日本食文化はミラノ万博で世界「市民権」 味のよさOK、課題はガラパゴス体質脱却

「食」をテーマにしたイタリア・ミラノ万博が10月末に6か月間のイベントに終止符を打ったのはご存じと思うが、日本の食文化は今回、「おいしさ」「おもてなしサービスのよさ」などで高評価を受けEU(欧州共同体)はじめ世界市場へのパスポートといえる「市民権」を事実上、得た。私がそう言えるのは、7月に万博で各国パビリオンの食文化を見比べるチャンスがあったほか、日本食レストラン7社コンソーシアムによる日本フードコートのプロジェクトにかかわり、外国人の日本食評価を聞いた結果、実感したからだ。

伝統の和食以外に、カレーなど
日本由来でない日本食にも外国人の高い評価

そこで、今回は、ミラノ万博の現場で高評価を受けた日本食をめぐる問題を取り上げよう。興味深いのは、さまざまな日本食が評価を受けたことだ。具体的にはユネスコ(国連教育・科学・文化機関)の無形文化遺産として登録された伝統的な和食だけが評価の対象でなかった。それ以外に、もともと日本由来ではなく輸入メニューとも言えるハンバーガーの「ライスバーガー」やカレー、牛丼、トンカツなどが完全に日本食化していることに関して、外国人の誰もが違和感を持たず、むしろ味のよさで評価してくれたのだ。ラーメンもその範疇に入るが、これら和食以外の日本食が独自の深化を遂げ、本来の和食と融合して日本食文化をつくりだしたことに評価が集まったことの意味は大きかった。

ところが、ミラノ万博の日本フードコートで使用頻度の高かったカツオブシや日本産豚肉が、EUの食品や調理面での安全管理基準HACCPに抵触したため、「ミラノ万博特区」だけでしか使用が認められなかった。これは今後の日本食文化の世界展開、とくにEUでの市場展開の課題だ、というのがレポートのポイントだ。

EU安全管理基準HACCPをクリアしておらず、
世界共通ルールに合わせる必要

結論から先に言おう。日本食文化は、「おいしい」「おもてなしサービスがいい」といった「強み」部分に加えて、スシやラーメンを中心に、世界各地でブームを通り越して代表的な食文化という形で定着してきたが、今回、世界中からさまざまな国が参加したミラノ万博で、そのことが改めて確認され世界での事実上の「市民権」を得た、と言っていい。

しかし、問題は、日本食の現場が「安全・安心の食材使用や調理手法」、「コールドチェーンなどを活用した万全の品質管理」を自負してきたにもかかわらず、現実にはEUのHACCPルールを完全にクリアできていない、として結果的に「ミラノ万博特区」での使用制限を受け、日本フードコートに参加した外食企業は不自由さを強いられた。要は、日本の独自の安全基準は完璧で問題なし、としていたが、それは「ガラパゴス的な日本食文化」にとどまっており、世界には通用しなかったことだ。日本の食品安全衛生当局にとっても強烈な教訓だ。そればかりでない。今後、日本の外食産業、農林業などが世界市場で日本食文化を強くアピールして市場展開、輸出展開する場合、安全管理や品質管理の面で世界共通ルールに合わせる必要があることを学んだ、ということだ。

ミラノ万博日本館はピーク時に9時間待ち、
連動して日本食フードコートも大人気

さて、まずは、日本食文化が高評価を受けたことからレポートしよう。私が7月にミラノ万博会場の現場で見た日本館への入場は約1時間待ちだった。ところが、8月のサマータイムに入って以降、5時間待ちがざらになり、10月に入ると、驚くことに、行列の最後尾は何と9時間待ちとなった、という。これはビッグサプライズだ。
ミラノ万博日本館の政府関係者は当初、入場者数に関して140万人を見込んでいたが、この日本館人気で、9月中旬には150万人を超え、さらに10月の閉幕少し前の10月下旬に何と200万人を突破した、という。これに伴い日本食レストラン1店&日本フードコートのレストラン4店の売上高も、当初予想を大きく上回る成果をあげた。

日本フードサービス協会(JF)関係者によると、売上目標は当初、1日あたり2万3000ユーロ(円換算300万円)を見込んでいた。ところが日本館への入場客がうなぎ上りに増えたのに比例して隣接する日本フードコートの売上高も急上昇、10月10日には連日4万ユーロを超す勢いとなった。日本円換算で520万円だった計算になる。
出店した企業は、日本食レストランが和食の美濃吉、また日本フードコートはそばなど麺類のサガミチェーン、カレー&トンカツの壱番屋が万博開催期間中の6か月をフル操業、そしてすき焼の柿安、人形町今半、ライスバーガーのモスフードサービス、スシの京樽がそれぞれ2社ずつペアを組み、3か月交代で出店した。

「日本代表のマインドセット変えることに腐心」 エディー・ジョーンズHCラグビー組織論に学ぶ

 ラグビーが俄然、日本中を湧かせるスポーツになっている。多くの方がご存じのとおり、英国で開催中のワールドラグビー大会で、日本代表チームが初戦の優勝候補の強豪南アフリカ代表チームに対しゲーム終了間際に劇的逆転トライし、見事に勝利したことがきっかけだ。トライした瞬間、茫然自失の南ア選手を前に歓喜する日本選手の姿を当時、TVで見ていて「やった!」と、私が思わず声を出すほど、感動的だった。多くの方々も同じ思いで、それが軸になってにわかラグビーファンが急増する結果となったのは間違いない。
 日本は結果的にスコットランド代表チームに敗退したものの、事前の予想を覆して3勝1敗で勝ち進み、一時は決勝リーグに残る可能性もあった。見事というほかない。日本ラグビーは当初、体力差などでニュージーランド、豪州、南アフリカ、英国などの強豪には勝てない、といったイメージが定着していたが、今回、それを覆す「勝利の方程式」を世界中に見せつけたのだから、間違いなくすごいことだ。

日本代表を強くした秘密、
HCエディーさんとの10時間インタビュー本にヒント

そこで今回は、経済ジャーナリストにとっては異分野ながら、このラグビー日本代表チームの問題を取り上げてみたい。ワールドラグビーに一家言をお持ちの方がたぶん多いだろうから「あいつは訳知り顔で、もっともらしいことを言っている」と反発を招きかねないが、日本代表チームを世界の一流チームに押し上げたヘッドコーチのエディー・ジョーンズさんの組織論から何を学ぶか、というのがテーマだ。ぜひ、ご覧いただきたい。

私自身は以前から「人を動かす」「組織を動かす」といった組織の研究、「なぜ組織は失敗を繰り返すのか」など組織の失敗研究に関心を持っており、今回もエディーさんがなぜ、日本代表チームをここまですごいチームに押し上げた秘密は何なのだろうか、ということに強い興味があった。それを探る本や資料を探していたら、ノンフィクションライターの生島淳さんが10時間インタビューを行った「エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは『信じること』――ワールドカップに挑む指揮官が語る組織論」(文藝春秋社刊)という格好の本があった。わくわくする本のタイトルだが、読んでみたら大当たりで、思わず引きずり込まれたので、この本を軸に組織を動かすポイントを探ってみよう。

日本独自の攻撃的ラグビー「ジャパン・ウエイ」を、
そのために世界一厳しい練習必要

結論から先に申し上げよう。エディーさんがインタビューで述べているキー・メッセージに組織づくりのヒントがある。「日本の独自スタイル『ジャパン・ウエイ』を示して世界を驚かすことだ」「攻撃的ラグビーが重要だ。世界一厳しいトレーニングを通して、スクラムで相手に押し負けない筋力と80分フルに走り切れるスタミナを養い、攻撃は最大の防御とすべきだ」「自分たちは勝つために戦っているのだ、という意識改革が必要だ。人間はどうせ負けると思ったら絶対に負ける。そう思い込むマインドセットを変えるのだ」「コーチングはアートであり、サイエンスだ。試合に向けてのコーチが練り上げる練習計画は、科学的データなどをもとに行う」などだ。

まず「ジャパン・ウエイ」だ。エディーさんは「日本代表が(世界で勝ち抜いて)成功するためには選手たちが『自分たちのプレースタイルで戦うんだ』ということに自信を持つことだ。そう信じることだ。それをもとにジャパンらしいオリジナリティあふれるラグビーを創造していかねばならない」という。その点に関連して「日本は第2次世界大戦後、国を作り直した。アジアの他の国とはスタンダードが違った。なぜ、それが可能になったのか?日本らしさを生かし、自分たちの方法で再建できると信じたからだ。ラグビー日本代表が(ワールドラグビー大会で)勝つことで、日本の文化は変わる」とも述べている。

日本は積極平和主義に見合った難民支援を アジアの成熟国家としての真価が問われる!

きっとご記憶だろう。シリア難民の男の子が今年9月2日、難民の人たちを乗せた船の転覆で泳ぎ切れず、トルコ南部ボドルムの浜辺に痛ましい姿で見つかったことだ。その姿がインターネットを通じて世界中に流れたため、多くの人たちに難民問題の冷酷な現実を見せつけると同時に、何とかしなくてはという気持ちにさせた。私も思いは同じだった。

シリア難民問題は他人事でない、EUは分担受け入れ、
米国、豪州も受け入れ表明

それ以来、EU(欧州共同体)でも人道的に難民を放置でない、受け入れざるを得ない、という動きが一気に高まった。それが弾みとなり、シリア難民がさまざまなルートでEUを目指して殺到したが、各地でトラブルが表面化、とくに同じEU内部でハンガリーなど東欧諸国が受け入れ能力の限界や財政負担に耐えかねるなどの理由で拒否反応を示した。その結果、今やEU全体を巻き込む政治、社会問題となっているのはご存じのとおりだ。

そのEUは9月22日の緊急内相理事会で、シリアだけでなく中東、北アフリカなどの国々の人たちから出されている難民申請を協議し、最終的に加盟各国で分担して16万人の受け入れを決めた。チェコ、ハンガリーなど東欧4か国が分担に反対したままだが、EUは必死で異文化・異宗教の難民との共生の道を模索し始めたことだけは事実だ。これらの動きを受け米国や豪州、ブラジルなどがシリア難民の受け入れを表明した。私は、いずれ日本にも問題が飛び火、日本として難民問題を避けて通れなくなるな、と直感した。

積極平和主義は安倍首相方針なのだから、
難民や移民受け入れに柔軟対応を

そこで今回は、実に重いテーマだが、難民、移民の問題をコラムで取り上げてみたい。結論から先に申し上げれば安倍首相が積極平和外交主義を標ぼうしているのだし、私もその方針に異存ないので、日本は、まず難民受け入れにフレキシブル対応することが重要だ。
ただ、受け入れ能力や制度整備に時間が必要で、当面、留学生や技術・技能研修生に門戸を開き、将来、自国再建めどがついたら帰国しリーダーとして活躍しそうな人たちを対象にするのも一案。また、移民受け入れに関して今後の人口減少社会対策にからめ基幹の生産労働を担える人たちとか、日本の発展に貢献してもらえそうな人たちに限ればいい。

そして、難民や移民の受け入れ後の社会システムづくりをめぐって今後、官民挙げて議論を行う必要がある。具体的には外国人が日本にしっかりと定着できるように、かつ日本人とトラブルにならず同化できるようにするにはどんな方策が望ましいか、保険や年金など制度設計は何がポイントかに関して、しっかり議論する時期に来た、と思っている。

外国メディアが安倍首相に冷淡?
「難民受け入れよりも国内問題解決が先」と報道

そんなことを考えていたら、安倍首相が9月30日、国連総会の一般演説で持論の積極平和主義を持ち出し、安全保障理事会メンバー増設改革の動きに合わせ、日本は安保理常任理事国としての貢献をアピールした。その際、シリア、イラク難民支援を拡充し、今年末までに、すでに年初拠出の2億ドル分を含め総額で8.1億ドル(円換算970億円)支援を表明した。難民問題タイミングを考えたタイムリーなメッセージ発信だと思った。

ところが、そのあとの内外メディア会見で問題が生じた。難民への追加の経済的支援に関連して日本が難民自体の受け入れを考えているか、との外国メディアの質問に対し、安倍首相は「日本としての責任を果たしたい」と答えたが、その時に「我々は移民などを受け入れる前に女性や高齢者の活用など打つべき手がある」と答えた。これはまずかった。現に、ロイター通信は「安部首相、シリア難民受け入れよりも国内問題解決が先」、英ガーディアン紙も「日本、シリア難民受け入れ前に国内対応が不可欠」と報じた。外国メディアは、EU、米国、豪州などが難民受け入れ表明しているにもかかわらず、日本のリーダーが自身の積極平和主義と対照的に国内問題重視だと、冷ややかに受け止めてしまった。

山形・天童で型破りの和牛肥育経営挑戦 割高輸入飼料を国産化切り替えが面白い

世の中で、何事に関しても、型破りなチャレンジがイノベーションを生み、新たなビジネスチャンスをつくりだす。そればかりか時代を変えてしまうことがある。そんな事例に出会うと思わず畏敬の念を持ってしまう。あらゆるリスクをモノともせず、自身のチャレンジの正しさをひたすら信じてまい進し、見事にやり遂げる勇気があるからだ。

先例では米GOOGLE、マイクロソフトは
グローバルベースの型破り企業

米GOOGLEの動きをみていると、まさにそれが言える。なかなか先が読めないインターネットの時代に、誰もが必要とするニーズを素早くつかんで検索エンジン、クラウド・コンピューティング、オンライン広告などインターネットにからむあらゆるビジネスを生み出した。日本人の発想では、ここまでスケールの大きい取り組みはなかなか難しい。まさにグローバルベースでの型破り企業の典型だ。

以前は、米マイクロソフトの動きを見ていて、コンピューターの時代にハードウエアよりも、コンピューターを動かすソフトウエアにビジネスチャンスがあることを見抜いたビル・ゲイツ氏らの時代の先を見る眼力のすごさにスケールが違うな、と思ったが、GOOGLEもその先を見据えているようで、とても歯が立たない、というのが実感だ。

畜産企業和農産の矢野さんの取り組み、
成功すれば日本の畜産にとって画期的

さて、同じ型破りでも、スケールが小さくて恐縮だが、今回、ぜひ取り上げてみたいと思ったのは、山形県天童市の畜産企業の話だ。飼料用米はじめ、大豆、トウモロコシなどさまざまな飼料用の穀物などを使って飼料の完全国産化にチャレンジ、脱輸入穀物飼料の和牛肥育をめざしている事例だ。
私がメディアコンサルティングでかかわる日本政策金融公庫の雑誌の企画取材で出会った株式会社和(なごみ)農産の矢野仁さんの取り組みがそれで、成功すれば、日本の畜産農家や企業にとって画期的なことであり先進モデル事例になるので、ぜひご紹介したい。

多くの方々はご存じだろうが、日本の畜産は、その飼料、とくにトウモロコシ、大豆、小麦、大麦に関しては、いずれも日本国内での生産力が弱く、価格面でも割高のため、圧倒的な生産力を背景にコスト競争力で強みを発揮する米国産に、ほとんどと言っていいほど、依存している。それらが輸入されて、国内の飼料メーカーで、いわゆる混ぜ合わせた配合飼料となり、農協系統あるいは専門商社などの流通ルートを経て、畜産農家や畜産企業に供給されているが、数々の問題をはらんでいる。

中国経済に失速リスク、国家社会主義が災い? 株価PKOや天津対応で社会不安が経済波及も

中国経済が極めて不安定な状況に陥っている。私は、アジアの地域経済動向と合わせて中国経済にはずっと強い関心を持ち、自称中国経済ウオッチャーとして、いろいろ定点観測を続けてきたが、最近の経済状況は、経済自体にさまざまなダウンサイドリスクを内包しており、今回、ぜひ取り上げてみたい。

一時は国家社会主義と資本主義型市場経済の
両立がうまく行っていたが、、、、

結論から先に申し上げよう。これまで中国は、社会主義型市場経済モデル国家をつくりあげる、とい
うことで、国家社会主義体制を堅持する一方で、改革開放路線にもとづき条件付きで市場経済への移行をそろりそろりと進めた。試行錯誤を経ながら、「中国型開発モデル」づくりに向けて着々と取り組み、世界第2位のGDP大国にのしあがるまでに至ったのは間違いないが、最近の状況を見ていると、経済が急成長し肥大化し過ぎたことによる反動と言っていい現象や問題が随所に出てきた。
具体的には、地域格差や階層間の所得格差などさまざまな格差の問題、共産党幹部の腐敗、それに公害や人権問題などの社会不安も露呈し、本来ならば平等であるべきはずの社会主義国家が存在を問われる問題だ。しかも実体経済が急速に減速し始める中で、それら格差の拡大に対する不満が広がり、また環境破壊などの公害に対する政府の対応の遅れに対する反発などが社会の各層に拡がり文字どおりの社会不安化が進み、それが共産党政府に対する政治不安に発展しかねない状況も生まれてきた。

最近は、経済規模がケタ外れに大きすぎるため
経済運営が機能しなくなる問題露呈

社会主義と資本主義型市場経済をどうやって使い分けができるのかなと思っていたが、案の定、最近の経済状況を見ていると、その使い分けがうまく機能しなくなってきた、と言っていい。
要は、中国経済の規模自体がケタはずれに大きすぎるため、経済運営が機能しなくなることのマイナス面が次第に噴出し始めた、ということだ。実体経済のスピードダウンが顕著になってくると、それまで経済が上向いていた時には出ることのなかった国民の不満が一転、生活がよくならないことへの不満に大きく変わり、さきほど申し上げたような社会不安が政治不安に発展しかねない。
そこで、危機感を強める共産党政府が国家社会主義の「顔」を強く出さざるを得なくなるが、それが資本主義型市場経済に新たなひずみをもたらす、といった状況になり、あおりで経済がまずます停滞に追い込まれるという悪循環過程に入ってしまう。

共産党政府の腐敗一掃対策で手を打つうちに
地方政府で「人事の崖」問題が表面化

最近、中国人の経済専門家から聞いたきわめて興味深い事例を申し上げよう。習近平政権が、共産党幹部の目に余る汚職など腐敗状況を放置できなくなり、メディア報道でもご存じのように、共産党の中枢にいた幹部の摘発と同時に、地方の共産党委員会の幹部などの摘発を活発に行った。習近平共産党総書記が表明した「大量のトラ(大物幹部)に限らずハエ(地方政府の小物幹部)まで厳しく対応する」がそれだ。
その結果、地方政府などの政策を実行する現場で、責任者の摘発が続出したため、政策運営の責任者が不在になる地方政治の空白状態が生じた。ところが、それらの責任者の下にいる中堅幹部らは保身のため、肩代わりして政策運営に携わって失敗したりしてミスを犯すと、今度は自分にまで責任を負わされかねないとサボタージュ現象が蔓延し始めた、というのだ。
その専門家によると、習近平政権は中央政府に限らず地方政府でも政治空白による経済停滞を何としても避ける、ということで、交代人事に着手、全国から9000人の幹部クラスを選抜して、政治腐敗が激しかった山西省などには大量に派遣したが、「人事の崖」が「景気の崖」をもたらす可能性は否定できない、という。そのとおりで、地域政府の中核部分で、「人事の崖」が顕在化してくれば、間違いなく行政の停滞を通じて、実体経済にさまざまな影響を及ぼす。まさに「景気の崖」に波及するリスクだ。

地方政府の巨額債務危機の最中だけに、
地方政府が機能しなくなると大問題

率直に言って、この地方政府の問題は早く機敏に対策の手を打たないと、中国経済全体に波及したら、とりかえしのつかない問題に発展する。というのは今、習近平政権にとっての大きな課題の1つが地方経済の立て直し、とくに膨大な債務を抱える地方政府対策だ。2013年6月末時点の地方政府の債務規模は17.9兆元だったが、そのうちの2.9兆元が今年中に返済期限がやってくる。この事態乗り切りを図らないと、地方政府の財政破たんが引き金になって中国経済全体の足を引っ張り経済低迷に拍車がかかるというリスクが増大する。

現時点で、習近平政権は、日本政府が財政危機を乗り切るために苦し紛れに行った借換債の大量発行に着手、事態の乗り切りを図ろうとしている。問題の先送りで、抜本対策には到底、なりきれないが、習近平政権にとっては国家社会主義を全面に押し出して、中央政府が非常時対応をする、とアクションをとらざるを得ないのだ。そんな地方経済の火の車の中で、政治腐敗への荒療治の結果、地方政治、つまり行政に政治空白が起きて、行政の現場が機能しなくなる現実があるのだ。

6月の上海株式市場での株価PKO対策が
強引過ぎて、あとあとにしこりも

もう1つ、別の中国人の経済専門家が「市場経済に共産党政権が強引に手を突っ込まざるを得なくなったが、今後の後遺症が心配だ」と語ってくれた事例も重要ポイントなので、ぜひ申し上げておこう。
メディア報道ですでにご存じの上海の中国株が今年6月、株バブル崩壊で急落した際、中国共産党政府が必死で株価維持のために公的介入を行うPKO(PRICE KEEPING OPERATION)を行ったことだ。
6月12日に株価指標の上海総合指数が7年ぶりの過去最高値をつけたあと、一転して急落しわずか3週間でピーク時に比べて30%も値崩れした。もともと行き場のないマネーが不動産バブルにピークが見え始めたということで、株式市場にどっと回ってきて株価を押し上げたが、実体経済が低迷し、投資対象の企業の経営実績も振るわない中での株価の異常高騰が株価の世界でいう「山高ければ谷深し」のたとえどおり株価急落となり、危機感を強めた共産党政権が強引にPKOに乗り出したのだ。

その経済専門家によると、6月30日に中国基金業協会が株式相場の下支えが必要と提案したのをきっかけに中国人民銀行が、短期金融市場での公開市場操作で500億元の資金を金融市場に供給、7月1日には上海、シンセン両証券取引所が「人民元建てA株の取引手数料引き下げ」、中国証券監督管理委員会が「信用取引の決済期限を撤廃」、そして7月2日には中国人民銀行がさきほどの金融オペで追加的に350億元をさらに金融市場に供給、上海、シンセン両証券取引所が「8月1日から証券取引手数料の30%引き下げ」を発表、7月3日には中国証券監督管理委員会がさらに対策として「中国証券金融の資産規模拡大」「新規株式公開(IPO)の認可抑制」「適格外国機関投資家(GFII)の投資枠拡大」、国有企業などでつくる創業板上場企業28社が「自社株買いなど相場下支えで合意」を打ち出すといった具合だ。

リチャード・クーさん「実体経済が減速中のもとでの
株価押し上げはそもそも無理」

私の長年の友人、野村総研主席研究員でチーフエコノミストのリチャード・クーさんは最近送ってきてくれたレポートの中で、「6月当時の中国経済はかなり顕著に減速しており、そういった中で株式市場(の株価)だけを上げるというのは、そもそも無理があった、ということだ。経済のファンダメンタルズが共産党当局に味方していないのに、当局がその事実を無視して(株価押し上げに)走ったのは問題だ」と述べている。
クーさんに言わせれば「市場経済の中でも最もコントロールが難しい株式市場を活用して政策目標を達成しようとしたことは、共産党の常識からすればにわかに信じがたいことだ」とも述べている。

同じく友人で大和総研OBの中国経済研究の専門家、金森俊樹さんも「中国当局の強引な株価対策は、マクロ景気への影響を懸念して、というよりも、社会不安の発生を抑える、という観点が強い」とみている。私も全く同じ問題意識でいる。行き場のないマネーを不動産や株式に投資していたニューリッチの新興富裕層、小金(こがね)持ちの投資家にとって、株価の急落によるキャピタル・ロスはそのまま共産党政権の政治や経済運営への反発となって広がるリスクが大きい、と判断しPKOに走った、とみて間違いない。「市場の失敗」が現実化し、社会不安が政治不安に広がるリスク回避のために、国家社会主義の「顔」が全面に出てしまったが、下手をすると「国家の失敗」「政府の失敗」という事態に至りかねず、中国政府自体が苦悩状態にあった、と言っていい。

天津爆発事故が追い打ち、
安全対策の不備などが露呈すれば国際問題に

そこへ、最近の天津での爆発事故が舞い込んだ。メディア報道などしか手がかりがない現状で、過剰反応するのは控えるべきだろうが、それでもいったい何がこんな大惨事になったのだろうか、と関心を持たざるを得ない。その点は、私などよりも、中国の共産党当局のみならず国民の方にその意識が強いはずだ。

最大の問題は、天津市当局がこれほどの危険物に関する安全管理をどう企業側に義務付け、チェックを行っていたのかどうかだが、消火に駆け付けた消防士の人たちが水をかければ有害な化学反応を起こして、消火活動に重大リスクがある、ということを知らされずに事故の二重遭難の形で多大の被害者を出した、という点だ。真相解明を待つしかないが、中国当局は、この問題に関するメディア報道に極度に神経質になり、現場での記者会見の映像を突然カットしてしまうなど、内外メディアから反発を招いている。しかし現実問題として、中国経済の恥部ともいえる「安全」の問題がおろそかにされていたことが判明すれば、
国際社会での信用失墜にもなりかねない。

2015年GDP7%成長目標達成は困難、世界の機関車役が失速する影響は大だ

習近平政権が2015年の成長率目標として打ち出した7%成長は、中国政府が発表するさまざまな経済指標を見ても、ダウンサイドリスクを抱えている。とくに李克強首相が実体経済を探る際の参考指標にしている電力使用量と鉄道貨物輸送量の2つを取り出しても、ここ数年、ずっと低迷し、とくに昨年から今年にかけては下降カーブを描いたままだ。海外のエコノミスト予想では、2015年の中国経済はGDPベースで7%維持は到底無理で、6%台半ばとみる向きが多い。

となれば、国家社会主義の「顔」がますます強くなり、体制維持のためにさまざまな市場経済無視の経済政策を行う可能性が強まる。その場合、経済のダウンサイドリスクが高まるが、中国1国にとどまらず、周辺国のみならず世界経済に影響を及ぼすリスクだ。中国経済は、2008年のリーマンショック後の世界経済の中で、ある意味での機関車役を担ってきただけに、それが崩れ始めると影響ははかりしれない。そこが最大の問題だ。

発想転換でビジネスチャンス広げる 和歌山のミカン産地が果敢に成功

出会った人で、これは面白い、という人を早めに取り上げて、時代刺激の足掛かりにしたいと思うことがある。今回、取り上げる温州みかん産地の和歌山県有田市で株式会社早和果樹園を経営する秋竹新吾さんも、その1人だ。現在、アクティブシニアの70歳。経営判断や生産手法の面でイノベーション、革新に対して頑なと言っていい農業の世界で、秋竹さんは、既存の枠組みを大胆に捨てた発想の転換によって、独自のビジネスチャンスを生み出した。

大半農業者の「お決まりの発想」を断ち切り、
Aランクミカンを加工ジュースで商品化

大半の農業生産者は、丹精込めてつくった農産物のうち、見栄えのするものだけが商品価値を生むと卸売市場へ一早く出荷する。逆に見栄えの悪いものに関しては、自家消費するか、ジュース、ジャムなど加工用に回してモトさえとれればいい、という発想が多い。

ところが秋竹さんがチャレンジングだなと思ったのは、見栄えの悪いミカンだけを加工ジュースに回すという、農業生産者のお決まりの発想を断ち切って、Aランクのミカンを積極的にジュース加工に回したことだ。しかも味のよさを引き出す改善や工夫に不断の努力を払った上で、ビンのデザインやブランディングに関してもプロに協力を仰いでセンスを発揮、それらの存在感アピールによって、お客さんの評価を得たのだ。

南高梅加工農業に比べ1000万円年収差が刺激、
生食生産の一本足打法に危機感

発想の転換を決意したきっかけが面白い。秋竹さんによると、紀州特産の南高梅を加工して販売している同じ和歌山県内の産地の人たちと有田ミカンの生産者との年収差を調べたら、何と南高梅の加工に取り組む農業者らが最大1000万円上回るのを知って、ミカン生産者も同じように加工で付加価値をつけて販売すべきだ、と決意したというのだ。

もう1つのポイントは、生食用生産だけの「一本足打法」生産に頼っていてはリスクが大きいと判断し経営多角化を意識したことだ。農業生産は天候など自然条件に振り回されることが多い上に、豊作になっても喜んではおれない。供給過剰が災いして市場価格が急落して農家手取りが不安定になるからだ。そこで秋竹さんは、生食用の生産から加工ジュースに生産の比重を大きく移すことで、市況変動に左右されない農業経営にしようと考えた。現在、年商6億円の70%強がジュースなどミカンの加工品というからすごい。

他の有田ミカン生産者が加工に見向きしなかったのが幸い、
ブランド化にも腐心

15年前の2000年に、秋竹さんは周辺のミカン生産者7人と連携して有限会社早和果樹園(のちに株式会社化)を創設し利益を出すには加工部門に力を注ごう、と決めた。そして、和歌山県やJAありだの「味一みかん」ブランド品のうち、糖度12度以上、全生産量の数%という優良品質の生食用ミカンを搾ってジュースに加工すれば間違いなく売れると考え、糖度の高い加工ジュース「味一しぼり」を生み出したことだ。そして「味一しぼり」の名前で商標登録し生産に踏み切った。

ミカン生産者がひしめく産地有田で、秋竹さんらに幸いだったことがある。当時、ブランドミカンを加工ジュースにする発想が生産者や地域を仕切る農協のJAありだに全くなかった、それどころか、市場で高く売れる生食ミカンを加工用に回すのはもったいない。コストが高くついて「搾れば搾るだけ損するぞ」と終始、冷ややかな態度だった。だから「味一みかん」ブランドの「味一」の一部使用についても同じ受け止め方で、秋竹さんらは農協組合員仲間なので使用はやむを得ない、どうせリスクを背負って損するだけだろうと、むしろ何の反発もなかった、という。先を見る目は秋竹さんにあったと言っていい。

秋竹さんはアジア成長センターの中間所得層や富裕層を
ターゲットに輸出にも意欲

さて、本題の秋竹さんの話に戻そう。秋竹さんの発想の転換による新たな農業ビジネスによって、株式会社早和果樹園の経営は極めて順調に進んでいる。「味一しぼり」以外に「飲むみかん」などジュース加工品のラインアップを拡げ、海外展開を活発に行う予定だ。

生食ミカンだと冷凍保存という方法もあるが、輸送期間中の品質維持に工夫が必要のため、秋竹さんは、高品質のジュースなど加工品ならばそのハンディが少ないとの判断から、アジアのアッパーミドルといわれる中間所得層の上のクラス、富裕層などをターゲットにしたい、と語っている。早和果樹園自体は、香港、台湾、シンガポール、マレーシアのアジア各国、それにオランダ、ベルギー、ドイツなど9か国・地域に輸出している。

ICT活用し高品質ミカン栽培実験にチャレンジ、
ワークスタイルにも変化もたらす

しかし発想の転換というよりも、新たなチャレンジという点で、秋竹さんが意欲的だなと感心したのは、情報通信技術(ICT)を活用し高品質みかん栽培の実験に取り組んでいる点だ。4年前からコンピューターメーカーの富士通と一緒にICT導入実験にチャレンジ、生産現場でデータ管理を通じ果樹農業の「見える化」をめざしたのだ。

秋竹さんは「私たちは露地以外のハウスでのミカン栽培にも取り組んでいますが、温度管理や水管理はじめ糖度チェックなどのためにはICTは重要です。ICT導入をきっかけにコスト意識がますます明確になりましたし、私たちのワークスタイルも大きく変わりました。オーバーに言えば革命的な変化です」とうれしそうに語っていたのが印象的だ。
ワークスタイルの変化というのは、作業員全員がスマートフォン片手にミカンのほ場を回って生育状況、具体的には葉や幹の状況、病害虫の有無を調べ、異変があれば写真撮影、そして問題個所が特定できるように木についた番号をデータ入力し、あとは本部で画像を引き出して分析、対策判断するのだ。スマホの活用でデータが瞬時に多くの人に共有されるのが、現場の仕事の枠組みを変えた、という。

和歌山県出身の大学生や短大生9人がUターンし入社、
秋竹さんの経営を評価

その秋竹さんが今、うれしくて仕方ないのは、ここ数年、早和果樹園の経営が若者の間で評価の対象になり、Uターンの大学生などが就職したことだ、という。秋竹さんによると、和歌山県の農業生産法人の早和果樹園に、昨年と今年の2年間だけで大学卒6人、短大卒3人の9人が入社してくれ、貴重な戦力になっていることだ、という。
秋竹さんは「いずれも地元出身で、千葉大、三重大、和歌山大などの農学部や園芸学部で学んだあと果樹の現場で新しい農業にチャレンジしたい、という目標を持っている若者ばかりです。ICTなどに習熟しているので、うれしい限りです」と楽しそうだった。農業を成長産業と位置付け、チャレンジを続ける経営者を見るのはうれしい限りだ。

MERSや大気汚染リスク連鎖が心配 日中韓で危機管理連携センターを

韓国で広がるMERS(中東呼吸器症候群)のコロナウイルスの感染症リスクが日本だけでなく隣接する中国、周辺の香港、台湾、さらにベトナム、タイなどASEAN(東南アジア諸国連合)にまでじわじわと及んでいる。韓国では6月26日現在、感染者の死亡が31人にのぼったが、韓国以外では、今のところ空港などの水際での感染チェックが厳しく死亡に至るといった事態に至っていない。ただ、連鎖のリスクは消えていない。
メディアはあまり伝えていないが、各国の公衆安全や環境衛生、医療現場の関係者は、安全が確実に担保されるまで、半ば臨戦態勢でいるのは事実だ。というのも韓国政府が今回、MERS感染者を確認しながら、経済や社会の混乱を回避するために情報統制を敷いたことが結果的に事態を悪化させたことがはっきりしている。明らかに危機管理ミスで、過去の中国でのSARS(重症急性呼吸器症候群)で対応遅れが大問題を引き起こした「教訓」が生かされていなかったため、各国とも最悪のリスクに備えているのだ。

日本の政治リーダーがホットライン使って提案を、
日韓の「政冷」改善兆しもチャンス

そこで、今回のコラムでは、国境を越えてあらゆるものがつながってリスク連鎖が起きやすいグローバルの時代に、感染症に限らず大気汚染、気候変動などのリスクに対し、日本や韓国、中国などの関係地域諸国がどうやってスクラムを組むべきか、述べてみたい。

具体的に言えば、日本が中心になって、当面のリスク源の韓国、そして中国に対し、感染症リスク対応の問題に限らず大気汚染や水や海洋汚染など環境汚染、気候変動リスクなど、あらゆる社会リスクに積極対応するため、日中韓3か国で共同して特別の安全問題対応の情報共有組織をつくり、ホットラインで常に連絡をとりあうようにすべきだ、と政治主導で呼びかけることだ。キーワードは、安全文化の確立だ。日韓間の「政冷」改善の兆しが見えた今、まずは感染症リスク対応に苦しむ韓国に働きかけるのはチャンスだと思う。

日中韓の環境・保健大臣レベルでの協力合意が
機能しておらず一本化する必要も

私のこの問題提起は、決して突飛な話でない。実は、日本、韓国、そして中国の3か国環境大臣が今年2015年4月末に中国上海で、「環境協力にかかわる日中韓3か国共同行動計画」づくりで合意している。北京を中心に自動車排気ガスなどの拡散に伴うPM2.5(微小粒子状物質)の増大で大気汚染が深刻化したため、中国が拡散リスクを懸念する韓国や日本の求めに応じたのが引き金になって3か国で連携行動になった。大気汚染だけでなく水および海洋環境保全など優先9分野を共同行動の対象にしようとしている。ところが、まだ積極的なアクションプランづくり、そして行動にまで踏み出していないのだ。

他方で、同じく日中韓3か国の保健大臣(日本は厚生労働大臣)が2014年11月、北京でエボラ出血熱対策に関する緊急会合を開催、患者発生時の情報共有などに取り組む共同声明を出した。当時、エボラ出血熱の感染症の拡大リスクが3か国の担当者間で共通に生じていたこと、とくに巨大な人口を抱える中国では、ひとたび感染症の疑いのある患者が入り込んだ場合のリスク対応は、過去のSARS経験で身に染みているため、韓国や日本と情報共有したいという気持ちが当時、強かったことが日中韓3か国の保健大臣会合に発展したのは間違いない。ところが、これもまた大気汚染対応と同様、MERS対応では、連携の枠組みで大きく動き出したという話が残念ながら、まだ聞こえて来ないのだ。

3か国の官僚組織が感染症や
大気汚染リスク対応の連携に積極対応せず

問題は、3か国ともタテ割り行政の弊害が出ていて、感染症リスクや大気汚染や気候変動のリスクにそれぞれの担当大臣が対応する、というレベルにとどまってしまって連携行動がない、ということだ。
3か国は、政治システムや官僚組織、社会システムの枠組みがそれぞれ異なるが、そこで起きていることで容易に想像できるのは、行政組織間で縄張り争い、あるいは責任の押し付け合いが起きること、また官僚組織の共通行動パターンとして、責任を負いたくない、あとで問題が生じた場合の責任追及がこわい、このためリスクも積極的に負いたくない、といったことになって後ろ向きになっている。
このため、3か国にとって仮に感染症リスク対応で何らかの共同行動を、という問題が出てきても、現状は、自国で空港などでの水際作戦で侵入を食い止めることに終始する。もし、リスクが顕在化してもリスク連鎖に積極対応に至らない恐れが出てきているのだ。

3か国の政治リーダーは歴史認識などでの
対立にこだわっている場合ではないはず

そんな状況に加えて、この3か国間では依然、歴史認識をめぐって対立が消えていない。また、安全保障絡みでも政治的、外交的、かつ軍事的に相互不信感が強まっている。これらがネックになって対話の窓が開かない、という事態になった場合、感染症や環境汚染リスクなどの連鎖が目前にあっても、国家の威信や政治の建前ばかりが先行してしまい、危機は一気に拡大して、とりかえしのつかない最悪の事態になる恐れが十分にある。

私の問題提起がおわかりいただけよう。私は、政治指導者らが互いのメンツにこだわって、事実上、門戸を閉じる馬鹿げた行動に終始するよりも、この際、政治主導で組織横断的に連携して疾病がらみのあらゆるリスクの連鎖に関しては、3か国が連携して積極対応が出来る危機管理センターをつくれ、と訴えたいと考えるのだ。

安全文化の欠如が問題、韓国、中国とも
事故対応でも組織エラー対策に踏み込まず

さて、今回の韓国でのMERS初期対応での危機管理対応にミスがあったため、自国のみならず周辺国を巻き込んでのリスク連鎖を引き起こした問題について、私は、韓国に安全文化の考え方が欠けていたのではないか、という問題意識を持っている。過去のSARS対応で問題を引き起こした中国も全く同じ状況だったのでないかと考えている。

そんな矢先、私が所属するNPO組織で、失敗の事例研究を行う「失敗学会組織行動分科会」の最近の会合で、その安全文化の確立問題が大きなテーマになった。リーダーの石橋明さん(安全マネジメント研究所長)は韓国の旅客船セウォル号沈没事故、中国・長江での客船転覆事故の2つの事例を引き合いに、こう述べている。
「旅客船セウォル号沈没事故の処理が象徴的だが、韓国当局は、ヒューマンエラーに問題があった、と任務放棄、責任放棄の船長に責任を押し付けた。しかし過重積載などを現場に要求した海運会社、それを許可した行政当局などの組織エラーに踏み込まず、一種のトカゲのしっぽ切りの対策に終始したため、再発防止策も中途半端に終わっている。安全文化が韓国社会に欠如していることが最大の問題だが、組織エラーに踏み込まない限り、また同じような問題が起こり得る」と石橋さんは述べている。

韓国朴政権はMERSで初期対応に判断ミス、
中国もかつてSARSで同じミス

韓国の朴政権は、旅客船セウォル号沈没事故の処理では国民の反発が政権批判、リコール批判に及ばないようにヒューマンエラーで片付けようとしたが、今回のMERS問題の初期対応に関しても似たような危機管理対応で、感染者の入院先、感染者数などの情報開示をすると不必要な混乱が生じ、政権の対応のまずさが出かねないため、感染者を封じ込めて早く治療対応すれば、いずれ事態は沈静化するだろう、という甘い読みだった。しかしそのこと自体が安全文化の欠如につながると言える。

中国の場合、SARSでも当時の共産党政権は、感染者を封じ込めて最悪の事態になる前に患者処理を済ませれば、社会問題化しないだろうと判断したのだが、リスクの連鎖が一気に広がり、収拾がつかなくなった事例だ。今回の長江での客船転覆事故に関しても、未だに原因究明中とはいえ、ヒューマンエラーで片付け、組織エラーの追及に踏み込まずに問題処理したりして、あとで違った真相が浮かび上がった時に社会不安が政治不安、共産党批判に発展するリスクは皆無とは言えない。これも韓国と同様、安全文化が欠如している、と言われても、共産党政権は、反論できないのでないかと思う。

韓国の友人教授「米国や日本は法治国家で
対応早いが、韓国は対応遅れ」と指摘

韓国人の友人で、大学教授の魏晶玄さんと今回のMERS対応の問題を話し合っていたら、魏さんは興味深い指摘を行った。「米国や日本は安全文化が確立すると同時に、法治国家として、感染症法などに対応し感染症の疑いのある人が出れば、すぐに隔離して、リスク連鎖を最小限に抑える社会システムが出来上がっている。ところが中国は法律をつくっていても、法治よりも共産党の党治になっていて、社会不安が政治不安に発展しないように抑え込もうとする。問題は韓国だ。OECD(海外経済協力機構)メンバーとして先進国かつ民主主義国家のはずだが、今回の問題対応では危機管理対応がまったく出来ていなかった。安全文化が確立していないのは事実で、恥ずかしい限りだ」と述べている。

韓国でのビジネス経験長い友人
「安全に配慮しても一銭の得にならずの意識が災い

韓国でのビジネス経験が長い私の友人の1人は、韓国の安全文化の欠如、という点で、これまた、興味深い話をしてくれた。「韓国のバスに乗ると、バス運転手の荒っぽい運転ぶりに驚く。乗客がバスに乗って席につく前に、運転手は急発進してスピードを出し、安全運転などは二の次ということを随所に感じる。日本のバス運転手の運転とは対照的だ。当初は、韓国人のパリパリ精神(急げ急げ精神)の表れかと思ったが、韓国人の意識構造が違うことがわかった。要は、安全安心に配慮しても運転手には一銭の得にもならない。万一、事故になっても会社側、国、地方自治体の不当な待遇、労働条件の低さがもたらしたものと、労組を巻き込んで抗議活動に切り替えればいいと考える」というのだ。
その友人によると、赤信号でも歩行者などが横断していなければ信号無視で突っ走っても問題ない、それが当たり前だ、それを正直者気取りで交通ルールを守っているのはバカのやることだ、という意識行動でいるのが大半。東日本大震災の時に、タクシーを待って整然と並ぶ日本人が理解できない、という姿勢で、たとえば自分が何としてもタクシーに素早く乗りたい場合、列の先頭に行ってタクシー運転手に平然と「2倍、3倍の料金を払うから、先に乗せろ」と言う。そこには安全文化の意識などがない、という。

日中韓3か国にとどまらず、
日本はアジア全体の広域危機管理組織体制づくりも

今回のMERSの感染症リスクにとどまらず、PM2.5などの大気汚染、気候変動リスクが特定の地域や国に封じ込めることなどできず、リスクの連鎖が着実に起き得るため、私は、このコラムで、日本の政治リーダーが安全文化の確立を訴えて、こと感染症リスクを含めた社会安全、市民安全につながる問題に関しては、日本、中国、韓国の3か国で連携し危機管理センターで対応できるようにしたらどうか、と提案すればいい、と重ねて申し上げたい。

日本は今後、感染症リスクにとどまらず大気汚染や気候変動リスク対応で、アジアでの広域危機管理組織体制作りも早急に主導すべきだ。このアジアへの働きかけに関しては、以前のコラムでも指摘した点だが、世界的に人口集中するアジアで今、経済成長優先政策が高じて、環境問題への対応や医療体制整備の遅れが問題化しつつある。日本は、アジア各国が成長優先で見落としがちな環境破壊や気候変動対応の対策はじめ危機管理策を主導的に進めるべきだ。

シャープ大量リストラから何を学ぶか 技術流出リスク再燃、新対応が必要

家電大手のシャープが2015年5月、経営再建のために3500人というケタ外れの人員削減のリストラ計画を打ち出した。そのシャープは2012年にも同じような理由で当時、5000人のリストラを実施している。わずか3年間に2度も大掛かりな人員削減を行い、その数が85000人にのぼる、というのは尋常なことではない。

わずか3年間に合計8500人の人員削減リストラは
異常、経営者失格とも言える

シャープという企業の技術力に誇りや愛着を感じ、新製品開発の技術研究、家電製品の生産に取り組んで働いてきた現場の人たちにとっては、企業の生き残りのためとはいえ、なぜ自分たちがリストラの対象になるのだ、という憤りが起きているのは間違いない。シャープ経営に携わった経営陣の責任は間違いなく重い。

シャープは、液晶テレビで一時代を築いたとはいえ、韓国サムスン電子などとの急速なグローバル競争に敗退を余儀なくされたのは間違いない。しかしこの10年、三洋電機はパナソニックスに吸収統合されてしまったし、そのパナソニックスも一時はかなり厳しい経営環境に追い込まれた、また日立は家電の主力のテレビ生産を打ち切っている。日本のモノづくりを主導していたエレクトロニクス、家電産業が、技術に裏打ちされた優れものをつくれば勝てるのだという技術過信にあったのか、投資戦略、あるいは量産化に伴うコストダウン戦略、売れるモノづくりのマーケッティング戦略でグローバル競争に対応できなかったのか、検証が必要だ。

坂根コマツ元社長は「1回だけの退職者募集やらせてくれと」
言って見事に危機克服

それにしてもシャープがわずか3年のうちに2度もケタ外れの人員削減のリストトラを行うというのは、経営者失格と言っていいのでないだろうか。というのも、私が経済ジャーナリストの立場で、コマツの坂根正弘元社長(現相談役)の経営を見ていて、経営者の指導力、見通し判断、決断力によって企業の命運はこうも変わるものかと実感したからだ。
坂根さんの場合、2001年にコマツ社長就任後、巨額赤字の厳しい経営環境から脱出するため、苦悩の末に、労使協議で労組の了解をとりつけ「固定費削減のために1回だけ大手術をさせてほしい。早期退職者募集をするが、退職者数の目標もつくらないので、2万人の社員のみなさん全員で考えてほしい。その代わり経営者として、間違いなく経営を立て直すことを約束する」と働きかけた。結果は、その1回限りのリストラでコマツを見事に再浮上させ、グローバル企業の米キャタピラーと激しく競り合う巨大企業に押し上げた。シャープとは雲泥の差だ。

かつて新日本製鉄が韓国ポスコに転職した
OB技術者の問題で訴訟ざたに

さて、今回、シャープの問題を取り上げたいと思ったのは、技術者らのリストラに伴う海外への技術流出の問題だ。実は、このコラムの第182回でも新日本製鉄(当時)が韓国鉄鋼大手のポスコを相手取って、高性能の方向性電磁鋼板の製造技術を不正に取得したとして、不正競争防止法(営業秘密の不正取得行為)違反で総額1000億円の損害賠償請求を、東京地裁に起こした問題を取り上げた。新日本製鉄を退職したOB技術者が退職時に、中核技術の秘密保持契約を結んでいたにもかかわらず、ポスコの勧誘で再就職した後に問題の技術を伝授したことで起きた問題だ。

当時のコラムでは、海外への技術流出問題に関しては、産業スパイなどによる技術流出には厳しく法的規制が重要なのは当然だが、企業リストラに伴う技術流出には歯止めをかけるのはなかなか難しく、技術は流出こともあり得るということを前提にしたリスクマネージメントが必要だ、と問題提起した。今回は、それを踏まえて、もう少し踏み込んだ問題提起をしてみたい。

シャープリストラ公表後、中国ハイアールなど
新興国企業が技術者の中途採用に意欲

海外への日本の技術流出の問題は、今に始まったことではないが、今回、シャープの3500人リストラ計画の発表があった翌日のメディア報道で、アイリスオーヤマなどの国内企業が、これら退職者の雇用の受け皿というかたちで中途採用に乗り出した、という話と一緒に、中国ハイアールなどの新興国企業が同じく技術者の積極雇用に踏み出したという記事が出ていた。予想どおりの動きだな、というのが実感だ。

韓国のサムスン電子がいい例だ。追いつけ、追い越せのビジネス戦略に沿って、グローバルの時代、スピードの時代などの競争に打ち勝つには大学新卒の若手の技術者のタマゴを採用して時間をかけている余裕はない、日本のライバル企業から即戦力の技術者をヘッドハンティングを含めて積極採用し、その技術力を武器に技術模倣から次第に新製品開発戦略に切り替えて世界の市場シェアをとるのだ、という人事戦略を打ち出した。その巧みな戦略に乗って、リストラされた日本企業の技術者の人を中心に数多くの人たちがサムスン電子に転職した。

今回は、家電分野では後発の中国ハイアールなどが積極的に名乗りを上げて中途採用攻勢に出てきたのだが、ここ数年の中国ハイアールの動きを見ていると、技術流出と技術移転などの問題の境目が次第にあいまいになってきており、今後、海外への技術流出問題を考える際には、狭い発想でケシカラン論をやっていても無意味だなと実感する。

中国ハイアールはライバル旧三洋電機の冷蔵庫など
事業部門を買い取って技術移転

具体的に申し上げよう。中国ハイアールは、低コストの労働力、立地工場の巨大なスペースなどを強みに世界の工場化を実現すると同時に、13億人の巨大消費市場力を武器に外国資本を取り込んで合弁パートナー契約のもとで、技術移転を求め、そのあとは技術の模倣によって、いつしか自国生産可能な技術力を確保した。
そればかりでない。低価格の家電品の販売先市場として日本をターゲットにするため、2002年に三洋電機との間で合弁の三洋ハイアールを設立、その関係をそのまま活用してハイアール三洋エレクトリックを創設、日本におけるハイアールブランドの製品開発やマーケッティング、製品アフターケアで三洋電機と連携を強め、2012年には三洋電機から冷蔵庫、洗濯機部門の事業譲渡を得て、日本のみならず世界の成長センターとも言えるアジア向けの企業戦略展開の布石としてハイアールアジアインターナショナルを設立、ハイアール三洋エレクトリックを吸収統合してその傘下に入れた。
何のことはない。三洋電機の強み部分だった白物家電の冷蔵庫、洗濯機部門の技術者を含めて戦力化してしまった。現に最近、中国ハイアールが売り出した冷蔵庫は、旧三洋電機技術者のデザインによるものをアピールするほどになっている。

日本企業自身が新興国企業との事業連携すれば
技術流出だと批判でできない?

かつて日本企業は欧米、とりわけ米国の背中を見ながら追いつけ、追い越せで必死に産業競争力をつけた。欧米から移入・導入した先進的な基礎技術をいち早く模倣、それにとどまらず模倣技術の実用化や商品化という形で、戦後の大量生産・大量消費時代の流れに乗って、経済の高成長をもたらした。導入技術の実用化自体は、日本モデルと言ってもいいものだったが、今や、韓国サムソン電子、中国ハイアールはさまざまな形で、その日本モデルを自分のものにしている。
とくに中国ハイアールは三洋電機の冷蔵庫などの事業部門買収によって、新たな戦略展開を行っている。この場合、新製品開発技術に関しては、中国ハイアールは堂々と、ビジネス戦略で勝ち取っているわけで、技術流出だと批判する余地がなくなっている。

シャープ技術経営OBの中田教授
「韓国は今やフロント型企業で様変わり」

シャープで長年、技術経営にかかわり、液晶事業本部技師長などを経て今は立命館アジア太平洋大学に転身されている中田行彦教授は、韓国、台湾が追いつけ追い越せのキャッチアップ型から新しい戦略展開になっている、という。
中田教授は、「シャープ『液晶敗戦』の教訓――日本のものづくりはなぜ世界で勝てなくなったのか?」(実務教育出版刊)の中で、韓国は今やサムスン電子を中心に独自技術、それをベースにした製品開発にこだわり有機ELテレビをつくるなどフロント型企業に大きく変わりつつある。また台湾は、先行企業のすぐあとをキャッチアップして素早く技術模倣して生産するファースト・フォロワー型企業が多い、という。
確かに、技術分野によっては、韓国サムスン電子のケースのように、先端技術を駆使したフロント型企業分野に進むことで、企業としての強み部分をアピールしていることは事実だろう。ただ、現実問題として、すべての先端分野で他の企業の追随を許さないといったことは考えにくく、やはり大半の既存技術分野では、それぞれの企業が国境を越えてし烈な製品開発競争、生産競争を繰り広げるのだろう。
となれば、今回のシャープのように技術開発力を持つ企業の大量リストラの場合、新興国企業の間では、当然のことながら、技術者の人たちに対するさまざまなアプローチが現実化し、海外の企業転職先で、その人が持つ技術に対する積極アプローチが行われ、その技術者が退職時に起業技術の秘密保持契約を結んでいても、それがどこまで生きるのかどうかだ。

絶対に秘密にしたい技術は
ブラックボックス化したり秘密管理するしかない

結論から先に申し上げれば、あらゆる技術は模倣されるので、本当に秘密にしたい技術に関しては、特許を含めてブラックボックス化したり、極端な場合、徹底して限られた人たちしか関与できないように秘密管理するしかないだろう。

しかしそれでも技術は、いろいろな形で、ライバル企業などに知られてしまう。中国や韓国の企業は、かつて日本の家電メーカーが開発して売り出した新製品に関して、日本に常駐する技術監視専門チームが電器店で購入してきてバラバラに解体して、技術の中核部分にまで踏み込む、という話を聞いたことがある。それどころか、今回のようなリストラで退職を余儀なくされそうな技術者をいち早くヘッドハンティングで獲得し、秘密保持契約の違反すれすれのところで技術伝授されかねない。

他社が追随できない技術開発に取り組むしかない、
中堅・中小企業に技術者移転も

今回の問題企業のシャープの創業者の早川徳次さんは、「いつも真似される商品をつくれ」と言っていたそうだが、シャープOBの中田教授によれば、技術流出の究極の対策は「常に他社よりも先を考えて進むこと」、もっと言えば、他社が追随できないような新技術の開発に常に取り組むしかないということなのだろう。
ただ、私は、リストラの形で事実上、企業外に追い出して、あとで海外への技術流出のことに思い悩むことがないようにするコマツのような優れた経営が重要と思うが、技術者がのどから手が出るほどほしい国内の中堅中小企業にうまくリストラされた技術人材を移転できないか、と思う。いかがだろうか。

中山間地域おこしの「ちょっといい話」 蕎麦屋からソバづくりに転じ見事成功

群馬県の赤城山中腹でソバ栽培にチャレンジし、中山間地域での難しい農業経営に見事成功した人がいる。その前歴がユニークで、何と東京小金井市での25年間に及ぶ蕎麦屋経営の経験を生かしての一念発起の結果だ、という話を聞き、ジャーナリストの好奇心で現場取材に行ってみた。これが大当たり。実に素晴らしい取り組みで、私自身が元気をもらうほどだった。そこで今回は、課題山積の中山間地域で、ソバ栽培を通じて地域おこしする「ちょっといい話」を取り上げてみよう。
チャレンジしたのは、農業生産法人の株式会社赤城深山ファームを経営する高井眞佐実社長だ。川にたとえると流れに逆行して川下の蕎麦屋から川上に駆け上がってのソバ専作だが、現在64歳の高井さんの取組みは、今やアクティブシニアの挑戦だ。蕎麦屋経営に区切りをつけ、40歳から始めたソバ栽培は当時としては勇気のいることで、とくに農業生産は天候など自然条件とのし烈な闘いがあり、素人が誰でも出来るという単純なものではない。高井さんによると、最初の5年間は試行錯誤で、苦労の連続だった、という。

赤城山中腹斜面160ヘクタールで夏・秋ソバの二期作、
こだわりの土づくりと無農薬栽培

その高井さんは最初、3ヘクタールのソバ栽培からスタートしたが、今は赤城山の中山間地域の面積160ヘクタールに及ぶ畑で広範囲にソバ栽培するほどまで、力をつけている。とくに素晴らしいのは、時期が近接する夏ソバ、秋ソバの二期作に取り組んでいることだ。
国内の大半のソバ栽培農家が主力の秋ソバに集中特化する中で、高井さんは、秋ソバ90ヘクタールに加えて、夏ソバ70ヘクタールにもチャレンジした。夏ソバは、夏場の除草が大変で、収量にも制約があるため、敬遠する農家が多いそうだが、高井さんは夏場にこそ、ざるソバ需要がある、とあえて積極挑戦した。暑い夏にノド越しさわやかに感じる新鮮な活きのいい夏ソバを出したい、という蕎麦屋の現場ニーズを長年の経験から知っていたからだ。

そればかりでない。ソバ栽培にあたって、高井さんは土づくりにこだわり鶏糞やソバ殻を使って有機質の土壌を実現した。そして消費者ニーズの強い安全志向に応えるため、無農薬栽培によって高品質の「元気の出るソバ」をめざした。しかもソバを製粉加工して、末端の蕎麦屋向けに販売する、いわゆる1次産業から2次、3次までの、いわゆる6次産業化にも取り組んでいる。味の改良工夫にこだわったことで、今では市場評価を得て、「赤城深山そば」のブランドによって、18都府県にほぼ全量を売り切る企業経営ぶりだ。

標高差使ったソバ栽培に意外な強み、
北海道の広大平地生産と異なる優位性見抜く

さて、ここで興味深い話をしよう。高井さんの生産拠点である群馬県渋川市の赤城山中腹の畑は、200メートルから800メートルまでの標高差の地域にある。農林水産省によると、中山間地域は、平野の外縁部から山間地までの広範な地域を指す。その点で言うと、高井さんの生産拠点は、同じ中山間地域の中でも標高が高い点ではハンディキャップのある土地と言っていい。北海道の広大な農地を使ったソバ生産の場合、標高差などは無関係の平地で、機械を駆使して効率的な生産を行えるのとは対照的だ。私は当初、高井さんから話を聞くまでは、中山間地域の厳しい生産環境下でのソバづくりは大変だろうな、と思っていた。

ところが、私が高井さんからいろいろ話を聞いてみると、中山間地域、それも標高差のある山の中腹斜面を活用したソバ栽培に意外な強みがあることを知った。高井さんの話はこうだ。「標高差をうまく生かした栽培をすれば、やりようによってはコストダウンを図れるのでないかと考えた。標高の高い畑から作付けして順番に少しずつ下に降りていく作業形態をとり、高低差と時間差を活用したやり方でいけば、平地生産のような同時集中して一気に作業する必要もなく、生産性向上も可能になるのでないか」と。要は発想の転換が重要だ、というのだ。

「現場・現物・現実」のモノづくり3現主義で
中山間地域の現場に合った手法を導入

現に、高井さんが赤城山の中山間地域の気象条件を調べると、100メートルで気温が0.6度も異なることがわかり、高地の部分から500メートルも下がると単純計算で3度の温度差がある。このため、ソバの種まきに1か月の時間差を設けることが可能だとわかった、という。
高井さんは「北海道の広大な平地でのソバ生産の現場を見学した際、収穫期1つをとっても、同じ気温の下で同時集中的に大量の人員を投入せざるを得ない。それに比べて、中山間地域の標高差を使ったソバ生産ならば、人員は必要最小限で済み、トラクターなどの機械も有効活用できるので、本当にコストダウンが図れた。これは間違いなく強み部分だと自信を持った」と述べている。

誰もが中山間地域の、しかも赤城山の中腹の斜面という生産環境だと、機械を効率的に動かせることが出来ないばかりか、気温差も災いして温度管理が大変、かつ人員の作業配分にも苦労するなどハンディキャップが多くて苦労が多いのだろうな、と勝手に思い込んでしまう。ところが高井さんは、モノづくりの3現主義、つまり「現場、現物、現実」を見極めて、その現場に合ったソバ生産手法を導入して、見事、コストダウンを図り、同時に、それによって利益も出せる経営を実現したのだ。

「利益を生み出すソバ生産モデルをつくれば、
中山間地域に元気が出ると思った」

そして、高井さんは「利益を出せば中山間地域農業にとって、ソバ生産は儲かるビジネスモデルだ、とみんなに刺激を与えて、元気にすることになると思った」という。というのも、高井さんによると、赤城山の山麓周辺の中山間地域では、農業者の高齢化が急速に進み、耕作放棄せざるを得ない農地が増えてきているため、中山間地域農業に将来展望を作り出す必要があったからだ。

ところが、高井さんの周辺農家には違う現実があった。周辺の農業者は、レタスやブルーベリーといった長年、かかわった作物の生産にしがみついている。高井さんのソバ栽培が利益を出しているのが見えても、積極的に門をたたいて「ソバ栽培方法を教えてくれ。一緒にやろう」といった声かけは皆無だった。それどころか、「高井さん、うちも高齢化で畑を耕す余力がない。うちの畑を使ってくれないか」といった形で、半ば耕作放置化した畑の活用委託を申し入れてくるケースが多かったのだ。

現実は人口高齢化で「生産受委託」要請ばかり、
そこで高井さんは別の地域貢献に

そこで、高井さんは、別の形で地域貢献することにした。経営規模拡大によって、若者を中心に社員化の形で地元からの雇用創出に努めた。現に、周辺農家などの若い男女が入社し、全国にソバを売り出す仕事に誇りを持つようになってくれた、という。また、農地を借りた周辺農家160戸に対して2014年時点で年間800万円の賃貸料を支払っている。農家によっては年間2、30万円の賃貸収入を得るケースもあるので、年金生活に入った農業者にとっては大きなサポートになるのは間違いない。
高井さんは「本当の恩返しは、私が40歳で新規就農して、ソバ生産で何とか利益を出せるまでになった取組みをモデル事例にして、中山間地域でも発想の転嫁で取り組めば、儲かる農業に転化できるぞ、と一緒にやりたかった。でも、こういった地元雇用の創出や農地の賃貸料支払いの形で地域へのお返しも1つかなと今では割り切っている」という。ちょっと残念な気がするが、高井さんの言うとおり、動かない現実には逆らえない。

「ソバは粗放農業で手間ひまかけないでもいい」
というのは間違い、品質管理が必要

ところで、高井さんの自助努力、創意工夫が現在の経営成功に結びついている点を述べてみたい。高井さんは面白いことを言う。「ソバは粗放農業で、荒れ地でも育つ、手間ひまかける必要がないと思っていたら大間違い。太陽、水、土の生産三要素のうち、土づくりがとくに重要だと気が付いた。化学肥料や農薬を使わず有機肥料、とくに鶏糞とそば殻を肥料にした。微生物が豊富で、ふかふかな土にこだわった畑でのそばは根の張り方が違うし葉の色つやもいいのです。元気の素です。ソバ殻も重要で、畑の水はけをよくするだけでなく、微生物の活動促進効果もあることがわかった」という。
さらに、高井さんは「ソバは、雨に弱いのが最大の欠点なのは事実。しかし、水はけをよくすれば問題なし。その点でも赤城山麓のそば生産環境は、年間を通して霧がまいた状態になり、水はけのいい畑となるので助かった。とくに夏場は、朝晩涼しく温度差が大きいのもプラスだった」という。

安全重視の国産ソバめざし中国産ソバ依存から脱却し、
国産の「強み」発揮努力を

また、ソバの品種選びに関しても、高井さんは工夫をこらし、良質品種を選び、その種子は、品質特性を維持するため毎年、全量更新を行った。「ソバは、早期に収穫すると、味がよく香りもいいので、それに努めた。ただ、収穫後のソバの傷みが早いので、乾燥調製などの工程管理、さらに保管の方法も細心の注意を払った。おかげで苦労して生産した新そばに対する評価が大きくなり、製粉会社経由で納入する蕎麦屋さんから、『今年の新そばは出来がいいね』と評価をもらった時は、うれしかった」という。これもまた、25年間の蕎麦屋経営体験が生きている、ということだろう。

今、国内ソバ供給元の中国産が、中国での都市化の影響で生産地が減少すると同時に日本への輸出価格も上昇してきた。このため、日本国内で国産ソバ志向が高まっている。以前は、ソバの国産比率が19%だったのが、今は23%にまで上昇している、という。しかし、高井さんによると、国産ソバの強みは、高井さん自身が取り組む有機質の多い土づくり、安全志向に対応する無農薬栽培などによって、安全・安心のソバであることを国産の強みにすればいい、と言うのだ。そのとおりだと思う。

「農地バンク」と従来型の農業委員会の2つによる
農地受委託が機能しないのは問題

最後に、高井さんの問題提起に納得してぜひ、述べておきたいことがある。それは、政府が2014年から始動させた「農地中間管理機構(通称農地バンク)」のことだ。このプロジェクトは、安倍政権が農業の成長戦略の1つとして、農業の規模拡大や経営効率化のために耕作放棄地や農家が活用していない農地を集約し、国が主導して専業農家にまとめて貸し出すシステムだが、最近の農林水産省の発表では、政府が目標にした数字に対して実績がわずか5%という信じられない低調な数字だったことだ。

高井さんによると、農業の現場では、国が都道府県に委託した農地バンクを通じた農地の受委託のやり方と、もう1つ、従来型の地域の農業委員会が自治体の市町村当局と連携して生産者と農地を借りたい人との間で利用権設定をして受委託を成立させるやり方の2つが併存し、うまく機能していない、と言うのだ。
高井さんが経営展開する赤城山中腹の中山間地域では、高井さんと周辺農家のニーズが一致し、農地の生産受委託をめぐる話し合いや交渉がスムーズに進み、高井さん自身の規模拡大ニーズとも合致した成功例と言っていい。ところが、他の都道府県では、専業農家と、高齢化で耕作放棄地にしたままの兼業農家などとの間に入って、調整役を果たすべき自治体に人手不足、業務量の多さという忙しさに責任を負いたくないというおかしな意識の蔓延、それに2つのルートの一本化が図れない問題などが重なって、機能していない。それが「農地バンク」の目標数字の5%の低迷数字にもつながっている。問題の所在がはっきりしているのならば動くのが政治であり、行政であることは言うまでもない

今こそ高齢社会の新プラットフォームを 時代先取りのイデアクエスト社が面白い

日本の人口の高齢社会化スピードは世界各国に比べても早く、高齢化の「化」がとれて、文字どおり高齢社会に突入するのは、あっという間だろう。とくに、巨大な人口の塊である「団塊の世代」が75歳以上になるのは、2025年からだと言われている。わずか10年で、日本はこれまでとまったく違った重いテーマを抱えた高齢社会国家になるが、果たして、その準備や布石が出来ているのだろうか。問題は、その一点だ。
若者たち現役世代にとっては、老人があふれる社会が現実化すれば、さまざまな負担を強いられるばかりか、将来の自分たちの年金財源を先食いされるなど「負の財産」を背負うだけだと、ネガティブな受け止め方が出るのは間違いない。その問題対応は、政治や行政が「解」を出して行く問題だ。
だが、それとは別に、そんな新時代を見据えて、今こそ旧態依然とした制度や仕組みをいち早く見直して、高齢社会に対応する新たなプラットフォームづくりに取り組む時代先取りの行動が必要でないのか、と思う。

中島代表が慶応大教授時代の教え子研究者らと
立ち上げたハイテクベンチャー

そんなことを考えていたら、最近、新プラットフォームづくりに積極チャレンジする、という工学博士の学位をずらり持つ人たちによる大学発ハイテクベンチャー企業、イデアクエスト(本社東京)の存在を知った。その代表で研究開発リーダーの中島真人さんが、慶応大学教授時代の教え子でさまざまな企業の現場で働く研究者に声掛けして再結集を図り、高レベルの技術で高齢社会に欠くことが出来ない数々の機器を造り出した、という点が興味深かったので、さっそく現場取材してみた。ジャーナリスト目線で見ても、なかなかすごいチャレンジなので、今回は、このベンチャービジネスをぜひ取り上げてみたい。

何がすごいのか。結論から先に申し上げれば、中島さんが自身で長年培った半導体レーザービームを使って3次元の映像をつくる技術をもとに、今後の高齢社会の時代ニーズをしっかり見極め、医療や介護の現場で今後必要視されると思われるさまざまな機器の開発を大学教授時代の教え子の研究者と一緒に取り組み、実用化にこぎつけたことだ。

赤外線レーザービームや人工知能を活用して
認知症患者の異常を見守りチェック

具体的には、中島さんらは、認知症患者がベッドから突然、落ちて転んだりとか、異常行動に出たりといった事態が人手の足りない現場で起きた場合に備えて、2000本の赤外線半導体レーザービームで患者に照射して動きをチェックすると同時に、人工知能(ニューラルネットワーク)を活用して異常が見つかった場合、複数の患者の対応について管理センターにいる担当者のタブレットに「安全」「要確認」「危険」などのサインを出して、現場チェックを求める、という機器を独自開発したのだ。

イデアクエストは、この認知症患者用ベッド見守り装置以外に取り組んでいるものがいくつかある。具体的には高齢者や乳幼児のベッド見守り装置、トイレや浴室での高齢者らの見守り装置などだ。
これらは、認知症患者用ベッド見守り装置の仕組みと同じ仕組みだ。赤外線半導体レーザービームやファイバーグレーティング素子のセンサーを使って、ベッドにいる患者や高齢者、乳幼児が動く姿勢を見て3次元的に映像化して身体の動きを見る姿勢情報、加えて呼吸が不規則であるとか、一時的に無呼吸になっているかどうかの呼吸情報を集める。すごいのは備え付けの人工知能に5000パターンの情報をインプットし、集めた情報をもとに人工知能の判断機能で即座に「安全」「要確認」「危険」の判断を下し、管理センターにいる担当者のタブレットに情報を出すやり方だ。

国が「ロボット介護機器」として補助事業対象に、
一転ニーズ増え今秋から本格生産

イデアクエストが病院や介護現場でのニーズを調査した結果、これら見守りチェック機器に対する需要が極めて高いことがわかり、中島さんを中心に3年前から開発に踏み切った。ビジネスチャンスになると実感したのは、経済産業省が2年前に「ロボット介護機器開発・導入促進事業」という形で政策的に補助金制度の枠組みづくりに踏み出したことだ。介護現場は補助金制度を活用すれば大きな費用負担なしに入手可能となるため、引き合いも増えた。そこで、イデアクエストは今年秋に商業生産に入る決断をした、という。

日本の高齢社会に向けた新たなプラットフォームづくりは今後、さまざまなことが考えられるが、今回の中島さんらの大学発ベンチャーのチャレンジもまさにその1つだ。高齢社会への移行に伴う介護や看護の社会的なさまざまな負担を軽減するシステムを開発した、という点は素晴らしい。いずれ日本の後を追って、高齢社会化が進むアジアの中国、韓国、タイのみならず、欧米諸国にとって、このイデアクエストのシステムは、先進モデル事例になることは間違いない。中島さんはすでに慶応大教授時代から数多くの技術の特許化を進めているが、大学発ベンチャーがメガベンチャーに大化けするチャンスは皆無でない。

厚生労働省も高齢社会対策で新プラットフォーム
「地域包括ケアシステム」を具体化

厚生労働省は、冒頭に申し上げた「団塊の世代」が75歳以上になる2025年の高齢社会対策として、最近、「地域包括ケアシステム」の制度化を打ち出した。高齢者が重度の要介護状態に陥った時に、自宅、病院やクリニックなどの医療施設、介護サービス施設、ケアマネジャーなどをリンクさせて、それぞれの地域内で30分以内に必要なサービスを一体的に受けることが出来るようなシステムにしようというものだ。

厚生労働省や財務省、経済産業省の行政機関は、それぞれの行政の立ち位置の違いによって、政策意図もまちまちだが、共通しているのは今後、膨大な医療費支出が財政を圧迫するのが目に見えており、病気を未然に防止して医療費が跳ね上がらないようにすると同時に、高齢社会の地域全体でのケアシステム、それを支える企業の体制など、新たなプラットフォームづくりを進めようということだろう。

イデアクエストは福祉機器だけでなく
医療機器にもチャレンジ、医療現場にはプラス

イデアクエストは現在、介護などの現場で赤外線レーザービームなどを使って患者や高齢者のプライバシーを損なわずに異常をチェックする見守り装置の開発、生産化に特化しているが、代表の中島さんによると、これらはいずれも介護や看護の現場担当者の補助役的な機能を果たす福祉機器で、今は並行して、同じ赤外線レーザービームや人工知能の技術を使った本格的な医療機器の開発にも取り組んでいる、という。

その1つが、摂食嚥下(えんげ)機能評価装置という機器だ。食べた食物がうまく飲み込めず窒息したり、肺に菌とともに入り込み肺の中で炎症を起こす肺炎症状によって死亡に至るケースが意外に多いため、それらを未然防止するのが開発のポイントだ。現場見学した際、担当者の飲んだ水が、半導体レーザーとホログラム回析格子の2つを使って喉の表面を投影し光の部分の輝点の動きを解析することで、嚥下機能が落ちているか、肺に入り込んだかなどが瞬時にチェックできることがわかった。
このほか成人用高精度呼吸監視装置、新生児用呼吸機能診断装置なども見せてもらったが、これらの装置はいずれも医療機器で、臨床試験や治験を経て薬事法の許可を得る必要がある。認知症患者用ベッド見守り装置などの福祉機器と違って、これらの医療機器や装置を活用すれば、高齢者の危険を未然にチェックでき、医療現場にとっては大きなプラスだ。その点でもハイテクベンチャーのイデアクエストの社会貢献度は高い、と言える。

中島さんは慶応大理工学部教官時代から
起業意識強く、産学連携に強い関心

さて、ここまで申し上げるとリーダーの中島さんというのは、どんな人物なのだろうか、という興味が湧いてくるだろう。インタビュー取材してみたら、実に興味深く、人間的にも魅力のある人だった。慶応大学理工学部(旧工学部)に入学し学生時代からそのまま助手、専門講師、助教授、教授と進み、6年前の2009年に定年退職となっているが、この間、光を使って物体の3次元像をつくりだすホログラフィ、光情報処理の技術、医用超音波映像技術、センサーで人物をセンシングする技術などを専門研究されていた。

ところが普通の大学教員と大きく異なるのは、早い時期から、中島さん自身が研究開発した技術を世の中に問うて、社会に役立てたい、と起業意識が極めて強かったことだ。専任講師時代の1970年代末にホロメディア株式会社を立ち上げ自身で社長として経営にかかわったのを最初に、以後、光技研、理想科学研究所などを立ち上げ、その極めつけが定年後の2012年に設立した株式会社イデアクエストだ。

「ベンチャーで金儲けする考えはなく、
技術を実用化して社会貢献が狙い」と中島さん

中島さんは「技術などで金儲けしようという考えは、いつもなかった。むしろ技術を生かして社会貢献したい、という1点だった」という。今回のイデアクエストは、高齢社会を見据えて、時代のニーズに合うような技術開発、製品化を狙ったもので、現在39人いる社員のうち21人が工学博士号などを持つ技術系の実用研究をめざす人たちだ。いずれも恩師の中島さんの考えに共鳴して参加した、というから面白い。

イデアクエストのネーミングにも興味がわくが、中島さんによると、ギリシャ語のイデア(超越的原理)と英語の「探究」などの意味があるクエストをつなげた造語だ、という。日本も未踏の高齢社会のシステムなどを探求するという意味合いがあったのかもしれない
また、イデアクエストの事務所は、東京の羽田空港の一角にある。日本航空が経営危機時に、大容量のジャンボジェット機運航ビジネスから路線転換し、そのジャンボジェット機の格納庫を処分売りした際、イデアクエストの経営に参加していた人の判断で格納庫ビルの一部を借り受ける形で現在に至っている。

共同代表の坂本さん「海外での技術評価が高く
フランスに現地法人を立ち上げた」

経営面でバックアップするのが、共同代表の坂本光広社長だ。坂本さんはもともと旧三菱銀行にいた銀行マンだが、融資業務などを通じて培ったプロジェクトなどの事業価値、技術評価を加える眼力に加えて、資金を集めるファンディングの技術に関してもなかなかの優れ者で、中島さんとの接点に関しては「以前、慶応大学理工学部に次代を担う3人の研究者がいると見ていて、そのうちの1人が中島さんだった。イデアクエストが持つ人工知能による画像監視技術は間違いなく今後の高齢社会ニーズを先取りできるものだと思っている、と自負している」と坂本さんは語っている。

坂本さんによると、イデアクエストの認知症患者用の見守り装置に対する技術評価はむしろフランスなど海外で高く、引き合いもあって関心が強いので、フランスにイデアクエストの現地法人を立ち上げ、むしろ、海外での評価を武器に日本の国内市場でのビジネス展開につなげたいという。
いずれにしても、日本の高齢社会は冒頭に申し上げたとおり、あと10年で本格化する。その時に備えて、プラットフォームづくりを進めておくことは間違いなく重要だ。大学発のハイテクベンチャーの志(こころざし)に期待したい。