日本のものづくりに地殻変動? コア技術も海外に移転の動き

デフレ脱却がなかなか出来ず、もがき苦しむ日本経済に東日本大震災、それに連動した東電福島第1原発事故の影響がいまだに続き、まるでボディブローのような状況だ。そんな中で、タイの洪水で現地生産能力が落ちた日本企業が最近、タイ人の技術者や現場従業員を日本に大量に呼び寄せて生産回復に取り組んだ、というニュースに、オヤッ、どこか変だなと思った。日本国内で雇用不安が続いており、なぜ日本人を優先雇用して生産対応しないのだろうか、ということだ。日本人の誰もが不思議に思った点だ。

ところが、それら日本企業のうち、パナソニック・タイの日本人幹部がメディア・インタビューに答えているのを聞いて、ややオーバーに言えば日本のものづくり現場に意外な危機的問題が生じていることを感じた。要はタイでしか生産していない製品の生産肩代わりを日本でやる場合、スピーディかつトラブルなしにやれるのは、日ごろから生産に習熟しているタイ人技術者やオペレーターなので、日本に送りこむことにした、というのだ。

タイ洪水対策でタイ人技術者らを日本へ呼び寄せた理由に驚き
失礼ながら、タイの技術者、従業員を活用した方が給与レベルで割高な日本人よりも有利、というコスト面からの理由なのかと思ったが、そうではなかった。生産現場での技術対応や処理対応が、タイ人の方がはるかにスピーディで、生産効率も上がるということが大きな理由だ。このため、タイから遠く離れた日本に、航空運賃や住居費などの滞在費を支払っても十分に採算がとれる、という。いやはや、これは間違いなく驚きだ。これまでの常識でいけば、日本人の器用さ、理解度の早さ、生産へのひたむきな取り組みなどが日本ものづくり現場を支える力だったはずなのに、そこが大きく崩れつつあるからだ。

そればかりでない。今回のタイ洪水騒ぎで、日本の企業のタイ進出、現地生産規模がケタ外れに大きく、サプライチェーン化していたことが明らかになった。これも驚きだった。そして、そのタイの生産現場の技術や生産が日本人で代替が出来ないほどになっていることだ。もちろん、高度な先端技術分野のものなどは、日本でしか生産できない、ということは厳然としてあるのだろうが、タイ自体が、日本のものづくりのサプライチェーンになるほどの生産システムを持ち、その分野はタイ人技術者や従業員に委ねた方がいいという経営判断が大半の日本企業に定着しつつある、ということがポイントだ。

タイは今や日本のものづくりを支える重要なサプライチェーン
サプライチェーンというのは、部品供給網とも言われているが、資材や部品の調達から生産・加工、そして物流、販売までの供給システムが鎖のチェーンのように密接にリンクし合っている、ものづくりの基盤部分のことも意味する。今回のタイ洪水で、日本のモノづくり企業は、東日本大震災によって打撃を受けた東北地方のサプライチェーンに続き、タイでも同じ問題に遭遇して、ダメージを大きく受けた、と言うことになる。

そうした矢先、経済産業省、厚生労働省、文部科学省の3省が最近まとめた「ものづくり白書2011年版」に、思わず引き込まれた。その第2章の「我が国ものづくり産業が直面する課題と展望」という部分で、さまざまな問題を浮き彫りにしていたからだ。

ものづくり白書「企業は今や低コスト生産よりもグローバル市場開拓で海外へ」
まず、今回のタイのサプライチェーン化ともからむが、こんな指摘がある。明らかに、これまでとは違う動きがある。「従来は、『低コスト生産』を求めての日本企業の海外展開が中心であったが、新興国市場の台頭を背景に、現在計画中の案件は『グローバル市場の開拓』が主たる理由となっている」という点、さらに興味深かったのは「経営上で重要な主力製品の海外生産や、コスト競争力の向上を目的としたコア技術の海外生産拠点への移管も進んでいる。日本のものづくり産業の長期的な国際競争力の維持のためには、今後、十分な技術流出対策を講じることが重要」というのだ。

これらは、ものづくり企業を対象にしたアンケート調査結果がベースになっているが、経済産業省が2011年1月に行った調査で「海外へ工場新設・増設した理由」という質問のうち、今後の計画に関しては、「グローバル市場の開拓」が64.9%にのぼっている。過去実績の54.7%よりも大きくアップし突出している。そして、これまで海外展開のトップ理由だった「低コスト生産への対応」が過去は63.8%だったのが、今後の計画レベルでは59.6%にダウンし、海外市場開拓という動機と、立場が逆転していた。このほか、海外展開に切り換える理由としては、実体経済とは矛盾する急ピッチの円高という為替対策、海外政府の日本企業誘致や進出要請もポイントになっている。

3.11による電力供給不安や円の一段高進などが企業の背中を押す?
この企業動向は、緊急調査という形で同じ企業を対象に再度行えば、きっと、海外への生産移転に拍車がかかっているはずだ。というのは、経済産業省調査の1月以降、3.11の東日本大震災で東北サプライチェーンが寸断されたこと、東電福島第1原発事故による電力供給不安が全国レベルに波及したこと、米国経済の停滞に加えて、ユーロ危機の深刻度が高まり、そのあおりで相対的な安全資産ということで円買いに拍車がかかっての円高が進んだこと――などが新たな動きとして加わったためだ。

もちろん、少子化に伴う人口減少、新興アジア諸国に比べて相対的に割高な法人税率、製造業派遣業務の原則禁止などの労働規制、韓国などに比べての自由貿易協定(FTA)の取り組みの遅れが企業の国際競争力を下げるといった、これまで言われてきた日本経済の弱み部分もあるのは、言うまでもない。

生命線のコア技術移設が進出企業の69.8%、
コスト競争に勝つためが理由
しかし、今回のコラムで重要視したいのは、日本のものづくり産業が新興アジアを中心にグローバル市場開拓にぐんと踏み出したということもさることながら、企業の生命線とも言えるコアの技術を海外生産拠点に移している、という点だ。同じ経済産業省調査結果によると、コア技術をすでに海外に移設済みと答えた企業数が全体の69.8%にも及んでいたことだ、その理由は海外に生産拠点を移すだけでなく、その進出先でのコスト競争力に高めるためには必要というのだ。また、進出先の国で市場シェアをとるだけでなくシェア拡大を図るため、というのが全体の41.6%、続いて、多かったのが取引先企業からの強い要請で27.2%などとなっている。

ものづくり白書の解説ばかりしていても仕方がないが、もう1つだけ、引用させていただこう。これら企業の海外進出動機は、円高による為替リスクの高まりが先行き不安を招き、コスト競争に勝つために、背中を押されるような形で、やむなく海外へ生産拠点移設、それに見合って、おそるおそる「秘伝のタレ」とも言えるコア技術も持って行く、といった企業行動パターンかと思われるかもしれないが、実は、必ずしもそうではないのだ。

グローバル・ニッチ・トップ企業の先進モデル事例に学ぶのも一案
白書によると、グローバル・ニッチ・トップ企業(略してGNT企業)という、要は特色ある技術や製品、事業モデルで世界的に高いシェアを持つものづくりの中堅・中小企業がいて、これら成功企業のうち、30社をヒアリング調査したところ、いくつかの成功の秘訣があった、という。
具体的には、製品開発にあたって、たとえば大企業出身の創業者経営者の場合、市場ニーズがある製品について、用途を限定し、性能を高める製品開発を行って市場シェアを確保すると、今度は矢継早に、性能や価格の異なる製品群をそろえて市場で優れた企業のイメージ定着を図る、という。また、後続の第2、第3のヒット製品づくりに関しても、市場ニーズに対応するため、足りない技術は外部から取り入れるなどアウトソーシングの活用にもフレキシブルなのだそうだ。
しかも、経営優位を保つために、コア技術や企業秘密に関しても、模倣や追随を許さない戦略をたてる。特許だけでは不十分だと見ていて、さまざまなノウハウを企業秘密として保持してしまう、という。いわゆるブラックボックス化してしまう、という。さらに、ポジショニングと言って、競争相手となり得る大企業が参入しない市場をあえて選び、その分野で強みを発揮して不動の地位を確保する戦略もその1つだという。
海外進出した場合に、コア技術を持って行っても、こうした形で戦略的な経営行動をとれば技術を盗み取られるとか、模倣技術をベースに安い製品攻勢でシェアを奪われるといったリスクにも十分に対応していけるのだという。

真田教授の「高品質・少量・多品種生産で日本にいて外貨稼ぎ可能」が参考に
この話で、ふと思い出したのは、以前も116回コラムなどでご紹介した友人の愛知淑徳大学教授の真田幸光さんのことだ。真田さんによれば、高品質で付加価値の高い製品を少量・多品種生産、さらにそれが世界でもオンリーワン技術ならば、中堅・中小企業でも日本にいながら外貨を稼ぎだせる、何もコスト安、それに新興アジアなどグローバル市場を求めて海外に生産拠点を移さなくても日本でやれる、そういったビジネスモデルは十分に可能だという。そして現に、数社の実例を紹介いただいたが、いずれも高収益企業ばかりだった。言われてみれば、日本国内で腰を据えて、ものづくりに打ち込むことは可能だ。

しかし、ものづくり白書で取り上げた日本のものづくり産業の地殻変動とも言える、積極的なグローバル市場の開拓動機での海外展開、そして海外で市場シェアをとるために、あてコア技術も持ち出すすごさは頼もしい、と見るべきだ。

国内製造業の空洞化など、課題残るが、
別途、新規の需要や雇用創出を
もちろん、きれいごとでは済まされない。日本国内のものづくり産業が今後、どうやって生き残りを図るか、それぞれが孤独な闘いをやるよりも、いわゆる産・官・学連携に始まって、さまざまな連携、異業種コラボレーションなどの仕組みづくりが必要だ。

日本の現場は過去、数多くの試練を乗り越えてきたので、それほど心配していない。ワンパターンの空洞化論議は、おさらばすべきだ。企業や産業がグローバル市場に新たな場を求めて出て行くことで、日本国内の雇用の場が失われるという議論が出るが、むしろ大胆な規制改革はじめさまざまな対応で、新規の需要創出、雇用創出に議論を移すべきだと思う。

世界の新成長センターはACI経済 BRICsよりも隣接経済連携が魅力

米国経済停滞の長期化にとどまらず、ユーロ経済圏の国家債務危機の一段の深刻化といった形で先進国経済の落ち込みがひどい。そればかりか、この経済の落ち込みがグローバル化の時代に金融マーケットなどを通じてリスクや危機の連鎖となって、あっという間に世界中を駆け巡り、グローバルレベルでの経済下方リスクを増幅させてしまっている。

現に、急成長を続けていた中国やインドなどの新興アジア経済にも波及してきた。無理もない。輸出先市場としての欧米の経済が落ち込めば、中国などの輸出が鈍化するのは当然のこと。そればかりでない。将来成長を見込んで新興国経済に投資してきた欧米の投資マネーが、自国経済の足元の損失穴埋めに大わらわとなり、投資マネー引き揚げの動きとなったため、その投資を当て込んでいた新興国経済にも間接的に影響が及んできたのだ。

欧米のシステム危機で、世界の成長センターの経済地図が塗り替わる
 ユーロ危機などで欧米経済は制度疲労もからみシステム危機に陥っており、世界に及ぼす激震度は相当なものだが、このあおりで、世界経済に一種の地殻変動的な動きが起きた。端的には成長センターが欧米先進国経済から新興国経済へと着実に移動している。しかし経済地図がすんなり塗り替えられたとは言えず、事態が複雑になってきたことが問題だ。
要はリスクや危機の連鎖が予想以上にハイスピードで進み、それが新興諸国の成長経済に波及したため、今や先進国経済の落ち込み度が心配と同時に、巻き込まれた新興アジアなどの成長センターの経済減速がどこまで続くかが焦点となってきた。新成長センターが腰砕けにならないようにすることが何としても大事だ。グローバル経済リスクに対し、どこで、そしてどのように歯止めをかけ得るのか、コトが簡単でないだけに苦悩が続く。

そんな矢先、私がメディアコンサルティングでかかわるアジア開発銀行研究所、それにアジア開発銀行、朝日新聞社の3機関の共催で、なかなか興味深いテーマのシンポジウムが11月30日午後、東京で開催された。テーマは「ACI経済の勃興と日本の進路」というものだが、私は仕事上、シンポジウムのアレンジに関与したこと、そこでの議論が冒頭から申上げる問題につながることもあり、今回は、その中身をぜひ、ご紹介したい。

ACIはASEAN(東南アジア諸国連合)+CHINA+INDIAの頭文字
 時代刺激人ジャーナリストの問題意識で言えば、今回のコラムのテーマは「世界の新成長センターはBRICsよりもACI経済」となり、そして日本がデフレ脱却、大震災からの復興、原発事故リスクという重い課題を背負いながら、このACI経済と、どうつきあうか、成長を取り込めるか、という点だ。

やたらにローマ字が並んだが、BRICsはご存じのように、新興経済国のブラジル、ロシア、インド、中国の頭文字をとった名称だ。もともとは、米投資銀行ゴールドマン・サックスが、彼らの戦略投資のターゲットに顧客の投資家を呼び込むため、意図的につくりあげたキーワードだが、それらの国々が、彼らの思惑どおりに急成長をしたため、いつの間にか時代の先を見る戦略ワードになってしまった。これに対するACIはASEAN(東南アジア諸国連合、インドネシア、ベトナムなど10カ国加盟)、CHINA(中国)、そしてINDIA(インド)の頭文字をとった地域のことだ。

デフレ脱却、大震災復興など課題いっぱいの日本は
ACI経済にどうコミット?
 アジア開銀、その戦略シンクタンクのアジア開銀研究所が、カバーする地域経済にアクセントを置くため、これらACI経済という括(くく)りで取り上げたのだろう、という見方もあるかもしれない。しかし、私のジャーナリスト感覚で言えば、中国とインドに、ASEANをリンクさせた問題意識は鋭いと見る。
BRICsの場合、隣接する中国とインドを別にして、壮大なる途上国のロシア、そして潜在成長力を秘めながらも未知数の部分が多いブラジルがからみ、経済レベルでも、また地域的にも絞り込みやリンク付けが難しい。

その点、ACI経済は、新興経済国として先行する中国、インドに、ASEANという地域的に隣接し自由貿易経済圏(FTA)連携で先行の中国などとも経済交流が進む10カ国を加えたもので、これらが生み出す広域経済圏の相互経済連携効果、経済波及効果は極めて大きい。そこに、関税障壁など経済規制を取り外した自由貿易経済圏が実現すれば、間違いなく新興経済の成長センターになり得る、と考えるからだ。

TPPは地域拡散が弱みだが、ACIと最終的に統合すれば経済効果は大
 私が、世界の新成長センターという意味で、BRICsよりもACI経済へ、と申上げた意味がおわかりいただけよう。要は、成長センターという場合、地域が互いに隣接して、その経済波及効果も大きいと見込める国や地域が互いに経済連携をさらに進めて、広域自由貿易経済圏につなげればセンター効果がぐんと大きくなる。
環太平洋パートナーシップ(TPP)経済圏は、仮に実現しても、関係する国々が広範な地域に拡散している点に弱さがある。しかし、私はACIとTPPが最終的に統合することが理想だと思っている。

161回コラムでも述べたように、今後の広域経済圏づくり、広域経済共同体づくりは時代の流れだ。それを考えた場合、TPPとASEAN+3(日本、中国、韓国3カ国)や+3(その3カ国にインド、豪州、ニュージーランドを加えた6カ国)は決して対立しあうものでない。むしろ日本がTPPにもASEAN+3もしくは+6の双方にかかわっており、双方に影響力を持つ日本が広域経済圏づくりで主導的な役割を果たせる絶好のチャンスだ、という主張は変わらない。その点で、将来のTPPとACIの連携や統合を考えた場合、ACIに深くかかわる日本が、その仲介役を果たすのは極めて意味がある。

ACIのGDPは20年後に世界全体の27%シェア、1人当たり所得も3倍に
こういった目線で、冒頭のACI経済と日本の進路に関するシンポジウムのことを申上げよう。まず、基調報告をしたアジア開銀研究所の河合正弘所長によると、ACI経済の20年後、つまり2030年時点の国内総生産(GDP)が世界全体のGDPに占めるシェアが何と27.7%に及ぶ、という。アジア開銀が今後20年間に見込むACI経済全体の年率ベースでの平均成長率6.9%をもとに弾き出したものだが、1人あたりの平均所得も2010年時点の2773ドルから20年後には9165ドルと3倍に上昇し、この地域経済の大きな課題だった貧困からの脱出の可能性が高い、という。

しかし、河合所長は同時に、このACI経済について、経済成長に伴い中所得層が急拡大し、都市化のテンポも早まる結果、道路や鉄道網などの物的なインフラのみならず医療や年金、教育といった社会的なインフラの整備が追いつくかどうか、また消費需要の増大に合わせてエネルギーや食料の供給力が伴うかどうか、その場合、グリーンエコノミーの形で環境配慮の経済社会づくりが実現できるかどうか、さらに所得格差の広がりが現実化した場合の社会システムづくりが可能か、といった課題に直面する、という。

河合アジア開銀研所長
「日本はACI経済の質を高める投資などで寄与を」
 そこで、シンポジウムのテーマの1つでもあった日本がACI経済にどう取り組むかという問題がポイントになる。河合所長は、ACI経済が今後の急成長に伴って抱える医療や水問題など社会的なインフラニーズに対応するため「生活の質を高める投資や環境改善のためのグリーン技術提供などで貢献、同時に日本の優れた人材の提供など、さまざまな連携を行い、成長の成果を共有することが必要だ」と述べた。全く同感だ。

これを受けてのパネルディスカッションでは、パネリストの1人で国際的にも知名度の高い中国社会科学院の余永定教授は「中国経済はかつての日本同様、先進国経済を視野に追いつき追い越せの手法で世界レベルのGDPも2位に躍り出た。これまではそれでよかったが、今後のことを考えると、イノベーションをどう経済に取り込めるのかどうかがカギだ。自動車生産1つとっても中国国内での生産台数が増えているが、保有特許はまだゼロに近い。資本進出してきた欧州共同体(EU)など外国メーカーに依存しているのが現実だ」と述べた。そして、教授は、日本が中国経済の先導役だけでなく、省エネ技術や環境対応などでコーディネーションしてくれることを望む、と述べた。

ACI経済パネリストの対日姿勢に変化、
リーダー期待でなくパートナー感覚
 インドやタイ、さらにインドネシアからの専門家も似たような問題意識で、日本のACI経済へのコミットを求める発言があった。ただ、長年、中国を含めてアジア経済の動向をウオッチしてきた立場で言えば、これまでと違って、ACI経済のこれら専門家の発言も変わってきている、という印象を受けた。
具体的には、ACI経済のそれぞれの国には成長に伴う所得格差の拡大や社会的なインフラの制度に未整備などさまざまな問題があるのは間違いない現実で、どう克服するかどうかという重い課題を持っていることは事実。
ところが、ASEANからのパネリストの1人、タイの元財務相、チャランポップ・スサンカーン氏は「ASEANにとって、日本は中国、韓国と同様に重要な存在だ。東アジア3カ国の成長と切り離しては考えにくく経済連携を望む」としながらも、日本にはASEANのパートナーとしての役割を期待するという。言ってみれば、兄貴分とか、アジアのリーダー国としての期待度とは違ってきたのだが、経営運営に余裕や自信が出てきた表れかもしれない、と感じた。

ソニー元CEO、出井さん
「日本がアジアの投資を呼び込む魅力プロジェクトを」
 そこで、ぜひ、ご紹介したいのが同じパネリストのソニー元CEOで、現在、クオンタムリープ社長の出井伸之さんの発言だ。結論から先に言えば、日本は、新興アジアの国々の企業や投資家が思わず投資をしたい、あるいは国家ベースのファンドが投資したいと思うような、端的にはアジアから投資を呼び込むようなプロジェクトを立ち上げることだ、そうした海外、とりわけ新興アジアの勢いがある国々が思わず魅力を感じるプロジェクトづくりは、そのまま日本自身の再興につながっていく、というのだ。

さらに、出井さんは「日本は戦後復興に始まる高度経済成長までの成功体験にこだわってしまい、新興アジアの新たな動き、変化に対応しきれないようでは成長センターから取り残される。今は、日本がどういう国をつくるのか、ということを強く打ち出す必要がある。新興アジアと共に、みんなでスクラムを組んで行く、との姿勢が最重要だ。日本が本気で頑張れば魅力ある国になっていけば、自然にアジアにも貢献できるし、アジアも日本に注目し投資もしてくれる。アジアとともにイノベーションが大事だ」と述べた。
率直に言って、日本はこれまで先行して成熟経済国家だから、日本の成功モデル事例をアジアに示せば、という、言ってみれば「上から目線」の発想がなきにしもあらずだった。しかし出井さんは企業経営者の発想で、ずばり、それじゃダメだ、日本がアジアにとって魅力ある国になるように自己改革をすることが新興アジアと共生出来る道だ、という。なかなか鋭いポイントだ。
なお、シンポジウムを共催した朝日新聞社が12月5日付の経済面で、ACI経済と日本の問題を大きく取り上げているので、ぜひ、ご覧いただきたい。

オリンパス問題の教訓は何か 経営に緊張与えるお目付役必要

 オリンパスの巨額損失隠し問題を調査していた外部有識者らの第3者委員会の報告書(12月6日公表)を読んで、いたるところ驚きというよりも、これが内視鏡技術で世界的なブランドを誇る会社の経営実体なのか、とあきれ果てた。
その報告書や要約版は、オリンパスのネット上のホームページで簡単に読めるので、要約版だけでもご覧になったらいい。問題企業の課題はこんなにもあるのか、ということがわかる。経済ジャーナリストのみならず多くの人にとっても問題企業研究の対象となる。

第3者委員会報告書を受けて、オリンパスの高山修一社長が翌7日に緊急記者会見した。新たに経営改革委員会を設置するとともに、社外取締役増員によって企業ガバナンス(統治)はじめ経営刷新を行うと表明、そして来年2012年2月に臨時株主総会を開催し、責任をとって現役員が総退陣をすること明らかにした。当然のことだ。
しかし克服すべき問題は数え切れないほどあり、オリンパスの経営刷新は本当にやれるのか、というのが率直な印象だ。そこで、今回は第160回のコラムで「なぜ、なぜが多すぎる不祥事オリンパス、企業はいったい誰のものか」に続き、第3者委員会報告書を見て浮き彫りになった問題をヒントに、「オリンパス問題の教訓は何か」を取り上げてみたい。

企業コンプライアンス(法令順守)欠如の体質が今も続く
     そう思っていた矢先、12月11日付けの日本経済新聞の社会面の片隅にあったオリンパスがらみの小さな記事を見て、またまた驚いた。経営トップの損失隠し、隠ぺい体質だけではなくて、企業ぐるみのコンプライアンス(法令順守)欠如の体質が続いていることをうかがわせる話なのだ。まず、その問題を取り上げよう。

オリンパス幹部社員の浜田正晴さんが2007年6月、内部通報制度にもとづきオリンパス社内の法令順守窓口に、よかれと思って進言した案件が会社側の反発を招き、逆に不当な扱いで配置換えなどの人事報復扱いを受けたのだ。
浜田さんは納得がいかず、訴訟に持ち込み、結果は東京高裁で勝訴した。にもかかわらず会社側は慰謝料などの支払いを渋った。今回の不祥事発覚で、不安を感じた浜田さんがオリンパスの預金差し押さえを申し立てたら認められた。そこで、会社側が急に12月6日になって、あわてて260万円の慰謝料支払いなどに応じた、というものだ。

問題提起で内部通報した幹部社員を保護せず、逆に報復人事
 浜田さんの内部通報は、オリンパスが、顧客の重要取引先企業から社員を引き抜き採用し、さらにもう1人の引き抜きに動いており、取引先との関係悪化につながりかねず、自粛すべきでないか、という進言だった。ところが、コンプライアンス室長は担当の事業部長や人事部長らに対し、内部通報者の浜田さんの名前、通報内容を、担当部長らに報告してしまった。
善意の通報者を保護しないばかりか、浜田さんを逆に、配置換えなど報復の更迭人事処分に追い込む結果となった。オリンパス側は東京高裁の判決に不満で、最高裁に上告も辞さず、という状況だったが、巨額損失隠し問題の表面化で、社会の風向きがオリンパスにアゲインストな状況に転じたことから、あわてて支払いに応じたのが現実だ。

企業の風通しよくするための内部通報制度を「密告制度」と勘違い?

 要は、内部通報制度というものが、決して密告制度ではなく、企業の風通しをよくするものである、ということを根本から理解していないのだ。だから、オリンパスのコンプライアンス室は守秘義務を守らず、逆に内部通報者の名前や通報内容を利害がからむ側に伝える、というバカげた行動に出てしまった。

内部通報制度はまだまだ日本の企業社会には定着していないのは事実。しかしオリンパスのコンプライアンス室は、コンプライアンスという英語名が法令順守という意味で、内部通報者の善意の進言や通報をしっかり守ることで、企業内の民主主義が維持され健全な企業風土を作り出せる、という基本を理解していない。コンプライアンスが何であるか、ほとんどわかっていないダメ企業だと言われてもやむを得ないほどだ。

第3者委は監査役、監査法人にチェック機能が働かないことを批判
 さて、本題だ。オリンパスの巨額損失隠しを調査した第3者委員会報告書によれば、1)経営トップによる巨額損失処理および隠ぺいに対する監視機能が全く働かなかった、2)歴代の会社トップが長期間、ワンマン体制を敷く企業風土が問題で、役員の間に社長交代のシステムが確立されておらず、仮に問題がありそうだと察さられる時にも自分の業務のみを見て「大過なく」職務を乗り切ればいい体質があった、3)損失隠ぺいなどの手段が巧妙で、取締役会や監査役会にもほとんど必要な情報提供がされなかった、とある。

問題指摘は、このあとだ。4)会社法上のガバナンスからみれば、不正チェックの機関として取締役会、監査役および監査役会、会計監査人がいるが、オリンパスの場合、取締役はイエスマンが多く形骸化していた。社外取締役もふさわしい人物がおらず機能していなかった。監査役会も形骸化し、社外監査役を含め監査役が事業方針に異議を述べた形跡がなかった、5)監査法人は、オリンパスの一部の取引が不合理なものでないか、といったんは指摘し、チェック機能が働く可能性があったものの、外部専門家による委員会の意見に安易に頼り、結局は正しい指摘を行えなかった、という。

会社側が不正発覚防ぐため、外部専門家委を都合よく活用と問題指摘
 しかし、第3者委は報告書で、外部専門家による委員会の存在を問題視し、6)会社が、監査法人の指摘に対し、外部専門家委員会を組成し、経営トップの意に沿う報告書を求め不正の発覚を防ごうとした。だが、その報告書は多くの留保条件をおいた不完全なものであり、到底、中立公正な第3者の意見として信をおくことの出来るものでなかった。監査役会や監査法人は、この外部専門家委員会の報告書の結論のみに重きをおき、その内容は留保条件に立ち入った検討を行わなかった。外部専門家の委員会は、会社から都合よく利用されるような用いられ方をされたことを自覚すべきだ、という。

この第3者委の報告書を見る限り、確かに、外部専門家委の存在が大きく問われる。メディアでは、この委員会の実体について、あまり突っ込んだ分析報道をしていない。しかし第3者委は、この外部専門家委が、オリンパス経営トップの不正隠しに都合よく使われ、しかも本来チェック機能を果たすべき、監査役、それに監査法人までが責任逃れのためか、この外部専門家委の報告書を逆に活用してしまった、その責任逃れに悪用された外部専門家は自分たちの状況を自覚、かつ反省すべきだ、と言いたげだ。

私はまずは監査役会や会計のプロ・監査法人が不正対応すべき論
 しかし、私は異論がある。確かに、外部専門家による委員会が、不正発覚防止に躍起のオリンパス経営トップらに都合よく悪用されたことは事実だし、問題だが、監査役会、さらに会計チェックのプロとも言える公認会計士集団の監査法人がなぜ、不正を暴けなかったのか、そして外部専門家委の報告書の存在を責任逃れの道具に使って、肝心のプロとしての本来業務を放棄した方こそ、もっと問題だと思っている。

ご存じのように、監査法人のあり方が問われるケースは、過去に米国エンロンの不正に結果的にかかわって破たんした大手監査法人、アーサー・アンダーセンなどの事例が海外で多々ある。日本でも、6年前にカネボウの粉飾決算はじめさまざまな企業の不正な損失隠しや不正経理処理などに対して監査法人が機能せず、金融市場の番人としての役割をほとんど果たしていないことが厳しく批判された。そのあおりで、監査法人が解体され、また経営の吸収統合によって公認会計士が宙に浮くといったケースもあった。要は、今回が初めてでもなく、「えっ、またか」と言われかねないのが現実だ。

監査法人幹部は「巧妙な損失隠しは発見困難」、
金融庁がもっと厳しく対応も
 最近、ある知り合いの監査法人幹部に、今回のオリンパス問題にからめて、なぜ、監査法人が機能しなかったのか、いろいろ聞いてみた。その幹部は「野村証券OBら企業財務プロたちに巨額損失隠しの手ほどきを受け、いわゆる飛ばし行為で帳簿外の損失隠しまで、極めて巧妙に行われると、われわれにだってチェックは事実上、困難だ」という。
とはいえ、今回のオリンパスのケースは、英医療機器メーカーのジャイラス買収、さらにはオリンパスの事業分野とは縁遠いベンチャー企業3社に対しても企業価値をはるかに上回る買収を行い、公認会計士というプロであれば、わかり得ることだっただけに、何とも責任逃れのような感じが否めない。
その点に関して、さきほどの知り合いの監査法人幹部は「ある企業が、不正隠しのために、取引先の企業と結託して、架空の契約書をつくり、実印を押して、われわれを欺いたケースがあった。チェックのしようがない」という。ただ、会計監査をすると同時に、事業のコンサルティングやアドバイスも行う2つの顔を持つ限り、監査法人の監査機能に限界がある。そうはならないように、公認会計士協会が自主規制ルールをもっと強化、さらには監督官庁の金融庁がこれら監査法人に厳しく対応するしかないだろう。

決め手はお目付け役か、
それも社外の独立性高いプロ取締役・監査役を
 あとは、今回のオリンパス問題で感じたことは、ワンマンで長期政権化する問題企業の経営に歯止めをかけ、経営にニラミをきかせ緊張感を常に与えるお目付け役が取締役会、監査役会には絶対に必要だ、ということだ。となると、米国のガバナンス重視の企業で見られる委員会設置会社で過半数の社外取締役を置くこと、さらに、その場合、当然ながら、経営トップの学生時代の友人だとか、昵懇(じっこん)の企業経営者といったことに歯止めをかけるルールをつくること、また独立をどう概念規定するか、ということもあるが、会社と利害も、また何らかの縁故など関係もいっさいない文字通りの独立の社外取締役、独立の社外監査役が必要だ。

独立社外取締役・監査役はプロ登録市場から輩出、
3社以上の兼務は禁止
 その場合、私は、経済ジャーナリスト的な感覚でいくと、そういった独立の社外取締役や社外監査役の候補者の登録マーケットのようなものが必要だ。その場合、企業経営の経験だけでなく、財務や経理などの経営実績を持つ人が絶対に必要だ。そして、その人たちを登録できるようなシステムをつくり資格を持たせる。また、そうしたプロ経営者は3社以上の経営の兼務を禁じて、ある程度、特定の企業の経営に専念することも義務付けるべきだろう。経営の実績も経験もない、たとえば大学教授や評論家、官僚OBなどが入るのも避けるべきだ。今回のオリンパスの問題は極めて特殊ケースという人もおられようが、この問題での企業のガバナンスの教訓はしっかりと受け止める必要がある、と言える。

原発事故の収束宣言はまだ早い 安全面で不安多いのに何を急ぐ

 時の政権が、仮に、事実認識や情勢分析の面で判断ミスを行い、それをもとにメッセージ発信したことで、結果として国民をミスリードする形になった場合、当然ながら、政治不信は一気に高まる。とくに、その問題が、国民の生活や安全に深くかかわることだった場合には政権批判に発展しかねない。ましてや、強い関心を示していた海外に向けて、同じメッセージ発信をした場合には日本不信が高まることは言うまでもない。

何とおおげさな、おどろおどろしい言い方だな、と思われるかもしれない。しかし野田佳彦首相が12月16日の記者会見で、水素爆発事故を起こして後遺症が広がる東京電力福島第1原子力発電所の原子炉について、「冷温停止状態」を達成したため、事故収束をめざしたロードマップ(工程表)のステップ2を完了した、と「原発事故収束」を宣言した問題が、まさにそれにあたるのではないか、と私は思っているのだ。

野田首相会見のポイントは「原子炉は冷温停止状態に達した」
という点
 テレビに映し出された野田首相の会見の模様を聞いていると、ポイント部分はこうだ。原発の原子炉自体は、冷却水が循環し、原子炉の底の部分と格納容器内の温度が100度以下に保たれており、万一、トラブルが発生しても、敷地内の放射線量は十分に低く保たれている。原子炉は冷温停止状態に達し、原発事故が収束に向かったことが確認された。そこで事故収束に向けた道筋のステップ2が完了したと宣言する、というものだ。

この会見での野田首相の力点の置き方、発信メッセージが原発事故収束にあったため、これを報じたメディアは、どこもそろって、ほぼ「原子炉は『冷温停止状態』、首相は事故収束を宣言」(日経新聞)といった形で1面トップの大見出しの記事となった。
新聞メディアは、この1面トップ記事を受けた社説、論説では「『収束』は早すぎる」(朝日新聞]、「収束の正念場はこれから」(毎日新聞)、「幕引きとはあきれ返る」(東京新聞)、「『事故収束』宣言、完全封じ込めへ全力を挙げよ」(読売新聞)と手厳しかった。

「事故収束宣言」が妙にひっかかる、
私自身は「エッ、本当に収束したと言える?」
 野田首相は、会見で「原発事故との闘いがすべて終わるわけでない。ロードマップを明確にし、原子炉の廃炉に至る最後の最後まで全力をあげて取り組む。今後は、除線、健康管理、賠償の3点を徹底し、住民が以前の生活を再現できる環境を1日も早くつくりあげる。政府はこのための予算を大規模に投入する」と述べた。そんなことは当然だ。

この後段の発言は、政治の取組み姿勢として当たり前のことだが、むしろ、私自身も、野田首相が会見冒頭部分で言及した「事故収束宣言」が妙にひっかかった。「えっ、本当に事故は収束したと言えるのか。原子炉の中はまだ課題山積だし、放射能を含んだ汚染水処理も進んでいないではないか。政治は何を急ぐのだ」と思わず感じたからだ。

地元首長は一斉反発、
「炉心や燃料を完全コントロールできたと言えるのか」
 この受け止め方は、やはり私ひとりではなかった。朝日新聞はじめ各新聞の報道によると、福島県南相馬市の桜井勝延市長は記者会見で「早期に冷温停止状態になることは歓迎する」と述べたが、その一方で「炉心や燃料の問題などが完全にコントロール出来ていると言えるのか。明確に原発事故が収束したとは言えないのではないか。早計な発言だ」と述べている。

同じ福島県内の川内村の遠藤雄幸村長も「収束という場合、原子炉内の燃料を取り出して廃炉にし、住民の帰還が終わった場合のことを言うのだ。現状は、溶解した燃料に水を注入し続けるという、極めてアナログ的な形でかろうじて冷温を保っているだけじゃないか。とても収束とは言えない」と反発している。なかなか鋭い問題指摘だ。

原発現場作業員
「日本語の意味がわからない。何を焦って年内にこだわったのか」
 もっと強い反応を示したのが、東電福島第1原発の事故現場で働く作業員の人たちの受け止め方だ。東京新聞がしっかりとした現場取材をしていて、とても迫力があった。少し引用させていただこう。

東京新聞の12月17日付け朝刊によると、作業を終え首相会見をテレビで見た男性作業員は「俺は、日本語の意味がわからなくなったのか。(首相の)言っていることがわからない。毎日見ている原発の状態から見て、ありえない。これから何十年もかかるのに、何を焦って年内にこだわるのか」とあきれかえった、という。

さらに、ベテラン作業員は「(野田首相の事故収束宣言を)どう理解していいのか、わからない。今も被ばくと闘いながら作業している。また地震が起きたり、冷やせなくなったりしたら(それこそ原子炉は)終わりだ。核燃料が取り出せる状況でもない。大量のごみはどうするのか。(政府は)状況を軽く見ているとしか思えない」と憤った、という。

海外も厳しい評価、
NYタイムス「専門家の多くは原発が安定状態に懐疑的」
 時代刺激人コラムなのに、メディアに出た記事をつなぎあわせているだけか、とお叱りを受けそうだが、さまざまなメディアの記事などを網羅的に見てチェックしながら、その中でキラリと光るような記事を紹介して、問題の所在を浮き彫りにするのも1つのやり方なので、今回は、お許しいただきたい。

さて、そこで、野田政権の「原発事故収束宣言」のメッセージ発信が海外メディアではどう受け止められたかも、見逃せないポイントだ。代表的なのは、米ニューヨークタイムスで、「専門家の多くは『東京電力福島第1原発が安定した状態になった』とする日本政府の主張には懐疑的だ。(事故収束という)勝利宣言は、原発事故に対する世論の怒りを鎮めるためのものと思っている」といった批判的な記事だ。
大震災・大津波で壊滅的な被害を受けた3.11の翌日に起きた原発事故以降、日本政府や東電の情報開示が国内向けのみならず、海外に向けても遅いうえに、中身が不透明でわかりにくいこと、さらにあとになって「実は、、、」といった形で修正や訂正の発表があったりして批判が絶えなかった。そんな延長線上で、今回のような野田首相の「原発事故収束宣言」メッセージが出てくると、海外メディアは反発が先になってしまうのだろう。

野田首相が収束宣言にこだわったのは、
9月国連総会での国際公約にある?
 問題は、なぜ、野田首相が、原子炉自体にはまだまだ問題が数多く残されている、というのに、冷温停止状態を達成した、と断言し、さらに議論を呼んでいる「原発事故収束宣言」とまで踏み込んだのか、という点が何とも気になる。

友人の政治ジャーナリストによると、いくつか理由が考えられるが、野田首相が就任直後の9月に国連に出向いての総会演説の中で、事故収束に向けてのロードマップのうち、節目の原子炉の冷温停止状態達成というステップ2に関して、年内、つまり今年末までに達成を内外に表明する、と公約したので、政治的な思惑でもって、何としても12月中にということにこだわったのでないかという。

重要政策先送りで支持率低下に苛立ち?
パフォーマンス政治は止めてほしい
 確かに、そういえば、9月の国連総会演説で、野田首相は各国の最大関心事に早めに答えを出すと言っていた。しかも12月16日時点で、そのあとには日韓首脳会談、日中首脳会談など周辺国の首脳との会談が当時、控えていた。そこで、野田首相自身が存在感をアピールするためには格好のテーマだと考えたのだろうか。

そればかりでない。野田政権としては、政権内部の閣僚2人の参議院での問責決議可決、さらには消費税率引上げを織り込んだ税と財政・社会保障の一体改革や公務員給与引き下げ問題などに関しての政治決断がなかなかつけられずにいる。あおりで内閣支持率もこれまでの民主党政権と同様、下降線を描いてきていた。
そんな中での、ゴルフでいう事態打開のリカバリーショットのつもりでのパフォーマンス政治だとしたら、本当に政治不信がさらに強まる。そこには被災者目線がどこまであったのか、現に南相馬市長ら現場首長らの苦悩を思えば、野田首相としては、軽々しく「原発事故収束宣言」といった言い方をすべきでなかったように思う。いかがだろうか。

国会要請の事故調査委の黒川委員長
「事故収束発言は納得がいかない」
 ところで、いま、私は、政府の事故調査・検証委員会(委員長=畑村洋太郎東大名誉教授)とは別に、政府から独立して国会の要請で組織された東電福島原発事故調査委員会(委員長=黒川清・元日本学術会議議長)に強い期待を抱いている。

この委員会に、何を期待しているか、別の機会に、必ず取り上げたいと思っているが、今回、この委員会を引き合いにしたのは、黒川委員長が12月18日、委員会スタート後の最初の仕事として、福島原発事故現場を視察したあとの記者会見で、今回の問題に関して、鋭い指摘をしている。具体的には、黒川委員長は、野田首相の事故収束宣言について「納得がいかない。(原発事故収束に向けての)第一歩というならいいが、(首相の)言いぶりが、国民の受け取り方とギャップがある」と批判した。この委員長発言だけを取り出しても、私が、政府から独立して原因調査にあたる委員会に対する期待の一端がおわかりいただけるはずだ。

細野原発担当相が福島県の首長たちにおわびでは済まされない
 最後に、野田首相の記者会見にも同席した細野豪志原発担当相(環境相兼務)が12月18日、福島県知事はじめ福島県内の首長に対して、今回のステップ2達成と原発事故収束宣言に関して、あいさつを兼ねて訪問をした際、予想どおり、現場首長らから厳しい批判を浴びた。そして細野原発担当相は「『収束』という言葉を使うことで、原発事故自体がおさまったかのような印象を持たれたとすれば、表現が至らなかったと反省している」とわびた。

しかし、私に言わせれば、言葉、さらには政治のメッセージは、政治家にとっては命(いのち)のようなものだ。それを軽率に言ってしまったとか、表現が至らなかった、という形のわびで済まされるものではない。とりわけ、被災現場のみならず、海外の受け取り方も厳しいだけに、政治の姿勢が問われていること、それに政局に振り回されて本来やるべき被災地対応、事故処理の迅速化などにもっとふみこむべきでないのだろうか。

よかった、日本にはまだまだ底力 「目指せ、ニッポン復活」で再認識

 2012年という年は、間違いなく日本にとって試練が続く年だ。山積するさまざまな課題に、みんながどこまでチャレンジして、重い課題を克服できるかどうかだ。その最大課題は、東日本大震災の手つかずの復興にどこまでスピーディに取り組めるか、また東京電力福島第1原発事故に関しても、野田佳彦首相の政治的な「収束宣言」とはほど遠い現実のもとで、どこまで事態打開の道筋をつけられるかだ。

課題や問題はまだまだある。医療や年金など社会保障と消費税率上げの一体改革も「総論賛成、各論反対」に、どう決着をつけるのか、それに、これまではユーロ世界の財政危機問題と国債増発による債務返済にあえぐ日本の財政危機とは別問題、国債暴落などありえないという見方が多かったが、グローバル市場という魔物によって引き起こされる連鎖リスクがいつ日本国債に襲いかかってくるかわからない、未然に解決できる奇策はあるのか――などだ。率直に言って、これらの課題の克服も容易ではない。

中堅・中小企業の時代先取りの意欲的な展開事例はどれも興味深い
 そんな重苦しさを吹き飛ばす、興味深いテレビ番組があった。NHKスペシャル「目指せ、ニッポン復活」がそれだ。実は、1月1日夜に放映されたのだが、民放の「相棒」という娯楽ミステリー番組にチャネルを合わせてしまい、見落としてしまった。運よく2日後に再放送があったので、躊躇なく見たのだが、これがなかなかの大当たりの中身だった。
時代刺激人ジャーナリストの問題意識にもぴったり合うことが多かったので、少しコメントを加えながら、番組に登場した3人の専門家の話をお届けしよう。

最初の専門家は立教大の山口義行教授で、日本の中堅・中小企業が円高や国内デフレ経済状況に臆することなく積極的に海外展開し、成功している事例紹介の話だ。その1つは、文房具メーカーのコクヨが、円高を背景にインド第3位の文房具メーカー、カムリンを68億円でM&A(合併・買収)した事例。そして、大阪の東研サーモテックという自動車や建設機械向け金属部品メーカーの話。アジアの自動車生産拠点化したタイに早くから進出し現地化に成功しているというケースの2つ。

中堅企業コクヨのインド企業買収は戦略的、
市場調査でニーズを見極め
 このうち、コクヨのアジアでの積極展開には驚いた。今回取り上げられたのは2011年10月に買収したばかりのインド企業、カムリンの話だったが、興味があって調べたところ、コクヨは同じ年の2月に、ベトナム市場進出済みのノート工場の生産能力を倍増の3000万冊に増強した。そればかりでない。新たに、傘下の中国現地法人、国誉商業(上海)を通じて最近、最大手の何如文化用品との間で企業買収合意し、主力のノート事業部門の生産、販売を中国巨大市場で大がかりに展開する計画という。何ともたくましい。

山口教授によると、コクヨは中堅企業ながら、戦略展開が巧みで、進出に際してインドの教育現場で徹底かつ綿密な市場調査を行った。その結果、ホッチキス止めの使いにくいインド製のノートに比べ、高品質の糊付け止め、紙の材質のよさなどコクヨ製品への評価が極めて高いことがわかり、新興アジアの成長に伴う教育熱の高さ、優れた品質ノートなど文房具へのニーズの強さを見極め、十分に投資価値があると経営判断した、という。

人口減少で細る日本にしがみつくよりも新興アジアに照準の判断が
すごい
 コクヨは、日本国内での要求水準の高い消費者ニーズに対応し、競争にも勝ち抜いてきただけに、インド市場での手ごたえがそのまま、巨大市場の中国に行っても十分やれるとの自信になり、積極買収に踏み切ったのだろう。いずれは人口減少で細る日本国内の内需にしがみつくよりも、チャンスを活かして新興アジアの高い成長市場を狙った方がプラスと見たコクヨの積極経営を、むしろ評価したい。日本の中堅企業も大きく変わってきた。

東研サーモテック事例も興味深い。山口教授が紹介したのは、大阪にある本社が、タイ東研サーモという現地法人に幹部候補生を次々に送りこみ、武者修行させる話だ。その1人、タイ副工場長の米沢信博さんにスポットを当て、8年間の現地生活を紹介したが、現実は武者修行ではない。マスターしたタイ語を駆使してタイ人に技術指導しながらものづくりに必要な技術人材の養成、技術移転に努めるケースで、企業としては戦略的行動だ。

部品メーカー東研サーモテックもタイのサプライチェーン化見越して
戦略展開
 このタイ東研サーモの話で、少し思い出されないだろうか。私が162回コラム「日本のものづくりに地殻変動」で、タイ洪水騒ぎで進出日本企業が、航空運賃や長期滞在費まで支払ってタイ人技術者や作業員を日本に呼び寄せて日本工場で代替生産している、という話を書いたこととリンクする。米沢さんらが育てあげたタイ人の技術人材は、ローテク分野かもしれないが、ものづくり技術をしっかりと学びとり、今や日本の現場労働者よりもはるかに優れ者になってきている。こうして訓練された技術人材が、今回のタイ洪水騒ぎで日本での代替生産に駆り出される結果になったのかもしれない。

私のみるところ、東研サーモテック本社は、タイが次第に、日本のサプライチェーン・センターになり、進出日本企業やタイ企業向けのタイ人の技術人材、ものづくりに習熟した優秀な人材がますます必要視されることを見越して行動している。部品生産のみならず、製品補修や品質管理の面でも通用する人材、それに現場作業員の層を厚くすることで、タイを中心に新興アジア市場に進出した部品供給産業として、その存在感をアピールしようとしているのだな、と思う。米沢さんの武者修行を戦略的行動と言ったのも、この点からで、日本の中堅部品メーカーも大企業系列を離れて生き残りに余念がないと言える。

藻谷さん推薦の銘建工業、産業廃棄物の木くずをペレット化し
エネルギーに
 次に登場した専門家は、「デフレの正体」(角川書店)などの著書ですっかり有名人の日本政策投資銀行の藻谷浩介さんだ。現場第1主義で、全国を歩き回って先進モデル企業事例の発掘や地域再生に意欲的な藻谷さんが今回、紹介したのが、これまた興味深い。
岡山県真庭市の集成材メーカー、銘建工業がそれで、製材過程で出るおがくずや木くずを燃料源に活用し、バイオマス発電する企業として有名。同時に、木くずを固形燃料化しペレットにして1キロ22円で販売、年間売上高が33億円にも上っているが、真庭市内のエネルギーの30%をまかなう。藻谷さんによれば、原油高騰で石油製品に跳ね返って値上がりしても木ペレットには価格変動もなく、環境への貢献度は抜群、という。

銘建工業の中島浩一郎社長はバブル崩壊でバイオマス発電を考えついたという。今ではオーストリアで、木ペレットのエネルギー化を実践している先進事例があるのを知り、中島さんは現地訪問し吸収に余念がない。藻谷さんは「まさに真庭モデルだと言っていい。もともとはおがくずや木くずは産業廃棄物だったのを、利益を生み出す事業モデルに変えた。林業の再生が叫ばれる中で、こういった先進モデル事例を普及させることが必要だ」という。環境配慮型のエネルギーをビジネスにつなげた点でも素晴らしい事例だ。

奥山さん紹介事例はどれも日本のものづくり企業に底力ありの凄み
 3番目の専門家は、工業デザイナーの奥山清行さんだ。私自身、あるイノベーションセミナーで知り合ったが、海外、とくにイタリアで有名自動車フェラーリのデザインなどで知れ渡っている魅力的な人で、いくつものストーリーを持っているところがすごい。
率直に言って、今回のNHKスペシャル「目指せ、ニッポン復活」では、この奥山さんのいくつかの紹介事例が、日本のものつくり企業には底力がある、まだまだ捨てたものでないな、という印象を強く与えた。

その奥山さんが最初に紹介したのは、新潟県燕市のステンレス加工の三宝産業がつくった切れ目のない優雅なワイングラスだ。奥山さん自身が考案しデザインしたものを三宝産業に持ち込んで製作を頼んだものだが、三宝産業の現場担当の専務は「図面を見ただけで、われわれ職人は作業工程が頭に浮かぶ」と言ってつくりあげた、という。

新潟燕市のステンレス企業と連携のワイングラスはパリ展示会で
高評価
 グラスは形の優雅さだけでなく、ワインと氷が溶けにくい特殊な構造になっていて、国際的に有名なパリのメゾン・ド・オブジェという展示会に出品したら、高い評価を得た。奥山さんは「日本の地場産業や企業は宝の宝庫だ。ただ、素晴らしい技術の活かし方がわかっていないのが残念だ」と述べたが、考えようによっては、奥山さんのような国際的なデザイナーがマーケッティング評価し、優れ者のものづくり企業と連携すれば、日本のものづくり企業の底力に磨きがかかる、ということかもしれない。

地場企業3社とカーボン仕様のスポーツカー、デザインは奥山さん
 次に奥山さんが紹介したのがまた、すごい事例だった。山形、岩手、静岡3県の地場企業が、同じく奥山さんのデザインしたスポーツカーの車体やボンネット、そして組み立てを協力分担してつくりあげたものがテレビスタジオで紹介された。高級なアルミパネルとカーボン仕様の、かっこいいという表現がぴったりの見事な車だ。

あとで奥山さんにEメールで聞いたら「自分が本当にほしいものとしてつくった。4年前に独立した際、少量生産をめざしてつくったが、本当は、地場の職人さんにじっくりつくってもらう舞台としての商品だ」という。だから量産して儲けようといった考えはない。それでもほしいという人がいて、特別に最高級クラス車を3500万円で売ったという。

このあとも、奥山さんはまるで手品師のように、次々と事例紹介を行った。米国のホンダ・エアクラフト・カンパニーという企業で、奥山さんが友人の社長、藤野道格さんとデザイン開発など役割分担して共同開発したビジネスジェット機の成功例もなかなか興味深い話だが、スペースの関係で、あと1つだけ、ぜひ取り上げたい事例がある。

被災地の沿岸平野部に、
復興のシンボルのコンパクトシティ建設計画構想
 それは、奥山さんが建築家の迫慶一郎さんらと一緒に、東日本大震災で被災した沿岸部の平野部に、高さ20メートルぐらいの津波が押し寄せても大丈夫で、自然と共生する新たなコンパクトシティをつくりあげたいと、いま、計画中の話だ。奥山さんは番組の中で「復興の象徴として、こんな素晴らしい、新しい街を日本がつくった、ということを世界にアピール出来るようなものにしたい」と述べていた。

Eメールで、奥山さんに、この街づくりの意味について聞いてみたところ「逆境の中にこそ、希望があるかもしれない。これからは新しい軸で街をつくる必要がある。ある意味で人工的につくらないと、豊かな暮らしはますます破壊されてしまいかねない。ビジョンを持って、政治に頼らずに実現していきたい」という答えが来た。
政治が解散総選挙などをめぐって政争を繰り返し、被災地の住民目線もなく、復興から遠のいている状況で、奥山さんのメッセージはとても説得力がある。

「課題克服先進国」は日本にピッタリ 成熟社会の先進モデル例をつくろう

 さしずめ異業種交流とでも言えるような、業種がまちまちの、でも時代の先がどうなるかについて談論風発が大好きな5人の仲間会合で最近、1冊の新書版の本が話題になり、大いに議論になった。その本は「成熟ニッポン、もう経済成長はいらない――それでも豊かになれる新しい生き方」(朝日新聞出版刊)だ。ぜひ、読まれたらいい。三菱総研エコノミストから同志社大教授に転じた浜矩子さん、同じ同志社大教授の橘木俊詔さんの2人が、本のタイトルどおりのテーマをめぐって議論したものが本になったのだ。

1冊の本「成熟ニッポン、もう経済成長はいらない」
めぐり仲間が議論
 論客の浜さんが終始、議論をリードしている。ポイント部分を紹介させていただこう。「日本は今や典型的な成熟債権大国になっているのに、そのことを十分に認識せずに、巨大なる天才子役みたいな中国と張り合わなくちゃいけないと、本気で考えている。その辺の実態と認識のミスマッチを何とかしていかないと、企業経営も、いろいろなレベルでの経済政策も方向性を誤まる」という。

浜さんの言う債権大国は、フローがないが、巨額の個人金融資産を含めたストックが潤沢にあり、とくに海外には投資資産を持ち、しかも国内には優れた経済社会インフラがある状況のことをいう。「日本は非常に成熟度の高い大人の経済になった。この大人の経済がおとなしく優雅に賢く、そして年の功を発揮して自己展開していくために必要なことは何なのか。そういう観点からの日本の姿こそが論じられなければならないのに、そこに目が向かず『日本はどうして、こんなふうになっちゃったのだろう』という感じで、いろいろなことが考えられているところが非常に残念」とも述べている。

論客の浜さん「日本は債権大国、
成長産業探しの発想は古い」の発想
 橘木さんは、「私なりに浜さんの考えを解釈すれば、たとえばリーディングインダストリーに期待するのは時代遅れ。成長を期待できるような産業を見つけること自体が古い。昔から『成長くたばれ論』みたいなものがあったが、もう低成長でいいじゃないか。債権大国になり、ストックも豊かになったから、高度成長なんか目指さずに、そこそこ、食っていける低成長でいいじゃないか。こういう主張と理解してよろしいか」と言ったら、浜さんが「基本的にそんなイメージ」と。そして2人は「成熟ニッポン、もう経済成長はいらない」という点で意見が一致し、それに見合う議論を展開している。

これに対して、われわれ仲間の議論では、浜さんらの成熟度の高い経済社会になったのに見合って、新たな経済社会システムをつくるべきだ、制度設計をやり直すべきだ、という点に関しては異存がなかった。しかし経済成長をめぐっては、大いに議論が分かれた。誰もが、かつての高成長社会に戻すべきだなどとは思っていないものの、浜さんらが本のタイトルにしたような「成熟ニッポン、もう経済成長はいらない」という経済社会は到底、考えにくいこと、成長レベルに関して、4、5%成長は最低限必要、いや1、2%成長でもいいのでないかという違いがあっても、成熟国家を支える成長は必須という立場だ。

新成熟社会めざせは大いに必要、
そのためにも一定の成長が不可欠
 以前のコラムでも紹介したが、早稲田大教授の深川由紀子さんが「大学の私のゼミの20歳の学生に経済成長に対する執着心が全くない、という恐ろしい現実がある。無理もない。学生が生まれてからの20年間はバブル崩壊後の『失われた20年』が続き、ゼロもしくはマイナス成長で、経済成長そのものを実感していないからだ」と述べていた点だ。こういったことを、今後の成熟社会国家のもとでも若い世代に味わせるべきでなく、その点でも4%程度の成長は間違いなく必要だと、個人的に思う。

そのためには狭い日本国内の内需にこだわらず、新興アジアと経済連携を進め、さまざまな経済・技術協力などの見返りに新興アジアの旺盛なる成長の果実を、日本にとって「拡大内需」という発想で活用させてもらうことが必要だと、かねがね思っている。その意味で、アジアに日本の戦略軸を置くことが何よりも重要であることは言うまでもない。

活力ある高齢社会のシステムづくりが最重要、
新制度設計も装備
それよりも、問題は、どういった新成熟経済社会モデルにすべきかだ。仲間会合では大いに議論になったが、その際、私が主張したのは、供給先行型の企業成長モデルをベースにした経済社会の制度やシステムを変えて、新しい制度設計のもとに、これから申上げる「課題克服先進国」をめざすべきだということだ。これは重要な切り口ポイントだ。

その新経済社会システムを支えるには、やはり、ある程度の経済成長が必要で、既存の枠組みにない新たな産業ビジネスを創出し、同時に雇用創出チャンスもつくるべきだろう。1億2000万人の巨大人口が少子化で1億人、あるいは8000万人の人口規模に縮小していく可能性は否定できないが、むしろ今後は高齢化の「化」がとれた高齢社会、その社会で活力を維持できるための大胆な制度設計を行うことが最重要だ。それに沿って需要創出策も新しい発想で行い、世界の他の国々にとっての先進モデル事例になる経済社会システムをつくりだすことだ、というのが、その談論風発会合での私の主張だった。

「課題先進国」ではなく
「課題克服先進国」が正しい言い方
ここからが、今回のコラムの本題だ。冒頭のヘッドラインに書いたように「課題克服先進国」というキーワードは今の日本にとってピッタリのものだ。これに向けて、新たな成熟経済社会の先進モデル例、仕組み、システムを作り直すことが大事だ、と思う。実は、ずっと以前のコラムで、この「課題克服先進国」の話を書いたことがあるが、今回は少し踏み込んで書いてみよう。

このキーワードは「課題先進国」という言葉でも言われ、日本国内で次第に定着しつつある。現に、野田佳彦首相も昨年2011年11月に米ハワイで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会合で、この言葉を口にしている。この「課題先進国」は、正確には、さまざまな課題を克服もしくは解決して初めて先進国と言える、という意味で「課題克服先進国」、もしくは「課題解決先進国」と言った方がいい。

社会システムデザイナーの横山さんが口火、
小宮山さんも独自展開
 もともとは、横山禎徳さんという知り合いの社会システムデザイナーが2006年に「アメリカと比べない日本――世界初の『先進課題』を自力解決する」(ファーストプレス社刊)で、この「課題解決先進国」という言葉を使ったのが最初だ。ジャーナリストの好奇心で、いろいろな所でチェックしたが、この素晴らしい表現を世の中にアピールしたのは、疑いもなく横山さんだ。横山さんとは言論NPOで一緒に活動した間柄で、長いつきあいだ。

その後、東大総長のあと三菱総研理事長に転出した小宮山宏さんが2007年に出版された自著「課題先進国日本」(中央公論社刊)で、横山さんと同じような問題意識で、独自に「課題先進国」をアピールした。面白いもので、小宮山さんの存在感、メッセージ発信のうまさで一気に、このキーワードが世の中に拡がった。

横山さん「超高齢化などの先進課題を日本が
世界で最初に解決すべきだ」
 余談だが、この2人は互いにつきあいがあって仲がいい。最近、小宮山さんに会合でお会いする機会があり、私は「横山さんが『小宮山君がボクの言葉をぱくったんだ』と笑いながら言っておられますよ」と言ったら、「そうなんだ。彼はそれを言うのだ」と大笑い。大事なことは世の中に、こういったキーワードをしっかりと根付かせてアクションを起こしていくことだ。その意味で、優れ者の2人が役割分担すればいい。そこに私も加えてもらい、ジャーナリストとして違う形でアピール役を担えばいいと思っている。

先陣を切った横山さんの問題意識が素晴らしく、全く同感という部分があるので、ご紹介しよう。横山さんは著書で「世界で最初に日本が新たな課題に直面するステージに来た。日本の歴史にとって初めての経験だ。これまで習い性になっていた世界、とくに『欧米先進国』の事例から倣うべき先例のない『先進課題』を、日本が世界で最初に自力で解決しなければいけない時代になったのだ」という。

先に歩いているだけの「先進国」でなく、
文字どおり課題克服の先進国に
 本当に、そのとおり。この「先進課題」の解決策、克服策を新制度設計の形で示し、そして自ら率先して実行すると同時に、いち早くモデルとなる事例を作り出せばいい。そうすれば世界中に胸を張って誇らしげに「課題克服先進国」と言える。単に、先を歩いているという先進国でなく、文字通り、新制度設計が優れた先進国という意味だ。

横山さんによると、先進課題は、超高齢化問題だけでなく、環境問題、資源枯渇問題、さらには中国やインドなど新興アジアと、どうつきあうかなど数多くある。日本自身が解決策見つけ出さなければ最初に困る国であることは言うまでもないが、日本が潜在的な総合能力を発揮して、これらの課題を解決すれば、これまで40年以上、古い制度や枠組みに安住し「思考停止した経済大国」から抜け出す糸口になる、という。

小宮山さんは「ビジョン2050」で
高齢社会や低炭素社会モデルを提案
 小宮山さんも同じ問題意識だが、小宮山さんは、日本がポスト工業社会のフロントランナーの位置にあり、高齢社会、生態系、低炭素という3つの次世代キーワードをもとに「プラチナ社会」の実現を主張している。プラチナはゴールドよりも高価で、品格を感じさせ、輝きの失せない元気なイメージがあり、それにふさわしい社会にすればいい、という。

小宮山さんによると、世界は21世紀の持続可能な社会モデルを模索している。そんな中で、日本が他国に先んじて高齢社会、生態系、低炭素社会という21世紀の難問、課題を世界で最初に解決できれば、それこそ真の先進国で、フロントランナーと言えるという。そして40年後を想定した「ビジョン2050」で、エネルギー効率3倍、再生可能エネルギーを2倍といった数値目標をベースにしたシナリオを描いている。

日本自身の課題克服と同時に
新興アジアとの連携にも活用を
私は、日本自身が自らの課題に取り組むと同時に、新興アジアとの経済連携のからみで、中国などアジア各国がいずれ直面する人口の高齢化に伴う問題、さらには急速な成長に伴って起きる都市化現象のもとでの医療、年金、教育など社会インフラシステムの再構築の課題に関して、日本が先進モデル事例をつくって各国に学習材料を提供うすることで連携すればいいのだ。

メディアコンサルティングにかかわっているアジア開発銀行研究所のセミナー、ワークショップなどで出あうアジアの政策研究者らとの会話でも、その分野での日本への期待が強い。かつて日本は、ジャパンマネーや省エネはじめものづくり技術の技術移転で、アジアに強みを誇っていたが、今では中国から「そんなものマーケットから買える」と言われる現状だ。しかし、これらの新しい制度課題に関しては、日本は先進モデル事例をつくれば強み部分になり、再び評価の対象になっていくのは間違いない。

米コダック破たんはサプライズ 危機を予測できたのになぜ?

 コダック写真フィルムの名前で一時代を画した米イーストマン・コダックが2012年1月19日に経営破たんした、というニュースを見て、本当に驚いた。ビッグ・サプライズだった。デジタルカメラや携帯電話カメラの登場で、フィルム自体の需要が急速に落ち込んでいるのははっきりしていたし、かなり以前から予測もできていたはずなのに、なぜなのだろか、というのが最大の関心事だ。

経済ジャーナリストの好奇心で、いろいろ調べてみると、これまたサプライズ。これほどの名門企業で、130年超という長い歳月を乗り切ってきた企業だというのに、過去の成功体験にこだわり、思い切った事業転換を図れなかったのが最大の破たん原因というのだ。日本のライバル企業、富士フィルムがいち早くカメラの写真フィルムに見切りをつけ、業種転換を図って新たな成長軌道を走っているのとは対照的だ。

英エコノミスト誌
「コダックは完璧な製品つくることにこだわり変化を拒んだ」
 たまたま読んでいた「予測できた危機をなぜ防げなかったのか?――組織・リーダーが克服すべき3つの障壁」(東洋経済新報社刊)という本が、このコダック経営破たんにぴったり合致しそうな感じだ。そこで、今回は、このコダックというグローバル巨大企業の経営破たん問題を取り上げてみよう。

英エコノミスト誌はさすが専門誌だけに分析が鋭い。コダック破たん直前の1月14日号で、この名門企業の特集記事を出している。なかなか読みごたえがあり、いくつかヒントがある。参考になる部分を少し活用させていただこう。
エコノミスト誌は、ハーバード大経営大学院のロザベス・モスカンター教授の「コダックはモノをつくり、売り出し、常に修正するというハイテク世界の考え方ではなく、完璧な製品をつくるというメンタリティにとらわれていたことが問題だった」という分析を引用し、コダックの技術完璧主義、フィルムへのこだわりが新しいトレンドや変化の動きを拒む結果になり、富士フィルムとは対照的に墓穴を掘る結果になった、とみている。

「富士フィルムは新収益源を探し出したのにコダックはそれができず」とも分析
 記事の最後の部分が面白い。エコノミスト誌は、「富士フィルムは新たな技術を習得して生き延びた。2000年には利益の60%を稼ぎ出していたフィルム部門がほとんどゼロになってしまった。しかし新たな収益源を探し出している。コダックはそれができなかった。古い写真のように、コダックは色あせた」と述べている。

そして「人間と違って、企業は理論的には永遠に生きることができる。しかし一般社会と違って、現実の企業社会は死闘である。(その厳しい競争に勝ち抜くチャレンジを続けなければ)ほとんどの企業は若くして死んでしまう」と、辛らつだ。

いち早くデジカメを開発する技術力あったのに
商用化で日本メーカーに立ち遅れ

 要は、コダックは、米国を軸に世界的にトップシェアの企業の座を長い間、維持してきたが、さまざまな写真フィルムの独自開発など、過去の成功モデルにこだわった結果、エコノミスト誌が指摘するように、急激な変化に対応しきれず、むしろ既得権益を守ることに傾斜し保守的になりすぎたことがアダになった、ということのようだ。

しかしコダックの研究開発力や技術力はすごかった。何と1975年にデジタルカメラの開発に成功しているのだ。時代の先を見据えた技術開発力はさすが、という感じがするが、いろいろ調べてみると、技術が経営とリンクしなかった。端的には商品化、製品化、さらにはマーケッティングによって一気にコダックブランドのデジタルカメラという形にすることができないまま、後発の日本のカメラメーカーに、エレクトロニクス技術を駆使され、あっという間に市場シェアを確保されてしまった、という。何とも、もったいない話だが、不思議なのは、コダックの経営陣がそれでも、ただ指をくわえてライバルの動きをみているだけだったのか、ということだ。

世界の4大フィルムのトップ、
しかも低価格カメラでは断然優位の時代も
 余談だが、私の毎日新聞駆け出し記者時代の山形県での取材には必ずカメラが必携で、取材すると同時にカメラマン役も兼ねて仕事するのが当たり前だった。ところがフラッシュをたいて写真撮影するのが、どちらかといえば苦手というか面倒だったので、当時、少し薄暗い室内でもきれいに撮れるコダックの高感度フィルムを愛用した。

今でこそ見る影もない写真フィルムだが、かつては世界で米コダック、日本の富士フィルム、小西六(現在のコニカミノルタ)、そしてドイツのAGFAが4大フィルムだったそうだ。中でもコダックは断然トップの強さだった。そのコダックは、意外にもフィルムだけに安住せず、いわゆる川上から川下まで、しっかりとシェアを抑え、フィルムが一体で活用されるようにと、カメラも同時開発する巧みさが創業当初からあったというのだ。
デジタルカメラではつまずいたものの、カメラに関しては1900年に「ブローニー」という低価格カメラ、また1963年には一眼レフカメラ全盛のころ、「インスタマティックカメラ」という簡単操作で撮影でき、しかも低価格のものをいち早く売り出している。

富士フィルム社長
「コアビジネス失った時に事業多角化で危機を乗り越えた」
 そんな華やかな歴史を持ちながら、なぜ破たんしたのか、という疑問に戻ってしまう。そこで対比されるのが同じフィルムメーカーだったライバル企業、富士フィルムの経営姿勢だ。英エコノミスト誌が指摘したとおり、需要が激減したフィルムに見切りをつけて素早く新たな収益源を探し、経営資源を特化した経営の切り替え判断に尽きる。

富士フィルムホールディングスがコダック経営破たん時にメディア向けに公表した古森重隆社長のコメントでは「時代が流れる中で、コアビジネスを失ったとき、乗り越えられる会社と乗り越えられない会社がある。当社(富士フィルム)は事業を多角化することで乗り越えてきた」と。なかなか説得力のあるメッセージだが、現に、液晶テレビ用保護フィルムで高いシェアを上げると同時に、医療分野、化粧品分野に事業展開している。コニカミノルタホールディングスは2006年に写真フィルム事業から撤退し、DVDなど光ディスク用レンズで成果を上げている。

「予測できた危機をなぜ防げなかったのか?」という本は
コダックにあてはまる
 さて、冒頭に紹介した「予測できた危機をなぜ防げなかったのか?」という本のことも少し述べよう。タイトルからすると、コダックの経営に対する問題意識が当てはまりそうだ。この本は、ハーバード大ビジネススクールのマックス・ベイザーマン教授、それに同じビジネススクールで教授歴任のマイケル・ワトキンスさんが書いたものだ。  やや学術的な専門書で、しかも難しい言い回しが多くて、読みにくいのだが、米国で起きた9.11同時多発テロやエネルギー・ベンチャー企業のエンロン破たん問題など、いくつかの事例を検証しながら問題提起している。

要は、リーダーが克服すべき3つの障壁を心理要因、組織要因、政治要因だとし、それをもとに、教授らは、「脅威や危機があるかどうかの問題の認識、対処すべき課題の適切な優先順位づけ、そして問題や課題の解決のために経営資源や組織を動員し、それらが効果的だったかどうかの見極めの3つが重要」という。
その際、「危機防止の要件は、組織の指導層がフォーカスを示し、組織を活性化させ、判断力を行使し、不人気なことも実行する勇気を持つことだ。だが、それだけでは足りない。組織本体を対応力と弾性力のあるものにしなければならない」とも述べている。

コダックは需要激減の危機に対応したが、経営ミスかすべてが裏目に
 この本で興味深かったのは、危機の予測部分だ。往々にして、リーダーは楽観幻想があってアクションをとるほどでないとなりがち、また出来事を自己中心的に都合よく解釈してしまう、将来を過度に軽視し、たとえば災害が起こるのは、はるか先だと思い込むなどのバイアスがあることだ、という指摘だ。また、「起こりつつある脅威に関する情報の収集に必要な資源を投入しない」「情報を周知したがらない」「組織に散在する知識を統合しない」「学習した教訓を保存しない」なども組織面での問題だ、という。

コダックの場合、写真フィルム需要が激減したのに対して、経営が全く手を打っていなかったわけでないものの、その時々の経営陣の新規事業分野への投資判断、あるいは選択と集中という表現で使われる経営多角化分野の整理淘汰の方向付けなどがことごとくうまくいかないうちに、売上高も利益も急減し、その一方で退職者向けの年金などのコスト負担増がボディブローとなったことだけは厳然たる事実だ。

コダックは古い20世紀型経営、
先端分野へのあくなきチャレンジに欠けた
 リーマンショック後の2009年に、米ゼネラル・モーターズ(GM)がコダックと同じ米連邦破産法11条の適用申請を行ったが、コダックが裁判所に駆け込んだ同じ1月19日に、何とGMは再生努力の結果、自動車世界販売トップの座に帰り咲いたという話がニュースになっていた。
コダックに再生の道があるのかどうか、はっきりしないが、コダックがフィルムなどの特許料収入に依存した経営を続けていた、といった話を聞くと、20世紀型の経営に終始していたようで、インターネットの活用や先端技術分野へのあくなきチャレンジといった時代先取りの取り組み、早い話が21世紀型経営モデルでないところが致命傷だったという気がする。

元IBM会長の「現状に満足せず、進んで経営目標のハードル上げる」はすごい
 元IBM会長のルイス・ガースナー氏が以前、日経ビジネス誌の「会社の寿命」企画のインタビューで、思わずウ~ンとうならせる発言部分があるのを引っ張り出したくなった。そこを最後に紹介しよう。
「常に1つところにとどまらず、エクセレンスをめざす。絶えず刷新しライバルの挑戦を受けて立ち、これを楽しむ。市場シェアの拡大をめざし、決して現状に満足しない。ボスが求める前に、進んでハードルを引き上げ、次々に難しい目標をめざす。こうした企業文化が、企業を何十年にもわたって存続するのを可能にします」と。IBMはタフな企業だ。

6次産業化は農業の成功モデル 佐賀県で林業の面白いチャレンジ

 農業や林業など第1次産業の現場を歩いていると、6次産業化が間違いなく成功ビジネスモデルだ、と実感する。この面白い名前のキーワードは、コラムで数回取り上げたので、ご記憶あると思う。要は、第1次産業の農業者や農業法人が自らマーケットリサーチを通じて売れる農産物づくりを行い、卸売市場流通には頼らずバイパス流通の産直ルートを独自開拓し、値決めも主導的に行うばかりか、第2次産業や第3次産業分野にまで経営の手を広げる。言ってみれば1+2+3が6と同じように、農業者主導で第1次、第2次、第3次産業すべてに関与すれば間違いなく利益を生み出せる、というのが6次産業化だ。

そこで、今回は、このビジネスモデルを林業分野でチャレンジし、見事に成功させた事例を取り上げてみたい。さまざまな現場で先進モデルを発掘し、こんないいモデル事例があるぞと紹介して時代の閉そく状況にくさびを打ち込みたい、というのが時代刺激人ジャーナリストを公言する私の立場だが、「これは面白い」と思ったのが今回の話だ。

川中の伊万里木材市場が川上と川下に
働きかけ林業版6次化を実現
 6次産業化といえば、水が高きから低きに流れるように、農業の場合も第1次から第2次、そして第3次産業へと農産物が流れ、その順番で6次産業化が成り立つと思うのが普通だ。ところが今回紹介する林業の場合、川中が、川上にある山林の山元、それに末端の住宅用木材などを販売する川下の双方に働きかけて、一貫したシステムに仕上げた点が極めてユニークなのだ。さしずめ林業版の6次産業化と言っていい。

出会いのチャンスがあり、話を聞いてみて面白いと思ったのが、佐賀県伊万里市で株式会社伊万里木材市場を経営する林雅文さんだ。この伊万里木材市場は、もとは山元から集荷した原木や木材製品などを毎月11日と28日の2日間の市日(いちび)に市場入札して需給調整機など市場機能を果たすだけだった。ところが林さんは、この川中の伊万里木材市場を単なる地方の木材市場にとどめず、広いスペースを活用して木材のコンビナートとして九州全土のみならず全国的に存在感を見せたのだ。

企業の現場経験を持つ林さんが独自に
林業改革モデルを現場で構想
 コンビナートと言えば、化学や鉄鋼などのプラントが林立し、タンカーからパイプラインで運びこんだ海外産の原油を精製し、次の化学プラントでエチレンなどの中間財にしたあと、最終製品の消費財にする。隣接する鉄鋼などのプラントで無駄なくエネルギー素材を活用しあう、というのが一般的だ。それがなぜ木材コンビナートなのかがポイントだ。

林さんは「さまざまなプラントが林立するコンビナートをイメージされるかもしれませんが、伊万里の木材コンビナートの場合、ちょっと違います。コンビナート事業、素材・製品の市(いち)売りや木材のプレカット事業、さらに原木システム販売事業、それに川上部分の素材生産事業、森林整備事業を広大な敷地内で手掛けています。コンビナートはそれら事業の一部分なのです」という。いわば木材の総合デパートのようなものだ。

ただ、林さんは「やるなら大がかりに、と考えると同時に、いい意味で注目され、かつ関心を呼ぶためにも木材コンビナートという名称がいいかなと思ったのです」と。

林さん「林業の世界は旧態依然、
お山の大将多くビジョン持ち合わせない」
 実は、林さんは43歳の時に、父親が経営していた伊万里木材市場の後を引き継ぐ形で木材など林業ビジネスにかかわった。現在56歳なので、まだ13年間の現場経営経験だが、林さんは、林業の世界に入る前に勤めていた住宅建設大手企業の営業経験などをもとに、林業に活力を与えるためにはさまざまな新しいチャレンジが必要だ、と経営面での改革を試みた。その1つが木材コンビナートの発想だが、工業コンビナートとは異質ながら、新しいビジネスモデルづくりの1つだったことは事実だ。このあたりが企業経営につながる発想で林業の再生をめざす、という面白さにつながっていく。

木材コンビナート自体よりも、林さんが取り組んだ本題の林業版6次産業化の話をしよう。林さんによると、伊万里木材市場という事業体は、流れる川にたとえれば川中にあるが、川上の山元から末端販売の川下までを一貫した流れにする、つまりシステム化することで、ムダを省くと同時にシステム統合によるメリットが出てくると考えた、という。

林さんは「林業の世界は旧態依然としたところがあって、山元にあたる山林地主の人たちは、豊富な山林を保有しながらも、お山の大将的なところがあって、林業の将来に対してビジョンを持ちあわせていません。川下の流通販売分野も力を活かしきれないまま、競争で力をすり減らしているのが現状です。国産材の世界は古すぎるのです」という。

国産材は守られる、国から必ず保護される
という発想抜け切れない
 実は、私の友人に、和歌山県で同じく林業を幅広く経営する榎本さんがいるが、榎本さんの場合、江戸時代からの旧家の山林地主で、広大な山林を今でも保有している。ただ、榎本さんの場合、志が高く、和歌山県でさまざまな林業改革に取り組んでいて、林さんが言うような保守的な山林地主ではない。でも、林さんが指摘するように、九州を含め全国的には、山元で保有する山林を維持することに汲々として、林業の6次産業化といった発想は持っていない頑迷固陋な人たちが多いのかもしれない。

林さんによると、外国産材との競争、それに需要の低迷など国産材をめぐる厳しい状況を考えれば、間違いなく大胆な発想の転換が必要だ。にもかかわらず林業の世界の人たちの間では国産材は守られるもの、だから国からは必ず保護されるという気持がベースにあり、神風がまた吹くという発想が根強い。このため当然ながら、積極的に改革していこうという発想が起きない、という。

行政もやっと「新」がつく生産や
流通・加工のシステム改革に動き出す
 問題は、国有林を含めて膨大な山林、森林資源をどうするのか、外国産材との競争を強いられる国産材の競争力強化を図るべきなのか、また、コンクリートから人へ、という民主党政権の揺れ動く政策とは別に、コンクリートから木へという形で木材の良さを広める形での木材需要掘り起こしも重要だ、さらには新興アジアで木材の持つ温かみ、優しさなどに評価が出ていて、それが需要増になりつつある中で、どうやって輸出戦略を構築するのか、まさに農林水産省自体の行政対応が迫られている。

その話をすると、止まらなくなってしまうので、今回は断念したい。ただ、林さんが取り組んだ6次産業化ともからむ新流通加工システム、さらには新生産システムという、何でも「新」をつければ済む話ではないが、農林水産省、それに傘下の林野庁は林業再生策の一環として、こういった新しいシステム化を目指している。早い話、林さんが川中から川上、川下に働きかけて一貫システム化をつくりあげたと同じように、林野庁も、新生産システム化といった形で原木など素材生産、加工、流通のさまざまな段階、工程をリンクさせるシステムづくりに取り組んでいることは事実だ。

韓国などの日本国産材需要に対応した
モノサシになっていないという驚き
こういうと、行政もやっと動き出したな、という感じもするが、林さんの話を聞いていて、まだまだ現場ではさまざまな課題があるなと実感した。その1つをご紹介しよう。林さんによると、米国産などの外国産材との競争がし烈だが、外国産材メーカーは国内の取扱い商社の情報をもとに日本市場研究を活発に進め、こちらが学ばねばならないことが多い、という。例えば外国産材はフィート、インチをベースに世界中で販売しており、それらが標準のモノサシ。ところが、木材需要の多い日本市場が有望市場のため、彼らは日本のサイズに合わせて寸あるいはメートル、センチでフレキシブル対応する、という。

林さんは「最近、中国や韓国で、木材住宅などの需要が増え始め、われわれ国産材企業にとっては、魅力的な話なのですが、対応しきれていないのです。下手すると、国産材は韓国などの有望市場を失う恐れがあります」という。具体的には国向け輸出の場合、韓国では木材の長さが住宅仕様などから2.4メートルの木材が求められているにもかかわらず、日本からの輸出は頑固に3メートルサイズを変えない。しかも原木を製材する山元側が3メートルにこだわる。これでは韓国側は日本から輸入しても60センチ分がムダになり、コスト高ともなるので、輸入を止めるとなりかねない、というのだ。

企業の農業参入に門戸を開け
経営手法を学び取ることが重要だ
 これは重要な問題だ。せっかく日本の国産材需要が見込めるというのに、相手先市場のニーズに対応して、モノサシをフレキシブルに変えれば済むことだ。それを頑としてやらないのは、林業の世界では国や行政の「お上(かみ)」が決めるまでは待つしかない、という発想、それに供給先行型の企業成長モデルがしみ込んでいて、需要に対応して供給の仕組みを大胆に変えるなど、とんでもない、それ自体がリスクだ、といった発想なのだろう。何とも理解しがたいことだ。

最近、企業の農業参入をめぐって、農協はじめ、農村地域社会に票田を依存する政治家は既得権益を守ろうとして、冷ややかな姿勢でいることを聞き、がっかりする。今回の林さんのケースのように、企業経営の現場でさまざまな経験を積み、それを携えて、固定観念なしに改革志向で、農業のシステム改革に取り組んで成功している人を見ると、企業の農業参入にも門戸を広げ、経営手法を学ぶことが大事だ。

農業の現場で保守的な発想をする人は、企業が利益優先で、もうからないとなるとさっと撤退してしまい、農業の現場は混乱だけが残るからイヤだ、という話を聞くが、閉じこもりの発想ではそれこそ衰退だけが口をあけて待っている、ということになりかねない。

林さんは川上の植林や育林に積極協力、
さらに新エネで投資ファンドも
最後に、今回の林さんの話を聞いていて、なかなか素晴らしいと思ったことがまだある。 6次産業化の延長線上のことだが、伊万里木材市場では、事業の大きな柱の中に、素材生産事業と同時に森林整備事業がある。伐採するだけでなく、あとあとの世代のために植林、育林するなど森林の整備は当然、やるべきだ。川中から積極的に川上に働きかけるだけでなく、自分たちで協力している、というのだ。

そればかりでない。林さんは「豊富で美しい森林資源は観光にも活かせます。きれいな水資源を生み出す貴重な場所です。さらにはバイオマス燃料など新エネルギーにも活用可能です。私は今、そのからみでは投資ファンドに働きかけて、森林資源を育てながら、ビジネスにもつなげることが出来ないか考えています。産学連携もあります。こうしてみると、林業はいろいろな広がりが期待でき、面白いです」という。いいじゃないかと思わず思ってしまう。企業経営の発想で、さまざまなビジネスチャンスの掘り起しは必要だ。

なお、日本政策金融公庫農林水産事業本部発行のAFCフォーラムという月刊誌の最近2月号で、林さんのインタビュー記事も書いたので、ぜひ、ご覧いただけばと思う。

50年後に超人口減少社会? 手を打たない政治や行政に問題

 最近、メディア報道に苛立ち、憤りをおぼえることがあった。50年後の2060年の日本の総人口が、1億人を大きく割り込んで8600万人に落ち込むと同時に、その40%を高齢層が重々しく占めること、逆に15歳から64歳までの働き手世代の生産年齢人口は4418万人へと一気に減少し、総人口の50%にとどまる、といった超高齢社会、超人口減少社会の姿を浮き彫りにする人口の将来推計が国立社会保障・人口問題研究所から公表されたことをめぐっての報道ぶりのことだ。

新聞やテレビのメディアがそれを一斉に、しかも大々的に報じたのだが、まるで官報というか、政府広報のような報道ぶりで、正直なところ、本来のあるべきメディア報道と大きくかけ離れるものだったため、「何だ、この報道は、、、」と思ったのだ。

「予想できた危機をなぜ防げない」と同じ、
政府広報のメディア報道も問題
 というのも、コダックの経営破たん問題を取り上げた169回コラムで話題にした「予測できた危機をなぜ防げなかったのか?――組織・リーダーが克服すべき3つの障壁」(東洋経済新報社刊)という本のタイトルではないが、間違いなく速いスピードで日本の人口減少が進むのは、誰もが知っていること、とくに、状況に流されて、何の手も打たなければ、そのスピードがさらに加速することもわかっていることだ。

メディアとしては当然、そうした予測できる危機に対して、みんなで何をすべきか、そして政治や行政はどういった手を打ってきたのか、また対策を持ち合わせているのかを鋭く検証し、もし政治や行政に怠慢などがあれば厳しく批判すること、それだけでなく、独自に対案を示すことが言論メディアに課せられた役割でないのか。

メディアOBの時代刺激人ジャーナリストの立場からすれば、現役メディアの政府広報的な、いわば発表を右から左にそのまま伝えるだけの報道姿勢に対して、強い憤りや不満を感じた。

少子化対策では間に合わない、
むしろ外国人人材の移住を認めることだ
 では、私は、この問題に、どう考えるかが問われる。以前から、このコラムでも申し上げていることだが、産めよ、増やせよ的な少子化対策をとるのは、もちろん、重要ながら、産まれた子供たちが大きくなって成人になるまでには、かなりの時間がかかり、働き手の生産年齢人口の減少に歯止めがなかなかかけられない。

どうすればいいか。私の問題意識は、はっきりしている。まずは、外国人に対して、日本という国の門戸を開放し、とくに人材の移住、移民を受け入れることだと思っている。すべての外国人に無制限に門戸開放というのは、現実問題として、リスクを伴う。とくに、北朝鮮が仮に破たんして、難民の形で日本に殺到してきた場合のリスクなどがそれだ。やはり、まずは日本の経済社会に活力をもたらす技術や技能を持った人材の受け入れに門戸を開くことが大事だ。そして、そのためのさまざまな制度設計を急ぐべきだ。

パソナグループの南部さんも「人材開国」論者、
異質なものが混じり合い活力を
 私の友人で、パソナグループ代表の南部靖之さんも、この外国人人材の受け入れに関しては積極論者として有名だ。南部さんは著書「人材開国」(財界研究所刊)で、こう述べている。少し引用させていただこう。「異質なものが混じり合うことから生まれる活力、日本社会の見直し、世界常識とのズレの是正など、『人材開国』がもたらしてくれるであろうメリットは極めて大きいはず」という。そのとおりだ。

米国に、すべて先進モデル例があるとは思わないが、こと、移民政策に関しては、日本は米国を見習い、とくに制度設計を学習することが必要だ。米国は1990年の移民法改正で、就労を目的にした移民枠を大きく拡大し年間14万人にまで増やしたが、その際のビザの割り当ての仕方が興味深い。南部さんが言う「人材開国」とからむ話だ。

米国は5段階で人材の移民に門戸開く、
日本も制度設計面で参考に
 具体的には、米国は人材の移民受け入れに関して、ビザで優先順位をつけている。まずトップには科学や芸術、教育、ビジネス、スポーツ分野で国際的な評価を得ている人材、続いて2番目は、ランクが少し下がるが、同様に国際的な評価を得ている専門的な技能者、さらに3番目は熟練労働者、4番目が各国の政府関係者だ。最後の5番目がいかにも米国らしいところだが、100万ドル以上の投資ができる投資家などの人材で、しかもマネーゲーム的に投資することよりも、その投資によって、10人以上の米国人の雇用創出につながるケースならば文句なくOKという。

日本が、移民政策の大胆な制度変更で、仮に、外国人の人材を積極的に受け入れる場合に、米国と違った人材の移民に道筋をつけるかどうかは、日本自身の判断だ。しかし、少なくともそれら外国人人材が、日本に強い魅力を感じ思わず永住したくなる、日本で起業して新たなビジネスチャンスを得ようとする、日本人と積極的に結婚し日本人であることを誇りにするようになる状況を作り出す経済社会環境づくり、制度設計が重要になる。

日本が外国人人材を引き付ける
魅力を持てるかどうかが課題
 問題は、日本という国が、さまざまな国の人たちにとって、まだまだ魅力あり、かつビジネスを展開しても刺激的だと思わせる部分があるかどうかだ。かつて、私が毎日新聞からロイター通信に転職した20年前、外国メディアにとっては、東京発海外へのニュースがいっぱいあると、競って東京に発信拠点を置き、記者も常駐させた。その後はデフレ状況が長く続く日本経済に魅力なし、ニュースバリューなしと、彼らは中国の上海や北京、さらにシンガポールに拠点を移してしまっている。

昨年の3.11の東日本大震災、その直後の東京電力の原発事故で、一時的に、彼らの日本発のニュース発信量が急増したが、その多くは東京に再び、拠点を移しての取材ではなく、どちらかといえば、上海や香港などからの臨時特派員の出張取材が多かった。

中國人観光客の日本のものづくり技術礼賛や
米国人夫婦の話はヒント
 この外国メディアの動きを見る限り、日本が外国人人材に対して、門戸を開放しても、日本を魅力ある国と思わないのだろうか、と心配になる。しかし、結論から先に言えば、それはNOだ。

最近のテレビ報道で、春節を利用して中国人観光客が日本を訪れた。原発事故によるリスクを懸念して一時、来日を見合わせる外国人観光客が多かったようだが、テレビ報道を見る限り、原発事故以前の状況に戻りつつある、と見える。面白かったのは、上海のニューリッチ、つまり新富裕層の人たちかどうかわからないが、東京で日本製の電気炊飯器を5つもまとめ買いし、「日本の製品は品質面でも素晴らしい。上海で日本製を買おうと思うと、高率関税で割高のため、東京で買うのだ」と。要は、日本のものづくり技術への強い信頼が言葉から感じられる。

もう1つは、最近、東京で出会った米国人夫婦のいい話だ。もともと日本好きもあって、日本国内をいろいろ旅行したあと、東京でたまたま話をする機会があったのだが、要は、日本のレストランはじめ、地方の温泉めぐりなどで、いわゆる誠意を感じさせるサービスが米国にも他の国にもない優れたもので、おもてなし文化は日本のソフトパワーだ、日本は成熟国家になっているが、経済成長で中国のように必死にならず、豊かな生活大国のモデル事例をつくればいいでないか、という話だった。何ともうれしくなる。要は、日本の戦略的な強みをアピールすればいいのに、というのだ。

外交官OB田中さん
「量を追い求める時代から、日本は衣替えを」
 2月8日付の毎日新聞の「世界の鼓動」欄で、外交官OBの日本総研国際戦略研究所長の田中均さんが、上海と京都の2つの都市を歩いた際に感じた経験をもとに、日本が今後歩むべき道をうまく描写しており、私の問題提起ともからむので、引用させていただこう。

「日本が規模で世界を席巻することは、もうあるまい。国内総生産(GDP)のみならず自動車や家電製品が世界市場でトップのシェアを持つこともないかもしれない。(中略)このまま、日本は衰退するのだろうか」と。

そして、田中さんは「私たちが忘れてならないのは、日本人の豊かな資質である。文化だけではなく、高品質な製品やサービスで、日本が他国に劣るとは到底、考えられない。(中略)日本は高品質国家として、強い競争力を有している」と。さらに続けて、「そろそろ、GDPの大きさや量を求める日本から、質を追求する本来の日本に衣替えするときが来たようである。(中略)熟成した文化と繊細な技量をもって世界に出ていく時期が来ているように、私は思えるのだが、、、」と。

冒頭の50年後の超人口減少社会の問題が議論になる場合、メディアを含めて、誰もがそのまま経済社会の衰退を、ただ何の手立てを打つこともなくじっと見守っているなどということは想像もしたくないし、あり得ないことだ。そういった意味で、政治が内向き志向のまま、ひたすら政争に明け暮れたりせず、また行政も自信喪失なのか、状況に流されることなく、日本の再生に向けての社会システムデザインづくり、新たな制度設計に立ち向かってほしい。メディアも、その延長線上で存在感のある仕事をしてほしい。

日本は世界の先例となる質の高い
ライフスタイル、ソフトパワー国家に
 そこで、私が問題提起したいのは、田中さんと同じ問題意識で、日本は、以前のコラムでも申し上げた、高齢社会に伴って起きる医療や年金、教育など社会インフラのさまざまな課題に関して、日本が率先して先進モデル例になるような制度設計を行い、胸を張って「課題克服先進国」と名乗れるように取り組みを行うこと、また米国人夫婦が評価した日本のおもてなし文化などサービスの質の高さ、高品質のものづくり技術に裏打ちされたライフスタイルの質の高さを追い求め、いわゆるソフトパワーとして体系化、システム化すること、さらに原発事故をきっかけに、エネルギーの新しい体系づくりを日本自身がやはり先進モデル例として打ち出すことーーなどだ。

情緒的だな、と思われたら心外だ。日本は、経済発展段階で言えば、成熟レベルに来ているが、いまは、日本は、GDPでひたすら経済覇権を競うどこかの国のような国とは違って、新たな経済社会のモデルづくりを行う時代に来ている。原発事故に限らないが、いわゆる供給先行型の企業成長パターン、量的な成長を追い求める時代から、間違いなく次のステップに来ている。

かつて大阪万博をきっかけに、日本の高度成長時代が幕開けし、さまざまな問題を抱え込むことになったが、昨年の中国の上海万博を見ても、中国はかつての大阪万博時の日本と同じように急速な都市化に伴うさまざまな問題を後追いするのだろうな。日本は、先を走った国として、先輩国として、課題克服の事例を示すことで、兄貴分としても対応することで、連携も進めればいいのだと思っている。その意味で、日本はソフトパワーを大きくアピールすればいいのだ。いかだろうか。

遅々として進まない東日本復興 こわい政治空白、官僚動かぬ恐れ

 2011年3月11日午後に東日本地域を襲った大地震、大津波から1年半がたった。運命が狂わされた多くの人たちにとって、行き場を失ったまま、どう生き抜くか辛く厳しい現実が続いている。今年8月末に、私は、宮城県仙台市若林区の被災地を1年ぶりに訪れて、農業の復興状況がどうなったか見て回る機会があったが、大津波の爪あとが深く刻み込まれた農地が点在し、草が伸び放題で手つかずのまま、というケースが多かった。

そればかりでない。何も変わらない現実が重くのしかかっていた。1年前に、大津波で農地に壊滅的な被害を受けた農業者の人たちに出会った際、「危機をチャンスに切り替えるしかない。地域や集落で協議し、個別農地の線引きを見直して集約化を図り、大規模経営をめざす」と言っていた話の「その後」を聞いたところ、利害が錯そうして足並みがそろわないうえ、集会のたびに、頑固で保守的な古老の農業者らの反対の声の大きさに、改革派の農業者も説得に疲れ果て、今では事実上、集約による大規模化構想は棚上げ状態だ、というのだ。何とも悔しい話だ。政治や行政がなぜ、こうした現場で変革を主導する役割を果たさないのか、と強い憤りも同時に感じた。

官僚の発想はレームダック化した政権下でリスクとらない?
被災者目線がゼロ
そんな矢先、別の被災地域の現場を歩いていたら、とてもがっかりする話を聞いた。復興プロジェクトを進めている農業関係者が「我慢ならない」と語ってくれた話だ。それによると、復興庁の現場に象徴されるそうだが、霞が関の中央官庁の官僚は総じて、今の混迷する政治状況のもとで、あえてリスクをとって政策実現に動こうとしない。官僚のしたたかさで、政治がどう動くかという様子見に転じたため、復興の現場でプロジェクト申請しても動きが急になくなった、というのだ。

要は、政治が混迷を極め、民主党政権も半ば統治能力を失いつつあり、レームダック化してきている、と官僚は冷ややかに受け止める。そして、解散総総選挙後の新政権がどうなるか定かでなく、仮に、復興の現場でリスクをとってプロジェクトを進めた結果、あとで、新政権のもとで「なぜ、そんなプロジェクトを進めたのか」と責任追及されたりするリスクもある。そのことを考えれば、ここは動くべきでない、という判断なのだろう。そこには被災者目線がゼロなのだ。でも、これが復興をめざすべき現場の悲しい現実だ。

政治家も解散総選挙を意識し復興への取り組み実績アピールに終始の悲しい話
 ディアも集中的に取り上げている東日本大震災から1年半、何が変わったか、という特集企画に連動する、というわけでないが、私が被災地現場で見聞した話を交えて、今回は、東日本の地域再生、復興をめぐる問題を取り上げてみたい。

さきほどの農業関係者の話には、まだ後がある。「誰だとは言えないが、復興にかかわる民主党の政治家を見ていると、自身の浮沈がかかる解散総選挙を意識してか、復興プロジェクトでどういった汗を流したかのアピールなどに終始して見苦しい。復興庁の現場官僚の冷めた動きと合わせて、われわれのように、早く何とかしなくてはという立場の人間にとっては、むなしくなる。とくに政治空白がこわい。政治が指導力に欠け劣化する現実をつくづく感じる」と。政治家の罪も大きい。

NHKスペシャル「追跡 復興予算19兆円」調査報道は信じられない現実を指摘
復興に取り組む現場で見聞した話をする前に、9月9日夜に放映されたNHKスペシャル「追跡 復興予算19兆円」がなかなか素晴らしい内容の調査報道だったので、ぜひ、取り上げさせていただきたい。

結論から先に申し上げよう。本来ならば、東日本の復興に使われるべき国民の税金19兆円の一部が、何と復興と関係ないプロジェクトに使われ、被災地に届いていない、というのだ。しかも、そこには霞が関の各省庁の官僚の巧みな政策誘導によって、遠回しに復興につながるような大義名分で予算化が認められていた、というのだ。
NHKスペシャルの番組担当者がわざわざ情報公開で入手した予算書を、阪神・淡路大震災時に、同じような問題意識で予算チェックした神戸大の塩崎賢明名誉教授の協力で分析し、それをもとに現場取材したものだ。既存の新聞社は、記者クラブ制度に安住せず、こうした調査報道で存在感をアピールすべきだと思うが、それにしても、NHKはよくやった、と思う。

沖縄県国頭村の護岸・国道工事に復興予算から5億円計上、
住民もびっくり
 その報道で、興味深い事例をいくつか紹介させていただこう。1つは、国土交通省所管のプロジェクトで、何と沖縄県の国頭(くにがみ)村での海岸線沿いの国道および海岸護岸工事7億円のうち、5億円が復興のための19兆円の中から予算計上されていた。この工事自体は8年がかりのプロジェクトで、これまでは台風対策の名目で予算化されていたが、NHK報道によると、今回は地震対策のため、という項目が加えられたためか、予算が認められたようだ、という。

NHKは、住民の人に対して「この工事のカネは東日本大震災の復興予算から出ていますが、ご存じだったですか」と聞いたら、その住民は「えっ、そうなんですか」と、驚いて聞き返すが映像に映し出された。住民が驚くのも無理はない。われわれだって驚く話だ。なぜ、沖縄の護岸や国道の補強工事が東日本の復興と結びつくのだろうか。

岐阜県コンタクトレンズ会社の設備拡張に補助金がなぜ被災地への波及効果?
 この類の話はまだまだあった。経済産業省所管のプロジェクトで、岐阜県関市のコンタクトレンズ企業の工場拡張の設備投資に関して、被災地への波及効果を見越した国内立地補助金名目で予算計上され、それが認められている。岐阜のコンタクトレンズ工場の設備拡張がどう被災地につながるのか、と思っていたら、NHKが取材した経済産業省担当者のコメントは「岐阜県で生産が伸びれば、その会社の仙台支店の販売増につながり、雇用も増える。被災地への波及効果は十分に見込める」というものだった。明らかに、無理スジの理屈付けだが、これまた復興予算19兆円から予算化されているのだ。

もう1つだけ、事例を加えよう。NHK報道によると、外務省所管の21世紀青少年国際交流事業に関しても、東日本とのきずな強化プロジェクトの一環ということで、予算がつけられていた。これまで長年、続いていたプロジェクトながら、今回、東京や大阪、京都の見学コースに2日間、南三陸町沖合いを船で回るプログラムを付け加えただけの話だ。外務省アジア太平洋局の幹部は「手法やアプローチは例年のものと似ているが、今回、被災地へ行くことで、意味が違っている」と、何とも苦しいコメントだった。

2011年度の復興予算のうち、5.8兆円が使われず繰り越しの現実も
 NHKスペシャルはこのあと、これら霞が関の行政機関の悪乗りとも思える便乗型の復興関連付けプロジェクトへの予算配分のおかしさを指摘したあと、被災地では逆に、厳しい予算査定で補助金などが認められず、苦悩する人たちの姿を描いている。私もこのあと、似たような事例を申し上げたいので、紹介を省かせていただくが、ぜひ、再放送のチャンスがあれば、この「追跡 復興予算19兆円」をご覧になったらいい。

ところで、復興庁によると、こういった復興と無縁な予算の使われ方がされているおかしさがある一方で、2011年度の復興関係費約15兆円のうち、何と5兆8000億円が使われず仕舞いだった。とくに、そのうち4兆7000億円が2012年度に繰り越され、残り1兆1000億円に関しては関係省庁が復興特別会計に入れ、財政需要に応じてフレキシブルに対応する、という。
このうち、未使用額が4兆7000億円の巨額にのぼったのは、プロジェクトがらみで住民の人たちの合意が得られるまで執行を抑えたケースとか、逆に、予算の査定にかかわる担当者の人数不足で、やむなく未使用になった、と復興庁関係者は説明している。

被災企業への補助がらみで被災者雇用の条件付けが負担で
申請敬遠事例も
さて、私が被災現場で聞いた話で、思わず、行政サイドが予算執行に際して、もっとフレキシブルな対応を考えるか、制度設計を手直しするかしないと、復興の実績は上がらないのでないかと思ったことがある。それは、被災企業が被災者を1年以上、あるいは身分保障して無期限に雇用する、という雇用契約条件を実現すれば、事業復興型雇用創出助成金という予算費目で1人の雇用にあたって最大225万円の補助金を経営者側に出す、という制度があるのだが、被災者支援でさまざまなプロジェクトにかかわっている友人から聞いた話では、被災企業の経営者も大津波で資産をなくして、それでも再生をと踏ん張っていても、補助金ほしさで無理に雇用を増やす自信がない、という人が多いというのだ。

国としては、復興の大きな柱として、事業創出と合わせて被災者の雇用の創出を、という気持ちが強いのは当然だろう。そのために、事業復興型雇用創出助成金という形で、2012年度に4万3000人の被災地雇用を見込んでいるが、聞いた話では、まだ10%弱の実績、という。

官僚も被災の経営者に自信を与えるように制度設計の見直しが必要
 友人の話のように、経営者自身も、事業再生を手伝ってくれる人たちを雇用し、同時に、国からも助成金名目の補助金をもらいたいという気持ちがある一方で、自身が被災でダメージを受けて資産を失たりして、弱気になっている面もあって、雇用をどこまで維持できるか自信がない、というのが本音なのだろう。
こういった場合、官僚も、政策執行に際して、理屈付けさえ、ちゃんとしていれば、フレキシブルに対応可能と、たとえば、雇用に際して何らかの留保条件をつけて、まずは補助金を活用しやすい仕組みに手直しをするとか、工夫が必要だ。このままでは、がんじがらめの仕組みで、運用実績が上がらず、それはそのまま復興につながらない、ということになりかねない。民間の知恵を仰ぐの一案だ。

政治が指導力発揮しなければ事態は動かない、
野田首相も自身も肝に銘ずべきだ
 こうした復興現場でのさまざまな現実、とくに復興予算を活用して動きたいと言っても肝心の復興庁の官僚らが混迷政治の現状に、リスクをとって妙な責任をとらされるのを嫌がって動かないといったことや、おかしな予算の使われ方がしている現実に対して、私は政治がしっかりとした指導力を発揮していれば、こんなことにはならない、そういった意味で政治が問われる、と思う。

野田首相が以前、外国メディアのインタビューに対して「新しい日本を再建することが政治の使命だ。大震災前に存在した日本の姿に戻すという復旧や再生ではない」と述べたそうだが、野田首相自身、自らの言葉に重みを感じているのだろうかと問いたくなる。