「中国は今や日本に積極的関心がない、米国との戦略連携に軸足移す」 中国政府前アドバイザー八城さんの指摘はショック、内向き日本は魅力なし?

日本は内向き志向から脱却してグローバルな世界で存在感のある行動、とくに中国やインドが軸になる世界の成長センター、アジアでの戦略的な展開が重要になってきている、と思っていた矢先に、ある有力ビジネスリーダーから、とてもショッキングな話を聞いた。中国は今や日本には積極的な関心がないし、日本の存在も意識していない、むしろ米国を今後の戦略パートナーとして位置付け、軸足を米国に移している、というのだ。
ところが、友人の中国の大学教授は「中国経済の高成長に酔いしれて、日本軽視論的な発言が一部に出ていることは否定しない。しかし今の中国経済は『調和社会』実現のためには医療、環境、防災などの面で日本から学ぶことが多く、日本を重視する姿勢に変わりがない」と述べている。中国は日本との関係では、どういった考えでいるのだろうか。このコラムが100回という節目になったのを機会に、日中関係の問題を取り上げてみよう。

「中国の唯一の関心はバブル崩壊の日本の政策失敗を繰り返さないこと」
 まず、中国は本当に日本を見限ったのだろうか。「中国は今や日本に積極的な関心がない」と語った有力ビジネスリーダーの話から始めよう。このリーダーは八城政基さんだ。京大、東大大学院を卒業したあと外資系企業に入り、石油メジャーのエッソ石油社長などを経て、米大手銀のシティコープヤシティバンク・エヌ・エイの副社長兼日本代表を務めた。今でいうグローバル経営の先駆者の1人だ。その後、破たんした旧日本長期信用銀行の受け皿会社、新生銀行の会長兼社長も務めたが、退任後、中国政府からの強い要請に応えて、今年5月まで政府の金融監督委員会などのアドバイザーを引き受けた。中国政府の要路にも強い人脈があり、その交流経験を踏まえた話には耳を傾ける必要がある。

八城さんは、私がかかわるNPO全国社外取締役ネットワーク会合でのスピーチの中で日中関係に言及されたのだが、ポイント部分は、こんな話だ。「日本は保守的で、変化を嫌い、内向きになり過ぎている。しかも過去の成功体験から抜け出せない。その日本とは対照的なのが中国で、今や経済成長に自信を深めたのか世界のリーダーになる気概が出てきた。共産党政治体制を維持しながら、それ以外の改革開放に関しては大きく自由度を拡げるという政策運営方針でいる。しかも米国志向を強めている。とくに米国が世界中から移民を受け入れ人材を集めて成長の源泉にしたことを高く評価する。米国をパートナー視し、戦略的な連携も辞さずという姿勢だ」「中国が今、日本に関心を持っているのはバブル崩壊とそのあとの経済デフレを招いたマクロ政策の失敗の研究だけだ。それ以外では日本に対する積極的な関心がない。日本はこの現実を厳しく受け止める必要がある」と。

聞きようによっては、中国はもはや日本から学ぶものはないとの意識?
 聞きようによっては、中国は、もはや日本から学ぶものは何もないと豪語しているようにも聞こえる。ただ、日本経済の「失われた10年」が20年までに長期化する、といったマクロ政策の判断ミスをしっかりと学習し、中国経済が今、直面する不動産バブルリスクの軟着陸化を図ることだけは失敗の研究という形で学習対象にしよう、と言いたげだ。
八城さんによると、中国からすれば、日本は内向きで、グローバルな競争に勝つような国家ビジネスモデルになっていない。すでに経済的には後発のメリットを生かして、日本からは学んだり修得したものが多いが、今後の戦略展開という点では、むしろターゲットは米国だ、と見ている、という。

日中共同意識調査でも「世界政治をリードするのは米国と中国」との自信
 そういえば、今年6月から7月にかけて、言論NPOと中国日報社が共同で日中両国の人たちを対象に行った共同意識調査で面白い結果が出たのを思い出した。「これからの世界の政治をリードするのはどこの国か」という質問に対して、中国では米国と回答したのが55%、中国が49%で1、2位を占めた。明らかに中国は今後、米国とともに「G2」体制で臨む、という判断だ。さらに2050年の中国経済に関しても、米国を追い抜く、もしくは米国と並ぶと答えたのが中国では83%、日本でも56%だった。誰もが中国の世界No2を見通しているのだ。
すでに中国が今年2010年の4-6月期の国内総生産(GDP)で、世界第2位だった日本を追い抜いている。まだ瞬間風速の数字であり、1-6月でみれば、日本のGDPが若干、優位にあるが、日本経済のデフレ状況、中国の経済成長の勢いの差は歴然であり、年間を通して見れば、多分、GDPの日中逆転は間違いないだろう。この経済の勢いの差が、日中の共同意識調査結果にも出てきて、中国を強気にしているのは間違いない。

日中GDP逆転は確実だが、質的成長には日本との関係強化が重要のはず
 しかし、中国はGDPで世界第2位になるのが確実とはいえ、国内的には課題がまだまだ多い。13億人というケタ外れの巨大人口を抱える中国は、国内の沿海部と内陸部の間の所得、地域格差が大きい。国民1人当たりの所得水準でみれば、日本とは1人あたりの平均国民所得面で10分の1と、まだかなりの開きがある。そればかりか環境破壊、行き場を失ったマネーが不動産投資や株式投資に回ってバブルリスクの爆弾を抱えている。その意味で、先行する日本がたどった成長プロセスをしっかりと学習し、それをもとに中国が量的成長から質的成長を果たし、文字どおりの大国になることが先決だ。むしろ、中国にとっては、日本との連携が重要であり、また今後のアジア地域経済統合時代の流れの中でも日本を重要なパートナーにすべきだと思うのだが、八城さんの見方では、必ずしもそうではない、と言うことなのだ。本当にそうなのだろうか。

中国在住の日本人研究者「今の中国には米国経済モデルは参考にならない」
 そこで、中国の北京で大学と連携して研究活動に携わる日本人の友人に、率直に聞いてみたところ、なかなか興味深い話が聞けたので、ご紹介しよう。結論から先に申し上げれば「中国は確かにGDPで世界第2位が確実な情勢下で、これまで以上に米国を強く意識していることは間違いない。ただ、現在の中国経済は、さまざまな課題を抱えている。端的には省エネ型経済への転換、『小康社会(少しゆとりある社会)』実現のために必要な医療制度の充実、環境保全や安全社会の実現、耐震設計技術やインフラなど防災体制の整備といった社会システムの構築、人民元高阻止のためのドル買い・人民元売りの為替介入でもたらされた資産バブル対応など、日本の技術や政策経験を強く必要としている。これらは米国の経済発展モデルから得るのは難しく、中国としてはまだまだ日本との関係強化を図る方が戦略的にも重要」というのだ。

朱建栄教授も「中国指導部は日本から『調和社会』建設のヒント得よとの意識」
 この発言を裏付けるように、私が長くつきあっている朱建栄東洋学園大学教授は「中国社会では一部の学者を含めて、経済の高度成長に酔いしれて日本軽視論的な発言をしているのは事実。しかしそれは中国指導部や主流学者の考えを代表したものでない」と述べている。
朱建栄さんによると、各省庁トップを含めて中国指導部の意識の中には、中国経済は米国型経済の道を歩んではならないこと、むしろ日本の経験から『調和社会』建設に向けてのさまざまなヒントを得なければならない、という点が強い、という。
ここでいう米国型経済に中国経済の将来モデルは見えない、というのは、私なりに解釈すると、マネー資本主義がもたらす弊害、とりわけ競争による格差拡大は成長のエネルギーになっても社会不安という副産物をもたらす可能性が高く、中国にとってはかえってリスクだ、という、意味合いが含まれているように思う。

中国若手研究者は日本と同様に{内向き}志向?実は過信がもたらしたもの
さきほどの北京で研究活動を続ける友人は、さらに興味深い話をしてくれた。それは、中国の政府指導者を別にして、大学の研究者や学生なの間で最近、日本以上に「内向き志向」が強まってきている、というのだ。
ところが、よく聞いてみると、同じ「内向き」でも意味が全く違う。つまり、中国の経済成長が米国発のリーマンショック後も意外に崩れないどころか、しっかりした歩みを続けていること、それに軍事大国化の道を歩み始めたことなどで、若い人を中心に自国への自信が過剰気味になり、米国を含めた外国への関心が薄れてきたこと、さらにはグローバルな金融危機後、欧米から積極的に学ぶものは少なくなってきた、むしろ自分たちの「社会主義・市場経済併存の中国モデル」が最も優れているのでないか、という意識になってきたことが中国の「内向き」の意味なのだ。これは日本にとっては、中国が独善に走りやすい危険性を秘める「内向き」志向であり、何としても、友人として「過信は禁物だ」と、さまざまなルートを通じて、アドバイスしたり議論交流で注文をつけたりする必要がある。

日本は医療や年金制度改革で先進モデル事例つくり中国にアドバイスを
 私は、日中関係の問題に関しては、69回のコラムでも取り上げたが、いま日本が抱える医療や年金などをめぐるさまざまな問題に関しては、中国は経済社会の高齢化を通して同じように直面する。そこで、先行する日本が率先垂範、それらの重い課題に挑戦し、問題や課題の克服を成し遂げ先進モデル事例をつくり、制度改革案を打ち出すことだ。その時点で、日本は「課題克服先進国」として、胸を張っていける。その時点で、日本は、中国に対して、今や量的な成長にこだわるよりも、経済成長の質を高めることに力を注ぐべきだ、とアドバイスすればいい。
中国にとっても、日本がこれから取り組むべき「課題克服先進国」のさまざまなテーマに関しては、いずれも共通課題であり、多分、身を乗り出してくるだろう。その意味で、中国にとって、日本は極めて重要な学習対象になるのは間違いない。その時こそ、八城さんの見方とは異なるが、中国は、間違いなく日本との関係強化の道を探って来るはずだ。

— さて、実は、チャンスがあって、私は、9月半ばに中国の三峡ダムや上海万博を見に行く。そこで、勝手ながら、来週9月14日のコラムはお休みさせていただき、帰国後の9月21日に中国最新事情をレポートしようと思う。—

政治空白がこわい、民主党代表選で「内ゲバ」していると日本経済はガタガタ? せっかくの緊急経済対策、市場に足元を見透かされて政策効果見えず

日本の政治はいったいどうなるのだろう。国民は政権選択によって、衰退の淵にある日本のチェンジ(変革)を期待して民主党を選んだ。それなのに、「期待半分、不安半分」の不安部分ばかりがどんどん増幅してしまい、かつての自由民主党の政権末期と変わらないような「日本の将来を託して大丈夫なのだろうか」という気分になってきている。

とくに、直近の民主党代表選(9月14日)をめぐって、6月2日に鳩山由紀夫前首相ともども政権混乱の責任をとって辞任した小沢一郎前民主党幹事長がわずか3ヶ月弱で立候補を決め、菅直人首相との直接対決という事態になった。しかも、この小沢氏の立候補担ぎ出しに一役買ったのが、一時は政界から身を引くと言っていた鳩山前首相なのだから、何とも不可解だ。そればかりでない。告示日ギリギリのところで一転、民主党内の小沢・反小沢対立が先鋭化し、昔の学生運動用語で言えば内ゲバ対立によって党分裂に発展するのはまずい、回避すべきだとの民主党内の動きに触発され、鳩山前首相は一転、菅首相と小沢氏の会談をアレンジして立候補者の一本化に向けた調整に動きだしたりしている。何とも政権政党とは思えないドタバタ劇で、政治の劣化を感じさせる。

英フィナンシャル・タイムズ紙は日本の民主党代表選で小沢氏批判の社説
 海外の国々からすれば、成熟国家と思っていた日本だが、前の自民党政権時代と変わらないような古い政治体質が今も続いている、政治が限りなく不透明だ、としか見られないのだろうな、と思っていたら、もっと手厳しい論調があった。英フィナンシャル・タイムズ紙が8月30日付の社説で「民主党は小沢氏を選ぶべきでない」というタイトルで、われわれ日本人にグサッとくるような指摘をしているのだ。小沢氏が民主党代表選に出る、出ないは別にして、英メディアはこう見ているのか、という判断材料になる。その一部をちょっと紹介させていただこう。

「ダンテの神曲に9つの地獄があるなら、日本の政治には9つの茶番がある。この1年で3人目の日本の首相となる菅直人氏が、就任わずか3カ月で、民主党内の代表選で強力な対抗馬に直面している。デフレ日本の救世主として名乗りを上げたのは小沢一郎前民主党幹事長だ。国際社会で脚光を浴びるよりは、陰に隠れて政治を操るのを得意とする。先だって米国人のことを『単細胞』と呼んだ小沢氏が首相になれば、2006年に小泉純一郎氏が退任して以来の興味深い首相になるだろうが、同時に、それは日本にとって大きな災難になるだろう」と。

政治混乱で経済政策が機動的に動けないのは間違いなくリスク
 今回、政治ジャーナリストでもない私が、この日本の政治混乱の問題を取り上げざるを得ないな、思ったのには理由がある。つまりマーケットが円高、株安で不安定かつ神経質な動きになっているうえ、経済デフレが続いている時に、政権政党の民主党が代表選、それも党を二分しかねない選挙戦に陥って政治空白をつくりだし、そのあおりで経済政策が機動的に動けないというリスクが高まるのがこわいな、と思ったからだ。現に、外資系証券の現場で、マーケット動向をウオッチする友人の日銀OBのマーケット・エコノミストもまったく同じ見方でいる。

政治空白という言葉について、インターネットの言葉辞典で調べてみたら「国会審議や政治混乱で政治的な機能が一時的にマヒしている状態」「国民の政治に対する信頼が失われたり、国会審議が空転して前進の見られない状態に陥った時に、首相など政治リーダーが影響力を行使できず政治的な機能が失われること」となっていた。まさに、今の状況がそれに近いような感じがする。

岸井毎日新聞主筆「何もしない、何もできない日本にはマーケットも厳しい」
 菅直人首相補佐官で、大手商社員から民主党衆院議員に転じた若手の寺田学氏は最近のテレビインタビューで「首相は急激な円高、株安状況を憂慮し臨時の緊急経済対策づくりを指示するなど、首相としての公務をしっかりこなしています。円高へのコメントに関しても、役所の案を『これじゃダメだ』と突き返すなど、マーケットとの対話に神経を払っており、民主党代表選に振り回されていることなど、あり得ません」と反論している。

しかし、私の毎日新聞時代からの記者仲間である岸井成格毎日新聞主筆が8月29日のTBSテレビ番組で、面白いことを言っていた。「ひとたびマーケットなどから、何もしない日本、何もできない日本と見透かされたら、手ひどい仕打ちを受ける可能性がある」と。まさに、そのとおりだ。日本内外のマーケットは極めて冷酷で、状況次第では容赦なく「日本は売りだ」といった形で攻めてくる。

政府と日銀の緊急経済対策「1週間前なら効果的だったのに」との声も
 現に、8月30日の政府と日銀の緊急マクロ経済対策発表後、東京株式市場で日銀の金融緩和策が一時的に好感され、株価が戻したが、8月31日になって、再び米国での株安や円高の動きに連動して、株価が下落するなど不安定な動きを続けている。菅政権にとっては、マーケットへのインパクトを考えて、当初の対策発表予定を繰り上げたりしたのに、という不満となっているのは間違いない。

確かに、日銀は当初予定の9月7、8日の金融政策決定会合を1週間早めて、30日午前に臨時金融政策決定会合を開き、追加の金融緩和を決めた。政府もそれに連動して、当初は月末31日に予定した緊急経済対策の閣議決定を1日繰上げ、日銀の金融緩和策と連動する形で対応した。経済実体が厳しくなってきたため、当初の政策決定タイミングを切り上げてのものだ。

しかしマーケット関係者の多くはむしろ冷ややかで、「1週間前ぐらいの円の対ドルレートが急騰した時期に機動的に対応していれば、効果的だったのに、今では対応が遅い。日本国内のマーケットは織り込んでいて、想定内だ」といった反応だ。

民主党経済閣僚はマーケットの時代での政策タイミングの機動性わかっていない
 このうち、友人の日銀OBのマーケット・エコノミストは「民主党政権の経済閣僚は、ほとんどが、マーケットの時代にどういった機敏な対応をすれば政策効果を発揮できるか、といった点でのノウハウも、政策タイミング判断も持ち合わせていない。政権発足当初にあれだけ脱官僚、政治主導でいく、と豪語しておきながら、その後、政策立案などの面でそこの浅さが露呈して空回り、挙句の果てが官僚頼みになっている。これではマーケットから足元を見られてしまう」と述べている。

そういえば、急激に円高が進んだ8月24日夕方に、野田佳彦財務相はマーケットへのメッセージを意識して緊急会見を行ったが、肝心のメッセージ自体が、財務官僚が書いた作文コメントで当たり障りのないものだった。為替市場関係者によると、「為替投機筋にとっては円買いしても大丈夫。財務省当局は円売り・ドル買いの単独為替介入には乗り出してこない。単なる口先介入と読まれてしまった」というのだ。

その後、菅首相が為替問題担当の野田財務相に代わって、8月27日に「経済情勢に関する首相談話」という形で重々しく発表、とくに為替問題に関して「為替市場の過度な変動は経済・金融の安定に悪影響を及ぼす。私としては重大な認識を持っている。必要なときには断固たる措置をとる」と述べた。しかし発表後、為替市場ですかさず円売り・ドル買いの介入があったわけでないため、インパクトなしだった。

民主党政権は成長戦略前倒し実施が必要、「絵に描いた餅」に終わらせるな
 新聞社や通信社が民主党代表選に関して、一斉に世論調査を行い8月30日付けの新聞紙面に公表したが、政府の経済対策、円高対策をどう見るか、という点に関しては予想どおり厳しい世論の評価だった。具体的には日経新聞調査で全体の74%が「政府対応を評価しない」と回答、読売新聞調査でも菅内閣は円高や株安に適切対応しているか、との問いに「そう思わない」が82%に達した。

今回の民主党代表選をめぐるドタバタ騒ぎの中で、結果として、首相官邸も、またマクロ経済政策にかかわる閣僚も「マクロ経済政策は大事。公務はしっかり対応している」と口にしながらも、現実は政策課題そっちのけという感じが否めなかった。一時は、代表選での多数派工作に、閣僚自身が陰で動き回っていたようなところが見受けられた、と友人の大手新聞の政治担当編集委員は述べていた。

今は、目先のマーケット対策だけでなく、今後に期待を抱かせるような、大胆な政策の実施が出てくることが大事だ。民主党政権が6月に打ち出した成長戦略も、それなりに中身のあるものが盛り込まれているのだから、「絵に描いた餅」に終わらせず、大胆に前倒しで実施に移していく姿勢が必要だ。政治空白が長引けば、それだけ経済デフレが深化していくリスクを民主党政権は感じ取るべきだ。

「異質との積極交流でジャパン・イノベーションを」――韓国学者の提言は貴重 経年劣化したシステム見直してバージョンアップも、とても参考になる鋭い指摘

 これは面白い、と思わず読んでしまった本が最近、ある。それは韓国の経済学者の魏晶玄さんが書かれた「日本再生論」(エンターブレイン社刊)という本だ。米国ワシントンでは、経済に勢いのある中国や韓国の動向を探るセミナーが研究者らでいっぱいになるのに、日本セミナーは閑散としていて1980年代の日本研究の熱気はどこへ行ってしまったのだろうか、という話を以前、米国シンクタンクから帰国した友人から聞いてがく然とした。閉そく状況に陥って活力がなくなった日本から学ぶものはない、ということなのだろうかと思いながらも、日本って、まだ捨てたものじゃない、よく見てくれよ、と言いたくなる。それだけに、しっかりとした日本分析をもとに、日本の再生へのアドバイスをしてくれる外国人が出現すると、思わずうれしくなる。

そこで今回は、経済ジャーナリストの目線で「なかなかポイントをつく指摘。素晴らしい」と感じさせる魏晶玄さんのメッセージを引き合いにしながら、日本の企業再生、産業再生の問題を考えていきたい。著者の魏晶玄さんは現在、ソウル中央大学経営学科准教授で、47歳の中堅学者だが、もともとは日本での生活体験が長く、東京大学大学院でも博士号を取得し、日本と韓国の間の架け橋役をめざす人だ。
いくつかあるメッセージ・ポイントの核心部分は「日本は素晴らしい文化を持ち合わせている。しかし今こそ海外の異質文化との積極交流でジャパン・イノベーションを図るべきだ」、「日本が誇りにする完璧なモノづくりをベースにした社会システム、オペレーション・システムを、激動のグローバル社会という新時代に合わせて最適化し、経年劣化した個所を見直してシステムそのもののバージョンアップする時期に来ている」などだ。

等質性と組織力で渡り合ったモノづくり日本には今や多様性が課題とも
 これだけでは、メッセージがちょっとわかりにくいかもしれないので、いくつか本のポイント部分を引用させていただこう。
「グローバル社会、とくにインターネット上の仮想世界が新しい秩序を生みだしつつある今、日本にはいくつかの対応が考えられます。1つは、旧来のメンタリティに基づく社会構造そのものを変えること、もう1つは社会システムの変革とともに、『新時代』に必要な人材を育成していくことです」、「日本人はこれまで同一民族、同一の価値観のもとに結束を固め、組織力で世界と渡り合ってきました。鉄鋼、繊維、自動車などモノづくり立国として等質性を大きな武器にして、経済大国への道を歩んできました。ただ、その背景をなす社会システムそのものは気付かないうちに日々、リニューアルされています。顔も人格も見えない、そして国境も人種も関係ない仮想社会がインターネットを通じて確立していきつつあるのです。その中で、(さまざまな異質とのチャレンジ交流など)多様性こそが日本人にとって真っ先にクリアしなければならないテーマです」と。

日本型の官僚支配的な組織ではイノベーションは起こりにくい、変革は進まない
 魏晶玄さんはさらに言う。「社会不安が広がれば広がるほど、『リーダー待望論』の声は大きくなるものです。昨今の日本はまさにその状況にあります。未曾有の金融危機によって、経済的な先行き不安感が広がるなか、与野党ともに腰の定まらない政治状況が続いているし、高齢化社会へ突き進みながら年金、医療、介護などの社会保障に対する疑問や問題点はいっこうに解決の糸口が見えてきません。このような閉そく感が世の中にまん延しつつあるのも、現在の日本に真のリーダーが存在しないからでしょう」と。

そして、「この問題を根本的に解くカギはやはり、リーダーが『異質』(部分と)数多く交流することにあります。そういう環境の中で、情報をコントロールし判断力を養っていくしかありません。資質ある人間には子どもころから出来るだけ『普通とは違う経験』を重ねさせるようにすることと同じです。これは火急を要すると同時に、20年後、30年後の社会を見据えて取り組まねばならない重大テーマです」と魏晶玄さんは述べている。

要は「個人よりも組織を優先させる社会構造によって大国になった日本。しかしインターネットを軸にIT(情報技術)時代に突入して以来、そのシステムは機能しなくなってきた。権限の振り分けをはじめとする組織の仕組みそのものを根本から見直す時期に来ている」と。さらに、「日本型の官僚支配的な組織ではイノベーションが起こりにくい。議論が段階を踏むうちに、その前提が陳腐になるほど、スピード化が進んでいる。最終的にはリーダーが強烈な指導力を示さなければ変革は進まない」と。ここでいう官僚には民間官僚の「民僚」の部分も含まれているのは言うまでもない。なかなか鋭い指摘だ。

日本企業もコマツの中国人トップ起用などグローバル対応が少しずつ進展
 ここで魏晶玄さんが盛んに言う異質部分との交流は、いろいろある。インターネット上を通じて、互いの顔が見えなくても英語など多様な言語を駆使してタフにビジネスチャンスを探っていくこと、しかもそれをマーケットの時代、スピードの時代に加えてグローバルの時代にフレキシブル対応できるようなリーダーづくり、組織づくり、そして社会のシステム変革につなげていくこと、また海外から優秀な人材の受け入れをどんどん進め、場合によっては経営の中枢に抜てきする「人材開国」を行うと同時に、海外でも現地化を進める、とくに日本企業の海外現地法人では経営にパートナー感覚で外国人人材の登用を図ること――などで日本企業がグローバル企業化していくべきだ、という。

そういった点では、90回目のコラムでユニクロのファーストリテイリングや楽天が、日産自動車など先行する企業に続いて社内の英語公用化に取り組んだ話を評価したが、日本企業もグローバル対応で危機意識が芽生え、世界と本気で競争する気になってきた感じがしている。言語コミュニケーションにとどまらず、マネージメント人材に関しても踏み込んだ国際人材の活用を期待したいが、建設機械メーカーのコマツは中国市場戦略の一環として、中国にある数多くの現地法人のトップについて、中国人の優秀な人材に経営をゆだねる大胆な方策を打ち出している。
また日本板硝子も「小が大をのみこむ」形で英国の大手企業を買収しながらも、経営トップには英国人を起用すると同時にマネージメントシステムも日本仕様ではなくグローバル仕様でいく、といった形で、今や日本企業のグローバル対応が着実に進みつつある。しかし魏晶玄さんが「日本再生論」で問題提起している点は、われわれが日ごろ、見過ごしていたり、忘れていた点がいくつかある。自分たちの立ち位置を考え、次への戦略展開を考える意味で、とてもヒントになる。興味をもたれた方には、ぜひ一読をお勧めする。

ロボットの解釈が日米で異なるのは面白い話、日本はむしろ時代を先取り
 ところで、魏晶玄さんの本の中で「おやっ」という形で思わず引き込まれた面白い話がある。それは、ロボットの解釈が日本と米国とでは基本的に異なる、という点だ。魏晶玄さんによると、米国ではロボットはあくまでも人間の手によって作り出された奴隷的な存在であり、役に立たなくなったら廃棄処分の対象。また発達したロボットは自分たちの立場を脅かす「敵」とみなすなど悪者としてのイメージが定着している。ところが日本人はロボットを「友だち」として扱う。一緒に仕事する仲間であり、楽しさを分かち合う相手なのだ。だから、自動車工場で働く溶接ロボットについて、米国では「1号、2号、3号」と数字で識別するのに対して、日本では「アキラ」「ハナコ」といったちゃんとした人間の名前をつけている、という。
ロボットと人間の関係では、日本人はいい意味でのパートナーシップを築こうとしている。だからこそ、ロボット開発の分野で日本は世界をリードし、グローバル化の先頭に立っている。欧米的な思想のもとでロボットが大量生産されたら、そこには大きな「文明の衝突」が発生するかもしれないが、モノづくりで先行する日本は、グローバル化が進む国際社会の中で逆に先進例になっている。
キリスト教文化の浸透した欧米では、あらゆる概念が二分法によって区分けされ、天使と悪魔、善と悪、正と邪といった形で、ロボットに関しても共存するという発想がない。むしろ、米国などが日本の優れた発想を見習う必要がある、と魏晶玄さんは指摘している。
戦後、日本では「アメリカナイゼーション(米国化)」が進み、結果として、効率性や合理性などのメリットを享受し自分たちの生活の中に取り入れ、それが当たり前になってきた。今、経済面で新興国の中国やインド、インドネシアなどでは同じような米国化が社会の中に浸透し始めているが、魏晶玄さんが言う、日本がグローバル化の過程でさまざまな異質との出会いがある中で、日本の持ついいものを新興国などにアピールして欧米にない国際社会文化を作り出す担い手になることも案外、重要なことかもしれない。

新日鉄の技術流出訴訟に数多くの教訓 技術者退職やリストラ解雇時点で流出覚悟も

 かつて日本企業は欧米、とりわけ米国の背中を見ながら追いつけ、追い越せで必死に産業競争力をつけた。とくに、競争力の源泉ともなる技術に関して、日本の場合、欧米から移入・導入した先進的な基礎技術をいち早く模倣するが、持ち前のモノづくりに関する職人的なこだわりや好奇心で改良工夫をこらし、一気に、実用化に向けた商品化で成功した。
この模倣技術の実用化や商品化という日本の技術導入のやり方が、戦後の大量生産・大量消費時代の流れに乗って、経済の高成長をもたらした。それが米国向け商品輸出を通じて、米国の対日貿易赤字増となって跳ね返ったため、米国との間で一時、技術摩擦を生んだ部分もある。だが、導入技術の実用化自体は、日本モデルと言ってもいいものだった。

中国など新興アジアとの技術摩擦や技術流出トラブルは次第に深刻化

なぜ、こんな話を持ち出したのかなと思われるかもしれない。実は、今回のコラムで、中国など新興アジアの国々が最近、この日本的な「追いつけ・追い越せ」モデルに刺激されて、さまざまなチャレンジ攻勢に出てきたが、その過程で技術摩擦、技術流出の問題が深刻化し始めており、それを取り上げたい、と思ったのだ。

とくに、経済の高成長がマクロ政策課題の中国は、社会主義と市場経済を巧みに使い分けてどん欲に技術導入して国産化に躍起となるが、中には知的財産制度のルールを知っていながら、欧米や日本から導入の先端技術などを、さも自国での独自開発技術と世界中にアピールするため、それが新たな経済・技術摩擦になったりする。中でも、今や中国から追われる立場になった日本がからむ問題も増え、看過できない問題が出てきつつある。

新日鉄訴訟先は韓国最大手ポスコで、OBが不正取得に関与という
複雑事情

そんな矢先、中国とは別に、韓国との間で技術摩擦が訴訟沙汰になった。新日本製鉄が4月25日、今やライバルとなりつつある韓国鉄鋼大手のポスコを相手取って、高性能の方向性電磁鋼板の製造技術を不正に取得したとして、不正競争防止法(営業秘密の不正取得行為)違反で総額1000億円の損害賠償請求を、東京地裁に起こした。しかも、その不正取得が、新日鉄OBを通じて行われたというから、何とも厄介で、複雑なのだ。

複数の新日鉄関係者の話を総合すると、新日鉄はもともと、この方向性電磁鋼板の技術に関しては米国鉄鋼大手、アームコから1950年代に技術導入し、冒頭で申し上げたケースと同様、独自に技術改良を加え、とくに省エネ技術を武器に、製造コストの大幅低下も実現して大量生産化にも成功、いつの間にか新日鉄の強み部分となり、世界市場でシェア30%を握るほどになった、という。

肥大化した厚生労働省の分割見直し、首相指導力の腰砕けが残念 族議員や官僚の反発にしっぽまくようではダメ、首相には確たる行動力が重要

麻生首相が唐突ながらも5月15日の政府の「安心社会実現会議」で、トップダウンの形で大胆に検討指示を打ち出した厚生労働省組織の分割再編成の問題。この数年、経済ジャーナリストの私が外から見ていても、課題山積の厚生労働省は一種の大組織病に陥っていて組織の再見直しが絶対に必要だと思っていた。それだけに、ブレが大きくて過去に政治混乱を招いた麻生首相も、今度は、ゴルフでいうリカバリーショットを打てるかな、と少し期待していたのだが、やはりダメだった。
 理由は、メディアの報道でご存じだろう。麻生首相が5月28日、首相官邸の記者団のぶら下がり会見で、厚生労働省の分割再編成問題への対応を聞かれた際、「私は最初からこだわっていない」と述べ、あっけない幕切れになったのだ。いくつかの新聞報道によると、「私は、最初からこだわっていない。全然こだわらない。国民の安心・安全を考えた時に、少子化問題を含めて精査したらどうかと、(安心社会実現会議委員の)読売新聞の渡辺氏が最初に言った。それをもとに、(議論が)スタートした。(メディアは組織の)分割の話ばかりしておかしい」と。
さらに翌日5月29日の参院予算委員会でも、麻生首相は、この問題に関して「私の(過去の)発言はすべて公開されている。国民の安全・安心を確かなものにするため、厚生労働省や内閣府などの国民生活に関係する部局を再編強化してはどうかと考えている、と申し上げただけ。厚生労働省のみを例に引いて直ちに分割しろという話はしていない」とも述べた。

内閣官房長官の与党向けマル秘メモでも首相の政治意思は明確だったのに、、、
 ところが、複数の新聞社の友人の政治担当編集委員らの話、それに、この問題に担当閣僚の1人としてかかわった与謝野経済財政・財務・金融担当相のインターネット上に掲載されている経済財政諮問会議後の記者会見の発言を見聞する限り、麻生首相は、はっきりと厚生労働省の分割再編成問題に関して、早急な検討を指示している。
とくに、政治担当編集委員に見せてもらった、河村内閣官房長官が与党の自民党幹部ら向けにつくったマル秘の印がついた麻生首相の問題取り組みに関する対応メモによると、「厚生労働省はあまりにも肥大化が進んでしまっており、安全・安心社会を実現するうえで問題が多く、厚生労働省の分割再編成が必要」といった趣旨の首相の政治判断が書かれている。麻生首相が言う「私は、最初からこだわっていない。全然こだわらない」という発言と違って、はっきりとした政治意思が示されているのだ。
 そればかりでない。経済財政・財務・金融担当の3大臣を兼務する与謝野氏が経済財政担当相の立場で経済財政諮問会議後に行った5月19日の記者会見の内容がインターネット上の内閣府・経済財政諮問会議のホームページに詳細に掲載されているが、そこでも首相指示にかかわる部分が掲載されている。ちょっと長いが、引用させていただこう。

与謝野経済財政担当相の記者会見でも厚労省の分割・幼保一元化支持を説明
 与謝野経済財政担当相は記者会見の冒頭、「総理から厚労省の仕事の切り分け、すなわち組織の分割、幼保(幼稚園と保育所)一元化は与謝野大臣が案を出してくれという御指示がありました」「私からは、そういう総理の御指示を受けて、ピンポイントで厚労省の分割と幼保一元化の問題をやらせていただきますと。行革を全体としてやり、省庁全体に広げるのは議論に時間がかかるので、まずは厚労省の問題に取り組むということにさせていただきたい、ということで(安心社会実現会議の)出席者全員から御異論はございませんでした」と述べている。
さらに「また、私から、幼保一元化については(保育所は所管が厚生労働省、幼稚園所管は文部科学省と異なるため)各大臣は覚悟を決めてほしいと。総理から御指示があった案については、案を官邸と御相談しながら作成して、(経済財政)諮問会議として議論を進めたいということを申し上げたわけでございます」とも述べているのだ。
 しかし、その与謝野経済財政担当相は、麻生首相のトーンダウン発言後に行った5月29日の経済財政担当相としての記者会見で、記者団から、上記の5月19日の会見で披露した首相指示の内容は正確な引用でなかったということなのか、という質問に対して「正確性に欠けていたと思っております」と述べた。突然、はしごを外されたようなもので、苦渋に満ちたものだったに相違ない。
なにしろ、与謝野経済財政担当相は別の記者会見で、首相指示に関して「いかづち(雷)のように下りてきた」と言いながらも、一方で、与謝野氏自身、同じように厚労省の分割再編成の必要性を感じて、かなり踏み込んで対応しようとしていただけに、わずか2週間ほどの間の事態の様変わりぶりには担当大臣の1人として辛いものがあったのだろう。

自民党族議員が事前根回しなしの唐突な首相指示に反発し潰しにかかる
 知り合いの自民党幹部、それに前述の政治担当編集委員に聞いた話を総合すると、厚生労働行政や文部科学行政に隠然たる力を持つ自民党の族議員、それに関係省庁の官僚が麻生首相の唐突な指示に対して、よくある「俺は聞いていない」式の事前根回しなしだったため、強く反発し、潰しにかかった結果なのだ。
事実、いくつかの新聞報道によると、5月26日の自民党行革推進本部役員会で、説明に訪れた河村内閣官房長官がつるし上げにあい「なぜ今、省庁再編成なのだ。それも厚労省だけなのだ」といった批判がぶつけられた、という。そして、前述の政治担当編集委員の話では、衆院解散、総選挙という難しい時期に族議員や官僚、自民党の支持団体が多くからむ厚生労働省の問題、それも組織分割というデリケートな問題に、なぜ麻生首相は踏み込むのか、政治音痴だ、といった反発が族議員を中心に強く出た。このため、麻生首相も読みが甘かったと思ったのか、政治情勢が微妙な時期にあえて火中のクリを拾う勇気はなく、「私は、最初からこだわっていない。全然こだわらない」といった逃げの発言になってしまったようだ、という。
 さて、ここからが私の申上げたい点だ。日本はさまざまな課題を抱えており、とくに政治が内向きになっては困るような地殻変動が日本の周辺のアジアで起きていて、それに対するしっかりとした座標軸のある行動が必要だ。しかし、同時に、国内でも厚生労働省の抱える医療や介護、年金保険、雇用、少子化の問題はある面で凝縮された日本の課題だ。

行革統合後に肥大化した厚労省、国土交通省などに大組織病、見直しは必要
 そんな課題多い厚生労働省が2001年の行革に伴う省庁統合の結果、組織が肥大化し過ぎて、しかもスピードの時代に機敏に対応できるような組織になっておらず、さまざまな大組織病の病理現象が見受けられる。
それに、与謝野経済財政担当相が5月19日の当初の記者会見で厚生労働省の問題点について「予算規模で20数兆円。業務範囲が雇用問題から医療、年金、介護、その他の福祉制度、国民衛生に関する全般的な業務など多岐にわたっていて、自民党からも1人の大臣では守備範囲が広すぎる、という声がありました。確かに舛添大臣は、きょうは年金、あすは医療、雇用問題と、今までよくぞ1人でやって来られたと思うぐらいです」と。
 副大臣制度はどうなっているのか、政務官は機能しているのか、大臣の補佐的な政治担当者は何をしているのか、という問題はある。しかし、省庁再編成の行革によって、以前の縦割り行政組織の弊害が少しは改善した半面、一方で、官庁統合で肥大化した厚生労働省、国土交通省、総務省の大組織病の問題もあり、見直しが必要な時期に来ているのは間違いない。
そういった点で、肥大化してスピードの時代に対応できない行政組織の再見直しは間違いなく必要なのだ。麻生首相が政治のトップリーダーとして、毅然と国民に対して問題提起をすればよかったのだ。とくに麻生首相自身の構想でもある2分割構想、端的には医療、介護、年金福祉を「社会保障省」、雇用、児童、少子化などを「国民生活省」に分割といった問題提起すれば、国民は、首相の問題意識をそれなりに受け止めただろう。それを、族議員や官僚の反発にしっぽをまくようなことではダメだ。今回も問われたのは首相の指導力、確たる行動力だ。

どこかおかしい政府の経済対策「エコポイント」、仕組み未完成でスタート 「エコ先進国めざす」など政策メリハリみられず、霞が関官僚の劣化がこわい

 省エネ家電製品を買うと「エコポイント」が受け取れ、その「ポイント」を使って、あとで別の省エネ商品だけでなく商品券や公共交通機関発行のプリペードカード、さらに、それぞれの地域での地域おこしグッズと交換できます――政府が追加の緊急経済対策の目玉政策の1つとして打ち出した「エコポイント」制度が5月15日からスタートした。これだけを見ると、政府も面白い経済対策を打ち出したな、と思ったが、興味あって現場に行き関係者の話を聞いてみたところ、付け焼刃、言ってみれば、にわかじこみ、応急的な対策であること、そして問題山積だった。。
 結論から先に申上げよう。新たな需要掘り起こし、個人消費喚起という意味では1つのアイディアで、評価する。しかし、仕組みがまだ未完成のまま走り出して課題を残した、という点もさることながら、日本が「エコ先進国をめざす」といった大きな政策の方向付けが、政策の打ち出し当初からほとんど見受けられなかったことだ。率直に言って、政策に方向付けや座標軸がないというのは致命的だ。霞が関の官僚群は、国民の税金を使って、さまざまな政策に取り組む日本のシンクタンクだったはずだが、政策に「志(こころざし)」の部分が見受けられない。霞が関官僚の劣化がとてもこわい。

「エコ」特化は成長にマイナスでなく逆に成長持続要因、起爆剤とアピールを
 とくに「エコ」という場合、環境のエコロジーと経済のエコノミー、とりわけ省エネ、節約する、ムダにしない、経済的に、といったエコノミカルといった2つの「エコ」が考えられる。21世紀に入って、こういった「エコ」が1つのキーワードになっている。そこで、日本は世界に先駆けて、これまで経済成長にマイナス要因とみられていた「エコ」が逆に経済成長を持続させ、成長の新たな起爆剤になる可能性もあることを政策的にアピールすべく「エコ先進国をめざす」といった政策目標を明確に打ち出すべきだった。今回のプロジェクトも、その一環にすれば、日本っていうのは面白い国だ、と世界にアピールするチャンスにもなった、と思う。
 こう申し上げた理由をいくつか述べるため、まずは、現場をのぞいてみよう。東京有楽町の家電量販店に行ってみた。薄型の地上デジタル(地デジ)対応テレビ46インチ型という大型サイズのテレビが、どんと身構えている。店のセールスメッセージでは「政府のエコポイント3万6000ポイント、リサイクル料の3000ポイント、そして当店独自の20%ポイントが加わり、絶好のお買い得チャンス」と派手派手しい。今回の「エコポイント」は1ポイント=1円換算なので、リサイクル料を含めれば3万9000円分のポイント獲得となる。それに量販店のポイント数を加えれば、確かにポイント数は大きい。もともと量販店間の競争で値引きされている薄型の大型テレビなので、このポイント数でさらに割安感が出ることになる。消費者の購買意欲をそそることは間違いない。

日本経団連の省エネ家電製品購入促進案にヒント得て経済対策に盛り込む?
 現に、その量販店の現場責任者の1人は「このエコポイント制度に触発されてか、売れ行きが好調なので、大助かりですよ。とくに、省エネ家電を対象にしているので、われわれも売りやすい」とうれしそうに述べていた。ただ、その責任者によると、「実は当初、政府は夏のボーナス商戦に向けて準備が進めていたようだが、緊急経済対策アピールの意味合いもあって4月10日に早めの発表をした。そのとたんに、お客の間で『何もあわてて買うこともない。制度スタートまで待つか』といった形でエコポイント対象の地デジ対応テレビ、エアコン、冷蔵庫の3商品にばたっと買い控え現象が起きた。このため、あわてて制度スタートを繰り上げたようだ」という。
 経済産業省、環境省などを含めた関係者の話を総合すると、もともとは、この省エネ家電品の購入促進策に関しては、日本経団連が景気対策の一環で導入を呼びかけていたのにヒントを得て、環境省が中心になって経済産業省、それに地上デジタル放送対応テレビの普及に躍起の総務省との3省合同プロジェクトの形で踏み出した。政府部内では、欧州で導入の進んでいた電気自動車などエコカー購入促進のための減税に同じくヒントを得て、エコカー助成の枠組みづくりも進んでいたので、これに連動して、政府の追加経済対策の補正予算にのせた。このうち「エコポイント」予算は約3000億円、という。

なぜ冷蔵庫など3機種に絞ったのか、対象家電品を広げれば需要創出効果も
 問題は、いくつかある。まず「エコポイント」の対象が、省エネ性能を表す省エネラベルがつき、省エネ度合いが大きい4つ星ないし5つ星のエアコン、冷蔵庫、地デジ対応テレビの3種類のみであることだ。このうち、ポイント数はエアコン、冷蔵庫が価格の5%、地デジ対応テレビだけは10%となっていて、仮に買い替えの場合、これに3000ないし5000のポイント数が加算される。
環境省関係者によると、一般家庭の二酸化炭素(CO2)排出量のうち約70%が家電製品に起因するが、中でもエアコン、冷蔵庫、テレビの3つで約50%を占める。とくにエネルギー効率の悪い旧タイプのエアコン、冷蔵庫などを省エネ機種に切り替えれば、省エネ対策にもなるため、3機種にしぼったという。
しかし、なぜ3機種にしぼり込む必要があるのだろうか。洗濯機やアイロン、掃除機、電球などの家電品があり、まだまだ対象になり得る機種がかなり多い。こういった対象を広げ、「エコポイント」活用によって省エネの意識改革につなげ、合わせて需要創出効果を上げ得る、という政策効果を探ればよかったのではないか。

「エコ先進国」打ち出せば海外の見る目も変わる、特定産業救済批判かわせる
 そればかりでない。今回のように「エコポイント」を家電3機種にターゲットを絞り込んだことで、米国発の金融危機に端を発したグローバルな経済危機の影響をもろに受けた家電産業の救済措置のように受け止められかねない。もっと「エコポイント」の対象を家電製品全般に広げるだけでなく、他の産業のエネルギー多消費、あるいはエネルギー効率が悪いと見られている製品にもぐんと対象を広げていけば、そういった批判をかわせたばかりか、冒頭に申上げたような日本は「エコ先進国をめざす」といったキーメッセージとリンクして、日本を見る諸外国の目が変わったと思う。
エコカー助成の自動車重量税などの減税も同じだ。減税対象をもっとほかの環境にアゲインストなエネルギー多消費の製品に広げ、「エコポイント」とリンクさせれば、政府は特定産業の救済に踏み出したのか、といった批判もなくなっただろう。
私に言わせれば、霞が関の行政官庁は縦割り組織になっていて、横断的な、大胆な連携には弱い。互いの縄張り意識と、妙なライバル意識が先行して、しかも利害がからみあって政策調整が必要なテーマでも主導権を握りたがる。結果は互いに水面下で足の引っ張り合いなどで、出すべきエネルギーが半減したり、場合によっては相殺しあったりしてしまっている。だから構想力のあるプロジェクトがなかなか出てこない。

霞が関行政官庁も縄張り意識を捨て、連携して構想力の発揮を
 今回の「エコポイント」での環境省、経済産業省、それに総務省の3省連携の合同プロジェクトも、表面づらとは別に、それぞれが思惑で動いている。端的には地上デジタル放送に向けて地デジ対応テレビの普及が進んでおらず苛立ちの強かった総務省は、恰好の普及チャンスと相乗りしただけだ。
国土交通省の高速道路交通システムの有料高速道路でのETC(エレクトロニク・トール・コレクション、俗にノンストップ自動料金支払いシステム)も普及が進んでいなかったのが、高速料金を地域限定で1000円にし、しかもETC取り付け助成をしたところ、一気に利用率が増えた。総務省の地デジ対応テレビの普及も、似たようなところがあって、やや他のプロジェクトへの相乗りといった面が強い。   大事なことは、今回のような「エコポイント」制度に関しても、大きな意味での政策構想力、つまりは日本が「エコ先進国をめざす」政策の一環で打ち出したものとはかけ離れているところが、官僚の劣化が心配、こわいという理由だ。政策官僚は日ごろから、こういった政策課題のために力を貯え、アイディアに磨きをかけているはずでなかったのか、と申し上げたい。

保証書紛失再発行システムを悪用してだまし取られる恐れも
 ところで、この「エコポイント」制度は、仕組みが未完成なところが心配なのだが、関係者の話ではいくつか問題が残っている。とくに消費者が製品保証書のコピーと領収書を一定期間後に「エコポイント」事務局に送り、ポイント数に応じて省エネ商品や商品券などと交換する仕組みなのだが、保証書が紛失したと販売店に申し出て、再発行してもらう道筋がついていると、下手すると、それを悪用してだまし取られる恐れがある。今、担当者はそれらの対策にも頭を痛めている、という。

英BBCが民主党政策に関心、「次の内閣」財務相発言報じたら米でドル売り 「政権握ったらドル建て米国債買わぬ」が大波紋、政権担うには言動に注意を

民主党新代表に鳩山由紀夫氏が決まる4日前の5月12日、米ニューヨーク外為市場で意外なことが起きた。民主党「次の内閣」財務相、中川正春氏の米国債がらみの発言を報じた英BBCニュースが突然、大きな反響を呼び、一時ドル急落となったのだ。民主党がまだ政権をとったわけでもないのに、と笑ってはおれない。海外メディアは政権交代も視野に入れて、民主党の政策に強い関心を持っていることは事実。この際、民主党は内外メディア向けの情報発信や言動に注意すると同時に、しっかりとした政策づくりが必要だ。
 なぜ、民主党「次の内閣」の財務相発言報道でドル売りとなったのだろうか。この話は時事通信のニューヨーク発記事で知った。BBCのネット上のウエブサイトで記事チェックをしたが、検索できなかったので、時事通信報道で何があったのか見てみよう。 報道では「英BBCは、民主党『次の内閣』財務相を務める中川正春衆院議員が『民主党が政権を握ったら、ドル建て米国債は購入しない』と発言したと報じ、ニューヨーク外為市場でドルが対円で売られる要因となった。次期総選挙後に政権を担う可能性がある民主党の幹部が、ドルの安全性に懸念表明したことで、ドル不安が強まったとみられる」「BBCによると、中川氏はドルの将来の価値を懸念していると指摘。米政府に対して円建て国債(サムライ債)の発行を求める意向を示した」としている。
民主党の「次の内閣」財務相が本当に「民主党が政権を握ったら、ドル建て米国債は購入しない」と発言したのならば、確かにニュースだ。なにしろ、今や世界最大の米国債購入先である中国に続くNO2の買い手が日本。その日本の次期政権を担うかもしれない民主党の財務相候補の発言だけに、米国にとっては気になる。米国の財政赤字を支える有力な担い手である日本が市場から消えたりすれば大変。そこで、ニューヨークの外為市場はいち早く危機感、不安感を先取りしてドル売りに走ったのだろう。

中川氏は発言否定、ドル安リスク回避で「米に円建て国債発行求めよ」が真意
 中川氏はこの事態をどう受け止めているのだろうか。議員事務所は「発言は事実ではありません。ホームページの5月15日付の『ひとこと』欄で、代議士がコメントしましたので、ぜひご覧ください」という。チェックしたところ、以下のようなことだった。
「BBCの取材は1か月ほど前のことで、(私は)『日本の外為特別会計には1兆ドルほどの外貨が積み上がっている現状から、(日本が)アメリカに協力するにしても、ドル建てでなく円建ての米国債を発行するように、日本から提起することも重要だ』と述べたのです。これを、今回のタイミングで、『ドル建ての米国債を買うことはないと言った』と報じられたことは、マーケットに影響を及ぼす目的で、私の発言が利用されたのでないかと思っています」「過去に、(円建て米国債を発行するように、日本から米国政府に提案を、という)議論を衆院の予算委員会や財務金融委員会で繰り返してきたにもかかわらず、日本のマスコミで報じられることがなく、アメリカで騒がれて日本に逆輸入される、いつものパターンはウンザリです」と。

BBCが発言していないことを故意に報じる可能性も低い、真相はやぶの中
 中川氏は、国際的に大きな波紋を呼んだため、メディアの報道ぶりには強い不満だ。しかし問題は中川氏がBBC取材に対し、どこまで踏み込んだ発言をしたのかどうかだ。中川氏が言う「アメリカにはドル建てでなく円建ての米国債を発行するように、日本から提起することも重要」という点は正論で、問題ない。というのも、ドル安が果てしなく進めば、日本が保有するドル建て国債の目減りリスクが大きくなり、問題となる。もし米オバマ政権が円建ての米国債、俗に言う「サムライ債」を発行してくれるならば、為替リスクも少ないうえ、日本としても有力パートナーの米国の財政赤字のファイナンス(資金調達)をサポートできる。だから、円建て米国債なら日本は購入する、という発言は政治家の主張として、おかしくない。
ただ、BBCの取材に立ち会ったわけでないので、何ともいえないが、ジャーナリストの立場で言えば、BBCは歴史のある英国の報道機関で、マーケットお騒がせジャーナリズムに陥ったり、また故意に、発言していないことを報じることなど考えにくい。
となると、中川氏が軽い気持ちで、たとえば「ドル安リスクが続く中で、米国政府が米国債の発行政策に関して、購入する側の為替リスクに配慮して柔軟な国債発行政策をとったらどうか。もし、そうしないならば、民主党が政権を握った場合、ドル建て米国債を購入しないぞ」といった形で踏み込んでしまい、BBCに「これは面白い」と思わせた可能性を否定しきれない。いずれにしても真相はやぶの中だ。

橋本首相がかつて「米国債売却の誘惑に駆られる」発言、ドル急落の苦い思い出
 実は政治家の米国債がらみの発言を取り上げたのには理由がある。かつて1997年6月23日に、訪米中の橋本龍太郎首相(当時、故人)がニューヨークのコロンビア大学での講演後の質疑の中で、首相としては軽い気持ちで発言したことが米国為替、債券などの金融市場に強烈なインパクトを与え、大問題になったことがあるからだ。
当時、私は毎日新聞からロイター通信に転職し現場で取材していたので、この時のことをよく憶えている。橋本首相は講演会場からの「日本の政府や投資家にとって米国債を保有し続けることで損失を被ることになる心配を持っていないか」との質問に対し「ここには連邦準備制度理事会(FRB)やニューヨーク連銀の関係者はいないでしょうね」と冗談まじりにクギをさしたあと、不用意にも重大な発言をしたのだ。
その発言内容を報じた当時の朝日新聞記事があるので、引用させていただこう。橋本首相は「実は、何回か米国の財務省証券(米国債)を大幅に売りたいという誘惑に駆られたことがある。確かに資金(運用)の面では得な選択ではないので、むしろ、財務省証券を売却し金(ゴールド)で外貨準備する選択肢もあった。(中略)財務省証券で外貨準備高を運用している国がいくつかある。それらの国々は、相対的にドルが下落しても保有し続けており、米国経済は(それに)支えられている部分があった。われわれが財務省証券を売って金に切り替える誘惑に負けないように、アメリカも為替の安定を保つための協力をしていただきたい」と述べたのだ。
 橋本首相としては、日米安全保障条約にもとづく日米同盟は事実上の「日米経済同盟」でもあり、日本は米国の財政赤字のファイナンスを継続的な米国債購入でサポートするので、その代わりドル安定策はしっかりやってくれよ、という激励メッセージのつもりだったのだろう
ところが、当時の米国為替、債券などの金融市場は「日本が米国債売り意向、橋本首相がドル安リスクに対応し『大幅に売りたい誘惑に駆られる』と発言」というニュースに過剰反応してドル売り、債券売りに走ったのだ。金融市場は大混乱に陥り、橋本首相が発言訂正や弁明など事態の収拾に奔走したのは言うまでもない。

日本のみならず中国もドル安リスクには強い不安、SDR新通貨提案もその一環?
 今回の米国発の金融危機に伴うデフレリスクに対応するため、米政府は巨額の財政刺激に乗り出し、その財源確保策として国債の大量増発に踏み切っている。世界中の機関投資家らにとっては、米国債に代わる運用手段がないため、やむなく米国債に投資するが、ドル安リスクが消えず、下手をするとドル下落によって保有国債の目減りが最大の気がかり。中国や日本、中東産油国などもそれと同じジレンマにある。
そうした中で、中国が最近、ドル基軸体制に懸念を表明し、ドルに代わる貿易決済、金融取引のための新たな決済通貨を考えたらどうか、とし、IMF(国際通貨基金)のSDR(特別引き出し権)を活用した新通貨発行も検討課題といった趣旨のメッセージを発信し世界を驚かせた。中国の本音は、過度に保有する巨額の米国債の為替リスク対応に苦しみ、ドル以外の通貨建てでの資金や資産の運用がないかと模索しているのだ。
 中川氏が提案する円建て米国債も、日本にとっての事態打開策の1つ。ただ、米政府が自国通貨のドル建てによる国債の発行を抑え、あえて日本のために円建てでの米国債を発行する度量があるかどうかだ。むしろ、プライドが許さない可能性の方が高い。
米国はデフレ対策や金融機関向け公的資金注入で巨額の財政資金を確保しなければならず、やむなく米国債発行に頼らざるを得ない。問題は、中国や日本など海外勢が購入を手控え、売れ残るリスクが出た場合、米国債急落、米長期金利上昇というリスクがあるため、米FRBが米国債買い入れを表明していることだ。米FRBは自らのバランスシートが悪化しても、長期金利上昇に歯止めをかけるため、買い入れを続ける覚悟でいるのだ。

民主党にとって今回は教訓?政権交代めざす限りはしっかりした政策提案が重要
 こうした米国債を取り巻く難しい情勢の中で、民主党「次の内閣」財務相発言が金融市場でも関心を呼んでしまった。民主党や中川氏自身も、今回のBBC報道をきっかけにしたドル急落騒動には驚いただろう。
ある金融機関のマーケットエコノミストは「中川氏の衆院予算委員会などでの議事録を取り寄せて、質疑を読んでみたが、率直に言って『次の内閣』の財務相として、もっと鋭い問題意識が必要だ、と感じた。BBCなど海外メディアが政権交代後の経済政策に強い関心を持っていることに、もっと注意を払うべきだ」と述べている。
重要なことは、民主党も今後、政権交代めざすならば、それに見合ってしっかりとした政策提案を行うことだろう。そして、メッセージ発信に関しても、さすがと思わせる発信が重要になってくるだろう。

小沢民主党代表の突然の辞任、世論調査結果が引き金? 「政治動かす世論調査」はあり得るか、メディアの調査方法にさまざまな課題

小沢一郎民主党代表が5月11日夕方、ついに辞任した。西松建設からの政治献金をめぐって公設第1秘書が3月に逮捕されて以来、小沢氏自身の去就が注目を集めていたとはいえ、なぜ今なのかがはっきりしない唐突な辞任劇だ。小沢氏は緊急記者会見で「メディア批判の矛(ほこ)先の相手が私ということならば、私の辞任によって民主党内に不安定さがなくなり、総選挙に向け挙党一致で戦う態勢が出来上がることを願う」と述べた。しかし政治責任をとったのか、という点に関して、小沢氏は会見で「政治資金の問題は、一点のやましい問題もない。政治的な責任で身を引くわけでない」と突っぱねている。
 では、何が引き金となったのだろうか。小沢氏は辞任を決断したのは5月連休中だった、と会見で述べている。とすれば辞任が連休明け5月7日や8日でなくて、なぜ、週末の土曜日、日曜日を越した11日だったのだろうか。それについて、1つ気になる話がある。読売新聞が11日付朝刊1面トップで、独自の世論調査結果をもとに、「小沢氏続投納得せず7割」、「内閣支持率(24.3%から)29%に上昇」という記事を掲載したことだ。小沢氏が「メディア批判の矛(ほこ)先の相手が私ということならば、、、、」と述べていることから見て、この世論調査結果が引き金になり、小沢氏の背中を押した可能性がある。
こういった話をするのは他でもない。実は、私はこのコラム用に、政治と世論調査の話を書いていたら、突然、小沢氏の辞任表明となった。このため、コラム原稿を差し替えねばならなくなってしまった。しかし、いま申し上げたように、メディアの世論調査結果が政治に影響を及ぼした可能性も否定できない。そこで、この際、そのアングルで「政治を動かす世論調査」があり得るか、その場合、課題はどんなものがあるか、探ってみよう。

世論調査の頻度と報道量は飛躍的に増えたが、数字を政治の目標と履き違え
 私は、生涯現役をめざす経済ジャーナリストだが、政治記者でもないので、この分野では政治分野の専門家の助けを借りなければならない。そこで、メディアの友人たちが取り上げた世論調査がらみの記事やコラムなども参考にさせていただこう。
その1つ。かつて私が在籍した毎日新聞の政治コラムニスト、山田孝男氏が昨年2008年5月19日のコラムで「世論調査栄えて霧深し」という話を書いている。興味深い話がいくつかあるので、引用させていただこう。
「この20年、世論調査の頻度と報道量は飛躍的に増えた。手間のかかる面接方式に代わり、手軽で早い電話方式が主流になったからだ。昔は、自前で面接調査を実施できる全国紙と通信社、NHKがそれぞれ年に数回ずつ実施した。今は民放テレビを加えた合計10数社がテレマーケッティング会社に委託して月例調査をやり、何か起きるたびに緊急調査を行う」
 山田氏がこの問題を取り上げた当時は、福田康夫政権のころだ。その福田内閣の世論調での支持率が低落している問題について、山田氏は「福田内閣の支持率が続落している。理由は明白で、それ自体、擁護できない。だが、世論調査が多すぎるという点では首相に同情する。多すぎる結果、本来は施政の参考資料であるべき(世論調査結果の)データを政治の目標と履き違える風潮が広がっている。そのことを問いたい」と。なかなか鋭い問題指摘だ。

「世論調査が単なる反応調査、感情調査になってしまっている」
 もう1つ。今年09年4月24日の朝日新聞オピニオンページで「選択の年 世論調査の質が問われる」という、私の好奇心をかきたてるテーマで座談会をしている。ここでの議論も興味深いので、ぜひ、取り上げさせていただこう。
座談会の冒頭、朝日新聞編集委員の峰久和哲氏が以前の世論調査センター長時代の経験を参考に問題提起をしている。「民意の動向を測る世論調査が果たすべき役割はかつてなく重い。『調査をする側』も『調査結果を受け止める側』も、数字の表面だけ見て右往左往することのないよう心掛けねばならない」と述べたあと、「本来、世論調査で数字を出すべき世論には3つの条件が必要だ。問題意識を国民みんなで共有していること、その上で議論が行われていること、そのプロセスを経て多数意見が醸成されていること。だが、今は、そういうプロセスで世論が形成されていないため、世論調査が単なる反応調査、感情調査になってしまっているのでないか」という。
そして、峰久氏は問題提起の最後部分で、こう結論づけている。「一部のメディアには(世論調査が単なる反応調査、感情調査になってしまっている、といった)問題点の認識もなく、非常にお粗末な調査さえある。そんな調査でも『世論調査』として、まかり通ってしまうのは怖いことだと思う」と。この指摘はメディア世論調査の実態を厳しく突いている。

「数字が出るとオーラを帯びて広く流通し人々の思考や行動を変えてしまう」
 最後にもう1つ。同じ朝日新聞の座談会に参加した評論家の宮崎哲弥氏が「総括」のところで、いい指摘をしている。「世論調査は『みんなの意見』という建前から、その結果が政局を動かすことになっても、責任を取る者がいない。この構造に強い危惧を感じる」「(メディア各社の世論調査結果の数字の)誤差が大きいことや質問の仕方などが回答をゆがめる可能性が指摘されても、一度(世論調査結果という形で)数字が出ると、客観性のオーラを帯びて広く流通し、人々の思考や行動を変えてしまう。世論調査を何か決定的なものとして取り扱うべきでない。『正しさ』はほぼ検証不能だし、『誤り』が証明されることもない」と。
 さて、メディアでの議論をつまみ食いするような形になってしまって恐縮だが、私が、ここで引用させていただいたのは、「政治を動かす世論調査」の背後にはさまざまな問題がある、ということを、これらのポイント部分を紹介することで、浮き彫りにしたかっただけだ。今回の小沢氏の緊急辞任に際して、世論調査結果が最後に背中を押したかどうか定かでないが、主要新聞の「5月11日の民主党ドキュメント」などを見ると、小沢氏は記者会見後、民主党関係者との会合で「世論調査で(小沢批判や小沢辞めろといった)流れが出来てしまった」といった趣旨のことを述べている。それで見る限り、間違いなく。世論調査が政治の流れを規定すると同時に、小沢氏に対しても辞任を迫る形で背中を押したことは言えるようだ。

世論調査での支持率の高さで首相選び、政治の劣化がこわい
 しかし、政治が世論調査に一喜一憂し、それによって政治の流れも決めていくとしたら何ともさびしい限りだ。とはいえ、小泉純一郎元首相などは間違いなくポピュリズム型政治で、世論調査結果を巧みに活用しながら、政治をリードしていった面がある。
現に、ある自民党幹部は以前、「小泉さんが後継に安倍(晋三)元首相を意中の人としたのも、安倍君が世論調査で高い支持率を示したからだ。そして、結果として、当時の自民党は、選挙での必勝期待のために、若さと世論調査での支持率の高さだけで政治経験や見識、手腕に欠ける安倍君を首相に選んでしまった。今の麻生(太郎)首相選出に際しても同じだ」と語っていた。政治が確たる信念や見識で動くのでなく、世論調査などが映し出す政党支持率、内閣支持率に一喜一憂し、下手をすると支持率アップをめざして政治が行われるとしたら、政治劣化以上にこわいものがある。このあたりが、最も私の申上げたいところだ。
ところで、「政治を動かす世論調査」に関して、まだまだ課題がある。調査方法に関して、今は電話で、しかも固定電話にかけて聞くというスタイルのため、どうしても日中、自宅にいる人は主婦の中高年女性か、年寄りの男性といった人たちになり、偏りが出てしまう。携帯電話を持つ若い層には聞けないので、調査結果が大丈夫かという問題があるのだ。
そこで、ある新聞社では最近、コンピューターを使って相手先に電話して、年齢、性別などをチェックし、調査対象の階層がうまく分布するように、工夫した調査方法にしている。その結果、仮に3300サンプルを目標にやった場合、実際には年齢、性別チェックなどでほぼ倍近い5000ぐらいに電話することになる。コストが大幅にアップするが、やむを得ない、とその新聞社関係者は述べている。
また、どの政党に投票するか、だれに投票するかといった単純な質問なら問題はないが、たとえば世論調査で、政策の是非を問う場合、その質問の仕方でも答え方が変わる場合もある。こういった意味で、いまは、メディアも、政党も、これら世論調査手法で民意を探るが、その質問の仕方によっては、回答が大きくずれる可能性もあり、まだまだ課題が多いことは事実だ。

大企業が壊れつつある?原因は重度の組織病 活力生む「品質ダントツ世界一」経営をめざせ

「なぜ不正が起きるのか?」「何が起こったのだ?」「信じがたい」。誰もが異口同音に口に出すのがここ数年、相次いで起きる製造現場での品質データ改ざん、経営の粉飾決算まがいの利益ねつ造など、さまざまな大企業の不祥事だ。神戸製鋼、日産自動車、三菱自動車、東芝など、数え上げればあそこも、ここも、とおびただしい数になる。それが名だたる大企業だから事態は深刻だ。

中堅・中小企業ならば、あっという間に、世の中の厳しい批判や指弾を浴びて企業淘汰、端的には市場からの退場を余儀なくされる。しかしこれら大企業ともなると、巨大企業だけに、よほどのことがない限り、淘汰はあり得ない。とはいえ株式市場や取引先企業や金融機関、消費者などから厳しいペナルティ評価を受け企業業績の悪化は避けられないが、最大の問題は信用失墜だろう。企業という社会的な存在の信用失墜は重大問題だ。率直に言って、今や大企業が壊れつつある。最近の神戸製鋼など大企業の動きをみていると、明らかに組織の歯車がどこかで狂い始めている。重度の組織病と言っていい。

 

「ジャパンアズナンバーワン」で、
米国は日本から学ぶものあり、と評価得たが、、、

 

なぜ、こんな事態に陥ったのだろうかと思いながら、ふと何気なしに、エズラ・ヴォーゲル氏の著作「ジャパンアズナンバーワン」「ジャパンアズナンバーワン再考――日本の成功とアメリカのカムバック」(いずれもTBSブリタニカ刊)、「ジャパンアズナンバーワン――それからどうなった」(たちばな出版刊)の3冊を本棚から引っ張り出して読んだ。
ヴォーゲル氏は3冊目の著書で「日本が世界一の経済大国だと主張した覚えは一度もない。ただ、日本は数多くの分野で成功を収めており、その成果はナンバーワンであると書いただけだ」と述べ、同時に米国政府、そして企業は慢心してはならず、日本から学ぶものがある、と書いている。しかし、私が改めて興味を持ったのは次の記述だ。

「アメリカの消費者たちは、耐久性と性能の面においても、日本製品が信頼できることを発見した。消費者の頭の中で『日本製』という言葉は『高品質』を意味するようになってきた」というくだりだ。かつて米国でも高い評価を得ていた日本の「高品質」が今、品質データ改ざんなどに陥っている現実を知った場合、米国に限らず世界中の国々が日本をどう受け止めるだろうか、という点が本当に気がかりになった。

 

日本はまだ捨てたものでない、
企業リーダーが危機感持ち大組織病手術に取り組め

結論から先に申し上げよう。日本は、政治二流でも、経済が技術革新力ある企業を軸に一流、と言われた時期もあった。そんな中で、主力の企業には今回のような組織病を含めて克服すべき課題が間違いなく山積しているが、まだまだ日本の企業には潜在的なパワーや知見、優秀な人材は豊富にあり、捨てたものではない、と私は思っている。
ただ、日本の大企業が組織病に至った現実をしっかりと見極めることは極めて重要だ。その意味で、企業経営リーダーの責任は重大だ。「わが社は問題があるはずがない」などと決めつけないこと、そして過去の成功体験や古いビジネスモデルにしがみつかず、強い指導力で時代を画する大胆なイノベーションに取り組むこと、組織が肥大化して硬直的になっているとしたら何が原因かをチェックし、事業部門の分社化、あるいは横断的な風通しのいい組織に変えるなどの組織改革も課題だ。しかし、私の最大の主張ポイントは、モノつくりの製造業を中心に経営、現場双方で絶えず緊張感を持ちながら、活力を生む「品質ダントツ世界一」となる企業経営をめざせと言いたい。キーワードは高品質経営だ。

 

神戸製鋼OBたちは深刻、
「過去に同じ問題を起こしながら失敗研究できていない」

 

この高品質経営の問題に入る前に、大企業の組織病の現実に関して、少し申し上げよう。実は、今回の品質データ改ざん問題は、経済ジャーナリストの立場で取材経験のある神戸製鋼に集中したうえ、友人も多かったので、ショックだった。さっそくOB数人といろいろ話し合った。1人のOBは「過去に別の事業部門で品質データ改ざんが見つかって企業責任が問われた時に、今回発覚した別の事業部門の幹部は『わが部門は問題ないか、すぐチェックしろ』といったアクションをとらなかったのだろうか。私ならすぐ対応する。失敗の研究が出来ておらず、再発防止策も機能していなかった。間違いなく重症だ」と。

 

また、別の神戸製鋼OBによると、かつて1980年代に旧通産省(現経産省)から天下りOBを迎え入れた際、この官僚OBが問題意識旺盛で、タテ割り組織の弊害が目に付くと営業企画部を新設し、たこつぼ化していた組織の横ぐしを刺して、いい意味での企業横断的な連携を進めた。そのOBは「そのフォローアップをしていないが、組織改革には取り組んでいただけに信じられない。結局は、タテ割り組織の力の方が強く、歴代の経営陣も指導力を発揮せずマンネリズムに陥っていたのだろうか」と危惧している。

 

「もともと高品質だったので、
納期間に合わせろ対応でデータ手直し許されるかと」

 

さらに、もう1人の神戸製鋼OBは、「声高に言える話ではないが、神戸製鋼の場合、品質基準に関しては、自助努力で、他社よりもレベルの高いものにしているケースが多い。このため、今回の事件発覚の発端となった納期に間に合わせろとか、利益出しのために検査工程などのコストカットに努めろなどのプレッシャーに負けて、『もともと品質レベルを上げていたのだからデータ手直しをしても許されるのでないか』と勝手な解釈で対応した可能性がある」と述べた。私は「それは自己都合の論理だ。それならば取引先企業との契約内容のうちの品質基準の部分を変更するべきだった」と反論した。

 

いずれにしても、神戸製鋼ともあろう企業が、こういった企業の品質経営にかかわる部分で緊張や規律のない経営を行っていたのは残念というほかない。鉄鋼の高炉と機械の2本立てという特殊構造の経営にあったとはいえ、トップリーダーを含め経営陣の経営責任が大きく問われる。私は、今回の問題で、メディアがすぐ安易に経営者の経営責任はといった形で辞任要求するやり方でなく、組織病の改革のための抜本的取り組みで指導力を発揮し、全組織に徹底が図れたと確認できた段階で、経営責任をとる形にすべきだと思う。

 

顧客に新たな満足と感動を与える品質経営が
重要と東レ元副社長の田中氏

 

さて、大企業が直面する重度の組織病に関して、モノづくり製造業を中心に「品質ダントツ世界一」となる企業経営をめざせ、キーワードは高品質経営だ、と申し上げた。実は、この「品質ダントツ世界一」は、東レ元副社長でイノベーションオフィス田中代表の尊敬する友人、田中千秋さんが「よみがえれ 日本のモノづくり産業競争力」をテーマにした講演でアピールした言葉だ。私も共感する部分が多く、今回、使わせていただいた。

 

田中さんは講演で「品質ダントツ世界一」になるための4ポイントを強調した。具体的には1)国の力はモノづくり産業の競争力に依存する、2)顧客に新たな感動と満足を与える「品質経営」がモノづくり産業の生きる道、3)製品の企画・設計段階からバリューチェーン全体での品質づくりが重要、4)(モノとネットをつなぐ)IOT活用による品質の高度化の積極的推進だ、という。

私はこれに「高品質経営」を加えたい。田中さんの言葉を借りれば、「単なるスペック表の数字を守るだけの古い品質管理経営ではダメだ。顧客が感動して企業への信頼を強めるレベルの品質まで仕上げることで、日本のモノづくりの確固たる基盤が出来上がる。品質経営にこだわる日本はそこまで行くべきだ」ということに尽きる。企業経営トップは高品質経営を目指せば、日本企業の持つ潜在力も加わり世界をリードする企業になるだろう。

 

「ダントツ経営」主張のコマツ坂根さんの経営ロジック、
決断力が企業リーダーに必要

 

ここで、少しアングルを変えて、企業経営などを取材してきた経済ジャーナリストの立場で、企業の組織病をもう少し考えてみたい。何と言っても、企業のかじ取りをするリーダーによって企業の命運は決まる。その点で、いろいろな企業リーダーを見てきて、私が一押しするリーダーは「ダントツ経営」を主張し、大胆に経営危機乗り切りを図って世界で勝てる日本の製造業を実現したコマツ元社長・会長の坂根正弘さんだ。今回の大企業の組織病という重病を直すにはぴったりの企業経営者だ。

 

坂根さんのすごさは、2001年にコマツの経営がどん底にあった時期に経営にかかわり、「多少コストが高くても売上高が伸びて企業成長すればコスト高は簡単に吸収できる」という高度成長経済時代の経営と決別、厳格なコスト管理を行って「大手術は1回限り」と事業の整理統合など大リストラに踏み切った。そして持ち前の生産技術の強さを武器に世界1位、2位企業をめざすと公言し、ライバル企業が追い付けないダントツ商品の開発を進め、見事にトップランクの企業にコマツを押し上げた。何度も話を聞いていても、ロジックがしっかりしていて決断力も早い。まさに危機の時代の企業リーダーだと思う。

 

ソニー役員OB辻野さん
「利益ねん出のためモノづくりのルール守らないのも問題」

 

今回の大企業の組織病の問題で、ぜひご紹介したいのが、長年おつきあいして意気投合しているソニー役員OBで、グーグルジャパン元社長、現アレックス社長の友人、辻野晃一郎さんだ。辻野さんは「ソニー時代、製品を市場に出すためには常に事業責任者と品質責任者が職を賭した攻防を重ねた。ただ、同じころ、別の部署では品質管理が甘くなってきつつあることも聞いていた。魚は頭から腐る、とよく言われるが、企業リーダーが問題で、品質経営に厳しくこだわるかどうかがポイントだ」という。
「魚は頭から腐る」はご存知の方が多いと思うが、組織の腐敗はトップを含めた上層部のダメ経営から始まり、次第に魚の胴体から尻尾へとまん延していく、という意味だ。

 

また辻野さんは、その点に関連して「インターネットやデジタルトランスフォーメーションの進展によって、経済価値の所在がモノからサービスやクラウドに移行し、それに伴いモノづくりの最優先課題がコストダウンになってしまった。しかも、利益ねん出のためにモノづくりのルールを守らなくなった」ことを問題視する。さらに、辻野さんは「もっと根深い問題は、日本の社会構造の根底にある、個人よりも組織が優先、国民よりも国家が優先といった戦前から続く全体主義的、国家主義的な価値観にも問題がある。企業組織を守る、ということが一種の言い訳になって、そのための不正や手抜きを正当化したり、あるいは組織の不正を隠蔽したりする体質が強まっていることも問題だ」という。なかなか鋭い指摘だ。

 

日本は企業主導で経済動く企業社会国家だけに、
組織

今回の問題は、実に重いテーマだが、企業社会国家とも言えるほど、企業が主導で日本経済が成り立っている、と言っていい。そんな状況下で、大企業の組織病がまん延したりすれば、企業の信用失墜にとどまらず、日本の経済社会の組織病にまで広がりかねない。それほど企業の影響力は大きいだけに、何としても根っこから直す根治作業が必要だ。企業リーダーの責任は大きいが、時代の先を見据えて、新しい時代に対応する組織づくり、人づくりなども重要になる。その意味で、企業の経営者教育というのも重要になるかもしれない。いかがだろうか。

「欲なくしてできぬ社会貢献」 天皇執刀医の働く極意

Chapter 1 ロボットは人を超えるのか?

自己犠牲なきロボットに負けぬ人間

心臓外科医の天野篤氏は「神の手」と自らのことを言われると、「私はそう呼んでいません。 みんなが言うだけ」とやや不満そうな表情をみせる。本人にしてみれば、ひたむきにひたすら 努力し、世界でも類を見ないほどの手術数をこなし、その経験の中で腕を磨いてきたにすぎないという思いがあるのだろう。人智を越えた「神の手」というよりも、あくまでも「人の手」を磨き、鍛錬して出来たのが天野氏の「手」だと言うべきである。

技が身に付いたのは「5000例あたり」

手術数が2000例を超えるころまでは、予想外の事態にあわてたり、先が読めなかった りした経験があったという。3000例を超えたころから大局観のようなものが身に付き、「技が身に付いたと思えるようになったのは、5000例あたりから」と言う。27歳で医者となり25年が過ぎた52、53歳のころだった。今では7500例を超え、前人未到の領域に入った。

「僕が見ている世界はまだ誰も見たことがない世界。100メートル競走ならば、ウサイン・ボルトが見た世界のようなものかなあ」
 
多数の命を救うために必死になって立ち向かった手術の中で得た技について、天野氏は素直に自負心を持っている。天野氏の手術では無用な出血はないという。柔らかい組織に力を込めればメスが深く入り、傷つけてはいけない部分を傷つける。メスを入れる組織の色や様子を見て、メスにかける力を 微妙に調整する能力を、天野氏は手術例が増えるにつれて身に付けた。
自著『あきらめない心』(新潮文庫)の中で「僕の握力は45キログラムだが、瞬時に20グラムの力に切り替えることができる。どういうことかというと、45 キログラムという自分にとっては最大の力で何かをグッと握った後に、パッと20グラムのごく軽いものに握り替えても、手がぶれないし、震えない」と書いている。天野氏は自らの手に外科医としての大きな武器を持っている。

本人は「神の手」を否定するが、天野氏の技は心臓外科医としては最高水準に達しているのは確かである。
様々な分野でAI(人工知能)やAIを活用したロボットへの期待が高まっている。AIは将棋の羽生善治さんに勝てるのか?AIの知能が人類を超える「シンギュラリティ」はいつ来るのか?人とAIとの競争が今、始まっている。
外科手術の世界でも手術支援ロボット「ダビンチ」を始めとして、手術ロボットの開発が進んでいる。この状況を天野氏はどう見ているのだろうか。
天野氏は「AIについて詳しくはない」と断ったうえで、人とAIの違いについてまず語り始めた。

「人間は人間同士で戦ったり、自己を犠牲にしたりして、成長してきました。自己犠牲だけでなくチームとしても犠牲を顧みず、成長、進化してきたのが人間です。だがAIやロボットは自分を犠牲にしてまで進化しようとするでしょうか」
 
天野氏は人とAIの根源的な違いを指摘する。患者のために寝食を忘れて、ひたすら努力 を重ねてきた天野氏がようやく、たどり着いた領域にAIはそう簡単に追いつけまいというプライドがあるにちがいない。
手術中には予期せぬ事態が発生し、天野氏は 患者を前に心が折れそうになったこともある。だが、その苦境を乗り越えられたのは、「自分の命と取り替えてもいい、とにかく命を助けたい」という思いと、それを支える同僚医師や看護師、臨床工学士などとのチームの力だった。天野氏は「突然変異的な発展が人間にはある」と人間の力を信じている。

人間にはありロボットにはない突然変異的発展

現時点でのAIの利用について、天野氏はこう見ている。
 
「どういう症状ならどういう治療法が適しているというエビデンスが蓄積されている例ならAIは結論を出せます。だがエビデンスがない症例では答えは出せない。そのボーダーな部分の医療は現時点では人間が判断するしかありません。患者の希望を聞き、患者が置かれている状況を踏まえ、手術をするかどうかの微妙な判断はAIにはまだできないでしょう。もちろんAIの予測の範囲が将来、時間的、空間的に広がり持つようになれば、そういう微妙な答えも出せるかもしれませんが」

一方、天野氏は手術を支援するロボットの活用についてこれまでは消極的だったが、導入に 向けて舵を切った。順天堂医院でも米国で開発された手術支援ロボット「ダビンチ」を導入し、ダビンチを使える外科医の育成を始めた。
天野氏は手術支援ロボットを巡る現状をパソコンの歴史に例えて「Windows95が出てきた95年ごろに匹敵する」と見ている。それまでのパソコンは少数のマニアだけが使う代物だったのが、Windows95の出現で一気にユーザーが増え、メーカーの競争も激しくなり、使い勝手も格段に良くなった。

手術支援ロボットはWindows95の段階か

 
「さらにいいものが出てから使い始めては後れを取ります。今始めなければ今後のハードの進化を受け入れられなくなると考え、ギアを切り替えました。実は、僕は順天堂にロボットを入れようとしている院長なのです」
 
手術支援ロボットを使えばどんな効用があるのか。今のロボットは腹や胸の何カ所かに小さな穴をあけ、そこにアームを差し込む。アームの先にはカメラやメスなどがついている。外科医はロボットの脇で組織の周辺の3次元画像を見ながら操作する。外科医が直接メスを握るよりも手ぶれがないという。

「外科手術の大きな課題は手術後の合併症をいかに減らすかです。人よりもロボットの方が管理型の手術が可能で合併症を減らせるかもしれません。そうなれば患者にとっても病院にとってもメリットがあります」

天野氏のような手術の名手は組織をむやみに傷つけず、結果的に合併症も引きこさない。それほどの名手でなくても手術支援ロボットを使えば同じレベルの手術ができるようになるということか。天野氏が手掛ける高度な手術が将来はいろんな病院でできるようになるのだろうか。

「僕しかできない手術は減るかもしれません。それは患者さんにとってはいいことだと思います。でも僕しか対応ができない何かが残るようにしたいと思って、もがく自分がいるんですよ」

必要な費用対効果の検証

手術支援ロボットの使用には効用があるかもしれないが、現状は医療費の高騰を招く恐れがある。天野氏は「費用対効果の検証が必要だ」と指摘する。

「低侵襲(患者の体をあまり傷つけないこと)手術といわれるもので低価格を実現したものは多くはありません。その中で僕が手掛けてきたオフポンプ手術は医療費を大幅に削減しました。人工心肺装置(ポンプ)を使わず、心臓を拍動させたまま手術をします。人間本来の血液循環を保ったままの手術なので術後の回復も早い。ポンプが不要なので医療費も安くなる。ロボット活用で低侵襲を実現したとしても医療費が高くなっては問題です。ロボットを活用しながら人にメリットを与え、低価格も実現するという知恵が必要です」
 
発展しつつある手術支援ロボットは「マスター・スレーブ型」という。外科医が主人で、 ロボットはその奴隷というタイプである。ロボットは人と対峙する存在ではないはずだ。ロボットは人が使いこなし、人に優しい手術を実現し、しかも安い医療を実現する術にすぎない。天野氏が考えるロボット活用はあくまでも 患者のためになるかが基本にある。

順天堂大学の教授となり、附属病院の順天堂医院の院長になった天野篤氏は医学生や若い 医者を教育する立場になった。最近の医学部ブームで模擬試験の偏差値が高い学生が医学部に多く入り始めた。医学生や若い医者に最近、繰り返し話すのが、医師になるまでに誰に支えられ、育てられているかということだ。