大丈夫?自民総裁の大胆金融緩和策 資金需要伸びず、デフレ脱却は別対策で

日本の政治劣化で先行きに不安を感じていたが、総選挙に臨む主だった政党の動きを見ていると、時代刺激人ジャーナリストの立場で言えば、荒っぽい選挙公約が目立ち、率直なところ、ますます不安を感じる。政権交代で有権者が変化を期待した民主党は期待裏切りの3年間だったし、とって代わろうと意気込む自民党は同じ3年間で、徹底批判された古い政治体質をどう反省し、新たな政策の力を蓄えたのかがさっぱり見えない。

第3極をめざす政党は、と言えば、維新ひとつ見ても準備不足が否めず、仮に自民、民主両党の既存政党離れの無党派層票を得たとしても、民主党の未熟の二の舞いになりかねない。また、総選挙対策の理由で政党再編に踏み切った少数政党は、期待を抱かせる政策になっていない。日本の周辺の新興アジアで、対中国を含めて、しっかりとした取り組み対応が必要なのに、日本の政治は、大丈夫なのだろうか、と思わず考えこんでしまう。

政権狙い理解できても、
インフレターゲット2%実現に向けた大胆緩和は荒っぽい
今回のコラムでは、経済ジャーナリストの立場で、経済問題にしぼって考えてみたい。特に、次期政権の最短距離にいる、と世論調査で出ている自民党、その政治リーダーの安倍総裁の打ち出した大胆金融緩和策が何とも現実を見据えない不安な部分を残しているので、それを中心に問題展開したい。

結論から先に申し上げよう。安倍自民党総裁が総選挙に勝利して政権奪還したい、という政治的意図を理解できないわけでないが、そのためにインフレターゲットにあたる消費者物価上昇率目標を2%に置き、その実現に向けた日銀の大胆金融緩和によって一気にデフレ脱却をめざせばいい、という主張は荒っぽい。

「公共事業10年集中的実施の財源、
日銀の国債大量買入れ増で」も危うい
 関連して、社会保障財源確保のために民主、自民、公明3党合意で踏み出した消費税率引き上げに関しても、安倍総裁は、デフレが長引き物価回復が見込めなければ税率引き上げを白紙にせざるを得ない、そうなれば社会保障改革も先送りになるが、それでいいのか、と半ば選択肢はないぞ、とでも言いたげな形でデフレ脱却の大胆金融緩和に固執する政策姿勢だ。これも同じく大丈夫なのかな、と思いたくなる。

また、安倍総裁は、選挙公約で防災と減災のための公共事業を10年間に集中的に行うことを鮮明に打ち出し、その財源については「建設国債をできれば日銀に全部買ってもらう」と発言し、財政法で禁じた日銀の国債引き受けにつながりかねない、との反発が出たため、一転して、市場経由での日銀による国債の一段の大量買い入れ増でまかなえ、との主張になったようだ。しかし、聞きようによっては、日銀に財政資金の貯金箱役を、というわけで、財政規律の問題をどこまで本気で考えるのか、安倍総裁も危ういな、と首をかしげざるを得ない。

安倍総裁の強気の金融緩和策は金融市場での株高・円安でさらに弾み
 総選挙を意識した政策公約とはいえ、なぜ、こんな言動になるのだろうか、と考えたが、それは株式市場での株高、また為替市場での円安の進行にあった。安倍総裁が、この金融緩和大胆論をぶち上げてから、金融市場が、政策効果期待を先取りする形で、株高、そして円安を織り込んだのだ。

それに自信を得たのか、安倍総裁は「もう、この金融緩和をめぐる民主党の野田首相との論争は勝負あった。すでに自民党が政策の新公約を発表したあと、円が円高の行き過ぎが是正されてどんどん(円安方向に)下がっていくではないか。株価は逆に上がっている。どちらの政策が正しいかは、もうすでにはっきりしている」と、地方遊説先の自民党セミナーで述べている。

日銀がすでにインフレターゲット導入し量的緩和しても効果上がらずをどう見る?
 さて、ここで、日銀の金融政策を現場でウオッチしてきた経済ジャーナリストの立場で、安倍総裁が打ち出した大胆金融政策のどんなところが荒っぽく、危ういなと感じるか、申し上げよう。

最大のポイントは、すでに日銀は今年2月、物価上昇率1%めどをターゲットにした「インフレ目標」政策を初めて導入すると同時に、一段の大幅な量的金融緩和策を行ったが、ユーロ危機や中国経済の鈍化を背景にした日本経済の実体経済自体の弱さでデフレ脱却がさっぱり進んでおらず、量的な金融緩和策の効果に限界があるのでないかということだ。
にもかかわらず、安倍総裁は、日銀の量的緩和がまだ小幅にとどまっていることにこそ問題ありとし、最近の講演では「輪転機をぐるぐる回して無制限にお札(日銀券)をすればいい」「(民間銀行が日銀に預ける)当座預金金利も現在の年0.1%よりもゼロかマイナスにすればいい」といった形で、無制限の金融緩和を主張している。

金融機関は資金需要難を理由に長期国債に投資運用し量的緩和効果上がらず
 しかし、それによって、本当に経済がデフレ脱却に向かうという保証はあるのだろうか、これまでの金融政策を検証しても大胆緩和の効果が上がっておらず、さらに緩めるというのは副作用の方が大きくなるリスクがあるのではないか、ということだ。現実問題として、東日本の復興開発現場での企業の資金需要は別にして、いま、旺盛な資金需要が日本国内であふれんばかりに起きているのにマネー供給が不足して、そのネックによってデフレの深化が進んでいる、とは思いにくい。

むしろ、メガバンクを含めて民間金融機関が融資先の企業への資金が不良債権化するのを恐れて、貸し渋りを行っている、というよりも、資金需要が起きないために、これら金融機関は、相も変わらず長期国債に投資しているのが現実だ。いわば、行き場のない量的緩和のマネーは金融機関の手元で滞留するか、長期国債投資への運用に回っているのだ。安倍総裁は、この金融現場の現実をどう見ているのだろうか。

それでも安倍総裁は日銀法改正して説明責任や雇用増加協力を負わせると強気
 そればかりでない。安倍総裁は、日銀がインフレターゲットを1%とか小幅に置いていることに問題があるのであって、自民党の政策公約では2%に引き上げたが、自分自身としては3%でもいいと考えている。そうすれば、一気に金融緩和感が実体経済に浸透し、経済の流れが変わってくる、という。そして、自民党が政権をとった段階で、日銀法を改正し、政府のマクロ政策の実現に向けて協力させると同時に、インフレターゲットに実績が達しない場合には日銀総裁に説明責任を求める、さらに日銀には雇用増加に関しても政策責任を負わせる。そのために、日銀法の改正も視野に入れる、というのだ。
このうち、政府が中央銀行の聖域とも言える独立性の部分に手を突っ込むのは問題でないか、という反発が出てきたため、安倍総裁は言葉を濁しているが、政治が金融政策に注文をつけて何がまずいのか、といった姿勢を変えておらず、この点でも危うさを感じる。

日銀による国債直接引き受けめぐる発言でもマーケットへの影響を考えるべきだ
 それに、金融専門家やシンクタンク・エコノミストらから反発を招いた、安倍総裁が一時、公言した日銀による政府発行の国債直接引き受け問題に関しても、当初は日銀法改正でやるべきだ、と発言し、実は日銀の国債引き受けを禁じているのが財政法だと言う点を安倍総裁は知らなかったフシがある。その点でも、安倍総裁は金融政策には十分な知識がなく、周辺の政策の知恵をつけた人たちの話を消化不良のまま、オープンな場でしゃべってしまった、という危うさもうかがえる。

ただ、このあたりは、いずれ政権をとるかもしれない自民党の総裁として、あるいは首相候補として、マーケットにも、金融政策にも十分な見識がないまま、アドバルーンだけ上げる政治家と決めつけられてしまえば、今度は一転、金融マーケットから売り浴びせられるリスクもある。率直に言って、マーケットにからむ問題の発言に関しては、言葉を選びながら発言をすることが重要だ、ということを申し上げたい。

その点で申し上げれば、実体経済が好転していない中で、日銀による国債引き受けを主張したりするリスクは計り知れない。というのも、欧米の金融投機筋が一転して、日本国債売りだとか、日本円は売りだといった形でマネーゲームのターゲットにしかねない問題がある。今や日本国内では、さきほど申し上げたように、民間金融機関が足元の滞留マネーの運用先として長期国債投資に向かい、国債価格が高く、逆に長期金利が低く抑えられているプラス効果が出ているが、もし、欧米投機筋の思惑的な日本国債売りによって、一転して国債価格下落、長期金利が逆に急上昇となったら、それこそ実体経済のダウンサイドリスクを引き起こす。

政府は海外投資家が思わず日本に投資したいと思う大胆なプロジェクトを
 それよりも、私は以前から申し上げている点だが、デフレ脱却のために、絶対にこれだという妙案はないとはいえ、政府や、さらには政治がもっと大胆な規制緩和策を打ち出すと同時に、一段の経済特区の推進などを行え、という立場だ。とくに、東日本の大震災地域の復興に関しても、政府主導で新たな復興特区、防災面で農漁業と都市がバランスや調和がとれる新たな町づくりで復興需要を高めるとか、海外の投資家が思わず、これなら日本の再生に賭けて投資してみようと思うような構想力のある、わくわくするようなプロジェクトを立ち上げることの方がマネーは動き、それに誘発されて経済が活性化すると思う。

現に、民間の大企業を中心に、内部留保は多いのに、行き場を見出せず、資金をだぶつかせている企業が意外に多い。これら企業の資金を積極投資に引っ張り出す大胆なプロジェクトを、政府自らが打ち出していけばいいのだ。金融政策に過大な負担を強いるよりも、まずは政府がもっとアクションを起こすことだ。もはや、かけ声だけの成長政策を計画で出すようなことを終わりにすべきだ。

自民党は野に下った3年間で見違えるようによくなったと思わせる政党に
民主党がレームダック化してしまった現状で、有権者は、今回の総選挙で、民主党に政権交代を委ねた「失敗の教訓」として、政権担当経験がある自民党に、という有権者の判断があるのは事実。世論調査結果などにも出ている。それだけに、安倍総裁は自覚を持って、そして誰もが、これは面白い、期待が持てると思うようなしっかりとした政策の裏付けがある提案をしてほしい、と言いたい。いかがだろうか。

私の専門分野ではないが、自衛隊の国防軍構想の話なども、聞けば聞くほど、危うさを感じる。それに仮に、政権をとって、首相になったあとに、靖国神社参拝や尖閣問題で過激発言を行って対中国関係を悪化させる恐れも懸念材料だ。自民党よ、野に下っていたこの3年間で、本当に勉強して、信頼に足る政党としてよみがえったな、と言われるようにしてほしい。

就職難の若者の閉そく状況は社会問題、企業の新卒一括採用は弊害多い プロ野球と同様、実力評価の中途採用を、終身雇用や年功序列賃金も見直す

大学生に限らず若者全体の就職がうまく進まず、大きな社会問題になっている。競争社会に投げこまれた若者たちにとって、実社会に出る最初の部分で出鼻をくじかれれば不安ばかりが先行し、縮み志向、内向き志向の意識行動に拍車がかかってしまいかねない。それがとても心配だ。さりとて企業の側も、デフレ脱却が進まない景気状況のもとで、過去のバブル期に大量採用した社員の塊りがあるため、いきおい、積極採用に踏み切れない悩みがあるのも事実。では政治が手を差しのべるかというと、菅直人首相が「1に雇用、2に雇用、3に雇用」と政治家独特のメッセージを流しても、指導力を発揮できないまま雇用を生み出せずにいる。いったい、この閉そく状況をどうすればいいのだろうか。

景気回復図ること最優先だが、企業はスピードの時代に対応し制度の再構築も
 結論から先に申し上げよう。まずは景気回復につながる需要創出策を図って企業が先行きに自信を持ち、雇用に関して積極投資する状況を早くつくるしかない。それと同時に、企業はこの際、長年とり続けてきた大学生を中心にした新卒一括採用というシステムが、時代に合わなくなっており、その採用制度を止めることだ。そして企業は、社員採用に関して新卒に限定せず、むしろ年齢制限を外して能力ある人たちの中途採用に道を大きく開くこと、とくに2、3年間、海外でのボランティア体験など評価できそうなさまざまな活動をした人たちのうち、優秀だと判断できる場合、積極的に中途採用することだ。

そして、ここからがポイント部分だが、企業は、長年、日本的な経営という形で重視してきた終身雇用制度、それに連動する年功序列型の賃金制度も、スピードの時代、グローバルの時代に対応できるようにそろって見直しを行い、それに代わる制度を早急に検討する必要がある。

若者が終身雇用制度を逆利用し入社と同時に安定志向に走るのは驚き
 最近聞いて信じられないと思ったことの1つに、新卒で入社した若者の中に、ひとたび企業に入ったら終身雇用という身分保証がある安心感から安定志向の意識行動をとる、という。ハングリーさに欠けるような、緊張感をなくす制度を温存していくのは企業にとってリスクだ。むしろ、そうした終身雇用制度にサヨナラをして、企業側はプロ野球と同じように仕事評価制度のもとに、その評価に合わない社員については、ある一定期限を経て、雇用契約を打ち切る制度にして緊張感を持つことが大事だ。
その場合、給与制度についても、私自身が毎日新聞からロイター通信に転職した際に経験した年俸制度を導入するのも一案だ。成績評価制度をつくって、企業に貢献する仕事内容であれば翌年度の年俸評価で増額し、逆に評価に値しない仕事内容が続けば、年俸を引き下げることもあり得るという形で、安定志向にクサビを打ちこめるようにすることがむしろ必要なのでないだろうか。
いま、新卒一括という企業の採用制度が、さまざまな弊害をもたらしている。企業が大学3年生の10月から新卒採用をスタートするという仕組みにしているため、そこで何が起きているかというと、大学生は、企業訪問し、企業の面接を受けるためのエントリーシート提出に躍起になる。インターネットを通じての申し込みにも必死になるが、ひどいのになると、親を動員して200社、あるいは300社の面接のチャンスを得ようとする、という。
書類審査を経ての面接の関門を通らねばならず、ふるい落とされるリスク回避のために大学の講義などそっちのけで、まずは企業訪問、あるいは面接のチャンス確保のための企業研究が最優先となり、大学3年生、そして内定を得られなければ大学最終年次の4年生も就活と言われる就職活動一色になる、というのだ。

今や大学1、2年生から就職活動を最優先、大学側も授業欠席を黙認
 ところが、もっと驚いたのは、友人のある大学教授のショッキングな話だ。その大学では学生の就活に配慮して2年生から学外セミナーの参加を容認している、という。そのセミナーは問題意識を生みだす研究セミナーなどかと思えば大違い、要は企業の就職説明会のようなものだ。教授としては担当の授業の欠席に目をつぶらざるを得ないのだ、という。
別の友人の大学教授は「メディアで就職氷河期などと危機をあおる報道をするので、学生がますます浮足立ってしまう。大学側も学生の企業訪問、企業でのインターン活動のスタートを大学1年生の段階から認めている」と話している。大学が高等教育の場を半ば放棄して、学生の就職のバックアップをしているのが現実なのだ。
その大学教授は「単位不足で卒業できず留年されてしまい、こちらが変に面倒を見ざるを得ないような状況に追い込まれるよりは、いっそのこと、こちらが目をつぶって、『どうぞお好きに。早く企業の採用内定をもらってこいよ』といった状況に陥ってしまう」というのだ。そればかりでない。大学生の中には、就職先が決まらないまま、卒業すると不安定ということで、わざと留年するか、就職狙いで大学院に進学するケースも多い、という。どこかがおかしい。

海外旅行していたら就職チャンス失うと目先の利益に走る若者の現実がこわい
 そればかりでない。私自身、学生時代に「なんでも見てやろう」式で、海外のいろいろな国にいくために必死にチャンスを探したし、そのわずかなチャンスを活用して冷戦真っただ中の旧東ドイツでベルリンの壁を見ることが出来た。またアジアでもさまざまな経験をした。中印国境紛争が激しいころ、インドのカルカッタ(現コルカタ)駅頭で中国人と間違えられて囲まれ、あわやリンチに合いかねない経験、さらにはその数年後、ベトナム戦争で米国の北爆が始まったころだが、旧南ベトナムの首都サイゴン郊外にあるビエンホアという空軍基地を見にいき、サイゴンに戻って船で香港に着いて新聞を見たら、その基地がベトコンと呼ばれる旧北ベトナムの兵士に襲撃されたとことを知って南ベトナムの陥落はそう遠くないことを実感した。日本に戻って平和のありがたさをしみじみと感じた。しかし世界の激動を学生時代に実感した経験は、その後のジャーナリスト活動にも影響を与えたことは間違いない。
ところが、就職活動に組み込まれて必死の大学生にすれば、新興アジアという世界の成長センターになど関心を持つよりも、まずは目先の就職活動が大事なのだ。つまり海外旅行しているうちに就職機会を逸する現実がこわい、というのだ。事実、ある大学生に聞いたら、「そのとおり。旅行しているうちに、自分の今後の生活に影響する就職機会を失うのがこわい」と述べていた。何とも寂しくなる現実だ。

工学院大理事長も「新卒一括採用のシステム崩れた、単線型の採用を複線型に」
 日本学術会議、東京大学、朝日新聞共催の公開シンポジウム「大学教育と職業との接続を考える」の内容が11月29日付の朝日新聞で詳細に取り上げられていた。その中で、工学院大学理事長の大橋秀雄さんが企業の新卒一括採用制度を問題視している。なかなかポイントをつく指摘なので、ぜひ引用させていただこう。
「(企業は)長期雇用を前提として仕事に必要な能力は(若いうちから早く)企業内で育成する、そんな新卒一括採用制度が日本で長く続いてきた。だが、バブル崩壊後、そのシステムは崩れた。バブル時期に(採用した)学卒者が1.5倍に増え(採用し過ぎた反動で)今のような雇用のミスマッチが起きた。将来的には今の単線型の新卒採用を複線化しなくては、、、。正規雇用で入れなかった人も、いろんな仕事や経験を積み、新たな力や価値を(身に)つけて(いれば)正規雇用に入れるようにすべきだ」と。

ここで大事なのは、大学生に対して、次のような意識を植え付けることだ。まずは最低3年間、目先の就職のことにまどわされることなく自分が情熱を注ぎこめる学生生活を送ってみろ、それが研究生活なのか、サークル活動なのか、あるいは他の大学の仲間との大学ベンチャーづくりなのか、とにかく自らの存在感を示せるようなものだ。そして最後の4年生の1年間は就職活動を通じて自分の将来を託せる就職先探しに時間をつぎこむのもよし、あるいは独立ベンチャーをめざすもよしだ、というところだろうか。

メディアの現場も「病んでいる」新卒の新聞記者が増え始め採用に苦悩
 学生を社員として採用する企業の中にも最近、新卒一括採用でとった学生の質の低さ、幼さ、あるいは精神的な弱さなどを問題視するケースもある。現に、メディアの現場では驚くなかれ「病んでいる」若者が意外に増えてきて現場泣かせという事態が起きている。私が毎日新聞に入ったころは「病んでいる」という場合、ケガなどの病気になるという意味だったが、今はそうではなくて、精神的にタフではなく、うつ病や一種のノイローゼ症状などにつながる「病んでいる」というケースだ。
差しさわりがあるので、具遺体的な新聞社名を控えるが、以前に実際に起こったことを紹介しよう。東京大学卒業の新卒が成績優秀、面接も問題なしだったので、駆け出し記者の特徴として新人教育のために地方支局に出されたら、何と数週間で出社拒否症に陥った。理由は、「新聞記者はかっこいいもの」というイメージだけで実際の現場経験を始めて見ると、取材の仕方、原稿書きなどにとまどいが先になり、次第に苦痛になって自宅として借りたアパートの部屋を出るのがおっくうになり、ついに支局長らに連絡もせず引きこもり症状となった。そして数カ月後に退職してしまった。新聞社の側も、最初は何が何だか状況がつかめず、次第に現実を知ってショックだったことは言うまでもない。新卒一括採用でピカピカの大学生を採用しても、こんな現実が増えているのだ。まさに企業にとってもリスクだ。

海外での異文化体験経てコミュニケーション力、語学力つけた若者の中途採用を
 この若者の就職難の話は、社会問題化していて、どう結論付けるか、実に難しい問題だが、私は、今後、日本企業が否応なしに迫られるグローバル対応のからみでいけば、冒頭部分で述べたように、企業は新入社員の年齢制限を外して能力ある人たちの中途採用に道を大きく開くこと、とくに2、3年間、海外でのボランティア体験など評価できそうなさまざまな活動をした人たちのうち、優秀だと判断できる場合、積極的に中途採用することだ。
この海外経験を持つ人たちに積極的に門戸を開くことは意味がある。新興国体験が望ましいが、欧米先進国での体験もかまわない。異文化との交流や生活体験を経て、語学力もそこそこ身につけタフに動き回ることができる若者たち、それにできれば座標軸をしっかりと持っていて先行きに見通し感やオピニオンを持っている人がいい。政府支援の海外青年協力隊での2年間のボランティア活動を通じて、新興国などでいい意味での指導力を発揮して面白い生活体験をしてきた人たちのうち、企業の枠組みで異文化体験を生かせそうな人は積極採用の対象にするというのも一案だ。企業も実は、こういった人材を必要としているはずだ。いかがだろうか。

さらに磨け、日本のがれき処理技術 災害廃棄物処理で世界のモデル例に

アジア各国の現役ジャーナリストの人たちに、東日本大震災から1年8か月たった今でも厳しい状況にある復興現場をつぶさに見て、アジア各国の災害時対応、さらに報道の教訓にしてもらおう――というアジア開発銀行研究所の素晴らしいプロジェクトで、私は2週間前の11月末に、アジアのジャーナリスト23人と一緒に宮城県石巻市の漁業現場、がれき処理場、それに仙台市若林区の農業現場などを歩き回った。日本の復興への取り組みの苦闘ぶりを見てもらうことも大事だ。しかしアジアのどこかで突然起きるかもしれない災害リスクに関して、アジアの人たちと知見や現場情報を共有しておくことが、災害面で先行している日本の責務と、私は考えており、その意味で貴重な旅だった。

アジアの現役ジャーナリストと一緒に東日本の復興現場を見学
 インド、インドネシア、バングラデシュ、ミャンマー、カンボジア、それに中国などのジャーナリストたちは、何を感じとっただろうか。結論から先に申し上げれば、彼らは、インターネット上で知っていた東日本の大震災の現場を自分自身の目で見て、好奇心から被災者、それに復興プロジェクトの取り組む人たちの話を聞いて回り、予想どおり、強い刺激を受けていた。そして学ぶことも多かったようだ。プロジェクトは大成功だった。

とくにスマトラ沖大津波で経験のある国の人たちは今回、大津波が石巻市内の海岸部のあらゆるものを押し流してしまう当時のビデオ映像、爪痕が残る現場を重ね合わせて複雑な表情をする一方で、復興への取り組みの早さに驚いていた。また、自分が同じように現場にいたら、どんな報道が出来たのか考え込む人もいた。東日本大震災の復興現場で、彼らがどんなことに関心を持ち、何を学び取ったか、今後の報道ぶりを見たいところだ。

石巻市内の津波災害廃棄物処理場での見学体験は
「素晴らしい」の一語
しかし、今回のコラムでは、私自身も時代刺激人ジャーナリストの立場で、とても大きな収穫があったので、それをレポートしたい。今回のプロジェクトは、実は、私がアジア開発銀行研究所のメディアコンサルタントの立場で、企画アレンジを行った関係上、訪問先の実情に関しては、かなり把握していたが、まだ見ていない現場があった。
その1つが、これからレポートする環境省、宮城県、石巻市、それに鹿島など特定企業体がかかわる災害廃棄物処理場だ。そこで得た現場体験はジャーナリスト目線で見て「素晴らしい」の一語だったが、アジアのジャーナリストたちも同じだった。

何がすごいかと言えば、あらゆる災害廃棄物を分別して最新鋭の機械で破砕するが、その際、リサイクル可能なものとそうでないもの、あるいはまた不燃物、可燃物、土砂に選別したあと、土壌洗浄して汚染の心配のないものはさらに細分化して再利用、そうでないものは焼却処分という工程を実に丹念に行うのだ。しかもほとんどがコンピューター処理され、何がどこで、どう処理されているか、そのトータル処理量がどれぐらいで、どこまで進んだかなどをすべて把握されている。担当者の説明を聞いていると、その技術水準の高さに、ただただ驚いてしまう。

現場所長の阿部さん
「日本の処理技術は世界に誇っていいレベル」と自負

 案内してもらった宮城県震災廃棄物対策課の石巻事務所長、阿部勝彦さんの話に、「時代刺激人」を公言する私が、思わず刺激を受けた。
それは、こういう話だ。アジアの災害現場では、国によっては処理能力やコストの関係で、廃棄物をすべて一緒に焼却廃棄処分にせざるを得ないかもしれないが、日本では環境問題のからみで、それは絶対に許されない。すべて大気や水質などに悪影響を与えないようキメ細かく選別処理すると同時に、リサイクル活用をめざす。今や、この災害廃棄物処理技術では、日本は世界最高水準にある。誇りにすべき部分と言っていい、というのだ。すごく元気の出る話であり、日本が誇っていい強みの部分になる、と思った。

世界中で、日本は数少ない地震大国のうえ、そのからみで津波被害にあう確率が高いばかりか、太平洋で発生する台風に頻度多く見舞われ、常に災害リスクを抱える国だ。今回の東日本大震災もそうだったが、それらの試練を経て、技術の現場は着実に進化し、モノづくりの現場を持つ強みを駆使して、素晴らしい災害廃棄物処理技術を生み出している。だから、この技術に、さらに磨きをかけて世界の先進技術モデルにし、一部をブラックボックス化して災害技術立国・日本を世界にアピールすればいい、と思うのだ。

廃棄物の中からリサイクル活用できるモノを選り分ける技術も見事だ

 今回のアジアのジャーナリストの人たちが現場で驚いたうちの1つが、この日本の災害廃棄物の処理技術のレベルの高さだった。帰国後に、今回の廃棄物処理現場での現場体験を記事にしながら、日本のすごさをレポートする、と数人が言っていた。そうしたメディア報道がアジアの現場で報じられていけば、間違いなく、災害復興での先進国・日本、とくに災害廃棄物処理では格段に進んだ日本というイメージが定着する。
災害廃棄物処理技術面のみならず、むしろ、その廃棄物の中からリサイクルできる物質を選り分け、さらに有効活用できる段階までにするトータルの処理システムなどソフト面で、いわゆるソフトパワーを持つ日本、という形で存在感をアピールすることも可能だ。

前置きが長くなってしまったが、災害廃棄物処理場のレポートをしよう。私が現場見学した処理場は、正しくは宮城県災害廃棄物処理場・石巻ブロックという。石巻市、東松島市、女川町の2市1町内のいたる場所に、津波の壊された住宅などから出る廃棄物使扱いのコンクリートブロックや鉄骨、木材、あるいは衣服雑貨品、さらに些細な生活ゴミまでを、まず、その2市1町で大まかに、第1次処理という形で分別される。それらを、今回の第2次処理場にトラックで持ちこみ、さきほど少し述べた分別処理を行うのだ。主力のA、Bヤード2つの処理場だけで合計68ヘクタール、東京ドーム球場15個分にあたる広さで、総事業費が1480億円にのぼる。2014年3月末までのプロジェクトだ。

GPS携帯電話使っての廃棄物輸送トラックの運行管理も綿密
 阿部所長ら担当者によると、2市1町の第1次処理の仮置き場から第2次処理場へのトラックなどでの搬送は、いまだにかなりの量にのぼる。このため、交通量の多い区域や学童の通学時間帯を避けて、スムーズに行う必要があり、すべてGPS携帯電話を使って、運行管理を行っている。しかも、第2次処理場のゲートでは、それぞれのトラックがすべて搬送物の中身、その積載量などを通過ポイントでチェックを受け、リアルタイムでセンターのコンピューターに登録される、という。
処理技術のすごさは、これから述べる。まず、最初の粗選別ヤードでコンクリート片やタイヤ、金属くず、木くずなどを選別するが、写真アルバムなどの思い出のもの、あるいはアスベスト含有物やボンベなどの有害物を手作業で選り分ける。そのあと、金属や木のくず、コンクリート片などを特殊な破砕機で30センチ以下に破砕してしまうのだ。

阪神淡路大震災時に威力発揮の焼却炉に加え、
津波対応の新鋭機を投入
 そればかりでない。そのあと4基の振動ふるい機、8基の磁力選別機、風力選別機、さらに手選別ラインによってリサイクル可能なものを取り出す。不燃物や可燃物、土砂に分けるが、このうち可燃性の廃棄物処理は、水分や土を含んだ泥状の廃棄物を高熱で焼却するロータリーキルン2基で行われる。また、新規に投入のストーカ炉は震災廃棄物から土砂や不燃物を徹底分別するうえ、残った可燃物の焼却に独特の威力を発揮する。これらで焼却対応する。いずれも24時間、フルに各300トンの処理能力を持っている、という。

阪神淡路大震災時に大活躍したロータリーキルン炉は都市型災害には対応できるが、今回のような津波災害で出る廃棄物には対応できないため、新たにストーカ炉が投入された、という。さまざまな災害体験が処理技術の厚みを増していくことがよく理解できた。

バングラデシュのジャーナリストは日本の先進技術に驚嘆
 今回の見学でわかったのは、この災害廃棄物処理で培ったリサイクル技術に今後、さらに磨きがかかれば、日本の強みになると思ったことだ。このうち金属くず、木くず、タイヤ、畳、瓦、レンガ、コンクリート片など再資源化、あるいは再生利用に向けるリサイクル化の技術が進み、現時点で80%活用をめざしているそうで、処理を終えたものは復興現場で土木資材や基礎固め材料などいろいろなものに活用されている、という。
また、混合廃棄物から出る土砂や津波堆積物などを何度も洗浄して建設資材に活用、焼却灰の乾燥に使ったり、木くずはバイオマス発電にも活用されるそうだ。

バングラデシュのジャーナリストは、このリサイクルのきめ細かさに驚きで、「災害廃棄物の処理に手間取るし、技術が伴わないので、有害なものでない限りは半ば放置状態にしてしまうことが多いが、これだけリサイクルして循環させるのはすごい。結果的に、経済の活性化にもつながる。日本の先進技術のすごさを学んだだけでも有益だ」と述べていた。

世界トップレベルの環境技術に磨きかけ日本の戦略的強みにすべきだ
日本の環境技術は、欧米と並んで世界トップレベルにある。中でも省エネルギー技術はじめ、すぐれた技術は、日本の戦略的な強みの部分だ。とくに、省エネ技術は、日本が1970年代の2度にわたる石油ショック時の教訓から生み出した生活の知恵の技術だ。

当時、原油価格が高騰し、海外、とりわけ中東依存度が高く地政学的なリスクを考えると、原油輸入先の多元化を打ち出したが、エネルギーの消費を減らすと同時に、エネルギーの効率活用でエネルギーコストを引き下げ、石油依存度も減らす省エネが必要だ、と技術チャレンジが行われた。その結果、次第にシステム化され、省エネ技術が日本のまさに戦略的な強みとなった。

今回のような災いや危機を逆にバネにして技術力を
日本のソフトパワーに
その延長線上で、こんな話もご記憶だろう。1970年に、米国で大気汚染防止ため自動車の排気ガスに関して厳しく規制の法制化をしたマスキー法が登場した際、米国自動車メーカーの技術対応の弱さと対照的に、当時、ホンダがチャレンジ、続いてトヨタも続き、あっという間に規制値をクリアし、一気に米国の自動車シェアを得た。危機をバネに競争力をつけた日本の自動車の強み部分だ。

そういった意味で、今回の東日本大震災による大津波災害で多くの人命を失い、被災者が未だに不自由を強いられているのは、辛い話だが、今回の災害廃棄物処理場での素晴らしい技術を見ても、災い転じて、日本の新たな戦略的強みになる技術が生み出されてきたのは間違いない。日本は、こういった災い、あるいは危機を逆にバネにして、技術力を日本のソフトパワーに押し上げて行けばいいのだ。
今回のアジアのジャーナリストたちが、東日本大震災の復興現場を歩き回って、日本から学ぶものは、そういった日本の危機克服の力、パワーだと思ってくれればうれしいのだが、彼らの帰国後の報道ぶりが待ち遠しい。
 

被災地農業がたくましくチャレンジ 集落再生支援ファンドで活性化策

劣化が著しい日本の政治に、私は最近、あまり大きな期待をしない。というのも、政権交代によって、これまでの自民党にない政治にチャレンジしてくれるのだろうと期待した民主党が、あまりにも政治的に未熟で、ひどすぎたからだ。政治の「罪」は大きい。
12月の総選挙で、有権者は時計の振り子現象のように、自民党を選んだ。しかし自民党が3年間の下野生活のもとで、何を反省し新たな政策勉強をしたのか、現時点で定かでない。政局報道などに走ったメディアも反省が大いに必要で、今後は、政策の検証や見極めで評価が問われる。

劣化する政治に頼らず農業復興に取り組む針生さんが実に面白い
 さて、そんなことよりも、今年最後のコラムは、宮城県仙台市若林区の東日本大震災の農業復興現場でタフにがんばる友人の農業経営者、針生信夫さんの新たなチャレンジぶりを取り上げたい。
劣化する日本の政治に頼らず、被災地の農業の復興、それに荒廃する地域社会の再生に必死でチャレンジする志の高さ、とくに津波災害や放射能のリスクに対応する新農業をめざし民間ベースのいろいろなネットワークを使って、時代を乗り切ろうとするたくましさがある。間違いなく元気が出るし、よし、応援しようという感じになる人だ。

この針生さんのことは、ずっと前に一度取り上げたが、今回は、新しいチャレンジにスポットを当てたい。実は昨年、東日本大震災のあと、農業の復興現場を取材に行った際に知り合い、それ以後、たびたび定点観測のような形で会ううちに、その行動力、構想力などに惚れ込んでしまい、いまでは私が勝手にサポーターのようになっている。

仙台で企業型農業経営、
6次産業化による農業の一体的経営に強み
 針生さんはいま50歳。実家が15代も続く農家で、親と一緒に家族型農業経営に携わってきたが、20年前に経営面で世代交代するころ、企業型農業経営でないと生き抜けないと感じ、「舞台ファーム」というユニークな名前の農業経営の株式会社を立ち上げた。
独特の有機電解水農法で業務用野菜生産を行い、カット野菜にして東日本地域の大手コンビニ900店舗に出荷しているほか、仙台市内で野菜の直売所にも出店、さらに、プロ野球の楽天イーグルスのKスタ宮城球場などで直営の飲食店を出して加工野菜の調理にもかかわるやり手だ。そればかりでない。業務用の白米、無洗米の生産や販売も手広く手掛けている。企業経営の手法を農業に導入した点で時代先取りの人と言っていい。

その手法は、農協出荷の卸売市場流通に頼らず、第1次産業の農業生産から第2次産業の加工、さらに第3次産業の農産物の流通や直接販売まで主導的にかかわる。マーケットリサーチを踏まえて消費者ニーズのある売れる農産物づくりを行うなど、第1次、第2次、第3次の産業を一体的に経営する6次産業化経営がビジネスモデルだ。

3.11の津波災害と原発事故の放射能リスクで危機対応の経営も
 針生さんによると、農業生産だけにこだわっていては、消費者の顔が見えず、ひとりよがりの生産で発展がない、と消費者ニーズに応え、直接、販売する仕組みが必要と考えた。そして売り上げを爆発的につくっていく、それも年商1億円や2億円ではなく数10億円というスケールメリットを目指そうと取り組んだ結果、一定の成果をあげた、という。

ところが、針生さんに影響を与えたのが3.11の大震災だ。それ以降、針生さんは津波災害リスク、さらに東電福島第1原発事故に伴う放射能リスクへの対応が避けて通れない問題となり、自身のビジネスモデルを新事態に対応にする必要に迫られた、という。
針生さんは「これまで考えてもいなかった放射能リスクなど、未知のリスクへの対応に、農業者は無防備同然で、経験則なども通用しない。そこで、大学や研究機関、異分野の企業などと連携し、柔軟な発想を武器に、変幻自在に、機動的にビジネスに取り組む仕組みをつくっていく必要を感じた」という。こういった発想の切り替えがすごい。

オープンコンソーシアムで異業種企業や大学などアウトソーシング活用
 そこで考え出したのが舞台ファーム・オープンコンソーシアムだ。
このコンソーシアムは、針生さんによると、いくつかあるが、その1つが、技術や人材のアウトソーシングによって、津波リスクにも耐える農業生産をめざし、借り受けた被災地農地に大型のハウスを建設し、水耕栽培や溶液栽培の野菜づくりに取り組む。とくに農業を工業と捉えて、企業や研究機関との連携によって、農業の狭い範囲での発想から抜け出すことで津波災害リスクや放射能リスクに耐えることを考えた、という。

具体的には、針生さんの「舞台ファーム」が、津波による塩害で農地被害にあった農業者の人たちなどと株式会社みちさきを2012年7月に創設した。その会社がトマト栽培でカゴメから栽培技術、また情報通信技術(ICT)で日本IBMなど大手企業と連携、研究開発で宮城大学や環境ルネッサンスという企業とも連携した。とくに、ICTによって北海道や広島の先進技術を持つ生産者とテレビ会議を開いて技術情報交換も行う。
大型ハウスで生産される農産物は、放射能リスクを遮断する農法なので、問題ないが、風評被害リスクがあるため、放射能検査の会社と連携した、という。3.11が農業の現場を変えてしまった典型例だが、針生さんらは、自衛のリスク対応するしかないのだ。

農村集落再生のために地域管理会社を立ち上げビジネス化
針生さんのオープンコンソーシアムはまだまだある。話を聞いていて、面白い発想だ、と思ったのは、農村集落や農業地域社会の再生、そして支援するため、集落営農の上に地域管理会社あるいは集落運営法人のようなものをつくる、という考え方だ。同時に、針生さんの「舞台ファーム」もそこにコミットし、ビジネスに結びつける考えだ。

具体的には、コメ生産の専業農家と「フェアプライス」事業連携という形で、「舞台ファーム」が集落運営法人と連携して、採算の取れる価格でコメを安定契約購入すると同時に大手外食など販路を仲介すると同時に、金融機関と連携して安定生産のための資金支援を組み合わせて提供する。
また、高齢者介護が今後、大きなテーマになってくるが、その集落運営法人が介護用ベッドや介護用トイレなどを安くリースで提供、さらに流動食やカロリーを調整したお弁当などの手当ても考えていく。その地域で、これらのサービスに必要な雇用の創出もできるし、地域社会に必要な共同連携のシステムや考え方が定着してくることも期待できる。

ソーラー売電で耕作放棄地の活用、
地域をスマートエネルギーで管理も
 また担い手農業者のいない農地を活用して、ソーラー売電のプロジェクト支援を行っていく計画もある。針生さんによると、今の50㌔低電圧には約200坪の土地が必要だが、2013年3月までなら1㌔ワット42円で買ってもらえる。1年間にわずか200坪から200万円のお金を生み出す計算となる。太陽光パネル設置代の投資が必要だが、集落の資源である土地や太陽を活用して集落運営法人の資金をまかなうことにつなげることが可能だ、という。舞台ファームもこの法人に出資する計画だ。

針生さんは「ソーラーパネルの売電から得るお金で集落全体の水路管理など地域社会のシステム管理が可能になる。そのために地域の建設会社の仕事量も増える。そして町全体、田舎全体をスマートエネルギーで維持管理できたら素晴らしい。こうすれば、高齢化で増える耕作放棄地の活用も可能だし、場合によっては農地の大規模集約化にも弾みをつけることも出来る。そういう新しい概念で集落営農の可能性を広げていく時代だ」という。

オープンコンソーシアムは農業再生のWIN・WINビジネスモデルになる?
この農村集落再生でのオープンコンソーシアムは、いろいろな意味でWIN・WINプロジェクトになる。高齢化に伴うさまざまな問題を抱える農村側から見ても、農業現場の実情をよく知っている農業者の針生さんが自らのビジネスと結びつけながら、農村集落の荒廃に歯止めをかけるプロジェクトで支援してくれるのはありがたいことだ。
さきほど述べたコメのプロジェクトの場合でも、稲作専業農家にすれば、農協を含め流通を中抜きにして直接、大手外食企業などとつながる流通パイプを確保してもらえるし、仮に契約生産となれば、コメ価格の市場変動に振り回されることなく収益の安定確保が見込める、ということになるわけだ。もちろん、「舞台ファーム」にもプラスに働く。

針生さんの話では、こうしたオープンコンソーシアムのユニークなプロジェクトをスムーズに進められるように、10億円ぐらいの規模で、「集落再生支援ファンド」(仮称)を組成する方向で東北地域の民間金融機関など話し合っている、という。「舞台ファーム」もそのファンドにコミットするそうだ。

逆境を切り開くフロントランナーのモデル事例と言っていい
 このファンドがいま述べたような農村集落再生、地域社会再生のプロジェクトに生かされていけば、被災地農業の復興だけでなく、高齢化で医療や介護、あるいは担い手農業者が櫛の歯がかけるようにいなくなって耕作放棄地が増える、といったさまざまな問題に苦しむ農村集落の新たな再生にもプラスに働く可能性がある。一見して、地味に見えるが、農業自体が元気になる基盤づくりにつながっていくように思える。
私がここで、針生さんを紹介した狙いが何となくお分かりいただけたと思う。針生さんのような農業経営者が、今回の東日本大震災で津波災害リスク、そして東電原発事故の影響による放射能リスクという状況に背を向けず、しかも自分自身のことよりも周辺の被災した農業の復興、さらに中山間地域などの荒廃する農村集落の再生に必死で取り組もうとするチャレンジ精神が素晴らしい。まさに、逆境を切り開くフロントランナーのモデル事例の1つでないかと思っているのだ。劣化する政治は、針生さんのようなリスク覚悟で、時代の先を見据えて走る人たちに、農業の将来を託すべきだろう。

政治家は劣化しているヒマなどない、
農業現場のさまざまな取り組みを見よ
 針生さんは大震災当時、1㌔そばまで押し寄せた津波から高速道路がカベになってくれて奇跡的に助かった。このため、高速道路の反対側で、津波に打ちのめされた農業者らとの天国と地獄の差の生活を感じて、余計に、保身に走らない農業経営にこだわるのだろう。
そのためか、針生さんは、被災地になった若林地区の40歳以下のやる気のある若手の農業者15人を束ねて「未来農業研究会」を立ち上げている。この研究会では毎月1回、外部講師を呼んで太陽光パネル、新電力システムのスマートグリッドから塩害など土壌改良への新たな対応など幅広く勉強している。さきほど述べた農村集落再生のための地域管理会社をつくってソーラーパネルプロジェクトを展開する、という発想も、この研究会での勉強の成果だったのかもしれない。日本の現場では、たくましくがんばっている人たちがいる。政治家よ、劣化しているヒマなどないぞ、と言いたい。

世界先進例に学び女性パワー活用を 韓国やオランダなどですごい取り組み

今年最初の「時代刺激人」コラムだ。時代が閉そく状況なので、ジャーナリスト目線で時代を刺激する情報発信を、と始めたこのコラムで、ぜひ書いてみたいと思っていたのが女性パワーの活用だ。
以前、サッカー日本女子代表「なでしこジャパン」の大活躍ぶりに刺激を受けて、女性パワーの問題を一度取り上げたが、今回は日本を支える担い手として、女性の問題をどう考えたらいいか、正面から向き合ってみたい。

韓国で女性問題対策の「女性家族省」があるのは驚き、
人口減少社会へ先手?
 きっかけになったのは、韓国で政府の「女性家族省」が中心になって人口減少社会に先手を打つため、女性の就業を積極支援している、という毎日新聞連載キャンペーン企画「イマジン――はたらく」の記事だ。読んでいて驚き、思わず引き込まれてしまった。

その驚きは、ほかでもない。韓国で、時代を先取りして、女性のさまざまな問題に特化した専門の政策官庁をいち早くつくっていたことだ。残念ながら知らなかった。韓国の場合、アジア通貨危機で経済が奈落の底に突き落とされる強烈なダメージを受け、それをきっかけに金大中政権当時の2001年、経済社会の徹底した構造改革の一環として、「女性省」を創設した、というのだ。現在は「女性家族省」と名称を変えたが、磨きをかけて、女性の社会的な活用策に取り組んでいる、という。

日本は内閣府に社会啓蒙の「男女共同参画局」があるだけ、
取り組みが違う
 日本では、内閣府に「男女共同参画局」という社会啓蒙活動を進める行政セクションがあるだけだ。女性問題の活用のために、1つの独立の省庁がある、というのは、日本でもちろん皆無だ。
韓国のような「女性省」、「女性家族省」といった発想自体、残念ながら日本にはなかった。男性優位の考え方が社会に組み込まれていたことも否定できない。また、人口減少対策で、外国人移民や少子化対策で子供の出産対策に時間がかかるので女性の活用を、という問題意識はあったにしても、特別の省庁を置くほどでもない、という意識だったことは間違いない。

韓国は、そこが違った。女性の活力を引き出すためのみならず、出産、子育て、親の介護までを含めて、男性とは別のハンディキャップを背負う女性のため、夫婦のワークシェアリング(労働の分かち合い・分担)はじめ、さまざまな制度課題に取り組む専門の行政組織を設けるのだから、すごい。明らかに、韓国は、この分野では先を進む先進国と言っていい。日本が学ばねばならない点だ。

日本よりも急ピッチの少子化や生産年齢人口の減少に
韓国が強い危機感
 そこで、問題を考えるヒント事例を、毎日新聞企画記事から引用させていただこう。
まず、韓国の場合、積極的に取り組まざるを得ない背景があった。アジア通貨危機の後遺症で少子化が日本以上に進み、1人の女性が一生に子供を産む数に相当する出生率が一時は1.08まで落ちた。経済落ち込みで、生活に余裕が持てなくなった女性が子供を産むことをリスクと感じたのだろう。2011年現在、1.24まで戻ったが、それでも少子化に危機感を持つ日本の1.39よりもまだ低く、人口減少社会現象が生じている。

それに関連して、韓国では生産年齢人口が同じく減少を続け、2017年にピークを打って、あとは急下降していく。日本は、働き手ともいえる生産年齢人口が1997年にピークを打って頭打ちとなり、ピークから30年で18%減少する予測だが、韓国はその減少率が同じ30年間で25%も減少する見通しで、経済社会の働き手が激減するということに対する大変な危機意識が広がっている、という。

国家公務員の新卒採用で韓国政府は30%を女性に義務付け、
国が範を示す
 問題は、そこからの政府の取り組みだ。とくに女性の就業率を一気に高めることへの取り組みに関しては、日本と韓国の間に決定的な差が出てきている。韓国の場合、さきほどの女性家族省が率先してリーダーシップをとり、いろいろな政策に取り組んでいる。
新採用の国家公務員の30%以上を女性にする、という大胆なクオータ(割り当て)制度を導入した。政府が範を示すべきだ、というものだ。同時に、民間企業に対しても、従業員500人以上の企業を対象に、女性の雇用のみならず女性管理職の比率も引き上げるように行政指導している。管理職の比率は2011年現在、16%だという。日本はあとでも申し上げるが、わずか11%で、先進国の中でも最低比率だ。

韓国の取り組みで、参考になる事例がまだある。2009年に、出産や育児で離職した女性の再就職のための専門職業紹介、能力開発などをサポートする公的な支援センターを設立し、現在100か所がある。今年2月に就任予定の韓国初の女性大統領の朴槿恵氏は、このセンターを毎年30ずつ拡大する、という。日本も子育て女性の再就職をサポートする「マザーズハローワーク」があるが、韓国が強い目的意識をもって、女性の就業対策に取り組んでいるのとは、雲泥の差だ。

オランダの女性就業率急上昇、
フルタイム・パートでの同一労働・同一賃金が弾み
もう1つ、日本が学ぶべき先進事例として、ぜひ紹介したいのがオランダだ。憶えておられるだろうか。昨年10月、東京で開かれた国際通貨基金(IMF)・世界銀行年次総会の主役の1人、女性専務理事のラガルド氏が「女性が日本を救う」というIMFレポートで日本の政策課題を挙げ、そのモデル事例国にあげた国だ。
オランダの場合、女性の就業率を高めると同時に、働きやすい環境づくり、男女のワークシェアリングが行えるように、といった多目的の制度改革を行った。具体的には1996年にフルタイムやパートタームの労働に関して、時間給や待遇、とくに昇進や福利厚生などの面ですべて差を設けず、同一労働・同一賃金にすることを法律で決めた。

女性の就業率は1985年当時、35%にとどまっていた。それが、このフレキシブルな制度の導入で、一気に女性就業に弾みがつき、2011年現在、2倍の70%に到達した。女性は家庭で、とくに子育て世代を抱え家事にも忙殺されるか、両親など家族の介護などに取り組まざるを得ないなど、さまざまだろうが、少なくともパートタイム労働で収入確保しながら家事もこなす、といったことが自由に行え、あとは女性本人のやる気次第、という理想的な状況になっている。

IMF専務理事アドバイス、
日本がオランダ事例導入すればGDP5%押し上げも
 ラガルドIMF専務理事が東京で「女性が日本を救う」というレポートをもとに日本政府に向けてアドバイスしたのは、このオランダの事例を学習し、導入すればいい、ということだった。非正規雇用の多かったオランダの制度改革を参考にして、日本が女性の就業率を先進国並みにすれば、1人あたりの国内総生産(GDP)は5%アップする、というものだ。
いま、日本ではデフレの長期化で、企業が雇用の安定よりも、社会保険料負担やボーナス支給などの負担軽減といったコストダウンを優先し、あおりで男性の雇用に関して非正規雇用に頼るシステムにしてしまっている。だから、そのしわ寄せが女性の雇用にもそのまま投影されてしまい、韓国やオランダのケースはどこか別の国の話になってしまっている。

オランダなどの先進事例は社会システム改革だ、
日本でもやれないはずがない
 海外にすべて、先進事例があるとは思わないが、こと、女性の就業率拡大に弾みをつけた事例でみれば、オランダの取り組み事例は素晴らしい。これは間違いなく画期的で、社会システム改革だ。日本は、この際、ラガルドIMF専務理事のアドバイスを素直に受け入れて、よい先進事例には耳も目もすべて傾けて、そして学習することだ。

韓国では人口減少社会に対する危機感から、またオランダでは女性の労働化率・就業率の引き上げのみならず同一労働・同一賃金の制度化による男女のワークシェアリング定着化、安定した雇用システムづくりへのチャレンジなどをめざし、最後は政治や政府が主導して、それらの目標の実現にこぎつけている。うらやましい、ということで終わらせてはならない。そういった先進例をもとに、日本でも積極的にチャレンジすることが必要だ。

前民主党政権の「働く『なでしこ』大作戦」は政権交代で立ち消え?
 問題は、主導する政治の指導力がどこまであるか、ということだろう。民主党前政権時代、日本再生戦略として、女性の活躍による経済活性化のために「働く『なでしこ』大作戦」というキャッチフレーズのプロジェクトが立ち上げられた。
当時の計画では、2020年に、25歳から44歳までの女性の就業率を73%に引き上げる、ただし2015年度の中間目標時には、その比率を69.8%まで持っていく、というものだった。韓国の女性の再就職支援センターのところで述べた日本の「マザーズハローワーク」制度も、このプロジェクトの1つだった。

しかし、どんなに中身のあるプロジェクトでも、ひとたび、総選挙を踏まえた政権交代があると、政治の世界は冷酷だ。後を引き継ぐ新政権は、前政権の政策の全否定でスタートする。3年半前の政権交代時も同じで、当時の鳩山民主党政権は、自民党政権時代につくられたプロジェクトのほとんどをお蔵入りさせた。そして政策の大幅変更で、時代が変わった、という印象を与えようとしたが、結果は空回りに終わって、混乱だけが残った。以前も申し上げたが、何もできなかった政治の「罪」は大きい。

安倍新政権の女性活性化策のお手並み拝見、
「男社会」変えるシステム改革を
 自民党政権の安倍晋三首相は、今回のテーマである女性の就業率引き上げなど今後の人口減少社会に対応した対策に関しては、衆院選での公約だった「指導的な立場につく女性の比率を2020年までに30%にする」というプラン実現にやる気を見せている。同時に、民間企業で女性の役員や管理職の割合、出産や育児への取り組み度合いに関して、基準を上回った企業を「優秀企業」として社会的評価をすると同時に、国などが調達する資材の購入、受託・委託プロジェクトで優先的扱いをすることも法案化する、という。

この程度では、オランダや韓国のような大胆な社会システム改革にはつながらないような感じだが、いずれ首相官邸に立ち上げたさまざまな政策会議でプロジェクトを打ち出す女性活性化策のお手並み拝見というところだが、人口の半分にあたる女性は生産労働力はもとより消費購買力でも、知的生産力でも、サッカーの「なでしこジャパン」のようなパワーを潜在的に持っている可能性が高い。それを引き出すのが政治指導者の力だ。
それと、もう1つ重要なのは、これまでの日本の社会システムは男性主導というか、男社会といってもいいような制度の枠組みだった。今後は、女性も交えた新たな制度設計に持っていかねばならない気がする。女性活性化策もそれが視野にないとダメだ。

中国のメディア統制は許されない 大国を誇示するならば言論自由を

隣の中国で、メディア報道をめぐる問題、それも共産党当局の報道介入、報道規制のような問題が生じているのを聞くと、メディアの現場にこだわって仕事をしている私としても、無関心でいられなくなる。今回は、ぜひ、この問題を取り上げてみたい。
すぐおわかりだろう。中国広東省の有力週刊紙「南方周末」の記事の一部が最近、中国共産党宣伝部という、メディアを監視する機関から記事改ざんなどの介入を受け、中国のインターネット上などで「言論統制だ」と反発が巻き起こった問題だ。

「南方周末」紙問題を契機に、
党中央宣伝部が登場し一気に「全国区」問題へ
共産党当局の改ざん要求に応じた「南方周末」編集長が、現場記者から批判を浴び、事態収拾のため、更迭された。一方で、地元広東省共産党委員会が問題波及を懸念して、改ざん指示した宣伝部長を今後解任することで決着を図る、という動きが出ている。しかし、この宣伝部長の解任にまで及ぶかについては、中国共産党内部の「政治問題」がからむだけに、まだ不透明だ。
それどころか「南方周末」問題が広東省の「地方区」から一気に「全国区」に波及する事態になった。というのは、共産党中央宣伝部が、あとで述べる人民日報系列の環球時報紙に対し、メディアが共産党当局の意向に逆らったり、対抗すれば、最後はメディアが敗れる、といった趣旨の社説を掲載させた。強烈なメディア介入だが、その社説を今度は北京市内の有力紙、新京報紙の社説にも転載要求した。新京報紙の経営陣、編集現場双方が反発して抵抗したが、最終的に政治的な力で掲載させてしまう事態に及んでいるのだ。

習近平総書記は言論の自由明記した憲法「履行」発言したのだから有言実行を
 どうすればいいのだろうか。結論から先に言おう。中国共産党、とくに党中央および地方の宣伝部というメディアチェック機関の存在が問題なのに加えて、メディア統制が続いていること自体、許される問題ではない、と私は思っている。ひと昔前の思想統制時代の閉鎖的な中国ならいざしらず、今や中国は経済の高成長を背景に、国際社会で大国を誇示しているのだから、大国らしく言論の自由を認めることが必要だ。

習近平総書記は就任の記者会見で、党幹部らによる腐敗をなくすための取り組みと合わせて「憲法使命の履行」を表明した。率直に言って、国民受けのためのポーズなのか、本気なのか、どちらなのだろうかと見極めがつかなかったが、習近平新政権が新たなチャレンジに踏み出した印象を与えた。順守しようと言及した憲法で、中国は言論の自由を明記しているのだから、新政権としても、言った限りは実行に移すべきだろう。有言実行こそが、新中国の指導者の証明だ。

共産党中央宣伝部というメディア規制機関の改革が必要、
情報開示で透明性を
 共産党中央宣伝部という前時代的な党機関がいまだに存在するというのも、われわれからすれば、理解できない組織だ。中国側からすれば「内政干渉だ。余計なお世話だ」となるのかもしれないが、大国・中国を誇示する限りは、習近平新政権としても、憲法上の言論の自由を優先させ、共産党中央宣伝部の行動に制限を加えるべきだ、と思う。

共産党中央、そして地方にある宣伝部組織に関しては、あとで、どんな組織なのか、少し述べるが、この組織の改革にも習近平新政権は踏み込むべきだ。その場合、今や時代の潮流ともなっている組織の透明性確保の問題が重要課題となる。日本のメディアから見れば、報道規制などは断じて許されないことだが、仮に、中央もしくは地方の共産党宣伝部がメディア介入などを機関決定した場合、その決定の中身、さらにその理由を開示することが大事だ。透明性というのは重要なことで、この確保がなければ、国際社会での大国評価など、到底得られない、と言いたい。

「南方周末」紙問題は日本のジャーナリスト感覚からすれば信じられない話
 さて、ここで少し「南方周末」紙の問題がどんなものなのか整理しておこう。中国の現場には行けなかったので、現地からのいくつかの報道をベースにする。お許し願いたい。
報道を総合すると、1月3日付の「南方周末」紙の新年特集号の紙面で「中国の夢、憲政の夢」というタイトルの記事が編集部でまとめられた。その記事は、習近平総書記が就任記者会見で述べた中華民族復興の夢の話を取り上げると同時に、憲法尊重に言及した部分にからめて「憲政の夢」という形で新政権の政治改革や民主化推進の必要性に言及した。夢という形で述べたものだったが、共産党宣伝部の反発を招いた。日本のジャーナリスト感覚では、その程度で過剰反応は信じられないところだが、彼らはそこが違ったようだ。

驚くのは、広東省共産党委宣伝部のとった行動だ。記者らが当初の記事を最終チェックしOKを出して帰宅したのを見計らって、やおら動き出し、「南方周末」紙の編集長と副編集長を呼び出して、印刷に入る前に記事の改ざんを求めた、という。編集長は、党宣伝部の指示には逆らえないと判断したのか、現場記者の了解を得ずに独断でタイトル、記事の中身を指示どおり大幅に変えた。民主化など政治的キーワードも外して、印刷に回した。そして、3日付けの紙面で中身が改ざんされたことを知った「南方周末」紙の現場記者らが騒ぎだし、デモや抗議行動に発展して大問題になった、というものだ。

北京有力紙「新京報」紙には「権力にたてついてもムダ」とする社説転載を指示
この問題は、インターネットで一気に伝わり、中国国内だけでなく、海外にも情報が伝播し、あっという間に広東省の「地方区」から「全国区」「国際区」に広がった。そうした中で、事態を重視した共産党中央宣伝部が1月7日になって、人民日報系列の環球時報紙に対し、さきほど述べたように、メディアが共産党当局の意向に逆らったり、対抗すれば、最後はメディアが敗れる、といった趣旨の社説を掲載させた。共産党機関紙の人民日報系列への指示とはいえ、強引なメディアへの介入だった。

ところが問題はそれにとどまらなかった。今度は北京市共産党委の宣伝部が、党中央宣伝部の意向を踏まえ、この社説を北京の有力紙、新京報紙の社説に転載しろと要求した。新京報紙の社長や編集長が強く反発したが、最終的に、転載を余儀なくされた。新京報紙の現場記者がその一部始終を手記の形でネット上に出した。すぐに共産党当局から、その手記がネット上から削除されたが、問題が大きく広がりを見せる結果となった。

社会主義と市場経済を巧みに使い分ける中国は言論にも門戸を開け
 報道の自由、言論の自由が当たり前の日本からすれば、この一連の共産党の中央宣伝部、地方宣伝部の動きが現代中国でまだ横行していること自体、到底理解しがたいことだ。冒頭でも、少し申し上げたが、ひと昔前の中国ならば、いざしらず、現代の中国は、政治的には社会主義の枠組み、共産党支配の体制を崩さないものの、経済的には大胆に市場経済化を進めている。早い話が社会主義と市場経済・資本主義とを適当に使い分けながら経済成長をめざしている、と言って過言でない。今や新興国の間でも、これが「中国モデル」という形で評価する国さえあるほど。

そういった中で、中国は、今年のGDPに関しては、ユーロ危機などの影響で8%成長を割り込む事態となったが、ここ数年の経済の高成長、とりわけGDPの面で日本を追いつき追い越して世界第2位のGDP国になった段階から、大国主義が強まり、国際社会での言動にもその傾向に拍車がかかっている。そんな中国で、いまだに共産党の中央宣伝部がマスコミ監視や世論操作にこだわり、さらには同じ共産党の政治局常務委員会ではイデオロギー担当の常務委員がいる、というのは何とも奇妙な現象というか、前時代的な共産党組織だ、と思わざるを得ない。なぜ、憲法でも明記している言論の自由などを前面に押し出さないのか、と不思議で仕方がない。言論には門戸を開くべき時期に来ている。

中国で発禁本「中央宣伝部を討伐せよ」は随所になかなか鋭い指摘
 そんな時に、9年前の2004年に、日本で「中央宣伝部を討伐せよ」(草思社刊)という本が発刊されたのを思い出して、私の書棚から引っ張り出して、読んでみたら、これが実に興味深かった。北京大学助教授(当時)の焦国標氏が、インターネット上に出したら、すぐにネット上で削除されたが、誰かが、素早くダウンロードかしていて、日本でも出版されたのだ。もちろん、中国国内では発禁本で、中国の人たちは見ることもできないが、この本で、焦氏が随所にわたって鋭く書いている点がポイント部分で、とても参考になる。少し引用させていただこう。
焦氏はその中で、「中央や地方の各レベルでの宣伝部を取り消すことだ。アメリカに、そしてイギリスに、またヨーロッパに宣伝部があるか。いずれの国にもない。(中略)もしも国際社会における中国のイメージがよくないというなら、政府は中央宣伝部の責任を真っ先に追及すべきである。その仕事の性格とやり方は、現代文明と相いれず、しっくりといかない」と。

「中央宣伝部が公言する『安定がすべてに優先』の安定は腐敗分子向けだ」も鋭い
また、私が指摘した中央宣伝部の組織改革にからめて、情報開示など透明性を出すべきだ、という点に関して、焦氏も「中央宣伝部の活動の透明度を高め、中央宣伝部が下達した各種の『不許可』指令をメディアが随時、新聞雑誌に掲載したり、あるいはインターネット上で発表する。中央宣伝部もそうする法定上の義務がある。下達したこれら禁令のうち、どれが正しいのか、どれが功徳で、どれが罪悪なのか、全国人民に評価してもらう必要がある」という。

さらに、興味深いのは「中央宣伝部が公言する『安定がすべてに優先する』に対して、われわれは、ひとこと言わざるを得ない。『誰の安定がすべてに優先するのか』と。中央宣伝部がストップをかけた1つ1つの報道から、われわれが見てとれるのは、腐敗分子の安定がすべてに優先していることであり、邪悪な勢力の安定がすべてに優先していることだ」という点だ。このあたりは、私自身としては、検証できないが、そのとおりかもしれないな、と思ってしまう。

中国人ジャーナリスト「民主化掲げて職を失うことしない。格差ルポ記事で追及」
 2か月前に、日本に出張で取材に来ていたところをたまたま出合って知り合った男女2人の中国人ジャーナリストが、なかなかしっかりとした問題意識でいた。もちろん、「南方周末」紙問題が起きる前の時点での話だ。
この共産党中央宣伝部の報道規制や報道介入の問題について、「自分たちは直接、中央宣伝部から、記事や取材の仕方について、過去に、何かを言われたとか、経験がないが、目を光らせて監視していることは、知っている。でも、彼らは天安門事件がトラウマになっていて、民主化とかいったことに過剰反応、過剰警戒しているだけだ。われわれも、そんなことでジャーナリストの職を失うバカなことはしない。その代わり、したたかに、都市部と農村部との所得格差、地域間格差の拡大の現実をルポ取材などで取り上げて問題提起していけばいいのだ。格差問題報道などが政治批判報道に発展させなければいいのだ」と述べていた。

民主党の期待外れ度は深刻、政治主導が空回りして政権運営に未熟さ 改革公約はほとんど実現せず、政権交代後の中間決算は企業でいえば大赤字

 「自民党政権末期は、制度疲労がピークに達して至る所に政治劣化が見られ、ひどかった。しかし有権者の改革期待を担って政権交代した民主党政権も、時間がたつにしたがってメッキがはげてきたのか、ひどさが目に余る。期待外れだ」――思わずこんな声が聞こえてきそうな最近の民主党政権の状況だ。柳田稔法務相の国会軽視発言などにとどまらない。政権交代から15カ月もたつのに、マニフェスト(政権公約)で掲げた改革が、ほとんど実現していないのだ。致命的とも言える。いったい何が原因なのだろうか。メディアでも民主党政権問題を一斉に取り上げており、「またその話か」と思われるかもしれないが、「時代刺激人」ジャーナリストの立場でも黙っておれず、取り上げることにしたい。

このコラムで過去に数回にわたって、民主党政権の問題を取り上げている。見出しで言うと「さあ、政権交代した民主党は矢つぎ早やに新政策を」が「どうした民主党政権、期待半分・不安半分がいつしか不安増大に」に変わり、そのうち「日本の政治劣化は目を覆わんばかり、政治混乱招く鳩山首相の指導力のなさ」、「民主党の参院選敗退、消費税問題よりも10カ月の政策評価にイエローカード」となっている。苛立ちが高まるコラムばかりが続いているが、今回の見出しも「民主党の期待外れ度は深刻、政治主導が空回りして政権運営に未熟さ」と、さらに厳しいものになってしまった。

政権運営ノウハウに欠け自民党政治との違いや脱官僚政治へのこだわりが裏目
 結論から先に申し上げれば、民主党は、どう見ても政権交代に際して政権基盤づくりの段階から、さまざまな作業が準備不足で、しかも半ば見切り発車したため、そのツケがあとになって一気に広がって出てきたように思える。要は、ほとんどの政治家に与党経験がなく、野党政治の意識行動で対応し、しかも決定的なのは、政権運営ノウハウに欠けていたことだ。
民主党は、新政権の体制づくりに関してはマニフェストでの政権構想で「5原則」、「5策」、そして政策実行手順の「工程表」を一応、準備した。しかし、私の見る限り、それらはいずれも前自民党政権との違いを浮き彫りにすること、そして自民党政治の否定にこだわるだけで実体が伴っていなかったこと、そしてもっと大きな問題は、霞ヶ関官僚をうまく使いこなすどころか、脱官僚政治を主張し過ぎて空回りばかりしたこと――などが影響して、随所で政権運営の未熟さが出てしまっている。

民主党が掲げた政権運営の「5原則」「5策」はほとんどが機能せず状態
 ご記憶だろうか。この「5原則」は、「官僚丸投げの政治から政権政党が責任を持つ政治家主導の政治へ」、「政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下での政策決定に一元化へ」、「各省の縦割りの省益から官邸主導の国益へ」、「タテ型の利権社会からヨコ型の絆(きずな)の社会へ」、「中央集権から地域主権へ」の5つ。掲げた「原則」は、実現できれば、これまでの自民党政治から脱皮し、新たな政治スタイルを確立できたかもしれないが、現実は、ほとんどが実体を伴うものになっていないことだ。
同じことは「5策」にも言える。5つの原則実現に向けての組織改革なのだが、首相直属の「国家戦略局」を設け国家ビジョンや予算の骨格策定を集中的に行うこと、政府に政治家100人を大臣、副大臣、政務官の「政務3役」、それに「大臣補佐官」の形で送りこみ、政治主導で政策決定すること、さらに政策テーマごとに関係大臣で政策調整する「閣僚委員会」、天下り法人や霞が関行政機構のムダや不正をチェックし改革につなげる「行政刷新会議」を新設することなどだった。これも、それぞれが試行錯誤を続けていることは、ご存じのことだろう。

政務3役が膨大な行政案件を裁き切れず行政停滞、政治主導の限界?
 私が見ていて、この「5策」のうち、脱官僚政治、政治主導の政策決定を打ち出して霞ヶ関の行政官庁に乗り込んだ政務3役が、いざ行政の現場に入ってみて、いろいろな問題を引き起こしている。
大臣、副大臣、政務官の政務3役がうまく連携して、大臣を中心に機能している行政官庁は問題なかった。しかし、中には大臣が外面のパフォーマンスに長けている結果、副大臣、政務官に膨大な行政事務の処理や政策判断などを委ね過ぎて行政停滞が起きるとか、政務3役が連携し役割分担したとしても厚生労働省や国土交通省などのように合併統合で肥大化した官庁ではカバーすべき範囲が膨大で、身動きがとれず、スピードの時代、グローバルの時代に敏速に対応する状況でなかったこともデメリットとして挙げられる。
このシステムは、自民党政権時代のように大臣、政務次官などが行政官庁の官僚に政策丸投げするとか、官僚の手のうちでいいように仕切られてしまうとか、あるいは官僚や族議員に利害調整を委ねて、大臣は最後の出来栄えの部分で政治的な成果をアピールする、といった政官癒癒着(ゆちゃく)と言われても仕方がない政策決定の枠組みにクサビを打ち込むものだったが、民主党にとっては意図せざる問題がいろいろ出てきている。

政務3役が「族官庁政治家」に変身、「事業仕分けは使命終えている」と反発も
 最近の事業仕分け第3弾での問題もその1つで、政務3役が「族議員」ならぬ「族官庁政治家」になってしまったのだ。この仕分けは、行政刷新会議の過去の事業仕分けで、廃止もしくは予算計上見送りといった判断を下したにもかかわらず、現実には各省庁での来年度予算編成要求段階で事業復活しているため、政治的にけじめをつけようというものだ。
ところが、農林水産省予算のいくつかで篠原孝副大臣、松木謙公政務官がそれぞれ復活要求にこだわり、閣議決定した政策案件にまで手を下すのはおかしい、とし、とくに農水省官僚OBの篠原副大臣は「仕分けは野党的なやり方であり、歴史的な使命を終えている」と批判した。農水省の行政現場の判断で言えば必要なものなのであり、譲れないというわけなのだ。

「民主党政権の課題は官僚主導体制打破でなく政治主導体制の実現」は鋭い
 厚生労働省OBで、現在、兵庫県立大学大学院准教授の中野雅至さんは著書「政治主導はなぜ失敗するのか」(光文社新書刊)の中で「民主党政権の課題は官僚主導体制の打破ではなく政治主導体制の実現だ」と指摘している。一見、当たり前のように聞こえるが、なかなか鋭いポイントだ。
中野さんは「民主党が責任政党であるならば、自民党の末期政権をポピュリズムと批判してきた自覚があるならば、事業仕分けも公務員制度改革も、自分たちの支持率をあげるためのポピュリズム的な手法で使うのでなく、政治のプロとして淡々と処理すべきだ。その上で、民主党は日本という国を立て直すためのプログラムを実行に移すべきだ。(閉そく状況に陥った)経済や社会を立て直さない限り、国民は民主党の政治主導体制を見限るだろう」と述べている。

バラマキ政策で国民の関心惹き付けるのは限界、消費税率上げ論議も中断
 かなりの国民には間違いなく不満がくすぶっている。最近の世論調査での内閣支持率の急落がそれを物語っている。昨年の総選挙で、自民党政権時代の族議員政治、既得権益擁護の政治、官僚に政策を丸投げして結果的に霞ヶ関行政官庁の省益と共存共栄し、国民目線を失ってしまう政治にはケリをつけ、民主党に託する形で新たな改革を期待した。それなのに、民主党政権は公務員制度改革や高速道路の料金無料化政策はじめ、こども手当、農家への戸別所得補償など、改革と称して打ち出した政策の数々が道半ばどころか、改革の成果さえ見えない。
経済のデフレ状況に歯止めがかからない中で、日本の周辺のアジアではさまざまな内部の課題を抱えながらも、世界の成長センターとして経済に勢いを持たせる政策を打ち出している。日本は過去の成功体験を捨て切れず、モデルチェンジが行えないでいることが経済低迷の原因なのだろうか。ところが民主党政権は、税収の低迷を視野に入れずマニフェストで掲げたバラマキ政策で国民の関心を惹き付けることに躍起だ。政治主導とはいえ、マクロ政策面で財政赤字のツケをどう処理しようとしているのか定かでない。社会保障の制度改革をねらって掲げる消費税率の引き上げ議論も宙に浮いたままだ。
15カ月の民主党政権の中間決算を企業決算と同じように、してみた場合、明らかに収支バランスが整っていない。しかも改革をうたった政策の効果もほとんど出ていない。間違いなく大赤字決算と言ってもいいほどだ。

外交政策でも戦略性が見えない、世論調査でも「民主党の外交に不安」の声
 外交面でも、対中国に限らず、対ロシア、対東南アジア諸国連合(ASEAN)、そして対米、対欧州共同体(EU)、さらには対中東などへの取組みに関して、民主党政権は政治主導という割合には戦略性が見えず、尖閣諸島での中国漁船への対応でも後手後手になっていて、国民の側からすれば、政権に外交政策を委ねておいて大丈夫かな、という不安が広がる。現に、読売新聞の世論調査でも、外交政策への取組みに不安を感じる、という声が過半数にのぼっていた。

毎日新聞の政治コラムニストの友人、山田孝男さんが11月22日付の新聞コラム「風知草」でなかなか鋭い問題指摘をされており、我が意を得たり、という点があったので、ぜひ、引用させていただこう。

毎日新聞コラムでの元外務次官、谷内氏の現役官僚を代弁する発言は重要
 「閣僚の失言比べが佳境に入っているが、より深刻な問題が別にある」として、まず谷内(やち)正太郎早稲田大学教授=元外務省事務次官=が11月18日の講演会で、民主党政権の首相と閣僚を見つめる現役官僚の状況、危機意識を述べた点を取り上げている。それによると、谷内さんは「今は(現役官僚は政権に対して)<面従腹背>ですらない。『勝手におやりになったらどうですか?』という感じになっている。(これは)国家として誠に不幸です」と述べている、とし、山田さんによれば、谷内さんは「民主党には国家という視点が欠けている」という点を問題視している、という。

もう少し核心部分を引用させていただこう。尖閣諸島問題で民主党政権が外務官僚の頭越しに中国に密使を送ったことについて、山田さんが首相側近の「外務官僚は意図的に情報を漏らして(政権の)足を引っ張りますから」とか、別の側近の「そもそも外務省のインテリジェンス(情報力)は高くないですし、、、」という発言を谷内さんにぶつけたら、谷内さんはこう答えた。「民主党はプロフェッショナリズムの無視、ないしは軽視なんですよ。官僚は、批判はありますが、税金で養われているプロ集団。政党としてそれを使いこなす器量をもってもらわないと困ります」と。
これらを踏まえて、山田さんはコラムの締めの部分で「民主党政権は太平に慣れた国民の覚せいをうながす捨石として退場するのか。霞ヶ関のプロ集団を使いこなして再び上昇気流にのるのか。ドラマは大詰めにさしかかった」と述べている。鋭い。まさに、そのとおりだ。

日揮事件の教訓は危機情報の連携 民間が手に負えないリスクは国の出番

 アルジェリアでの日揮人質射殺事件は、いまだに思い出すたびに、胸が痛む。天然ガスプラント建設にかかわった日揮や英国ブリティッシュ・ペトローレアム(BP)がイスラム過激派のテロ攻撃に巻き込まれ、多くの人たちが無残に射殺されて尊い生命が失われたのは悲惨だ。

亡くなった人たちのうち、日揮最高顧問で海外プロジェクトに懸ける心意気の強かった新谷正法さん、人材派遣会社からの派遣という不安定な形でも仕事を求めて海外に出向いた緒方弘昭さんらの新聞記事を読むと、重ねて胸が痛む。とくに、60歳代のシニアの人たちが、遠いアルジェリアの地でプロジェクトに打ち込んでおられたケースが多かっただけに、志半ばというのは、さぞや無念だっただろうと思ってしまう。

冷戦構造崩れ米国・旧ソ連のタガ外れ
日本が苦手な地域紛争・テロリスク急増
米国と旧ソ連の冷戦構造が崩れた結果、まるでタガが外れ、重しがとれたように、世界各地で地域紛争が噴出した。その延長線上にイスラム過激派の引き起こすテロ事件も起きた。今や米国、ロシアを含めた主要な大国の力も落ちてしまい、秩序の再構築が難しい。

当然のことながら、それらの地域紛争やテロリスクは、どれ1つとっても形態が異なり、対応が難しい。時代背景、地域の特殊性はもとよりだが、からみあう民族が互いにぶつける憎悪、根深い宗教の対立などはすさまじいものがあり、島国で、単一民族に近い状況でいる日本人にとっては最も苦手な部分だ。

危機と背中合わせの海外プロジェクト増える中で、
日揮事件から何を学ぶか
 そんな中で、日本企業は、日本国内の内需の落ち込みに背中を押されるようにして、これまで以上に、ますます海外に活路を求めざるを得ない。その海外展開によっては、日本にグローバルな世界でのビジネスチャンス、存在感をアピールするチャンスが間違いなく増えるだろう。しかし、その半面で、危機と背中合わせのプロジェクトに取り組まざるを得ないケースもぐんと増える。

今回の日揮のケースはまさにそれだった。北アフリカのアルジェリアに限らずアフリカは民族紛争に宗教がからむ。それどころかイスラム過激派内部の主導権争いも激化している、という。日本企業にとっては他人事でない。今後、どういったリスクが想定されるのか、そのリスクにどう対処すればいいのか、日揮事件から学ぶものは何なのか、日本が最も苦手とするリスクに真剣に考えざるを得ない。今回のコラムでは、ぜひ、その問題を取り上げたい。

リスク情報の交換や共有の連携システムがどこまで出来ていたか、
検証が必要
 結論から先に申し上げよう。今回の日揮の事件の大きな教訓は、危機情報に関して情報交換したり、情報を共有し合う連携システムがどこまで出来ていたのかどうかだ。
日揮はもとよりアルジェリア政府もイスラム過激派のテロ攻撃に無防備に近かったのか、あるいはリスク対応の準備をしていたが、有効に機能しなかっただけなのかどうか、まだ定かでない。まずは検証が必要だ。

とくに、今回の事件の場合で言えば、アルジェリア政府や軍当局は、イスラム過激派問題に関しては、自分たちの体制にとってのリスクのため敏感で、情報を持っていたのに、日揮やBPなど現地の外国企業とは情報交換や情報共有していなかった可能性がある。

現地日本企業は地元政府、日本政府、旧宗主国の
どこと連携するかも課題
その場合、たとえば日揮は企業防衛上、独自の情報収集ネットワークを持つ必要が出るが、仮にリスクにからむ最新情報を独自入手した場合、アルジェリア政府と情報共有するのか、あるいは日本政府が今後、危機管理のために常設するかもしれない窓口部門と連携して情報共有し、対策を講じるための意見交換をするべきなのか、さらにはアフリカの旧宗主国のフランスや英国などと情報共有する連携システムを持つべきなのか――今回の事件を検証して、教訓を引き出すしかないだろう。

日本企業の海外プロジェクト展開が今後、一段と増える中で、個別の企業が、さまざまな企業リスクに対して自己責任で対応するのはまず第1で、当然のことだ。しかし、企業にとってのリスクもさまざまで、顧客対応の問題、商品のトラブル対応の問題などを別にして、日本企業全体の信用、あるいは共通リスクに波及しかねない問題、あるいは国家間の問題に広がりかねない問題などがあり、海外展開する企業にとっては日本政府とのコミュニケーションパイプを持っておくことは絶対的に必要だ。

国は外交面で責任果たすが、
民間リスクは企業が負えと突き放す時代でない
 同時に、国、つまり日本政府も、海外展開する企業の果たす役割を考えれば、そのリスクをシェアする責任がある。オーバーに言えば、民間企業が国に代わって果たしてくれている役割に応えて、リスクを負担する責任が増大してくる、と言っていい。
企業が私企業の利益追求で海外展開しているのは間違いないが、一方で、日本の経済成長を下支えする役割、また資源確保の多元化を担う役割、日本のグローバルパートナー探しの先兵の役割を果たしていることも事実だ。外交面は、国が責任対応するが、民間リスクは企業が自分たちで負え、と突き放す時代でない。むしろ、さまざまな危機対応面でのバックアップ体制づくりを、もっと本腰を入れて強化すべきだ、と思っている。

安倍政権は事故検証委報告書よりも、
まだ流動化する事件のフォローアップを
そのことを前提に、今回の日揮事件での国の危機対応を見た場合、安倍政権は予想外に対応が早め早めだった。安倍首相自身がアルジェリア首相に電話して人命尊重を求めたり、英国首相にも電話で危機対応に関する情報収集したりするリーダーシップはよかった。経済ジャーナリストとして、アベノミクスの政策に危うさを感じる部分があるが、こと、今回の危機対応では、首相が前面に出て対応したのは、評価できる。

その後、安倍政権は1月29日に事件後初の「アルジェリア人質事件に関する検証委員会」を開き、2月末に検証委報告書をまとめること、3月には危機管理対応の専門家ら有識者懇談会を立ち上げて議論を行い4月に報告書を出すことを決めた。
しかし事態はまだ動いている。イスラム過激派の狙いは何だったのか、警備体制、とくに日本など外国企業への安全確保策はどうだったのか、フォローアップが必要だ。調査プロセスが重要なのに、この面が見えてこない。報告書づくりよりも、今の対応が必要だ。

在外公館の情報収集能力は頼りない、
佐藤優・元分析官クラスのプロは皆無との声

 率直に言って、海外でのさまざまなプロジェクト現場経験のある企業の人たちから異口同音に聞く話で「やはりそうか」というのは、日本の在外公館、端的には大使館の外交官の情報収集能力が決定的に弱く、頼りにならないことだ。ロシア情報収集では敏腕だった佐藤優・元外務省分析官クラスのプロの人材が今や皆無に近い、という。

その佐藤氏がアルジェリアの現場にいたら、どうするかな、という期待感があるが、やはり、まず第1は、イスラムの穏健派や過激派のネットワークに情報収集網を張り巡らすと同時に、アルジェリア政府関係者、地元住民の長老ら地域リーダーとも定期的につきあうこと、情報のテーク&テークでは相手にされないので、ギブ&テークのギブの情報をどのように提供するかなど現地対応が最重要だ。アフリカの旧宗主国であるフランスのみならず英国だけでなく、米国、場合によっては最近、アフリカ進出が積極的な中国などとの情報交換ネットワークをどう構築するかという点も重要になる。

三井グループのイランとの合弁IJPCプロジェクトでも
リスク読むのは厳しかった
 実は、私は毎日新聞経済記者時代に、イラン革命に巻き込まれた三井物産など三井グループ企業の日本・イラン石油化学合弁プラント(IJPC)プロジェクトを現場で取材した経験がある。生命の危険という点では、今回の事件の比ではないが、当時は、日本企業の海外展開プロジェクトとしては、ケタ外れに大きかった。しかし、イラン革命、そしてそのあとに続いたイラン・イラク戦争に巻き込まれ、主力の三井物産は企業グループのリスクとしては限界がある、と全面撤退を決断せざるを得なくなった。

当時、現場にいて取材した記者感覚では、三井グループは合弁プロジェクトの性格上、パーレビ―国王体制下のイラン政府に偏り過ぎて、リスクの先にあったイランのホメイニ師らのイスラム・シーア派の宗教革命の予兆を読み切れなかった。ただ、当時のイランは、安泰と見られたパーレビ―国王の政権基盤が一気に悪化し、亡命を余儀なくされた。そうなると、三井グループにすれば合弁先のイラン政府自体の動揺が著しくなり、事業リスクにとどまらず企業自体のリスクを検討せざるを得なかったが、当時は、企業にとって、リスクをどこまで読み切るか、大きな試練だったことは間違いない。

リスク対応誤れば企業の命運を左右する、
日揮事件は終わっておらず検証急げ
東京電力が世界中を震撼させた福島第1原発事故に関して、東日本大震災が引き起こした大津波による事故で、想定外によるものだったと、事故当時の清水正孝社長は表明したが、その後の国会事故調査委員会の調査では、過去に大きな津波予測があったのに、シビアアクシデント(過酷事故)対応しなかった経営の危機管理上の問題と結論付けた。

企業のリスク対応、危機管理対応は極めて重要な問題だ。ある面で、企業の命運を左右することにもなりかねない。今回の日揮のアルジェリアの事件では、すでに述べたように、日揮自身がイスラム過激派のテロリスクに至る情報を入手し事前に予知出来ていたのか、全く対応できていなかったのか、あるいはテロリスクに敏感なアルジェリア政府や軍当局が情報入手していながら、日揮や英国BPの現地外国企業に伝えなかったために起きた悲劇なのか、いろいろなことが考えられる。まだ検証が出来ていない。
そういった意味で、安倍政権の事故検証委員会は2月末の報告を出す前に、フォローアップを迅速に行い、逐次、必要な情報を開示し、アルジェリア政府とイスラム過激派テロ対策の再発防止に努めるべきだ。

熱くほれる「あほ」な人たちによる地域活性化のプロジェクトが面白い 志のファンド資金で「食文化屋台」など事業展開や「場所文化フォーラム」

「ここには、アホな人たちばかりが集まっていま~す」――今年10月下旬、神奈川県小田原市で開催の「第3回ローカルサミット~小田原・箱根こゆるぎから始まるいのち甦(よみがえ)るまちづくり~」に誘われてイベント参加した際、司会者が盛んに、この「アホ」という言葉を連発するので、何のことだろうかと思っていたら、次第にわかってきた。「熱(あつ)く惚(ほ)れる」の「あ」と「ほ」を取り出して「あほ」と言ったのだ。聞きようによっては、「アホ」「バカ」の「アホ」のことを言っているように、思わず錯覚してしまいかねない。何とも人騒がせなことだと思ったが、地域活性化プロジェクトの1つ、小田原ローカルサミットには、それほど「あつくほれる」人たちの熱気があった。

そこで、今回は、さまざまな地域活性化に向けてのチャレンジや試みが全国で行われている中で、「時代刺激人」ジャーナリストの立場で見ても、これはなかなか面白い着想のプロジェクトだなと思うこのローカルサミットを取り上げてみたい。

上からの発想、日本経団連の経営者らの過去の成功体験とは無縁の取組み
 ローカルサミットというと、おおげさなものに聞こえ、全国各地の自治体のサミット(首脳)らが集まった会合のことか、と思われそうだが、それとは、まったく縁遠いものだ。サミット最後のまとめの部分の一部を紹介すれば、イメージがおわかりいただける。
要は、このローカルサミットは、地元小田原の人たちを中心に全国から集まったさまざまな人たちの地域活性化のためのイベントだ。その集約部分での言葉は、「上からの行政の発想でなくて、また日本経団連の経営者たちが過去の成功体験を語り合うような発想でなくて、地域のさまざまな人的、物的資源のよさを見直し、地域のひとたちが自分たちの町や村を手づくりで、そして地域に根差した新たな成功モデルになるようなものをつくりあげていこう。今回のローカルサミットで、小田原モデルのようなものをつくりあげ、それを日本全体に、さらには世界の地域活性化のモデルにしていこう」という内容だ。

ローカルサミットで「いのちを活かすものづくり」など11テーマ、小田原評定も
 サミットは、前夜祭を含めて3日間にわたった。私は運悪く、最後の日のまとめセッション「G11(イレブン)小田原評定」の部分にしか参加。しかし発表などを聞いて、なかなか興味深いものがあった。11のセッションでは「いのちを活かす『ものづくり』」とか「いのち輝く『商い』」、「いのちをつなぐ『金融』」「いのちを生かす『食』」「いのちを育む『農林水産』」といった形で、すべてに地域の人たちの生活につながる「いのち」をテーマにディスカッションしている。最後は、それらをどう評価するかという点で、地名につなげ「小田原評定」としたようだ。

たとえば、このうちの「いのちを活かす『ものづくり』」セッションでは、どんな議論があったのだろうか。報告によると、「地域に素晴らしい伝統工芸品や特産品があっても、コスト高で値段が高く、中には嗜好品になってしまっていて生活の現場に入っていけるものになっていない」「もっと持続可能なものづくりが必要だが、どうすればそれが可能になるか考えるべきだ」「ハイテクと伝統技術の融合でもって、思わず消費者が手にしてみたくなる、買ってみたくなるモノづくりが必要でないか」「市場づくりも重要だ。それに経営が長続きするようなビジネスモデルづくりが重要だ」「つくり手の側にも、消費者ニーズをしっかりと探るマーケットリサーチ能力が必要だ」などの意見が出た、という。

高知県馬路村ゆず事業化のようなマーケッティング、ブランディングを課題に
 私は報告を聞いていて、柚子(ゆず)の事業化に際して、地域をあげて取り組んで成功した高知県の馬路(うまじ)村をイメージした。確かに、セッションの議論のポイントは、特産品をうまく地域全体の事業にしていくためにはマーケッティングやブランディングの戦略をどうするか、あるいは消費者に高い評価を受けるうま味などの工夫をどうするか、コスト管理をどうするか、誰がリーダーになって事業化を進めるか――といった点に及んでいる。その点で、地域ぐるみで取り組んだ成果が全国ブランドに広がった成功例の馬路村のゆず事業のような取組みの仕方は、今回のローカルサミットのターゲットになっているのだろう。

この小田原ローカルサミットは第3回とあるように、最初は北海道の帯広市、続いて愛媛県松山市の宇和島市で、それぞれ地域の活性化、都市の消費者との連携などをめざしたイベントを行い、今回が3回目のものだ。すぐに明快な結論が出るようなことではないが、地域活性化のモデル事例になるような取組みをしていこう、というところに、時代刺激人ジャーナリスト的にも興味をそそられるものがあった。 しかし、ここまでならば、これまでいろいろな地域で悪戦苦闘している地域おこし、地域活性化や地域再生のプロジェクトの域を出ない。ところが、このローカルサミットは、仕掛け人たちに、そのレベルを越えるチャレンジがある。そこをぜひ、ご紹介しよう。

仕掛け人は日銀OBで、場所文化フォーラム代表の吉澤さん
 仕掛け人の1人が日銀OBで、現在、場所文化フォーラム代表の吉澤保幸さんだ。この場所文化フォーラムという組織の問題意識が、帯広や松山・宇和島、そして今回の小田原でのローカルサミットのベースにある。
吉澤さんによると、このフォーラムは、自然の景観や歴史、言葉、食、生活様式など、言ってみれば風土のようなものを含めて、それぞれの地域が持つ場所の価値、場所の持つ文化的なもの、端的には場所文化というものを、地域の人たちだけでなくさまざまな人たちが再認識して、その素晴らしさを実感し、それどころか地域と言う「居場所」を誇りにしていく手助け、サポートを目的にしている、という。

地域でしっかりと資金循環する仕組みづくり、「場所文化」の核が広がれば成功
 そして、ここからが重要なのだが、吉澤さんによると、国や自治体などの補助金に頼らなくとも地域でしっかりと資金が循環していくような仕組みづくりを構築すれば、地域の人たちは自分たちの場所文化に誇りを感じて、点から線、そして面へと広げていく。さらに帯広、松山・宇和島、小田原という形で、全国10か所ほどの場所文化の核をつくっていけば、下からの地域活性化、地域再生が機能し、日本中に広がっていく。いずれは日本にとどまらずアジアにも広げたい、という。
この場所文化フォーラムには、地域の人たちだけなく問題意識を持つ企業関係者、大学教授、地域デザインをする建築家、造園家、銀行関係者などが軸になって活動する。毎月1回程度、勉強会を行うと同時に、今のようなインターネットの時代にはEメールなどで情報交換、場合によっては情報共有していく。また「場所文化を感じる、気づく、見つける」場所探しのツアーも年間3、4回行ってきた、と吉澤さんは述べている。

LLCとLLPという枠組みがポイント、プロジェクト応援の志民たちも出資参加
 場所文化フォーラムのイメージは総論では何となくわかるが、具体的にどうするのか、どんな仕組みづくりにするかが、とても気になる。まさに、そこがポイントだ。吉澤さんによると、新会社法で設立が可能になったLLC(合同会社)とLLP(有限責任事業組合)をうまく活用している。ちなみに、このLLCは、出資者が出資額の範囲でしか責任を負わない有限責任であること、しかも内部自治原則という形で、組織ルールが厳しくなく、むしろ自由裁量をベースに話し合いで物事を決めて行くことなどが特徴。LLPも事業組合的な組織なので、産学などの事業連携や共同事業などに適している。いずれも吉澤さんらのプロジェクト展開には最適で、考えようによっては、プロジェクトを長続きさせる仕組みづくりとも言える。

吉澤さんによると、2003年8月に場所文化フォーラムのメンバーらが中心になって立ち上げ、そしてLLCはレストラン「とかちの、、、」立ち上げ時の2007年に設立した。ここには各地域のプロジェクトに共鳴する志のある人たち、つまり「志民」も出資参加する、さらに地域の金融機関も外野のファンドの形で加わる。そしてつくりあげた「場所文化志民ファンド」が地域のコミュニティビジネス、シャッター街化 した中心市街地の再開発プロジェクトの支援、さらには地域文化を再興させようというレストランや飲食店の人たちの「屋台村」プロジェクトの支援も行う。

LLCが東京丸の内の「とかちの、、、」レストランに出資、事業益は他に投資
 吉澤さんらが、2007年に東京丸の内にオープンさせたレストラン「とかちの、、、、」は帯広市のローカルサミットで中心的な役割を果たした十勝地方の野菜生産農家、畜産農家などの安全で安心な食材をベースに、場所文化フォーラムと連携する山梨県甲州市勝沼のワインなどを提供するレストランだ。言うまでもなく、この場所を活用して、十勝地域と東京などの都市の人たちとの間で、食を通じた出会いの場にしていく。それよりも重要なのは、LLCから、このレストランに出資する。店の事業収益はLLCに貯めて、十勝地域以外の地域活性化のプロジェクトにも再投資する。出資者の投資のリターンは、「志民」通貨といって、食事券などで還元する。もちろん、LLCのメンバーはすべて了解済みのことだ。

吉澤さんは日銀時代の逮捕事件を克服し地域再生で再出発
 こうした場所文化フォーラムのアクションがきっかけになって、十勝地域はじめ、いろいろな地域で、プロジェクトに呼応する形で農業生産法人や地域企業などが新たな連携組織を立ち上げている。また、行政なども応援の形でサポートに回っている。ローカルサミットも、ある面で、こうした動きに地域が受け皿どころか、同時進行の形で呼応している。私から見ても、生き生きした動きに見える。ぜひ、「時代刺激人」ジャーナリストの立場でも役割を担って応援したいと思っている。大事なことは、日本の地域が閉そく状況に陥って身動きがとれないなどと嘆いているよりも、こういった新しい動きをサポートすることで、あるいは連携の輪に加わることで地域活性化が機能してくると思う。

ところで、吉澤さんは、日銀のエリート官僚の1人だったが、12年前の1998年の日銀旧営業局証券課長時代、接待汚職事件にからんで収賄容疑で逮捕された。そして日銀を退職したあと、税理士の資格をとって、再出発を図ると同時に、地域活性化のプロジェクトにかかわった。吉澤さんにすれば、日銀時代の逮捕事件に関しては、複雑かつさまざまな思いがあるのだろうが、大事なことは、こうして新たな出発で見事に再生し、地域の活性化に尽くしている。ここは素直に評価していいのでないかと、私もプロジェクト応援している。

日本はTPP参加を決断し農業強化などで骨太の国になる絶好のチャンス 韓国やベトナムのしたたかさを参考に、APEC議長国として戦略力発揮を

 TPPというローマ字が新聞の見出しにたびたび出てきて、最初は何の略語かと思っていた人も、注釈などを見て、さすがにわかってきた。そう、TRANS-PACIFIC PARTNERSHIP AGREEMENTの略語で、日本語に直すと環太平洋経済連携協定をさす。要は協定に参加した国々の間で投資や貿易などヒト、モノ、カネの自由化をめざすものだ。日本は、このTPP参加を表明して国のドアを大きく開け、戦略的強みの技術革新力や環境分野で競争力を強め、同時に戦略的な弱みの農業などに関しても、大胆に強化策を打ち出すという形で、骨太の国に脱皮するいいチャンスにすべきなのだ。

実は、あとでも述べるが、私は当初、米国主導のアジア、太平洋を網羅したTPPへの参加よりも、日本はまず、東南アジア諸国連合(ASEAN10カ国)プラス3(日本、中国、韓国)による東アジア地域経済統合をめざすべきだと考えていた。ところが、最近の中国の経済高成長を背景にした大国主義の高まり、とりわけ海洋権益の確保をねらった尖閣諸島、南沙・東沙諸島の領有権の主張、さらには一段の成長政策によって経済1人勝ちをめざす中国の「富国論」の動きを見て、判断を変えた。つまり日本にとって、中国は重要な関係を保つべき国とはいえ、ここは中国の行き過ぎた動きに歯止めやけん制をかける意味で、日本がTPPに戦略的に加わった方が得策だ、との考えに変わったのだ

肝心の民主党政権は農業保護派の反発でTPPに踏み込めず、腰砕け状態
 ところが、このTPPへの参加をめぐって、民主党政権は煮え切らない。それどころか関税自由化によって影響を受ける国内農業を守れという農業保護論者の参加反対論に苦慮して身動きがとれず、ほとんど腰砕け状態でいる。現に、11月9日の閣議決定に向け7日に行った対応協議のための関係閣僚委員会では「情報収集を進めながら対応することが必要。国内の環境整備を早急に進めるとともに、関係国との協議を開始する」ということにした。政治主導を売り物にした民主党とは到底思えない、わかったようでわからない、どうとでも受け取れる官僚の作文でもって、事態乗り切りを図ったのだ。

率直に言って、民主党政権は事実上、経済開国するチャンスを棒に振ってしまったと言っていい。そればかりかアジアでの戦略的な行動チャンスも失った。というのは今回、日本が15年ぶりにアジア太平洋経済協力会議(APEC)議長国となり、横浜で11月13、14日の2日間、21カ国・地域による首脳会議を開催して全体を仕切り、存在を内外にアピールできる絶好のチャンスだった。ところがこの閣議決定内容では中心テーマの1つ、TPPに関して、議長国として参加するのか、しないのかがさっぱりわからず、存在感を示せないまま、来年の次回開催国である米国に名をなさしめるだけなのだ。

米国が昨年、TPP参加しベトナムも加わったことで戦略的意味合い変わる
 なぜ、TPPへの日本の参加にこだわるのか、と思われるかもしれない。実は、このTPPはもともと2006年に発効した時点での参加国がシンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの4カ国だけで、失礼ながら、これらの国々で自由貿易経済圏をつくっても経済効果が限られていた。
ところが米国のオバマ大統領が昨年2009年のAPEC首脳会議の場でTPPへの参加を表明してから局面が大きく変わった。しかもそこに豪州、ペルーに加えてマレーシア、ベトナムが参加表明したことで、俄然、その戦略的な意味合いがぐんと強くなった。すでに参加表明しているカナダ、メキシコに加えてタイ、それに米国と自由貿易協定(FTA)を結んだ韓国も加わるのがほぼ確実な情勢だ。そうなると、TPPはさらに一段と重みのある経済連携協定となってくるのだ。

東アジア共同体構想に弾みがつくと米国はアジアで孤立するリスク考えた?
 米国のTPP参加表明には、米国なりの戦略的な意味合いがあったように思う。とくにその表明タイミングが、日本の鳩山首相(当時)の東アジア共同体構想を打ち出した時期と微妙にだぶる。つまり米国としては、日本の民主党政権の実行力について見極めがついていなかった。しかし、もし新興アジアで急速に力をつける中国、それに韓国に、日本が加わってASEANプラス3による東アジア経済連携協定、あるいは経済連携にとどまらず政治連携も加わって東アジア共同体実現に向けた動きが仮にも具体化すると、米国の影響力が及ばない集団がアジアに誕生する。米国が当時、それへの危機感を強めたのは想像にかたくない。そこで、米国は海のモノとも山のモノともつかないTPPに参加表明することで、東アジア共同体が独り歩きするのを防ごうとしたのでないかという気もする。

米国発の金融危機にとどまらず世界経済の危機をもたらした2008年の米国のリーマンショックに対しては、世界中の国々、とりわけアジアの国々は反発が強い。そればかりでない。1997年のアジア金融危機、経済危機の引き金を裏で引いたのが米国、そして米国が影響力を及ぼす国際通貨基金(IMF)であると見ているアジアの国々は、米国を快くなど思ってもいない。しかし地盤沈下が目立つ米国でもまだまだ腐っても鯛(タイ)で、貿易相手国としても存在感を認めるべきだという気持ちがアジアにはあるようだ。だから、その米国がTPPに参加表明すると、にわかにベトナム、マレーシアなどが参加表明した。私は、そのベトナムには実はもっと戦略的な意味合いがあるとみるべきだと思っている。

ベトナムのTPP参加は肥大化・中国のアジア覇権主義への警戒感が背景に
 私の知り合いの国際政治を研究する専門家の1人が、ベトナムの行動について面白いことを言っている。私もまったく同感なのだが、要は、ベトナムは中国への警戒感を崩しておらず、大国主義を背景にしたアジア地域覇権のようなものが芽を出してくると、抑えようがない。そこで、ベトナムはいま、中国の巨大市場への貿易といった形で経済的な恩恵を得ているが、中国のアジア、とりわけベトナムへの南下戦略に歯止めをかけるにはTPP、そしてその中核の米国の存在感を利用するのが得策だ、と見たのだ。しかもベトナムはロシアともつかず離れずどころか、原発発注などを通じてロシアから見返りに潜水艦の供与を受けるしたたかさも持っている。

中国の突然のTPP参加表明はサプライズ、日本は取り残されるリスクも
 そんな中で、最近、サプライズだったのは、何とTPPに中国が参加の意向を持っていることが判明したことだ。APEC議長国の立場にある日本の外務省や経済産業省の関係者が、その情報を得て、日本のメディアにリークし、一斉にニュースとなった。さきほどの国際政治研究の専門家は「中国がTPPに参加表明し、本気で関税の自由化を含めヒト、モノ、カネの自由化に一気に応じるほどの余裕はないはず。しかし、米国を軸にTPPを通じた中国包囲網のようなものが出来ることに対し、中国としては、けん制すると同時に、参加表明している国々に対しても中国は広域の経済連携協定には柔軟なのだ、という姿勢を示して波紋を残そうとしたのでないか」という。
率直に言って、中国のTPPへの参加の本気度がまったく見えない。しかし、もし日本だけがTPPへの参加について、国内問題を理由に、あいまいさを続けていたら、はっと気がついた時には、日本だけが大きな経済連携協定の枠組みから取り残されてしまう、というリスクも視野に入れておかねばならない。そういった意味で、ベトナムの動きは極めて参考になる。

日本がTPPの枠外で孤立すれば貿易面で差別的待遇を受けることは覚悟も
 確かに、TPPが予想外のテンポで動きだしたりすれば、その枠組みに入っていない日本は貿易面で大きなハンディキャップを背負うことになることは事実だ。早稲田大学大学院の浦田秀次郎教授は10月30日付の産経新聞の「TPP参加 私はこうみる」の中で こう述べている。
「TPPが構想ではなく現実に動きだしている点が重要だ。(中略)このままでは、アジア太平洋地域での経済連携の制度づくりに、まったく日本の意見が反映されず、日本の企業や消費者にとっては大きな損失になる。参加しなければ、例えばオーストラリアに製品を輸出する際、『(TPPに入る)米国製は無税だが、日本製は有税』といった差別的待遇を受け、日本の輸出機会が縮小する」という。

アジアではいま、このTPPとは別に、ASEANが中国とだけでなく韓国、日本、インドと自由貿易協定(FTA)を結んでいる。同時に、韓国も大胆に米国、そして欧州共同体(EU)ともFTAを結び、中国との連携強化にも踏み出している。そこへ今回のTPPが加わり、それこそさまざまな経済連携協定、自由貿易協定などがアミの目のように張り巡らされ、それこそ相関図はクモの巣状態と言える。

日本農業の現場は着実に力をつけている、政治は「攻めの農業」づくりめざせ
 こういった中で、日本は国内農業保護論がネックとなって、FTAに関しても、シンガポールなど農業国でなく農業をめぐる問題が表面化しない国々との締結は進んでも、肝心のそれ以外の主要国とは農業問題が影響して問題先送りのままだ。今回のTPP参加をめぐる問題も同じ農業で身動きがとれない状態でいる。

私は第96回コラムで国内農業保護にこだわらず、アジアとの広域FTA連結に踏み出せと書いてきた。また第27回、第72回コラムでも農業の現場では農業生産法人化を通じて企業経営手法を取り入れて改革に取り組んでいる事例、第1次産業を中心に、市場流通に頼らずに第2次、第3次の産業分野まで主導的に経営展開する「6次産業論」を実践して、儲かる農業を実現している先進モデル事例をあげ、十分に競争力がつき始めている、ことを指摘した。
いまこそ、農業の保護や守ることに躍起になるのではなく、攻めの農業を確立するためにはどうしたらいいか、国際競争力のある日本農業はどうあるべきかをもっと議論した方がいい。農業の現場では着実に力をつけている農業者が増えているのだ。今回のTPP参加をめぐる問題も、政治がもっと攻めの農業づくりに踏み出さない限り、永久に封印される、という恐ろしい事態になりかねない。いかがだろうか。