報道によると、菅首相は4月下旬、首相自身が任命した原子力専門家の内閣官房参与らを集めた意見交換の場での意見がヒントだった、という。「浜岡原発が東海地震の想定震源域内にある」「原発事故が起きた場合、風向きによっては首都圏に放射能漏れに発展する」などだ。加えて、5月下旬にフランスでG8サミット(主要8カ国首脳会議)があり、日本の原発事故を踏まえて原子力安全対策が大きなテーマになるため、逆算して5月上旬に菅政権の政策メッセージを打ち出す必要がある、との外交的かつ政治的な思惑があった、という。

菅首相の政治的な思惑が見えることや説明責任に欠けるのは問題
 そんな矢先、菅首相が記者会見で中部電力への緊急要請の根拠にした「30年以内にマグニチュード8クラスの東海大地震が起きる可能性が87%と切迫している」という政府の地震調査委員会の予測結果を手にした。あとは私の推測だが、菅首相は「これはうまく使える」と判断したのでないだろうか。
 つまり、東電の福島第1原発が、東日本大地震や大津波で原子炉4基に壊滅的な打撃を受けたが、菅政権の初期対応のまずさが事態を深刻化させた批判を浴びている。この際、政治が危機を先取りする形で中部電に浜岡原発の安全対策を求めるアクションをとれば、政権への評価も変わる、と判断したようにも思える。
 政権批判が強いことにいら立つ菅首相が国民受けを狙ったのでないか、という批判はメディアの論調に根強くあるのは事実だ。こういった政治的なパフォーマンスの度が過ぎると、内閣支持率回復狙いなのか、とみられてしまったり、あるいは政治的に孤立した政治リーダーが陥りやすい部分で政権末期のあがきだ、といったことになりかねない。

政策決定に至った過程よく見えず、「ブラックボックスだ」との批判も
 今回の菅首相の政策決定判断で「またか」と気になる点がある。それは民主党が前の自民党政権と違って売り物にしてきた政策決定の透明性、議論公開や情報開示などが菅政権になってからは、ほとんど見られないことだ。菅首相の独断に近いのでないかという点が多々ある。とくに菅首相の消費税率引上げ案はじめ、党内論議を経ないでトップダウンで政策決定する癖がある。今回も同じだ。その点に不安を感じる。
 現に、日本経団連の米倉弘昌会長は5月9日の記者会見で、中部電への突然の浜岡原発の全面停止要請に関して「民主党政権は結論に至る思考の過程がブラックボックスだ。唐突感が否めない」と述べている。そのとおりだ。誰もが菅首相に不安を感じる点だ。
 政策的に影響が大きく、重要度が高い場合、日本のようなコンセンサス重視の社会では、その決定過程での議論が意味を持ってくるし、政治リーダーの方向づけがポイントになってくる。菅首相は、この政策決定の透明性を全面に押し出すことが今後の課題だろう。

2030年までの原発を軸にしたエネルギー政策の見直しが必要
 さて、今回の中部電の浜岡原発の全面運転停止に関しては、菅首相や原発担当の海江田万里経済産業相が記者会見で、将来の大地震・大津波に備えての防潮堤建設など安全対策の確保が狙いであること、他の原発には連鎖的に波及させていく考えがないことなどを述べており、そこは素直に受け止めよう。
 それよりも問題は、菅政権の原発政策を含めたエネルギー政策がいったいどうなるのか、なかなか見えてこないことだ。具体的には、民主党が昨年6月に打ち出した新経済成長戦略の中でのエネルギー政策展望では、2030年までに原発の新増設を増やし、エネルギー供給の30%だった原子力の比率を50%に引上げる、という原発傾斜の政策見通しを出している。
 これらの原発傾斜の政策を見直すのか、抜本改変するのか、菅政権は問題先送りしてしまっている。東電福島第1原発の安全確保は最優先課題であることは間違いないが、同時に、平行して、中長期的なエネルギー政策、とくに原発政策の見直しが必要だ。
 そうしたら菅首相が急遽5月10日に記者会見を行い、2030年までの計画を白紙に戻すことを表明した。これは一応、評価できるが問題はどう対応するか、その中身だ。

最悪状態の原発事故レベル7の引き下げ策、安全の証明も未だに課題
日本国内のみならず世界中の国々が大きな危惧を抱いている日本全体の原発の安全性確保に関する証明、説明が何としても必要だ。レベル7の最悪状態に至った日本の原発の安全の証明はとりわけ重要だ。
 日本はフランスと並んで、原発の安全管理技術では文字どおりの「先進国」との位置付けがあったが、今回の東電福島第1原発事故で地に落ちてしまったのだから、ゴルフで悪条件からの脱却を図るリカバリー・ショットのような、誰もが納得する包括的な安全対策を示す必要が絶対に必要だ。この点に関しては、原発事故処理に追われて、やれていない部分であり、最重要の大きな課題だ。
 その点に関連して、気がついたことだが、これまで日本の原発の安全性に関しては、止める」「閉じ込める」「冷やす」などを含めた5重の防護壁があるので、絶対に大丈夫、というのが電力会社から、私のような経済ジャーナリストが受けた説明だった。

原発事故の学習効果は多い、供給先行型の企業成長見直しも重要
 ところが、今回の東電福島第1原発事故で、電源を止められてしまったり、あるいは冷却用の水が確保できなくなったりしたら、それだけでリスクが高まり、水素爆発などを含めた原発非常事態を誘発することがわかった。考えようによっては、熱波などによる異常渇水が続いたり、あるいは外部から電源を切るテロ行為があったり、さらには航空機を原発めがけて墜落させるテロ行為に対して、本当に安全策を講じたと言えるのかどうか――など、際限なくリスクが高まっていることに、本当に対策が打てているのかも不安だ。
 今回の東電福島第1原発事故で日本中の国民の間で定着したのは脱原発、言ってみれば過剰な原発依存はリスクであるということ。そして、風力や太陽光、地熱発電など持続可能な安全エネルギーは自然任せで、膨大なエネルギー需要を安定的にまかなえないなどと冷ややかに見ること自体が間違っていたこと、真剣に活用策を考え直すべきだということなどだ。早い話が脱原発の大きな流れだ。これも東電福島第1原発事故の学習効果であることは間違いない。
 それに、電力経営体制そのもののあり方も、この機会に、競争原理の導入を含めて、本格的に議論するべき時期に来た。ある面で供給先行型の企業成長パターンを問い直す時期だ。

今ごろ原発現場で国産ロボットが活躍、 「安全神話」で開発阻まれたこと響く

なぜ、東京電力の福島第1原発事故現場に、日本が技術的にも優れ、しかも抜群の国際競争力を持つと言われるロボットのうち、たとえば災害対策ロボットを投入しないのだろうかと、私は、事故当初からずっと不思議に思っていた。

そんな思いをしている中で、2カ月たった最近になって、東電福島第1原発の原子炉1号機で、何と地震直後に、核燃料が溶け落ちたうえ、その核燃料が原子炉圧力容器の底にたまってしまう恐ろしい炉心溶融(メルトダウン)が起きていた、という事態が判明した。しかも、それが2号機、3号機でも同じ状況が想定される、というから、さらに恐ろしい。東電が最近、現場復旧に伴って、やっと入ることが出来た中央制御室のデータなどの解析結果から判明した、というのだ。

この高濃度放射能汚染の水の処理は今後、大丈夫だろうか、と不安に思うが、こんな重大事態に備えて、もっと早く無人ロボットを投入し現場チェックしていたら機敏な対策がとることが出来、メルトダウンや放射能漏れという事態も防げたのでないのか、と思う。

米国の軍事用ロボット提供でやっと動く、ロボット大国と言えない現実
 私の題提起について、結論から先に申上げよう。実は、原発事故対応の無人ロボット投入が遅れたことには信じられないような理由があった。原発対応ロボットの開発は過去に「原発絶対安全神話」に阻まれて、開発を断念せざるを得ない現実があり、それが今になって大きく響き、事故現場への投入が遅れた、というのだ。

今回の原発事故処理局面で、米国が軍事用に開発したロボットを放射能汚染現場で活用するように提供を申し入れ、それに刺激されたのか、日本側があわててロボット活用に動き出した。とくに民間企業や研究機関などからの災害対応ロボットなどの提供があり、それらが現場に次々と投入され、事態解明にプラスとなったため、本格活用になったという。

これがロボット大国を自負していた日本の現実だから何とも悲しい。産業用ロボットの活用はまだしも、ストレス社会対応の癒しロボットで日本全体が満足していたわけでないはず。原発事故現場で多機能のロボットを活用できないのでは、ものづくり日本が泣く。

実は1999年のJCO臨界事故反省で原発ロボットを開発していた
ジャーナリストの好奇心で調べるうちに、さらに、いろいろなことわかってきた。ものづくり技術力で進む日本の産業の現場、大学などの研究機関の現場では、当然ながら研究者の関心事として、災害対応の無人ロボットなどの開発研究が行われていた。とくに原発事故現場で放射能汚染に対応可能な遠隔操作ロボットに関しては、1999年の茨城県東海村のジェーシーオー(JCO)での臨界事故で作業員に犠牲者が出たことが国も動き出す決定的要因となった。当時の通産省(現経済産業省)が無人ロボットの開発予算30億円をつけ、日立製作所など民間企業4社に開発を委託した。

「事故など起きるはずがない」発言で、メーカーが量産は無理と判断
 ところが、ここで、信じられないような「原発絶対安全神話」の問題が出て来るのだ。ロボット開発の関係者の話では、2001年から02年にかけての当時、ロボットを現場で活用する側の電力会社担当者から「原発は多重の防護壁があって事故は起きるはずがない。そんな現場に、なぜ原発事故対応のロボットが必要なのか」といった趣旨の冷たい言い方があった。メーカー側としては国の予算を使っての開発とはいえ、現場ニーズ、需要がないのならば、量産も無理、と判断せざるを得なかった、という。

そして、その報告を受けた当時の旧通産省の担当者も「原発絶対安全神話」に逆らうこともできないと判断したのか、試作ロボットの段階で終わってしまい、実用化に至らなかった、という。何とも信じられないことだ。

この話については最近、朝日新聞が5月14日付の夕刊で同じような事実をニュースにしているほか、週刊誌の日経ビジネスも5月16日号の「ロボット大国の虚実」で取り上げているので、興味がおありの方はぜひ読まれたらいい。

藤本東大教授「同じ話聞いた」、放射能対策の素材が高額で開発中止も
 私はさらに、最近、東日本大震災に対応するものづくり現場の対応問題でお会いした東京大学ものづくり経営研究センター長で、大学院経営学研究科教授の藤本隆宏さんからも同じことを聞いた。

藤本さんによると、「原発絶対安全神話」がまかりとおった当時の状況が最大の問題だという。同時に、藤本さんは「聞いた話で、事実確認したわけでない」と断りながらも、こういった話もされている。

「当時、原発事故現場で活動するロボットには、高濃度の放射線量に十分に対応し測定数値が狂わないような素材を取り付ける必要があった。ところが、この素材の値段が飛び上がるほどの高額なものだったので、原発絶対安全神話とリンクして、どうせ事故が起きない、心配ないと電力会社側がいうのだから、無理して高コストの開発に踏み切ることもないだろう、と開発担当の幹部が現場に指示して、開発断念した。これが原発事故対応ロボット開発を遅らせた遠因だ」というのだ。

藤本教授は「強い現場・弱い本部」問題視、現場力の活用を強調
 藤本さんは、持論にされている「強い現場・弱い本部」が、今回の東日本大震災の被災現場でも起きている、という。私には、むしろ、東電福島第1の原発事故現場でこそ、事故現場が必死で対応しながらも、本部のある東電本社、あるいは事故対策本部で判断や対応指示のもたつきが問題を引き起こした面もあるのでないか、と思っている。

藤本さんによると、海外諸国からは、未だに、東日本大震災の被災地の復旧・復興現場、生産現場での秩序、助け合い、対策、実行などの水準の高さ、日本の「現場力」に高い評価の声がある。ところが、それとは対照的に、日本の一部の企業や政府の中枢のもたつき、官民双方で日本の「強い現場・弱い本部」症候群が全世界で認識されている、という。

そこで、藤本さんは「日本の優良現場は、幅広く柔軟な役割分担と、互いを視野に入れて目標に立ち向かう協業重視が特徴だ。高い組織能力を維持する現場を最大限に活用することだ。逆に復興の本部はタテ割り組織を各省庁で横断的に、かつ目的別に問題解決に取り組むマトリックス組織にすればいい」と述べている。東電問題対応も同じなのだろう。

日本は産業ロボットで断トツ競争力、第2世代に原発対応ロボット
ロボットの話に戻そう。日本は産業の現場で、自動車や鉄道などのスポット溶接やボディに塗装を吹き付けるボディ塗装、さらに組み立て、搬送などにロボットを自由自在に活用している。世界の産業用ロボットでは断然トップのシェアを誇り、第2位の米国、第3位のドイツなどを大きく引き離している。

ロボット研究では専門家の楠田喜宏さんが「サービスロボット発展の系統化調査」で書かれているのを参考にさせていただくと、ロボットの発展にはいくつかの発展段階がある。まず第1世代の田植えロボット、イベント用ロボット、危険現場対応の遠隔操作マニピュレータ、そして工場現場で機械組み立てなどにかかわる産業用ロボットがある。

それに続く第2世代のロボットは、知能が加わり自立性も出てきて、建設ロボット、家庭や工場での掃除ロボット、工場での保守や適応作業用ロボット、そして今回のテーマになった原子力ロボット、地雷除去、防火作業などに活用されるロボットがある、という。

最後は知能レベルがさらに進化した第3世代のロボットだ。このあたりになると、技術レベルも進んでくるが、体内手術など医療用、家事をこなす家庭用、縫製用、修理用、農作業用、さらに軍事用、そして宇宙ロボットまで用途が広がっている。

米国は地雷探知など軍事目的のロボット開発、日本は平和利用で
 今回、原発事故対応ロボットのことで、現場取材していて、米国と日本とではロボット取り組みの背景が異なるな、と思ったことがある。ロボット開発にかかわる専門家の話によると、米国の場合、地雷探知など軍事目的にロボットが活用されるため、米国防総省がふんだんに開発予算をつぎ込み、軍需メーカーに開発依頼し、量産も委ねる。このため、日本のような産業用ロボットや癒しロボットと違って、軍事など特殊用途のロボットで米国は群を抜いてしまうという。日本はその点、平和利用に徹すればいいのだ。

ただ、その専門家は「今回、米国から提供されたロボットは、原発事故現場で放射線量が多い現場でも平気で動きまわれたが、もともとは核戦争を想定して開発され、放射能汚染現場でも兵器として活用できるものだ。自衛隊が今回の原発事故をきっかけに、放射能汚染に対応出来るロボットを、とメーカー発注してくれば、事態が変わる」と述べている。

日本は技術力を駆使して高齢化など次世代対応のロボットを
 私は、今回、ロボットという専門外の分野ながら、好奇心で中山真さんの「ロボットが日本を救う」(東洋経済新報社刊)、石原昇さんと五内川拡史さん共著の「ロボット・イノベーション」(日刊工業新聞社刊)など、興味本位にいくつかの専門書を読んでみた。そこで感じたことは、日本のロボット生産技術は想像以上に素晴らしいということだ。

今回のような原発事故現場や災害現場でもすぐに対応出来るような国産ロボットは、日本の技術をもってすれば何ということはない。現に、たとえばACM-R5という水陸両用ヘビ型ロボットは先端部分にカメラをつけ、がれきで人間が動きまわれない海中でも自由に動き回って、遺体発見に活躍することも可能という話も聞いた。

要は、メーカーが量産できるように、商業ベースに乗せることが出来るように知恵を出すか、あるいは国がある程度、有事に備えて、防衛省や警察庁、消防庁などの公的機関向けに予算配分して、用途開発することだろう。

ただ、日本はむしろ、今後の高齢社会対応に備えて、手術支援ロボット、介護などの福祉現場対応ロボット、病院内の患者や食事搬送ロボットなど、思いつくだけでもこんなにあるが、まさに次世代ロボット開発で、今後の人口減少社会、高齢社会などに対応すればいい。日本のものづくり技術を磨けばいいのだ。

G8サミットで原発事故不信の解消を 日本が世界に表明する最後チャンス

 「9.11」という米国を襲った国際テロが米国の運命を変えたとすれば、「3.11」は間違いなく自然の猛威、それによって引き起こされた原発事故で日本の運命を変えてしまったといって過言でない。中でも、東京電力福島第1原発の爆発事故は世界中を震撼させた。原発は巨大なエネルギー源である半面、ひとたび事故を起こせば放射能汚染がリスクの連鎖どころか恐怖の連鎖を引き起こすからだ。

それだけに、世界の多くの国々の最大の関心事は、日本のような安全や品質管理の技術にこだわりを持つ国で、信じがたい原発事故が、なぜ起きたのだろうか。その教訓はいったい何なのだろうか、自国にある原発の安全管理の面で共有すべき問題や課題は何だろうか、ぜひ日本から聞きたい、いや聞かせてほしい、といった点にある。

海外は最悪事故段階のレベル7が続いたままの状況を不安視
 そればかりでない。日本が官民あげて必死で原発事故対応することについては、世界各国の誰もが認めている。しかし、肝心の原発事故の国際的な危機最悪レベル7は続いたままで、レベル4や3への引き下げが出来ておらず、不安や不信の解消に至っていない。その結果、日本は世界に向けて、誰もが懸念する原発事故の全貌、今後の再発防止策にとどまらず、レベル7そのものの不安解消策について、もっと積極的に情報発信すべきだ――という苛立ちに発展する。私自身、この指摘を出会う外国人から何度も受ける。

「えっ? 日本政府は原発事故後、危機管理センターのある首相官邸から東電本社の現場に事故対策の統合本部を移し、毎日のように記者会見を通じて、事故の現状や対策を公表しているではないか」という反発が政府サイドから聞こえてきそうだ。

菅首相が国際的な専門家集めた独立の事故調査委創設表明を
 結論から先に申上げよう。私に言わせてもらえば、世界のトップリーダーが5月26、27日にフランスで世界の懸案を協議するG8サミット(主要8カ国首脳会議)が、日本にとって、原発事故対応をめぐる世界の対日不信を解消する最大かつ最後のチャンスだ。

菅直人首相はその場で、日本の事故対応を説明するのは当然だが、それよりも、日本政府として、新たに国際的な専門家を集めた独立の事故調査委員会を創設する考えであること、その委員会には現代世界で最高レベルの専門家があらゆる角度から原発事故原因の究明や再発防止のための検討を行うこと、そして、その委員会で引き出される結論は世界各国の専門家や技術担当者らですべて共有して再発防止に当てる、と表明することだ。

日本の事故を国際的に共有し再発防止に努めるアピールが重要

 ここで大事なのは、今回の原発事故が、日本の問題というよりも、国際的な広がりを持つ事故であるので、事故に関するすべての情報を国際的に共有し、二度とこういった重大事故を引き起こさないようにする決意である、ということを日本の首相自らが主要国のトップリーダーたちに強くアピールする点にある、と私は思う。

ところが日本は、現時点で菅首相指示によって5月中に原発事故調査委員会を立ち上げ、法曹関係者や科学者らを中心に10人程度のメンバー構成にし、トップに失敗の研究で著名な畑村洋太郎東大名誉教授を起用する考えのようだ。委員会は、原発事故発生後の政府や東電の初動対応、東電の安全対策に問題がなかったか、さらに政府の原発政策、安全監視や監督体制に課題はなかったか、今後の再発防止策は何かなどを検討する、という。

しかしこの政府の事故調査委員会には現時点では海外の専門家委員を加えず、あくまでも日本国内の問題として事故調査、原発監督行政にメスを加えるだけのようだ。私が申上げる国際的な位置付けが欠けている。そこが、日本がいま、海外からの対日不信の元に成っていて、日本自身が問われる最大の問題だ、ということに気がついていない。

「原発事故で独立の国際専門家による調査委」は黒川教授の発案
 実は、現代世界のトップレベルの専門家を集めた国際的な事故調査委員会を創設すべきだ、という構想は、政策研究大学院大学教授の黒川清さんが主張されているものだ。黒川さんは日本学術会議会長などを務められた人で、医学者であると同時に科学者だ。しかし私は、むしろ、その国際的な人脈ネットワークなどを背景に問題提起される積極姿勢を高く評価し、おつきあいさせていただくたびに、その構想力のすごさに刺激を受ける。

その黒川さんが最近、日本プレスセンターでの「3.11大震災――復興構想会議への要望と提案」講演で、この国際的な専門家を交えた福島第1原発事故調査委員会の創設を日本政府が早く創設すると同時に、フランスでのG8サミットで菅首相が正式表明すればいい、と述べた。

「不幸な事故での貴重な教訓を世界共通財産にすることが重要」
 黒川さんの主張ポイントは、今回の原発事故を世界全体の問題にすることが必要で、日本だけの問題でないこと、この不幸な出来事から得た貴重な教訓を世界の共通財産にすべきであること。そのためには事故処理のプロセスをすべて公開し、世界の科学者ら専門家の分析調査に委ねることだ、という。

そこで「原発危機対策、そして環境影響への国際的な日本のコミッションという観点から委員会を設置すべきだ。その場合、政府もしくは衆参両院が創設そのものに関して積極的に動くことが必要だが、委員会そのものは、政府の「外」に独立して設置し、あらゆる政治的な介入などを排除した事故調査、再発防止策の検討に当たらせるべきだ」という。

さらに、黒川さんは「委員会の中には、原発施設に関する対策の検討、そして放射能の影響に関する検討の2つの専門委員会を置き、とくに後者の専門家委では中国や韓国など周辺国が神経質になっている海洋汚染をモニターしたり、健康への影響、さらに風評被害抑止の観点での対策検討が必要だ」と述べた。そのとおりだと思う。

原発依存80%のフランスは今回のG8で脱原発回避に躍起
 今回の日本の原発事故は、冒頭から申上げているように、日本で想像する以上に国際的な広がりを持っている。とくに、今回G8開催のフランスはエネルギーの80%近くを原発に依存する国で、日本での原発事故がフランス国内の反原発運動に飛び火するのを回避するのに躍起だ。サルコジ大統領が日帰りのような強行日程で日本を訪問して「原発は安全だからこそ、その確認で来日した」とデモンストレーションすると同時に、フランスの原子力企業トップにも安全対策協力の名目で別途、日本訪問を求めたのも、その表れだ。

今年のG8議長国フランスとしては、原発問題をメインテーマにし、今後の安全対策を含めた国際的な情報共有や安全向上策の連携で合意などを宣言に盛り込む程度にとどめ、脱原発などを方向づけを回避したいだろう。しかし、域内14カ国に143基の原発を抱える欧州連合(EU)は、今回の日本の原発事故に刺激され、早期に安全性検査のためのストレステストを行う。

ドイツは日本の原発事故直後に脱原発政策に転換、米国も微妙
 フランス、英国は原発推進だが、ドイツは、フランスと違って、日本の原発事故直後に脱原発政策を鮮明に打ち出した。日本のように、四方が海に囲まれている日本と違って、陸続きの大陸欧州は、空中を飛び交う放射能汚染リスクに神経質であり、G8議長国のフランスのシナリオどおりにはいかない可能性が高い。

そういった意味で、今回のG8サミットは、原発問題が最大テーマになることは間違いないが、問題は、議長国のフランスが描くような日本の原発事故をきっかけに国際的な安全向上策で連携合意といった単純シナリオどおりにはいかない可能性が高いことだ。むしろドイツがどういった議論の展開をするかが興味深い。さらにサミットの場で影響力の大きい米国のオバマ大統領の出方も関心事だ。米国は、原発の安全性確保を条件に環境に優しいエネルギーということで当初は原発を織り込んだグリーンエネルギー政策を打ち出していたが、今回の原発事故で対応が微妙になっている。むしろ、米国内でシェールガスという比較的低コストの液化天然ガス(LNG)の開発が進んだことから、むしろ脱原発に踏み出す方向だ。

G8は日中韓3カ国首脳会議と異なる、日本の国際寄与が重要
 そんな中で、5月22日に東京で開催された日本、中国、韓国の3国首脳会議は、日中韓FTA(自由貿易協定)などの懸案よりも、東日本大震災の復興と合わせて原発事故に伴う安全策確保や風評被害対策の問題に議論が集中した。その結果、首脳宣言ではフランスが思わず喜びそうな「原子力エネルギーは引き続き重要な選択肢」としたうえで、原発の安全性強化の専門家協議の推進、さまざまな情報の共有などを打ち出した。

菅首相は、国内での政治指導力が問われているうえ、原発事故の初動対応の問題でも議論を呼んでいるアゲインストな状況と違って、会議の議長国日本の立場で首脳宣言を主導できたことがうれしかったのか、会議後の記者会見では満面に笑みを浮かべていたのが印象的だった。しかし、中国や韓国はいずれもそれぞれの国内事情で原発推進の立場にあるという特殊事情を考慮に入れる必要がある。

それに対してG8サミットは、すでに述べたように、日本を除く7各国には異なる国内事情があり、日、中、韓3国首脳会議のような形にはならない。しかも原発テロリスク、それも今回の日本の原発事故で「弱み」部分が判明したように、地震や津波だけでなく電源、冷却水といった部分の揺さぶりリスク、さらには空中からの飛行機墜落リスクなどへの対応もこれらの国々にとっては関心事だ。そういった意味でも、日本は、自国だけの原発事故調査にとどめず、国際的な広がりを持たせる専門家委員会創設を表明し、国際寄与を打ち出すべきだ。

震災被災者対策で「公益」発想を 仮設住宅で「四川方式」活用も

 大地震、大津波、そして東京電力福島第1原発の爆発事故という3つの大問題が折り重なるように集中し、日本、そしては世界中を震撼させた東日本大震災。「3.11」から間もなく3カ月がたとうとしている。時間ばかりがどんどんたつのに、被災地の現場は遅々としていて、大きな進展がみられない。みんなが運命とあきらめずに黙々と復興・再興に取り組んでいるのに、なぜ進まないのだろうかと時々、苛立ちを覚える。
でも、日本は過去、何度も苦境を乗り越えた不屈の精神力を持っている。歴史の教科書でも学んだように、日本は太平洋戦争での敗戦のあと、焼け野原から必死で戦後復興に取り組み、見事に復興した実績がある。今回もピンチをチャンスに、と思っている。それでも遅々として進まないのは、レベルの低い政治に原因があるのだろうか、あるいは戦後の供給先行型のシステム、タテ割り型の行政を含めた巨大組織のシステムに問題があるのだろうか――などと考え込んでしまう。

石川教授「四川省は仮設住宅の外にある共同食堂での団らん重視」

そんな矢先、今回の被災地復興と今後の高齢社会の在り方を考えた場合の1つのモデル事例になるな、と思った話が1つある。ご紹介しよう。東大大学院で都市工学分野の教授、石川幹子さんが中国の四川省震災復興計画にかかわられた際の事例だ。ポイントは、公益というか、パブリックの部分をうまく活用しながら被災者対策にあてるという考え方だ。
石川さんによると、中国は2008年5月の四川省震災時に、世界中が震災対応を注目していることもあってか、被災者向け仮設住宅に関して、数万戸分を極めてスピーディに建てた。日本ではなかなか考えられないことだが、中国の場合、社会主義と市場経済を巧みに使い分けて、急成長しており、こと大震災に関しては、社会主義を全面に押し出して、国家権力、省政府の権力を駆使して大胆に進めるので、素早いのだろう。
 ところが、石川さん自身が思わず「これは日本で、仮設住宅を建てる事態になった場合の参考になる」と考えたのは、どの仮設住宅にも食堂、トイレ、シャワーなど浴室を個別には置いていない。それらは、すべて共同の施設にして一種のコミュニティー広場の施設にしてしまっている。それぞれの被災者が必要な場合には、その施設に出向いて、被災者同士で顔を合わせながら過ごすシステムなのだ。

被災者が孤独死に陥ったり自殺に走らないための中国独自の予防策

石川さんが「日本にもモデル事例になる」と判断されたのは、みなさんも、たぶん、おわかりと思う。つまり、中国四川省の仮設住宅は、被災者の中には、震災で家屋倒壊したうえ財産をすべて失ったこと、近親者をなくし自分だけしか生き残っていないことなど、極限の不安、茫然自失の状況に追い込まれて孤独感だけが深まる人たちが多い。
そこで、中国独自のやり方だが、仮設住宅の中で悶々として落ち込まないように、共同の食堂や談話室などコミュニティー広場の施設で、同じ境遇にある人たちと語らったりする場をつくることで、孤独死や自殺に陥らないようにする一種の予防策というのだ。
 一見して、プライバシーも何もない、被災者にはかえって不自由を強いるのでないかという見方があるかもしれない。とくに若い人たちには自由なプライバシー空間がほしい、食事やトイレまでみんなと一緒という生活はかえってストレスだ、と反発もあり得る。この点は、社会学の世界で科学する対象かもしれない。

高齢者が集中している東日本大震災でのPTSD対策にもヒント?

石川さんの話を聞いていて、私も同じ思いだが、今回の東日本大震災の被災者を見ていると、圧倒的に高齢者が多い。今の日本の震災対策としての仮設住宅の場合、台所、トイレ、浴室まで完備されているため、避難所での狭い空間でプライバシーもないまま、不自由な生活を強いられた被災者の人たちにとっては、仮設住宅は極めて便利だ。
 しかし高齢者にとっては、次第に先行き不安感が出てきて、気が滅入ったり、思いつめて精神的に不安定になるリスクがある。いわゆる心的外傷後ストレス障害(PTSD)リスクで、これらの対応には、この中国式のコミュニティー広場づくりなどで問題解決を図るのは1つのヒントだ、と思う。
大震災の復興が長引けば長引くほど、被災者の人たちの精神的な、心的な疲れはどんどん強まっていく。それだけに、行政だけでなく民間の医師や看護師、ボランティア団体の人たちの対応が極めて重要になってくる。

阪神淡路大震災時、高齢者の声がケアハウス型仮設住宅の実現に

そのことで思い出したことがある。133回コラムで「阪神・淡路大震災の教訓が活かされず」という話を書いた際に、紹介した時事通信記者の神谷秀之さんの著書「現場からの警告――日本の危機管理は大丈夫か」の中に、これに似た話がある。
当時の神戸市担当者が、被災者ニーズに合うような仮設住宅建設をめぐりステロタイプの仮設住宅しか認めない厚生省(現厚生労働省)とやりあって、現場優先の「地域型仮設住宅」方式を実現させたが、その時のポイントは、高齢者たちのちょっとした声だった。
 神谷さんの著書によると、ある高齢者が避難所で寝泊まりした際、「みんな一緒に集まって談笑する生活が女学校以来の楽しさだった」という話を耳にした神戸市の担当者が、食事・入浴付きの老人マンション形式の仮設住宅版ケアハウスにすれば高齢者介護対策にもなるし、復興後に、そのまま市の福祉施設になる、と考えた。
ところが集合住宅型仮設住宅は当時の厚生省社会・援護局、ケアハウスは老人保健福祉局と担当が異なり、タテ割り組織のカベが邪魔して身動きがとれなかった。最後は厚生省の大臣官房が裁断を下し、仮設住宅版ケアハウスが認められた。高齢者の女性が語った避難所での「女学校以来の楽しさ」を仮設住宅にまで持ち込めないか、との現場判断だった。

宮城など被災県では仮設住宅建設進まず、民間賃貸住宅を対象に

民間の住宅建設会社の幹部の話によると、今回の東日本大震災では、国土交通省が被災者用の仮設住宅の建設資材を発注確保、県が住宅建設を指揮するが、問題は、被災した地域の自治体が仮設住宅の建設用地の手当てに予想外に手間取ることだ。なにしろ、津波などで被害を受けた地域はがれきの山で、未だに撤去が進まない、内陸部の土地は意外に用地の確保スペースがなく、とくに平地が少ないことが難点で、建設も遅れるというのだ。
 このため、自宅を失った被災者がやむにやまれずに、民間の賃貸住宅に入居するケースが増えたため、県の自治体が非常時対応の形で「みなし仮設住宅」として認め、国と協議し、災害救助法を柔軟解釈して家賃補助を認めた。そうしたら、あっという間に、「朗報」と広がり、賃貸住宅起業の間では新たな需要創出チャンスとなった。ただ、公的な仮設住宅の絶対数が必要であることに変わりなく、国や県、市町村では必死の対応に駆けずりまわっている現実に変わりはない、という。

石川さんは四川大震災での自治体間のペアリング復興連携を評価

冒頭にご紹介した石川さんは、「四川省震災復興計画で、むしろ日本がモデル事例として参考にしてもいいな、と思ったのは、中国各地の自治体が四川省内の自治体と個別にペアを組んで支援連携するペアリングだ」と述べている。そして石川さんは現在、日本政府にも働きかけてペアリング復興支援を日本でも定着させるべきだと地道に活動されている。
 確かに、いま東日本大震災で被災した地域の自治体を応援するため、阪神淡路大震災での経験をもとに関西の自治体が広域連合を組んで現場対応している。これはこれで、素晴らしいアクションだが、全国の自治体が義捐金などで貢献するよりも、四川省のペアリング復興支援で姉妹都市を結んで人的、物的支援交流するのは重要だ。
 今回のコラムで、ぜひ申し上げたかったのは、パブリックの部分をうまく活用しながらの被災者対策だ。いま「公益」議論のポイントは、被災地での復興にあたって私権を制限して公益優先でいくべきでないかといった点にある。しかし、今回の仮設住宅事例でみたように、今後の高齢者対策のモデル事例になるようなものもある。その場合、パブリックの視点をどう織り込んでいくかだ。この点はいかがだろうか。