人生100年時代に向け試練の挑戦 団塊の世代がカギ、アクティブに動け!

「すごい人がいるものだな」と、きっと誰もが思う話から始めさせていただこう。私の母校、早稲田大学の元総長の西原春夫先生がその人だ。もともと刑法学の専門家だが、最近、私が関係する国際アジア共同体学会の会合で特別講演され、北朝鮮問題や中国の南シナ海での海洋覇権問題など緊張関係が続く東アジア地域には国際法が機能する枠組みづくりが必要で、その具体化のためプラットフォームづくりに今、取り組んでいる、と熱弁を振るわれた。

89歳の早大元総長
「60歳は人生マラソンレースの折り返し点」発想が素晴らしい

この取り組み自体、極めて重要なことだ。しかし、私が「すごい」と思った理由は別にある。学会終了後の懇談会の場で、西原先生は「私は現在、89歳です。みなさんは、私の年齢でまだアクティブに動いていることに驚かれるかもしれない。でも、大事なのは、志をしっかりと持ち、その志の実現に向け多くの仲間と行動に移すことだ」と述べ、次のように締めくくられたので、その場にいた多くの人たちは感激して思わず拍手したのだ。
「人生をマラソンレースにたとえれば、日本の企業社会で定年と一般的にいわれる60歳の年齢は、人生の折り返し点に過ぎない。そこから新たな後半生に向けゼロスタートとなる、といった発想で意欲的に行動することが必要だ。私の89歳は、そのスタート地点から数えると、今は29歳となり、後半の実社会で本格的に動き出す年齢だ。私も引き続きがんばるので、みなさんも人生100年社会という位置づけでもって、現代日本の高齢社会が抱える課題、あるいは世界の課題に取り組んでいただきたい」と。

生涯現役ジャーナリスト志向の私も思わず脱帽する
問題意識やスケールの大きさ

私も70歳を過ぎてしばらくたつ今、生涯現役の経済ジャーナリストを意識し現場取材などを続けて情報発信に取り組んでいるが、私と違って、問題意識や取り組みのスケールの大きさ、すごさには思わず脱帽だ。西原先生の話に強い感動をおぼえた私は、その懇親会場で直接、日常生活をうかがった。すると、今や世界中で大きな焦点となりつつある東アジアで国際法が機能するようなプラットフォームづくりのため、中国政府に参画してもらうことが重要であると、中国訪問も時々、されるという。
そのバイタリズムにも驚いたが、さらに驚いたのは、外出時にいまだに、自ら自動車を運転されていることだ。さすがに、私は「最近、高齢者ドライバーの事故が目立ちます。自分は絶対に大丈夫という過信が思わぬ事故につながっていますので、ご注意を」と申し上げたら、西原先生は「過信は禁物。その点は、十分に注意している」ということだった。それにしても、この行動力はとても89歳とは思えない。

「18歳と81歳の違い」事例が興味深いが、
81歳イメージを変革できるかが焦点

本題に入る前に、私の知り合いの野村證券OBの高梨勝也さんが、ある友人から披露されたという「18歳と81歳の違い」の事例がなかなか興味深い。というか、私は思わず抱腹絶倒してしまった。ここにご紹介する81歳は、西原先生とは違った、まさにこれこそが今の現実かもしれないが、今後、人生100年社会を考えた場合、ここで描かれた81歳の人たちの意識改革ができるかどうかだ。まずは、そのいくつかをご紹介しよう。
「人生につまずくのが18歳、小石につまずくのが81歳」「高速道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳」「心が脆(もろ)いのが18歳、骨が脆いのが81歳」「まだ何も知らないのが18歳、何も憶えていないのが81歳」「自分探しの旅をしているのが18歳、出かけたままわからなくなるのが81歳」。この興味深い話はまだ続く。「愛しているって聞くのが18歳、息しているって聞かれるのが81歳」「アメをかみ砕けるのが18歳、アメをかみ歯が砕けるのが81歳」「自動車運転免許とるのが18歳、返納するのが81歳」「乾杯で会を始めるのが18歳、献杯で会を始めるのが81歳」。

81歳の高齢者の姿をうまく浮き彫りにしているが、西原先生からすれば、「他人から、そのように見られて恥ずかしくないか。もっとメリハリのある人生を過ごせ」という反論が返ってくるかもしれない。

 

超高齢社会が始まる2025年が最大危機、
800万人の団塊世代が75歳に到達

さて、ここからが本題だ。西原先生が問題提起されたことに関しては、100%同感で、それを踏まえて、私は、今後の日本の高齢社会に関して、次のような問題意識でいる。
日本は今後、高齢化の「化」がとれて、文字どおり高齢者の数が人口面で次第に大きな比重を占める高齢社会に陥る。それどころか、戦後日本の高度成長経済の大きな担い手だった団塊の世代という巨大な人口の塊が2025年に75歳の年齢層に達する。高齢社会どころか、「超」高齢社会となるのだ。何とその団塊の世代層は800万人に及ぶ、というから重大事態だ。
ところが日本政府や自治体、企業は、こういった時代が訪れることを早くから予見していながら、それに見合った制度設計、社会システムづくり、財政負担対策、さらには医療や介護の現場がこの人口の巨大な塊によって大きな負担を強いられることに対応するシステムづくりに関して、率直に言えば、とても十分なことができていない。今後の政策課題は多い。とりわけ高齢社会が定着する中で、制度や社会システムなどをどこまでそれに見合ったものにできるか、そして団塊の世代対策だ。

英グラットン教授の「100年時代の人生戦略」は
まるで日本への制度設計アドバイス

そういった点で、西原先生が問題提起されたことは重要だ。企業社会国家とも言える日本で60歳定年によって自らの人生は引退、隠居し、あとはのんびり人生と考えたら大間違い。医療技術の発達によって、健康寿命が大きく伸び、人生100年時代も十分に想定される。団塊の世代が今後、社会のお荷物とならないように、アクティブシニアとして元気で好きな仕事に携わり、医療や介護の世話にならずに済むようにすることだと思う。
この問題意識に沿って、まるで日本の将来設計を想定して書いたのでないかと思う本がある。すでに話題になっているので、お読みになった方々も多いかもしれないが、英国ロンドンビジネススクールのリンダ・グラットン教授が書いた「100年時代の人生戦略」(東洋経済新報社刊)がそれだ。ぜひ読まれたらいい。
グラットン教授によると、これまでは、20歳までが学びという名の教育時期、60歳までが生産労働力としてさまざまな仕事に携わる時期、それ以降は、いわゆる退職、引退によって老後を楽しむ時期という3段階構造の人生設計が主要国で一般的だった。しかし今やそれは時代遅れになっている。今後は、引退によって豊かな老後をエンジョイするのも重要な選択肢だが、むしろ自身で新たなスキルを学んでそれを活用、あるいはこれまでとは全く異なるワークスタイルで仕事をしてみるとか、要は長寿社会になることを前提にマルチステージ、つまり多段階構造の人生設計をたてることが必要だ、というものだ。

団塊の世代を軸にした超高齢社会の制度設計、
システムづくりが出来ていない

日本は、世界でも人口の高齢化のスピードが最も早く、その一方で国民皆保険制度や医療保険制度、介護システムなど世界の先進モデル事例になる要素を持っている。それだけに、日本が、よく言われるように「課題先進国」として課題解決の先進モデル事例をどんどん出していけば、間違いなく世界で大きな存在感を示すことができる。
実は、日本は、歴史という長い時間をかけて、人口の高齢化に対応した制度設計、さらに社会システムづくりをしてきたはずだが、すでに申し上げたように、ここ10年以上、団塊の世代の高齢化などへの対応が遅れ、成熟社会国家に見合ったシステム設計が後手後手になっているのが問題だ。
しかし、中国やタイなどの国々が日本とは違った形での人口の高齢化に苦しみ始めている。つまりこれらの国々は、経済成長に弾みがつき、中進国から、もう一段の高みの先進国への道を歩むところまで来たにもかかわらず、人口の高齢化スピードが速まり、それに伴う医療費や介護、年金などの財政負担が必要になって、言ってみれば経済成長の果実をそちらに回さざるを得ず、そのあおりで「中進国の罠」という政策ジレンマに陥っている。その点では日本は、そのレベルを過ぎており、逆に先を進んでいる「先進国」として、高齢社会化のさまざまな問題について、アドバイスできる立場にある。

人生年齢は8掛けの発想、
「健康寿命よりも就労寿命を伸ばせ」の発想が重要

ここまでは総論の話だ。問題は、いま70歳前後の800万人に及ぶ団塊の世代という巨大な人口の塊の世代をどうやってアクティブシニアにするかが最重要課題だ。私はかねてから人生年齢に関しては8掛けで、プラス思考でとらえるべきだ、という持論でいる。それでいくと、まだ56歳前後という計算だ。
それともう1つ。私は、健康寿命という言葉の使い方に、どこか抵抗があって、働くことに生きがいや意欲を持つことが結果的に健康につながるという意味で、健康寿命に代わる就労寿命という言葉がいいな、就労寿命を伸ばせばいいのだと思っていた。そうしたら同じような発想をされる方がおられ、医師の石蔵文信さんがやはり「健康寿命りも就労寿命」という形で同じような問題提起をされているので、うれしくなった。この言葉も、団塊の世代の人たちにぜひアピールしたい。
要は、病院治療や介護に頼らず、健康体で、しかもこれまでの企業の現場で培った知見や技術などをうまく生かしてアクティブに仕事をし、それによって「俺たちは時代のお荷物ではない。税金をもらうどころか、担税力を持っていて支払う側にある。見損なうなよ」と啖呵を切ってもらう元気ぶりを発揮してほしいのだ。

大企業OBと中小企業の間の人材マッチング
「新現役交流サポートの会」が面白い

そんな問題意識でいたら、最近、うれしい取り組みを知った。一般社団法人「新現役交流サポートの会」という会で、大企業を定年退職したりしたあと、大企業に勤めていた時代に培った経験やノウハウをうまく活かしれないままでいる人たちと、その一方で、中小企業の人たちの間では、さまざまな人材を必要としているのに人脈ネットワークがなく、ビジネスチャンスも失うといった現実をうまくマッチングしていこう、という取り組みを行っている。会は生保OBの保田邦雄さん、それに経産省・ジェトロOBの塚本弘さんらが中心になっている。
この問題に関心を持って取材している友人の共同通信OBの経済ジャーナリスト、中西享さんから「ぜひ取材したらいい」とアドバイスを受け、最近、東京都内の6つの信用組合と「新現役交流サポートの会」が共催の形で、大企業OBの人たちと中小企業をつなぐ人材マッチングの会合に参加させていただいた。
結論から先に申し上げれば、なかなか活気があって、よかった。中小企業の側は、技術経営などの面でアドバイスをしてもらえる人材ニーズが非常に強く、また「新現役交流サポートの会」の人材登録した大企業OBの人たちもフルタイムでなくても自らの経験やノウハウの活用先を、と探し求めていた人たちが多かった。これまでなかなか機能していなかったシルバー人材センターに代わるものになること間違いなしだ。応援したい。

米国でのホンダジェット開発成功にヒント 独創的技術と異文化コミュニケーション力

自動車のイノベーションが今、面白い。トヨタ自動車がグループ企業と連携して近未来にチャレンジした「空飛ぶ自動車」開発が話題になったほどだ。しかし私は、同じ自動車メーカーの本田技研工業が航空機開発を手掛けたことに強い関心がある。オートバイから自動車、そして一気に航空機へとチャレンジする点は、モノづくり企業の極みだからだ。
その本田技研の米国法人ホンダエアクラフトが、4年前の2013年、独自開発したビジネスジェット機ホンダジェットをご記憶だろうか。厳しい安全査定で定評ある米FAA(連邦航空局)から航空機として型式認証を得た時には驚嘆した。

安全査定で厳しい米FAAの型式認定得たのはすごい、
三菱MRJとの違い際立つ

とくにFAAは、ホンダが独自開発した航空機について、折り紙付き高評価を与えたという話を聞いて、戦後、日本の航空機メーカーが米国ボーイングなどの航空機下請け生産に終始していただけに、自動車メーカーが全く独自にエンジンを開発、航空機開発につなげたのは快挙、と思った。ホンダジェットは7人乗りのビジネスジェットで、航空機の主力ではないが、スピードや上昇性能、燃費や乗り心地のよさなどが米国を中心にグローバル評価を得て、量産体制に入っているというからすごい。
航空機専業の三菱重工業子会社の三菱航空機は、三菱リージョナルジェット(MRJ)の日本での開発にこだわったが、安全性確保などの面で課題を残し、いまだに型式認証がとれず、「離陸(TAKE OFF)」に至っていないのとは対照的だ。

リーダー藤野さんの来日時講演で苦労話聞き、
グローバル競争勝利の秘訣わかった

実は今回、コラムで取り上げてみようと思ったのは理由がある。最近、そのホンダジェットの開発総責任者でもある藤野道格ホンダエアクラフト社長兼CEOが来日し本田財団で講演した際、開発当時の苦労話を聞くチャンスがありワクワクすることが多かった。それと同時に、藤野さんの話を聞いていて、ジャーナリスト目線で、日本企業がグローバル市場で勝つポイントがあるな、というヒント部分があったため、レポートしようと考えた。
そのポイントは、企業がグローバル競争をする場合、積極的に競争現場の主戦場にあえて臨み、激しくもまれながら競争に勝つための大胆な取り組みを行い、誰もが高い評価を下してくれる実績を示すことが必要、という点だ。要は、日本を拠点に、日本仕様の完成品をつくって世界に打って出る、という発想でなく、最初から主戦場で競争することだ。

オンリーワン技術武器にソフトパワー駆使、
日本でなく米国主戦場での競争が重要

もう少し具体的に申し上げよう。ホンダジェットの場合、航空宇宙工学専門家の藤野さんがすべてのキーパーソンだ。経営のトップに立ち、2つのソフトパワーを駆使した。
1つは、藤野さんが、グローバル市場で勝ち抜くためには、ライバル企業と同じものをつくるのではなく、オンリーワンと言える独創的な技術による新機種開発が必要、としたイノベーション力のすごさ、そして主戦場はビジネスジェットの本場、米国と決めたこと。もう1つは、藤野さんが30か国に及ぶ国々の技術者1800人を巻き込み、異文化コミュニケーション力を駆使して組織を動かしたダイナミックな指導力だ。
藤野さんの話で最もすごいと思ったのは、独創的な技術開発へのチャレンジ、イノベーションに対する執念だ。藤野さんは「ビジネスジェットに新規参入するホンダが他のメーカーと同じようなものをつくって意味があるのか、と自身に問いかけを行った。そして、あえて独自の発想、イノベーションで行くことにした」という。その最大成果が、航空機エンジン開発関係者の「常識」を打破した主翼の上の部分へのエンジン取り付けだ。

ホンダジェット強みは米航空機業界の
「常識」打ち破る主翼へのエンジン取り付け

「現行のビジネスジェットは胴体後部にエンジンを取り付ける設計だが、もし主翼にそれを取り付けることができれば、エンジン支持構造を胴体後部から排除でき、胴体内の客室キャビンなどのスペースの最大化が可能になる。キャビンが小さく騒音も大きい、といった現行設計のディスアドバンテージをアドバンテージに変えることができる。そうすれば評価も高まり、市場ニーズに応えられると考えた」と藤野さんは言うのだ。
航空業界の「常識」に対して、後発の自動車メーカーがその「常識破り」に挑戦したい、というのは、後発だけに、その気持ちがあるのは当然だ。問題は、それを実行に移すことだが、それをやり遂げたのだから、そのイノベーションへのチャレンジには脱帽だ。
本田技研が社内でも極秘に航空機研究チームを立ち上げたのが31年前の1986年。飛行機づくりに強い夢を持っていた創業者本田宗一郎氏(故人)にもチーム立ち上げをいっさい知らせず、藤野さんがたまたま研究所を訪れた本田氏にトイレでばったり出会った際も、守秘を通す徹底ぶりだった、という。

本田技研のイノベーションへのチャレンジが
開発パワーの源泉?藤野さんは実行

本田技研が航空機開発に関して、徹底した秘密主義を貫いたのは、チャレンジして失敗した場合の外部の冷ややかな対応や評価を嫌ったのか、独自技術、言ってみれば「秘伝のタレ」の中身が外部に漏れるのを避けるためだったのか、そのあたり定かでない。
しかし藤野さんは開発に取り組んだ10年後、主翼の上にエンジンを取り付けるコンセプトスケッチを描いた。事業化までの時間はさらに長かった。藤野さんによると、空気力学と空力弾性学の両面から技術的チャレンジにぶつかることはわかっていた。とくに主翼上面へのエンジン配置は、好ましくない空力干渉や強い衝撃波を引き起こし、抵抗発散マッハ数を低下させるため、その克服が課題だった、という。
講演でのチャレンジ話は専門的過ぎて、私にはなかなか理解できない部分が多かったが、数々のコンピューターシミュレーションなど試行錯誤を経て難題を次第に克服していく。米航空宇宙局(NASA)研究施設やボーイングの施設を借りての風洞試験から「ヒョウタンから駒」状態にぐんと近づいていくあたりの話は苦闘ぶりが伝わってきて興味深い。

冷ややかだった米国も次第に技術力を評価、
イノベーションへの好奇心の表れ

だが、藤野さんの話で興味深かったのは、主戦場となった米国での動きだ。「米国の学会は、私の新技術開発に対する関心度が高かった。私が研究論文を出したら、普通ならば論文評価に1年以上かかるのに、何と3週間で回答が来て、専門家の間でも認められるようになった。スピード感がすごい」という。イノベーションに対する米国の好奇心の強さだ。
現に、航空エンジン開発現場から一転、航空機ジャーナリストに転じた前間孝則さんの著書「ホンダジェット――開発リーダーが語る30年の全軌跡」(新潮社刊)によると、藤野さんはボーイングの研究施設を借りて遷音速風洞という音速前後のマッハ数を実現する風洞試験を行った際の時のことを、前間さんにこう語っている。る米国の好奇心の強さだ。
「最初、ボーイングの技術者たちは、われわれのコンセプトを見て馬鹿にしているような様子で、『まあ、やってやるか』といった受け止め方でした。でも試験を進めていく中で、データが出てくるに従い、その態度が変わってきて、彼らも認めざるを得なくなりました」と。この評価態度の変わりぶりは、安全性評価判断を下すFAAも同じだったようだ。

米現法開発現場で30か国1800人の技術者、
人材や組織を自由に動かす指導力

私の見るところ、米国は軍用機、民間航空機を含め技術開発力などで航空機先進国の自負が高い。ところがエンジン取り付けの常識を覆す藤野さんの自然層流翼などの考え方に対し、米国は最初、冷ややかだったが、試験結果を見るうちに、その開発発想や着想のすごさに驚き、次第に畏敬の念となり、最終的に高評価へとなったのは間違いない。その点でも藤野さんが米国のジェット機開発の主戦場で勝負した意味が十分あった、と言える。
もう1つの異文化コミュニケーション力に関しても、講演時に紹介されたビデオ映像が象徴的だった。FAAからの型式認定を得た時の米国現地法人ホンダエアクラフトの開発現場では30か国の多国籍社員が手を取り合って喜び合う姿が映し出された。なかなか感動的だったが、日本企業がグローバル市場で生き残る秘訣はこのあたりだな、と感じた。

藤野さん
「ホンダジェットは安易に海外企業に頼らずホンダ自身でつくった自負」

現に、前間さんの著書の中で、工場で主翼製造の責任者を務めるある米国人エンジニアは藤野さんを「ボスはとっても緻密で、知識も豊富だ。彼のために働くのはとても気持ちがいいよ」と語っている。この動きを見ても、私は、ホンダジェットの成功は、藤野さんの航空機エンジンの常識を打ち破る独創的な技術力が第一義的にあるが、同時に、多国籍の技術人材や組織をダイナミックに動かせた藤野さんのリーダーとしての指導力と思う。
それにしても本田技研工業は面白い会社だ。中でも、創業者本田さんは日本でベンチャー企業が育ちにくいと言われる中で、イノベーションに情熱をもって取り組んだ草分け的な存在だし、その精神が引き継がれて藤野さんのようなリーダーを輩出させた、と言える。
藤野さんは、前間さんの著書で本田技研の社風について、こう述べている。
「研究開発のやり方は、おそらく普通の飛行機会社ではできないでしょう。なぜかというと、開発の途中で万一、新しいアイデアがダメだったとなると、一からやり直しになり、膨大な開発費が無駄になってしまい、最悪、開発を諦めることになるでしょう」
「すべての基本設計は全部、ホンダの中でやってきました。その意味で、ホンダジェットは、安易に海外の専門サプライヤーなどに頼ることなく、文字通りホンダ自身でつくった機体だ、と胸を張って言えます」

東芝はアングロサクソン企業をマネージできなかったが、
独自技術力などで克服可能

ホンダジェットの開発成功にからむ話は、いろいろな切り口がある。端的には第2次世界大戦の敗戦国日本はドイツと同様、連合国、とりわけ米国から航空機開発の開発製造を禁止され、終戦から7年後の講和条約発効後も一種のトラウマ状態でYS11など一部の自主開発機を除き、米航空機メーカーの下請け生産に甘んじてきた。そういった中で三菱飛行機MRJの問題とは別に、ホンダジェットの独自開発は、もっと掘り起こすチャンスだ。
だが、私は今回、藤野さんの講演を聞いていて、オンリーワンの独自技術開発の重要性、それと主戦場で異文化コミュニケーションを発揮してグローバル企業挑戦をすることが日本企業のグローバル戦略のポイントと感じ、メインテーマにした。
その点で、東芝が米原発メーカーのウエスチングハウスを巨額資金で企業買収しながら、肝心なところでコントロールできないどころか、損失をかぶらされて手痛い打撃をこうむったのとは対照的だ。「日本企業はアングロサクソン企業をマネージできないのか」と言われてもやむを得ない事態だが、ホンダジェットの場合、それらを克服した。
藤野さんに講演後、東芝のウエスチングハウス経営の問題点を聞いてみたところ、「他企業の経営をコメントする立場にない」としながらも、「厳しい競争が進行する米国を主戦場にして企業経営を行う場合、最大のポイントは独自技術力、それにイノベーションに裏付けられた長期ビジョン力をしっかりと持つことだ」と語った。確かに、鋭いポイントだ。

宅配便に危機、物流新イノベーションを ネット時代の社会インフラ見直し急務

宅配便大手のヤマト運輸は、不思議な企業だ。インターネット通販(以下ネット通販)増大に伴う宅配現場の人手不足による深刻な配送遅れ、巨額の残業代の未払いなど引き起こした問題が日本中の関心を呼び、社会問題化させた。そればかりでない。ネット通販が今後の大きな潮流となるのは避けられないので、この際、宅配を含めた物流という社会インフラをどうするかを考えるべきだ、との議論も誘発した。一企業の問題で、これほど社会的な広がりが出たケースは珍しい。失礼ながらライバルの宅配便の佐川急便や日本郵便に同じような問題が出ても、ここまで多くの人を巻き込む議論にならなかっただろう。

ヤマト運輸は不思議な企業、配送遅れなどで
社会問題化しても「頑張れ」コール

しかも、そのヤマト運輸が、窮余の一策として、値上げを表明した時に、「企業の自助努力なしに安易に値上げとはけしからん」と反発が噴出するか、と思っていたら意外にも「やむを得ない。その代わり改革にしっかり取り組め」と頑張れコールが大勢になった。なぜなのだろうか。私の見るところ、個別宅配システムをビジネス化したヤマト運輸創業者の小倉昌男さん(故人)の「利益よりも顧客サービスを」という経営理念が今も現場に浸透しており、それが多くの人たちから企業評価を得ているからでないか、と思う。
現に、私もクロネコマークのヤマト運輸の宅配便を活用することが多い。セールスドライバーと言われる現場の人たちは、感心するほど、よく動く。先日も、首都圏が強い風雨に見舞われた際、東京都心ビル街で、雨合羽もなしに、荷物を載せた台車と一緒に小走りに動き回る姿を見て、思わず「ご苦労さん」と声をかけざるを得なかったほどだ。

創業者小倉さんの経営哲学が現場に浸透したが、
問題は改革に向けた取り組み

独自サービスを生み出した創業者の小倉さんはリーダーとして傑出している。反骨の人で、政府の規制に対して大胆に挑戦する実績がある。経営理念も「よいサービスをすれば顧客に喜んでもらえ扱う荷物も増える。地域あたりの荷物個数が増えれば密度化が進み、生産性上昇につながり利益も増える。だから利益よりも、顧客サービス提供を」という。
米国のヘルスケア大手、ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)も同じ顧客重視の経営姿勢が評価されている。いずれもリーディングカンパニーとしての軸がしっかりしているところが「強み」なのだろう。しかし問題は、ヤマト運輸の今後の取り組みだ。
そこで、本題だ。ヤマト運輸の作り出した短時日に素早く個別宅配するネットワークシステムは、日本の社会インフラとなっており、世界に誇ってもいい。問題は、このシステムの崩壊は社会的ロス(損失)となるため、再構築するにはどうすればいいかだ。ただ、小手先の宅配サービスを含めた物流改革ではなくて、物流システム全体を変える新イノベーションが必要だ。スマートフォン(以下スマホ)を使ってタクシー配車を行う米ウーバーのように、デジタル技術を宅配など日本の物流システムに活用することもヒントだ。

ネット通販は拡大必至、
ヤマト運輸の労働集約モデルは限界、大胆なイノベーションを

結論から先に申し上げよう。インターネット通販が今後、とめどもなく拡大する時代を視野におくと、数多くのセールスドライバーに頼るヤマト運輸のような労働集約的な宅配サービスは、もはや限界がある。今の宅配システムを活かすにしても、米アマゾンがインターネットと物流をつないだイノベーションで新ビジネスモデルを作り出したのを参考に、ヤマト運輸も時代を変えるイノベーションに大胆に取り組むべきだろう。
そんな矢先、私の長年の友人で、日立コンサルティング社長OBの芦邉洋司さんが経営者仲間の人たちとの会合でたまたまヤマト運輸問題が話題になり、物流システムのイノベーションが必要だ、との点で意見一致した、という。その考え方を聞いてみたら「わが意を得たり」の点があるうえ、参考になることが多いので、ぜひ紹介させていただこう。

芦邉さんらは「宅配業界が競争から共創めざす
オープンイノベーションを」と提案

芦邉さんらの議論ポイントは、ネット通販が今後10年間に最大10倍規模で扱い高が増える。ヤマト運輸がネット通販大手、アマゾンからの受託荷物の総量制限するのは不可能、値上げで歯止めをかけようとしても荷物量は減らない。労働集約的な宅配便の集配構造のもと、1社での改革対応には限界があり、ヤマト運輸、佐川急便、日本郵便の主力企業を軸にオープンイノベーションの取り組みが必要になる、という。発想が興味深い。
端的には業界全社で、競争から共創をめざす新たなセントラル・コントロール・センターを組織する。その際、どこまでが共創で、どこからシビアな競争か、必ず線引きが必要。そして新センターはラスト・ワン・マイルと言われる荷物受け渡しの末端部分の効率的な配送システムづくりなど、新ビジネスモデルを検討すべきだ、と芦邉さんらは指摘する。

 

新センターが配送先の顧客データを集め、
リアルタイムで配送ナビゲーションも一案

それによると、これまで宅配企業はドライバーの運送状況を追跡し運送管理していたが、今後は新センターが顧客管理を重視する。配送先の顧客が現在、自宅にいるのか勤め先なのかのチェック、再配送先やその時間確認について、スマホを含めたデジタルテクノロジーを使って把握し、各社ドライバーにリアルタイムで配送ナビゲーションを行う。
ヤマト運輸が一部で事前配送メール連絡などを行っているが、新センターがすべてをシステム化する。新システムがスムーズに機能するには顧客がスマホなどを持っていることが必要。また在宅かどうかのチェックに際して、セキュリティがらみで問題が起きるリスクもあるため、警備保障のセコムなどと連携した仕組みづくりが必要になる、という。
芦邉さんらは、「ピンチをチャンスに、という発想でいけば、宅配サービスを含めた物流業界にとって100年に1度のチャンス。物流とインターネットを融合したアマゾンのように、業界の垣根を取り外し異業種融合でイノベーションを起こすチャンスだ」と語る。

輸送関連企業が連携分し合い
エネルギー消費のムダなくし国民経済的プラスめざせ

そこで、私も提案したい。物流にかかわる飛行機、鉄道、陸送トラック、バス、タクシーなどを社会インフラの中核輸送機関と位置づけ、宅配便企業は、それら機関と荷物輸送で連携しネットワークをつくる。宅配便企業は、末端の荷物集荷と配達部分のみを担い、中間部分の輸送は、それら機関に委ねる。地域別、距離別に連携し合う仕組みが重要。
この仕組みが定着すれば、さまざまな輸送関連企業がバラバラに行っていたものを、効率かつ機動的に集約し分担し合える。うまくすれば交通過密・混雑をなくして事故を減らせ、大気汚染防止など環境対策にもなる、ガソリンなどエネルギー消費のムダを減らせ国民経済的にプラスとなる。そして輸送面での社会インフラ構築につなげることも可能だ。
物流全体を見る司令塔役は、芦邉さんらが提案する新セントラル・コントロール・センターでいい。新センターは、各地の拠点物流センターの状況を全体把握し、宅配便企業が集めた荷物を各地の物流センターでパーコードはじめさまざまなツールを活用して自動分別させる。地域別、距離別に分別した荷物を長距離、中距離の定期便で運んでもらう。あとは、顧客に近いラスト・ワン・マイルを再び、宅配便会社が担うというのが私の案だ。

企業間の競争と共創部分の棲み分けが課題だが、
新社会インフラづくりで意義

輸送機関連携ではJRだけでなく私鉄にも貨物便を走らせてもらい活用する。高速バスの荷物置き場スペース活用にヒントを得て、路線バスも活用できないか工夫する。長距離トラックも行きの満載便と帰りの空っぽのトラックをスマホで顧客や荷物を探して無駄をなくす。それらシェアリングを広く活用することも必要だ。芦邉さんらも、配送面でのオープンイノベーションとして公共交通機関との垣根をなくすことを主張し、私の提案と同様、路線バスの胴体に、スキーバスのような荷物室を設け移動式宅配ボックスにするのも一案だし、過疎化が進む中山間地域で1日に数回来る路線バスがバス停に止まったら臨時宅配ボックス化し周辺商店が荷物受け渡しでサービス連携する方法もある、という。
企業間の熾烈な競争部分と、システムを共有し合う共創部分をどう棲み分けするか、課題が残るが、新社会インフラづくり、という点で取り組んでみる価値は十分にある。これらを機動化するには、インターネットやスマホなどのデジタル端末を駆使することだ。

 

菊地さんは宅配システム二極化を予想、いずれ各家庭回るゴミ収集車が新聞配達も

外食の企業現場を束ねる日本フードサービス協会会長の菊地唯夫さん(ロイヤルホールディングス会長)も日ごろから物流に関心を持つ1人だ。宅配システムに関して、今後、二極化が避けられないという。その場合、受取人不在の家への再配送を含めたフルサービスは差別化が必要で、高サービスに見合って高価にする、一方で、特定の末端共同配送場所にドローンで運ぶ場合とか、コンビニ、鉄道やバスなどの駅、公民館など地域の拠点たまり場といった特定先への配送は廉価にするやり方が考えられる、と述べる。
そして、菊地さんは、今後の人口減少が進めば、物流再編成では追い付かず、ヒト、モノなどを組み合わせた最適化が必要になってくる。その場合、各家庭を確実に回るゴミ収集車に新聞配達を委ねるビジネス連携もあり得る。発想の転換が重要、という。
確かに、宅配便企業の今後を考えた場合、超高齢社会に対応して、単に荷物を宅配するだけでなくセールスドライバーの現場顧客との接点機能をうまく生かして介護サービス企業や便利屋さん企業などと連携した御用聞きサービスを行い、顧客ニーズをスマホやネットでつなぐこともあり得る。新たなイノベーションは発想すればいろいろ考えられる。

「宅配がなくなる日」の著者、
松岡さんは宅配ロッカーネットワークづくりを主張

ヤマト運輸の宅配便問題でいろいろな本を読んだうち、とても興味深かったのがフロンティア・マネジメントというコンサルティング&アドバイザリーサービス企業の代表、松岡真宏さんの著作「宅配がなくなる日」(日本経済新聞出版社刊)だ。ぜひ、読まれたらいい。タイトルが刺激的だが、なかなか示唆に富む。新しい宅配ネットワークづくりが必要で、その核にすべきなのは誰でも24時間、自由に利用できる宅配ロッカーだ、という。
松岡さんによると、この宅配ロッカーは、今のソフトドリンクの自動販売機を想定すればよく住宅地、オフィス街、公共施設などあらゆる場所に、網の目のように配備する。自販機1~2台分のスペースで、荷物を格納する箱の数は20個程度。宅配企業は地域の営業所に集荷した荷物を顧客の近くの宅配ロッカーに置き、顧客にスマホなどで連絡し、開ける際の入力番号を伝える。自販機会社が新たに宅配ロッカーをつくり、宅配会社は使用手数料を支払う仕組みにする。配送依頼した顧客がこの宅配ロッカーの手数料を配送料込みで支払っているので、受け取る別の顧客は追加費用を払う必要がない、という。

 

興味深い点は、この宅配ロッカーが広範囲に定着すれば、ドライバーが指定時間内に荷物を届けるために必死で走り回る宅配サービスの必要性は消え、受け取る側の顧客も好きな時間に自由に受け取れる時代になる、というのだ。これもイノベーションだ。

福島原発事故の風化だけは避けよ 安倍首相の指導者資質が問われる

今、国有地払下げにからんで学校法人「森友学園」問題が一気に政治問題化している。外交面で存在感を見せる安倍首相も、国内問題の「森友学園」問題の対応処理にあたっては、危機管理面で判断ミスと思える言動のまずさが目立つ。内外に問題山積で、安倍政権としては対応課題が多い時だけに、首相自身が政治問題化で事態をこじらせるのでなく、透明性のある国有地払下げに向けた対応などに関して、指導力発揮する資質が問われる。

3.11追悼式式辞で、首相が原発事故に
明確な言葉で言及せず、というのは問題

その指導者資質という点で言えば、安倍首相の最近の対応で、私はいまだに強い不満を持っていることがある。それは、安倍首相が今年3月11日の政府主催の東日本大震災追悼式で、東電福島原発事故そのものについて、明確な言葉で言及しなかったことだ。
翌日のメディア報道で、言及がなかったことを知り、私は唖然とした。あの場で、安倍首相は、「世界中を震撼させた原発事故の問題は、私たち日本にいまだに重くのしかかっています。事故による被災者の方々がおられる限り、政府、そして東電の責任が続くのは言うまでもないことです。決して風化させません。原発事故の教訓を踏まえ、未解明の事故原因の究明と合わせて、引き続き再発防止に全力を傾注していきます」というべきだった。なぜ、言葉を選び、強いメッセージを内外に発信しなかったのか、と不思議に思う。

私ならば「7年目の今こそ風化させないことが大事、
式辞文を書き直せ」と言う

安倍首相は、東日本大震災後、震災被災地を30回ほど訪問したことをいろいろな場でアピールしている。首相職という多忙の立場で、それ自体、すごいことだ。でも、それだけの現場体験を自負するのならば、福島の現場で原発事故の被害の大きさ、そのもたらす問題の広がりに関して、政治リーダーとしても十二分にわかっているはず。
首相の言葉は重いものがある。だからこそ、東日本大震災追悼式という重要な場で、安倍首相が自身の言葉で、原発事故で被災した人たちがいまだ苦境にあえぎ、廃炉作業を含めて事故処理がまだ延々と続けられていることについて言及することは重要だ。それをしなければ、原発事故の風化を招きかねない状況を首相自身で作り出してしまうからだ。

 

首相スピーチライターの内閣官房参与で、ジャーナリストOBの谷口智彦氏を、私も知っている。谷口氏自身は情勢を見るに敏だと思っていたが、なぜスピーチの中に、原発事故の問題に言及しなかったのだろうか。私が仮に首相の立場だったら、「事故から7年目に入り風化しかねない時期にこそ、しっかりとしたメッセージが重要だ。書き直せ」と厳しく言うだろう。それこそが危機意識の問題だし、指導者としての資質につながる問題だ。

 

危機管理対応のまずさでは「森友学園」問題も同じ、
内外に問題山積時に残念

ちょっと横道にそれるが、今回の学校法人「森友学園」問題の危機管理に関して、私のみるところ、安倍首相が「もし私や妻が関係していたとなれば、首相も、国会議員も辞めると申し上げておきたい」と述べたのは、指導者の言動としては、いささか軽率だ。何ら問題などあり得ない、と啖呵を切ったつもりなのだろうが、仮に不透明さや疑惑を残したままになると、その言動が責任問題に及び、あとで命取りになりかねないからだ。
その点では森友学園理事長の籠池氏は役者が一枚も二枚も上で、誰もが破格の扱いと見た国有地払下げ問題に関して「神風が吹いたように思った」と疑惑に含みを持たせた。しかも妻の昭恵夫人がからむ100万円寄付問題の持ち出し方も同じだ。ここまでくれば、国有地払下げ問題の不透明さに早く決着をつける必要がある。重ねてだが、内外で課題山積時に、国有地払下げ問題で国会が右往左往というのは、日本の危機管理上も問題だ。

「藻谷・開沼対談」――コメ全量検査で
放射能汚染ゼロでも風評被害消えず大問題

さて、本題に戻ろう。7年目を迎えた今年の3.11の日に「デフレの正体」、「里山資本主義」などの著作で有名なエコノミストの藻谷浩介さん、それに社会学者の目線で福島の現場を分析し「フクシマ論」や「フクシマの正義」などの著作がある福島県いわき市出身の開沼博さんの2人による対談の集いに参加した。地震津波に加え原発事故にも見舞われた福島の今をどうみるか、がテーマだったが、問題を考えるヒントがいくつかあった。
開沼さんによると、原発事故に伴う放射能汚染はまだ問題が残る。しかし福島県の農業者は、自身の生命線ともいえるコメに関して、安全の証明のため、福島県内の禁止地域外で作付けされたコメの放射能汚染をチェックする全量全袋検査をずっと続けている。うれしいことに2015年産米、16年産米とも放射能ゼロだった。原発事故後の12年産米が71袋、13年産が28袋、14年産が2袋だったことから見れば大きく安全度が高まった。検査自体は、サンプル調査ではなく全量全袋を行うもので、人体に内部被ばくがあるかどうかチェックするホールボディカウンター検査のコメ版検査、と言えるほど精度の高いもので、福島の人たちにとっては今や胸を張れるものだ、という。

福島県の農業者は風評が消えるまで
コメ検査を続けざるを得ないジレンマ

藻谷さんも対談の中で、そのコメ検査について「福島県の人たちにとって安全・安心の証明は、県内で生産した自分たちのコメをすべて全量全袋検査して結果を出すしかない。私も現場で検査を見たが、ひたすら全量全袋検査に汗を流す姿を見て、この人たちの必死な気持ちが伝わると同時に、安全性に関しては心配ない、と思った。あとは、福島県の人たちが風評をどう打ち消せるかだ」と述べた。
ところが開沼さんによると、風評被害に関しては、依然として、福島のコメは放射能で汚染の恐れがあり安全でないのでないか、という意識が根強い。福島県内でさえ安全データを示されても「気持ちが悪い」「本当に大丈夫なのか」と言って頑固に譲らないクレーマーのような人たちが県民の20%ほどいる。福島県外にはその風評がもっと強く、それによる福島産のブランド価値低下で経済的損失に歯止めがかからないのが問題だ、という。
開沼さんは「福島の農業者は辛い立場にある。今後のコメ検査で放射能ゼロが続いても、もし独自判断で検査を止めたら『なぜ勝手に止めるのだ』と言われかねない。風評が消えない限り、安全の証明のために検査を続けざるを得ないジレンマに陥る」と述べた。

開沼さん「情勢が動いており、
3.11を固定化せずポスト復興期課題に取り組め」

開沼さんの言動を見ていて、とても評価するのは、さすが社会学者らしく、原発事故による社会学的な影響調査を定点観測の形で辛抱強く続けながら、その調査結果を丹念に分析し今、何が課題かを探って世の中に対し問題提起していることだ。それだけに、今回の対談でも、現場分析を踏まえた言葉には説得力があった。
対談での開沼さんの問題提起を私なりに要約すると「3.11の災害、原発事故の影響などを固定化してはならない。福島の現場は時々刻々、変化している。ところが福島の自治体職員の間で問題対応に耐え切れず、自殺する人も増えてきた。原発事故で避難を余儀なくされた人たちのうち、高齢者らはコミュニケーション力に欠けるため、心的な病に陥るケースも増えた。ポスト復興期の新たな課題として取り組む問題が山積している」と。

日本のトップリーダーの対応次第で
「風化」に歯止めもかけ風評被害にも終止符可能

私が今回、安倍首相が東日本大震災追悼式で、東電福島原発事故そのものについて、明確な言葉で言及しなかったことを問題視したのは、首相自身が原発事故の風化を招きかねない状況を作り出してしまうことのこわさを強く訴えたかったからだ。福島の人たちは、宮城県などの人たちと違って地震・津波災害よりも、原発事故による避難で住み慣れた土地や家を失っただけでなく、放射能汚染によるリスクを抱え、それが今は風評被害、経済的損失という形で福島県全体に影響が及んでいる。それだけに風化は許されないのだ。
そればかりでない。中国など周辺諸国もこの問題に関しては頑なだ。福島産のコメが全量全袋検査で放射能ゼロを記録しても、福島産食品の輸入禁止措置を変えようとしない。それだけに、重ねてだが、日本のトップリーダーのしっかりとした原発事故対応、開沼さんが指摘するポスト復興期の課題への明確なメッセージが改めて、重要になってくる。
風化という言葉は、厳しい意味合いを持つ。自然災害の場合、樹木が朽ちたりするが、人間社会の場合、歳月が過ぎ去ると、記憶や意識が薄れて、下手をすると忘れ去られていくリスクがある。日本のトップリーダーの見識、指導力が問われる、と言いたい。

原発事故処理は終わっておらず、
国会事故調提言どおり独立の調査委の新設が必要

東電福島第1原発事故に関しては、以前のコラムで、私は事故の真相究明調査を行った立法府の国会事故調の事務局に参画し、事故調査を側面からサポートする立場にあったことを申し上げた。その国会事故調報告書をお読みいただいた方が多いと思うが、2012年7月に国会提出した報告書では、事故は、地震と津波によって引き起こされた自然災害ではないこと、津波を予測して事前に十分な対応ができたにもかかわらず対応を怠った「人災」であるとこと、とくに規制する側の原子力安全・保安院(当時)などが、規制を受ける側の東京電力など電力会社、電気事業連合会などに取り込まれ、本来の原子力規制の役割を果たせなかった「規制の虜(とりこ)」に陥った「人災」であると結論付けた。
しかし今後につながる問題として、私は、国会事故調が提案したとおり、改めて立法府が担保する独立の原発事故調査委員会をつくり、現在の原子力規制委員会だけでなく、原子力行政に直接・間接にかかわる経済産業省などの行政機関、電力会社の原発運営の監視を行うこと、原発事故が起きたことを想定しての政府の危機管理体制の見直し、それと東電原発事故時に最も欠落した多段階の原子力防災対策「五層の深層防護」の構築などが必要だと思っている。いま、これらの対応を独立の立場で行える組織がないのが大問題だ。

原発事故の責任の所在あいまいなまま、
事故処理費用が国民転嫁されるのは疑問

原発事故から7年目に入った今、事故現場の処理は終わっていない。それどころか廃炉に向けて、かなりの時間と労力が費やされる必要があり、今も6000人ほどの人たちがそれらの処理に携わっている。問題は、原発の事故処理、廃炉処理、さらに賠償などを含めた処理費用は、当初想定した額の2倍以上の21.5兆円に膨れ上がる見通しで、文字どおり気の遠くなる数字だ。1つの原発事故でこれだけの事故処理費用がかかっているのだ。今後、状況によってさらに膨れ上がる可能性が高い。
それどころかこの財源は、電力自由化のもとで新規参入した新電力にも負担が及び、結果的に一般の利用者が負担する電気料金に転嫁される状況も出てきた。信じがたいことだ。ところが、原発事故そのものの責任はいまだにはっきりしていない。その意味でも国会事故調が提案した新たな独立の原発事故調査委員会でしっかりとしたケリをつけるべきだと思う。その意味でも、風化は許されない。いかがだろうか。

日銀「インフレ目標」に実効性ある? 需要の新創出はやはり政府の役割

我が国の中央銀行である日銀が、デフレ脱却に向けての金融政策のカジ取りを一歩、強めた。2月14日の金融政策決定会合で、これまで頑なに拒んできた「インフレ目標」政策を事実上、導入したからだ。と言っても、「物価の番人」が代名詞でもある日銀が突然、宗旨替えしてインフレ政策にカジをぐいと切り替えたわけでない。
バブル崩壊後、20年間も続く物価の下落、所得の落ち込み、成長停滞など日本経済のデフレ状況から脱却するため、日銀は今回初めて、金融政策面でめざすべき物価の前年比上昇率を示すことにし、その目標値を1%メドにする、としたのだ。そして、日銀は、この目標実現に向け金融緩和政策を一層、強力に進める、と明言した。

頑なに拒んだ「インフレ目標」設定は
金融市場で大サプライズに

「頑なに」という言葉に、えっ?と思われる方もおられるかもしれないが、これがキーワードだ。日銀が政策変更を公表した2月14日昼、金融市場では「サプライズ」と受け止められ、動揺も加わってか為替レートや市場金利が大きく変動した。

その昔、今や死語に近い公定歩合という政策金利を、日銀が何の前触れもなく突然、政策変更の形で発表すると、その意外性によって、金融市場が大きく動き、政策効果をもたらす、ということがあった。

しかし、今や長いデフレのトンネルに入り、金利はゼロに張り付き、あとは非伝統的な金融政策と言われる量的な金融緩和をどこまで行うかだけ、という状況のもとでは、金融政策の効果も限られるはず。にもかかわらず、今回の日銀の政策決定については、米ウォール・ストリート・ジャーナル紙も「日銀が金融緩和で不意打ち」と報じたほどだ。

現場で聞く日銀総裁の
「デフレ脱却に向けた取り組み」講演は面白かった

そんな矢先、日銀の白川方明総裁が2月17日、日本記者クラブで、「デフレ脱却に向けた日銀の取り組み」に関して講演するというので、躊躇(ちゅうちょ)なく参加した。やはり現場は重要だ。日銀総裁のナマのメッセージ発信や政策変更の背景を聞くことができて、それなりに面白かった。日銀が今、何を考えているかがある程度、わかったからだ。

私のように、生涯現役の経済ジャーナリストを公言してフリーランスの現場取材活動にこだわっている人間にとっては、何としても、政策決定変更直後の日銀総裁の記者会見に参加したい。ところが、現在の記者クラブ制度のもとでは、日銀も、金融記者クラブもなぜかフリーランスのジャーナリストには門戸を制限して閉鎖的なのだ。すでにかなりの記者クラブが変わりつつあるのに、記者会見に主導権を持つ日銀自身までが流れに背を向けているのは何とも理解しがたい。その点、日本記者クラブはジャーナリストOBの立場で、参加は問題ないので参加できた。それを少しレポートしよう。

メドにした1%物価上昇が見通せるまで
ゼロ金利含め金融緩和を進める

白川日銀総裁は講演で、「家計や企業などが、物価水準の変動にまどわされることなく経済活動を安定的に行えることが大事で、日銀としては、金融政策運営にあたって、その安定した物価水準レベルを数字で表現することが必要になった」と、まず述べた。

そして、中長期的には日本の消費者物価の前年比上昇率は2%以下のプラスの領域にある、と日銀は判断しているが、「当面は1%の物価上昇率をメドにし、それが見通せるようになるまで、実質的なゼロ金利政策を続ける」という。これまでの金融緩和政策も物価安定をめざしてきたが、今回からは、物価上昇率の目標値を示し、それがある程度、実現できた、と判断されるまで、日銀は金融緩和政策を続ける、というところがミソだ。

同時に、日銀は、民間の社債や不動産投資信託(J-REIT)といったリスク性のある金融資産の買い入れ、さらに長期および短期の国債の買い入れを行う。このための基金の規模を10兆円増やし、総額65兆円にする、という。この基金規模は間違いなくケタ外れだが、日銀としては長期金利の低下によって先行きの金利上昇不安をなくし、また民間が保有する金融資産のリスクを取り除くことで、金融緩和効果を上げようというのだ。

白川総裁がこだわった物価上昇率実現めざす
「メド」と「インフレ目標」の違い

しかし、講演で聞きたかったポイントは、日銀が今回、金融政策面でめざすべき物価の前年比上昇率を初めて示し、その目標値を1%メドにする、としたが、私も含めて、ほとんどのメディアが「事実上のインフレ目標導入」とした。数値目標で事実上、「インフレ目標」と言っていいのに、なぜ日銀は「メド」という表現にこだわるのかが問題だ。

この点に関して、白川日銀総裁は講演で「イングランド銀行は『ターゲット』、欧州中央銀行は『定義』、米FRB(連邦準備制度理事会)は『ゴール』、日銀は『メド』と言葉が異なるが、めざす物価上昇率を数値で示す点では変わりない」、「今回、FRBが(1月に)採用したゴールを、論者によってはインフレーション・ターゲッティングと読んでいる。FRBの枠組みをそう呼ぶのであれば、日銀の方法もそれに近いと言える」と述べた。

日銀は「インフレ目標」にすると
金融政策が縛られるリスクを過度に警戒

しかし、その一方で、白川日銀総裁は「インフレ目標という言葉が、一定の物価上昇率と関係づけて機械的に金融政策を運営することと同義的に使われることが多い」「先行きの不確実性が大きいことを踏まえると、固定的なイメージの強い『目標』という表現を使わずに『メド』と位置付け、原則として1年ごとに見直すことが適当と考えた」という。

いずれも優れものの企業ばかりで、「わが社だけは勝ち残る、生き残る」と言いながら、激しい競争に巻き込まれている。
要は、おわかりだろうが、日銀としては、金融政策の自由度を残すためにはフレキシブルな「メド」の方がいい、縛られたくない、金融政策の独立性を確保したい、ということだ。過去に、頑なに拒んでいた理由はそこにある。

ただ、政治的な圧力も無縁でない。白川日銀総裁は講演できっぱりと否定したが、メディアの現場にいる友人ジャーナリストによれば、国会論議の場で、「日銀の金融政策がわかりにくい」と散々、批判されて窮地に立たされたことは事実。たまたま、兄貴分の米FRBまでがインフレ・ゴールを設けたことから、踏み切ったのかもしれない。

バブル崩壊後の20年で1%台の物価上昇率は
たったの3回、意外や難関?

ここで、言葉の遊びや背景探りをしていても仕方がない。問題は、今回の日銀の事実上のインフレ目標政策、それをバックアップする金融緩和措置で、1%メドの消費者物価の上昇が本当に実現するかどうかだ。

私は当初、控えめな数字目標だな、あくまでも目標なのだから、米FRBや欧州中央銀行のように2%の数字でもいいでのでないか、と思っていた。ところが経済ジャーナリストの不明を恥じるが、何と過去20年間で、バブル後遺症のあった1993年ごろに1%台、そして1997年の消費税率3%引き上げで消費者物価が押し上げられて1%台に、続いて2008年に1%台を記録しただけで、あとは長期デフレを示すかのように、上昇率がゼロかマイナスだった。要は、この20年間で消費者物価の上昇率が最も高い1%台の数字でたったの3回。この実現をめざして、これから挑戦するのだ。

「川上インフレ・川下デフレ」の現実も無視できず、
日銀はデフレ対応に傾斜

ところが、いま、実体経済の中では奇妙な現象が起きている。「川上インフレ・川下デフレ」現象だ。硬派の論客、多摩大学長の寺島実郎さんが指摘していることだが、原油、LNG(液化天然ガス)はじめ1次産品の国際商品市況は、中国の人口大国の経済成長に伴うエネルギー需要増、さらには投機マネーの買い漁りなどで価格が高騰し、その産品輸入にかかわる産業や企業にとってはインフレ圧力に苦しむ、他方で流通の流れでいう川中、さらに末端の川下の消費財関連の企業にとっては、そのしわ寄せを受ける一方で、ヘトヘトになるまでの低価格競争でデフレに苦しむ、言ってみれば価格の二重構造にある。

日銀の金融政策は、この川下部分を実体経済の現実とみて、政策対応しているが、欧米中央銀行の場合、デフレ脱却というよりも、金融システム不安回避のため超金融緩和だ。題は世界のマネーセンターの米国に流れ込んでいた投機マネーなどは、この超緩和マネーを巧みに活用し、今や新興国の経済成長、さらに1次産品の先物投資、その開発投資に向きを変え、それが川上インフレを助長している。言ってみれば、FRBが2014年末までゼロ金利を含む超金融緩和を続ける、と言ってしまったのだから、当然、こういった動きになる。日銀の金融政策と違う目線で欧米の金融政策を見ておかないと判断を誤る。

民間銀のリスク回避の融資姿勢や
バランスシート調整で金融緩和効果出ず

それよりも、本題の日銀の「インフレ目標」政策へのギアチェンジで、日本経済のデフレ脱却が一歩も二歩もぐいぐいと進むのかどうかだ。最近、金融緩和に伴うマネーが株式投資などに向かい、株価を押し上げにつながっているのは明るい材料だが、結論から先に申し上げれば、日銀の追加の金融緩和政策ではまだまだ実効性が期待できない。

理由ははっきりしている。野村総研主席研究員の友人エコノミスト、リカード・クーさんの持論でもあるバランスシート調整の問題が金融緩和に待ったをかけているのも1つ。これは企業、家計とも手元に流動性を確保するため、借金返済を優先的に進めることから、金融緩和しても資金需要が起きない、という現象だ。不良債権増加に伴う金融システム不安時のバランスシート調整とは現在、背景や状況が大きく異なるが、実体としては、投資などのための資金需要がなかなか出て来ず、金融緩和効果が出ない。

民間銀の国債投資運用は本末転倒だ、
国債バブルはじけたらどうする

そればかりでない。もっと大きいのは、メガバンクを含めて民間金融機関がリスクをとらず、不良債権化を恐れて、復興開発の資金融資はじめ、ベンチャー投資資金の融資などにも消極的なのも災いしている。バランスシート調整よりも、むしろ、こちらの貸し渋りが問題かもしれない。

挙句の果ては、これら金融機関は安全投資先ということで、相も変わらず長期国債に投資している。国債バブルがはじけたり、あるいはユーロ危機の余波で、比率は多くないにしても外国人投資家が日本の国債売りに走ったら、超保守的な日本のメガバンクは一斉に国債売りに転じるリスクが大きい。今回の日銀の追加緩和策で、10兆円の長期国債の追加買い入れ枠を支援したのも、その布石だったら、何とも悲しい。

政府は大胆な規制撤廃で民間マネー
誘い出すビジネスチャンスづくりを

それよりも、私はデフレ脱却のためには、国債増発してでも財政出動で臨め、という立場ではないが、金融政策に過大な負担を負わせるのではなく、政治は、あるいは政府は財政資金を使わずとも大胆な規制の撤廃や緩和、とくに一段の経済特区の推進などを行えという立場だ。

民間の大企業を中心に、行き場を見い出せず、だぶついている資金を引き出したり、あるいは積極投資に引っ張り出す大胆なプロジェクトを政府自ら打ち出していけばいいのだ。金融政策に過大な負担を強いるよりも、まずは政府がもっとかけ声だけの成長政策を計画で出すよりも実行だと思う。

中国は「強大国」誇示するなら環境重視を 地方政府や下級裁判所が住民に冷ややか

発表ものをこなすジャーナリズムではなく、現場からの独自発信こそ大事、という立ち位置に長年こだわってきた私は、メディアの調査報道に関しても当然、積極推進論者だ。そんな私が「これはすごい」と思ったのが、2月5日放映のNHKスペシャル「巨龍中国の大気汚染 超大国の苦悩~PM2.5 沈黙を破る人々」という調査報道番組だ。

NHKスペシャル「巨龍中国の大気汚染」は
3年間追跡した調査報道で、脱帽

 中国の環境汚染は、急ぎ過ぎた経済成長の反動で深刻さが加わり、中国国内のみならず今や日本を含めた周辺国に影響を及ぼしている。中国習近平政権が「強大国」を誇示するならば、対策のホコ先を変え環境大国をアピールする国にすべきだと思っている。そんな中で、NHKが、環境汚染対策に苦しむ超大国の現場を3年間にわたり「定点観測」の形で密着取材した。中国における外国メディアの取材は大きな制約を受けるだけに、脱帽だ。
 

今回の番組は、中国・武漢の大気汚染現場での住民の反公害運動に対して地方政府のとった汚染物質排出源の企業寄りの行政、また中央の環境保護部(日本では環境省にあたる政府機関)の現場窓口の対応、そして下級裁判所の住民提訴を半ば門前払いするやり方などを3年間にわたって、住民サイドに立って、いくつかの家族の動きを描いている。

急速な都市化による問題噴出する中国・武漢で
環境被害に苦しむ現場に密着

 武漢は、地方都市とはいえ1000万人の人口を擁する巨大都市。ここ数年、農村部からの大量の人口流入で急速に都市化が進んだ。それに伴い武漢市当局は、住宅建設など物的インフラ整備に努めるが、急増人口が吐き出すゴミ処理に追われ、対策が追い付かない。それをビジネスチャンスと見た中国企業が2008年に進出し巨大なゴミ処理工場を建設していったあたりから大気汚染などの問題が深刻化してきたと、その報道番組は伝える。
 

ゴミ処理会社が環境維持に必要な煙などの排出基準を守っていないことが最大の問題で、調査報道では、王成さんという24歳の息子を亡くした王さん一家が、医師から、ゴミ処理会社の煙に発がん性物質が混入し急性白血病死去の原因の可能性が強い、と言われる姿を描く。また任端さん一家は、5歳の息子のノドに腫瘍が見つかり医師からゴミ処理会社の大気汚染の影響でないか、と聞かされる姿を映し出す。任端さんは、不妊治療の結果に授かった息子のため我慢ならず、同じ被害にあった人たちと住民運動に立ち上がる。

2014年3月全人代で環境汚染との闘いを
新目標に加えたのに中央の威令届かず

 場面変わって、NHKスペシャルの映像は、2014年3月の全国人民代表大会で、習近平政権NO2の李克強首相が、経済成長と同時に貧困撲滅という政策目標に加えて、新たに環境汚染との闘いを目標に加える、と強い口調でアピールした姿を映し出す。政権は、これまで共産党幹部などの腐敗撲滅を全面に押し出してきたが、大気汚染にとどまらずさまざまな環境汚染にも対策を講じて社会不安が政治不安につながらないように躍起、ということなのだが、驚くことに北京中央の威令が武漢の地方政府に全く伝わっていないのだ。
 

調査報道では、武漢の地方政府は、任端さんらが訴えたゴミ処理会社の大気への排出物の情報公開要求に対して、「社会の安定を乱すので、情報公開などは認められない」と答える姿を映し出す。企業のゴミ処理工場も、住民の抗議デモに対して平然として対策もとらない。堪忍袋の緒が切れた任端さんらはらちが明かないと、北京の環境保護部に直訴に行くことを決め、行動に移した。ところが察知した武漢の地方政府の役人がスパイもどきに尾行する。気が付いて抗議したら、逆に開き直って「余計なことをするな」と恫喝する。

北京の環境保護部陳情窓口でノラリクラリ、
下級裁判所でも門残払いに住民が対策

 話はまだ続く。北京の環境保護部の陳情窓口で、任端さんらは窮状を訴え、違法操業しているので、対策の手を打ってほしいと懇願する。しかし窓口の担当者は、映像では声が聞こえてこないが、事務的処理で「やることはやっている。しかし陳情が多すぎて大変で処理しきれない」と言っているように見える。字幕に「年間100万件の陳情」と出る。
それよりも問題なのは、別の場面で映し出された武漢下級裁判所の対応だ。任端さんらは、ゴミ処理場を相手取って70万元(円換算1300万円)の賠償請求訴訟のアクションを起こすが、肝心の裁判所がのらりくらりの姿勢で受理せず、事実上の門前払いなのだ。
 

李克強首相が、2014年の全国人民代表大会で明確に環境汚染との闘いを目標に加える、と声高にアピールしたにもかかわらず、北京の環境保護部のみならず、武漢の地方政府もポーズだけなのだろうか。あるいは中国独特の「上に政策あれば、下に対策あり」がここでも続いているのだろうか。
NHKスペシャルは、武漢下級裁判所の門前払いの対応ぶりを報じたあと、中国政府が司法制度改革によって2015年4月から立件審査制から立件登録制に切り替え、すべての訴えを受理するように改正する、というニュースを伝えた。それでも疑心暗鬼の任端さんらは、新たな訴えを起こす。下級裁判所が受理しやすいように、損害賠償請求額を70万元からわずか7元の少額に変えたのだ。まずは受理させることが重要との判断からで、結果的に受理された。中国の裁判所現場は、中央の方針表明とは別に、まだこんな悲しい状況だ、ということを浮き彫りにしたが、任端さんらの運動はまだ続き問題解決していない。

松野さん「中国政府は一票否決制度などで
地方幹部の環境対応に厳しいはず」

 前回の中国ネット通販問題のコラムで最近の現場事情を聞いた友人の清華大学・野村総研中国研究センター理事兼副センター長の松野豊さんに再度、今回の問題に関連して、中央政府の威光が地方政府になぜ届かないのか、北京中央の共産党の力の低下なのか、といった点に関して聞いてみた。
 

松野さんは、「武漢の地方政府が、住民の環境汚染問題意識が高まった今、環境問題をないがしろにして成長だけを追い求めることはしていないはずだ。というのも、中国は、第11次5か年計画で地方政府幹部の仕事評価に関して『一票否決』原則、つまりGDPで目標値を上回る実績を残しても環境保護で目標達成できなければ地方トップの昇格人事を否決する制度導入して、重しになっているからだ」という。
松野さんは同時に「中国は、これまで(地方政府間で互いに)発展GDPで競争してきたので、地元の企業の抵抗に出合ったり、また環境行政の制度的な不備がまだまだあるため、解決に時間がかかっているのだと思う。ただ、中央政府は、社会不安につながる事案には極めて敏感だ。その点で環境問題が、中央政府にとってもまだ致命的な問題だとは認識されていない、とすれば残念だが、私の見るところ、これは少しやばいぞ、と感じてきたようには見える」と述べている。

中国は世界に胸を張る先端部分の環境法制を
作ったのは事実、問題は運用

 中国の環境問題対応、とくに省エネ問題取材で以前、訪問した際、中国の大学教授が興味深い話をしていたのを思い出す。中国は、後発国のため、立場上、先進国の環境法制などに関して学習研究して、先端部分の法制備を行っている。問題は、地方政府などの現場が現実との乖離が大きく対応しきれないことだ。ただ、その場合、外国から中国の環境行政を批判されたら「我が国は、世界に胸を張れる環境法整備を進めており、後ろ指をさされるいわれはない」と開き直れる。その面で法制度だけはしっかりしたものにすることは重要だ、というものだ。
 

しかし現在は、中国がGDPで世界第2位の国といったことにとどまらず、いろいろな意味でその存在が大きなインパクト、影響を与える状況になった。端的には、環境汚染に関しても、中国の水際で外国に流出もしくは影響を出さないように歯止めをかける、いわゆ国境措置を講じることが可能な問題は別にして、大気中を伝わって周辺国に影響を及ぼすPM2.5はじめ、急速に問題が増えている。このため、中国政府の本気度が試され、世界に向けて自慢できる環境法制に対応して厳しく実行を、という段階にきている。

杉本さん「三権分立になっていない、
地方下級裁判所と地方政府が癒着構造」

 今回のNHKスペシャルで問題になった武漢の下級裁判所の当初の門前払いの事例は、現実に被害が出ているだけに、驚きだったが、日本国内の中国環境問題ウオッチャーでつくる中国環境問題研究会の有力メンバーの1人、杉本勝則さんは「中国は、立法、行政、司法の形をとっているものの、残念ながら三権分立にはなっていない。民主集中制の社会主義国家で、憲法規定で他機関に影響されずに裁判を行えとなっていても、裁判官の独立もなく、とくに地方の下級裁判所が組織、財政面で地方政府に依存しているため、結果的に、今回の武漢のような問題が仮に起きて正式裁判になっても、地方政府や問題企業に有利に働くような判決、司法判断になりかねない。言ってみれば癒着構造だ」という。
 

その杉本さんは、中国の大学で講演などをするチャンスがたびたびあった際、日本の高度成長期に経済成長優先の経済風土の下で、企業が引き起こした公害問題に対して住民の訴えにメディアが、そして地方政治、自治体が呼応し、結果的の地元選出の国会議員が国会で問題視、霞が関の行政も公害対策に踏み出した事例を具体的に挙げ、日本の公害対応、環境汚染対応を学習材料に、あるいは教訓にしたらいいと強く述べた。しかもその際、杉本さんは先例となる英国ロンドンの大スモッグの都市公害対応も同時に教訓とすべきだ、と訴えた、という。

中国は日本の公害対策で学習しているが、
民主制度を導入する気はない?

 これに関しては、私も同じような問題意識を持っており、以前、中国を取材訪問した際、杉本さんのロンドンのスモッグ公害対応まで思いが至らなかったが、中国の取材先などで問題をぶつけたことがある。
この点に関してさきほどの清華大学・野村総研中国研究センターの松野さんは「日本のことは、彼らは間違いなく学習している。しかし中国は、国民がすべてを決める、という民主国家ではないので、日本や欧米のような民主制度を導入する気は全くない。彼らは、日本の制度を学習しているのではなく、『環境問題を社会的に解決する』ための科学的な手法を学ぼうとしているだけだ。中国のメディアも、環境問題を鋭く追及するが、それは国民に知らせる段階にとどめている。中国では、解決の主体はあくまでも共産党政府なのだ、ということを理解しないとダメだ」と述べている。
 

何とも難しい国だ。しかし、NHKスペシャルで調査報道した現実は、中国の武漢の一例で、他の地域では、問題噴出している。ある面で都市複合汚染だという状況が起きていると言っても言い過ぎでない。これが、中国国内におさまらず、周辺国や地域に及んでいる現実が問題になっているのだ。重ねて言いたいところだが、中国習近平政権が「大国」あるいは「強大国」を誇示するならば、対策のホコ先を変え環境大国をアピールする国にすべきだと思っている。いかがだろうか。

今やネット経済が減速中国を下支え? 通販やスマホ決済、タクシー配車サービス

経済は何が弾みでアクティブに動き出すのか、読めないことが多い。ところが、国有企業改革の遅れによる過剰生産・過剰在庫などで、経済成長の減速が避けられないとみられていた中国で、意外にもインターネットを活用したネット経済の動きが活発化し、サービス消費のGDP(国内総生産)寄与度が上がり、経済を下支えしている、というのだ。
要は、国有企業などの「旧経済」部門に代わって、パソコンやスマートフォン(スマホ)を活用した消費財のネット通信販売が急増、さらにスマホを介在させたタクシー配車サービス、町の屋台での飲食代金のスマホ決済など、ネット活用の「新経済」が台頭し実体経済に活気を与えている、という。生産主導から消費主導の経済に変わったのだろうか。

アリババのネット通販で「独身の日」に
わずか1日で1.9兆円の売買取引

メディア報道でご存知のことと思うが、中国ネット通販大手、アリババが2009年以来、毎年11月11日の「1」のつく日を「独身の日」と名付けてネット上で大々的に行っている特別安売りセールが、昨年2016年に、売買取引額が前年比32%増の1207億元、円換算で約1兆8900億円というケタ外れの金額となった。わずか1日でそれだけの消費購買力が若者にある、というところが何とも驚きだ。
そんな矢先、NHKが最近、特集番組NHKスペシャルで「巨龍中国14億人の消費革命~爆発的拡大!ネット通販」と題して、ネット経済社会の問題を取り上げた。ネット通販による売買額が2015年に円換算60兆円にのぼり、今や米国を抜いて世界一になったという。現場ルポを中心に見ごたえある企画で、一攫千金を夢見る若者たちが起業して、ネット上で通販サイトを立ち上げ通販ビジネスに取り組む生態を描いた。成功してプロジェクト強化に乗り出す若者のケース、逆に思惑が外れて通販用の商品在庫を山のように抱えた若者夫婦が資金手当てつかずで、廃業を余儀なくされるケースなどさまざまだった。

GPSにリンクのサービスインフラ整備で
ネット通販のサービスに魅力、が決め手?

そこで、ジャーナリストの好奇心で、私なりに中国の現場にいる友人たちとEメールで意見交換、また中国と往来を続ける日本国内の大学やシンクタンクの中国人の人たちにも中国ネット経済の状況を取材した。今回は、それらの話をもとに、「新経済」の現状と課題、また日本にとって学ぶものがあるとすれば何かをレポートしよう。
取材先の話をもとに、結論から先に申し上げれば、日本のコンビニなど小売り店舗で経験するサービスレベルの高さが中国では十分でないため、消費者がネット通販の出現で便利さに魅力を感じて飛びつき、ネット上の口コミで広がって爆発的に伸びたようだ。しかし注目すべき点は、それではなかった。ネット経済化で新たな社会インフラ、とくにGPS(グローバル・ポジショニング・システム、衛星による地球測位システム)と組み合わせたサービスインフラが急速に出来上がり、それを活用して、たとえば注文後の輸送が今どのレベルにあるか、いつごろ到着するかといったことが消費者に伝えられ、さらにオンライン上での商品クレーム対応などもシステム化されたことが大きい、という。

清華大・野村総研センター松野さん
「びっくりするほど快適、中国は変わりつつある」

事実、長年の友人の1人、清華大学・野村総研中国研究センター理事兼副センター長の松野豊さんはこう述べている。「中国のネット購買は本当に便利になった。タクシー配車サービス向けなどで開発されたGPSとリンクのサービスインフラが整い、消費者満足度を高めているのは事実だ。私自身、外に出ると寒い北京で食事の出前代行サービスを頼むと、数分の誤差で正確に届く。しかも決済もスマホなどネット決済で、以前に比べればびっくりするぐらいの快適サービスだ。中国は間違いなく変わりつつある」と。
同じく友人の富士通総研主席研究員の金堅敏さんも昨年7月、「ネット時代における中国の消費拡大の可能性」に関するレポートを出し、「中国情報産業省や中国インターネット情報センターなどの統計では2015年のスマホのユーザー数が9.1億人、インターネットユーザーが6.8億人にのぼりネット大国と言ってもいいほど。ITインフラの整備やインターネット普及に伴い情報関連消費の市場規模が急速に拡大している」と述べている。中国の場合、日本に比べて数字の単位が異なり、巨大人口の強み部分を生かして消費パワーになっていることは事実だ。

日本はネット通販が急に伸びてきたが、
宅配ビジネスは人手不足で対応しきれず

日本で最近、ショッキングな現実が明らかになった。宅配ビジネス最大手のヤマトホールディングスが人手不足でサービス対応が追い付かず、しかも大口顧客の荷物配送を割り引く競争に巻き込まれ連結営業利益が一時的に減益になった。中でも人手の確保が大変だというのだ。失業率が3.1%と安定している上に東京オリンピック・パラリンピックに向けての建設ニーズの高まりで人手不足が強まり、3.11被災現場のみならず宅配便現場にもしわ寄せがきている。とくに日本ではネット通販が急速に比重を高めてきたため、ヤマトホールディングス傘下のヤマト運輸では対応しきれなくなっている、という。
金堅敏さんに、日本と中国の物流ビジネス、とくにネット通販で人材確保の問題を聞いたら、人口過剰国だけに「日本と違って、中国は人手不足、人材不足が深刻にはなっていない。むしろ量的に不足する、というよりも、いま、中国ではネット通販の輸送サービスの質をいかに高めるかが問題になっている」と述べた。

中国で通販輸送が激化し違法サービスも、
政府は出稼ぎ者の雇用創出から静観

松野さんに別途、その点を聞いたら、興味深いことがわかった。限りなくタイムリーに注文品が消費者の手元に届くネット通販も、少し裏側を見ると、「競争の激しさで、事業者は電気自転車に簡易な荷台をつけた配送車を使い、早く届けるスピードを競う。それが交通渋滞や環境汚染を引き起こしている。これらの車は違法だし配送人の労務管理もずさんだと言っていい。ただ、ネット通販などの配送が農村からの出稼ぎ者の雇用創出につながっているので、中国政府も当面は静観という感じだ」と述べている。
中国共産党政府はこれまで、資本主義的な市場経済化のシステムを容認しながら、社会主義中国の基軸も崩さず、という2つのシステムの使い分けで巧みに経済成長をめざしてきた。問題は、このネット経済化が、もし社会不安や政治不安につながった場合、歯止めをかけるかどうかの点だけだ。

中国政府にとっては「旧経済」が停滞下で
メガベンチャーらの「新経済」に期待大?

中国NO2の李克強首相が共産党の何かの大会で、ネット通販を軸にしたインターネット社会の消費力を高く評価し、とくにネットベンチャーでの起業などに関して、政府は政策支援していくと述べたところをNHKスペシャルは放送で取り上げていた。年率6%台で「旧経済」部門の国有企業などの停滞ぶりを苦々しく見ている習近平共産党主席ら共産党中央にとっては、これら「新経済」に強い期待を持ったことは言うまでもない。中でもメガベンチャー企業かつグローバル企業となったアリババには感謝、また感謝なのだろう。
しかし、私が見るところ、アリババは、中国ではネットの新興ベンチャー企業で、共産党政権がネット社会の進展に警戒的だったころからブレークスルーする大胆な動きを次々に展開、日本の通信大手ソフトバンクとも連携し米ニューヨーク株式市場にいち早く上場して中国企業としてはめずらしいグローバル企業となったのは間違いない事実だ。
これに刺激を受けて中国ではネットベンチャー企業が次々に輩出し、今では世界の10大ネット企業にアリババ、バイドゥ、テンセントの中国3社が名を連ね中国では成長著しい3社の頭文字をとってBATと呼ばれるほどで、まさに「新経済」の担い手企業だ。

スマホ活用のタクシー配車ベンチャーの
滴滴出行は中国進出の米企業大手を買収

その点で面白い話がある。米国の配車アプリのベンチャー企業、ウーバーテクノロジーがタクシービジネスにくさびを打ちスマホなどネット活用で営業免許のない「白タク」やそのドライバーをお客と結び付けるビジネスで成功したら、中国でも滴滴出行というベンチャー企業が事業展開した。
ところが中国専門家の話では、中国の関係する7つの行政機関がすかさず規制に乗り出そうとしたが、タテ割りの組織の弊害で責任を押し付けあううち、ネットを通じて利用者の爆発的評価が高まり、最終的に共産党政府が合法化した。要は「新経済」の担い手を活かそうというわけだ。
この配車アプリビジネスの滴滴出行にも驚きがある。2016年8月に米ウーバーテクノロジーの中国事業を買収し中国国内でシェア90%のトップ企業になった。日本では、独占禁止法に抵触して、公正取引委員会から間違いなく「待った」がかかりのだろうが、中国では、国家か国益が先行するのか、そのM&Aは問題視されず現在に至っている。

中国政府は「新経済」起爆力で「旧経済」
下支えを期待、でも国有企業改革が課題

いずれにしても、中国は「旧経済」と「新経済」をうまくかみ合わせながら、「新経済」の起爆力で「旧経済」などを下支えする状況、と言っていい。金堅敏さんによると、この 「新経済」はネット通販などネット関連のものだけでなく、中国共産党政府は新技術、新ビジネスモデル、新組織などで構成された経済をすべて取り込んで「「新経済」と位置づけており、新エネルギー自動車、バイオエネルギー、新農業組織、ロボット応用の製造業などを含めている、という。
そうした中で、中国ウオッチャーの専門家によると、中国は2016年に「供給側構造改革」をスタートさせた。冒頭に申し上げた国有企業の過剰生産・過剰在庫の除去、生産コストの削減、不良債権など金融リスクの排除、貧困層への補助が改革のテーマで、これに合わせて国有企業の統廃合などリストラにも取り組んでいる。
しかしいずれも経済の活性化、景気浮揚にはすぐに結びつかない。そんな矢先にネット消費が新たな成長の起爆剤になるかもしれない、と中国政府や共産党中央も考え始めたのは間違いない。
ただ、繰り返しだが、「新経済」は中国にとって成長下支えの期待の星となるかもしれない。でも問題は、「旧経済」をどこまで改革できるかだ。事実、国有企業には既得権益にしがみつく共産党幹部が多く権力闘争もからんで行方は不透明。中国ウオッチャーとしてはまだまだチェックが必要だ。

10次産業化?で農業を成長経営に 秋田・齋藤さんが差別化戦略で成功

ビジネスチャンスは、常に、いろいろな場にあり、状況をしっかりと見据えてチャンスと見たら機敏に行動に移すかどうかで、すべてが決まってくる、と言っていい。三菱商事がかなり以前に「時はカネなり」というタイトルの本を出し、総合商社にとってのビジネスチャンスは時差を活かすことだ、とアピールして話題になったのをご記憶だろうか。ところが、今やインターネットの時代に、その時差は重要ファクターだが、むしろ時差を越えて、瞬時に対応するスピードがグローバルの時代には決め手となる。難しい時代だ。

さて今回は、いま申し上げた経営のスピード判断とは違った差別化戦略によってビジネスチャンスを活用し、秋田県の農業現場で経営成功した興味深い事例をレポートしよう。人口減少や積雪寒冷地といった地域が抱えるハンディキャップを克服するために付加価値化戦略を企業経営に積極的に取り入れ、農業を見事に成長産業化させた事例だ。実に頼もしい。秋田県由利本荘市の農事組合法人を株式会社化して経営展開する秋田ニューバイオファームがそれだが、優れものの創業リーダー、齋藤作圓さんの力によるところが大きい。

東京オリンピック時の出稼ぎ現場でのショックから
ヒント、他産地にない強みづくり

 結論から先に申し上げよう。斎藤さんの差別化戦略は、他地域にないユニークなものを見つけ出し付加価値をつけて生産販売すれば勝てる、ということ、要は、他産地にない強みづくりが決め手になることを自身の経験で体得し、経営に取り入れた点だ。
興味深いのは1964年の東京オリンピックのころ、斎藤さんが出稼ぎで東京汐留の旧国鉄の駅から秋田産農産物を築地などの卸売市場に運ぶ貨物輸送の仕事にかかわった際の体験がきっかけだ。斎藤さんによると、日本全国から築地卸売市場に集荷される膨大な量の農産物を見て、驚きが始まった。「ベスト品質だと思い込んでいた秋田産をはるかに上回る他産地のすごい農産物を目の当たりにして井の中の蛙だったと反省した」というのだ。
そこで、斎藤さんは他産地の優れものとの競争に勝つには端境期を狙って出荷する、つまり出荷時期を早めるか、あるいは逆に時期を大きくずらして、品薄時に高値を狙う時差を活かした差別化、もう1つは農産物に関して独自の付加価値商品をつくり出し、他産地にないユニークさ、味の良さなどを強みにする差別化のいずれかだ、と考えたという。

1次+2次+3次の6次産業化に観光農園を加え
バリューチェーン拡大し10次化

 斎藤さんはその後、自身で経営する秋田ニューバイオファームに付加価値化の経営を導入した。これがユニーク経営だった。具体的には、現代日本人が健康や香りのよさで強い関心を持つハーブ植物を多種多様にそろえ、美しい鳥海山を背景に、日本国内でも指折りと自慢できる観光農園にした。自然の豊かさを満喫するため、秋田に足を運ぼうという動機づくりのアピールだ。それを軸に他産地にない農産物の生産、加工も行い、それらを観光農園の直営店で販売するだけでなく、東京にも進出し「秋田のうまいたべもの」を売り物にするレストランで営業販売も行うビジネスモデルだ。
私のジャーナリスト感覚でいくと、斎藤さんのビジネスモデルは、農業の成功モデルと言われる6次産業化を越える10次産業化だ、と言っていい。早い話が、6次産業化は第1次産業の農業生産の川上にとどまらず、農産物を加工する第2次産業の川中、販売を行う第3次産業の川下につなげ、1次、2次、3次を足しても掛けても6次の産業化に、観光農園という第4次産業化を加えた新モデルが10次産業化だといえる。

齋藤さん「付加価値産業化は農業に重要」、
多種多様のハーブで指折りの観光農園

 何やら言葉の遊びのように聞こえるが、経営用語でいうバリューチェーン化を農業の現場でも実践したものだ。チェーン化を観光農業にまで拡げ、4次化を加えて10次産業化にしたビジネスモデルは興味深い。これまでの農業者に欠けていた発想だ。農業を成長産業にもっていくには、ここまでの戦略的な発想が必要だ、と私自身も思う。
斎藤さんは「付加価値産業化が農業にとって重要ポイントです。第1次段階で生産した農産物を加工して第2次段階で付加価値を、さらに第3次の外食店などの現場で味に磨きをかければ高値でも十分に売れる。これが既存の発想ですが、私はハーブをセールスポイントにした観光農園を加え、多くの人たちが半日、大自然を満喫できるよう工夫する発想が必要と思ったのです」と語る。出稼ぎ時代に得た差別化戦略の発想が生きている。

観光農園自体は、すでに全国各地にいくつかの先進モデル事例があるが、秋田ニューバイオファームの場合、現代日本人が好むハーブに関してケタ外れの多種多様の品種をそろえ、それを経営の強みにすること、しかも観光バスなどで1、2時間滞在といった形ではなく消費者や観光客の人たちに観光農園に来てもらって半日、ゆっくりと自然満喫でリラックスしたくつろぎ、癒しの時間を過ごしてもらうだけでなく、その場でイベントに参加、ハーブの温泉にも入ったりして非日常の時間を過ごしてもらうこと、そしてそれらの観光客に鮮度のいい農産物や加工品を味わってもらう発想だ。着眼点がいい。

積雪寒冷地ハンディ克服し出稼ぎ労働に
終止符打つため売れる農産加工品に努力

 斎藤さんに会って、いろいろ話を聞いていると、その差別化戦略は意外に奥が深い。話はこうだ。付加価値のある差別化商品づくりを意識したのは、1991年につくった農産加工事業部がはしりだ。当時、本社のある由利本荘市にとどまらず秋田県内は、冬場が積雪寒冷地で、屋外では仕事にならず出稼ぎに行くことが常態化していた。斎藤さんは、屋内で農産物加工に工夫を凝らし、売れる農産物加工品づくりに取り組めば、出稼ぎにおさらばできると考えた。その1つが「元祖秋田屋」ブランドのキリタンポだった、という。
キリタンポ自体は、秋田県内でコメ加工品として古くからあったが、当時、秋田県内の加工品業者は、県内どまり商品と考え、東京などに積極的な販路開拓していなかった。斎藤さんは敢えて秋田をイメージするブランド名にして、東京で初めて売り出したら当たったのだ。内向きの秋田県人のベクトルを外向きに変えたところが興味深い。

秋田県内にとどまっていたキリタンポに付加価値つけ、
首都圏での販売展開が成功

 斎藤さんによると、出稼ぎ時代に培った東京の卸売市場人脈ルートに働きかけたら、東京昭島にある卸売会社の社長が「スーパーマーケットで試験販売してみよう」と主だったスーパーに卸してくれた。当時、キリタンポの珍しさもあって初日だけでコメ10俵分に相当する量が売れ、それをきっかけにスーパーでの取引に弾みがついた。これに手ごたえを感じて一段と付加価値づくりに取り組んだ。
具体的には、斎藤さんはコメでつくり安全・安心ブランドを強くアピールするため、秋田の現場で、有機質肥料を使って合鴨農法のコメづくりに取り組んでいたが、JAS(日本農林規格)法の有機認定加工施設も得たのをきっかけに、キリタンポもそのコメでつくって売り出したら、信頼度が高まって売れた。極め付けは、秋田産の比内地鶏のスープなどをキリタンポと一緒にパッケージにして鍋物セットで売ったら、これまた売れた、という。要は、組み合わせ次第で付加価値がつき、モノが売れることがわかった、というのだ。

異業種分野に進出するにはライバル研究も怠らず、
そして「県外貨」をかせぐ発想

 斎藤さんは「付加価値産業化は農業の戦略的経営には必須だと実感しました。私たちの場合、地域資源を使って農業生産しており地域を大事にするのは当然ですが、地元だけの商売に限界があるため、農産加工品に付加価値をつけ、首都圏消費市場をターゲットに攻めの戦略で『県外貨』をかせぐことを意識しました」と述べる。そして差別化戦略に磨きをかけるため、付加価値化できる部分が何かを探し出すこと、異業種分野に参入する限りは徹底して異業種研究を行い、対策を講じることだった、という。何とも頼もしい。
こういった農業の戦略的経営の発想は、どこで培われたのかなと思って、いろいろ聞いてみたら、面白いことがわかった。齋藤さんは、農業企業の経営者の顔以外に、秋田県農協青年部委員長、また西目町議や統合後の由利本荘市議など政治家の時代もあったのだ。
齋藤さんによると、農協青年部時代は改革派で、当時から農協改革に強い問題意識を持ち、中でも農業経営の法人化ニーズが高まる時代に農協が農業法人化に背を向けるのはおかしいと反発した。そのこだわりもあって、斎藤さんはその後、1994年に秋田県農業法人協会を率先してつくり初代会長に就いた。さらに全国農業法人協会にもかかわった。
いずれも齋藤さんの心意気を示すものだが、斎藤さんに言わせると、個人商店のような自作農主体の農業に甘んじていてはダメだし、また農協も本来業務の営農指導や経営指導に力を注がず、もうけ主義の金融や共済事業に終始していてはダメだ、という。

バブル崩壊時は売上高ダウンでピンチ、
株式会社化で外部資金導入し経営変える

 また、市町村合併で統合になった由利本荘市の市議を含めて6期19年間、企業経営のかたわら地方政治にかかわった。農業現場の課題をアピールするため、たとえば農業の技術革新に財政支援を行う市農業条例を法制化したりした。ただ、高齢化が進み農業現場に担い手が不足する現実をみると、斎藤さんは、地方政治議員の活動よりも農業法人化ネットワークづくりがライフワークと考え活動をしぼることにした、という。
とはいえ、斎藤さんにとって経営が順風だったわけでない。「実は、年商が4億円まで伸びたころに突然のバブル崩壊で売上高が一挙に1億円ダウンし、私も大慌てでした。資金繰りに窮する状況でした。いろいろ考えた結果、農事組合法人だった秋田ニューバイオファームを株式会社化することにし、外部資金の導入、端的には地域の人たちから一口5万円で出資を仰ごうと考えたのです。バブル崩壊で地域社会もダウンしている時だったにもかかわらず資金支援があったのは、農産加工など地域を活性化する事業活動が評価された結果で、活動の取り組みは間違っていなかったと思いました」と語る。

戦略的思考で経営ビジネスモデルが
しっかりしていれば農業は成長産業化する

 斎藤さんは70歳代に入った今、秋田ニューバイオファームの経営に関してはいち早く世代交代を図って後輩に道を譲っている。「私たちの会社で掲げた経営理念は、農業生産や農業観光を通じて地域の活性化、健康産業として食文化を育むなどで、それらを着実に実践してきたと自負しています。ただ、私は、安全や安心に裏打ちされた健康社会づくり、心の文化の醸成などが重要なテーマになると考え、ハーブワールドを中心にいろいろなプロジェクトに取り組んでいます」と語っている。
面白いもので、多種多様なハーブを育成して日本国内でも指折りの観光農園化したことに加えて、ビジネスモデルがしっかりしていると評判を生み、斎藤さんは茨城県から委嘱を受けて、ハーブワールドで癒しや健康づくりの里のプロジェクトに取り組んでいる。
私はこれまでに、日本政策金融公庫の農業オピニオンリーダー向け雑誌「AFCフォーラム」の企画がらみで日本全国の改革意欲のある農業者に会って取材する機会が多いが、今回の斎藤さんは、時代の先を見据えて、農業の持つ強みをうまく戦略的に経営に活かして農業を成長産業にしていこう、という気概を感じさせる1人だ。こういった人たちがどんどん輩出すれば、日本農業は間違いなく成長産業になる、と断言できる。

リオパラリンピックは大感動! 東京大会に向け新社会づくりを

政治的にも経済的にも不安定な状況で当初、開催さえ危ぶまれていたブラジル・リオデジャネイロでのオリンピック、パラリンピックが、フタを開けてみれば、感動の数々で、見ていて素晴らしかった。とくに社会不安を背景にした暴動や混乱など大きなトラブルで大会中断、といったことに至らず、私自身はややオーバーに言えば、胸をなでおろした。
ブラジルの事前の政治、経済、社会の不安定な動きを見ていて、新興国でのオリンピック開催は今後、IOC(国際オリンピック委員会)でもリスクが大きければ、当事国の政治的な思惑を無視して、メンツなど関係なしに中止判断すべきだ、と思っていたからだ。
そればかりでない。イタリアのローマ市長が最近、1960年代のオリンピック時の借金返済が終わっていない中で、2024年夏季オリンピック招致に手を挙げるのを断念、と表明したのを見て、私は、今回のブラジルに重ね合わせ、ブラジルもオリンピックの収支決算をしてみたら、イタリアと同様、借金返済で苦しむのかな、と。それを考えると国威発揚、景気浮揚などの思惑がからむ国際的なスポーツ行事とはいえ、今後は、財政負担を最小限にとどめ、簡素でコンパクトな大会といった新たな仕組みづくりに考え方を変えない限り、オリンピック開催そのものに赤信号の国々が次々と出てくるな、と思った。

1964年大会以来の金メダルゼロにこだわるな、
人にやさしくバリアフリーの社会を

 さて、今回のコラムは、いま申し上げた問題とも微妙にからむが、パラリンピックの問題をきっかけに障がい者らをしっかり受け止める大会運営、社会システムづくりが今後の日本社会を見据えた場合、意外に重要なことではないか、ということを書いてみたい。
まず、リオデジャネイロ・パラリンピック競技結果の位置づけだ。日本チームが、健常者の人たちによるオリンピックでの金メダル12個を含む史上最多の41個のメダルの獲得数に比べて、1964年の東京オリンピック以来続いていた金メダル獲得ゼロに終わったことを残念がるムードがいまだに根強い。一部メディア報道では、2020年の東京大会を意識してか、日本の強化遅れなどを問題視し早急な対策を、といった指摘があった。
もちろん国際競技なので、金メダル獲得は励みになる。しかし今回のパラリンピック競技での日本選手たちの必死のがんばりが感動を与えたことで十分だ、と思う。むしろ、そのことにこだわるよりも、2020年東京オリンピック、パラリンピックに向け、オリンピックのコンパクト化、今後の世界の潮流となる高齢社会、成熟社会にリンクした人にやさしい社会づくり、ハンディある人たちが笑顔で動き回れるバリアフリー社会の先進モデル事例づくりについて、日本が率先してチャレンジすべきだ、ということを訴えたい。

パラリンピック水泳日本代表監督の峰村さんに
日本社会変えるヒントを聞いた

 そこで、本題だ。現場取材にこだわる私も、さすがにリオデジャネイロにまでは行けなかったが、今回の水泳日本代表監督を務めた峰村史世(ふみよ)さんに帰国後の忙しい中で、いろいろ聞くチャンスがあったので、それをお伝えしたい。テーマは、私たちが観客目線でパラリンピックを見ているのと違い、競技現場での選手たちはどんな取り組みだったのか、障がいを抱えたアスリートたちの指導でどんなことにエネルギーを費やしたのか、また私の関心事であるパラリンピックを通じて、日本社会を変えるヒントは何かなどだ。
実は、峰村さんは、私の学生時代の親友の娘さんで、よく知っている。小さい時から水泳に強い関心を持ってチャレンジしただけでなく、大学卒業後、日本海外青年協力隊のボランティアを志願して、マレーシアで自身の特技を生かし障がい者の水泳指導を行った実績があること、さらにその後もパラリンピック水泳日本代表コーチ、ヘッドコーチなどを経て障がい者の水泳指導にあたり、今回、その実績評価で水泳日本代表監督に選ばれた。シンクロナイズドスイミング日本代表チームコーチの井村雅代さんのような強烈な個性はないが、その指導力には定評がある、という。

峰村さん「リオ大会結果数字にくやしさ残るが、
選手はやることやって満足のはず」

 私がインタビュー冒頭、日本水泳チームのエース、全盲の木村敬一選手が競泳男子50メートル自由形(視覚障害S11)での銀メダルを含め4つもメダルをとったのをはじめ男子、女子とも大健闘したので、指導する立場の監督としては十分満足できるのでないか、と聞いたら、峰村さんは「ロンドンオリンピック時は金メダルを含め8つのメダルをとっており、ロンドンを超えるのだ、という目標をたてていました。しかし結果は銀2つ、銅5つの7つでしたので、監督としては、シビアに受け止めざるを得ません」とくやしがった。
ただ、峰村さんは同時に「スポーツ競技は勝負の世界なので、結果がすべてとなりかねません。その点で木村選手、2度のパラリンピック欠場にもかかわらず現場復帰でチャレンジした成田さんら選手全員はせいいっぱいやった結果ですので、悔しさは残るとはいえ、やることはやったという満足感はあるはずです。私も、監督として自身には課題を残しましたが、選手の全力の取り組みには満足しています」と述べていたのが印象的だった。

メディアが新聞スポーツ面でしっかり報道したことも
パラリンピックの地位向上に貢献

 それよりも、峰村さんの話を聞いていて、こちらもうれしくなったのは、日本のメディアが今回のパラリンピック報道に関して、今までのような新聞の社会面で障がいを克服した選手のドラマを美化して取り上げる、といったワンパターンのやり方から一転、スポーツ面で他のスポーツと同様、選手たちの苦闘ぶり、あと一歩でメダルを逃した状況などを克明に取り上げたこと、それに何よりも取材する記者たちが、健常者のルールとは異なるパラリンピックのルール、端的には肢体不自由、切断、脊髄損傷などの障がいの重度、軽度の違いで10クラスに分かれること、視覚障害は3クラスに分かれることなどに関して必死に勉強し、それを踏まえた正確な報道に努めようとしたことなどだ、という。
確かに、日本身体障がい者水泳連盟によると、たとえば「SB7 選手名 Y,A,7」という場合、Sはスイム(水泳)、Bはブレスト(平泳ぎ)、7は10段階の重度クラス、Yはスタート時にひもを口にくわえてのスタート、Aは介助者をつけていいなどを表す。
峰村さんによると、水泳選手は陸上での選手の義足、車いすなどの補助手段がない半面、選手自身の障がい度合に応じてクラス付けがあり、しかも障がいで残された身体の残存能力で技能を競う。このルールを知っていないと、取材は中途半端なものに終わり、世の中をミスリードしかねない。その意味で、今回のパラリンピックではメディアの記者自身が学習して正確な報道に努めようとしていたのはうれしかった、という。とてもいい話だ。

「障がい者抱える家族らがもっとオープンになり
社会全体で共生、共助を」と峰村さん

 峰村さんの話で、興味深かったのは、パラリンピックを通じて、障がいを抱えている人たちを社会全体でどう受け入れていくか、という点だ。それによると、日本は今でこそ開かれた社会になりつつあるが、まだ、障がい者、ハンディキャップを持つ人たちを家族が隠そうとしたり、表面に出そうとしない面がある。今回のパラリンピックに出たアスリートたちは周囲のバックアップ、本人の自助努力でプラスに作用しているが、そこにたどりつけず悶々としているケースがまだまだあるのが残念だ、という。
ところが峰村さんがボランティア経験したマレーシア、また欧米の国々によっては自己責任、自助努力を優先し、それに見合った社会インフラづくりをしている。とくにマレーシアの場合、自分で責任を持つならば、施設の活用もどうぞ、という。そして、国よっては、小さい時から不幸にも障がいを抱えていても、すべてオープンにして、子供たちに生きがいの目標の1つとしてパラリンピックに出場できるような選手をめざせ、といった形で育てるケースもある。早い話、社会全体が共助、共生の枠組みができているわけだ。

障がい者スポーツ施設は不十分、
一般公共施設管理者は損傷、事故恐れて締め出し

 あるスポーツ関係者に以前聞いた話では、障がい者スポーツセンターは、まだ全国の都道府県すべてに完備されていないのが現実だ。その分を一般向け公共施設が手を差しのべるべきだが、施設管理者が、障がい者の施設利用を受け入れて車いすなどで床に傷を含めて損傷が生じた際のリスク、さらに段差のある場所で転倒してけがをした際のリスクを考え責任をとりたくないため、丁重に断り事実上の締め出しを行っている、という。
この点に関連する話として、日本パラリンピック委員会の鳥原光憲委員長(東京ガス元社長)が今年9月20日の産経新聞座談会で日本を元気にするメッセージを送っている。ちょっと紹介させていただくと、「パラリンピック精神は、失ったものを教えるな、残された機能を最大限、生かそうという精神です。(中略)たとえば車いすバスケットボールでは下半身や腹筋が使えなくても、上半身や腕を鍛えて驚異的なシュート力をつけています。限界への挑戦が大事です」、「障がい者スポーツの普及は、高齢者のためにもなります。障がい者だけでスポーツをするのではなく、同じスポーツを高齢者が障がい者と一緒に楽しむようにすれば、高齢者自身の毎日の生き方も変わってきます」と。

相模原市での障がい者施設殺傷事件のような
卑劣な殺人者を出さない社会づくり

 そういった意味で、神奈川県相模原市の障がい者施設での殺傷事件は、犯人の男が、ハンディキャップを負った障がい者、とくに高齢者を社会の邪魔者扱いにしたばかりか、自身の思い上がりによって殺傷することで「社会的に淘汰するのだ」という卑劣な行為に走ったケースで、断じて許すべきでない。
この事件は、今後の社会の在り方を考えた場合、数多くの教訓を残した。私の見るところ、肝心の被害者の方々の氏名などに関しては、公表を避け、オープンにしない、という状況をつくってしまったことは気になった。家族の人たちの立場、個人情報保護も重要だが、障がい者の存在を、とくに身内の存在を隠したがる状況が続くと、すべてが閉鎖的なものになって、問題解決から遠ざかってしまう。 今回のパラリンピックでさまざまな障がい事例がオープンになったばかりか、どの選手も必死で取り組み、ベストを尽くしたあとの笑顔が日本の多くの人を元気にしてくれたことは1つのヒントだ。その意味でもオープン社会にして、みんなで共生、共助できる社会づくりに向かう必要があるのでないだろうか。

十コンパクト、省エネにとどまらず人にやさしい、
バリアフリーの東京大会めざせ

 その点で、パラリンピック開催中の9月9日付けの日経新聞記事で、ソニーコンピューターサイエンス研究所の遠藤謙さんが2014年5月に「XIBORG」という競技用義足をつくるベンチャー企業を設立し、元陸上日本代表の為末大さんらと開発に取り組んでいる、という話を知り、日本も捨てたもんじゃないな、と思った。
最後に重ねて申し上げたい。私は、2020年の東京オリンピック、パラリンピックに向けて日本がめざすべき道は、財政負担が必要最小限にという意味でのコンパクト化にとどまらず、むしろ華美や虚飾、豪華絢爛などに走らず、省エネ社会、機能的社会、コンパクト社会などのキーワードを持つ社会のもとでの新タイプの大会をめざせと言いたい。その中で障がい者が生き生きと競技に熱中するパラリンピックで、しかも人にやさしい、バリアフリーのパラリンピックが理想だ。峰村さんも「世界にとって参考になる、日本の身の丈に合った大会を期待します」とインタビューの締めくくり部分で語っていた。