「ノーベル平和賞を取りたい」 企業サポートで世界平和を

イスラエルは怖い国?「間違っています」

米トランプ大統領がエルサレムを首都にすると宣言し、再びパレスチナとの紛争が激しくなっているイスラエル。紛争国というイメージが日本では強い。だがサムライインキュべート(SI)代表取締役の榊原健太郎氏は「日本人の思い込みは間違っている。人口800万人の国だが、革新的な技術を持つ起業家たちがひしめき合っている」と言う。近年、イスラエルは先端技術が生まれ、資金が集まる米シリコンバレーのような場所として注目されている。これまで戦争が絶えず、軍事技術の開発に力を入れてきた。インターネット技術はもともと軍事技術だったものが民間に転用されて、新しい産業を生みだした。同じようにイスラエルが開発した軍事技術、つまり情報セキュリティ、AI、センサー技術、バイオ技術などから新しい産業の芽が出始めているのだ。SIは2014年5月、イスラエルのテルアビブに拠点をつくった。日本の大企業やベンチャー企業とイスラエルの起業家との連携を進め、日本の産業にイノベーションを起こそうとしている。

「日本のべンチャーがグーグルやフェースブックのように大きくなっていくにはイスラエルとの連携は一つの選択肢です」。

榊原はこう考えている。
世界各国がしのぎを削る米シリコンバレーで日本人の存在感を高めるのは容易でない。だがナチス・ドイツの迫害から逃れようとした多くのユダヤ人にビザを発給し、避難民として救った外交官、杉原千畝はイスラエルでは今も尊敬される存在だ。親日派も多い。榊原氏にとってイスラエルとのパイプを太くするのは日本のベンチャーを育てるには合理的な選択肢なのだ。SIがイスラエルに進出した年に、拠点を置いていた日本企業は5社に過ぎなかった。進出から4年近く経った今では大手電機、精密機械、IT企業など約60社がR&Dセンターを置く。欧米や中国、韓国の企業のイスラエルへの出ぶりに比べ、まだ少ないが、短期間で様変わりした。榊原氏の起業支援の活動は常に時代の一歩先を歩んできた。

自分の経験を生かし
起業家支援に

大学を卒業し、医療機器メーカーやITベンチャー企業などで働き、SIを創業したのは08年。当時、起業したものの営業や事業運営のノウハウがなく事業拡大に苦労しているベンチャー企業を多く見た。

「ベンチャー企業なとどで苦労した自分の経験を、課題を抱えて困っている起業家たちへの支援に生かしたい」

会社を設立した時の思いだった。
09年、東京メトロの小竹向原駅近くの一軒家を借りて、「サムライハウス」という起業家らが共同で使うコーワーキングスペースをつくった。起業家を支援し始めると「安い仕事場が必要だ」という声が聞こえてきたからだ。榊原氏は振り返る。「シェアリングという言葉もなかった。賃貸物件をまた貸しすることはほとんどの物件で断られた。ようやく見つけたのが小竹向原の一軒家。恐らく日本で最初の共同生活ができる起業家向けのコーワーキングスペースでした」。まるで、漫画家の手塚治虫や石森章太郎が共同生活をして、腕を磨いた「トキワ荘」のような存在だった。
10年ごろには学生の起業家にも投資をし、支援した。当時は「学生の人生を狂わせるのではないか」と批判も受けたこともある。だが、今では学生を対象とした起業支援を積極的に進める大学も現れた。
今の日本の起業を取り巻く状況は榊原氏がSIを設立した10年前に比べ大きく変わってきた。

企業環境は10年間で様変わり 資金調達も社会の見方も

SI設立直後の09年ころ、榊原氏が投資するのは1社に500万円ほどで、1〜2年後に企業価値が2倍ほどになればいい方だったという。ところが最近は、政府のベンチャー育成策やベンチャーキャピタルの増加で起業家にお金が流れ込み始めた。ベンチャー業界を見回すと、最初に1億円規模のお金を出資し、1年後には企業価値が10億円になることも珍しくない。榊原氏は「ベンチャー企業にお金が集まらない時代もあったが、今はとても資金調達しやすくなった」と言う。
開業率はリーマンショックが起きた08年の4.5%を底に上向き始め、15年に23年ぶりに5%を超え、5.2%となった。
未上場ベンチャーの資金調達額もリーマンショック後の09年〜13年は600億〜800億円程度で推移したが、その後は徐々に増え、16年は2000億円を突破した。ようやく起業にも追い風が吹き始めた。
起業をしたり、スタートアップ企業への就職をしたりすることにも抵抗感がすくなくなった。
榊原氏は「起業して失敗したとしても大企業が新規事業担当者として採用してくれることもある。SIにインターンに来ている学生の就職先は外資系投資銀行などから引く手あまただ」と話す。
起業をしたり、その周辺で働いたりしたことが評価される時代になったのだ。

日本はASEANを軸に外交戦略を 「アジアの世紀」と積極連携が必要

今年最後の締めくくりコラムで、ぜひ取り上げたいことがある。日本がASEAN(東南アジア諸国連合)との本格的な戦略連携に取り組め、という問題提起だ。
最近、私は、念願だった「陸のASEAN」と言われるタイ、カンボジア、ベトナム、ミャンマーのメコン経済圏諸国に加え、シンガポールを現場取材したが、その体験をもとに、日本は「アジアの世紀」に一歩も二歩も踏み込んで、中核のASEANとの連携軸をどうすればいいか、しっかりと考える時期に来たことを、この場でお伝えしたい。

率直に言って、ASEAN10か国は、「陸のASEAN」に加えて、インドネシア、フィリピンなど「海のASEAN」があるが、各国それぞれ政治の仕組み、経済システム、宗教に裏打ちされた文化、社会構造などが異なっているうえ、中でも経済面での「温度差」があるため、ひとくくりにはできない。
しかも10か国のうちシンガポールは現時点で1人あたりGDP(国内総生産)が年間5万ドルを超え、日本を追い抜いてしまったが、一方でカンボジア、ミャンマー、ラオスなどはぐんと低いレベルにとどまり、この際立った格差をどう縮められるかも重大問題だ。

ASEANは課題山積だが、
2015年に地域経済統合に踏み出し連携チャンス
ASEANは2年後の2015年12月に地域経済統合に踏み出し、各国間の関税率や通関業務などのバーを一気に引き下げ、ヒト、モノ、カネが自由に往来できるようにする。しかし各国には課題山積の現実があり、どこまで地域経済統合の効果が出るのか、いぶかる向きも多い。確かに、地域経済統合で一気にバラ色の世界がアジアに拡がるとは思えず、事実、各国間で依然として非関税障壁が残り、統合効果がすぐに出ない可能性さえある。

また、地域経済統合に伴う広大な地域経済圏の誕生によって、マネーは低きから高きに激しく移動するのと同じように地域経済に「ストロー効果」現象が起きて、特定の地域や国に富やさまざまな経済財が集中してしまい、新たな問題を生ずる可能性もありえる。
具体的にはメコン経済圏諸国内に各国をまたぐようにつくられた南北経済回廊、東西経済回廊、そして私が今回、陸路で通った南部経済回廊の3つの地域横断道路は、情報通信ケーブルや電気、水道などの物的インフラを埋設し経済効果をあげる多目的な国際道路だが、問題の「ストロー効果」は、単にクルマの通行便利だけなく物流が進む際に、ヒト、モノ、カネがこれら国際道路を経てタイに集まり、タイと周辺のカンボジア、ミャンマー、ラオスとの格差が拡大していびつな格好になってしまうリスクがあることだ。

ASEANに課題多くても、
日本はプラス思考で対応し経済成長押し上げ支援を
しかし、私はあえて言いたい。そういったマイナス面をネガティブに受け止めるか、あるいはプラス思考に切り替え、さまざまな課題は、克服すれば将来の成長への足掛かりとなると課題解決に踏み出すかどうかだ。私は後者を躊躇なく勧める。その場合、日本がASEANに積極的にコミットすること、とくに日本が過去の失敗経験を克服した事例を示し、いい意味での経済成長押し上げに向けての先導役となることだ。

ASEANを軸にした新興アジアは、いま述べたように、さまざまな問題を抱えていることは紛れもない事実だが、今や世界の新成長センターとなりつつあることも事実だ。端的には米国、欧州が行き過ぎたマネー資本主義のあおりで金融システムにほころびどころか大出血の事態となり、経済が停滞を続けている中で、ヒト、モノ、カネは欧米から新興アジアに移行しつつある。

米国や欧州経済が復調しても、
世界の成長センターの座に戻る可能性は低い
米国経済がいま、やっと復調し始め、世界のマネーセンターのウオールストリートにマネーが回帰する動きが出ているが、米国経済に往時のような勢いが見られない。ましてやユーロ圏諸国も、ドイツは大連合政権の利害調整が大変なうえ、好調な経済もユーロ圏との財政、金融面での連携対応にエネルギーを費やさざるを得ないし、スペインやギリシャ、イタリアなど財政危機を克服しきれない国々は重い経済課題を背負いこんだままだ。

欧米諸国が、新興アジアの経済成長の潜在的な可能性の大きさを押しのけて、再び世界の成長センターの座に戻る、ということは考えにくい。となれば、日本は欧米諸国とはつかず離れずの関係を続けるが、政治、経済を含めた外交の戦略軸を新興アジア、とくにASEANに移すべき時期に来た、と言いたい。

日本は現代版三国志でASEANバックに
米国や中国と戦略ゲーム展開を
私はかねてから、このコラムで書いたことがあるので、ご記憶いただいているかもしれないが、私の持論は、日本、米国、中国の3国間での外交展開について、外交戦略ゲームにたとえて、現代版三国志で臨め、というものだ。
三国志は、ご存じのように中国の魏、呉、蜀の3つの国が互いの生き残りをかけて権謀術数を策略を展開する物語だ。これに対して、私の現代版三国志は、日本、米国、中国の3国関係に置き換え、中国に問題が起きれば、日本は米国と連携し中国に揺さぶりをかけ、行き過ぎた行動にブレーキを掛ける。いま尖閣諸島問題をきっかけにした中国の覇権外交に日米が連携を強める動きをとっているのがそれだ。

逆に、米国に問題が生じれば、今度は日本と中国が、米国の財政赤字補てんや外貨運用など多目的の意味で保有している米国債を市場で売却するぞ、と揺さぶりをかければいいのだ。そのアクションでドル暴落リスクが表面化するので、米国は仕方なく日中両国に従わざるを得なくなる。

米国との日米同盟も国益重視の外交世界で
有効か疑問、むしろ日本は独自戦略を
問題は、日本が問われる事態に陥った場合、米国と中国が連携して日本にアクションをとったらどうなるか、状況は明白だ。日本は、この2つの大国に踏みつぶされるリスクがある。日本は、米国と日米安全保障条約で同盟関係にあると言っても、それをもとにした過剰な対米依存はリスクだ。現代のような国益擁護を中心にさまざまな外交戦略展開が横行する状況のもとでは安易な期待は意味がない。むしろ現代版三国志のように、戦略ゲームの発想で行動すべきだろう。
となれば、この日本に問題が生じ、米国、中国が連携してのしかかってきた場合に備えての戦略軸が必要になる。私は、日本にとってはそれがASEANだと申し上げている。ASEANをバックに、米国や中国と相対峠(あいたいじ)することも必要になる。そこで、日本はASEANとの間で関係強化を図っておくことが極めて重要になるのだ。

だから、私が冒頭から申し上げているように、日本は、ASEANが2年後の地域経済統合に向けて、今後、ASEANNがさまざまな課題を克服して、ASEAN地域経済共同体に踏み出すまでの先導役を買って出ればいいのだ。それはそのまま、世界の新成長センターのアジアを主導する成熟国家・日本という形で、日本のプレゼンス、つまり存在感を高めることになる。そればかりでない。日本が、ASEAN地域共同体の拡大内需の果実を直悦、または間接に得ることで、デフレ脱却にも弾みがつけられる。現代版三国志で日、米、中の3国関係を位置付ける、というのは、決して突飛な発想でないと思っている。

ASEANの現場は日本の技術力、品質管理力に
高い評価、自信をもって対応を
私がメディアコンサルティングでかかわっていたアジア開発銀行で以前、日本とアジアの経済関係のあり方などを議論していた際、アジアの人たちから「日本はデフレの長いトンネルの中にいるうちに、すっかり経済に力強さがなくなり、われわれアジアの兄貴分という期待がなくなった」と言われ、くやしい思いをした。
しかし今回、メコン経済圏諸国を歩いてみて、日本への期待度が着実に高まっていることを感じた。カンボジアで聞いた話が1つ。中国は、カンボジアのプノンペンとラオス国境につながる国道を援助でつくったが、道路舗装が不十分で、さまざまな障害が起きて、極めて不評なのだ。他方で、日本が同じく援助でつくったベトナムに向かうメコン川までの国道部分が日本の土木技術のよさもあって快適なため、現地で知り合ったカンボジア人は「同じ援助でもあとで補修が必要な援助などありがた迷惑だ。中国のカンボジア接近はすごいが、今後の経済成長のことを考えれば、日本からの指導を仰ぎたい」と。

もう1つは、ミャンマーで聞いた話だ。ミャンマー、とくにヤンゴン市内では日本製の中古自動車が数多く走っているが、一方で、韓国の現代自動車などの攻勢が強く、バスや自家用車に韓国マークが目立つ。ミャンマーで知り合った日本語を話せるチャーター・タクシーのミャンマー人の運転手が「右ハンドルの日本車は、右側通行のミャンマーでは運転しづらい難点があるが、韓国車に比べて、人気が根強いのは、乗りやすいのに加え、古くても品質のよさは抜群、それに中古車といえども部品の補充や修理サービスの態勢が出来ているからだ。韓国車は中古車の値段が安いのは魅力だが、それらを克服できておらず、故障が多い。日本の技術、品質管理力は最高だ」と述べていた。

ASEANは中国に反発しながらも援助期待で
全方位外交、日本はしたたかさを
いずれも日本の技術力、品質のよさなどが評価の対象だったが、中国の南下を通じた市場攻勢のみならず、政治、外交面での潜在的なプレッシャーに対しても日本が歯止め、抑えの役割をはたして欲しい、という期待もあった。
ただ、ミャンマーでは国境を接する中国への対応評価が読みにくい。ヤンゴンで日本人の企業関係者から聞いた話では「中国は、ミャンマー北部の水力発電所の建設工事を援助で対応したが、カネも出す、ヒトも中国人を出すという形で現地雇用創出に至らず、しかも発電した電力を中国に送電する強引さにミャンマー側が反発し、工事中止を求めた。しかも現政権の民主化方針が欧米の評価を受けて経済制裁も順次、解除になっており、ミャンマーが中国から日本を含めた欧米傾斜かと思えば、そうではない」というのだ。
要は、ミャンマーは、日本円換算でわずか3000億円の国家財政規模で、さまざまな開発プロジェクトを手掛けざるを得ないため、無償の援助には飛びつく体質がある。とくに中国に対しては、水力発電所問題などでの反発があっても、その援助攻勢には全方位外交となってしまうのだ、という。

日本は中国や韓国にない強み部分を
武器にASEANと本格連携を
この全方位外交姿勢は、ミャンマーに限ったことではない。ベトナムでもカンボジアでも同じだった。その点で、冒頭から申し上げるように、日本としては、ASEANを外交の戦略軸に置き、現代版三国志のような外交戦略ゲームの展開をすべきだと思っているが、日本がASEANの現状分析をしっかりと行い、したたかに対応しないと、足をすくわれる可能性が大きい。ただ、今回、メコン経済圏諸国を歩いてみて、各国とも国内にさまざまな課題を抱えるが、着実に中間所得階層が増えてきて、経済に勢いがある。ここを日本が見逃すことはない、日本は、中国や韓国にない強み部分、端的には技術力、品質管理力、さらには医療や年金など社会保障分野での取り組みなどで、日本が圧倒的な強みを発揮できる部分がある。日本は自信をもってASEANと連携すればいいのだ。

中国の高速鉄道事故処理には唖然 体制批判恐れての急ぎ収束は異常

中国東部で7月23日夜に起きた高架橋上での高速鉄道の追突事故は、死者40人、負傷者200人の大惨事のうえ、追突した前4両が高架橋から転落するすさまじいもので、メディアの現地報道を見ていても「ひどい」の一語だった。しかし、中国が世界に向けて「独自技術による高速鉄道システム」と誇った直後の事故だっただけに、私に限らず多くの人が「エッ、なぜだ。絶対安全システムだったのでないのか」と、驚いたと思う。

問題は、そのあとの事故処理にあった。本来ならば、大事故だけに、被害者救出を最優先にして時間をかけると同時に、事故の再発防止のために、何が原因だったのか、運転士のヒューマンエラーなのか、それとも運行システム自体の問題だったのか、原因究明に乗り出すのが当然のはず。ところが事故後の中国政府の対応は、体制批判を恐れてのものとしか思えない事故処理ぶりが目立ち、むしろ、そちらの動きに唖然としてしまった。

事故翌朝の解体車両の埋め込みはお粗末な証拠隠し?
とくに事故の翌日早朝に、事故現場の証拠隠しでないかと思わざるを得ないような、解体した事故の先頭車両を、地中に堀った大きな穴へ埋め込んだことには、これまた驚いた。普通の常識では、まずは被害者の徹底捜索に時間をかけ、それと原因究明のための現場保存、現場検証こそが最優先課題のはずだ。私の毎日新聞駆け出し記者時代、事故現場で警察がロープを張って立ち入り禁止にしての現場検証で、取材制限されたのを思い出す。これほどの大事故ならば、列車の運行をストップさせ、大がかりな現場検証をすべきだ。

ところが今回、事故から数時間後の早朝に現場にたどりついた朝日新聞特派員が先頭車両を解体して穴埋めしている現場を目撃し、それを記事にした。その記事はとても迫力があったが、同じく現場にいた中国メディアの報道も「証拠隠滅でないか」という批判にエスカレートした。
鉄道省当局は、その批判の強さに、あわてて埋めた事故車両を掘り返したが、車両の一部はすでに解体されており、事故調査で苦労するのは間違いない。それにしても、証拠隠しだったにしては、多くの民間人が見ている中での行為だけに、お粗末な行為だ。なぜ、そんなばかげたことをしたのか、という疑問が湧いた。

「中国独自の技術」が裏目に出て政権に苛立ち起きて問題噴出
私の推理は最初、こうだった。中国政府の人命軽視、安全軽視の対応は大問題だが、「中国独自の技術による高速鉄道」をアピールしていた手前、今回の問題で胡錦涛政権自体の体制批判に発展するのを恐れて、早く事故収束を図ろうと躍起になった、このため事故で亡くなった遺族への多額の賠償金提示、そして念書を書かせて一件落着にしてしまおう、という、あせりや苛立ちがかえって、さまざまな問題を噴出させてしまったのではないか、ということが1つ。

それと、現場を統括する鉄道省の対応にはもっと問題が多かった。彼らは自己保身と同時に、極めて現実的な行動パターンにこだわり、事故原因の調査などで数週間の空白時間が生じ、あおりで運休といった事態をメンツにかけても避けることに躍起だった。このため、すぐにも現場復旧させて、高速鉄道は何事もなかったように走っていることを国の内外に見せたかったのでないか、と。

専門家は中国政権内部のドロドロした権力闘争がからむとの説
ところが中国人の大学教授や専門家、また日本の中国ウオッチャーの専門家に聞くと、事態はもっと複雑で、私の推理は甘いものだった。要は、胡錦涛政権内部でドロドロとした権力闘争がからみ、政権中枢が、今回の事故をきっかけに高速鉄道を統括する鉄道省に巣食う共産党幹部人脈にメスを入れられるかどうかが大きなポイントだ、というのだ。

まず、拓殖大学客員教授で、日本に帰化した中国人の石平さん。今回の高速鉄道事故後はいくつかの民放テレビに出演し、「温家宝首相は今回、事故現場に駆け付けて遺族に弔意を述べ、事故原因の徹底究明を約束したが、彼はもともとパフォーマンス政治家と言われていて、その言動が巧みだ。それよりも、彼が、現場を取り仕切る鉄道省の責任問題に言及しており、それを聞いていて、共産党の体制批判に及びかねないため、鉄道省に責任を押し付けたな、と感じた」と述べている。

胡錦涛政権が江沢民・前主席派閥に手を突っ込めるかがカギ
石平さんは今回の事故の数日前に会った時には、胡錦涛政権の不安定性を述べていたが、さきほどのいくつかのテレビ番組では、さらに興味深い話をしている。
「鉄道省の背後には人民解放軍、それに江沢民・元主席の派閥人脈がある。今年2月に江沢民・前主席の側近の1人、劉志軍・前鉄道相が汚職で逮捕されている。今回の事故責任追及で、胡錦涛政権が江沢民人脈の派閥に手を突っ込めるかどうかだ」というのだ。

胡錦涛主席、温家宝首相の現政権は、2012年に政権交代し、副主席に選んだ習近平氏にバトンタッチすることになっているが、「権力闘争が微妙にからみ、胡錦涛主席は今回の高速鉄道事故を政治的に利用し、場合によっては江沢民人脈につながる習近平氏と次期トップの座を争った李克強国務院副総理に次期政権を、という思惑があるようにも見える。まだまだ目が離せない」と日本の大学で研究を続ける中国のある教授は述べる。ただ、その教授は「微妙な時期なので、自分の名前は出さないでほしい」というから驚きだ。

政権側は一時、鉄道省人脈の切り崩しでメディアの批判報道も容認
また、私がおつきあいしている中国問題の日本人専門家は、もっと生々しい分析をする。それによると、胡錦涛主席――共産党青年同盟グループが、江沢民・前主席――習近平副主席――太子党連合と対決するため、今回の高速鉄道事故での民衆の怒りを利用しながら、鉄道省の鉄道建設利権につながる江沢民一派のひどさ、そして人命軽視の事故処理を徹底してたたくことを決め、メディアを味方につけるため、批判報道も大目に見て攻勢に出たと見るべきだ、という。

ただ、その専門家によると、江沢民・前主席派閥をこの機会に一掃出来るか、と言えば、コトは簡単でない。その派閥グループには重慶市の書記ら有力政治家、ペトロ・チャイナやシノペックという国営石油につながる産業人脈、人民解放軍首脳など、隠然たる力を持つネットワークがある。このため下手をすると、しっぺ返しを食うリスクがあるので、見極めが難しい、ともいう。

2人の張氏はかつてSARS隠ぺいに関与、いずれも江沢民派
毎日新聞時代の友人で、今、専門編集委員として中国ウオッチャーの金子秀敏さんが書いた7月28日付の毎日新聞コラム記事が興味深い。それによると、今回の高速鉄道事故現場で指揮をとった張徳江副首相は、共産党広東省委員会書記という地方トップの座にあった2002、3年ごろ、中国を襲った感染症の新型肺炎SARSの広東での病気流行を否定し、メディア報道を規制して隠ぺいにかかわった疑いがある、というのだ。
その後、SARSは北京に飛び火し、香港、台湾、東南アジアにも広がり、中国の無為無策ぶりが国際的に非難の的になった。当時、SARS問題を担当した衛生省トップの張文康衛生相は2003年4月の記者会見で「SARSはすでに抑制されている」と流行の事実を否定した直後に、北京で国連機関の外国人職員がSARSで死亡し、解任された。

金子さんによると、このSARS隠しに関与した2人の張氏はいずれも江沢民・前主席派閥だった、という。そこで、「中国では、重大問題に真っ正面から取り組んでリスクをとるよりも、情報や報道を規制して問題を隠ぺいしたほうがリスクが少ない。これが中国流政治だ。鉄道省の官僚が、証拠を埋めて事故の痕跡を消したいと考えたのは、中国的には不自然でない」と書いている。ここがポイントのところだ。

「事故原因の信号システムが日本製だったら天文学的賠償請求も」
もう1つだけ、現代中国を見るうえで、参考になる話がある。中国で企業展開する小島衣料の小島正憲社長は、今年7月中に北京などでエスカレーターが逆走して中国人に死傷者が出た事故と、今回の高速鉄道事故とを絡めて興味深い指摘をされている。

結論から先に言えば、エスカレーターはいずれも米国などの外国メーカー製だったので、中国当局がすぐに運転停止を命じ、関係する中国各都市のエスカレーターの全基の点検も同時に指示した。そして安全が確認でき次第、運転再開を命じた。しかし、逆に設計に欠陥があった場合には使用停止と同時に、賠償を求めるケースもあった、という。
ところが、今回の高速鉄道のシステムや技術は、日本やドイツから導入した技術を巧みに活用したあと、国威発揚もあって自前の独自技術を誇示した手前、その国産技術の優れものぶりを示すためにも高速鉄道事故の原因究明よりも、まずは運行再開を急ぐ、という方針をとらざるを得なかったのだろう、という。
小島さんは「今回の事故原因でないかと言われている信号システムが、もし日本製だったら、インターネット上で反日の嵐が吹き荒れていただろう。そればかりか、日本の会社は全責任をとらされ、天文学的な賠償を請求されただろう」と述べている。

中国は世界注視の中で今こそ安全重視、安全経営への取組み必要
大事故からわずか1日半後の7月25日午前には、平然と何事もなかったかのように、平常通りの運行に戻してしまった。その後、信号トラブルなどで、運行が正常にはなっていない、との報道もあるが、メディア報道でご存じの被害者捜索打ち切り後に、2歳の幼女が奇跡的に見つかり、無事救出されたことも驚きだった。人命救助優先よりも、まずは運行再開という鉄道省当局の判断は、中国国内のみならず、海外からも大きく問われた。

私に言わせれば、中国政府は、世界中が注視している今こそ、安全重視のため、最優先で事故の原因究明を急ぎ、大量交通システムの安全経営に対する果敢な取り組みを示す、という重大な点を行うべきなのだ。
しかし、そういったことよりも、今、述べた専門家の見方のような権力闘争がからんでいて、事故原因の究明などは2の次、3の次になっているとしたら、もっと大変なことだ。
高成長に伴っての経済大国を誇示し、そして大国主義を標榜する前に、まずは足元を固めた方がいいのでないかと言いたくなる。いかがだろうか。

ガン患者にQOLを!自らの罹患と大臣経験を経た問題意識と挑戦【後編】

一人の思いが世界を変える。賢者の選択リーダーズ。今回の賢者の選択は前回に引き続き、免疫の力でがんを治す患者の会会長坂口力。

白石坂口会長といえばお医者様でもいらっしゃいますよね。

坂口子供のことが好きで、それで小児科をやりたい。

宮川なぜ医療から政界ということでした。

坂口もっと優秀な人達により多くの仕事をしてもらう政治こそ今大事だとは思わないかと。これがねえ殺し文句だったんですね。

宮川厚労大臣としては初代の大臣。

初代厚生労働大臣としてハンセン病などの問題に取り組む。

坂口その人たちを一生苦しめた、これに対してはやはり謝罪をする以外にないと。

白石厚労大臣を退任した後2009年に大腸がんが見つかったんですよね。

がんを発症し、外科手術を受けるもその後、がんは転移。

坂口大腸の外側に、リンパ節ですね。すでにがんができていたと。抗がん剤受けますかと。それじゃあもうやめることにしますと。ちょっとやっぱり心配になってきたんですね。それじゃあいっぺん自分の免疫力にかけてみようと。

坂口が選択したのは免疫療法の一種である自分の免疫細胞を活用する免疫細胞療法。

坂口免疫ということが人間の体をいかに守っていくものかと。

免疫の力でがんを治す患者の会 がん免疫療法 普及への取り組みとは?

がん免疫療法を身近な医療として患者に提供したい。坂口が目指すいつでもどこでも誰でも受けられる治療法へ。その普及への取り組みとは。

免疫療法と免疫細胞療法

坂口免疫療法と免疫細胞療法というものとはですね、縦分けて、私が受けましたのは免疫療法の中の免疫細胞療法ということなんですね。

一般的に人間の体内では常に様々な細胞が発生しているが、まれに突然変異で異常細胞が発生することがある。通常はそれを免疫機能で押さえているのだが免疫力が低下してくるとそれを抑えることができなくなりがんとして発症することがあるという。免疫細胞療法とは患者自身の免疫細胞を採取しそれを数千倍に培養、その後再び患者の体内へと戻し免疫機能を強化しようという治療法。こうして免疫力を高めることががん細胞と戦う第一歩になる。

坂口敵の弱みをですね、知るというそうゆう機能として出来上がっているわけですね。だからそうしたことをもっと進めていけば、私は人間の体が持っている能力でがんをより的確にやっつけることができるようになるのではないかと。

原発事故教の教訓生かされず風化こわい 原発再稼働には多重防護の安全策が前提

 ここ4回ほど連続してタイ、カンボジア、ベトナム、ミャンマーのメコン経済圏諸国の現場で起きているさまざまな動きについて、ジャーナリスト目線の現場報告の形で「時代刺激人」コラムをお届けしてきた。しかし今回は、勝手ながら、違うテーマを取り上げたく、何とかご容赦願いたい。

さて、そのテーマは、みなさんだけでなく私にとっても避けて通れない、3年たった東日本大震災、東京電力福島第1原発事故の問題だ。中でも今回は、私自身が東電原発事故調査を行った国会事故調の事務局に1年近くかかわった関係で特別な関心を持つ原発事故について、取り上げてみたい。

メディアが3事故調委員長らの討論会での
鋭い問題提起に、なぜか冷めた報道
 実は、何としても取り上げようと思ったきっかけがある。それは、2014年3月10日に日本記者クラブで、「福島原発事故から3年たつ今、われわれは何を学んだか」というテーマで、事故調査に携わった政府、国会、民間の3事故調の元委員長の畑村洋太郎氏、黒川清氏、北澤宏一氏の3氏にグレゴリー・ヤッコ前米国原子力規制委(NRC)委員長も加わっての討論会が行われたので、参加した。ところが討論の内容はポイントを突くものが多かったのに、なぜかメディアの取り上げ方が冷めたものだったためだ。

同じジャーナリストの立場にある私にとっては、この報道側の対応は驚きだった。3年たった大きな節目に、原発事故調査にかかわった専門家が、メディアに対して、原発事故の教訓をしっかり再認識してもらおうとしたのだから、メディアとしても当然、それを受け止めて日本国内のみならず海外にも伝える絶好のチャンスだ、と私は思っていた。討論会の現場取材したメディアの人たちのニュース判断には未だに首をかしげるものがある。そこで、討論会で浮かび上がった問題をこの際、コラムで取り上げようと思ったのだ。

「日本の事故教訓が伝わって来ない」と
海外から指摘、情報発信がまだ不十分
結論から先に申し上げれば、討論会での集約されたポイントは、次のような点だ。
まず、日本のみならず世界中を震撼させた福島原発事故がなぜ起きてしまったのかという点に関して、日本は世界に対する情報発信を未だ十分に行っていない。このため、世界の一部の国からは「事故の教訓が伝わって来ない。日本では事故後、3年たった今も何が変わったのか、よく見えない」という苦情が出たことなどの点を踏まえて、日本の教訓を世界にもっと伝えるべき責任がある、との指摘があったことだ。

とくに黒川氏の指摘は耳が痛い。海外に幅広い人脈ネットワークを持ち講演機会の多い黒川氏は、ある国の首相から日本の原発事故の教訓の説明を求められた際、「(これほどの重大事故なのに)日本はおとなし過ぎる。なぜなのだ」と皮肉っぽく言われたという。
確かに、海外の国々は、事故を引き起こした日本から学ぼうと、教訓が何なのか必死でいるのに、日本が情報発信できていないのは重大問題だ。北澤氏も「日本としては情報を隠すつもりはなかったが、結果的に、世界に向けての情報開示が出来ていなかったことは事実だ」と述べた。日本は内向きだと言われても仕方がない。

ヤッコ米規制委前委員長、3事故委員長は
「原発事故はまだ終わっていない」で一致
2つめのポイントは、事故現場の処理だけでなく、今後の原発事故に備えた関係自治体の住民の避難対策などに関しても、まだ取り組み課題が山積しており、原発事故そのものが終わっていない、という点で認識一致したことだ。具体的には、汚染水の処理が果てしなく続いていること、4号機建屋の屋上プールにある使用済み核燃料の移動処理が終わっておらず新たな巨大地震の揺れに耐えきれないリスクを抱えていること、原発サイトの外での避難民の生活不安、心労リスクの増大への対応も不十分であることなどの指摘だ。

このうち、多くの人たちが不安に感じている汚染水処理問題に関して、畑村氏の指摘は厳しかった。「事故直後から、壊れた原子炉建屋に地下水が流れ込み、そこに雨水も加われば深刻な汚染水リスクになるのは土木専門家ならば、わかっていたこと。だが、現場を仕切っていた当時の東電原子力担当者は原発しか見る余裕がなく、問題先送りした。全体を俯瞰し総合判断できる人材を置いておかなかったことが問題だ。未だに課題だ」という。

稼働停止中の他の原発ではIAEA基準の5層の
多重防護策の対応が万全でない?
3つめのポイントは、福島原発事故を踏まえて、旧原子力安全保安院が解体され政府から独立した新原子力規制委員会が立ち上げられ、新安全基準がつくられたのは当然のことだが、国際原子力機関(IAEA)が厳しく要求する安全確保のための5層の多重防護策について、稼働停止中の国内の他の原発では、まだ万全な対応にあるとは言えず、原発事故の教訓がいまだに徹底されていない、との点で一致したこと。

現在、国の新安全基準に対応中の九州電力の川内原発など10原発17基については、各電力会社が適合審査を求めている。電力会社は原発再稼働のためには必死で新基準対応をしたのだろうが、朝日新聞が3月12日付朝刊で報じた記事によれば、全国でまだ国に対して適合審査の申請を行っていない30基の原発のうち、老朽化した原発など13基は新基準の安全対策に膨大な費用がかかることなどを理由に、対策対応が十分に出来ていない、という。しかも討論会で事故調元委員長らが指摘した多重防護策のうち、第4層の「事故の進展防止と過酷事故の影響緩和策」などに関しては、これら13基では後回しになっている可能性が強い。今、求められているのはすべての原発での多重防護なのだ、ということを黒川氏らは討論会で繰り返し指摘した。これも重要なポイントだ。

安倍首相の再稼働前向き発言を不安視、
事故は起こりえるとの発想が希薄の指摘
 そして、4つめは、3つめの問題とも関連する最重要ポイントだ。福島原発事故の最大の教訓は「原発の絶対安全はありえない。事故は必ず起こるものだとの認識が必要」を前提に、しっかりとした多重防護の安全対策を講じることが先決、と言う点だった。ところが今、日本国内ではその点が看過され、政治家を中心に、既存原発の再稼働問題に前傾姿勢になってしまっていることに不安を感じる、という点でも意見が一致したことだ。

とくに、安倍首相が国会などで「原子力規制委員会が世界で最も厳しいレベルの規制基準にもとづき徹底した審査を行い基準に適合すると認めた原発に関しては、政府としては再稼働を認める」と公言していることについて、絶対安全などありえないという教訓が生かされないまま、再び原発安全神話に似た発想が政治の世界に広がることを問題視する声も討論会で出たことだ。

2011年当時、立法府の行政府監視を豪語した
国会はなぜ動かないのか
 このほかに、討論を聞いていて、ジャーナリストの立場で、世の中にもっと声高にアピールすべきだなと思ったことがまだいくつかある。

その1つは、立法府の行政府監視機能が十分に機能していないことだ。
とくに衆参両院は、2011年秋に政府事故調や東電事故調のような内部調査では真相解明に至らないとし、国会が憲政史上初めて、政府や電力事業者から独立した調査機関をつくるべしと、全会一致で国会事故調法にもとづき国会事故調を立ち上げた。国会職員を別にして民間人専門家でつくる国会事故調の事務局に私も参加し、10人の委員の調査活動のサポートに携わったが、当時、国会サイドで主導的な役割を果たした塩崎恭久自民党代議士が「立法府が国会事故調をきっかけに今後、行政府監視機能を高めていく」と豪語したのをよく憶えている。あの発言はいま、どうなったかと問いたい。

国会事故調の7提言は原子力問題調査特別委設置のみ、
その委員会も機能せず
 ところが国会事故調の7つの重要提言に対して、国会が対応したのは規制当局に対する国会の監視、という任務を果たすための原子力問題調査特別委員会だけだ。しかもこの特別委は衆院で提言から9か月後にやっと設置、参院はさらに数か月後というひどい対応だった。しかも汚染水問題が大問題になると、衆院経済産業委員会に審議を委ね、原子力問題調査特別委はなかなか腰を上げようとしなかった。今や政権与党の立場にある自民党の塩崎氏ら国会議員の見識ある行動が求められるが、原発再稼働問題もからむのか、なぜか動こうとしない。他の公明党、民主党などの国会議員も全く同じだ。

国会事故調提言の残る6つの提言、とくに独立の調査委員会を設置して廃炉の道筋や使用済み核燃料の処理策の調査、政府の危機管理体制の見直し、被災住民に対する政府の対応策検討、電気事業者の監視などを求めた提言に関しては、事実上、放置状態だ。立法府の行政監視機能はどこへ行ったのか、3権分立の体制はどこへ行ったのかと思わず叫びたいところだ。

政府と国会の両事故調のヒアリング資料はじめ
記録やデータの開示が必要に
 政府事故調、国会事故調とも膨大なエネルギーと時間をかけた調査のデータ活用問題も課題だ。このうち政府事故調は、東電事故調と並んで内部調査であったため、どこまで真相解明を行えたかどうか定かではないが、政府の名のもとに公権力を使って、あらゆる関係者からヒアリングを行った記録やデータは貴重な資料のはず。同様に、政府から独立した独自調査の国会事故調の調査記録も今後の事故原因検証などには重要なもの。
ところが政府事故調の調査に関しては当時、検察当局が主導で行い、非公開、秘匿を条件にあらゆるヒアリングに応じてもらったもので、オープンには出来ないとしていた。国会事故調も似たような理由づけながら、最終的には国会の判断に委ねるとして国会図書館に置かれたままだ。要は、この点に関しても、さきほどの立法府の行政監視機能をタテに後世の研究調査に生かすようにすることが必要だ。

世界中が日本を積極評価するような
事故対策情報の開示が必要、内向きはNOだ
 もっと重要なのは、冒頭に申し上げたように、世界中の国々が日本の原発事故事例を教訓に、「失敗の研究」を行うためのさまざまな情報や調査データなどを求めているのに日本側が対応しきれていないこと、現在進行形の事故処理、さらに今後の廃炉処理での各国間の情報交換、研究連携などを大胆に進めるべきなのに、いまだに海外から日本の対応を積極評価する、といった賞賛の声が上がっていないことだ。裏返せば、冒頭に申し上げたように、原発事故に関して内向きに終始していて、世界中で情報共有していくシステムに切り替えていないと言っていい。

まだまだ申し上げたいことがあるが、スペースの関係で、残念ながら限りがある。でも、東電原発事故の教訓が十分に生かされないまま、問題が風化しかねないことは大問題だ。その点で、私自身は国会事故調にかかわった関係で申し上げるが、重ねて、立法府の行政府監視を厳しく行い、政治家が国民、被災者目線に立って、この原発事故処理対応でやらねばならないことがまだまだ多いことを肝に銘ずべきだ。私は、反原発という立場でないが、原発事故の教訓を十分に生かし万全の安全対策を講じないまま、原発再稼働に前傾姿勢になることには強い違和感を持っている。多重防護の徹底こそが安全の証明だ。

メコン諸国現場レポート5 アジアで活躍の「和僑」は躍動している 日本グローバル化の先端部分の応援を

 メコン経済圏諸国の報告に戻ろう。今回は、私が歩いたタイ、カンボジア、ベトナム、ミャンマーのメコン諸国、それにシンガポールで出会った日本人のうち、それぞれの国で起業され、タフにビジネス展開されている「和僑」の方々のことをレポートしてみたい。実に生き生きと活動され、内向きの日本では考えられない躍動ぶりだ。まさに日本のグローバル化の先端部分でがんばっている人た
ちばかりで、思わず応援したくなる。

ちょうど私がタイに滞在中の2013年11月9日、友人の紹介でお会いしたバンコクの中堅企業経営者、小田原靖さんから、2週間後の22日、23日の2日間、バンコクで初めて和僑世界大会を開催すること、アジアを中心にいろいろな国で活躍する日本人が集まって交流しようというもので、間違いなく面白いものになるであろうことを聞いた。そして小田原さんが「中国の華僑のスケールの大きさにはかなわないが、われわれもいい意味での結束力を強めていこうと思っている」という話を聞いて、好奇心が湧いた。

タイで第5回和僑世界大会、
「リスク多くてもリターンある所で勝負」と1000人参加
 ただ、その世界大会が開催された時は、私がシンガポールから帰国の途にあって、スケジュール変更がきかないころだったので、さすがに私としても何ともすることが出来ず、少し悔しい思いをした。
帰国してインターネット上で、その第5回和僑世界大会記事を検索したら、ネットメディアで評価の高い硬派の東洋経済ONLINEに出ていたフジTV女性ディレクターの藤村美里さんの現場レポートが興味深いものだった。少し引用させていただこう。
それによると、会場のインペリアルクイーンズパークホテルに約1000人のベンチャービジネスを立ち上げて活躍する人たちが各国から集まった。前年シンガポール大会参加者が250人だったので、1年間で4倍に膨れ上がる盛り上がりぶりだった、という。
藤村さんは「ものすごい熱気のもとで名刺交換する人々から、リスクは多くてもリターンがある所で勝負したい、というエネルギーを感じた。(中略)国境を越えることがこんなにも容易な時代になったのか、、、。今回の和僑世界大会で感じた驚きだ」と述べている。

仕掛け人筒井さん「華僑対抗の若者ベンチャーネットワークの
必要性感じて組織化」
藤村さんは、このバンコク大会会場で、10年前に香港で和僑組織づくりのきっかけをつくった筒井修さんに話を聞いている。
筒井さんは「香港は会社を設立しやすいと言われているが、実際に継続していくことが難しい。9割が撤退していく。若者が夢を語ることにとどまらず、実際に成功していくために(企業経営に携わっていた私が)何か手伝えることはないか、、、。そう考えた時に、華僑に対抗できる横のつながり、日本人同士のネットワークの必要性を感じた」という。
そして、筒井さんが当時、毎月1回の勉強会を3回ほど重ねた時に、会の名前をつけることになり、華僑に対抗して「日僑」という名前も候補に挙がったが、協調する意味の「和」を込めて、和人(日本人)の「和僑」会にした。それが定着し、今や香港を起点にして、各国の和僑会が集まって世界大会を開催できるところまで来た、というわけだ。

タイ和僑会の中心メンバー小田原さんは20年間、
人材あっせんビジネスを経営
 そこで、この機会に、私が今回のメコン経済圏諸国の旅で出会った数人の頼もしい和僑の人たちのことをお伝えしよう。まず冒頭の小田原さんがその1人で、タイ王国和僑会幹事副代表という立場にある。
小田原さんは、米国の大学卒業後、マレーシアを経てタイに腰を落ち着け、20年前の1994年にバンコクで、パーソネル・コンサルタント・マンパワー株式会社を立ち上げ、それ以来、ずっと経営を切り盛りしている。現在、日本人スタッフ12人、タイ人スタッフ60人を抱える。しかもビジネスチャンスが増えた隣国のミャンマーでも労働省から日本企業としての営業ライセンスを得て事務所を開設し、活動の場を広げている。

会社の名前で想像がつくように、タイにビジネス進出した日系企業、それに日本とのビジネス機会が多い現地タイ企業向けにタイ人、日本人のホワイトカラーの人材をあっせん紹介するのが主たるビジネス。同時に、それら企業の人材採用や労務管理、社員教育のセミナーやトレーニングの支援ビジネス、さらには日本語やタイ語、英語の書類翻訳、通訳ビジネスも行っている。

小田原さん「アジアはビジネスチャンスが多い。
日本は魅力なく戻る考えはない」
すでに最初のメコン経済圏報告でもお伝えしたように、タイは政治不安を抱えながらも経済には勢いがあるため、失業率はタイ全体で0.5%と、ほぼ完全雇用状態にある。若者の失業率が2ケタで社会不安を引き起こすエジプトやギリシャなどとは対照的だ。
小田原さんは「バンコク市内の企業は人材募集をかけても、売り手市場のため、市場からの人材確保が難しい。だから、実績のある私たちへの引き合いが急速に増えている」と述べている。20年間のビジネス実績が評価され、顧客企業数が9000社に及ぶ、というから、なかなかのものだ。

日本がバブル崩壊後、長期デフレのトンネルに入った時期に、小田原さんはタイで起業し現在に至る。「福岡県に両親がいるので、年1回は帰郷するが、タイを含めてアジアは今、成長センター化しており、当然、ビジネスチャンスも多い。日本経済はその点、魅力がなく、日本に戻るという考えはない」と述べている。それよりも、バンコクで起業する日本の若者たちがいれば、先輩としてビジネス面でのアドバイスをする、という。

旧厚生労働省OBの鳴海さんは官僚生活の
マンネリズムに区切り、カンボジアで起業
 同じ人材のあっせんビジネスをカンボジアのプノンペンで起業して成功している旧厚生労働省の官僚OBも紹介しよう。クリエイティブ・ダイアモンド・リンクス(CDL)社のCEO兼社長の鳴海貴紀さんだ。

鳴海さんは、もともと行政統合される前の旧労働省に入って、ハローワークの現場だけでなく霞ヶ関の役所で政策官僚として法案づくりにもかかわったが、2年前に22年間ほど勤めた官僚生活にマンネリズムを感じて、区切りをつけ、カンボジアで起業した。北海道生まれなのに、鳴海さんはなぜか寒冷地が好きでないと南のアジアを旅行したが、その際、発展途上にあるカンボジアの面白さに魅せられた、という。

ASEAN地域統合後の「国境なき労働移動」に
魅力感じ経験生かし職業紹介ビジネス
それだけでない。2015年12月のASEAN(東南アジア諸国連合)の地域経済統合をきっかけに、今後は国境での人やサービスの移動が自由になって、「国境なき労働移動」が活発化する。そこで、アジア経済のダイナミズムのもとで、自分がこれまでかかわった官僚時代の仕事や経験が生かせるのでないかと考え、起業することにした、と述べている。

すでにカンボジア人女性と結婚し、プノンペンで長期的にビジネス展開するつもりでいる。タイの小田原さんと同様、ビジネスチャンスを求めてカンボジアに進出する日本企業の人材ニーズに対応しているが、鳴海さんは「人材あっせんとか人材紹介といった人間をモノ扱いする発想が嫌いで、私は、あえて職業紹介ビジネスだと言っている」という。持ち前のフットワークのよさで人脈ネットワークをつくりあげ、存在感を見せている。

朝日新聞OBの女性記者、木村さんはポルポト裁判フォローと
同時にミニコミ誌発行
 また、同じプノンペンでは朝日新聞の女性記者生活に区切りをつけ、日本語でのミニコミ誌、タウン誌でビジネス展開しているKANASAN―KOBO社の木村文さんもユニークな存在だ。名刺の肩書はジャーナリスト兼EDITOR―IN―CHIEF(編集長)となっているが、個人事業主として、経営にも携わっている。
雑誌は、カンボジアに進出している日本企業だけでなく、旅行者も含めたさまざまな日本人をターゲットに2000部ほどの発行部数ながら、中身は、さすがマニラやバンコクなどの現場で取材した記者経験を生かしてつくっているだけに、質の高い雑誌だ。

木村さんは「まだ、ジャーナリスト感覚が抜けず、カンボジアのポルポト政権時代の虐殺事件が裁判にかけられているのをずっとフォローし、特別法廷での裁判記録を日本語にデータベース化している」という。木村さんは、硬派の問題意識を捨てず、ポルポト裁判をフォローすると同時に、同じジャーナリスト感覚で言えば、カンボジアを含めた新興アジアの躍動ぶりに日本のさまざまなビジネスチャンスがあることを感じ、日本の多くの人たちに訴えていこうというプロ意識もあるように感じた。

タフに各国の現場でビジネス展開し
現地の人たちとの連携も深める動きが活発化
 メコン経済圏諸国で出会った数多くの日本人の方々のうち、ベトナム、ミャンマーなどでも現地にしっかりと根を下ろして、タフに活動されている方々を取り上げたいが、ページ数の関係で打ち切らざるを得ない。

冒頭のバンコクでの和僑世界大会に参加された人たちを含めて、もちろん言い知れない苦労もおありだろうが、私が出会った方々は、先を見据えて、さまざまなプロジェクトにビジネスチャンスを感じて取り組んでおられること、とくにそれぞれの現地の企業や各国の人たちとの交流を経て、うまく連携して活動されているところに、強い興味を持った。

華僑や印僑、韓僑のネットワーク力には
和僑はまだまだかなわないが、着実に変化
 アジアを含めて世界中で活動する華僑は、ケタ外れの人脈ネットワークを武器に、資金ネットワークはじめさまざまなネットワークを構築して、横の連携がすごい。しかも異国の地で、ビジネス展開し、そのスケールの大きさには舌をまくほどだ。しかも今や母国の中国と一種の大中華圏を作り出すのでないか、と思うほどネットワーク力がある。

これに続くインド人の印僑、さらに最近では韓国もアジアで現地化を進め、韓僑というくくりでのネットワークが出来つつある。そういった点では、日本人の和僑は、やっと和僑世界大会を5回開催できるような横のネットワーク化が出来てきたが、華僑、印僑、韓僑に比べれば、大きなパワーを持ちえる状況ではない。でも、グローバル化の先端部分で活躍する日本人の和僑が増えることで、遅ればせながら、新たな広がりを持つことを期待したい、というのが率直な気持ちだ。いかがだろうか。

メコン諸国現場レポート6 ASEAN経済統合のカギ握る「連結性」 地域横断メリットの一方で課題も山積

メコン経済圏諸国の報告も6回目を迎え、締めくくりの時期に入らざるを得ない。そこで、今回は、来年2015年12月に迫ったASEAN(東南アジア諸国連合)10か国地域経済統合のキーワード、CONNECTIVITY(コネクティビティ、連結性)にからむ問題をぜひ取り上げてみたい。

キーワードはCONNECTIVITY(連結性)、
関係国つなぐ経済回廊に連鎖効果?
 このCONNECTIVITYは、「陸のASEAN」と呼ばれるタイ、カンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマーのメコン川流域関係諸国にぴったりあてはまる言葉だ。というのはこれらの国々をタテ、ヨコに走る南北経済回廊、東西経済回廊、そして南部経済回廊といった道路網がそのキーワードを象徴する。経済回廊は、将来的に情報通信回線など経済インフラを埋め込んだ経済価値の高い道路にして関係各国を連結し、経済連鎖効果を高める狙いがあるが、そのインフラ網の連結性が地域経済統合への第1歩だ、というわけなのだ。

公的な地域開発金融機関のアジア開発銀行が主導して1992年、タイなどメコン川流域関係諸国に上流域の中国雲南省を加えて、大メコン圏地域経済協力(GMS)プロジェクトをスタートさせた際、関係国間を緊密化させる中核のプロジェクトとして、この経済回廊建設を具体化させた。率直に言って、アジア開銀が当時、20年後の地域経済統合を見据えて、この経済回廊に取り組んだのは、大正解だったと言っていい。

ASEAN政治制度はバラバラだが、
経済最優先で「経済国境」撤去に柔軟が面白い
経済回廊と呼ばれる道路以外に橋、電力の送電線網、水道、鉄道などの物的インフラが今後、国境を越えて地域横断的に連結していくようになれば、経済効果は確かに上がっていく。しかもASEAN地域経済統合をきっかけに「経済国境」を外して各国間の関税率の撤廃もしくは引下げ、国境の通関業務やパスポートチェックの簡素化、輸送物資の各国ごとの積み替えをなくし自由往来を認めるようにすれば、地域経済統合が進み、地域共同市場も理論的に可能になる。

ASEANは加盟国間で内政不干渉の原則をとっているが、各国とも政治制度はまちまちどころか、ばらばら状態に近いのに、こと、経済に関しては、地域経済統合のメリットを認めて、いち早く連携に踏み出すところが実に面白い。政経分離、経済最優先なのだ。中国が共産党政治と、資本主義そのものの市場経済化を大胆に使い分けているのと同じだ。

ASEAN事務総長
「インフラプロジェクトで連携し地域統合に踏み出しつつある」
 私がメコン経済圏への出発直前の2013年11月6日、東京のプレスセンターでASEAN事務局当番国ベトナムのレー・ルオン・ミン事務総長が記者会見するというので会見に参加したが、ミン事務総長が会見やその後の質疑で、この地域経済統合に言及した。

「ASEANは、各国間で経済力を含めてさまざまな格差があり、課題も山積しているのは事実。だが、2015年末の地域経済統合後にヒト、モノ、カネの移動が進めば、ASEANは大きく変わってくる。ASEAN各国は地域経済連携のメリットを認めている。その際のポイントは域内各国間のCONNECTIVITYだ。道路、鉄道にとどまらず電力、水などのインフラプロジェクトで各国ともいずれ連携に動き出す。CONNECTIVITYの重要性はどの国も認めており、地域経済統合に向けて踏み出しつつあるのは間違いない」と。

南部経済回廊をクルマで走ってみて、
物流の基幹道路にほど遠いデコボコ道に驚き
 しかし地域経済統合があと1年半後に近づいた今、CONNECTIVITYが機能しているのかどうか、私には気がかりだった。そこでジャーナリストの好奇心で、現場をしっかりと見ておく必要ありと陸路を車で走った。結論から先に申し上げれば、課題は山積だった。
私がクルマで走ったのはタイ、カンボジア、ベトナムをつなぐ約1000キロに及ぶ南部経済回廊だ。タイのバンコクを起点にカンボジア国境のポイペトを抜けて首都プノンペンまでをまず走った。プノンペンで取材のために数日過ごした後、再び南部経済回廊を走り、メコン川をフェリーで横断してベトナム国境沿いまで行き、国境を越えてホーチーミン(旧サイゴン)に到着するコースがその陸路コースだ。

南部経済回廊の大半はさすがに道路整備が進み、舗装も行われていたのでクルマでの走行は比較的スムーズだった。問題は、カンボジア国内に入ってプノンペンをめざす経済回廊に入った途端、片道2車線の未舗装のデコボコ道路に出会った。沿線は農村部が多いので、牛がのんびりと歩く光景が随所にあった。その牛の行列が続く未舗装の道路をトラックが物資を積んで走り抜けていくのだ。物流の基幹道路というイメージにほど遠かった。

カンボジアに分工場化した日本企業はタイの親工場への半製品輸送などで悩み
 バンコクからミャンマーに行く産業道路がつながり、南部経済回廊は一応、ベトナムからミャンマーまでの大動脈道路に近づいた。しかしミャンマーまでの道路もカンボジア国内の一部デコボコの未舗装道路と同じだという話なので、前途多難の感じは否めない。

物流網の未整備は別の問題を引き出していた。タイでの賃金高騰、雇用の需給ひっぱくという厳しい企業経営環境からカンボジア、ラオスに工場移転する、いわゆる「タイプラスワン」で工場立地する進出日本企業が増えている話をカンボジアで聞いた際のことだ。
「タイの親工場からカンボジアに工程の一部を移転させ分工場化する進出ケースが増えてきたが、カンボジア分工場でつくった半製品を仕上げのためタイの親工場に輸送する際、エレクトロニクス部品などは未舗装の道路の振動などで打撃を受けやすく、陸路を使わず遠回りして船便で運ばざるを得ない。加えて、カンボジア国内は電力、水の供給不安があり、賃金や労働力確保で分工場化してもメリットが少ない」と日本企業関係者はいう。
道路の未整備、電力や水の供給不安といったインフラ問題でCONNECTIVITYが機能しない典型例だと言っていい。ミンASEAN事務総長は、このあたりの方向付けをどうする考えなのか聞きたいところだ。

タイのミャンマー国境沿いの橋にひび割れ損傷、
トラック輸送に大影響の事例も
 タイでの現場体験が長いジェトロ(日本貿易振興機構)の助川成也さんに興味深い話を聞いた。それによると、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマーをつなぐ東西経済回廊のうち、タイ北西部のターク県内にあるミャンマー国境沿いのメーソット橋で複数のひび割れ、亀裂の損傷が見つかった。このため、25トン以上の大型トラックに重量制限が加わり、橋の手前で中、小型トラックへの積み替えが義務付けられた。安全対策上、やむを得ない措置だろうが、物流システムの中核部分で、こういった事態が起きれば、CONNECTIVITYの経済効果は減殺されてしまう。

助川さんによると、このメーソット橋プロジェクトは、今や援助される国から援助国に変わったタイ政府の大型援助で建設したものだったが、制度的、技術的な欠陥が露呈したようだ。メンツを重んじるタイ政府は2016年完成に向けて、その近くで代替橋の建設にとりかかっている、という。このあたりも課題を抱える「中進国」の現実かもしれない。

メコン川での水力発電プロジェクトでラオスやミャンマーが援助国中国とトラブル
 CONNECTIVITYの問題は、経済回廊の道路にとどまらない。メコン川の落差を利用した水力発電所の建設プロジェクトをめぐって上流と下流域の国々の利害が対立しているケースもある。
メコン川の上流域のラオスで、電力供給確保のための水力発電所建設プロジェクトをめぐり資金難から中国に援助を仰いで建設を行った。ところが中国側は巨額援助の見返りにダム建設の事業者を中国からひも付きで従事させたばかりか、地元ラオスの雇用創出をせず中国人出稼ぎ労働者を積極雇用、さらに完成後の電力に関しても、かなりを電力需要の強い中国に送電線を使って電力を送って地元ラオスへの還元を少なくしたため、ラオス側との間で「約束が違う」と大問題になった、という話は有名だ。これに似た話は、ミャンマーの北部カチン州での水力発電所建設をめぐっても発生し、ミャンマー政府が中国に建設中止を通告する事態に発展した。

ラオスもメコン川の下流域のタイやカンボジアとの間でCONNECTIVITYトラブル
 このメコン川上流域での水力発電プロジェクトをめぐっては、ラオスは中国とのトラブルとは別に、メコン川の下流域のカンボジアやタイとの間で、CONNECTIVITY虎ヌルを抱えている。上流での水力発電所建設によって、下流域への流水量が変わり、水の利用をめぐる対立、さらに川の生態系を壊しかねないと環境保全がらみでのトラブルなのだ。
いま、ベトナムを加えたメコン川流域4か国で、これらの利害調整のための「メコン川委員会」を組織し議論や紛糾が続いている。オブザーバーとして利害がからむ中国、ミャンマーも参加している。
中国が援助での水力発電所建設支援を武器に、ダム完成後に発電所の電力を中国に強引に送電してしまう強引さも大問題だが、メコン川流域国間でも、ダム建設によって生態系の変化などで下流域が干ばつ被害にあうのも無視できない問題だ。当然、「メコン委員会」での利害調整が必要になる。これもまたCONNECTIVITYの問題と無縁ではない。

課題抱えるASEANにとって今こそ日本の出番だ、
兄貴分として政策アドバイスを
 さて、こんな話を続けると、ネガティブなことばかりで、ASEANの地域経済統合は大丈夫なのか、という議論になりかねない。しかし、すでに述べたASEANのミン事務総長の発言にあるように、山積する課題を抱えながらも、加盟10か国は着実に動き出していることだけは間違いない。
日本としては、これまでの報告でも述べてきたように、先進国、つまり先を進んできた先輩国として、マクロ経済政策運営の成功と失敗の経験を伝えてアドバイスすること、とくに今後、ASEAN各国が経済成長の過程で直面する都市への人口集中に伴うさまざまな都市化の課題、さらに人口高齢化に伴う医療や介護、年金などの制度設計をどうするか、さらに経済成長と環境保全、公害対策とのバランスをどうするかなどに関してもアドバイスすることが極めて重要だ。まさに、日本の出番だ。

中国や韓国のASEAN攻勢すさまじいが、
日本の「強み」発揮で存在感示せる
 今回歩いたメコン経済圏諸国で、各国の人たちと話をしていても、兄貴分としての日本に教えてほしい、学びたい、連携したいといった期待やニーズを強く感じた。とくに、以前の報告でも述べたように日本の品質管理力、メインテナンス技術力への期待は極めて強い。裏返せば、それらが日本にとってはすべてビジネスチャンスともなる。
中国や韓国のASEAN攻勢はすさまじいものがあり、日本としてもASEANとの連携戦略を持つことがますます重要になるのは間違いない。しかし、こと品質管理力メインテナンス技術力などに関しては、日本は、中国や韓国に比べて、ASEAN各国、とくにメコン経済圏諸国の間では絶対的に優位な立場にあり、その評価も受けているので、この強みを生かすことだと思った

メコン諸国現場レポート7 したたか中国のアジア南下戦略 日本はASEAN連携でスクラムを

 締めくくり時期のメコン経済圏諸国報告で何としても触れざるを得ないのが、中国のASEAN(東南アジア諸国連合)南下戦略の問題だ。今回はこの問題を取り上げよう。

世界地図を広げてみて、すぐおわかりになると思うが、巨大な中国が、南部地域で国境を接するラオス、ミャンマー、ベトナムはじめ陸のASEANと言われるメコン経済圏諸国に対して、ぐっと迫る姿が目に入る。地図だけ見ても何とも凄味があるが、いざ現実の世界、とくに中国の南下戦略といった形で南進が進めば、もっとすさまじいだろうなということは容易に想像が出来る。

ASEANにとっては中国の存在は強烈な存在、
自己都合の戦略で圧迫される脅威
 この同じ地図を逆にメコン経済圏諸国側から見た場合、それは強烈な圧迫感となる。もっと言えば重くのしかかってきて踏みつぶされるこわさ、脅威を感じざるを得ない、といった方が正確だ。この構図は厳然たる事実で、それがそのまま双方の力関係の差にもなっているが、大事なことは、メコン経済圏諸国のみならずASEAN10か国全体の問題を考える時に、この構図を必ず頭の片隅に置いておかねばならない、ということだ。

その中国は今、メコン諸国に対してさまざまな形での南下・南進戦略を展開している。戦略、という言葉に関して、本当はもっと意味が深いものなのに、私は安易に使っているな、と思われる方もおられるかもしれないが、中国のASEAN南下戦略を見ていると、ある面で極めて自己都合の戦略と言っていいのでないかと思うほどだ。
端的には、中国は巨大な経済力を背景に半ば過剰設備投資で過剰生産した中国製品のはけ口を足元のASEAN諸国に求め、その輸出先市場拡大のために安値攻勢をかけて必死でシェアをとろうとする。

中国は未加盟OECD金利規制を逆的にとり有利な金利条件で受注案件を手中に
同時に、中国は先進国クラブのOECD(経済協力開発機構)に未加盟なの立場を逆手に取り、OECDが決めた金融秩序維持のための金利規制ルールを日本などの加盟国が懸命に守るのとは対照的に、受注競争で確実に有利展開できる都合のいい金利を設定して資源開発プロジェクトのみならずインフラプロジェクトをどんどん手中に収めてしまう。逆に、OECDルールを忠実に守る結果、日本企業はさまざまなプロジェクトの現場で、中国に煮え湯を飲まされることが多々あるのは当然の帰結となっている。

とくに、中国は人民元高を回避するための人民元売り・米国ドル買いの為替介入政策を過去、頻繁に行った結果、2014年1月現在、3兆8600億ドル(円換算386兆円)というケタ外れのドル建て外貨準備となっている。この巨額の為替介入で中国国内に出回る人民元の過剰流動性はすさまじいものになり、金融当局の頭痛のタネだが、一方で、このドル資金が海外での資源買いあさり資金やASEANやアフリカへの戦略的な援助資金に回り、皮肉なことに中国の存在感を高める結果になっているのは言うまでもない。

ただ、中国の半ば強引で自己都合の戦略がすべて功を奏す、というわけではない。というのも、中国には失礼ながら、過去に道路などのインフラプロジェクトで技術的な欠陥などが見つかり補修に不必要なエネルギーをつぎ込まざるを得なかった事例もある。そこで、プロジェクト発注する側の国々は、仮に中国側から破格に有利な金利条件の融資案件が提示されても、技術的欠陥の有無をチェック、総合評価で日本や他の先進国企業に委ねるケースがある、とプロジェクトにかかわった日本企業関係者から聞いたことがある。

タイの高速鉄道建設支援で、
中国は建設代金をコメの現物支払いでOK?と提案
ただ、今回のメコン経済圏諸国の旅の際、タイのバンコクで聞いたホットな話に「えっ、本当に?」と聞き返しながら、思わず笑ってしまったのが中国の対タイ高速鉄道建設プロジェクト支援提案だ。タイ政府が進める大型インフラプロジェクト案件のうち、高速鉄道建設案件に関して、中国政府としては、もし建設受注が認められたら、タイ政府の巨額事業のうち、建設を担う中国側への建設資金の支払いの一部をタイ米という現物で手当てすることもOKと提案したのだ。にわかに信じがたい話だと思われようが、事実なのだ。

要は、タイ政府が農民対策の一環としてタイ米を担保に融資を行い、結果的にコメ買い上げを行う、というプロジェクトに関して、政策の詰めの甘さで財政負担が大きくなってしまい、タイ政府は苦境に立たされている。そこで、中国政府は、タイ政府の台所事情の 弱み部分を鋭く見抜き、もし受注が出来るならば、在庫の山になっているコメで返済してもらってもOKと提案したのだ。

タイ憲法裁が資金確保めどつかない大型プロジェクトに「待った」かけたので不透明に
そこがまさに中国のしたたか戦略の部分で、仮に受注後、中国国境まで路線を引っ張り中国側の高速鉄道とリンクさせれば、ASEANへの鉄道アクセスが容易になる。タイに巧みに恩を売りながら、中国自身もASEANへのアクセスの中枢部分の高速鉄道をフル利用しようというわけなのだ。

結果的に、この高速鉄道建設プロジェクトを含めて、現在のタイのインラック政権が打ち出している大型インフラプロジェクトは、総額2兆バーツ(円換算約6兆円)の巨額資金に及ぶため、タイ憲法裁判所が、コメ政策の失敗による財政困窮状況のもとで政策実行するのは適切でないと「待った」をかけた。このため、中国が戦略的にコミットした高速鉄道プロジェクトの行方は不透明だが、中国にとっては、それに代わるASEAN戦略展開の材料は数多くあり、とくに動揺をきたすような筋合いのものでない。

中国がラオスなどの水力発電プロジェクトで強引さ目立ち、
現地政府から反発招く
それでも中国の南下戦略に自己都合の強引さが目立ち、現地政府の反発を招いた事例もある。すでに別の報告で述べたので、ご記憶かもしれないが、巨額の援助資金をもとに進めたラオスやミャンマーでの水力発電プロジェクトでは、中国のやり方が手前勝手で、地元経済への還元がなく雇用創出にもつながらず、えげつないと批判を浴びたケースだ。

とくに、中国プラントメーカーが「ひも付き援助」の形でプラント輸出し、しかも雇用労働力も中国国内対策を優先して現地雇用しなかったことがあつれきを生んだ。しかし決定的だったのは、発電所完成後の電力送電の檀家になって、中国側が、援助許与国という強みを武器に、発電した電力のかなりの割合を地元還元せずに電力需給ひっ迫の中国に送電線を使って送電したことだ。ラオスもミャンマーも電力不足が深刻な状況だっただけに、 中国のやり方はえげつない、と現地政府の反発を招いてしまった。
日本の発想ではプロジェクトを請け負った限りは、現地政府のニーズに最大対応するのが当たり前で、中国のようなやり方は到底、考えられないことだが、中国は大国意識が強すぎるのか、そこが決定的に異なる。

松田公太が藤田晋に聞く「社員と渋谷」にとことん向き合うその理由は何か

賢者の選択 Leaders SPECIAL TALK SESSION(WEB限定公開)

白石お二人は、いつ頃からお知り合いなんですか?

松田私の記憶が間違っていなければ、上場したのが2001年の時だったんですね。その直後くらいに藤田さんに会っているので。14、5年くらい前。たしか上場したのが2000年くらい…。

藤田2000年のことですかね。

松田ええ。

藤田2000年から、若手上場企業社長の会というのをホリエモンと、テイクアンドギブニーズの野尻さんと3人でやってたんですよ。

白石そうなんですか。

藤田それで、なんかこうね。3人で話しているのが息苦しくなってきて。松田さんに入ってもらおうと思ったんです。それで4人でやりはじめたんですよね。

松田そうですね。

白石そこからなんですね。

松田当時は、新しい市場が出来たばっかりだったんです。マザーズもそうですね。私が上場したのはナスダックジャパンというところだったんですけれども、若手の上場会社の経営者っていうのは、ほとんどいなかったんですね。それで、その4人が最も若い方々だった、非常に懐かしいですね。

白石お互いの第一印象っていうのは、どうだったんですか?

藤田爽やかなスポーツマンみたいな感じでしたね。

松田ありがとうございます。

藤田今もそうですけどね。やっぱり、野尻さんとホリエモンと行き詰ってた時から、松田さんに対しては、1人爽やかな人が入って良かったなっていう感じが強いですね。

白石新しい風が…。

藤田まさにそうですね。はい。

松田実は僕、その4人で食事をする直前にたまたま週刊誌を見ていたんですが。そこに藤田さんがドバーンと出てたんですね。見開きのページだったんですけれども、そこにプレジデントという最高級車から出てくる藤田さんの写真があって。当時26歳にして大成功して、ちょっといけ好かないなって思っちゃったんですよ。すごいなと。自分も上場したばかりだったんですけれども、その時はまだ車もなくて。それで、なんかカッコつけてるんじゃないかと。そういうふうに、はじめに思ってしまった。でも会ったらぜんぜん印象と違ったので、それこそ本当にすごく優しくて、爽やかな人でした。

白石そうなんですね。少しお話は変わりますけれども。創業以来、サイバーエージェントは渋谷に拠点を置かれていますよね。その理由というのは、どんな想いからなんですか?

渋谷へのこだわり

藤田僕が青山学院出身で、渋谷に土地勘があったんですけど。やっぱり若者を集めるのに渋谷という土地がすごく便利というか。採用するのに、日本橋とか新橋よりも渋谷で働きたい人が多いんです。そう思っていたら渋谷にIT企業がどんどん集まり始めて。土地の集積効果ってあるんですよね。インターネットビジネスをやっていると渋谷に人がいっぱいいて有利というか、便利というか。インターネットビジネスは、どこでも良いかに思えるんですけれども、自然と東京ばかりに集中して、東京の中でも渋谷近辺に集中していますね。

松田サイバーエージェントが出来てからIT企業がどんどん集まって、物凄く様変わりしたなというふうに感じたんですがね。ただ残念なのが、ここで成功するとね、みんな成功したからって港区の六本木に移転しちゃったりとかするんですよね。大きくなったら違うぞと。だから、それを無くしたいですよね。やっぱり渋谷でどんどん成長していってもらいたいですよね。

藤田まあ、立てるビルが無いっていうのもあるんですけど。

松田そこなんですよね。藤田さんは、ビルが無いんですけれども、フロアをあちこち借りたりしてやってるじゃないですか。やっぱり、会社が大きくなるとさっきの車の話と一緒でね。でっかく見せたくなるので…。一か所に大きなものを欲しがるんですよ。
そうすると六本木ヒルズに3フロア借りてとか。やっぱりね、自分たちの成功の証みたいな。それがないですよね、全く。

藤田それも一緒で。運転手が居た頃、まさにプレジデントに乗っていた頃はまさにマークシティの21階に本社ビルを構えてたんです。でももう飽きちゃって。もういいやと思ってしまった。麓というか、下の雑居ビルに移動して海外からのお客様が来たときとかに、すごそうに見せたいとか。たかだかそんなもんですよね。それ以外は、どこでも一緒だわっていう風に思うようになる。

松田普通人間って、前に欲ばっかりが抜けていっちゃってね。追い求めちゃうところあるんだけど、それが無いのも、一つの藤田社長の成功の秘訣なのかなって感じちゃったりしてるんですね。

藤田成功っていうよりは、長続きする秘訣っていうところでは、モンスター化していくんですよ、みんな。やっぱりちょっと成功すると居なくなっちゃうというか。そういうふうにならないように、周りが見えなくならないように戒め続けております。

社員とのコミュニケーション

藤田社員とはよく食事行ったり、海に行ったりしているんですけれども。今週も2回くらい旅行にいってます。ただ3500人もいるので、1人1人会って話すのは難しい。なので僕も常日頃からブログを書いたり、SNSで発信したりしてそれを見てるし、社員もいつも書いているので。そう言った意味では自社のサービスも僕自身のことも、とても身近に感じてくれているのだと思います。

白石そういったコミュニケーションって必要ですよね。

松田すごい重要ですね。特にこれからベンチャー企業はそれをベースにしていくべきじゃないかなと思います。ただ、藤田社長の場合はみんな読みたくなるんですよね。藤田社長のブログを。内容が面白いんですよ。

藤田社員に会社の方針とかを説明したり、なぜ変えたのかを説明したりするのを敢えてオープンにしているので。やっぱり社員の親とかの方がよく見てますよね。

白石そうなんですか。

藤田はい。競合企業とか。松田さんもそういえばブログ書くの上手ですよね。

松田アメブロに書かせていただいています。

藤田よく見ますけど。

松田本当ですか。

藤田文章が上手です。

松田とんでもないです。ありがとうございます。

藤田清廉潔白な政治家感が伝わってくるんですけど。

松田そこで笑っちゃまずいです。

藤田いやいや。なんかブログが上手だなと思ってます。

松田ありがとうございます。

社員のモチベーションの上げ方

藤田基本的には、優秀な社員を採用して、その社員がモチベーション高く働くことで会社を伸ばしてきたんで。モチベーションを上げることばっかり考えていますね。

白石例えば、どういったことをやりますか?

藤田まず、大前提として会社が成長しているとか、十分な報酬を貰っているとかがないとどんな小細工しても無理なので、そこは重視します。会社の業績を伸ばして、ちゃんと給料を払うしかないんですけどね。あとは、それだけではなくて、様々ですね。

松田昔から会社を見ていて不思議なのは、人事制度。一度話を伺ってみたかった。物凄いドラスティックな人事制度を取るじゃないですか。普通ああいうことをやっちゃったらダメになるんじゃないかな、と正直思うんですよ。執行役員が1年で降ろされちゃうとか。僕がいた飲食業界でそれをやってた会社って、たぶんいくつか思いつくと思うんですけれどもダメになっていくんですよ。あまりにも難しすぎて。それと同じようなことをやられている。執行役員を毎年、3、4人くらいは変わるように取っている。

藤田そうですね。

松田それなのに、社員がちゃんと付いてくる。そこが非常に不思議で、今日それを聞きたかったんです。

藤田CA8っていう制度がありまして。役員が8人って決められて、そのうち2人が2年に1回入れ替わるんですよ。そういうことをオープンにやっているからだと思うんですよね。何故それをやったかというと、そのままにしておくと、経営陣が皆若い分、2・30年居座りそうに見えるんです。下の人に席を空けてあげようよと。そういうことを皆で決めてブログに書いて説明した。それで、皆の活力を引き出したいというのも正直な狙いですね。でも結局、1番活力が上がったのが落ちたくない役員たちだったんですけど。外れたくないというか。

松田Jリーグとかと一緒ですよね。入れ替え戦のところが1番盛り上がるという。今まで日本に無かったような考え方で人事制度を作られていっているので、何でも新しいことにチャレンジしますよね。社内の電話をスマートフォンに一気に乗り換えるっているのもそう。あれを見た時に大丈夫かなと。はたから見ていると心配になっちゃいました。

藤田はい。

松田今だからこそ、それが成功だったって皆思うかもしれないけれども、当時は本当にこれやっちゃって大丈夫なの?サイバーエージェント潰れちゃうんじゃないの?そういう想いを持ちますよね。

藤田やっぱり昨日と同じ今日が楽なのは皆、一緒だと思うんですけれども。それを変えていく勇気が無くなったら、もうネット業界の経営者としては終わりだと僕は思っているんですよ。逆に言うと、ネットについていけなかった経営者っていうのは、要はパソコン分からないって言ってやろうとしなかった人とか、携帯で物を買うなんて分からないっていう考えだったり。楽天の時もそうでしたけどね。まあガラケーからスマフォに変えないというのは、一般の人は良いと思いますけど、ネット業界の経営者でガラケーを使っている人を見ると終わったなって思いますよね。

松田ガラケー使ってます?

白石スマートフォンです。

藤田政治家は仕方ないんじゃないですか?

松田いえいえ、私もスマートフォンです。

藤田がんがん電話していかなきゃいけないから、電話機として使う人はやっぱりガラケーの方が便利ですよね。

社員の才能の伸ばし方

藤田やっぱり才能を伸ばすっていうのは何よりも経験させることが大きいので。僕自身も24歳で会社を作って経験したから経営者としての能力が身に付いたと思ってます。やっぱり学校で勉強していってもそんなの見に付かないので。早々に抜擢し、子会社の社長をやらせたりだとかしています。

白石そうなんですか。

藤田はい。重要な幹部に登用したり。はやく抜擢させて、経験させて育てるというのを大事にしていますね。

白石どうしてその人を抜擢しようと思うのでしょうか?どういった点がポイントなんでしょうか?

藤田なんか本当に、気合が入っているとかですかね。

白石気合ですか?

藤田そうですね。ある程度、素養は見ますけど。あとは、まあやる気ですね。

松田さっきからお話を聞いていますとね。やっぱり、あの勝つ姿勢がすごいんですよ。感覚といいますか。昔からこれは有名な話ですけれども麻雀めちゃくちゃ強いじゃないですか。その辺から来ているのかなと思ったりするんですけど、どうですか?

藤田僕は感性だけで生きているわけでは無くて、感性とロジカルのキャッチボールというか、そういったところを大事にしているんです。麻雀もそうなんですけど、洞察力とかとロジカルに考えたりするキャッチボールの行き来の中で、やっていくというのが、身についていますね。

白石才能ですもんね。

松田才能と、たぶんですね。さっきもお話しましたけれども失敗と成功の繰り返しから出てくるんじゃないかなと思うんです、私持ち上げちゃいましたけど、藤田さんやっぱりね。失敗することも多いじゃないですか。ビジネスもね。いろんなところで。結婚もいっぱい失敗されてますけれども。

藤田はい、ご自分もじゃないでしょうか。

松田はい。それで、毎回同じ間違いを繰り返さないように、その学びから築き上げてですね。どんどんレベルアップしていくんですよ。それが、私は藤田社長の強みじゃないかなと思うんですよね。

藤田やっぱり経験からくるものは、感性に影響していますよね。

白石失敗を恐れずに…。チャレンジするということですよね。

女性の働きやすい職場づくり

藤田成長するというか、女性がいきいき働いているという意味でいうとサイバーエージェントは世の中的な意味で言うとかなり輝いている方だと思います。それでも幹部になる人が少ないんですよね。あんまり出世意欲がないのか、日本社会がどうしても男社会なのか理由はよく分からないんですけど。物凄く平等というか、男女の区別もないような働き方をしているのに、何故か上に上がってくるのは男が多いという。そこは、積極的に登用しようとしていますね。

白石働きやすい環境をつくるということで2014年は、新たな制度を作り上げたとお聞きしたんですけれども、詳しく教えてもらえますか?

藤田2014年度。マカロン制度ですか?

白石はい、そちらを説明いただいてもよろしいですか?

藤田政権がね。女性活用というか、女性の活躍を応援したいっていうのに合わせて我々も何か出来ることをしようという中でやったのが始まりですね。一つは、不妊治療を応援する制度。これは、友人で東尾理子さんが仰ってたんですけど、不妊治療っていうのは、本当に大変なんだそうです。それを支援するような姿勢を会社で作ってあげてって言われまして。話を伺って、本当にそうだなと思って不妊治療休暇が取れるようにしたんですよ。

白石そういった制度があるということは、お子さんを出産されて復帰される方が多いですよね。

藤田復帰率は、物凄く高いですね。自分も今、2歳の子供が居るんですけれども、子どもが出来てよく分かったのは、家にずっといて子供を見ていると行き詰るんです。会社に戻りたいっていうのもあるだろうなと。そういうところも考えながら、そういう制度を作っていますね。

白石なかなか日本の企業というのは戻ってきにくい。ママが戻ってくるシステムが出来てませんよね。

松田そうですね。ほとんどないですよね。ほとんどの企業がまだないですね。ですから、まさしく先駆者としてやっていただいて。特に、そのベンチャー企業がそれをやっているというのが良いですよね。

白石はい。ここまでいろいろなお話を聞かせていただきましたが松田さんいかがでしたか?

松田ここの事務所に私は何回も来させていただいたんですけれども、しっかりと会社の人選など、そういう話をしたのは始めてくらいですよね。普段は、もうちょっと楽しい話をしているのですがね。

藤田まあ政治の話を聞いている方が面白いですからね。

松田政治に関心があるので。物凄く詳しいんですよ。

藤田いやいや。ただ新聞を読んでいるくらいですよ。

松田先ほどもね。経験に合わせて女性の活用も考えたって言ってますから。たぶんそういう考え方を持たれている分、これから育っていくベンチャー企業が、同じような考えを持って行ったら、日本全体が流れが変わっていく。そんなキッカケになるんじゃないかなと思います。なので、今日こういう形でお話を聞けて良かったなと。

松田ありがとうございます。

白石ありがとうございます。

藤田ありがとうございます。

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遺伝子と免疫の力で、がん治癒を目指す

一人の思いが世界を変える。賢者の選択、Leaders

蟹瀬賢者の選択リーダーズ。ナビゲーターの蟹瀬誠一です。

ドーキンズドーキンズ英里奈です。

蟹瀬今回は、ガンの治癒を目指し個別化医療を進める、ある研究者の取り組みに迫ります。

がんの治療を目指し、個別化医療の研究を進める、ある研究者の取り組みとは?

中村私は、ガンを治すということをゴールに研究してきましたし、今やもうそれは、現実的視野に入っていると思います。あと10年、20年すればガンは慢性疾患になるくらい、ガンの治療は変わってくると思います。

遺伝子レベルでガンと対峙し、治癒への道を開きたい。中村のガン治癒に向けた取り組みと思いとは?

ドーキンズそれでは、本日のゲストをご紹介します。シカゴ大学医学部教授、中村祐輔さんです。よろしくお願い致します。

蟹瀬どうもよろしくお願い致します。

中村よろしくお願い致します。

蟹瀬先生、ガンはね。本当に日本で国民病と言われるくらいになりましたから。やはり、日本とアメリカの最先端の情報を今日は教えていただきたいと思います。よろしくお願い致します。

治癒を目指す

蟹瀬さて、冒頭のVTRでですね。ガンの治癒を目指すと。完全に治すということですよね。そういう日というのは、本当に来るのでしょうか?

中村1980年代になって、ガンが遺伝子の異常で起こるということが分かりました。いろんな技術の革新もあって今は、もう簡単に遺伝子が調べられるようになり、個々の患者さんで起こってきている遺伝子の異常が分かって来ましてね。それに応じた薬が作られるようになり、以前と比べれば今では50%以上の患者が治っています。それがだんだん治癒率を上げて行くと、そう感じています。

ドーキンズ遺伝子がポイントなんですね。

中村我々の持っている遺伝子は、年を取るごとにどんどん異常を積み重ねていって、あるレベルを超えると細胞の増殖に歯止めがかからなくなるんですよね。それがガンという状態になるわけです。

人体を構成する細胞は、遺伝子によって細胞の入れ替わりや増殖などが制御されている。本来、必要な細胞は必要に応じて増減するが、遺伝子の傷ついた異常な細胞は無制限に増えたり周囲に広がることで人体に悪影響を与える悪性腫瘍を形成する。これがガンである。

中村ある種の白血病などは、遺伝子の異常が分かって、それに基づいて薬が分かるようになりました。そのため、今や高血圧や糖尿病と同じ様な慢性疾患の様な形で治るようになってきています。

蟹瀬じゃあ、効率良く治療が出来るということになるんですかね。

中村そうですね。かつてガンの治療は、ガンも叩くけれども、とにかく正常細胞も叩いてしまって。それで強い副作用が出ていました。それが、原因に基づいて薬を作ってガン細胞だけを叩くという時代になってきたわけです。

プレシジョン医療

蟹瀬中村先生は、このゲノム医療を専門にされているということなんですけれども、具体的にはどのような治療になっていくんでしょう?

中村ゲノムというのは、我々が親から子へ受け継いだり、あるいはそれぞれの細胞の中に含まれている遺伝子の総称を言います。私は、1990年の半ばからオーダーメイド医療という言葉を使っていたんですけれども、病気の性質、ガンの性質は一人一人の患者さんで違うということがわかりました。一人一人の患者さんの性質を見極めた上で、その薬を選んでいくと。プレシジョンっていうのは、正確にっていう意味で今はオーダーメイド医療っていう言葉がプレシジョン医療という言葉に変わって非常に広く使われるようになったんです。やっぱり一人一人にあった治療法を提供するという形で、どのような形で研究し、どのような形で患者さんに還元するのか考えながら研究しています。

蟹瀬そんな中で遺伝子検査を行うメリットを整理するとどういうことになるんでしょう?