ガン患者にQOLを!自らの罹患と大臣経験を経た問題意識と挑戦【前編】

宮川 賢者の選択リーダーズ。ナビゲーターの宮川俊二です。

白石 白石みきです。

宮川 今日のテーマは治療の選択ということですね。病気はなんでも嫌なんですけど、軽いのですとね自分で薬を買ったりとかあるいは病院へ行ったりとか、ということがあったりするんですけど。やはり、重い病気ということになりますと精神的な負担も非常に大きくなりますよね。

白石 そうですよね。

宮川 そうした病気の一つがやはりがんと。

白石 そうなんですよね。今や二人に一人はがんになる時代とも言われてますし、最近の報道ではがん患者10年の生存率が58%と前回より少しアップしてるとも言われてますよね。がんの進行具合によっては手術をして術後定期検診だけでその後普通に生活しているという方もいますしがんの部位によっては放射線治療または抗がん剤治療を行っている方もいますから治療方法というのは様々ですよね。

宮川 そうですよね。2006年に国ががん対策基本法というのを施行しまして国を挙げてがん対策というのは推進されているのですが。今も三大療法といいますと手術療法、化学療法、放射線療法ということになります。

がん患者のために立ち上がったある人物の取り組みとは?

宮川 そこで今回は自らの大腸がんの経験からがん患者のために立ち上がったある方の取り組みに迫ります。

免疫の力でがんを治す患者の会 がん免疫療法 普及への取り組みとは?

坂口が目指すいつでもどこでも誰でも受けられる治療法へ。その普及への取り組みとは。

白石 本日のゲスト、免疫の力でがんを治す患者の会、会長の坂口力さんです。よろしくお願いいたします。どうぞこちらへ。

坂口 よろしくお願いします。

白石 まず早速なんですが、坂口さんが立ち上げた「免疫の力でがんを治す患者の会」というのはどのような会のですか。

坂口 その字の如し、説明のいらない名前にしてあるんですが、できるだけですね医療従事者も含めてこの免疫ということに目を向けて、患者の皆さん方も免疫の力で本当にがんが治るんだろうか、こう思っているだろう方もありますし、医療従事者の中にも免疫でそんな治るかねと疑問を持っている人たちもまだいる。そして行政の皆さん方にもこのことですね早く認識をしてそして制度そのものもきちっと作り上げてもらいたい。こういうことで作ったわけですね。

宮川 それではその厚生労働大臣時代の話も含めまして今日はゆっくりお話を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

白石 よろしくお願いいたします。

坂口 お願いいたします。

憧憬

白石 さて、坂口会長といえば初代厚生労働大臣ですが、お医者様でもいらっしゃいますよね。なぜ医学の道を進もうと思われたんですか。

医師・坂口力

坂口 私の母の兄、だから私にとっておじさんに当たる、これは高等小学校を出ただけでですね、苦学を積み重ねて積み重ねてそして医師になった。17歳の時に志してそして医師になったのが34歳。17年かかって医師になった。しかし私にとってみれば前にそびえる富士山みたいなものですよ。猛烈な勉強をしたんだと思うんです。だから俺もやったらひょっとしたらできるかもしれないという気持ちはあった。いっぺんやってみるかということになって。たまたま偶然にも通ったと。

宮川 ご専門はどういうタイプの先生でいらしたんですか。

坂口 私はですね、子供のことが好きで、小児科をやりたいと思っておりまして小児科の方に進む予定だったんですが合わせて公衆衛生を勉強しようというので衛生学を一方で勉強しながら一方で小児科学、あるいは神経学というものを勉強したということですね。

原発事故処理で東電の一時国有化に反対、国民負担での公的資金注入は筋違い まずは東電が最大責任負うこと先決、同時に原発認可した国の責任追及も必要

 東京電力の経営陣はいま、福島第1原発事故現場で連日のように次々と出てくるトラブル発生で必死の対応に追われる一方、放射能汚染の恐怖が増幅されて社会不安となり、それが東電への反発や不満となってきている。針のむしろに座らされている心境だろう。しかし日本国内だけでなく世界中を震撼させる非常事態だけに、やむを得ない。

東電はいま、安全確保に最低でも数カ月が避けられない厳しい現実を前に、まずは事故収拾に向け全力を注ぐこと、夏場の電力需要のピーク時対応に向けて、どういった供給体制をとれるか必死で考えること、今後の被災者へのさまざまな補償や損害賠償にしっかり対応することなど重い課題に最優先で取り組むことだ。間違いなく、東電の企業存続がかかっている。経営がどうあるべきか、責任をどうとるべきかは、そのあとの問題だ。

メディアで国の東電経営関与めぐり観測報道、そのつど金融市場は動揺し混乱
 ところが、そうした中で、最近になって、東電の一時国有化論が出てきた。事故処理や損害補償に巨額な資金を必要とするため、東電単独での企業対応では無理との判断がポイントになっている。メディアの間でも観測記事が流れ、そのたびに株式市場での東電株、また債券市場での東電社債価格が動揺して揺れ動く。海江田万里経済産業相は記者会見で「原発情勢が動いており、いま東電の経営のあり方を議論する状況でない」と述べ、方向がまったく見えない事故の処理が先決との判断を示した。そのとおりだろう。

にもかかわらず、毎日新聞は4月1日付の朝刊1面トップ記事で政府が意向を固めた、という形で「東電、政府管理へ、公的資金投入」と踏み込んだ。「国が一定程度(経営に)関与するため、出資する形になる」との政府高官発言を根拠にし、東電の一時的な政府管理によって事態の収拾を図る、という政府部内の考えをニュースとみたようだ。この政府高官がどのレベルなのか、菅直人首相なのか、枝野幸男官房長官なのか定かでない。経済ジャーナリスト的には関心事の1つだが、メディア報道がお騒がせであってはならない。マーケットがまたも動揺して不安定な動きを誘発しかねないからだ。

一時国有化案は事故処理や損害賠償の巨額負担には国の支援必要が根拠
 ただ、こういった形で一部国有化論まで踏み込んだ議論が台頭する以上、今後の議論が上滑りにならないようにするため、本当に公的資金をつぎ込んでまで東電経営を一時的に国有化の必要があるのかどうか、それに、原発事故対応で事業体としての東電の経営責任が第一義的にあるのは間違いないものの、今回の局面で全く議論されない国の責任はいったいどうなっているのかーーといったことについて、少し述べてみたい。

結論から先に言えば、まず、東電の一時国有化論に関しては反対だ。とりわけ国民負担の形で公的資金を注入といったことには反対だ。なぜ税金を投入して事故処理への対応が必要なのか、初めに公的資金という論理には飛躍がある。ここは、東電があらゆる資産を投げ打って、必死でもがき苦しんで対応することが先決だ。被災者を含め国民は、その東電の経営の取組みを見ないと納得しないはずだ。

「想定外」問題と別に、事故処理検証で「人災」が判明すれば東電も覚悟必要
 東電は、他の電力会社と同様、電力の安定供給という厳しい供給責任義務を負わされているものの、その一方で地域独占という形でさまざまな恩恵を受けてきたことも事実。その東電が、今回の事故の「失敗の研究」の過程で、いわゆる「想定外」という問題とは別に経営の判断ミスが判明したり、あるいは原子炉建屋の爆発事故や炉心溶融リスクなどをめぐる真相究明過程で、仮にもリスク対応について決断の遅れなど「人災」があり、それによって放射能汚染に至る重大事態を起こしたとなれば事業体としての責任は重くなる。
それらの検証が今後、何としても必要だが、事故処理をめぐっては、いずれにしても東電に最大限の経営責任をとってもらわねばならない。そこに、国民負担のような形で公的資金を注入するという話がさきに、しかもすぐ出て来ること自体、おかしなことだ。

毎日新聞の経営再建ヒントに、東電も新旧経営分離で事故処理などの対応を
 そこで、私は、かつて在籍した毎日新聞の経営が厳しくなった際にとられた手法をそのまま、今回の東電に適用し、経営の新旧分離によって事態の収拾を図るべきだと思っている。具体的には、旧社が廃炉を含めた事故処理、被災者や地域住民への損害賠償などに取り組み、その処理にあたる。新社は、民間出資を仰ぎ、首都圏を中心に巨大な電力需要を満たすための供給システムの再構築に取り組む。その場合、民間主導でやるべきだ。
日本航空の場合、会社更生法を踏まえ100%減資、金融機関からの債権放棄、半官半民の企業再生支援機構が公的資金の形での出資で公的管理下に入っての再建だった。東電の場合、事故処理と電力の発電・送電・売電は別々にやるべきで、日航とは違うと思う。

こんな発想でいたら、毎日新聞OBの秋山哲さんが「メディアウオッチ」最近号で「東電の国有化に断固反対する」というコラムを書かれ、やはり経営の新旧分離でいくべきだ、と主張されている。この「メディアウオッチ」は前回のコラムで、「言論はメディアの独占物でない」と書いてメディア以外の人たちも言論形成に参画を、といったコラムだが、そこでの秋山さんのポイントは、現在の東電が廃炉作業や被害補償に限定した会社となる、新会社は経済界あげて出資し、その資金で福島第1原発を除く東電のすべての資産を買い取り、電力供給を担う、という大胆なものだ。

東電など電気事業者の責任に押し付けるのは問題、国の原発認可責任に問題も
 ところで、もう1つ、ぜひ今回、述べておきたい問題は、国の責任がどうなっているかという点だ。3月11日の大地震・大津波、それに続く東電福島第1原発事故のうち、国民生活に大きな不安を与えた原発事故をめぐっては終始、東電の対応が問われた。原発の現場を管理・運営している事業体だから当然のことだ。
事故がケタ外れのものになってくるに従って、東電の現場、東電本社の対策本部、原子力安全・保安院、原子力安全委員会、首相官邸の対策本部の間の連携がスムーズに行かず、危機管理が大きく問われた。メディア調査報道を見ていると、東電のリスク対応に大きな課題を残し、菅直人首相が東電本社に乗り込んで東電と政府の合同対策本部をつくり、細野豪志首相補佐官を常駐させて危機対応に乗り出した。異例のことだった。刻々と動く事態の推移の中で、この首相判断は評価できるが、問題は、もっと以前の国の責任だ。

今回の福島第1原発を含めて、現在、全国に54基ある原発については、それぞれの電力事業者の建設認可申請をもとに、国の原子力安全委員会や現在の原子力安全・保安院が安全審査などを踏まえてゴーサインを出している。このうち、福島第1原発に関して、当時の国の判断はすべて正しかったのか、地震に対応する原子炉の耐震構造チェックのみならず、今回の大津波をどこまで想定し、安全と見極めたのか、もし、それらの認可判断を越える事故が起きた場合、国はどういった責任を負うことになっているのか、という点だ。
結論を言おう。国は過去に責任をとって担当大臣はじめ行政責任者が引責辞任したケースは皆無だ。今回の福島第1原発の設置認可の判断、責任の所在などに関して、メディアの検証が必要だ。要は、東電など電気事業者だけの責任に帰すべきでない、ということだ。

米国、仏では原発監督に第3者機関、日本の行政はアクセルとブレーキが一緒
 それと、原発安全規制をめぐる米国、フランス、日本の国際比較をした場合、米国もフランスも原子炉設置者の事業体に対して、米原子力規制委員会(NRC)、フランス原子力施設安全局(DSIN)、原子力設備製造検査局(BCCN)が監督チェックすると同時に、そろって第3者機関の検査機関を置いている。
ところが、日本の場合、経済産業省の外郭組織の原子力安全・保安院が監督チェックするだけで、米国やフランスのような第3者機関の検査機関が存在しないのだ。しかも、すでに識者の間では、常に問題指摘されてきた点だが、経済産業省の資源エネルギー庁というエネルギー推進行政機関と横並びで原子力安全・保安院が存在するのは、ある面でアクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなもので、おかしい。
現在の経済産業省の松永和夫事務次官は資源エネルギー庁で石油部長を、また原子力安全・保安院で次長を、という足取りが象徴的だ。米国やフランスと違って、どこか首をかしげさせる監督官庁の行政の仕組みだ。とくに、中央省庁改革で、かつて旧科学技術庁の原子力安全保安局が経済産業省に一元化され、現在の仕組みなったため、結果として、アクセルとブレーキを同じ経済産業省がコントロールする奇妙な形となった。

東大原子力工学科卒の技術者に独特のヒエラルキー、東電は隠然たる力
 そればかりでない。過去に、いろいろな関係者から何度も聞いた話だが、原子力工学分野の世界は、独特の人脈ネットワーク、それにヒエラルキー(階層構造)が厳然として存在する。具体的には、東京大学工学部原子力工学科を卒業後、まずは東電など電力会社、続いて日立製作所や東芝などの原子力プラントメーカー、大学、そのあとに旧科学技術庁の原子力安全保安局、現原子力安全・保安院という順番で、言ってみればそれがそのまま成績順で卒業生が配置される。
複数の関係者によると、東電などの原子力本部の関係者のプライドの高さは図抜けていて、原子力安全・保安院のような監督機関の同じ原子力分野の技術者も力関係で決まってしまう、という。今回の原発事故で、まさか、東電の現場の技術者のプライドの高さに、原子力安全・保安院の技術者が気後れして対応が遅れたなどということがないことを願うだけだ。

あと、今後の検討課題としては、東電、関西電力、中部電力など電力各社が海岸立地している原発の安全性確保ために、今後、「想定外」というエクスキューズが許されないとしたら、どこまでの大きな津波対応のための安全対策が必要になるのか、同時に、2006年に見直した原子炉の耐震基準に関しても、さらに基準のバーを引き上げる必要があるかどうかの議論も必要だ。

今回事故の教訓は多い、1社単独での原発管理に限界、電力10社再編成論議も
それよりも、今回の東電原発事故での教訓は極めて多い。最近、いろいろな専門家やジャーナリスト、大学研究者の人たちと議論していると、電力9社、沖縄電力を含めれば10社の体制を再検討する時期にあるのでないか、という指摘が目立ってきている。実は、私もその再編成が今後、現実味を帯びてくる、という立場だ。

また、今回と同じような最悪の事態に発展する原発事故が、自然災害などで仮に起きたりするリスクが皆無とはいえない。その場合、仮に1社単独で負いきれないリスクが現実化したりした場合、電力最大手の東電でさえ、この経営危機に陥るのが避けられない事態になったのだ。ましてや経営力の弱い地方電力では対応しきれない可能性もある。
その対応策として、電力の再編成をどう進めるか、ということ、それに、中長期のことを考えたら、前々回のコラムで書いたが、場合によっては電力、ガス、石油の経営統合によって2つ、3つの総合エネルギー会社をめざすことも一笑に付すシナリオではないのだ。

娯楽の常識をくつがえす「パチンコはスーパーやコンビニと同等」に注目せよ!!

福井本日のゲスト、株式会社ダイナム、取締役会長、佐藤公平さんです。どうぞ、よろしくお願いいたします。

宮川よろしくお願いいたします。

佐藤よろしくお願いいたします。

福井まず始めにお伺いしますが、ダイナムはどのような理念を掲げられていらっしゃるのでしょうか?

佐藤「信頼と夢を育む百年の挑戦」という理念を掲げております。

信頼と夢を育む百年の挑戦

宮川100年、大変長い……。

佐藤はい。100年という意味は永遠という意味ですね。

宮川そのあたりのところを、じっくりお伺いしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

佐藤よろしくお願いいたします。

50年

福井冒頭のVTRでもご紹介しましたけれども、ダイナムは2017年で50周年を迎えられました。この50年というのは、どういうふうに歩んでこられたのでしょうか?

佐藤そうですね。ちょうど50年前といいますと、まだ父がいて、葛飾区に2店舗のパチンコ店を経営していたのですね。しかし、その数年後に他界しまして、そのあとは、今は相談役の兄が24歳のときに、仕方なく継いだということがスタートで、その後、兄が本格的に会社を展開していくという過程の中で、ダイナムという社名に変えました。そこからだんだん大きく展開を始めたということです。

福井佐藤会長のプロフィールを拝見いたしますと、1995年に株式会社ダイナムに入社され、2000年に社長、そして、2015年に会長に就任されていらっしゃいますよね。これまでどのような取り組みをされていらっしゃったのですか?

佐藤そうですね。兄がチェーンストア経営に大きく発展するための基礎を作ってきたということで、そのあとを引き継いで、本格的にチェーンストア企業として発展させるために、コツコツと行ってきたということですね。

宮川チェーン展開をするという発想はどういうところから出てきたのですか?

チェーンストア経営

佐藤これも兄が流通の世界に足を踏み入れて、大学を卒業したあとですね、流通がいかにチェーンストア経営というものを取り入れて、発展していくのかを見てきて、これと同じようにパチンコホールでもできないだろうかという発想がまずあったんですね。

でも、当初はいろいろな規則が、がんじがらめにありまして、パチンコホールの、都道府県別で。それがあるために、全国展開は非常に難しいのではないかという思いがあったのですが、でも、なんとかやってみたいということでスタートしてきたということです。

財務の考え方、出店の仕方、組織など、そのなかで採用というのが大きいんですね。「新卒採用を取り続けなさい、将来の会社のために……」、それはダイナムも行ってきました。
当初は大変苦労して、大卒採用を始める二十数年前は残念ながら、社員がアパートを契約する際に、「職業は何だ? パチンコホールか。じゃあ、ダメだ」と言われた時代もあったんですよ、残念ながら。

ですから、四大卒はパチンコホールには入らない。本人がいいと言っても、親御さんがダメだと言うケースが多くて、非常に苦労したんですけれども、これは企業を健全化、成長発展させていかなければいけない、これは従業員のためにも。
それで、今まではそういう事例はたぶんないのではないかと思うほど、変わりました、大きく。

地方出店戦略

佐藤地方の郊外、商圏人口でいうと、5万人程度の非常に安く土地をお借りできるような場所、そこに投資を少なくしていくということがずっと続いてきたわけです。ダイナムの建物の特徴は木造なんですね。これはなぜ木造かというと、これも財務的な考えで、減価償却が20年で済むんですね。鉄骨ですと40年、だから、償却が早く済むということで、健全な財務状況を確保できるという考えなんですけれども。

もう一つは、その地域に溶け込みやすいような共生しやすい店構え、そういう考えで作ってきています。

ダイナムの基本的な考え、志、大きな目標というのは、その店舗のある地域にとって、なくてはならない存在になりたい、言葉を変えると、地域のインフラになりたい。

そんなことをパチンコホールでできるのかなということを言われそうですけれども、まじめにそう思っているのですね。

「自分自身と自分の運命を信じて」前向きに努力した結果は中国国営企業と対応の立場に?!

福井本日のゲスト、大黒屋ホールディングス株式会社、代表取締役社長、小川浩平さんです。どうぞ、よろしくお願いいたします。

蟹瀬よろしくお願いいたします。

小川よろしくお願いいたします。

福井まず始めにお伺いしますが、大黒屋ホールディングスは一言でいうと、どのような会社なのでしょうか?

小川ブランド中古品でグローバルナンバーワンを目指す会社です。

ブランド中古品でグローバルNO.1を目指す

蟹瀬なかなか高い目標を立てていらっしゃっていますね。ただ、今、インターネット上ではいろいろな新しい販売網が始まっていますから、そのあたりを含めて、じっくりお話をお伺いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

福井よろしくお願いいたします。

小川よろしくお願いいたします。

成長性

福井さて、小川社長のプロフィールを拝見いたしますと、大学卒業後、商社に入社されていらっしゃいますよね。もともと、商社希望だったのですか?

小川そうですね。やはり、グローバルな仕事をしたいということで商社を希望しました。

蟹瀬実際に商社に入られて、またここからステップアップしようという気持ちはすぐ芽生えたのですか?

大黒屋社長就任までのキャリア

小川入社して3年目にニューヨークに駐在して、アメリカを見たことがきっかけとなって、もう一段、上に行きたいと思いました。

蟹瀬学校で勉強されて、そのあと、どうされたのですか?

小川ゴールドマン・サックス、アメリカの国内に入りました。

蟹瀬そこでは具体的にはどういう仕事をなさったのですか?

小川日本にはあまりないのですが、プライベートファイナンスという、その中で特に買収ファイナンスとかLBO(レバレッジド・バイアウト)、それに付随するファイナンスです。

蟹瀬そして、1994年に香港の会社の社長になったのですね?

小川そうですね。ゴールドマンにいるときから、中国、アジアのことを考えていまして、で、向こうから社長、厳密にいうと、香港の上場会社、メインボードの社長の持ち株会社の社長ですね。

福井その香港の社長になられて、具体的にはどのようなお仕事をされたのですか?

小川香港では10番目以内のトップテンの会社なのですが、そこは全世界に200社以上持っていたわけですね。そこの投資のすべての管理と、会社の経営をやっていました。

蟹瀬買収した会社の中に、やはり、日本企業はかなり多かったのですか?

小川1997年に、2社買収しまして、グループなんですね。そのあと、何社か買収しました。

大黒屋は小川が買収した日本企業の一つ。ブランド中古品ビジネスに成長性を感じた小川は大黒屋の経営に参画することを決めた。

真贋(しんがん)

福井この番組では大黒屋ホールディングスの今を象徴するものをお持ちいただき、番組を進行させていただきます。今日はどのようなものをお持ちいただいたのでしょうか?

小川はい。電子顕微鏡です。

蟹瀬電子顕微鏡。それはなぜ、大黒屋ホールディングスの今を象徴しているのですか?

小川今、私どもの商品というのは、少量多品種なので、二つありまして、少量多品種を鑑定するために電子顕微鏡を使います。

福井その電子顕微鏡で鑑定するというのはどういうところがいいのですか?

真贋鑑定

小川電子顕微鏡で200倍くらいはいけますので、200倍で生地の要素まで倍率を上げて、それをIBMのワトソンで分析して、画像のマッチングをして解析します。

蟹瀬僕らの若いころのイメージはどちらかというと、虫眼鏡やルーペなどで見ていたというイメージだったのですけれども。

小川まさしくその通りで、うちの鑑定も実はルーペで見ているのですが、勿論、AIで真贋するというのはありますけれども、値段の問題とか、ものによっては少量多品種なので、やはり、人間の力がある程度あって、初めて、真贋鑑定を補完するAIだと思います。

蟹瀬それを聞くと、少し安心はしますね。

小川そうですね。やはり、あくまでも人間の職人気質の力がベースになっていて、それを補完する意味ですね。
質屋はいろいろなお客様がいらっしゃるので、それをどのように扱うかは人間のコミュニケーションが実は大事なのです。ドライに鑑定するだけではなくて、お客様とコミュニケーションして、お客様がどういうニーズを持っているとか、お客様がどのような背景でこれを売りに来ている、どのようなことを考えている、どれくらいのニーズが今後あるのか、ということを的確に把握することが非常に大事だと思います。
実は、質屋ですから、盗品もありますし、人を見る目というのがすごく大事、お客様を見る目ですね。

福井そういう意味では本当に人が重要なのですね。

小川そうですね。まさしく、人が中心になっているビジネスだと思います。

福井私は今、大黒屋新宿店に来ています。こちらで鑑定士の方が買取り、鑑定、値付けをどのように行っているのか、伺ってみたいと思います。

日本エネルギー再生へ「マルチ電源のプロ集団」と地域の対話がつくる未来

宮川賢者の選択ナビゲーターの宮川俊二です。

福井アシスタントの福井仁美です。

宮川今日のテーマは再生可能エネルギーです。

再生可能エネルギー

宮川みなさんご存じのように、日本の資源自給率6%。これは諸外国と比べても大変少なく、ほとんど海外からに、輸入に依存しているという状況です。

福井本当にモノやサービスと違って目に見えないものなので、どうしてもありがたみというのが忘れがちですけれども、でも実際にエネルギーがストップしてしまうと、お料理も作れませんし、お風呂にも入れませんし、携帯電話が充電もできなくなりますし、本当に生活になくてはならないものですよね。

宮川全ての基本ですよね。枯渇する固形燃料に比べて自然の営みの中で再生します、そして継続して使用できる再生可能エネルギーは2011年の東日本大震災以来、特に注目を集めております。そこで今回は再生可能エネルギー事業を専業に、世界に対抗しうる日本企業の成長を目指すあるエネルギー開発会社の戦略に迫ります。

福井本日はよろしくお願いいたします。

木南レノバの木南と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

福井はじめにお伺いしたいのですが、レノバはどのような理念を掲げられていらっしゃるのですか?

木南レノバの企業理念はですね、グリーンかつ自立可能なエネルギー・システムを構築し、社会の枢要(すうよう)な問題を解決する理念でございます。

グリーンかつ自立可能なエネルギー・システムを構築し、社会の枢要な問題を解決する

福井こちらはレノバのロゴですよね?どのような意味が込められているのでしょうか?

木南これは我々の全ての思いが込められておりまして、再生可能な社会そのものを表しております。

再生可能な社会

木南例えば、太陽であるとか、風車、水車、タービン、それから循環、再生、そういったものがモチーフとなっております。これから循環型社会に向かっていくという当社の理念を意味しております。

宮川では、そのあたりをゆっくりと伺いたいです。よろしくお願いいたします。

木南よろしくお願いいたします。

大組織病にはまず企業風土の改革を GEは企業文化変革に取り組んで成功

 グローバル展開するリーディングカンパニーは、さすがに取り組み姿勢が違う。学ぶことが多い。前回コラムで取り上げた「今や日本の大企業が壊れつつある」という問題提起について、うれしいことに反響があったので、アングルを変えて再度、取り上げてみたいと思った矢先、そのグローバルなリーディング企業の1つ、米ゼネラルエレクトリック(GE)に出会った。時代先取りする取り組みがあった上、大組織病に苦しむ日本企業にとっても参考になる事例があった。そこで今回は、それを紹介しながら、製造業現場で不祥事が続く日本企業がそれら企業から何を学ぶべきか、そのヒントが何かを考えてみよう。

 イノベーション研究を続ける企業経営者や大学教授らによる新経営研究会(松尾隆代表)の興味深い会合にチャンスがあって参加した時のこと。運よくGEジャパン社長兼CEOの熊谷昭彦さんの講演「次世代製造業に向けたGEの革新」を聞けた。その内容は刺激的で、ロジックもしっかりしており、私は思わずリーディングカンパニーは違うな、と感じた。

IoT活用の「製造業のサービス化」でGEは時代先取り変革、さすがリーディング企業

 熊谷さんによると、GEが現在、取り組んでいる企業変革は3つ。まず第1が「インダストリアル・インターネット」という、インターネットとモノやモノづくり現場をつなぐIoT(INTERNET OF THINGS)を活用した大胆な事業展開だ。端的には主力製品の航空機ジェットエンジンをこれまでのようにメーカー売り切りにとどめず、新たに、エンジンにセンサーをつけて保守管理チェックサービスを行うほか、エンジンの蓄積データをもとに燃費削減のための運航システムを提案、それらにとどまらずユーザーの航空会社向けにエンジン活用の最適化を盛り込んだトータルソリューションの提供やそのサービスを事業化したのだ。まさに製造業のサービス化だ。

 熊谷さんは「日本の製造業は生産性向上への関心が強いので、ピッタリのテーマだが、GEはいち早く、このサービス化がビジネスチャンスと考えた」という。日本では、日立製作所が高層エレベーターで同じような保守管理サービスを事業化しているが、GEはIoTをリンクさせるところに先見性がある。イノベーションへのチャレンジ精神がすごい。

「完璧なものをつくり世に問う」自前主義に決別、クラウド・ソーシング活用も見事

 2つめが、GEの世界450か所のさまざまな機器の工場をデジタルで切れ目なくつないでサプライチェーン化し、リアルタイムでグローバルレベルの生産効率化をはかったこと。それだけでない。熊谷さんによると、GEはクラウド・ソーシングというシステムを導入し、ジェットエンジンの開発部品を全世界にネットでオープンに公募した。当初、GE内部では「時間をかけて完ぺきなものをつくって世に出すのがGEの企業文化のはず」と反発が強かった。ところがインドネシアの若いエンジニアの応募アイディアが素晴らしく、採用に踏み切ったら大成功だった、という。それもクラウド・ソーシングの1つなのだ。

 大企業の枠組みにとらわれず、外部、それも世界中に技術の源泉を求めてオープンにしたところが何ともすごい。日本企業はまだ何でも自社で、という自前主義を捨てきれていないが、GEは、今やインターネットを活用して埋もれる外部資源活用の時代という判断だ。間違いなく大組織病に陥った日本企業と違って、時代の先を見ている、と言っていい。

「シルクロードを逆走せよ」マーケットの見方を変えるために必要なこととは?!

蟹瀬今日は、本当にお忙しい中ありがとうございます。

出井いえ、とんでもない。

蟹瀬出井さんというと私のイメージでは、あまり日本にいなくて世界中を飛び回っているイメージなのですけれども。今でもけっこう行かれているのですよね。

出井そうですね。ええ。

蟹瀬どのあたりにいるのですか?

出井おととい、ニュヨークから帰ってきました。最近、行くとこはアジアが多いんですよ。

蟹瀬それは、どういう理由からですか?

出井ニーズが高いっていうか。要するに、日本から学びたいっていう人がけっこう多くて。

蟹瀬今回は、クオンタムリープという新しい会社を作られて、そしてそこで何を出井さんがやろうとしているのか。今日は、是非詳しくお伺いしたいなと思っています。

出井なかなか分かりにくいんですけれども。

石田まずは、出井社長のプロフィールをご紹介させていただきます。1937年東京生まれ、1960年に早稲田大学を卒業して、ソニー株式会社に入社。1995年、社長兼COOに就任後、会長兼グループCEOなど10年にわたって歴任。2005年、ソニー会長兼グループCEOを退任。2006年9月にクオンタムリープ株式会社を設立され、現在に至ります。

石田さっそくですけども、このクオンタムリープってどういう意味なのでしょうか?

出井あのね。量子力学の言葉なんですけど、アメリカ人だと口語でジャンプするって使われるんです。成長するとか。ソニーに私が入って、それから出るまでに、900倍になったんです、売り上げが。ということは、クオンタムリープを何回もやったと。それで、自分で会社作った時には、クオンタムリープってつけようと。リープスってSが付いているでしょう。

蟹瀬何回も飛ぶ。

石田ジャンプしていくっていう。

蟹瀬日本語にするとカエル飛びみたいな感じですよね。

出井カエルってすぐに落っこちちゃうんじゃない。

蟹瀬ビューッと飛び上がっていく・・・。

出井ゴルフでも何でもそうなんですけど、やっていて時間が経つと急に上手くなる時があるんですよ。それが、クオンタムリープですね。

蟹瀬それを繰り返していくと。

出井日本は、やっぱり今はクオンタムリープが必要だと思っています。

蟹瀬日本は昔ながらのモデルの連続性っていうのですかね。そういうものが重視されている気がするのですけれども。

出井それも・・・。

蟹瀬違うのですか。

出井それもあるけれど。日本ほど、時代、時代に合わせて飛んできた国も無いでしょう。坂本竜馬なんてクオンタムリープを起こせって言ったわけじゃない。ああいうことですよね。

石田そうですね。

出井ああいうことですよね。でも、明治維新が起きてから何しようかって、そんなに明瞭に思っているわけじゃない。飛ぼうという。飛んで、世の中ずっと飛んで、戦後もすごく飛んだっていうのがあるから。まあ、けっこう皆、自信ないですけど。日本くらい飛んできた国は無いんですよね。

蟹瀬そうか。そういうふうにも見られるってことなのだね。

石田そのクオンタムリープの会社なのですけれども、どれくらいの規模。スタッフの皆様、どれくらいいらっしゃるのでしょうか?

出井会社の規模は、出来るだけ小さくしようと思っていたの。ソニーって物凄く巨大な企業でしょう。なるべく小さくして、その代わり個人の自分の会社であることで働こうと。個人事業主の集団みたいにしたいわけ。今までの会社だと正社員とか派遣というわけです。ではなくて、僕の会社で働いている時は、その一定の時間を捧げてくれれば、それで契約しましょうっていう。そういう会社なんですよね。

蟹瀬何人くらい、いらっしゃるのですか?

出井今、全体で名刺を持っている人は30人くらいいますかね。だけど、その他は、一生懸命プロジェクトで働いている人がたくさんいるから。今の会社の常識とちょっと合わない会社なんですけど。

蟹瀬ソニーっていう大きな会社では、社員がたくさんいて、その船を動かすっていうのは物凄く大変なわけでしょう。その辺のご苦労があって、もうそんな想いはしたくないぞという思いがあるのだと思って。

出井そんなことはない。大会社には、大会社の苦労があり、ベンチャーにはベンチャーの苦労があり、お金を借りようと思ったら個人保証もしなくてはいけないとか。まあ、いろいろあるんですよ。

蟹瀬丸の内に、ドーンと立派オフィスを構えてらっしゃるのですよね?

出井いやいや。小さなオフィスじゃないですか。ただ、眺めだけは良いんですけれどね。

蟹瀬だけど僕は、出井さんとはいろんな公私お付き合いをさせていただいてきているのですけれど。何が驚いたって、まあこういう会社を作られたことが一つの驚きなのです。それ以上に、吉本興業とね。

出井うん。

蟹瀬株の公開買い付けをやりましたよね、吉本興業と。その後、エンターテインメント部門を吉本の方が吸収するような。

出井あれはね。吉本興業っていう物凄く古い創立98年、上場してから50年なんですね。再出発したい時にファンドなんか一回入って来るじゃない。

蟹瀬ええ。

出井そういうのをしないで、私どもみたいな会社がコンサルティング会社として事業の提案をしたり。

蟹瀬コンサルティングっていう以上に、株の公開買い付けをやると。出井さんって拝見したら分かるように恰好が良くて、どちらかというとアメリカンスタイルっていうイメージが強いわけですよ。その人が、コテコテの関西の吉本をね。

出井みんな、そう言うんですけれども。実は、女房が大阪人なんですよ。だから私のやったことで唯一反対しなかったことは、吉本興業と一緒にやるのは良いんじゃないみたいな。それで、上手く再出発が出来て、非上場化して。新しい投資家を集めて、今吉本の経営陣の方たちが新しい新吉本を出発させた。