尖閣問題、日中軸に国際会議しかない 「領土紛争状態」とし外交交渉で決着を

中国との間で、尖閣諸島領有をめぐって、事態がどんどんエスカレートし、看過できないどころか、対応策を誤れば、深刻な事態になりかねない段階に入って来た。正直なところ、私自身、ここまで事態が悪化するとは思わなかった。9月19日になって、中国政府が8日間続いた反日デモに対し、デモ禁止策に転じたため、一時的に収まったように見えるが、中国、とくに共産党北京中央の尖閣諸島を含めた領土問題に対する執着、こだわりを見ると、問題の根が深く、とてもこのままで終わるとは思えない。

日中国交回復から今年で40年になる。過去のさまざまなわだかまり、問題をのみこんで、日中が互いに手を握りあって将来に向けて協力しあうことがプラスと、この40年間、民間レベルで太いパイプをつくってきたはず。それなのに、今回の尖閣諸島の問題1つで、反日デモにとどまらず日本企業がかかわるスーパーなどへの暴力行為、商品の略奪などに発展したばかりか、対日経済制裁論のような主張まで出てくると、中国とは本音ベースで交わりきれない間柄なのか、と思わざるを得ない。それにしても悲しい現実だ。

「領土問題は存在しない」という頑な姿勢改め、
交渉の場に中国を連れ出す必要
この事態に、どう対応すべきだろうか。私は、きっかけになった今回の尖閣諸島領有をめぐる中国の対応を見ていて、ここまで溝が深まった以上、日本としては、「領土問題は存在しない」といった頑な姿勢を改めること、そして中国側に対し日中間の外交交渉の場で話し合おうと提案すること、その際、尖閣諸島に関して領土紛争状態にある、という情勢認識を共有し、そこをスタート台にして、互いの主張を闘わせながら、今後どういった着地が見込めるか、徹底的に議論して外交交渉で決着をつけることしかないように思う。

一方で、日本は、国連など国際舞台で、東アジアでの日中の緊張関係の高まり、経済関係の悪化が国際社会に何のプラスにもならないことを訴える、尖閣諸島の領有をめぐる日本の立ち位置に関して、しっかりとした論陣を張る、そして領土問題で解決を図るため、中国に現在、外交交渉を求めている、とアピールすることが重要だ。加えて、中国との当事者だけでは決着がつかない恐れがあるので、日中を軸にした紛争解決のための国際会議にするように積極提案し、中国を巻き込むことだ。

「中国に国家戦略目標があり、尖閣領有も順番に進めているだけ」
と松野さん指摘
 今回の問題をきっかけに、現場重視の私といえども、すぐには中国に行くことが出来ないため、中国国内の日本人や中国人の友人にEメールで現状や今後の展開に関して、話し合った。その中で、長年の友人である精華大学・野村総研中国研究センターの副センター長の松野豊さんの指摘に、これは容易ならざる事態になりかねない、と思った。
松野さんの話では、中国共産党には中華帝国の復権、中華大国として世界のリーダーに復権する明確な国家目標がある。領土問題に関しても、尖閣諸島の問題を突然持ち出したわけでなく、また海洋資源の権益確保や覇権主義を突然、前面に押し出したわけでもなく、順番に着々と戦略を進めているだけ、ということを中国の現場で実感する、という。

ただ、その中国も外交上、米国の存在が唯1つ、思い通りにならず苛立っている。現実問題として、軍事力など国力の面で米国だけには負けると思っており、米国との間では衝突を避け、状況によって妥協もやむを得ない、と感じている。しかし、それ以外の国々とは目先の戦術で妥協することはあっても、あきらめたりすることはまずあり得ない。尖閣諸島問題で鄧小平が過去に一時棚上げを言ったとしても同じだ、というのだ。

「日本政府は裏で石原都知事とつながり宣戦布告」
との中国の受け止めも驚き
さらに、松野さんの分析で興味深かったのは、中国が戦略を構築する際、思考回路に明らかに欠陥があるなと思えることがある、という。要は、自分たちが国家目標やその戦略を実現するに際して、相手国も同じような体制、仕組み、考え方で臨んでくると思い込んでくることだ。たとえば、今回の発端となった石原東京都知事が尖閣諸島の土地を東京都が土地保有者から買い上げると表明した問題に関しても、中国側にすれば、石原都知事のやっていることは、裏で日本政府とつながっていることだ、という理解になる。

現に、日本政府は東京都の土地購入を肩代わりすることに踏み切った。そのあと時間を置かずして尖閣諸島の国有化を閣議決定した。中国の思考回路でいくと、これらは日本が海洋資源獲得のため、海洋国家戦略を意識的に打ち出し、地政学的にも要衝の尖閣諸島の国有化という手段を用いて明確に中国に戦いを挑んできた、という判断なのだ、という。
さらに、中国側からすれば、日本政府が閣議で尖閣諸島の国有化決めたのも、国家の強い意思表示であり、中国への宣戦布告と同じだと受け止める。日本政府は、こういった思考形態の中国だという情勢認識を持ち、対策を講じないと、大きな過ちを犯すことになりかねない、と松野さんは警告する。

日本政府は中国政府の出方を見誤った、
閣議での国有化決定は情勢判断ミス
 中国とのビジネスとのかかわりで名前を出せない中国在住経験の長い友人も、尖閣諸島を国有化すると日本が閣議決定したことがミスだったと、以下のように述べている。
「日本政府が中国の出方を読み誤ったとしか思えない。尖閣諸島の土地買い上げという石原都知事の挑発的な行動が中国を刺激しかねないと、民主党政権が事態の鎮静化、摩擦回避のために、日本政府の肩代わり購入を表明したが、中国側の見方は全く違う。石原東京都知事と日本政府は一体行動だと見ている」という。松野さんと同じような指摘だ。

さらに「中国側の見方は、胡錦濤中国国家主席が9月9日のウラジオストックでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)で、野田首相に対し、立ち話の中で自制を求めたにもかかわらず、2日後の11日に、日本政府が閣議で尖閣諸島国有化を決定したため、胡錦濤主席のメッセージが無視され、しかも国有化宣言で中国に対し日本が闘いを仕掛けてきた、という判断なのだ。国有化の閣議決定など、やらなくても日本政府の立場は変わらなかったはず。あれが中国側を刺激した。民主党政権が中国に人脈のパイプを持っていないこと、政治主導という割合には外交戦略がないことなどが最大の問題だ」と手厳しい。

双方のボタンのかけ違いが互いに相容れず状態つくり、
最後は対決構図に
国際政治でも、また企業のビジネス行動でもすべて同じだろうが、相手側とのさまざまな交渉に際して、相手方の行動原理、その背後にある戦略などをすべて読み取ったうえで自分側に有利にコトを運ぶにはどうすればいいか、戦術や戦略を練り上げて行動するものだろう。相手の出方や行動を読み違えてしまうと、ボタンの掛け違いに代表されるように、すべてがチグハグになって、最後は互いに相容れず、対立や対決の構図になってしまう。

そういえば、9月11日以降、中国側の尖閣諸島問題をめぐる対日行動がエスカレートしてきたのは事実だ。ボタンのかけ違いが一気に、中国側の反発行動を加速させたともいえる。一時は100を超す中国国内の都市で反日デモが広がり、まるで燎原の火のごとく燃えさかり、暴徒と化した中国人の日系スーパーで略奪行為に出たりした。
友人の目撃談によると、北京の日本大使館前のデモの先頭に立って暴れる中国人は言葉つきから地方出身者とわかる若者が多かったが、警察誘導によって路線バスで運ばれてきたようで、ペットボトルも本来、有料なのに老婆が誰かに指示されたのか、デモの後ろ側では無料で配っていた、という。中国政府の「愛国抗議デモ支援」といった感じがする。

中国政府は反日デモへの批判懸念し禁止したが、
海洋監視船などは継続指示
その反日デモは、すでに報道にあるとおり、携帯電話メールなどへの中国政府のデモ禁止措置によって、一気に抑え込まれた形だ。だが、誰が見ても、デモが日本政府への反対デモを越えて、日本憎しにエスカレートし、スーパーなどでの略奪行為になって、国際的にも批判を招く事態に至ったため、中国政府がブレーキをかけたのは間違いない。

しかし中国政府の日本政府に対する反発行動は続いている。尖閣諸島周辺の漁場への中国漁船の出漁の容認、漁船の保護も兼ねて中国の海洋監視船など12隻を尖閣諸島周辺の日本側領海との接触水域に派遣した。それに、日本製品の不買運動もほのめかしている。中国外務省スポークスマン役の洪磊(こうらい)副報道局長は記者会見で「中国の主権維持のための正義の行動で正当なものだ」と述べており、ホコ先を収める情勢にはない。

日本政府が国有化決定きっかけに尖閣諸島に政府施設つくったら
火に油
 日本政府が中国のしたたかな国家目標戦略を読み誤った、としても、こういった政府、とくに中国共産党北京中央が指示したとみて間違いない日本への過激な対抗措置、なりふり構わずの行動がすべて許されていいはずがない。事実、南沙諸島で同じ領有権問題を抱えるフィリピンなどアジア周辺、関係国は中国の行動に批判的であるのはいうまでもない。米国政府も二国間問題には中立という立場を維持しながらも、一方で、尖閣諸島が日米安保条約の適用範囲内にあるとし、中国に暗黙のプレッシャーをかけている。

こういった時に、日本がとるべき行動は、冒頭から申し上げるように、日中間で外交交渉の場に、尖閣諸島の問題を持ち出して交渉すること、二国間の問題にせず国際会議の場での問題にすることがいま、日本政府が率先してとる行動だ、と思う。
もし、ここで、日本政府が9月11日の尖閣諸島の国有化決定に付随する行動として、強固な国家施設をつくって既成事実化したりすると、火に油を注ぐことになる。まずは外交交渉に持ち込んで、しかも国際会議の場で、日中の領土紛争の問題を議論することが大事で、最後は日中双方で政治決着を図るしかないのではないか。

対日経済制裁論は異常、中国にこそダメージだが、
日本企業のリスク管理は課題
それにしても、人民日報が紙面で対日経済制裁論が浮上している、といった記事を掲載すること自体、人民日報編集陣の見識が問われる。政府刊行紙だということは承知のことだが、いま、日中経済関係が悪化した場合、日本企業などのダメージが計り知れないのは言うまでもないにしても、サプライチェーンがらみで対日経済依存度の大きい中国産業などにとっては、もっと大きな打撃を受ける。人民日報ぐらいの新聞になれば、もう少し冷静さを求めたい、と思う。

世界の工場としての中国よりも、13億人が消費人口となる巨大な消費市場としての中国の魅力に期待を抱いて中国進出した日本企業にとっては、いまは試練の時で、今後の動向を静観するしかない。しかし、リスクマネージメントという点では中国リスクをどこまで織り込むか、日本企業にとって、大きな課題になってきたことは間違いない。

日本の座標軸はどこへ行った? ASEAN軸に米中と戦略展開を

「時代刺激人ジャーナリストコラム」も今回で200回になる。日本は課題山積の国だが、モノづくり技術を含め、まだ捨てたものでない、強みと弱みを見極めて戦略的に、存在感のある国をめざすべきだ、この際、生涯現役のジャーナリストのこだわりで、時代の閉そく状況を打ち破るため時代を刺激してみよう――と始めたのがこのコラムだ。

継続は力なり、ではないが、当初のコラムからみれば、数多く書いているうちに、自信もついてきた。今は一段と現場にこだわり、いろいろな方々にお会いして取材することが楽しい。「時代刺激人という割合にはちっとも刺激になっていないではないか」と、手厳しいコメントもいただければ、と思う

日本政治の内向き劣化が付け入るスキ、
中国やロシア、韓国は領土問題で攻勢
 さて、今回のコラムは、日本という国の座標軸はどこへ行った?という問題を提起してみたい。なぜ、座標軸にこだわるのか。実は、現在の日本を取り巻く情勢で、ロシアとの北方4島、韓国との竹島、そして中国との尖閣諸島の領有権をめぐる問題、とくに中国との領土問題がエスカレートし日中関係全体に亀裂を生じさせる、という抜き差しならない事態に日本が陥っているのに、外交の戦略軸、基軸がしっかりしていないためだ。

こういった問題が生じる背景には、日本の政治が内向き、かつレベルの低い政争で劣化が顕著なうえ、政治そのものに外交戦略を含めた座標軸が決定的に欠けているため、中国、ロシア、韓国は日本の政治の足元を見て、領土問題で揺さぶりをかけたと推測せざるを得ない。そこで、それらの動きに対峙するには日本自身が骨太の揺るぎない座標軸を持つことが必要だ。それによって、相手国側に緊張感を与え、付け入るスキを与えなくなる。

元外務官僚の佐藤さん
「新帝国主義国は相手がひるむのに乗じて権益拡大」
 元外務官僚の佐藤優さんが最近のこれら3か国の問題を捉えて「新帝国主義の時代に入った」との見方でいる。新帝国主義国というのは、佐藤さんによると、相手国の立場を考えず自国の要求を大胆かつ最大限に行う。相手がひるみ国際社会も沈黙すれば、それに乗じて権益を拡大していく、というものだ。確かに、現実の動きは指摘どおりだ。

雑誌「中央公論」10月号「プチ帝国主義化する韓国」で、佐藤さんは「韓国が生き残るためには日本との関係を根本的に変える機会が到来したと見て、対日攻勢をかけ、これまでに成立した日韓関係の『ゲームのルール』を変更しようとしている」と述べている。ロシア、中国は拠って立つ基盤が韓国と異なるかもしれないが、日本政治の弱さを見抜き、韓国と同様、対日攻勢をかけている、という点は同じというのが佐藤さん分析なのだろう。

座標軸のポイントは現代版「三国志」、
国益のために権謀術数の外交戦略を展開
 日本の対外戦略の軸になる座標軸という場合、私が以前、このコラムで述べた現代版三国志の外交戦略が参考になる。中国の三国志で描かれた魏、呉、蜀3か国が権謀術数の外交戦略を駆使、自らの国益のため、あるいは生き残りを図るため、機敏に戦略展開を考え、ある時は魏が呉と、またある時は魏が一転、ライバルだった蜀と戦略連携といった形で行動するやり方が日本にとってヒントになる、と思うのだ。

座標軸という言葉は、厳密には座標を決めるため、タテにX軸やヨコにY軸といった基準となる数直線を置くことがポイントになる。しかし私は今回、日本という国家をモノゴトの中心に置き、その日本がかかわりを持つ中国や米国、ロシア、ASEAN、さらには欧州や中東の国々との相互関係、位置関係を示す基軸の考え方、つまり日本という国家が動く拠り所になる戦略行動基準みたいなものを座標軸という言い方にした。

中国との間に問題生じれば米国と連携、
逆の場合、中国と連携する機敏さが必要
 では、現代版三国志に置き換えた場合、日本の座標軸の外交戦略とはどんなものかが焦点となる。そこで申し上げたい。日本がASEAN(東南アジア諸国連合10か国)と連携し、日本が持つ技術革新力などの強みと新興アジアの潜在経済力をバックに米国、中国という2つの強大国との間で、機敏な戦略外交を展開することだ。中国との間に問題が生じれば米国と連携して揺さぶりをかける、逆に米国に問題が起きれば、日中が連携してブレーキをかける、といった形で戦略的に大胆に動くことでないかと思っている。

ロシアや韓国との間で問題が生じた場合にも、この座標軸をベースに、日本は対象国やその案件やテーマによって、米国と連携するか、あるいは中国と連携するか、その時々の情勢を見極めながら、柔軟かつ戦略的に判断すればいいのだ。竹島の領有権をめぐる問題で、日本は国際司法裁判所に提訴して問題の決着を試みたが、この場合、韓国に影響力を残す米国を巻き込んで国際世論を作り出すように働きかけるのも一案だ。

今後の日本の戦略軸は新興アジアに軸足を移し、
ASEANとの連携以外にない
 日本は米国との間で安全保障条約を結んでおり、戦略行動が制約を受けるという議論もあり得る。しかし、過剰な対米依存は日本にとってリスクであり、条約に反しない範囲で柔軟対応すればいい。元外務官僚の佐藤さんがいう新帝国主義が横行する国際社会でこそ、現代版三国志的な戦略展開が重要になるのでないだろうか。ただ、日本は国家としての主体性がないうえ軽挙妄動して節操がない、と批判されないように、基軸がどこにあるか、しっかりとしたものがあることが重要であることは言うまでもない。

その点で、私は日本が座標軸の基軸部分を、ASEAN諸国との戦略連携に置くことが必要だと思う。なぜASEANなのかが当然、ポイントになる。現代版三国志のゲーム展開でいくと、中国に対峙する場合、米国と連携してプレッシャーをかける、逆に米国に問題があった場合、日中で連携して米国に揺さぶりをかけるため、両国で大量保有する米国債を市中で売却するぞ、と凄みをきかせれば、米国はドル暴落、財政赤字拡大リスクに歯止めをかけられないため、日中に従わざるを得ない。それよりも日本に問題が生じて米中が連携したら、日本は踏み潰されるリスクがあるため、ASEANの力を活用するのだ。

ASEANは中国南下戦略や米のグローバリズム強要に反発、
日本には連携チャンス
 ここで重要なのは、今や経済面で勢いがついてきて2015年に地域経済統合に一歩踏み出すASEANが日本の連携の呼びかけ、ラブコールに応えてくれるかどうかだ。早い話、ASEANにとって、日本のパワーは捨てたものでないと連携メリットを感じさせることが可能かどうかだ。その点に関しては、私がアジア開銀の戦略シンクタンク、アジア開銀研究所のメディアコンサルティングなどを通じて接するASEANの国々の人たちと話していると、まだチャンスは十分にある。

その最大ポイントは、ここ数年の中国のASEAN、とりわけベトナム、ラオス、タイ、ミャンマーなどメコン河流域経済圏諸国への経済協力や市場開拓といった南下戦略、それにフィリピン、ベトナムを巻き込んだ南沙諸島の領有権をめぐっての露骨な攻勢が反発や脅威と受け止められ、それが日増しに強まっていることが1つ。この中国の南下戦略に歯止めをかける役割を日本が担ってほしい、という期待感があるのは間違いない。

メコン経済圏での経済協力案件で地元還元少なく
中国独り占めへの反発が強い
 とくに、中国のメコン河流域での経済協力に関しては、メディア報道でもご存じだと思うが、ミャンマーやラオスでの水力発電プロジェクト1つとっても中国の都合が先行し地元への利益還元がない、端的には経済支援の形で強力な資金援助を得ても発電した電力を中国へ送電されてしまったり、下流のタイへの流水量に制限が加わり影響を第3国に与えること、中国企業が建設受注し地元に技術移転がないこと、現地での雇用創出を生まず中国人労働者が仕事をとってしまうことなどから、メコン経済圏への南下戦略には反発が強い。ミャンマーはこのため、中国との共同水力発電プロジェクトを中止したほどだ。

もう1つは、米国のグローバリズム押し付けに対する反発が根強いことだ。米国が貿易赤字解消のため、新興アジアに市場開放を求めると同時に、金融市場に関してもかつてのような強引な市場開放要求はないにしても金融インフラ構築協力を通じて金融ノウハウを武器に参入するすごさへの警戒心がASEANにある。ASEANにとっては中国と米国の2つの大国のパワーは魅力であると同時に、脅威をはねのける緩衝役が必要で、それを日本に期待する部分があるが、日本がその期待に応えられるかどうかだろう。

日本がASEANと積極連携すれば中国へのけん制効果大、
中国リスクの分散にも
しかし繰り返しになるが、日本は米国や中国という2つの強大国と、時に対峙し時に連携して独自の存在感を出していくためには現代版三国志的な戦略展開が重要。同時に日本単独では米中に踏み潰されるリスクがあるため、ASEANと積極連携することだ。現に、ASEANでは中国の南下戦略などへの反発や脅威、米国のグローバリズム押し付けへの反発があり、その歯止め役として日本への期待があるのだから、日本は戦略思考でもってASEANとの積極連携を考えるべきだ。

日本がASEANに積極連携の実を挙げれば、その連携が中国にインパクトを与え、中国の行き過ぎ行動へのけん制にもつながる。中国は今、最大の輸出先市場のユーロ圏経済危機の影響で輸出がダウン、国内も過剰な設備投資の反動で経済減速に歯止めがかからない。そんな中で、日本がASEANに攻勢に出れば中国へのけん制効果は間違いなく大だ。日本自身にとっても中国リスクの分散となる。

日本はASEANにとって先進モデル事例を持っており
システム輸出で貢献を
 以前のコラムでも申し上げたが、日本は、新興アジアのASEANにとって、数多くの先進モデル事例を持っており、連携のきっかけになる材料を活用できる。とくに急速な経済成長をきっかけにした都市化への対応、端的には医療や年金、教育、高齢者介護のシステムが立ち遅れていることへのアドバイス、また道路、鉄道などのインフラ整備に際して料金制度などを加えたトータルのシステム輸出も可能だ。 日本は、これらの問題に関して制度疲労が来ていて先進モデル事例にならない分野もあるが、逆に、この機会にASEANに輸出できるように制度設計を見直せばいいのだ。それは日本自身の社会システム変革のチャンスとなる。

日本の政治は今こそ、国としての外交戦略を含めた座標軸をどうすべきなのか、考え直す時期だ。今のようなスピードの時代、グローバルの時代には機敏な行動がまず第1だ。このASEANとの連携戦略が重要課題と感じた場合、たとえばインドネシアやフィリピンの看護師受け入れ制度1つとっても、早急に、日本の社会システム改革と連想させる形で取り組まないと、ASEANは口先だけで実行の伴わない日本は戦略パートナーにはならないと突き放すかもしれない。
 

「失われた30年」突入だけは避けたい、日本は今こそフルモデルチェンジを 藻谷さんの新著「デフレの正体」もヒント、やれることすべてにチャレンジ

2010年最後の「時代刺激人」コラムで、デフレにあえぐ日本経済が、このまま状況に流されていけば「失われた30年」突入という不名誉な事態になりかねない問題をとりあげたい。率直に言って、誰もがそんな事態を望んでいない。それどころか政治も行政、それに経済界、生活者としての国民の誰もが、デフレ脱却のいい手だてがあれば即刻、活用し、それによって日本経済の「失われた20年」打ち止めを高らかに宣言したい、と思っているのに、現実は、まるでアリ地獄のように次の10年への突入リスクが高まっている。しかし、ここはデフレ脱却の日本モデルづくりにチャレンジすると同時に、今こそ日本自体の大胆なフルモデルチェンジに取り組むべきだ。

「失われた10年」は日本の専売特許ではないが、20年も続いた国は見当たらず

この「失われた10年」は、日本の専売特許の言葉ではない。いろいろな国々で、長く停滞が続いた時期が10年という長期に及んだ時に、そのころを振り返って「失われた10年」と呼ぶことが多い。日本の場合、1990年代前半から2000年代初めにかけて、バブル経済が崩壊して不況に陥っただけでなく、名のある銀行や証券会社が経営破たんして金融システムそのものを揺るがす事態に及び、企業などが借金や負債の重圧から抜け出すために前向き投資よりも借金返済、リストラに走るバランスシート調整が経済をさらに委縮させてしまった。2001年3月、政府は「デフレ突入宣言」を行い、財政政策や金融政策といったマクロ政策総動員で手を打ったが、実体経済は大きく浮揚しないまま、低成長が当たり前となって「失われた20年」に入った。これほど長期に経済停滞が続いた事例は他の国を探しても見当たらない。

欧米では、デフレ長期化の日本の二の舞回避から「日本化を避ける」が合言葉?

今やそれが「失われた30年」突入という事態に陥ろうとしている。何とも不名誉なこと、極まりない。アジアの新興経済国からは、「日本っていう国は豊かな成熟国だが、経済政策の失敗などで長期経済停滞に入って身動きがとれなくなっている。経済社会に活力がなく、惨憺たる状態だ。政治の指導力もなくなっていて、改革に必要な荒療治のリスクをとりたくない、という状況だ。最近、欧米の先進国と称される国々の政策担当者の間では、日本の長期デフレ現象を見て『日本化を避ける』が合言葉になりつつある。われわれ後発の新興経済国にとっては、日本経済の長期停滞を失敗の研究の対象としてしっかりと見据える必要がある」と、言われかねない。

ここで、みんなが本気で態勢を立て直して、日本の強み、弱みを見極め、内向きの縮み志向から脱却する手立てを講じないと、アリ地獄からますます抜け出せなくなる、という感じがする。いま、こわいのは、いつも申し上げることだが、日本の周辺で地殻変動が起きていることを真剣に受け止めないと、日本は取り残される、置いてきぼりにあいかねないことだ。日本が「失われた20年」で内向きになっていた時に、グローバル社会では、すさまじい形でパワーシフトが起き、政治や経済の再構築を話し合う会議1つとっても、G7(欧米、日本の主要7カ国首脳会議、主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議)が新興国を加えたG20に移行している。

新興経済国台頭でパワーシフト、日本は取り残されない努力が何としても必要

と言っても、G20で新たなルールづくりが行えるかと言えば、現実問題として難しい。まだまだ欧米先進国の経験やノウハウが必要視されている。日本は、その面で同じ力量を持っているので、積極的にリーダーシップをとったりして復活するチャンスがある。ところが、今の日本のように、このまま内向きを続けていると、グローバルなパワーシフトに対応できる力を自ら、そぎ落としてしまい、ハッと気が付いたら、誰もが見向きもしなくなっているという最悪の事態もないではない。その意味でも、まずは「失われた30年」に突入しないように、デフレ脱却への手立てを真剣に講じるしかない。

「そんなことはわかっている。みんな、危機感をもって対応しているのだが、決め手を欠いて、ズルズルと現在に至っているのだ。あんたは、どうすればいいと思っているのだ」とお叱りを受けそうだ。

フルモデルチェンジのキーワードは「課題克服先進国」、新たな制度設計しかない

私にも「これしかない」という絶対的な妙案はない。しかし私がこれまで申し上げてきたのは、キーワード的には「課題克服先進国」「課題先進国」だ。社会システムデザイナーの横山禎徳さん、それに東京大の元総長で現三菱総研理事長の小宮山宏さんが使われている言葉だが、ポイントは、成熟国家ながら古くなりすぎた制度、枠組みを根本的に見直し、新たな制度設計、社会システムづくりを大胆に行い、さまざまな課題を克服すれば、後発の国々にとっては先進モデルとなり、日本は胸を張って「先進国」を自負できる、という点だ。「失われた30年」突入を阻止するには、日本の戦略的な強みの部分を伸ばすと同時に、弱みの部分を強みにどう変えて行くか、そのためには新たな発想で制度設計に取り組むことだ。まさに日本のフルモデルチェンジだ。

緒方貞子さんがいる国際協力機構でも信じられないような官僚主義が横行

実は、最近、独立行政法人の国際協力機構(JICA)に外部コンサルタントとして海外事業にかかわっている友人が帰国したので久しぶりに会った際、エッと驚く話を聞かされた。アフリカと中南米の2つのプロジェクトをこなすに際して、移動するのに便利だし移動費用の節減になると、現地間の移動を、東京の国際協力機構本部の担当者に進言したら「外部コンサルタントとの契約規定に従えば、東京にいったん戻って、東京発で次の契約地に移動してもらう必要がある。だから一時帰国を」というのだ。友人は「アフリカと中南米は大西洋を越えてすぐに行ける。税金の無駄遣いを避けるにも便利」と抵抗したが、頑として譲らず、やむなくムダを承知でアフリカ――東京、東京――中南米の飛行機便を使った、という。理事長の緒方貞子さんのような素晴らしいリーダーがトップにいる国際協力機構でさえ、こんな信じられない官僚主義がまかり通っているのだ。これは一例で、霞ヶ関の行政官庁では古い制度の枠組みから抜け出せないのだ。「課題克服先進国」の意味がおわかりいただけよう。

藻谷さんの現場踏まえた分析は素晴らしい、内需縮小への処方箋が間違いと鋭い

好奇心の強い経済ジャーナリストの性分で、私は、「これは面白い」と読んだ本の著者には何としても会って話を聞いてみたくなる。日本政策投資銀行の藻谷浩介さんもその1人だ。藻谷さんが書かれた著書「デフレの正体――経済は『人口の波』で動く」(角川書店)は他のエコノミストと違って、ジャーナリストと同様、現場を足で歩いて実証分析する点が素晴らしく、話にも説得力があるのだ。 チャンスがあって、藻谷さんに会ったが、本を読むよりも、同じテーマでも話を聞いた方が、なるほどと思わせてくれることが多く、はるかに面白かった。「時代刺激人」を広言する私が逆に刺激されてしまったほどだ。

藻谷さんの主張ポイントは、「日本経済は、個人消費が生産年齢人口の減少によって下ぶれてしまい、企業業績が悪化して、さらに勤労者の所得が減って個人消費が減るという悪循環に陥っている。それを何とか断ち切ろう」という点だ。
藻谷さんによると、生産年齢人口の減少に伴う内需縮小に対する処方箋として描かれがちな、生産性を上げろ、経済成長率を上げろ、景気対策として公共工事などを増やせ、インフレ誘導しろ、エコ対応の技術開発でモノづくりトップランナーとしての立場を守れ、といったことはどちらかと言えば筋違い。デフレがどうして起きたのか、その原因を見極めたら、そうした処方箋には至らない、という。

大都市、地方で現役世代の生産・消費年齢人口の減少、高齢者の激増に直視を

藻谷さんが日本各地の現場を歩いて見て得た経済実体のヒントは、人口変動の問題にある。端的には地方でも大都市でも現役世代の生産年齢人口の減少、裏返せば中核の消費年齢人口が減少していること、その一方で高齢者が激増していることが同時進行で起きている。人口流入が進む首都圏では、とくに顕著にその傾向がみられ、一見して、人口増で所得も小売売上高も伸びてしかるべきなのに、実体はその逆。高齢者が消費しないため、伸びない。都心部の大手百貨店の経営統合が進むのも、その表われだ、という。
だから、藻谷さんの結論は、1)生産年齢人口が減るペースを少しでも弱める、2)生産年齢人口に該当する世代の個人所得の総額を維持し増やす、3)個人消費の総額を維持し増やす3つの目標を掲げ、その目標到達に向けての手立てをとることだ、という。早い話が、消費拡大が経済を元気にするポイントというものだが、その消費を増やすための個人所得、家計所得の引上げを図るように知恵をめぐらすことだ。同時に、金融資産などの形で所得をすでに保有している高齢者には、現役世代におカネが回るようにモノの消費だけでなく健康確保のさまざまなサービス消費に向かうような手立てをみんなで考えるべきだ、というものだ。

私は、大胆にさまざまな分野での制度設計を行い、「課題克服先進国」につなげることが大事、それに関連して改革も随所に行って新たな需要創出につなげろ、という立場だが、藻谷さんの指摘は、デフレが何で起きたか、その原因分析を行い、そして処方箋を講じることだ、というもので、傾聴に値するものだ。ぜひ、その著書を読まれたらいい。

浜さんの「デフレが日本人の優れた感性を蝕む」という指摘にも共感

 ”なかなか鋭い分析で感心し、私がファンになりつつある同志社大学教、授浜矩子さんが書かれた「ユニクロ型デフレと国家破産」(文春新書)で、デフレの状況をうまくとらえておれるので、ポイント部分を少し引用させていただこう。

「ついこの前まで750円で売っていた弁当が、250円で手に入るのだ。その値段に一度馴れてしまったら最後、元の値段の弁当や食事は『高すぎる』ことになってしまう。さらには、食材を買ってきて調理することさえ、損だとみなされないとも限らない。激安衣料も同様である。このままではまともな値段の商品はどんどん売れなくなり、気がつけば『格安商品』しか生き残らなかった、という事態も起きかねない。そして、もっと憂慮すべきは、安売り競争を可能にしている極端なコスト圧縮が、労働者の賃金切り下げと直結している、という点だ」と。
さらに浜さんが指摘する「デフレが日本人の優れた感性を蝕む」という点はまさにそのとおりだと思う。「デフレが続けば家のリビングに置くものも、食べるものも単調になって、五感を刺激することがますます減っていく。デフレは人をバカにする。そして、確実にいま、日本の世の中から創造性が失われつつある」と。
2011年は、日本をフルモデルチェンジするきっかけになる年にしたいものだ。

2010年最後の「時代刺激人」コラムで、デフレにあえぐ日本経済が、このまま状況に流されていけば「失われた30年」突入という不名誉な事態になりかねない問題をとりあげたい。率直に言って、誰もがそんな事態を望んでいない。それどころか政治も行政、それに経済界、生活者としての国民の誰もが、デフレ脱却のいい手だてがあれば即刻、活用し、それによって日本経済の「失われた20年」打ち止めを高らかに宣言したい、と思っているのに、現実は、まるでアリ地獄のように次の10年への突入リスクが高まっている。しかし、ここはデフレ脱却の日本モデルづくりにチャレンジすると同時に、今こそ日本自体の大胆なフルモデルチェンジに取り組むべきだ。

「失われた10年」は日本の専売特許ではないが、20年も続いた国は見当たらず

この「失われた10年」は、日本の専売特許の言葉ではない。いろいろな国々で、長く停滞が続いた時期が10年という長期に及んだ時に、そのころを振り返って「失われた10年」と呼ぶことが多い。日本の場合、1990年代前半から2000年代初めにかけて、バブル経済が崩壊して不況に陥っただけでなく、名のある銀行や証券会社が経営破たんして金融システムそのものを揺るがす事態に及び、企業などが借金や負債の重圧から抜け出すために前向き投資よりも借金返済、リストラに走るバランスシート調整が経済をさらに委縮させてしまった。2001年3月、政府は「デフレ突入宣言」を行い、財政政策や金融政策といったマクロ政策総動員で手を打ったが、実体経済は大きく浮揚しないまま、低成長が当たり前となって「失われた20年」に入った。これほど長期に経済停滞が続いた事例は他の国を探しても見当たらない。

欧米では、デフレ長期化の日本の二の舞回避から「日本化を避ける」が合言葉?

今やそれが「失われた30年」突入という事態に陥ろうとしている。何とも不名誉なこと、極まりない。アジアの新興経済国からは、「日本っていう国は豊かな成熟国だが、経済政策の失敗などで長期経済停滞に入って身動きがとれなくなっている。経済社会に活力がなく、惨憺たる状態だ。政治の指導力もなくなっていて、改革に必要な荒療治のリスクをとりたくない、という状況だ。最近、欧米の先進国と称される国々の政策担当者の間では、日本の長期デフレ現象を見て『日本化を避ける』が合言葉になりつつある。われわれ後発の新興経済国にとっては、日本経済の長期停滞を失敗の研究の対象としてしっかりと見据える必要がある」と、言われかねない。

ここで、みんなが本気で態勢を立て直して、日本の強み、弱みを見極め、内向きの縮み志向から脱却する手立てを講じないと、アリ地獄からますます抜け出せなくなる、という感じがする。いま、こわいのは、いつも申し上げることだが、日本の周辺で地殻変動が起きていることを真剣に受け止めないと、日本は取り残される、置いてきぼりにあいかねないことだ。日本が「失われた20年」で内向きになっていた時に、グローバル社会では、すさまじい形でパワーシフトが起き、政治や経済の再構築を話し合う会議1つとっても、G7(欧米、日本の主要7カ国首脳会議、主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議)が新興国を加えたG20に移行している。

新興経済国台頭でパワーシフト、日本は取り残されない努力が何としても必要

と言っても、G20で新たなルールづくりが行えるかと言えば、現実問題として難しい。まだまだ欧米先進国の経験やノウハウが必要視されている。日本は、その面で同じ力量を持っているので、積極的にリーダーシップをとったりして復活するチャンスがある。ところが、今の日本のように、このまま内向きを続けていると、グローバルなパワーシフトに対応できる力を自ら、そぎ落としてしまい、ハッと気が付いたら、誰もが見向きもしなくなっているという最悪の事態もないではない。その意味でも、まずは「失われた30年」に突入しないように、デフレ脱却への手立てを真剣に講じるしかない。

「そんなことはわかっている。みんな、危機感をもって対応しているのだが、決め手を欠いて、ズルズルと現在に至っているのだ。あんたは、どうすればいいと思っているのだ」とお叱りを受けそうだ。

フルモデルチェンジのキーワードは「課題克服先進国」、新たな制度設計しかない

私にも「これしかない」という絶対的な妙案はない。しかし私がこれまで申し上げてきたのは、キーワード的には「課題克服先進国」「課題先進国」だ。社会システムデザイナーの横山禎徳さん、それに東京大の元総長で現三菱総研理事長の小宮山宏さんが使われている言葉だが、ポイントは、成熟国家ながら古くなりすぎた制度、枠組みを根本的に見直し、新たな制度設計、社会システムづくりを大胆に行い、さまざまな課題を克服すれば、後発の国々にとっては先進モデルとなり、日本は胸を張って「先進国」を自負できる、という点だ。「失われた30年」突入を阻止するには、日本の戦略的な強みの部分を伸ばすと同時に、弱みの部分を強みにどう変えて行くか、そのためには新たな発想で制度設計に取り組むことだ。まさに日本のフルモデルチェンジだ。

緒方貞子さんがいる国際協力機構でも信じられないような官僚主義が横行

実は、最近、独立行政法人の国際協力機構(JICA)に外部コンサルタントとして海外事業にかかわっている友人が帰国したので久しぶりに会った際、エッと驚く話を聞かされた。アフリカと中南米の2つのプロジェクトをこなすに際して、移動するのに便利だし移動費用の節減になると、現地間の移動を、東京の国際協力機構本部の担当者に進言したら「外部コンサルタントとの契約規定に従えば、東京にいったん戻って、東京発で次の契約地に移動してもらう必要がある。だから一時帰国を」というのだ。友人は「アフリカと中南米は大西洋を越えてすぐに行ける。税金の無駄遣いを避けるにも便利」と抵抗したが、頑として譲らず、やむなくムダを承知でアフリカ――東京、東京――中南米の飛行機便を使った、という。理事長の緒方貞子さんのような素晴らしいリーダーがトップにいる国際協力機構でさえ、こんな信じられない官僚主義がまかり通っているのだ。これは一例で、霞ヶ関の行政官庁では古い制度の枠組みから抜け出せないのだ。「課題克服先進国」の意味がおわかりいただけよう。

藻谷さんの現場踏まえた分析は素晴らしい、内需縮小への処方箋が間違いと鋭い

好奇心の強い経済ジャーナリストの性分で、私は、「これは面白い」と読んだ本の著者には何としても会って話を聞いてみたくなる。日本政策投資銀行の藻谷浩介さんもその1人だ。藻谷さんが書かれた著書「デフレの正体――経済は『人口の波』で動く」(角川書店)は他のエコノミストと違って、ジャーナリストと同様、現場を足で歩いて実証分析する点が素晴らしく、話にも説得力があるのだ。 チャンスがあって、藻谷さんに会ったが、本を読むよりも、同じテーマでも話を聞いた方が、なるほどと思わせてくれることが多く、はるかに面白かった。「時代刺激人」を広言する私が逆に刺激されてしまったほどだ。

藻谷さんの主張ポイントは、「日本経済は、個人消費が生産年齢人口の減少によって下ぶれてしまい、企業業績が悪化して、さらに勤労者の所得が減って個人消費が減るという悪循環に陥っている。それを何とか断ち切ろう」という点だ。
藻谷さんによると、生産年齢人口の減少に伴う内需縮小に対する処方箋として描かれがちな、生産性を上げろ、経済成長率を上げろ、景気対策として公共工事などを増やせ、インフレ誘導しろ、エコ対応の技術開発でモノづくりトップランナーとしての立場を守れ、といったことはどちらかと言えば筋違い。デフレがどうして起きたのか、その原因を見極めたら、そうした処方箋には至らない、という。

大都市、地方で現役世代の生産・消費年齢人口の減少、高齢者の激増に直視を

藻谷さんが日本各地の現場を歩いて見て得た経済実体のヒントは、人口変動の問題にある。端的には地方でも大都市でも現役世代の生産年齢人口の減少、裏返せば中核の消費年齢人口が減少していること、その一方で高齢者が激増していることが同時進行で起きている。人口流入が進む首都圏では、とくに顕著にその傾向がみられ、一見して、人口増で所得も小売売上高も伸びてしかるべきなのに、実体はその逆。高齢者が消費しないため、伸びない。都心部の大手百貨店の経営統合が進むのも、その表われだ、という。
だから、藻谷さんの結論は、1)生産年齢人口が減るペースを少しでも弱める、2)生産年齢人口に該当する世代の個人所得の総額を維持し増やす、3)個人消費の総額を維持し増やす3つの目標を掲げ、その目標到達に向けての手立てをとることだ、という。早い話が、消費拡大が経済を元気にするポイントというものだが、その消費を増やすための個人所得、家計所得の引上げを図るように知恵をめぐらすことだ。同時に、金融資産などの形で所得をすでに保有している高齢者には、現役世代におカネが回るようにモノの消費だけでなく健康確保のさまざまなサービス消費に向かうような手立てをみんなで考えるべきだ、というものだ。

私は、大胆にさまざまな分野での制度設計を行い、「課題克服先進国」につなげることが大事、それに関連して改革も随所に行って新たな需要創出につなげろ、という立場だが、藻谷さんの指摘は、デフレが何で起きたか、その原因分析を行い、そして処方箋を講じることだ、というもので、傾聴に値するものだ。ぜひ、その著書を読まれたらいい。

浜さんの「デフレが日本人の優れた感性を蝕む」という指摘にも共感

なかなか鋭い分析で感心し、私がファンになりつつある同志社大学教、授浜矩子さんが書かれた「ユニクロ型デフレと国家破産」(文春新書)で、デフレの状況をうまくとらえておれるので、ポイント部分を少し引用させていただこう。
「ついこの前まで750円で売っていた弁当が、250円で手に入るのだ。その値段に一度馴れてしまったら最後、元の値段の弁当や食事は『高すぎる』ことになってしまう。さらには、食材を買ってきて調理することさえ、損だとみなされないとも限らない。激安衣料も同様である。このままではまともな値段の商品はどんどん売れなくなり、気がつけば『格安商品』しか生き残らなかった、という事態も起きかねない。そして、もっと憂慮すべきは、安売り競争を可能にしている極端なコスト圧縮が、労働者の賃金切り下げと直結している、という点だ」と。
さらに浜さんが指摘する「デフレが日本人の優れた感性を蝕む」という点はまさにそのとおりだと思う。「デフレが続けば家のリビングに置くものも、食べるものも単調になって、五感を刺激することがますます減っていく。デフレは人をバカにする。そして、確実にいま、日本の世の中から創造性が失われつつある」と。
2011年は、日本をフルモデルチェンジするきっかけになる年にしたいものだ。

2010年最後の「時代刺激人」コラムで、デフレにあえぐ日本経済が、このまま状況に流されていけば「失われた30年」突入という不名誉な事態になりかねない問題をとりあげたい。率直に言って、誰もがそんな事態を望んでいない。それどころか政治も行政、それに経済界、生活者としての国民の誰もが、デフレ脱却のいい手だてがあれば即刻、活用し、それによって日本経済の「失われた20年」打ち止めを高らかに宣言したい、と思っているのに、現実は、まるでアリ地獄のように次の10年への突入リスクが高まっている。しかし、ここはデフレ脱却の日本モデルづくりにチャレンジすると同時に、今こそ日本自体の大胆なフルモデルチェンジに取り組むべきだ。

「失われた10年」は日本の専売特許ではないが、20年も続いた国は見当たらず

この「失われた10年」は、日本の専売特許の言葉ではない。いろいろな国々で、長く停滞が続いた時期が10年という長期に及んだ時に、そのころを振り返って「失われた10年」と呼ぶことが多い。日本の場合、1990年代前半から2000年代初めにかけて、バブル経済が崩壊して不況に陥っただけでなく、名のある銀行や証券会社が経営破たんして金融システムそのものを揺るがす事態に及び、企業などが借金や負債の重圧から抜け出すために前向き投資よりも借金返済、リストラに走るバランスシート調整が経済をさらに委縮させてしまった。2001年3月、政府は「デフレ突入宣言」を行い、財政政策や金融政策といったマクロ政策総動員で手を打ったが、実体経済は大きく浮揚しないまま、低成長が当たり前となって「失われた20年」に入った。これほど長期に経済停滞が続いた事例は他の国を探しても見当たらない。

欧米では、デフレ長期化の日本の二の舞回避から「日本化を避ける」が合言葉?

今やそれが「失われた30年」突入という事態に陥ろうとしている。何とも不名誉なこと、極まりない。アジアの新興経済国からは、「日本っていう国は豊かな成熟国だが、経済政策の失敗などで長期経済停滞に入って身動きがとれなくなっている。経済社会に活力がなく、惨憺たる状態だ。政治の指導力もなくなっていて、改革に必要な荒療治のリスクをとりたくない、という状況だ。最近、欧米の先進国と称される国々の政策担当者の間では、日本の長期デフレ現象を見て『日本化を避ける』が合言葉になりつつある。われわれ後発の新興経済国にとっては、日本経済の長期停滞を失敗の研究の対象としてしっかりと見据える必要がある」と、言われかねない。

ここで、みんなが本気で態勢を立て直して、日本の強み、弱みを見極め、内向きの縮み志向から脱却する手立てを講じないと、アリ地獄からますます抜け出せなくなる、という感じがする。いま、こわいのは、いつも申し上げることだが、日本の周辺で地殻変動が起きていることを真剣に受け止めないと、日本は取り残される、置いてきぼりにあいかねないことだ。日本が「失われた20年」で内向きになっていた時に、グローバル社会では、すさまじい形でパワーシフトが起き、政治や経済の再構築を話し合う会議1つとっても、G7(欧米、日本の主要7カ国首脳会議、主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議)が新興国を加えたG20に移行している。

新興経済国台頭でパワーシフト、日本は取り残されない努力が何としても必要

と言っても、G20で新たなルールづくりが行えるかと言えば、現実問題として難しい。まだまだ欧米先進国の経験やノウハウが必要視されている。日本は、その面で同じ力量を持っているので、積極的にリーダーシップをとったりして復活するチャンスがある。ところが、今の日本のように、このまま内向きを続けていると、グローバルなパワーシフトに対応できる力を自ら、そぎ落としてしまい、ハッと気が付いたら、誰もが見向きもしなくなっているという最悪の事態もないではない。その意味でも、まずは「失われた30年」に突入しないように、デフレ脱却への手立てを真剣に講じるしかない。

「そんなことはわかっている。みんな、危機感をもって対応しているのだが、決め手を欠いて、ズルズルと現在に至っているのだ。あんたは、どうすればいいと思っているのだ」とお叱りを受けそうだ。

フルモデルチェンジのキーワードは「課題克服先進国」、新たな制度設計しかない

私にも「これしかない」という絶対的な妙案はない。しかし私がこれまで申し上げてきたのは、キーワード的には「課題克服先進国」「課題先進国」だ。社会システムデザイナーの横山禎徳さん、それに東京大の元総長で現三菱総研理事長の小宮山宏さんが使われている言葉だが、ポイントは、成熟国家ながら古くなりすぎた制度、枠組みを根本的に見直し、新たな制度設計、社会システムづくりを大胆に行い、さまざまな課題を克服すれば、後発の国々にとっては先進モデルとなり、日本は胸を張って「先進国」を自負できる、という点だ。「失われた30年」突入を阻止するには、日本の戦略的な強みの部分を伸ばすと同時に、弱みの部分を強みにどう変えて行くか、そのためには新たな発想で制度設計に取り組むことだ。まさに日本のフルモデルチェンジだ。

緒方貞子さんがいる国際協力機構でも信じられないような官僚主義が横行

実は、最近、独立行政法人の国際協力機構(JICA)に外部コンサルタントとして海外事業にかかわっている友人が帰国したので久しぶりに会った際、エッと驚く話を聞かされた。アフリカと中南米の2つのプロジェクトをこなすに際して、移動するのに便利だし移動費用の節減になると、現地間の移動を、東京の国際協力機構本部の担当者に進言したら「外部コンサルタントとの契約規定に従えば、東京にいったん戻って、東京発で次の契約地に移動してもらう必要がある。だから一時帰国を」というのだ。友人は「アフリカと中南米は大西洋を越えてすぐに行ける。税金の無駄遣いを避けるにも便利」と抵抗したが、頑として譲らず、やむなくムダを承知でアフリカ――東京、東京――中南米の飛行機便を使った、という。理事長の緒方貞子さんのような素晴らしいリーダーがトップにいる国際協力機構でさえ、こんな信じられない官僚主義がまかり通っているのだ。これは一例で、霞ヶ関の行政官庁では古い制度の枠組みから抜け出せないのだ。「課題克服先進国」の意味がおわかりいただけよう。

藻谷さんの現場踏まえた分析は素晴らしい、内需縮小への処方箋が間違いと鋭い

好奇心の強い経済ジャーナリストの性分で、私は、「これは面白い」と読んだ本の著者には何としても会って話を聞いてみたくなる。日本政策投資銀行の藻谷浩介さんもその1人だ。藻谷さんが書かれた著書「デフレの正体――経済は『人口の波』で動く」(角川書店)は他のエコノミストと違って、ジャーナリストと同様、現場を足で歩いて実証分析する点が素晴らしく、話にも説得力があるのだ。 チャンスがあって、藻谷さんに会ったが、本を読むよりも、同じテーマでも話を聞いた方が、なるほどと思わせてくれることが多く、はるかに面白かった。「時代刺激人」を広言する私が逆に刺激されてしまったほどだ。

藻谷さんの主張ポイントは、「日本経済は、個人消費が生産年齢人口の減少によって下ぶれてしまい、企業業績が悪化して、さらに勤労者の所得が減って個人消費が減るという悪循環に陥っている。それを何とか断ち切ろう」という点だ。
藻谷さんによると、生産年齢人口の減少に伴う内需縮小に対する処方箋として描かれがちな、生産性を上げろ、経済成長率を上げろ、景気対策として公共工事などを増やせ、インフレ誘導しろ、エコ対応の技術開発でモノづくりトップランナーとしての立場を守れ、といったことはどちらかと言えば筋違い。デフレがどうして起きたのか、その原因を見極めたら、そうした処方箋には至らない、という。

大都市、地方で現役世代の生産・消費年齢人口の減少、高齢者の激増に直視を

藻谷さんが日本各地の現場を歩いて見て得た経済実体のヒントは、人口変動の問題にある。端的には地方でも大都市でも現役世代の生産年齢人口の減少、裏返せば中核の消費年齢人口が減少していること、その一方で高齢者が激増していることが同時進行で起きている。人口流入が進む首都圏では、とくに顕著にその傾向がみられ、一見して、人口増で所得も小売売上高も伸びてしかるべきなのに、実体はその逆。高齢者が消費しないため、伸びない。都心部の大手百貨店の経営統合が進むのも、その表われだ、という。
だから、藻谷さんの結論は、1)生産年齢人口が減るペースを少しでも弱める、2)生産年齢人口に該当する世代の個人所得の総額を維持し増やす、3)個人消費の総額を維持し増やす3つの目標を掲げ、その目標到達に向けての手立てをとることだ、という。早い話が、消費拡大が経済を元気にするポイントというものだが、その消費を増やすための個人所得、家計所得の引上げを図るように知恵をめぐらすことだ。同時に、金融資産などの形で所得をすでに保有している高齢者には、現役世代におカネが回るようにモノの消費だけでなく健康確保のさまざまなサービス消費に向かうような手立てをみんなで考えるべきだ、というものだ。

私は、大胆にさまざまな分野での制度設計を行い、「課題克服先進国」につなげることが大事、それに関連して改革も随所に行って新たな需要創出につなげろ、という立場だが、藻谷さんの指摘は、デフレが何で起きたか、その原因分析を行い、そして処方箋を講じることだ、というもので、傾聴に値するものだ。ぜひ、その著書を読まれたらいい。

浜さんの「デフレが日本人の優れた感性を蝕む」という指摘にも共感

なかなか鋭い分析で感心し、私がファンになりつつある同志社大学教、授浜矩子さんが書かれた「ユニクロ型デフレと国家破産」(文春新書)で、デフレの状況をうまくとらえておれるので、ポイント部分を少し引用させていただこう。
「ついこの前まで750円で売っていた弁当が、250円で手に入るのだ。その値段に一度馴れてしまったら最後、元の値段の弁当や食事は『高すぎる』ことになってしまう。さらには、食材を買ってきて調理することさえ、損だとみなされないとも限らない。激安衣料も同様である。このままではまともな値段の商品はどんどん売れなくなり、気がつけば『格安商品』しか生き残らなかった、という事態も起きかねない。そして、もっと憂慮すべきは、安売り競争を可能にしている極端なコスト圧縮が、労働者の賃金切り下げと直結している、という点だ」と。
さらに浜さんが指摘する「デフレが日本人の優れた感性を蝕む」という点はまさにそのとおりだと思う。「デフレが続けば家のリビングに置くものも、食べるものも単調になって、五感を刺激することがますます減っていく。デフレは人をバカにする。そして、確実にいま、日本の世の中から創造性が失われつつある」と。
2011年は、日本をフルモデルチェンジするきっかけになる年にしたいものだ。

面白い!「中国成長神話の崩壊」説 中国は領土よりも国内経済の心配を

最近10月8日付の毎日新聞文化欄「経済への視点」に、中国経済を分析したなかなか読みごたえのある投稿があった。評論家の中野剛志さんが書いた「中国成長神話の崩壊」というテーマの話だ。中国ウオッチャーの経済ジャーナリストの立場で言えば、率直に言って、面白い切り口だ。ぜひ読まれたらいい。

折しも中国が尖閣諸島国有化に反発しIMF・世銀東京総会欠席で
対抗措置
折しも、48年ぶりに東京で開催になった国際通貨基金(IMF)・世界銀行の年次総会に、中国が何と財政相と人民銀行総裁の欠席を通告してきた。理由は尖閣諸島の領有権問題に関して、日本政府が閣議決定によって国有化したことへの対抗措置だ、という。率直に言って、課題山積の重要な国際会議をボイコットしてまで領有権問題にこだわる中国政府の行動はビッグサプライズであると同時に、国際社会の担い手になりきれない国だ。

中野さんの「中国成長神話の崩壊」の問題提起にうなずく面もあっただけに、今回のコラムで、中国政府はメンツをかけての領土問題よりも、中国国内の経済悪化を心配した方がいい、領土問題にこだわっている状況じゃないよ、という視点で問題を取り上げたい。

中野さん
「中国は先進国でも対処困難な世界経済危機の直撃受けて深刻」
 中野さんの分析は、結論部分から先に言えば、こうだ。「中国は資本主義化してから日が浅いというのに、グローバル経済に接続され、不況対策の経験に乏しく、景気対策が有効に機能する環境にもないのに、先進国ですら対処困難な世界経済危機の直撃を受けた」「中国経済の減速が著しいが、これは単なる不況ではなく、かなり深刻な構造問題だと認識しなければならない。(中略)中国の成長神話は終わった。時代が変わったのだ」という。

中国の成長モデルは、中野さんの分析では「賃金を抑えて競争力を維持し、国内消費を抑えて投資に偏重し、輸出主導の成長を追求してきた。そして素材や中間財を輸入し、加工組み立てした最終製品を欧米に輸出し、稼いだ貿易黒字は国内に還元せず、海外投資に向けてきた」「この成長モデルは、一方的に輸入する巨大な消費市場がなければ成り立たない。それが米国であった。だが、米国の消費が旺盛だったのは、住宅バブルのおかげにすぎなかった。(中略)米国の住宅バブルが崩壊し、2008年のリーマン・ショックで欧米が深刻な不況になれば、当然の帰結として、中国、そしてアジアの成長も終わる」という。

リーマン・ショック対応で4兆元財政出動したが、
ユーロ危機でまたボディブロー
中国は、2008年当時、公共投資を中心に4兆元というケタ外れの財政資金をつぎ込んで景気刺激策、内需拡大策を講じ、成長に弾みをつけた。しかし同時に、不動産バブルを引き起こしてしまい、それを抑えるための金融引き締めで一転、景気減速に追い込まれるなど、ちぐはぐなマクロ経済政策に終始している。そこに、新たにユーロ危機が加わり、対欧州輸出のウエートが際立って高い中国経済にボディブローとなった。

アジア開発銀行が最近公表した2012年の中国経済見通しでは4月時点での8.5%成長を大きく下方修正し、7.7%への減速予測だ。そこで、中国政府は再度の公共投資による財政出動を決め、内需拡大のために1兆元を投じる計画でいる。2008年当時よりも人民元高で、最近の為替レート1元=12円だが、このレートで計算すると、円換算で12兆円にのぼり、4年前の円換算48兆円投資に次ぐ巨額の財政出動だ。

「公共投資で内需刺激しても中国は家計消費比率低く消費拡大につながらない」
この公共投資に関して、中野さんの話に、ポイント部分がもう少しあるので、引用させていただこう。
「公共投資により国内消費を刺激するといっても、中国のGDPに占める家計消費は35%以下でしかない。しかも、教育や社会保障の公的資支出が不足しているため、家計の貯蓄率が高く、消費が拡大しにくい。また、所得格差が大きいことも内需拡大を妨げている。中国が消費を拡大するためには、賃金を上げて所得を増やし、不平等も是正する必要がある。しかし賃上げは競争力を減殺するので、容易には認められない」と。

中国経済が、日本経済と違って決定的に弱みとなっている部分は、この内需構造にある。日本の場合、個人消費はGDPの60%前後を占めており、高度成長期にはこの消費購買力が強さを発揮し、消費需要増を見越した企業の設備投資も呼び込んで経済を押し上げた。しかも貯蓄率が高くても消費に転じる柔軟さがあった。今は日本もデフレ長期化で所得増が見込めず、消費に弾みがつかないが、中国とは大きく異なる強み部分だった。

国有企業中心に過剰投資が設備能力や在庫の過剰を生み、
値崩れ・収益悪化へ
 中国の場合、国家の社会主義部分と、改革開放による市場経済化での資本主義部分とを巧みに使い分けて経済運営を行ってきた。不況対応になると、国家の社会主義部分が全面に出てきて4兆元規模の公共投資中心の財政出動を大胆に行う。地方政府もこれに呼応して、共産党政府の強さを誇示して住民の土地を強制的に取り上げ、国有企業などに売却、そこで得た資金で大型開発プロジェクトを進めるが、各省間で似たようなプロジェクトが相次ぎ、重複投資になって投資効果が上がらない。

それどころか、国有企業を中心に、過剰投資が設備能力の過剰を生み、それがそのまま製品の過剰、在庫過剰から値崩れを起こして企業収益の悪化をもたらす。そればかりでない。生産調整や需給調整のために、設備廃棄といった問題にとどまらず、社会主義国家の弱み部分ともいえるリストラの形での人員整理、さらに賃上げ抑制に手をつけ、社会不安要因を抱え込む。同時に、国有企業に先を競って融資した国営の4大銀行を中心に、金融機関が不良債権化した負の資産の処分に苦しみ、政府も金融システム不安という時限爆弾の対応を余儀なくされる。この構造問題は、いまだに改革の手がつけられていない。とくに国有企業改革は民営化に向かわず、利権がらみで新規の国有企業が増える悪循環だ。

中国は国内消費抑え投資を偏重して輸出主導、という成長モデルを
変える必要
 中野さんが「中国成長神話の崩壊」でポイントにする「国内消費を抑え投資に偏重し輸出主導の成長を追求」「素材や中間財を輸入し加工組み立てした最終製品を欧米に輸出、稼いだ貿易黒字は国内還元せず海外投資に」という枠組みは、最大の輸出市場だった欧州、さらに米国が、経済危機長期化で低迷しているため、ボディブローになってきている。

あわててテコ入れを図った中国政府の内需拡大策も、すでに述べたように、公共投資主導の景気刺激策のため、1兆元の財政出動をしても、過剰投資、過剰設備、過剰在庫といった「過剰」がついて回り、その挙句が、「また来た道」ともいえる悪循環に陥る。 こういった点で、私も、中野さんの指摘する「中国成長神話の崩壊」という説にうなずけるし、この問題解決に対して、大胆に手をつけないまま、尖閣諸島の領有権問題でIMF・世銀総会への出席までボイコットする状況でないだろう、と思う。中野さんはこの新聞投稿でもっと踏み込み「中国政府は、国内の不満をそらすため、対外的に強硬な姿勢をとらざるを得ない。尖閣諸島問題は、起こるべくして起きたのだ」と述べている。

中野さんの脱グローバル化は賛成しがたいが、
日本の内需掘り起し論は異存なし
中野さんは経済産業省OBで、この10年間、ずっと評論活動を続け、最近、「反官・反民――中野剛志評論集」(幻戯書房刊)、柴山桂太氏との対談集「グローバル恐慌の真相」(集英社新書)などを出している。ジャーナリストの好奇心で、今回のような新聞投稿をもとに面白い発想だなと思うと、私は関連の著作を読んで、その人なりを知ろうとする。

ただ、今回、中野さんの著作を読んでみて、微妙に立ち位置が違うな、という部分があった。脱グローバル化だ。新聞投稿の最後部分でも「日本は積極的な財政金融政策によって内需主導の経済構造に転換するしかない。日本は少子高齢化するので、外需を獲得するしかないと信じている人が未だに多いが、獲れる外需など、もはやどこにも存在しない」とある。内需掘り起しには異存ないが、脱グローバルの道を進め、という考えはない。中国を突き放す必要はないし、新興アジアの中軸となるASEANについても、新たな潜在成長マーケット掘り起こしに日本が積極協力し、「外需」を日本に取り込めばいいのだ。

共産党中央は社会不安に過敏、
都市化に伴う政策課題に取り組めないまま
 話を元に戻そう。以前のコラムでも申し上げたが、中国ウオッチャーの立場で見ると、中国共産党は社会不安に過敏になっている。その不安の芽はいっぱいある。上海万博効果も手伝って、巨大な人口移動が都市に向かい都市化に弾みがつくが、肝心の都市部には鉄道や道路、住宅など都市インフラの整備が遅れるうえ、都市戸籍を持たない人たち向けの医療や年金など社会インフラもさらに未整備だ。所得格差など格差に対する不満が内在化しており、共産党幹部の汚職や不正蓄財の問題が表面化すると、社会不安は共産党批判に発展しかねない問題をはらんでいる。共産党北京中央が最も懸念するのはそこだ。

温家宝首相らが今年春、中国広東省の寒村での地方共産党幹部の汚職や腐敗に対する住民の反発の顕在化が、共産党政治への否定につながるリスクを懸念し、現場に出向いて民主化選挙を容認した。
ところが最近の北京からのメディア報道では、インターネットでの検索機能に制限を加えている、という。たとえば習近平・次期国家主席候補が2週間も中央政界から一時、姿を消したのが背中の負傷だと噂された問題で、最近、中国版ツイッターでアクセス数が断然多い「微博」に「法律規制と政策により検索結果は表示できない」という画面表示にして、政治家がらみの問題では規制を加えてきた、という。

次期習近平政権は内需主導モデルに切り替え、
社会不安解消につなげられるのか
 こういった中で、中国経済の成長率が減速している。11月に開催予定の共産党大会で次期政権の座に就く予定の習近平氏が仮に、実体経済を踏まえ、2013年の経済成長率目標を今年の7.5%からどこまで引き下げるのか、悩ましいところだろう。これまで中国の専門家の間では、社会不安が起きて共産党批判になるような事態を回避するには「8%成長」が絶対ラインと言われていたのが、すでに崩れているからだ。

成長率1%は100万の雇用創出、という見方があって、8%成長によって、800万人の新規雇用創出が可能になるとの判断のようだが、最近の大学新規卒業者数である約700万人の就職を確保できる状況にないだけに、不安感を広げる成長目標の引き下げは次期政権にとってもリスクだ。
ましてや中野さんの指摘する「中国成長神話の崩壊」が現実化して、輸出主導、輸出特化の成長モデルを内需主導に切り替えざるを得ない場合、所得格差是正のための累進税率の導入、あるいは低所得階層の底上げのための最低賃金引き上げ、新規雇用機会の創出、国有企業改革を大胆に進め民間主導経済に持っていけるのかーーなど、課題を挙げたらキリがないほど多い。新たな成長神話を作り上げるのは、並大抵のことでは無理だ。

驚き!読売や共同通信のダブル誤報 虚言見抜けず、確認取材に決定的甘さ

読売新聞が10月11日付の朝刊1面トップで大々的に報じた「iPS心筋を移植 ハーバード大日本人研究者 初の臨床応用 心不全患者に」の記事は、実は、研究者の森口尚史氏のとんでもない虚言だったため、大誤報とわかり、日本のみならず世界中で波紋を呼んだ。
そればかりでない。スクープだと思い込んであわてて対応した共同通信と産経新聞が誤報を十分にチェックし切れないまま、後を追うように、夕刊段階で、まるで事実のように報じてしまった。このため、結果的にダブル誤報という異常事態となった。しかも共同通信の配信記事を信じて、夕刊トップで報じた主要な地方新聞は軒並みおわびを出さざるを得なくなり、波紋はさらに拡がった。ちょっと前例がないケースだ。

iPS細胞でのノーベル賞受賞にからむ「初の臨床応用」に惑わされる?
 山中伸弥京都大教授が新型万能細胞と言われるiPS細胞の製造に成功しノーベル医学生理学賞受賞というビッグニュースで日本中が沸き立った時だけに、私自身、読売新聞の記事を見た瞬間、すごい話だ、よくモノにしたな、大スクープだと思った。なにしろ、こういった分野のニュースに関しては、新聞社の科学部という専門部門の記者が十分な専門知識を駆使して、ニュースの価値判断を行った結果なのだろうと、門外漢の私などは最初からそう思ってしまうからだ。

ところが、それから1日を経て大誤報だと知った際、読売新聞の現場記者、さらにその上のデスク、部長までが、山中教授のノーベル賞の後だけに、人間に対するiPS細胞の臨床応用はスクープという誘惑に勝てず、念には念を入れるべき確認取材を怠ってしまったのかな、とまず思った。しかし、それに続いて共同通信、さらに産経新聞までが後追いの取材にもかかわらず、同じミスを犯したことがさらに驚きで、何とも理解できなかった。

折しも新聞大会で「新聞はいかなる時も正確な情報を、、」
との決議は皮肉な話
 折しも、青森県内で10月16日、日本新聞協会主催の新聞大会が開催された。年1回開催のこの大会で、最優秀の新聞報道を讃える新聞協会賞を授与する。今年は、読売新聞が東電女性社員殺害事件・再審請求審のDNA鑑定結果をめぐる一連のスクープに対する新聞協会賞を受けたが、何とも複雑な思いがあったのは、想像に難くない。

新聞大会は最後の決議で「新聞はいかなる時も、正確な情報と多様な意見を国民に提供することで、民主義社会の健全な発展と国民生活の向上に寄与する」「真実を追究し、国民の知る権利に応える。これこそが最大の使命である。今後も公共的・文化的使命を自覚し、全力を尽くすことを誓う」とした。しかしせっかくの決議も、今回のダブル誤報の現実の前には説得力を欠くものとなってしまった。私自身、毎日新聞やロイター通信の現場にいただけに今回の問題は他人事とは思えず、改めて厳しく受け止めねばならないと思った。

読売新聞、共同通信とも取材過程や記事化判断を
内部調査・検証して公表
 そこで、今回のコラムでは読売新聞、そして共同通信、産経新聞がなぜダブル誤報に至ったのかを取り上げてみたい。読売新聞や共同通信がメディアの責任という形で取材の過程、記事化に至った内部調査・検証記事の形で公開しているので、それらをベースに、新聞社や通信社などのメディアの取材現場の問題や課題を考えてみる。これは、大きな企業組織の失敗から何を学ぶべきか、という問題にもつながるので、ぜひ参考に願いたい。

結論から先に言えば、読売新聞と共同通信の誤報に至った経緯をチェックしたそれぞれの内部調査・検証の記事を見る限り、エクスキューズ(言い訳)はどうであれ、記事化するに際していくつか重要ポイントの確認を怠っている。とくに、ニュースにするかどうかの決め手となる確認取材が読売新聞の場合、十分に出来ていなかった。
この確認取材の怠りの最大の原因は、他社が先にスクープするのでないか、という不安感が先行し、現時点での確認取材でも間違いでないだろう、という手前勝手な判断が働き、それがそのまま他社の鼻をあかしてやれ、といったライバルを意識したスクープ狙い、功名心などにつながる。さらにタイムプレッシャーが災いすることもある。

読売新聞は森口氏に6時間も取材しながら、
確認取材が十分でないのは驚き
誤報ミスを犯した読売新聞の場合、その検証記事によると、森口氏から情報のタレこみ(こんな情報があるよ、という持ちこみ)があったのが今年9月19日。読売新聞の食いつきがいま一つだったのか、森口氏は細胞移植手術の動画などを電子メールで10月1日に読売新聞記者に送ってきた。これを見て、読売新聞記者は反応し、記事化する前の10月4日、何と6時間も取材して事実関係、背景などを聞いた、という。

さて、ここからが確認取材の問題となる。それほどの時間をかけて、何を取材していたのか、と思う。とくに、誤報が表面化してから、森口氏がメディアの追及によって、6回行ったという手術が、実は1回だけだった虚言が判明したが、読売新聞記者は、その6時間の取材中になぜ、1回ごとの具体的な手術事例をどこまでちゃんと聞いたのか、誤報記事には確認取材を裏付ける部分が出ていないし、検証記事でもその点がはっきりしない。

手術成功の米国人男性の「ウラとり」が出来ておらず
森口氏の情報だけで記事化
 とくに、森口氏が自慢した手術成功例の第1号患者の34歳の米国人男性のケースに関して、新聞記者用語でいう「ウラをとる」、つまり、その患者に会ってみて、どれほど回復して元気なのか、あるいは後遺症はないのか、確認のため、ぜひ患者の連絡先を教えてほしいーーなどのチェックをする必要があったが、記事を見る限り、その確認が出来ていない。むしろ、記者は、森口氏の話をそのまま右から左に書いて「、、、、という」としただけにとどめている。
要は、現場を見たりチェックもせずに、さも見てきたように書いてしまうのと同じだ。誤報の最も危ないケースだ。この場合、手術に立ち会った他の医師の名前を聞き出してチェックするやり方もあったが、記事を見る限り、それもやっていなかった。

山中教授になぜ評価聞かなかったのか疑問、
管理職のニュース判断も問われる
読売新聞検証記事では、6時間の取材後、担当記者は科学部の医学担当次長(デスク)に取材経過を報告、判断を求めた。デスクは専門家の研究評価も聞くように指示。そこで記者は再生医療の大学教授から「本当に行われたのなら、6か月間も生存しているのは驚きだ」とのコメントを得た、というが、仮定の質問がベースで、客観性を欠くものだ。
科学部デスクは10月9日昼に科学部長に概要を説明、部長は記者に対し「物証は大丈夫か」と確認したうえで、できるだけ早い記事掲載の指示をした、という。デスクや部長が、手術成功で元気にいるという患者の談話取材や他の患者チェックを徹底して行え、といった指示をせず、早期の記事化を促した判断は明らかにスクープ狙いが優先している。

問題だと思うのは、山中教授に聞くチャンスがあったのに直接聞いていないことだ。問題表面化後の別のメディア報道では、専門家は「臨床応用にはまだ5、6年はかかると見ていたので、森口氏の話は信じがたい」というコメントしている。読売新聞検証報道で見る限り、確認取材の必要につながる否定コメントを得られていなかったのが弱みになった。

共同通信は検証記事で
「本人の言い分を鵜呑み、裏付け取材が不十分」と反省
 読売新聞記事を後追い取材して、ダブル誤報を生み出した共同通信、産経新聞のうち、共同通信の取材過程の検証記事が加盟紙の東京新聞10月12日付朝刊に載っている。共同通信はその中で、「米国の権威ある学会での発表や著名な科学誌に掲載されるという本人の言い分を鵜呑みに報道し、裏付け取材を十分に尽くさずに誤った情報を読者に与えてしまった」、「通信社として、速報を重視するあまり、専門知識が必要とされる科学分野での確認がしっかりできないまま、報じてしまった」と反省の弁を述べている。

共同通信の場合、加盟する地方新聞社が、すべて共同通信からの配信原稿を信用して掲載するため、その責任は極めて重い。今回の共同通信自身の取材検証では、ハーバード大から森口氏について「該当人物がいない」との回答を得たにもかかわらず、共同通信の米国特派員がロックフェラー大で直接、森口氏本人から確認取材が出来、熱心に話したこと、しかも日本国内での取材では読売新聞報道を確認する発言も得たので、信ぴょう性があると判断し、記事配信に踏み切った、という。ハーバード大のネガティブ情報があっても、読売新聞のスクープ報道に引っ張られた形なのだ。

朝日など他紙にも同じような「タレこみ」、
毎日は裏付けとれず記事化を見送り
 ところが、朝日新聞や毎日新聞、日経新聞の報道を見ると、森口氏は読売新聞以外にもこれら新聞の科学部担当記者に対して情報の「タレこみ」、売り込みの形で、取材や報道の誘いをかけていた、という。
このうち、毎日新聞は10月13日付の朝刊で、今年9月上旬に担当記者あてのEメールで「ヒトiPS細胞に由来する心筋細胞で重症心不全の患者の治療が予想以上に成功した。近く論文と学会で発表する」と書かれていて、記者が興味を持ち9月中旬に取材した。その後、確認取材で森口氏に倫理委の承認を得ているのか説明を求めたほか、倫理委のメンバーや手術治療の病院の取材窓口の話を聞こうとしたら、森口氏はあいまいにしか答えず「面倒くさいことになったな」と漏らした。担当記者は科学部デスクと相談し、確実な裏付けがとれないので、記事化しないことにした、という。率直に言って、正しい判断だ。

メディア誤報は枚挙のいとまがないほど多い、
確認取材の義務付けが大原則
メディアの誤報は過去、枚挙にいとまがないほど多い。今回の読売新聞の1面トップ記事のようなビッグニュースから始まって、10行程度のベタ記事まで、さまざまだ。悪質なのはねつ造か虚報か判断が難しいが、確信犯的な誤報だ。また錯覚や思い込み、勘違いによる誤報も意外に多い。今回のケースのようなスクープ狙いの誤報もある。ライバル他社との競合過程で新聞ならば夕刊や朝刊、テレビならばニュース放送時間のからみで一刻も早く出さないと抜かれてしまう、といったタイムプレッシャー要因のケースもある。

スピードよりも正確さを最優先する、というポリシーのもとに確認取材を義務付けるようにすれば、問題が起きない。私が毎日新聞から転職したロイター通信の場合、政策トップのワンソースでOKという例外ケースを除くと、原則は2つのソースから確認をとって記事にしていた。ロイター通信が通信社として100年以上、生きながらえたのは、そうした最低限2つのソースからの確認をとることを義務付けていたからだろう。

世の中を大混乱に陥れた森口氏の問題は今後、医学の世界でさまざまな議論がされるだろう。iPS細胞で世界に名をとどろかせた山中教授のカゲで、こういった森口氏のような同じiPS細胞での虚言問題が起きるのは何とも悲しいことだが、それとは別に、メディア、とくに新聞の報道は影響力が大きいだけに責任が重い。

中国は金融政策でジレンマ、引締め政策打ち出せば海外「熱銭」流入リスク 人民元高回避が狙い、人民銀行の為替介入で過剰流動性生じインフレ要因も

 中国は今、日本がデフレ脱却と財政赤字対策で身動きがとれない政策状況とは対照的な形で国内のインフレ火消しに躍起ながら、マクロ経済政策面でのカジ取りがとても難しい局面にある。中国経済のウオッチを続けてきた立場で、上海万博後の中国経済の話を102回コラムでレポートしたこともあり、そのフォローアップという形で、ぜひ、今回も取り上げてみたい。

金融政策は「緩やかに引締め的」なのに、公式には「適度に緩和的」から「穏健」へ
 結論から先に申し上げよう。中国は高騰する国内物価を抑えるため、金融引締め政策への転換を強く印象付けたいのが本音。現に今年10月に2年10カ月ぶりに貸出金利を引上げた。ところが、中国政府は、明確な金融引締め政策への転換という政策メッセージの発信を意識的に避け、金融政策運営に関しては「適度な緩和」から「穏健」な政策に変えるという慎重な言い方にとどめたのだ。理由は追加利上げ姿勢を明確にすると、熱銭と中国語で呼ばれる投機目的のホットマネーが金利高、人民元高を見越してドル売り・人民元買いの形で海外から流入し、とくに人民元高を誘発しかねないことを恐れてのものだ。

人民元高は、確かに中国の輸出などにマイナスとなる。しかし人民銀行が必死でドル買い・人民元売りの為替介入に向かえば、ドルの外貨準備が一段と膨れ上がると同時に、その分の過剰流動性が市中に出回り、インフレの火種をバラまく恐れが出る。そうなると、マクロ政策的には政策運営が苦しくなる。そこで、金利上昇や人民元高を見越したホットマネーの流入を抑えながら国内物価高への対策ということで、金融政策スタンスを事実上の「中立的」という、あいまいな表現にせざるを得なかった、と私は見ている。苦悩ぶりがはっきりとうかがえる政策運営だ。

引締め転換打ち出せないもう1つの理由、不動産バブル崩壊の引き金回避
 金融引き締めへの政策転換を明確に打ち出せないメインの理由は、このホットマネー流入対策だと、私は見ているが、もう1つ理由がある。それは、中国国内で広がる不動産バブルの動きに、金融引締めという強い政策メッセージを出せば、それが劇薬となってバブル崩壊の引き金になりかねないので注意深く警戒した、ということも見過ごせない点だ。

それにしても、中国はマクロ経済政策運営では不思議な国だ。日本と違って、中国の中央銀行である人民銀行は金融政策面で政府から独立というわけにはいかず、中国共産党の政策下にある。このため、マクロ政策はすべて共産党、そして共産党政権が財政政策も、金融政策もすべて決めることになっている。だから、日本で、中央銀行の金融政策は独立的に毅然と決めるべきだ、とか、いや日銀の金融政策は政府の財政政策運営と一体的に決めるべきだ、といった議論は、中国ではあまり通用しないのだ。

中国ウオッチャーからすれば、国内物価高対策から見て引締め姿勢を明確に、、、
 その金融政策は中国でどう変わったか見ておこう。12月3日の中国共産党政治局会議、そしてそのあとの12月12日の中央経済工作会議では、金融政策のスタンスを変えたが、いずれも金融引締め政策への転換を打ち出せていない。具体的には共産党政治局会議では、それまでの「適度に緩和的」とした政策スタンスから中立に近い「穏健」に切り換えることを正式に決めた。引締めという言い方は公式にはいっさいしていない。
続いて、胡錦涛主席ら中国政府首脳が一堂に会して年1回、マクロ経済運営の最終方針を決める中央経済工作会議でも同じだった。金融政策運営に関して「適度な緩和」政策から「穏健」な政策に変えるとしただけだ。

しかし、中国金融ウオッチャーたちからすれば、2010年の今年1年間の中国の金融政策の現実はむしろ「緩やかに引締め的」だった。しかも現状の中国国内の物価高、不動産バブルの要素が強い地価や不動産価格、さらに住宅価格の高騰を見れば、共産党および共産党政権は明確に「引き締め」政策に変えた、と厳しい姿勢で臨む方針を表明すべきなのだ。

預金準備率6回上げ、それでも効かず利上げ、これだけでも明確な引締め転換
 というのも、人民銀行は今年10月、実に2年10カ月ぶりに貸出金利を引上げた。同時に、人民銀行が商業銀行など民間金融機関の貸し出しをコントロールするため預金準備率についても、12月までの今年1年間で合計6回も小刻みに引上げた。この場合、ポイントは預金準備率を小刻みに引き上げてきたが、その効果がどうも効いていない、と判断して、中央銀行は10月に政策金利である貸出金利の引上げに踏み切った、と見るべきだ。経済ジャーナリストの私が仮に金融政策ウオッチのメディアの現場にいれば、躊躇なく中国の金融政策の大転換、カジを一気に引締めに切り換えた、と踏み込んで記事を書くだろう。
そればかりでない。人民銀行は日銀から学んだ金融引締め手法である「窓口指導」、つまり商業銀などの銀行融資を総額で抑え込む一種の行政指導を今年はひんぱんに行っている。預金準備率引上げも効くが、金融の現場からすれば窓口指導の方が中央銀行から直接コントロールなので引締め効果が大きいと判断したのだろう。

海外の熱銭はさまざまなルートで政策情報入手し巧妙に中国へ流入
 さて、本題の熱銭というホットマネーの海外からの流入リスクの問題だ。統計的には外国資本の流出入額などは国際収支でチェックできるが、こと、このホットマネーに関しては、いろいろな金融専門家やマーケット関係者に聞いても、アングラマネーでこっそりと入ってくる場合もあるし、巧妙な投資マネーという形で流入する場合もある。ただ、中国国内で共産党の政策中枢やそれにつながる国有企業などの幹部、その家族が海外にいる親戚や華僑仲間などに政策変更などの情報をこっそりと伝え、投機や思惑からドル売り・人民元買いで中国に入り込む、というパターンだ。人民銀行など中国関係当局が神経過敏になっていることは言うまでもない。

私の友人で産経新聞編集委員兼務論説委員の田村秀男さんは、著書「人民元が基軸通貨になる日」(PHP研究所)の中で、アングラマネーを動かす金融グループの中には中国共産党のインサイダー(内部情報保有者)がいて、彼らが人民元高誘発の仕掛け人でもある、と指摘している。

その手口の部分を著書から引用させていただこう。「中国のインサイダーたちは自国通貨の切り上げの詳細をいち早くかぎつけると、極めてたやすく巨万の富をフトコロにできるチャンスが生まれる。米国のヘッジファンドのようなプロのテクニックなど不要だ。インサイダーの多くは、党幹部と気脈を通じた国有企業の幹部たちやその一族だ。党幹部に直結しているため当局による制御が難しい。香港や米欧日などに資産を少なからず蓄えており、外から中国の不動産や株式に投資している」、「資本規制の厳しい中国から資金を持ちだす代わりに、ビジネス・パートナーであるAやその一族のBの銀行口座に移す。今度はその資金相当額の外貨をAやBの海外口座から引き出す。対中投資はこの逆のやり方で済む。帳簿上、輸出したことにして外貨を持ちこむ操作も、もちろん盛んだ」と。

中国は政策面でもガバナンスをきかせろ、というのが海外主要国の気持ち
 中国当局にしてみれば、海外のヘッジファンドなどとは別に、身内の中国人が政策ルートの利上げ情報などをいち早く入手し、それをもとにホットマネー操作でドル売り・人民元買いなどに暗躍され、あおりで金融政策が有効に働かないことをもっとチェックできないのか。法では動かず人で動く、いわゆる法治ならぬ人治の国は中国に張られた皮肉のラベルだが、中国も、ここまで世界中の注目を集める存在になり、マーケットにも影響を及ぼす存在になったのだったら、もっとガバナンスをきかせると同時に、政策面でもメッセージが明確に伝わるものにしてほしい、というのが海外の主要国、それに金融マーケット関係者の本音でないだろうか。

ところで、12月12日の中央経済工作会議では「物価水準の安定をより重要な位置に置く」とし、政府は物価高抑制には強い決意でいる、という政策メッセージを発した。こんなこと、当たり前だろう、と思われるかもしれないが、中国のような共産党政権のもとでは政権のシグナルは言葉のメッセージなのだ。つまり今の政権は、物価高騰を憂慮し低く抑えることに全力をあげる、というメッセージなのだ。しかし物価上昇を抑えるために、他の政策手段でもしっかり対応するから任せておいてほしい、と政策発信したにしても、物価高の状況は深刻なので、率直に言って苦しそうな感じがする。

中国は独り勝ち経済を望むが、暖房と冷房つける政策運営で矛盾
 しかし、その一方で、来年の2011年の国内総生産(GDP)成長率に関しては今年と同様、8%前後としながら、財政政策については積極的に対応し消費のけん引力を高めることを打ち出している。このあたりは早い話、極めて政治的な理由による。 つまり中国政府としては、実質経済成長率については2010年の目標に掲げた年率8%成長を超し10%近いレベルの成長率を確保できる。対外的には欧米先進国、それに日本が経済デフレにあえぎ、超金融緩和政策をとる中で、世界経済のけん引役を担う中国、あるいは独り勝ちの中国を浮き彫りに出来る。その状況を2011年も引き続き維持したい、そのためにもマクロ政策ではそろりそろり慎重に、しかし政策目標を達成するようにしたい、というのが偽らざる本音なのだろう。

だが、私から見れば、中国は暖房と冷房を同時につけて、温度管理に苦悩している、というふうにしか見えない。というのも、中国国内の民間金融機関は、人民銀行の窓口指導で貸出を抑え気味とはいえ、成長志向の強い地方政府が開発投資資金の調達に躍起でおり、そこでの資金需要の強さにどう対応するか、悩んでいる。それに、海外の熱銭がアングラマネーの形で、これら地方の開発資金需要に群がることは容易に想像できる。要は、中国共産党や人民銀行がはっきりしない政策ポーズながら、金融引締め政策に切り換えたのに、中国国内では物価高、インフレの温床が広がる、という政策矛盾が起きかねないのだ。

復興予算便乗流用、放置せず早くケリを 政治空白で、行政監視の遅れが心配

ご記憶だろうか。9月半ばのコラム198回で、私は、遅々として進まない東日本復興現場の現実をレポートした際、9月9日夜に放映されたNHKスペシャル「追跡 復興予算19兆円」が実にタイムリーな調査報道によって復興現場に潜む重大問題を浮き彫りにしている、と激賞した。そのNHK特集が報じたのは、復興予算の便乗流用問題だが、それが何と1か月以上たった今ごろになって、国会で大きな問題になっている。

当時のNHK特集報道によれば、東日本の復興に使われるべき国民の税金19兆円の一部が、復興予算に便乗して全く関係ないプロジェクトに使われ、被災地に届いていないというもので、これを調査報道によって、便乗流用予算問題が浮き彫りになった。他の新聞社や民放テレビ局が事実確認の取材に時間がかかったのか、すぐに反応しなかったが、しばらくしてから各メディアがキャンペーン報道に転じ、事態が動き出し、国全体を揺るがす問題になった。その意味で、メディアが果たす役割は間違いなく大きいものだった。

NHK特集報道がスクープかと思ったら、
実は週刊誌でフリー記者が独自報道
 ところが驚いたことに、このNHK特集報道が、実はスクープではなかったことを最近、知った。東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏がネット上の「現代ビジネス」の「ニュースの深層」欄で、その事実を取り上げているのを見て、「えっ、本当か」と驚いた。私以外に、大半のメディア関係者はたぶん、NHK特集のスクープだと思い込んでいたはずだ。

その「ニュースの深層」では、1か月前の週刊ポスト8月10日号でフリーランス記者の福場ひとみさんがポスト誌編集部と共同取材して記事を書いており、その内容がNHK特集で取り上げられた沖縄の国道の補修工事など数々の流用問題だった、という。NHKが後追い取材だったわけだが、福場さんは長谷川さんのインタビューで、復興予算流用問題に関心を持ち、検索ネットGOOGLEで復興予算がらみの「各目明細書」、つまり「東日本大震災復興特別会計歳出暫定予算予定額各目明細書」という長ったらしい項目へのアクセスに成功し、問題に行き着いたと述べている。こちらが文字どおりの調査報道だ。

政治家はメディア報道であわてて復興便乗予算流用に重い腰上げたのが実態
 問題がやや横道にそれてしまったが、NHK特集報道、追随した各メディア報道によって、政治家たちが反応し始め、国会での問題となったことだけは間違いない。政治家にとっては、当面の大きな彼らのテーマである解散総選挙がらみで、有権者の反応が自身にも跳ね返ってくることを意識してか「これは問題だ」と、国会閉会中の決算員会で取り上げた。これによって、やっと本格的に火がついてきた。大震災で復興が遅々として進まず、現場の関係者の間で苛立ちが増しているというのに、何とも対応が遅かった。この国では、どこか歯車がかみ合わず、物事が動いていないと言わざるを得ない悔しい現実だ。

さて、そんな中で、私は最近、宮城県石巻市や仙台市の大震災の復旧・復興に取り組む現場を見る機会が、1か月ほど前に続いて再度、チャンスがあったので、レポートを交えて、復興現場の課題を今回、もう一度、続報の形で取り上げよう。復興便乗の形で予算要求している霞が関の行政機関の行動には当然、強い反発があったのは言うまでもない。

野田首相の解散明示問題に政治エネルギー費消され、
復興の先送りこそリスク

 その前に、率直に言って、政治家の対応は遅すぎる。平野復興相が国会の決算委員会で、復興問題の担当大臣として、予算担当の財務省に実態調査を求めると同時に、内閣府にある行政刷新会議と連携して、便乗で転用された復興関係予算の検証に乗り出す、と表明した。しかし、現実問題として、臨時国会が召集される10月29日までの間、実にムダな時間の浪費が続いたうえ、国会開会された後も与野党間では、たぶん野田首相の解散時期の明示をめぐる政治的な駆け引きにばかりエネルギーが費消される可能性が強い。

とくに、自民党や公明党の野党側は国会開会冒頭から、復興現場の人たちにはおよそ無縁と言っていい衆議院の解散時期の明示を、最大の政治課題と言って主張するのは目に見えている。これに対して野田首相は、政権としての最大の課題である特例公債法案の審議・採決が先決だとして譲らず、結果的に、話し合い解散に持ち込む事態を回避するのに躍起になるのでないだろうか。

与野党は非常事態と判断し特例公債法成立を優先、
黒白は総選挙で有権者に問え
あげくの果ては、野党側の審議拒否で、結果的に、政治空白が続いてしまう。そればかりか、大きな問題になっている復興予算の便乗転用問題が十分に議論されないうえ、特例公債法案の審議・採決が遅れて、あおりで今年度予算の執行に影響が出て、地方交付税支出が執行されず、被災地復興もどんどん遅れる、といった馬鹿げた事態になりかねない。

そこで、私は申し上げたい。与野党間で、今年度予算にからむ特例公債の中身の問題に関しては、一時的に問題棚上げし、まずは特例公債法案の審議・採決に応じて成立を期す、それによって東日本大震災の復興関係予算、東電原発事故災害対応の予算のうち、最優先で支出せざるを得ない予算の執行を行うことがまずは必要だ。

立法府は今こそ行政監視の役割果たせ、
復興便乗予算チェックの内容公開を
 それと並行して、いま問題になっている復興に便乗した予算の中身を徹底的にチェックし、明らかに筋が通らないものに関しては執行停止なり、予算組み替えを行う、同時に来年予算の概算要求段階で出ている予算に関しても見直しを行う。もし便乗していて不要と思われるものがあれば、予算要求を撤回させる。そして、これらの予算チェック内容を公表することだ。実は、これが必ずあとあとで、大きな意味を持ってくる。

つまり官僚が、もし民主党政権のレームダック状態を見て、目につかないように知らぬ顔で復興予算に便乗して、自分たちの都合のいいように予算要求していたとしたら大問題だ。立法府はこういった時にこそ、行政監視の役割を果たすことが重要になる。政治家が官僚いじめに終始するのではなく、毅然とした姿勢で、官僚はパブリックサーバントであって、役所の省益のために行動するものではない、ということを予算修正で示すのだ。

石巻の漁業関係者「政治家がばらまき予算に道筋、
官僚抑え込めるのか」と指摘
 肝心の東日本の被災現場の復興状況のレポートが遅れてしまった。今回は、宮城県内で被災度が大きい石巻市に行き、いろいろな関係者に会って話を聞く機会があったので、その話を中心に問題や課題を述べよう。このうち、霞が関や政治家に人脈を持つ漁業関係者の1人は、復興便乗予算の問題に関して、与野党の政治家が総選挙を意識して復興予算に抜け道をつくったのだから、官僚の予算づくりを攻め切れるのか、と鋭い指摘をしている。

「民主党政権のみならず政治そのものが、はっきり言って官僚になめられている。とくに民主党政権が復興基本方針づくりに際して自民、公明両党に妥協せざるを得なかった。野田首相が復興につながる日本経済全体の再生、そして次の災害予防につながる防災対策ならばOKと予算化で譲歩することにしたのだ。官僚は、解散総選挙を意識した政治家のばらまき予算への布石を見ているから、『よし、俺たちも巧みに予算を盛り込み、日本再生のために必要な予算措置だと言えばいい』と踏んでいる。政治家は、メディア批判に応えて対応するのだろうが、どこまでやれるのかね」と、意外に冷ややかだった。

立法府は行政監視が必要、
毅然として官僚の悪乗り便乗型予算にけじめを
確かに、この復興便乗予算の流用問題は、議論し始めると、根が深い問題かもしれない。と言うのは、この漁業関係者が指摘する通り、政府の復興基本方針づくりに際して、「大震災を教訓として、全国的に緊急で即効性のある防災、減災などのための施策」を「全国防災対策費」として予算計上することが明記されているからだ。これは自民党、公明党の修正要求を受け入れたものだ。しかも野田首相が復興を支える日本経済の再生につながる予算化にも道を拓いている。このため、官僚が理屈をつけて正当化した場合、それぞれの行政所管の担当大臣はどう対応すればいいか、といった問題になりかねない。

しかし、ここは政治が毅然として、官僚の悪乗り便乗を許さない、という姿勢で臨むべきだ。すでに述べた通り、立法府の行政監視という点を軸に、明らかに便乗と思われる拡大解釈の、いい加減な便乗予算要求に対しては、立法府の政治家が厳しい論理で仕分け、整理をすることが間違いなく大事だ。その漁業関係者は「われわれとしては、復興がらみで優先してほしい予算がいっぱいあるので、バッサリ大胆にやってほしい。問題は、政治家が官僚に負けないようにやってくれるかどうかだ」と手厳しいが、まさに立法府の見識が問われるところだろう。

石巻市で予算確保できても下水道入札で参加事業者少なく復旧進まずのケース
 ところで、被災自治体はどこも復興がらみで予算はいくらでも、それこそノドから手が出るほど欲しいのは間違いない事実だが、石巻市で復興行政に携わる震災復興部次長の堀内賢市さんから、意外な話を聞いた。
要は、予算財源を確保して、下水道復旧工事、とくに地震や津波で切断された下水道管の配管工事の入札をすると、最近は入札参加する事業者が予想外に少なく、落札される回数がめっきり減っている。当初は石巻市内の事業者に限定していたが、現在では入札機会を増やすために県内、さらに県外へと事業者の枠を拡げる入札条件の緩和措置を講じている。それでも、集まりが悪く、下水道工事の復旧がなかなか進まない、というのだ。

堀内さんは「いざ工事をしてみて、入札条件以外の必要工どが見つかった場合、逆に自分たちの負担増になるケースもあり、工事を引き受けるうまみがないとか、さらには資材や人手の確保も十分でないため、工事に入札参加できないというケースもあって、復旧工事が全体的に進まない。予算は確保していても、予期せざる現実で困っている」という。

復興庁が復興交付金査定で完璧な計画書にこだわり被災自治体が身動きとれず
また、別の復興プロジェクト関係者によると、被災自治体として、復興のための交付金申請を復興庁に対して行うが、復興庁は、査定段階でしっかりとした復興計画案がなければ、認めにくいと突き放す。被災自治体側にすれば、まずは復興予算確保が先決であり、完璧とはいかないまでも、それなりの計画の裏付けのある申請を行ったつもりでも、そこのミゾが埋まらずに、肝心の交付金交付が進まない、というのだ。

最近、被災自治体では、こういった事態に対応するため、副市長クラスに霞が関の行政官庁、たとえば財務省、総務省、国土交通省などから人材を得て、中央行政官僚の発想で自治体の復興計画にアドバイスを得ようとするケースが出てきた。復興庁の予算査定パス対策も関係する。宮城県では石巻市や気仙沼市などがそれで、企画力だけでなく永田町や霞が関に人脈ネットワークがある人材を確保することで、狭い自治体の復興計画から抜け出そうと言う動きが出てきたことは、とてもいいことだ。国と県と自治体の間の目詰まりを少しずつながら、なくして復興に弾みをつけることが大事と気がつき始めたのだ。

ASEAN10カ国に連携で勢い、2015年共同体設立も決して夢でない 中国経済独り勝ちへの警戒も背景、内向き日本は取り残されるリスク

 日本は、国内政治がますます内向きになってしまっていて、大丈夫なのだろうか。というのも、日本の外のアジアでの地殻変動に目を配る余裕がないと、アジア新興国の勢いのある動きに対応できず、取り残されるリスクが高まってくるからだ。私がメディアコンサルティングでかかわるアジア開発銀行研究所での年次総会を兼ねた政策シンポジウムで、東南アジア諸国連合(ASEAN)の大学やシンクタンク、政策立案に関与する人たちの議論がとても熱っぽく、加盟10カ国間に地域差、経済力の差があるASEANながら、目標に掲げる2015年の共同体設立も決して夢でないかもしれないと思えたのだ。

ASEANは、ご存じのように東南アジアのタイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーのメコン川流域5カ国を軸にインドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、ブルネイを含めた10カ国からなる。国家の政治体制はそれぞれ異なるし、経済の発展段階もタイ、シンガポール、マレーシアに比べてミャンマー、カンボジア、ラオスの国内総生産(GDP)、1人あたりの国民所得レベルが低い。そのASEAN10カ国が2年前の2008年12月につくった憲章で2015年までに「安全保障」「経済」「社会・文化」の3つの共同体の柱からなる「ASEAN共同体」を実現すると宣言している。

先行加盟6カ国がリード役、ベトナム除きミャンマーなど3カ国が続くか
 このうち、大きな焦点になっているのがASEAN経済統合だ。この統合の前提となるAFTAというASEAN自由貿易地域(FTA)がシンガポール、ブルネイ、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピンの先行6カ国でつくられ、2010年までに域内の貿易に関する関税を撤廃して経済面での国境をなくす計画だ。この6カ国は2010年1月20日に中国との間で、貿易取引される品目の90%について関税ゼロにするASEAN・中国FTAという自由貿易協定を始動させており、中国に触発される形で6カ国の広域自由貿易経済圏が出来た。この6カ国がある意味で後発4カ国を引っ張るリード役だ。

ASEAN加盟では後発の残るカンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムの4カ国が足並みをそろえれば、ASEAN経済統合が実現する。率直に言って、ベトナムはここ数年、着実に経済力をつけており問題ないが、残る3カ国が国内に課題を多く抱えているため、絵に描いたモチになるのでないか、というのが大方の見方だ。

それでもASEANでは2015年の「ASEAN共同体」目標に向けて、これら4カ国も2012年までに同じく関税撤廃に踏み切り、先行6カ国に足並みをそろえること、そして最終2015年度までに関税以外の分野でのさまざまな非関税障壁といわれる制度などを外して、文字どおり単一の地域経済市場、経済共同体に持ち込む、という計画を変えていない。あと5年で、政治制度が異なり、経済面での地域差も大きい10カ国が足並みをそろえることが可能なのだろうか、という懸念が残る。

ASEANにとってラッキーなのは中国やインドとの相乗効果で経済に勢い
 しかし、ASEANにとってラッキーなことは、経済のデフレリスクを抱える欧米諸国と違って、経済全体に勢いがあること、とくに中国やインドの経済成長とリンクする形でASEAN地域でも生産や消費の伸びが活発化し一種の相乗効果が生まれていること、ASEAN域内でも貯蓄率も上がっており、今後の経済成長に弾みをつける道路、港湾などさまざまなインフラビジネスへの投資につながっていくことが期待できることだ。

とくに、中国やインド、それに韓国、日本の企業がASEANの相対的に割安な労働力の活用と中流所得階層の消費購買力期待から洗濯機、冷蔵庫、テレビなどの家庭電気製品や小型・軽乗用車、それ以外の生活関連の消費財の現地生産に踏み切ったことが生産と消費のスパイラル的な拡大につながっている。

だから、ASEAN各国としては、域内でスクラムを組んで経済地域としての競争力を強化し、それによって同じ地域内の経済格差を縮小につなげる努力を図るべきだ、というコンセンサスが出来上がりつつある。これは間違いなく経済成長のプラス効果だ。面白いもので、経済に勢いや弾みがつくと、それぞれの国々に貧困や格差など解決を迫られる課題を多く抱えていても、ASEAN全体で連携し広域経済圏をつくり、それぞれが助け合う制度的な枠組みも整えれば、問題解消につながるだろう、という自信を生みだしている。これが同時に、ASEAN経済統合を促進に向かわせるインセンティブ(誘因)になっている。

アジア金融危機がASEAN結束強化、自由貿易協定づくりを促したとの声
 今回のアジア開発銀行研究所でのシンポジウムでは、1997年から98年にかけてアジアを襲った金融危機がASEANの結束力を強め、結果として危機がプラスに働いたことを強調する声が多かった。事実、外貨を互いに融通し合うチェンマイ・イニシアチブ制度やアジア域内で産業資金を調達しあうアジア債券市場づくりなどが出来上がった。そればかりか関税撤廃という、下手をすると国内産業にダメージを与えかねないリスクを呑み込んでもASEANの域内各国間の経済国境を取り外す自由貿易協定の締結に踏み込んだ。

ある経済学者は「自由貿易協定はASEANの域内生産ネットワークの拡大、市場アクセスを拡げる効果をもたらしたが、ASEANと中国、インド、日本などとの協定にとどまらず域内各国が個別に域外の国との二国間での協定も結んだため、俗にいわれるスパゲッティのように絡み合った複雑な協定になってしまっている。この際、自由貿易協定をどう整理統合を含めて管理するかが課題だ」と述べていた。

ASEANを広域連携や成長のプラットフォームにすべきだとの指摘は頼もしい
 しかし、その一方で、米国が主導で新たに登場した環太平洋経済連携協定(TPP)にはマレーシアン、ベトナムも名乗りをあげている。これについては、別の経済学者は「ASEANの自由貿易協定とTPPは対立しあうものでない。補完し合えばいい」と柔軟に受け止める意見も出ていていたのも興味深い点だった。

それよりもASEANも大きく変わりつつあるな、経済の勢いがもたらしたプラス効果だなと印象付けたのは、ASEANという広域の地域経済の枠組みを新たな成長のプラットフォームにしていくべきだという意見、さらには10カ国の政治体制を含めた主権と地域の経済統合をどうするか真剣に考える時期に来ているという指摘があったことだ。いずれも2015年の「ASEAN共同体」を意識した意見だ。
中には、世界貿易機関(WTO)や国際エネルギー機関(IEA)、国際通貨基金(IMF)のアジア版をつくって、アジアが地域レベルで先行して連携の枠組みをつくるのも一案だ、といった声も出ていた。

これだけ申し上げると、ASEANの2015年共同体、経済統合に向けて、少し楽観的過ぎるのでないか、というご指摘もあるかもしれない。正直なところ、私自身はASEAN10カ国の内部での地域差、経済力格差を克服できるか、さらには政治体制が異なる主権国家の経済先行の地域統合がどこまで可能か、今後5年間で一気に、それらの課題を克服できるか、という懸念を持っていることは事実。

アジア開発銀行研究所がアジアの政策担当者に議論交流の場提供は重要
 ただ、このシンポジウムにはASEANの大学教授、シンクタンク関係者らだけでなく中国、日本、豪州、さらにはカナダ、米国のアジア系学者の人たちも加わってのものだったが、公的な地域開発金融機関のアジア開発銀行の戦略シンクタンク、アジア開発銀行研究所が将来の地域経済統合などに向けて、さまざまな課題を克服するためのセミナー、シンポジウム、ワークショップなどの場を提供し議論交流している。

各国の政策担当者が時には同じようにセミナーなどでそれぞれの国の利害を離れて、政策ツールを勉強し、磨き合うこともある。今回のシンポジウムも、そういった意味でASEANの2015年共同体実現への課題に向けての議論交流にはプラスだった、と思う。アジア開発銀行という地域が共通に頼る地域開発金融機関だからこそできる政策調整、議論交流の場の提供かもしれないが、私に言わせれば、日本がいい意味でのリーダーシップをとって、アジア、あるいは地域をしぼってASEANの地域統合に向けた枠組みづくりの手助け、バックアップをすればいいのだ。そうすれば、新興アジアからは頼もしい日本という評価を得る。

ASEANは中国の南下戦略に恐れ、日本に対しバランサ―の役割を期待
 実は、最近、ジェトロ(日本貿易振興機構)のアジア地域事務所の所長クラスからアジア経済の現状を聞く機会があった。私はその場で「いま中国の経済独り勝ちの様相が出てきている。ベトナムがあえてTPPへの参加したのは、ある面で中国の南下戦略、それも経済の高成長を背景にした大国主義的な経済行動へのけん制的な意味合いがあるのでないか。その意味で他のASEAN諸国の中国に対する見方は警戒姿勢なのだろか」と質問したところ、次のような答えだった。

「中国のASEANへの南下戦略、とくに中国企業のさまざまな形での進出を脅威と見る国々が目立つ。日本のプレゼンス(存在)の低下と対照的に中国のASEAN全域での存在はある意味で脅威になっていることは事実だ。タイは中国とインドとのバランスをとりながら対応している面があるが、インドの力があまり及ばないASEANでは日本にバランサー、拮抗力の役割を期待している。しかし最近の日本の動きに関しては期待が裏切られるといった厳しい評価もある」と。

ASEAN諸国にとっては、中国の巨大な市場は、ある面で相互貿易交流の場として重要であり、現にプラスになっているが、その半面で、中国が高成長を背景に経済覇権攻勢をASEAN全域にかけてきて、市場を席巻していくのでないかという警戒心が強いことも事実だ。日本が内向きになってはいないでASEANに連携の手を強くさしのべてほしい、中国の行きすぎた動きにブレーキをかける役割を果たしてほしい、という気持ちがあることは間違いない。みなさんは、この点、どう思われるだろうか。

iPS細胞ダブル誤報から何を学ぶ? メディアにとっては他人事でない話

新聞社や通信社、テレビ局のメディアにとって、ライバルメディアとの競争を意識しながら必死で取材しスクープ記事だと思い込んでいたら、取材不足やニュース判断の甘さが原因で、実は誤報だったと判明した時のショックは、本当に大きい。それでも商業メディアの宿命として、批判覚悟で、引き続き報道や情報発信を続けねばならない。その場合、信頼回復、再発防止への取り組みと平行してのことだけに、とても辛いものがある。

前々回202回コラムで取り上げた10月11日付の読売新聞朝刊での「iPS心筋を移植 ハーバード大日本人研究者 米国の心不全患者に初の臨床応用」の誤報がそれだが、追いかけた共同通信と産経新聞も夕刊段階でタイムプレッシャーにかかり、その誤報を十分にチェックし切れないまま、後追いの形で事実のように報じてしまった。このため、前代未聞のダブル誤報になってしまった。

読売新聞の再取材踏まえた2度目の検証は重要だが、
信じられない組織ミス判明
 ダブル誤報は、私のメディア現場経験でも考えにくいことだが、山岳遭難のための救援隊が視界不良の猛吹雪で運悪く二重遭難に出会ったのと同じだ。しかし報道機関のダブル誤報はメディアに対する信頼を損なうものだけに、私を含めてメディア報道にかかわる人たちは改めて、これらの誤報から何を学ぶかが大事だ。同時に、メディアへの信頼回復のためにも誤報問題をフォローアップし、教訓として受け止めることが絶対に必要だ。

そんな矢先、読売新聞が誤報から2週間たった10月26日付の朝刊で、13日付朝刊での誤報検証に続き2度目の検証記事を出した。読売新聞は、この検証にかなりの時間をかけ、森口氏にも再取材を行っている。あえて恥部をさらけ出すかのように、今回の取材報道で何が問題だったかを明らかにしている。信頼回復のためには乗り越えねばならない道ということでの決断だったのだろうが、その内容を見る限り、率直に言って、「えっ、そんなことをやっていたのか」という、信じがたい現場の判断ミス、組織ミスがあった。

「ホー・レン・ソー」の連絡コミュニケーションがなく、
現場もデスクも互いに思い込み
そこで、今回のコラムで再度、この問題を取り上げ、メディアで現場取材にかかわる私の立場で独自に検証してみたい。他のメディアにとっても他人事ではない問題だ。同時に、多くの企業関係者、一般の人たちにも決して無縁でない、一種の大組織病のような問題が潜む。「失敗の研究」という意味でも、ぜひ、一緒に考えていただきたい。

結論から先に申し上げよう。その検証記事によると、誤報を生んだ最大の問題は、記事を書いた科学部の現場記者とキャッチャー役の本社の科学部デスクとの間で、一種のミス・コミュニケーションがあったことだ。早い話が、ホー・レン・ソーと言われる報告・連絡・相談の連携コミュニケーションが十分でなく、お互いで、たぶん、相手は対応しているだろうな、という思いこみが先行し、ひんぱんに連絡し合わなかった。これが誤報というリスクをもたらしたのだ。現場記者のヒューマンエラーというよりも組織エラー、組織事故だった、と言っていい。言ってみれば大組織が陥りやすいリスクだ。

読売新聞現場記者の「6項目の疑問点」は正しかったのに、
あとの対応に問題
 読売新聞の検証記事によると、具体的には、虚言癖のある研究者の森口尚史氏から現場記者に対して、情報
の売り込みが9月19日にあった。その後、森口氏から10月1日にも細胞移植手術の動画と専門誌に投稿予定の論文草稿をつけたEメールが送られてきた。現場記者はそれを読んだあと、同じ10月1日に医学担当デスクに対し「扱いの難しい取材対象がある」とEメールで連絡すると同時に、次の6項目の疑問点を挙げた、という。

1)(森口氏の)動物実験の論文が未公表、2)臨床実験を確認したという人に(現時点で)当たれない、3)ネットで米ハーバード大での(森口氏の肩書や)所属を確認できない、4)iPS細胞とは別の細胞が働いた可能性がある、5)世界的な大ニュースが(ロックフェラー大の科学研究発表会場の)ポスター発表にとどまるのは不自然、6)iPS細胞由来の細胞移植がハーバード大で許可されるのかどうか、という点だ。

デスク陣が「現場記者が裏付け取材しているはず」
と勝手な思い込み判断も問題
 この疑問点を見る限り、現場記者の指摘は当然で、正しい判断だ。現場記者は、さらに別の医学担当デスクら3人に対しても同じEメールを送っており、現場とデスク間の情報共有に関しては、そつなく行動している。ここまではOKだが、問題はそのあとだ。 検証記事によると「科学部の記者は、デスクにメールで疑問点を伝えたことで『安心してしまった』と言い、森口氏から動画を含めさまざまな資料を示されて説明を受けたあとは、専門家1人に見解を求めた程度で、当初の疑問が解消されたと思い込んだ」という。

他方で、「メールで取材内容を共有していたデスクらは『記者が裏付け取材をとっているはずだ』と誤解し、詳しい説明を求めなかった。デスクの指示がないことで、記者は自身の取材内容を十分と受け止めてしまった。双方の認識の違いが誤報を生む大きな要因となった」と検証記事は述べている。

現場記者は森口氏に巧みに「他のメディアに先を越されるぞ」
と口説かれた?
 私が推測するところ、現場記者はEメールで書いた現場記者の疑問点に関して、デスクの意見や指示、先輩記者としてのアドバイスなどがなかったため、そのまま3日後の4日午後に森口氏に会い6時間に及ぶ取材を行った。そこで、情報の売り込みに躍起の森口氏は、たぶん、熱っぽく、この現場記者に都合のいい話ばかりして、疑問点は大した問題ではない、そんな疑問点にこだわっていると、他のメディアに先を越されるぞ、といった趣旨のことをしゃべり、読売新聞の現場記者にスクープ記事だと思い込ませる方向に仕向けたのでないかと思う。

しかし、ここで、いくつかの組織上の問題がある。メディアの現場に長くいた私の経験を踏まえた問題意識で言えば、読売新聞が、この森口氏の売り込み情報に関して、山中伸弥京都大教授の新型万能細胞と言われるiPS細胞の製造でのノーベル医学生理学賞受賞にからむビッグニュースだと判断したのならば、なぜ、科学部の現場記者1人の取材にすべてを委ねるというのではなく、科学部の他のベテラン記者を動員してのチーム取材の体制を組まなかったのか、と言うことだ。

最大の問題はスクープ価値あるなら、
なぜチーム取材体制とらなかったのかだ
 また、内容次第では社会部、経済部、国際部などを巻き込んだ大掛かりな話になったかもしれないのに、科学部だけにとどめたのはなぜか、と言うことだ。メディアの取材で重要なのは、ワッと騒いで大掛かりな集中取材を行うことによって、確認取材に幅が出来る。同時に、今回の場合で言えば森口氏の虚言が十分にチェックできたはずだ。

続いて、今回の科学部デスクと現場記者の間での狭い範囲での取材結果を踏まえたスクープニュースの価値判断に至るまでのプロセスでも問題が多かったと考える。まず、現場記者とデスクとの間のコミュニケーションの問題がある。たとえば現場記者が6つの疑問点を持っていたことに関して、デスクサイドは、医療担当デスク以外にもEメールで複数のデスク間で情報共有していたのだから、デスク同士で議論し、現場記者に対して取材の指示や注文してしかるべきだった。

デスク同士の情報共有度合い、
現場記者交えての議論内容が知りたい
 また、現場記者の6時間に及ぶ長時間取材に関して、前回のコラムでも指摘した点だが、森口氏から、米国での最初の手術成功例の34歳の男性、さらに手術に立ち会った複数の医師の名前を聞き出す形で確認取材すべきだったこと、仮に森口氏が「なぜ、そんなことにこだわるのか、信用しないのか」と反発したら、それ自体をデスクに報告して、補強取材の判断や指示を待つということも重要だったのでないだろうか。

同時に、デスクも、森口氏からの取材や発言の内容を現場記者から報告の形で受けて、意見交換、あるいは議論をすれば、問題の所在が明らかになり、ミスを防げたはず。ところが、これらに関して、読売新聞の2度にわたる検証記事では鮮明になっていない。このデスクと現場記者との間での十分な取材内容の検証、それを踏まえて、どういった点でスクープニュースだとの価値判断を行ったのかが見えてこないのが残念だ。

科学部だけでなく編集全体でスクープニュース判断に至った経緯が
不透明
 また、10月13日付朝刊での読売新聞の最初の誤報検証では、「科学部長(当時)は『物証は十分か』と確認したうえで、できるだけ早い(紙面)掲載を指示した」とあったが、この部長と担当デスク陣、さらに現場記者との情報交換の回数や意見交換の中身、それらを踏まえた科学部長の最終判断内容が今回の2度目の検証でいまひとつ明らかでない。
そういった点で、デスクや部長の十分な確認取材指示が希薄であり、どちらかと言えば、ライバルメディアとの競合を意識して、早く記事化を、という形で、科学部の編集幹部自身にスクープ狙いへの傾斜が強かったのでないかとも勘繰りたくなる。

もう1つ、誤報検証が不十分なのは、新聞社では夕刊や朝刊の紙面づくりに向けて、編集局の各部門のデスクら幹部が参加しての編集会議で、ニュースの1面トップ記事などをめぐって議論をかわすが、この点に関しても、当時の読売新聞の編集会議ではどんな議論が交わされて、「よし、あすの朝刊トップニュースは科学部の記事でいこう」という最終判断になったのか、判然としない。その議論の過程や検証がないと、トカゲのしっぽ切りのような形で終わってしまい、本当の意味での再発防止につながらない。

科学ジャーナリスト小出さんもチーム取材で臨むべきだったと
組織判断ミス論
 原発報道の検証セミナーで知り合った元NHK解説委員で、現在も科学ジャーナリストとして活躍されている小出五郎さんは、今回の読売新聞の検証記事で、コメントを求められ、私の問題意識と同じように「事実であれば世界的ニュースと、とらえたのだから、取材チームをつくるべきだった。複数の記者に疑問点を取材させ、慎重な判断を下していれば、森口氏のうそは見破れただろうと述べている。

Eメールで私と意見交換した中で、小出さんはさらに「現場が五感を通じて真実に近い情報を常に持っている。スクープになるかもしれないとの勘が働くときには現場感覚尊重の取材チームをつくって、臨機応変にチームをつくれるかどうかが組織として重要だ」と述べると同時に、今回の誤報の反省は必要だが、果敢に取材する姿勢だけは失ってほしくないと述べている。そのとおりだ。

小惑星探査機「はやぶさ」の貴重な成功、科学技術立国に活かすべきだ 宇宙開発への政策判断、技術ソフトパワー力向上につなぐマネージメント必要

 日本が打ち上げた小惑星探査機「はやぶさ」の成功というのは、知れば知るほどすごい快挙だ。なにしろ7年間という長い宇宙での航海で、故障などさまざまな難題、トラブルを抱えながら、そのつど何とか切り抜けて地球帰還をめざし、最後は大気圏に再突入した段階で摩擦熱によって燃え尽きてしまう。しかし「はやぶさ」はその前に、日本の研究陣が待望していたカプセルを地球に向けて投下することを忘れなかった。そのカプセルの中には宇宙の微粒子が入っていて、今後の研究成果に世界中の期待が集まっている。ドラマチックな地球帰還だが、まさに日本の技術力のすごさを見せつけた、と言っていい。

実は最近、この「はやぶさ」の技術開発にかかわった関係者の話を聞くチャンスがあった。そして、それに刺激を受けて、プロジェクトマネージャーの宇宙航空研究開発機構(JAXA)教授の川口淳一郎さんが書かれた「はやぶさ、そうまでして君は――産みの親がはじめて明かすプロジェクト秘話」(宝島社刊)、さらにノンフィクション作家の山根一真さんの「小惑星探査機はやぶさの大冒険」(マガジンハウス社刊)を読んでみた。その結果、科学者や研究者、さらに極限状況にでも耐えられるようなカプセルの機器開発に加わったモノづくりの現場の技術者の人たちの苦闘などを知ると、日本はいま、閉そく状況に陥っているとはいえ、日本というのは、ゴルフでいえばリカバリーショットが打てる力を十分に持っている、捨てたものでないと思った。率直な気持ちだ。

総指揮官の川口さんにとっての苦悩、「はやぶさ」行方不明で運用停止判断も
 前線の総指揮官とも言えるプロジェクトマネージャーの川口さんの苦悩ぶりがよく伝わる部分がいっぱい著書の中にある。たとえばこんな部分もある。
「無事に帰還させるためには燃料漏れを止め、『はやぶさ』の姿勢を安定させなくてはいけません。ところが事態は急転します。それまでの燃料漏れで化学推進エンジンの燃料、ヒドラジンがすべてなくなっていたのです。しかも根元のバブルそのものが壊れていて二度と開くことはありませんした。想定していた中でも最悪の事態でした」「一般企業と同じで、JAXAも新年度の予算を検討することになりますが、行方不明の探査機を運用するコストは、真っ先に削減対象にされかねません。全システムが停止し行方不明になった惑星探査機が再発見されたことなど、前例がありません。『はやぶさ』に対して運用停止の決定が下されても、何の不思議もない状況でした」

46日目に突然、SOS信号が管制室に届いた時には感動したと川口さん
 ところが地球から3億キロのかなたの宇宙で行方不明になった「はやぶさ」のSOSが文字どおり奇跡的に川口さんらに届く瞬間のくだりもすごい。「最悪、運用停止という言葉も頭の片隅に残しながら管制室で作業にあたっていました。そんな折、電波が届いたのです。担当のエンジニアがモニターをチェックしていると、電波を監視しているスペクトラムアナライザーが示す雑音の波形のなかに、1か所だけ、上に伸びている線スペクトルが出てきました。雑音と一緒に入って来る紛らわしい他の電波かもしれない。でも、ひょっとしたら、、、。そう思って詳しく調べることにしました。(中略)「『はやぶさ』からのものと思われる電波が受信されました。安定しています」というのです。しばらく、声が出ませんでした。「確認したのか?本当に間違いないのか」。電波は切れ切れにしか受信できていませんでした。燃料漏れがよほど激しかったのでしょう。(中略)通信途絶から46日目。最初は信じられませんでした。でも、担当スーパーバイザーが間違いなく確認したのです」と。

科学技術立国づくりへの戦略的チャレンジを、官民挙げ研究開発投資絶やさずに
> こういった形で、川口さんの一喜一憂ぶり、苦悩が一転、歓喜に変わったりするという感動のドラマが、著書の随所に描かれている。ぜひご一読を勧める。ただ、私が、今回のコラムで取り上げたいことは、実は別にある。「はやぶさ」の貴重な成功の裏にはさまざまな課題もあるが、この成功体験を活用して、日本が科学技術立国づくりに戦略的にチャレンジするという政策判断を強く打ち出し、同時に技術革新力をソフトパワーにするためのマネージメントの確立が大事だ、ということを申し上げたい。もちろん、その場合、政府はもとよりだが、民間企業も科学技術力を高めるための研究開発投資にエネルギーを注がざるを得ない。

私は10回目の科学技術立国に関するコラムでも少し言及したが、財政状況が厳しくなると、政治家も官僚も結果がなかなか出ない基礎研究などについては、実に冷ややかになり、せっかくの長期的な成功の芽を摘んでしまうリスクが出てくる。ある大学の研究者が以前、「国も財政状況が厳しいためか、開発研究の助成について3-5年で結果を出してくれとうるさい。要は、予算を出す側が成果主義を求める。しかし科学の研究なんて、すぐに結果が出るわけじゃない」と述べていたのを思い出す。

ポスト第3期科学技術基本計画に期待したいが、政権不安定で先行き見通し難
 政府の科学技術・学術審議会は1年前の昨年2009年12月に「我が国の中長期を展望した科学技術の総合戦略に向けて――ポスト第3期科学技術基本計画における重要政策」というのを出した。しかし率直に言って、民主党政権が厳しい財政状況に加えて、政権基盤が不安定なために、どういった政策展開になるか、まだ見えない。
ポスト第3期計画の前の2006-10年度の第3期計画では、研究開発予算を25兆円想定していた。しかし少し古い数字だが、計画期間の07年度だけを取り出しても、日本の研究開発予算が3.5兆円止まりなのに対し、米国が円換算で17兆円、中国が10兆円とケタ外れに多かった。財政状況が厳しいとはいえ、日本の戦略的な強みのソフトパワーでいえば、技術革新力のもとになる科学技術の研究開発予算にはしっかりとした戦略判断が必要になるべきだ、と思う。

米国や中国は山中京大教授のiPS細胞発見での後追い研究で巨額資金投入
 そのからみで、ぜひ申し上げたいことがある。経済の高成長を背景に、急速に大国主義化しつつある中国は先端技術への取組みに関して後発国のメリットを活用して急速な追い上げを行い、そのために財政資金を大胆に支出している。その1つの例として、世界で初めてiPS細胞を作り出した京都大学の山中教授の研究に対する後追いのすごさだ。
文部科学省現役官僚の伊佐進一さんが北京の日本大使館勤務時代に中国の科学技術を同じ専門家目線で見てまとめた「『科学技術大国』中国の真実」(講談社現代新書刊)で鋭く問題指摘している。それによると、中国科学院動物研究所と北京生命科学研究所が2009年7月、マウスの皮膚細胞からiPS細胞を作製し、細胞から世界初となるマウス個体を誕生させた。このニュースは、ライフサイエンス分野における中国の実力を世界に知らしめるのに十分。日本は、iPS細胞を初めて作り出した国であっただけに、後発の中国に先を越されるのかとショックが大きかった、という。

日本は研究開発投資などでの戦略かつマネージメントの判断力が欠けている
 とくに伊佐さんが問題視するのは、科学的な大発見で先発した日本の研究を後追いする米国や中国のやり方のすごさだ。「山中教授の世紀の大発見から、各国の熾烈な競争が始まった。米国は、日本の10倍の資金を投じてiPS細胞の実用化に向けた研究を開始した。中国も多くの研究員を動員してiPS細胞の研究に取り組み始めた。そうした中で、中国の研究所がついにマウスの皮膚細胞から作りだしたiPS細胞からマウス1匹を丸ごと作り出した」と。
しかし、この米国や中国の後追いを批判出来ない。むしろ、日本が考えねばならないのは、山中教授の大発見に対する政府や民間のバックアップ体制に課題を残している。はっきり言えば、米国や中国はiPS細胞発見が今後のライフサイエンス分野に革命的な変化をもたらすとの判断から、惜しみなくフォローアップ研究に巨額資金を投じているのだ。私は科学技術の投資に対するマネージメント判断が日本には決定的に欠けている。ことiPS細胞研究でいえば、基礎研究の後の応用研究では米国や中国はぐんと先を行きそうだ。戦略判断、マネージメント判断が重要という意味がおわかりいただけよう。

ノーベル賞化学賞受賞の根岸さん「競争が大事。評価にさらされて成長」と指摘
 ところで、今年のノーベル化学賞を受賞された米パデュー大学特別教授の根岸英一さんがとても鋭い指摘をしておられる。12月7日付の朝日新聞オピニオン面での「世界の舞台で戦う」というテーマでの特別インタビューで述べておられる点だが、根岸さんは「何よりも競争が大事。競争、客観的な評価にさらされて人間は成長していくものだ」「失敗に対して次の手が打てるかどうかも大事だ」といった点を強調されているのだ。
科学技術立国への日本の取組みについて参考になるので、少し引用させていただこう。
「競争の舞台は世界です。世界最高の先生が日本にいるならいいが、(現実はそうではないので)行くなら海外です」、「人間の本当の力を引き出し、(次代を担う)優秀な学生をさらに伸ばすには何より競争が大事です。競争がないと、客観的な評価を通して本当に何が自分に向いているのか、自らを見つめる機会がないのです」と。
また、根岸さんは「国が(財政の厳しい状況のもとで)予算の配分を見直し、よしあしを厳密に見て行くための仕分けは必要なことです。ただ、総額を減らすのは問題です。歴史を見れば、栄えた国はどこも化学や科学に力を入れてきています。研究は大きな視野から見ると、利益を生むもので、より多くの研究費を投じた方が、より利益も上がります」とも述べ、国の科学技術への財政資金投入の重要性を強調されておられる。

小惑星探査機「はやぶさ」の貴重な成功は、われわれ日本人に大きな自信を与えた。限られた予算のもとでも、開発や研究の現場の人たちのさまざまな努力、情熱、エネルギーをつぎ込めば何とかなるものだ、という自信にもつながった。しかしそうした自信が大きな継続したパワーになっていくためには、政府や民間あげての科学技術立国に向けての大きな人的、物的投資判断が必要になる。そうでないだろうか。