時代刺激人 Vol. 128
牧野 義司まきの よしじ
1943年大阪府生まれ。
経済デフレの「失われた20年」にあえぐ日本を震撼させた東日本大災害からまもなく3週間がたつ。自宅も家族も失って茫然自失の被災者の人たちが、突然の非日常から次第に辛く、長い過酷な日常化した時間の世界に入って来ると、心的な疲れも出てくるので、そのご苦労ぶりには改めて心が痛む。その一方で、新たな厳しい事態が次々に出てきて不安が増幅される東京電力福島第1原発の深刻な事故を見ていると、決死の覚悟で復旧に取り組む最先端の現場の人たちのご苦労にも頭が下がるが、制御不能といった最悪の事態だけは回避を、と思わず念じる気持ちだ。
今回は、言論っていうのは、何もメディアの独占物ではない。今のように日本が国難の時にこそ、メディアの論調、報道姿勢に注文をつけたり、批判するばかりでなく、みんなが談論風発でもって積極的に日本という国の再出発、新たな立て直しを議論すべきだ、言論は国民全体のものだ、ということを述べてみたい。談論風発は、文字どおり意気盛んに議論をすることだ。今こそ、多くの人が海外も注目する日本再生に向けた取り組みをめぐって知恵を出し合うべきでないだろうか。
「AERA」誌の恐怖あおる表紙は大問題、三流雑誌ならいざしらず見識問われる
そんな折に、同じジャーナリストとして最近、とてもがっかりしたのは、朝日新聞出版が発行する週刊誌「AERA(アエラ)」3月28日号が表紙に「放射能が来る」とのセンセーショナルな見出しコピーだけでなく、恐怖をあおるような写真も載せたことだ。案の定、多くの人から「メディア自身が風評被害をもたらすのか」といった抗議が来たためか、朝日新聞出版はおわびを出した。しかし、その雑誌に随筆連載の劇作家・演出家の野田秀樹さんは納得せず、抗議の意味で、随筆連載を止めると発表した。確かに、三流雑誌ならいざしらず、歴史のある雑誌だけに、編集者らの見識が問われる1件だ。
「なんだ、メディアは言論の砦だとか、反権力だと言っておきながら、やっていることは商業ジャーナリズムでないか。センセーショナル、刺激的なものにして雑誌が売れればいいのか。単なるパニック製造機ではないのか」と言われたら、いったいどうするのか。そう批判されも抗弁できないのでないだろうか、と思う。本当に残念だ。
「メディアウオッチ」は新聞記者OBが現役メディアの報道分析や評価を呼びかけ
こんな話を持ち出したのは、新聞記者OBを中心に最近、メディアのみならず大学、シンクタンク、企業、行政の現場にいる人たちなどに呼び掛けて「メディアウオッチ100人の会」を立ち上げ、メディアをチェック・分析・評価するニュージャーナリズム、新たな言論の場をつくろうという動きがあったからだ。私は、「面白い」と思い、即座にメンバー登録した。4月からスタートで、いま数回「メディアウオッチ」試行版を出している。
発足の会合では朝日新聞OBの田岡俊次さんが「第1線記者の取材力の衰退はすさまじい。単にOB同士で、それを嘆いているだけではダメだ。このニュースチェックやウオッチは現役の記者や編集デスク、編集局長ら幹部にこそ、読んでもらい、考えてもらうものにしなければならない」と述べた。私も冒頭に申し上げたように「言論はメディアの独占物ではない。このメディアウオッチもOBの現役不満をぶつける場にするのでなく、メディア以外の人たちの参加を仰ぎ、議論交流の場にすべきだ」と問題提起した。
私は原発事故で機能不全の原子力安全委を追及しないメディア姿勢を問題視
私がメディアウオッチ試行版で書いたものを1つ、見ていただきたい。「なぜ今ごろ原子力安全委員会が顔を出す? メディアの追及も鈍過ぎる」という見出しで、「東電福島第1原発事故で、連日のように問題個所が出てきているのに、原発安全性問題での政府のお目付け役であるはずの原子力安全委員会の問題指摘がなく、班目春樹委員長も事故から12日たった3月23日夜に初めて記者会見に応じる異常ぶりだった」と指摘した。
そのあとで「主要メディアでは読売新聞が翌日24日付の朝刊で『処理能力を越えた、と班目委員長が反省の弁』と批判記事を書いたのが目立っただけ。朝日新聞は25日付朝刊で『安全委は国民の前に立て』とやんわり批判、毎日新聞は27日付朝刊の社説で『安全委、情報伝達もっと積極的に』程度だ」と述べた。
そして、最後に「原発の安全管理の責任を負っているはずの原子力安全委がなぜ機能しないのかと疑問に思う。班目委員長は『菅直人首相への説明に追われた』との発言で、国民目線がない。それに、情報発信の場である安全委のネット上のホームページも目を覆うひどさだ。メディアはもっと切っ先鋭く問題追及すべきだ」と書いた。
政府スポークスマン会見が「非常事」理由にフリー記者排除おかしいとの指摘鋭い
もう1つ、同じ「メディアウオッチ」での指摘を紹介しよう。北海道新聞OBの上出義樹さんが書いた「大地震で露呈した首相官邸記者会見の閉鎖性」の問題だ。民主党政権になって、外務省など行政官庁の記者会見は、オープン化という形でフリーランスの記者やネットメディアの記者に開放していた。その後、首相官邸で行われる政府スポークスマン、内閣官房長官の会見も、毎週金曜日の夕方の会見だけOKと部分ながらオープンした。
ところが、上出さんによると、首相官邸は、何と東日本大災害による非常事を理由に、急に、首相官邸記者クラブの登録メンバー以外はすべてシャットアウトした。こういった時にこそ、ネットメディアなどを通じて、国民にいち早く伝えることが必要なのに、政府自身が閉ざしてしまうのは本末転倒だ。上出さんの問題指摘は極めて重要なことだ。
外国メディアの日本発発信に問題多いと首相官邸会見に急ぎ一元化も対応遅い
このメディア対応で言えば、外国メディアへの情報発信も同じだ。政府は、外国メディアが日本発で発信する大災害、原発事故のニュースには過大もしくは誤まって報道されているものが多く問題だ、との批判にあわてて対応方針を変更したのだ。それまで外務省まかせだった海外メディア向け情報発信に関して、3月21日から、国内向けメディア対応と連動して、首相官邸での会見に一元化したのだ。日本国内のネットメディアやフリーランスの記者らへの対応も、その後、変わりつつあるが、これらは政府のリスクマネージメントにもかかわる問題で、メディアウオッチなどでしっかりと問題指摘も必要だ。
メディアウオッチに関心を持っていただけるなら「メディア評価研究会」(電話&FAX 03-5261-3514)Mail;mediawatch100@nifty.com にご連絡願いたい。
さて、言論の担い手とも言えるメディアに、言論を独占させないで大いに議論交流を、と申し上げたが、最近、新聞で投稿の形で書かれていたコラムのうち、まだにメディアにとって欠けている視点だと思ったものを、ここでお伝えしたい。
哲学者・内山さんの「システム依存からの脱却」という問題提起はメディアのテーマ
その1つが、東京新聞3月27日付朝刊「時代を読む」で、立教大学大学院教授の哲学者、内山節さんが描いた「システム依存からの脱却」という問題提起だ。今回の東日本大災害をきっかけに議論すべきポイントだ。ぜひ、引用させていただこう。
内山さんはこう述べている。「私たちは、さまざまなシステムに依存して暮らしている。電気をはじめとするエネルギーの供給システムも、その1つだし、携帯電話やインターネットなどの情報通信システムにも依存している。(中略)そのシステムは何らかの想定の範囲内で維持が可能なように、設計されている。原子力発電もその1つであった。これ以上の地震は発生しないという想定にたってシステムは設計されていた」
「ところが今回の大災害も含めて、この数年に世界で起こっていることは、システムの前提の想定が、人間の思い込みにすぎなかったという事実の暴露であった。想定と現実が合わなくなったとき、市場システムも、年金・社会保障システムも、混乱を見せ始めた」
「システム崩壊時に助けになるのは人間の支え合い、その社会を創造を」と主張
「ところが、今回の災害時にも示されたように、想定外の事態がおこり、システムが崩壊したときに助けになるのは、人々の冷静な行動であり、支え合おうとする人々の意志と働きなのである」
内山さんはこういった問題意識をもとに「想定にもとづいてつくられたシステムは、想定外の事態がおきた瞬間に崩壊する。それに対して、支え合い結びあう人間たちの働きは、どんな事態でも力を発揮する」「とすると、未来は、どんな方向に向かうべきなのか。それはシステムに依存し過ぎた社会からの脱却だろう。私たちに求められているのは、人間の結びあいが基盤になるような社会の創造である」と。
哲学者の内山さんの指摘だけに、う~ん、なるほどと思わずうなずく部分が多い。人間の結びあいが基盤になるような社会をどう作り上げるか、ということは意外に重要なことだ。ただ、現実問題として、今回の大災害をきっかけに、内山さんが描く社会を含め、どういった新しい社会システムをつくるかが大きな焦点になる。
ライフスタイルや社会システムをどう変えるか、本気で議論交流が大事
東電の供給力ダウンを踏まえて、電気の需給バランスを維持するため、計画停電が実施されたが、東電は当初から、想定もしていなかったため、制度設計が出来ていなかったのか、首都圏で大混乱をもたらした。しかし、首都圏の私鉄の運行システム、オフィス街や繁華街の節電システムなど、慣れて来ると、次第に、そう不自由を感じず、それに見合った対応を考え出す。私などは個人的には、1970年代の石油ショック時の総需要抑制時代を経験しているので、特に違和感がない。
そうすると、日本のような国は成熟社会ながら、与件構造の変化、つまり与えられた条件が大きく変化し、電力を含めたエネルギー供給が潤沢になどということはあり得ない、という状況の下で、新事態に対応して、われわれ日本人のライフスタイルをどう変えるか、社会システムもどう変えるか、といったことも考えるべきだ、というふうに私自身も思う。こういった問題提起なども当然、メディアの責務だと思う。
内閣参与の松本さんは被災地を国が買い上げ、住民は山間部に移住をと提言
内閣官房参与になった評論家の松本健一氏が3月28日、菅直人首相と大災害復興策で会った際、大津波ですべてを流された被災地の人たちには、海岸から離れた山の中腹に住んでもらい、そこから漁港に通うなど、津波リスクを最小限に回避するために、山間部に集団移住してもらうこと、そして流された被災地の全部の地域を国が一括で買い上げて、新たな町づくりを行う、という提案を行った、とメディアが一斉に報じている。
私もこれに似た考えを126回コラムで問題提起したが、復興とか復旧という発想でなく、全く新しい東北をつくるように、被災地を大経済特区にし、そのために国が厳しい財政状況ながら、新モデル地区に取り組む構想の具体化が重要だ。
言論はメディアの独占物でないことは、すでに申し上げたが、メディアウオッチに限らず、いろいろな議論交流の場をつくり、多くの人が、日本再生に関する談論風発することが大事だ。
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