「考える力」を身にまとい、世界標準目指せ


学生と教員のその半数が外国籍という立命館アジア太平洋大学(APU、大分県別府市)は日本のグローバル教育を牽引する大学である。昨年9月、「学長候補の一人として推挙されました」という連絡を突然受けた出口治明さんは「選ばれるはずはない」と咄嗟に思った。
日本生命で働いていた時には、ロンドンの現地法人社長を務め、国際業務部長にも就いた。日本企業の中では「国際派」と言っていいが、英語は「ペラぐらい」と謙遜する。博士号も修士号も持っていない。APU学長の選考条件は博士号を持っていることと英語が堪能で「ペラペラ」なことだった。「僕には関係がない話」と思っていたら、あれよあれよという間に本決まりとなった。
「少し毛色の変わった方に決めようとでもお考えになったのか。でも選ばれた限りはやるしかない」。やると決めたら早い。昨年のクリスマスには居を東京から別府に移した。
学長の選考方法が実は気に入っていた。
過去の3代の学長は京都の学校法人立命館が決めていたが、4代目はAPUのメンバーが独自に学長候補者を推薦して決めることになっていた。

10人の学長候補者選考委員会
4人が外国人、3人は女性。ダイバーシティーにほれ込んだ

公募に応じた自薦他薦(出口さんは他薦)の100人余りの中から、副学長が選考委員長となり、他に5人の教員、2人の職員、2人の卒業生という10人の選考委員会が候補者を絞り込んでいった。この選考委員10人のうち4人は外国人、3人は女性だった。「普通の大会社の指名報酬委員会と比べてもぶっちぎりのダイバーシティーぶりです。選ばれたことはとても光栄です」と出口さん。
日本生命を還暦前に中途退社し、独立。2008年にライフネット生命を開業して社長となり、ネット生命保険市場を開拓した。ビジネス界での経験をどう大学運営に生かすのか。
「大企業に勤めた後、この10年間はベンチャー企業を経営しました。組織を運営するのは企業もNPOも大学も同じ。企業はいい人を集め、いい仕事をする。大学ならいい教員と学生を集め、いい研究といい教育をする。それを支える経営陣の役割はどんな組織でもしっかりとした財務基盤を整えること。これまでの経験が生きます」。そう自信を見せる出口さんは学内関係者からレクチャーを受け、教育基本法や学校基本法を読み込み、勉強の日々を送る。
学長執務室には学生らがやってきてディスカッションをすることも。「毎日、面白くてワクワクドキドキだ」と楽しんでいる。
日本の大学を取り巻く環境は厳しい。英国の教育雑誌によると、世界大学ランキングで日本の大学は年々、順位を下げ、東京大学でも46位(2017年)。アジアでも中国やシンガポールの大学の後塵を拝している。日本経済の低迷と大学の地盤沈下は無関係ではない。

欧米に比べ低い日本の成長
時代の変化に合わない日本の仕組みが原因

出口さんは指摘する。
「この20年間、米国は平均3%、欧州は平均2%の成長をしているのに日本は1%という低さ。世界の変化に伴って他の国は変わっているのに、日本が変わっていないことを示しています。日本が得意だった製造業の工場モデルはみんなで決めたルールを守り、辛抱強く作業を行う市民を育てました。自分の頭で考えない方が都合のいい社会でした。これまでの教育を変えねばならないのに変わらなかった」

先の見えない時代
自分の頭で考える 尖った「ジョブズ」を育てたい

先が見えない時代である。自分の頭で考えず、みんなで決めたことを守っているだけでは、新しい時代に合ったアイデアは生まれない。
「APUではアップルを創業したスティーブ・ジョブズのように自分で考え、尖った発想を持つ個性豊かな学生を育てたい」
出口さんはユニークな学生が育つ環境がAPUにはあるという。6000人近くの学生のうち51・4%が89ヵ国・地域からの留学生、約170人の専任教員の50・3%が外国籍だ。学生も教員も日本人と外国人が半々で、学生は日本語か英語のいずれかを学び、中級レベル以上の能力を身につけます。留学生は日本人と一緒に、日本人は留学生と一緒に協働する授業を必ず受けなくてはならない。
「日本人だけの大学なら何も言わなくても周りが忖度してくれるが、APUでそれは不可能。国籍、性別、年齢フリーの世界標準で鍛えられる」。出口さんは、日本社会の中では珍しいダイバーシティーがAPUで実現し、様々な個性が組み合わさることで、新しい知恵やイノベーションが起きるのではないかとみている。
大学として世界標準の「考える力」がある学生を育て、社会に送り出そうとしている出口さんだが、日本企業に注文がある。
「企業が学生の大学時代の成績をちゃんと評価し、採用する際の判断に使うようにならないと日本は変わらない」
欧米企業の採用では大学の成績を重視し、原則的に卒業後に採用を決めるという。どのような理由で大学、学部を選び、成績がどうだったかを説明させ、採否を決める。だから学生は大学で必死に勉強をする。
「日本の多くの企業の場合、1、2時間の面接で決める。しかも『クラブは何をした?』『バイトの経験は?』という質問ばかり。中には、内定を出した後に成績表を出させる企業もある。これでは学生は4年間、勉強しません。日本企業の採用システムが人材の劣化を招き、自分で自分の首を絞めている」日本企業がモノづくりだけではなくサービス産業でも新しいイノベーションを起こせるようになるには、世界標準の学力と考える力を兼ね備えた学生が正当に評価され、企業が採用するようにならなければならないのだ。そのためには世界標準でみっちり4年間教育するAPUが目に見える形で実績を上げなくてならない。英国の教育専門誌の日本ランキングでは、西日本・九州の私立大学でトップになった。「総合」でも全国21位にランクインした。
「大学間の競争は激しくなっている。APUはまだすそ野の大学です。しかし、きらりと光るユニークさで実績を出し、他の大学に刺激を与えたい。すそ野を上げればテッペンも上がる」
一見、控えめな発言の出口さんだが、日本の大学の改革を九州・別府の地から進めようとする意欲がみなぎっている。

日本のビジネスパーソンよ
もっと考える力をつけ、世界を学べ

戦後の日本経済は、キャッチアップ、人口増加、高度成長の3点セット
戦後復興、高度成長、ジャパン・アズ・ナンバー1の時代、そしてバブルの崩壊……。日本の戦後の歴史を振り返り、出口治明さんは「自分の頭で考えない方が都合のいい社会だった」と言い切る。
日本の敗戦はまさに米国との工業力の圧倒的な格差が原因だった。戦後の復興は、まずその反省から始まった。工業立国、輸出立国で成長しようとGEやGMといった米国を代表する電機メーカーや自動車メーカーをお手本として再生を目指した。米国というゴールがはっきり見えていたのだ。
言い換えれば、自分の頭でビジョンを考え、戦略を練る、という復興ではなかった。そこに団塊の世代という人口を押し上げる集団が登場し、日本経済は「人口増加」というボーナスを享受し、発展した。「アメリカへのキャッチアップモデル、人口増加、高度成長」という3点セットが機能したピラミッド社会、それが戦後の日本の社会だというのが出口さんの持論だ。
しかも戦後の日本の発展モデルはモノづくり、即ち製造業の工業モデルだった。工場は力と体力で勝る男性が有利な職場。男性が長時間外で働き、女性は家庭を担うという性分業が効率的だった。夫は家では「メシ、風呂、寝る」の3語で過ごし、それに応えてくれる妻が良妻と言われたのが戦後の日本である。
冷戦構造が崩れてから約30年。インターネットが普及し、産業構造は劇的に変わった。
「時代が大きく変わったのに働き方が変わっていないのが日本です」と出口さん。

「メシ、風呂、寝る」は終わった
国籍、性別、年齢 すべてフリーへ

日本人の年間労働時間は2000時間、長期休暇は1週間。それに対して欧州の労働時間は1500時間以下で1ヵ月のバカンスを取る。それなのに近年の欧州の成長率は日本を上回る。どう考えてもおかしな現実がある。
出口さんの指摘は女性の待遇にも向かう。
「世界経済フォーラムが発表した世界各国の男女平等の度合いを示すジェンダー・ギャップ指数(2017年)をみると、日本は144ヵ国中の114位。企業などで幹部社員の中の女性比率も欧米は30〜40%なのに日本は10%にも満たない。女性の待遇についても世界の変化に対応できていない」
「国籍、性別、年齢すべてフリー」の国にならなければ、これからの日本経済の成長はないのだろう。
「新しいアイデアやイノベーションはできるだけ互いに遠い距離にある既存の知恵やノウハウなどの組み合わせから生まれると言われています。だとすれば同じ国、同じ性別、同じような年齢が集まった同質的な集団からはイノベーションは生まれにくいのです。このような経験的に分かっているダイバーシティーを取り入れない保守性が日本にはあると思います」
女性の幹部登用について出口さんは「クオータ制(一定割合のポストを女性に割り当てる制度)を導入するべきだ」と主張し、
世界標準を目指せという。
なぜ日本は過去の成功モデルにしがみつき、変われないのだろうか。

問題は日本人の「低学歴」「修士号」、「博士号」
取得が普通の欧米企業幹部

追いつき追い越せのキャッチアップ時代が長かったので、自分の頭で考えることが少なかったことが理由の一つだが、出口さんは「低い学力が問題です」と言い切る。
日本の大学進学率は約50%。OECDの他の先進国の平均は60%を超えるので日本は明らかな低学歴国だ。加えて大学時代に単位は所得しても、本当に勉強したかというと疑わしいのが現実だ。
出口さんの著書『本物の教養』(幻冬舎新書)によると、日本の大学生が在学中に読む本は平均約100冊、一方米国の大学生は平均約400冊という。読書量だけでも日米で4倍の勉強量の差があるのだ。
こうした現状は大学自体の問題でもあるが、すでに述べたように日本企業の採用システムの問題でもある。企業が学生に大学時代の成績の優劣をそれほど求めていないのだから、日本の大学生が真剣に勉強するインセンティブが生まれるはずがない。
国連など国際機関への日本の分担金は経済力に応じて比較的多いのに、そこで働く幹部職員の数が少ないと言われてきた。出口さんは「これも日本人の学歴が低いから。国際機関の幹部職員になる条件は最低限でも修士号を取得していることだ。博士号を持っている人もざらです。日本人は就職したくても応募できないのが実情です」と言う。
グローバル企業の管理職社員の募集でも修士号や博士号の取得は必須条件と言われる。日本企業の幹部の学歴は、出口さんに言わせれば「低学歴」ということになる。
もちろん経済人の優劣は「学歴」では必ずしも決まらない。パナソニック創業者の松下幸之助氏やホンダ創業者の本田宗一郎は尋常小学校にしか通っていなかった。学歴さえあれば、経済人として必ず成功するわけではない。
だが先が見えない時代になってからおよそ30年経ち、欧米に比べて低迷し続ける日本経済の現状を見ると、働き方や女性の待遇、勉強に対する姿勢等で、欧米の先進国との間に歴然とした格差があることが浮かんできた。ならばまずここに切り込むべきだろうと考えるのが出口流である。

ITプラットフォーマーが時代を動かす?日本はプラットフォームで社会制度設計を

ITプラットフォーマーが時代を動かす?
日本はプラットフォームで社会制度設計を

インターネットと物流を結び付けてeコマース(電子商取引)、ネット通信販売ビジネスを展開する米国IT(情報技術)大手、AMAZON(アマゾン)の動きがすさまじさを増し、米国や日本などでさまざまな波紋を呼んでいる。オンライン書店スタートで、当初は大量の本の在庫を抱えたビジネスを危ぶむ声があった、というのに、その後、ネット上で総合スーパーマーケット化し、同じ米国内で実店舗網を持つ大手スーパー、WALMART(ウォルマート)の経営を揺るがす存在になったのだから驚きだ。このITを駆使してネット上でビジネス展開する数多くの企業をプラットフォーマーと呼ぶのをご存じだろうか。

米GAFA4社に中国BAT3社が加わり、米中IT企業で世界の経済市場をリード

プラットフォーマーの代表格はGOOGLE、APPLE、FACEBOOK、それにAMAZONを含めた4社だ。頭文字をとりGAFAと呼ばれる。ネット通販に限らず情報検索、情報通信などビジネスの形態はさまざまだが、いずれもネットサイトへの利用者アクセス数がケタ外れに多い。そして、利用者の通販履歴などのビッグデータを巧みに活用し新たな収益源につなげている。しかもプラットフォームで得た巨額の利益をすかさずシェア拡大や次世代技術分野への投資につぎ込む機敏さがある。企業価値を見る指標の株式時価総額ランキングでも世界トップ5社のうち4社を、これら企業が独占しつつあるのだからすごい。

しかしこれは米国に限った話ではない。社会主義と市場経済を巧みに使い分け国家資本主義国といわれる中国でもIT企業のバイドゥ、アリババ集団、テンセント3社(頭文字をとってBAT)が後発ながら、人口13億人の巨大消費市場にプラットフォーマーとして登場し一気にネット通販ビジネスなどで巨額収益をあげ、今や中国ニューエコノミーの担い手となっている。こうした米国と中国のITプラットフォーマーたちは、新しい経済市場を生み出し、時代を動かしつつある。インターネットの時代が作り出したビジネスモデルだ。

インターネットサイトでネット通販、情報検索サービス、SNS会員交流を展開

ビジネスの仕組みを述べよう。IT企業がインターネットでつなぐサイトを立ち上げ、自社ビジネスだけでなく自社に不足するコンテンツを補完してくれる企業を参入させ、製品やサービスに厚みをつくって不特定多数の利用者向けにネット上にショッピングなどの場をつくる。AMAZONが典型例。FACEBOOKはサイトにSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)という交流の場をつくり、21憶人の会員数を武器に企業広告とリンクして利益につなげている。GOOGLEはインターネットで結ばれた世界中の情報をスピーディに検索する検索エンジンを強みにする。プラットフォーマーはまさに事業仕掛け人だ。

私の中古書購入事例がわかりやすい。数年前に出た本を東京都内の書店に買いに行くと、2000円定価で販売している。ところがネット上のAMAZON書籍コーナーを検索すると同じ本が全国の中古書店から出品され、送料は別で本の傷み具合により800円、600円価格がついている。私は中古書にこだわりがないので、すかさず買うといった利用の仕方だ。
AMAZONビジネスモデルはおわかりだろう。国内中古書店と契約して自社プラットフォームに参入させ、自社取扱いの新刊書にそれら中古書を加え層の厚みを演出する。他方で本の在庫を抱える中古書店に全国の利用者紹介メリットを与えWINWIN状況をつくる。そしてインターネットでつながる不特定多数の利用者に利便性を提供し儲けるビジネスだ。

孤立小国イスラエルの強さはハイテク力? M&Aでの外国への技術流出恐れず新技術挑戦

孤立小国イスラエルの強さはハイテク力?
M&Aでの外国への技術流出恐れず新技術挑戦

国の周囲を敵対するアラブ諸国に囲まれているため、片時も気のゆるみが許されず、常に軍事的な緊張を続ける国、というのが、誰もが描く中東イスラエルのイメージだろう。ところがそのイスラエルは今やハイテク、とくに車の自動運転やサイバーセキュリティ―、医療機器分野などでの先端技術に強みを持ち、世界で独特の存在感を示している。

中でも興味深いのは、欧米諸国のみならず中国やインドなどの新興国企業がこれら技術に異常な関心を示し、イスラエルのハイテクベンチャー企業のM&A(合併・買収)、あるいは資本提携によって、それら技術を手中に収めようと躍起なのだ。そればかりでない。アラブ諸国からの原油確保が最優先課題だった日本もこれまで「アラブ・ボイコット」を恐れイスラエルとの交流を極力、回避していたが、最近は北朝鮮がらみのサイバーテロ対策のみならずさまざまな分野で、民間企業などがイスラエルへ急接近しているという。

ベンチャー支える独自エコシステムに秘密、政府の支援が核で、企業は起業に意欲的

イスラエルが対アラブ諸国との一触即発を開けるため軍事技術で突出しているのは容易に想像できる。しかし、それ以外の民生用技術で世界中の関心を引く先端技術を持っているのがすごい。その秘密は何なのか好奇心をそそられたので取材したところ、イスラエルベンチャー・エコシステムという、ユニークなシステムにカギがあることがわかった。

詳しくはあとで申し上げるが、要はヒト、企業R&D(研究開発)などのインフラ、そして政府の財政支援やベンチャーキャピタルの支援マネーの3つがうまくリンクしてシステム化していることだった。これらの支援システムで、まず起業が行われ、そして技術開発力をもとに市場開拓が進み収益力をつけてベンチャー企業が成長、それを経て大半のベンチャー企業が外国企業のM&Aのターゲットになり、技術ごと企業売却の運びとなる。

イスラエル政府は外国企業のM&Aをリスクと考えずに容認、日本とは対照的

問題はそのあとだ。重要な先端技術が仮にライバル国やライバル企業に移転した場合、イスラエルにとって、それら技術の流出が経済安全保障のリスクにつながる。ところがイスラエル政府はそれをリスクとは捉えないのだ。それどころかイスラエルの技術力がグローバル評価を得たと受け止め、外国企業のM&Aを容認する。ベンチャー企業も売却で得た巨額資金をもとに新たなハイテクベンチャーを立ち上げ、売却技術を越える新技術の開発に取り組む。この枠組みが何度も繰り返される。まさにハイテク立国だと言っていい。

このイスラエルの発想は、日本ではまず考えられない。経済産業省を中心に政府、それに企業も技術流出には極度に神経質になっており、産業や企業の国際競争力を妨げる技術の移転や流出につながるイスラエルのような外国企業のM&A案件があれば、即座にNOだろう。ところがイスラエルの発想は大胆だ。ブラックボックス化して流出防御しても、今のようなインターネットを背景にしたデジタル社会では模倣され技術の陳腐化が進む。むしろイスラエルとしては模倣リスクを抱え込むよりも技術力の強みを誇示するとともに外国に高く売却し、その資金で先端技術開発に取り組むべきだと。周囲を敵対国に囲まれる逆境にあっても、戦略さえしっかり持てば強みになる、という発想だ。実にたくましい。

「知立国家イスラエル」著者米山さんらの話でもイスラエルの行動は極めて戦略的

そんな矢先、「知立国家イスラエル」(文春新書刊)というタイトルからして刺激的な本が出版されたので、さっそく読んでみた。私が関心を持ったイスラエルベンチャー・エコシステムに関しても言及があり、その仕組みがすべてのカギを握っていることがわかった。著者は三井物産OBで、米国を含め世界の政治や経済の潮流を探るワシントン事務所長を経験された米山伸郎さんという方だったので、経済ジャーナリストの好奇心で必死に連絡をとりお会いすることができた。

同時に、毎日新聞時代の先輩の紹介でイスラエルの先端技術動向に精通されている日立製作所副社長OBの武田健二さんにお会いすると同時にコンサルティング企業が主宰するイスラエル企業と日本企業の交流セミナーにも積極参加した。それを機に新任の駐日イスラエル大使の就任記者会見出席など、好奇心に拍車がかかって矢継ぎ早にイスラエル研究特化を進めた。その結果、面積が日本の四国の大きさしかない小国のイスラエルの戦略的な強み、弱みも見えてきた。同時に、オランダやシンガポール、イスラエルを見ていると小国というと失礼ながら、それぞれさまざまなハンディキャップを抱えながらも、戦略的な行動で特異な強みを発揮している。独特の産官学連携の新品種開発システムなどにより米国に次いで世界第2位の農業輸出大国になっているオランダが象徴的だ。

理解しがたい中国の防空識別圏挑発行動 国際情勢判断に甘さ、虎の尾を踏む公算

 ちょっとおわびしなくてはならない。前回230回のコラムから3週間という空白部分をつくってしまったからだ。実は、11月前半の16日間ほど、私は1人で「陸のASEAN(東南アジア諸国連合)」といわれるタイ、カンボジア、ベトナム、ミャンマーのメコン経済圏諸国とシンガポールを旅行していたため、コラムに取り組む時間がなくなり、誠に失礼した。刺激的だったその旅の話は、いずれコラムで取り上げてみたい。

さて、今回は、いくつか取り上げたいテーマがある。ジャーナリストの立場で、さまざまな問題を抱える特定秘密保護法案に関して、安倍政権や与党が衆院での審議を十分にせずに参院に送り国会成立を図る強引なやり方を厳しく問題視したい。

日本の領空域の尖閣諸島の上空域に、
重なり合うように防空識別圏を設定
しかし、それよりも、もっと気になる問題を取り上げたい。それは、中国が、日本に対して領有権を主張して外交上の問題に発展させた尖閣諸島の上空域に、新たに、ここは自国の空域だと言わんばかりに、中国自身の防空識別圏(ADIZ)を一方的に設定し、関係する日本、米国、さらに韓国、台湾はじめ、その空域を飛行する各国の民間航空機を巻き込む国際トラブル事態を引き起こしている問題だ。

私は経済ジャーナリストなので、軍事がからむ問題に関して、不十分な知識で論評など到底、できない。このため、専門家の方々に聞いたさまざまな話をもとに、私なりに、問題整理して、時代刺激人ジャーナリストの切り口で取り上げてみたい。

国際法上で違反、日本は二国間問題にせず
米国など関係国巻き込み撤回要求を
結論から先に言えば、中国が今回、11月23日に突然、それも一方的に、外交だけでなく軍事トラブルの発生確率が高いことを承知の上で、挑発行動としか思えない尖閣諸島の上空域への防空識別圏を設定したことは明らかに国際法上でも違反であり重大問題だ。
日本は執拗に、ことあるごとに撤回を要求すべきだ。とくに、その場合、重要なことは、日中の2国間の問題にせず、日米安全保障条約を武器に米国を巻き込んで共同行動をとる一方で、中国が領土だと主張している南沙諸島や西沙諸島に関係するベトナム、フィリピンなどの国々にもいずれ波及することを想定して、それらの関係国、さらに国連にも働きかけて国際問題として、事態打開を図る方向で対処すべきだ、と考える。

この問題空域では民間航空機が常時飛行している。中国は今回の防空識別圏の設定発表に際して、空域を飛行する民間航空機は事前に飛行計画を提出せよと一方的に命じ、応じなければ領空侵犯機と見なして対応する、とも表明している。何とも身勝手な行動だ。

新設定空域を運航の民間航空機に
事前に飛行計画書の提出求める強引さ
それよりも何よりも、国際法の専門家によると、国際法上、公海上空での民間航空機などの飛行の自由を不当に、しかも今回のように一方的に侵害すること自体が明らかに重大な国際法違反だ、という。とくに、さきほど述べた、中国側が設定空域を運航する航空機に対して事前の飛行計画の提出を求め、仮に拒否したりした場合には中国戦闘機がアクションをとるという恫喝まがいの軍事優先の行動も国際法上で認められていない、という。

仮に、中国側が、巧みに、この民間航空機をタテに使って、日本や米国が民間航空機を巻き込むような軍事行動をとることはないだろう、とし、既成事実をつくって居座ろうとしているのならば、国際的にも許されないことだ。

なぜ今になって中国は問題エスカレートさせ
一気に挑発行動に及ぶのか
もともとは、故鄧小平氏が、日中間で領土にからむ外交懸案をつくらないとの立場から、尖閣諸島問題に関して、中国側は棚上げ論で終始してきた。ところが、この尖閣諸島周辺海域の海底に眠るエネルギー資源の確保が重要課題になってくると、中国は一転して、海洋権益の確保を前面に押し出してきた。そして、日本が100年以上にわたって実効支配してきた尖閣諸島について、これまで半ば容認状態だったのにこの数年、過去の古文書などを引っ張り出して都合よく領有権を主張し始めた、というのが日本側の受け止め方だ。

中国側は、尖閣諸島の日本側領海の海域に中国漁船を送り込み、領海侵犯した中国漁船の船長を日本側が拘束した際に、中国国内で反日の動きを強めさせるなど緊張関係を生じさせたが、こと現場海域で銃撃戦に発展する、といったことはなかった。
ところが、今回の中国の一方的な行動で、一気に軍事的な緊張関係に発展するリスクが高まってしまった。というのも、尖閣諸島の上空にある、日本の防空識別圏空域と、中国が今回、一方的に作り出した防空識別圏空域の重なり合う部分があり、この何とも危なっかしい空域で問題が発生する可能性が十分にあり得るのだ。まさに一触即発のリスクだ。

尖閣諸島周辺での自衛隊の海上作戦行動に強い制約、
上空では軍事衝突リスク
 端的には、中国側の偵察機などが挑発するかのように、問題空域に入った場合、日本側が戦闘機のスクランブル(緊急発進)をかける可能性が高い。その場合、中国側が支援の形で戦闘機を同じくスクランブルさせた場合、互いのにらみあいにとどまらず、現場で事態がエスカレートして危機一髪寸前状態になりかねない。

この問題で話を聞いた自衛隊将校OBや軍事問題専門家によると、海上で日中双方の艦船が接触しても問題が多いが、空域ではもっと軍事面でリスクが大きい、という。
たとえば尖閣諸島の海上で、現在は海上保安庁が領海侵犯の監視行動にあたっているが、 仮に中国の大量の漁船群が踏み込んできて、その漁船の一部から銃による発砲があったり、あるいは中国監視船、さらに中国軍艦が中国漁船の護衛で侵入してきて事態がエスカレートした場合、海上保安庁法や警察官書職務執行法で対応しきれなくなる。日本側は対抗上、海上自衛隊の出動を仰がざるを得なくなるが、自衛隊が海上警備行動でいくのか、あるいは一歩踏み込んで防衛出動でいくのか、その対応基準が全く定まっていない、という。

ある軍事問題専門家は「自衛隊法で対処すると言っても、防衛大臣によって発令される海上警備行動と、総理大臣にしか発動権限がない防衛出動をどの段階でどう対応するか、実施基準、発動基準などがまだ定まっていない。海上での問題がこんな状況なのに加え、今回の中国が突然設定した日本と重なり合う防空識別圏空域での戦闘機のスクランブルがエスカレートした場合の『次の一手』をどうするのかなどについても作戦行動の基準が決まっていない」と述べている。

安倍政権が新設の国家安全保障会議が機能するか、
お手並み拝見も
その点で、安倍政権が外交、安全保障の新司令塔となる国家安全保障会議(日本版NSC)の設置法を11月27日の国会で成立させ、12月4日から施行・発足となる。今回の中国の挑発的な防空識別圏設定問題に対し、どう緊急事態対応するか、そんな事態を想定してタイミングよくつくったのだから、さっそくお手並み拝見といきたいところだ。
さきほど述べた尖閣諸島の海上での中国側艦船の発砲など事態エスカレートの際、自衛隊法の海上警備行動でいくのか、一段上の防衛出動で行くのか、あるいは空域での戦闘機のスクランブル行動で事態悪化の場合の対応をどうするのか――など、最悪の有事に備えて、国家安全保障会議で議論し、必要に応じて、その議論の開示を求めたいところだ。

さて、本題の中国はなぜ、強引かつ一方的な防空識別圏設定によって、国際的な非難集中で孤立も覚悟せざるを得ないような問題に、あえてリスク覚悟で踏み込んだのだろうか、という点が気になる。とくに、日本や米国を挑発し反発承知の上での強い言動も繰り返し、さらには現時点で中国にとっては友好国の韓国、台湾に対してまでも防空識別圏の対象にしたのだろうか、という点だ。

最近中国から帰国した中国の要路に人脈ネットワークのある専門家、外交官OBなどの話を総合しても、見方はまちまちで、定まっていない。代表的な見方は、習近平政権が政権基盤を確立することに躍起で、強大国中国を前面に押し出し、かねてから標榜している中国にとっての核心的な利益の追求を鮮明にさせる狙いでないか、という。
この核心的な利益は3つあって、1つめが国家主権と領土保全で、この中に尖閣諸島問題などが含まれる。2つめが国家の基本制度と安全の維持、3つめが経済社会の持続的で安定した発展だ。国益の確保はどの国にも共通する問題だが、今回の問題は外交的かつ軍事的なリスクをはらんでおり、何とも理解しがたい。

人民解放軍の独断行動説も、
米国が問題空域に爆撃機を飛行させ無言の圧力
次の見方は、人民解放軍が習近平主席の了解をとりつけず、半ば独断でアクションを起こしたというものだ。習近平政権としては海洋権益の確保や領土保全問題とのからみで、今回の防空識別圏の設定そのものが矛盾するものでないので、渋々と容認せざるを得なかったのではないか、という。
とくに、人民解放軍は軍備増強の一環として、今後の周辺海域のみならず太平洋などでの作戦行動でさまざまな衝突も想定し、そこで、今回の尖閣諸島の上空域での防衛識別圏問題に関して、日本や米国などがどういった出方をするか、対抗手段をどうとるか、見極めるためにあえて挑発的な行動に出たのでないか、という見方もある。

その点で、今回、米国防総省が、中国への事前通告もなしに、米大型爆撃機2機を中国が設定した防空識別圏空域にあえて飛行させ、無言のプレッシャーをかけた意味合いは大きい。しかも米国は外交ルートを通じて、日本側に対し日米安全保障条約上の義務も果たした、という趣旨のメッセージを送ると同時に、中国側に対しては日米は共通の利益のために動いていることをアピールした。中国は、この米軍の動きに何の対抗措置もとらず、考えようによってはメンツをつぶされた面もある。これが今後の中国の行動にどういった影響を与えるかが重要なポイントになる。中国が、いまだ軍事力で力を持つ米軍の「虎の尾」を踏んでしまった、という事態になるかどうか、興味深いところだ。

中国国内の社会不安が共産党批判に
発展するのを恐れ外にホコ先向けさせた?
ただ、私は、これらの見方とは別に、中国国内のさまざまな問題をきっかけにした共産党批判穂のホコ先を外に向けさせること、とくに反日の動きにつなげていくことといった国内に充満したガスを外に吐き出させる手段に使ったのでないか、という見方だ。

現に中国国内では格差問題、端的には所得格差、都市と農村の地域格差、さらには共産党中央、そして地方の幹部の腐敗汚職の撲滅が習近平政権の政策課題に掲げられながら、問題が後を絶たず、さらには少数民族問題についても強権で押しつぶそうとする動きも加わって、社会問題が次第にエスカレートして政治問題化し、最近の天安門広場での爆弾テロ事件などが起きている。
今回の問題は、いずれにしても、中国の対応次第でエスカレートすれば、一気に、東アジに緊張が広がりかねず、ウオッチが必要だ。

本格始動した「クールジャパン」は大丈夫? アジアで見聞の「クールコリア」はしたたか

いま日本の食文化が海外で評価を受け、存在感を見せているのは、とてもうれしいことだ。実は、私が最近、タイ、カンボジア、ベトナム、ミャンマーのメコン経済圏諸国、それにシンガポールに調査旅行で歩き回った際、いくつか立ち寄った日本食レストランで、興味深い光景に出会った。

アジアで日本食レストランが現地の人たちに大好評、
存在感をアピール
 どの店も、現地の人たちが数多く食事に来ていて、しかもおいしそうに談笑しながら食べていた。むしろ日本人駐在員や旅行客の姿を見つけ出すのに苦労するほどだった。すっかり現地の人たちの間で定着していると言っていい。これはかつてなかった現象だ。

「日本食はおいしいから来ている」だけでなく、安全・安心、清潔、品質のよさ、それに「いらっしゃいませ」といった元気のいい声が店内に響き渡るなどサービスのよさに対する評価だ、という現地の人の声も聞いた。日本食文化は単なるブームではなく、定着してきたな、存在感を見せているな、と率直に感じた。

お寿司、日本ラーメンなど専門店が目立つ、
味だけでなく安全・安心、清潔が評価
 もちろん、ブームにあやかって日本食レストランの看板を出しているな、という店も数多くあった。メニューを見るまでもなかったが、話のタネに、いざチャレンジしてみると、案の定、日本食が持つ繊細さ、味へのこだわりなどにはほど遠く、見よう見まねの日本食だった。これが日本食だとみられると、イメージダウンだなと思ってしまう。かつてカナダ―のバンクーバーや米国西海岸のロサンゼルスなどでも、同じような店に出くわした。

しかし、今回のアジアの訪問国のうち、タイ、ベトナム、シンガポールでちょっと驚いたのは、日本食ならば何でもありのごちゃまぜメニューの日本食レストランではなくて、専門食メニュー、端的には「寿司」「天ぷら」「日本ラーメン」「そば・うどん」「焼き鳥」などを前面に押し出していた点だ。言ってみれば、現地の人たちには日本食への選好度がいろいろ高まっているわけで、それに見合った出店形態なのだ。間違いなく日本食の存在感が出てきた、と言っても、決して言い過ぎでないほどだった。

官民連携の「クールジャパン機構」は巨額資金つぎこみ何をやるのか興味津々
さて、前置きが長くなってしまったが、実は、今回のコラムで、ぜひ取り上げたいと思ったのは、この日本食文化のような形で、日本の存在感をアピールするにはどうすればいいか、という問題だ。11月25日に発足した官民連携の株式会社「クールジャパン機構」(正式には「海外需要開拓支援機構」)というユニークな組織が、このアピールの仕掛け人になる、というので、その新組織の問題にからめて、日本を力強くアピールするには何が課題かなどを取り上げてみようと思っている。

この新組織は、クールジャパン、つまり日本のアニメや漫画にとどまらず日本食文化や伝統工芸、ファッションなど「かっこいい」「かわいい」にあたる英語の「クール」という言葉を使って、現代日本の強みの部分を世界中にアピールしようというものだが、この新組織が最終的に20年間で700億円から1000億円ほどの巨額の資金を使って、さまざまなプロジェクトに投資、あるいは事業支援する、という話なので、いったいどんなことをするのか、本当に効果的なことをやれるのかな、と思っている。

新組織は官民375億円で共同出資、
茂木経産相「投資通じ産業競争力強化を」
クールジャパン機構は、経済産業省が中心になって法的バックアップを行ってつくったもので、財政投融資特別会計の投資勘定から出資、また電通や博報堂DYグループ、ANAホールディングス、LIXILグループ、パソナグループなど民間企業15社も加わって官民あげての総額375億円(当初資金)の出資でスタートした。

11月25日のオープニングセレモニーには行けなかったが、メディア報道によると、茂木敏充経済産業相はあいさつで、こう述べている。
「日本には世界に誇れるものがたくさんある。しかし残念ながら、直接、事業に結びついていないものも多い。新会社には、投資を通じて、海外に売り込みたい商品やサービスの市場開拓をサポートしてもらい、国全体の産業競争力強化につなげていきたい」と。

デザイナー出身の太田社長「日本のよさを世界に売り込みたい」
新会社社長の太田伸之氏は、もともとはファッションデザイナーだが、マネージメント力を買われての就任で、発足式のあいさつでは「情報プラットフォームを整えて、日本のよさを世界に売り込みたい。地方で眠っているよいものなどをアピールし世界市場につなげていきたい」「新会社は、事業会社のモノやサービスのうち、ビジョンがしっかりしていて他とは違う何かを持っていることが、投資の条件だ。短期的なリターンを追い求めるのではなく、日本企業がグローバル市場で戦っていく土壌を整えていきたい」と述べた。

これらの発言でおわかりのとおり、新会社のスキームは、日本が海外に「これこそ日本」と誇れるような民間企業などのプロジェクト、商品、サービスを投資対象として選び、世界に売り込むための事業支援を行い、冒頭の日本食文化がアジアの至る所で定着して好評価を受けたように仕向けることが狙いだ。

ターゲット国TV番組枠「ジャパンチャネル」を買い人気TV番組など放映しアピール
 このプロジェクトの仕掛け人の経済産業省によると、投資対象のプロジェクトのイメージとしては、つぎのようなものだ。1つが、あらかじめターゲットになる国々のテレビなどに「ジャパン・チャネル」として放映枠を買い、そこに日本を浮き彫りに伝統芸能や文化、さらにアイドル系ドキュメンタリー映画、人気テレビドラマなどを流す、という。

2つめが、同じく「ジャパン・モール」あるいは「ジャパン・ストリート」という形で海外の集客力のある都市の中心部に、日本をアピールする施設などを随時、設営して、現代日本をアピールする。
3つめが、江戸切子といったガラス細工、中国で大人気の南部鉄瓶、さらには海外の有名人も愛用する、という熊野美容筆など日本国内の地域資源をさらに掘り起こして世界にアピールし、日本に旅行してそれら商品を買おうという動機づけにする、といった形だ。

「クールジャパン」構想は数年前から出ていた、
実体伴わずやっと晴れの舞台に
この「クールジャパン」という言葉は今に始まったものでない。私の記憶では2010年ごろ、経済産業省を中心に、「日本の強み部分のアニメや伝統文化、ポップカルチャー、(大衆文化)、技術優れものの製品などを世界に売り込んで日本そのもののアピールを」という産業政策とからめた政策にしていこう、とキャンペーン先行だった。

このため、ムード先行で、なかなか政策の裏付けが十分に伴なわず、考え方としては、面白いのに、実体が見えず、現在に至った。それがやっと最近になって、日本の存在感を世界中でアピールする必要がある、との意識が高まり、安倍政権のもとで、政策アピールの目玉商品の1つとして、経済成長戦略に組み込まれた、という感じだ。

「クールジャパン機構」の投資判断、評価基準、
そして責任の負い方がポイント
経済ジャーナリスト的な問題意識としては、問題意識としては悪くなく、冒頭からの話のように、日本自体の存在感を世界にアピールすると同時に、日本の持つ戦略的な「強み」を見極め、日本のイメージアップにつなげることは極めて重要と思う。ただ、問題は、この新会社が投資決定をどう行うのか、とくに、その判断基準がどうなのか、また投資後の評価システムをどうするのか、さらに中途半端に終わってイメージアップにつながらないどころか逆効果だった場合の投資判断の責任はだれが、どう負うのかーーなど、気になる点はかなりある。

公的な資金をかなり大量に使うのだから、それらの透明性がポイントになると言いたい。冒頭の見出しにも書いたとおり、大丈夫なのか、ということだ。とくに、今後、20年間という長い期間にわたって、総額1000億円もの巨額マネーを、このプロジェクトにつぎ込むというが、大手の広告会社の食い物のならないように、第3者機関にチェックを求めるようにすることも重要だ。

「クールコリア」はベトナムのホーチーミン市で大胆な市場攻勢
ところで、最後になってしまったが、冒頭の見出しの2つめのところに書いた「アジアで見聞した『クールコリア』のしたたかさ」が、この日本プロジェクト展開の参考になると思うので、ぜひ申し上げたい。というのも、私のアジアの旅の現場で見聞した韓国の強烈な「クールコリア」の事例を見ると、相当の覚悟や気構えで取り組まないとインパクトを与えられないぞ、ということになる。そのためにも、現地事情をしっかりと把握し、何が効果的なメッセージ発信になるか戦略展開の準備が必要であることを申し上げたい。

私が今回のアジアの旅の現場で見聞したことを申し上げよう。日本の「クールジャパン」に張り合うような形で、韓国は先行して「クールコリア」をアジアで展開していた。とくにベトナムのホーチーミン(旧サイゴン)で事業展開している複数の日本人、それにベトナム人から異口同音に聞いた話だが、韓国政府は韓流ドラマやKPOPをベトナムのローカルテレビで放送枠を買い、頻度多く流している。

日本は日越友好40周年事業で「おしん」のリメークテレビドラマ放映、
時代感覚で差
 とくに、ベトナムの若い女性の間では、KPOPのスタイルのいい若い女性たちのかっこのよさに魅かれて、KPOPがすごい人気のうえ、サムソンエレクトロニクスがベトナム工場で生産するスマートフォンをそれら女性に持たせた広告でアピールすると、それがそのままサムスン・スマホの衝動買いにつながり、韓国の存在感につながっていく、という。

話は、実はそれにとどまらない。私がホーチーミン市にいた際、市内では日本とベトナムの交流40周年プロジェクトが展開されていたが、知り合いの日本人企業関係者の話では、東南アジアでかつて人気を呼んだNHKのテレビドラマ「おしん」のリメーク版、つまり現代にアレンジしたものが放映された。その知り合いは「韓国がKPOPでベトナムの若い女性たちに揺さぶりをかけ、引き付けている時に、日本が現代からほど遠い古い時代の『おしん』をアピールしても反応が鈍い。日越友好40年プロジェクトとはいえ、『おしん』では韓国の市場攻勢には勝てないよ」と述べていた。そのとおりだ。

大事なことは、現地のニーズを探り、何がいま受けるか、何が「さすが日本だ」と強いインパクトを与えるかのマーケットリサーチと情勢判断、そして何をインパクトある攻勢材料にするかだろう。韓国は徹底した現場リサーチを強みにしているというから、「クールジャパン機構」も徹底した世界各国の現地分析が重要と言いたい。

世界に先駆けアクティブシニア社会を 新成熟社会モデルで存在感アピール

 今回は、日本の高齢社会対応の問題を取り上げてみたい。2014年という新しい年の最初の「時代刺激人」コラムとして、GOODなテーマかどうか悩ましいところがあるが、実は、ちょっとしたきっかけがあって、ぜひ取り上げてみようと思い立った。
しかしこの問題は、率直に言って、日本全体として避けて通れない大きなテーマだ。とくに巨大な人口の塊(かたまり)である団塊の世代が、この高齢者層に加わってきたのをきっかけに、これまでとは違った問題や課題が今後、さまざまな噴出することは間違いないので、しっかりと向き合って考えてみることが必要だ。

「老人」「老世代」という表現よりもアクティブシニア世代と、
プラス思考の位置づけを
 結論から先に申し上げれば、高齢化の「化」がとれた日本の高齢社会問題を考えるにあたって、私は、高齢者層を「老人」「老世代」といった形で、社会の片隅に追いやるのではなく、むしろアクティブ・シニア世代という形で、プラス思考によって位置づけることが必要だ、との考えだ。
その場合、これら世代は、さまざまなことにチャレンジする自助努力が必要なのは言うまでもないが、若い世代の「お荷物」とはならず、むしろ同世代で思いもつかないビジネスにチャレンジするとか、地域社会でユニークな地域貢献活動、体験や技術能力を生かしたボランティア活動に取り組むといった、要は存在感のある生き方をすることが必要だ。

そして政治や行政は、それに対応する新たな制度設計を積極的に考えていく。企業も需要創出チャンスと投資につなげていくことが重要だ。もちろん医療や介護のお世話になる高齢層が多いことも視野に入れた制度設計にするのは当然だが、大事なのは、アクティブ・シニア世代に対応できる社会システムづくりが今後のポイントになる、ということだ。
それによって、日本は、若者層と高齢層が共生してアクティブな社会づくりをめざす先進モデル事例国家だと世界中から評価を受けるようにすればいいのだ。

五木寛之さん「新老人の思想」から
刺激、体力・気力衰えずのアナーキーな新階級?
 さて、前置きが長くなってしまったが、冒頭に申し上げた高齢社会対応を取り上げるきっかけというのは、ある日、新聞を開いたら、出版社の幻冬舎新書の広告に、思わず吸い寄せられてしまったからだ。作家の五木寛之さんの書いた「新老人の思想」という新書に関するものだが、出版社らしく、見出しが次のように、なかなか刺激的なのだ。

「日本は今、とんでもない超・老人大国に突入しようとしている。これからは、かつての老人像とはまったく違う『新老人』の思想が必要だ。それは、未来に不安と絶望を抱きながらも、体力、気力、能力が衰えず、アナーキーな思想を持った『新老人階級』の出現である。彼らにけん引され、日本人は後半生の再考を迫られている」と。

私は、若いころから、五木さんの小説「さらばモスクワ愚連隊」、「蒼ざめた馬を見よ」などを読んでファンだったので、さっそく新書を買って読んでみた。さすがに五木さんも81歳ということもあってか、やや年齢を感じさせる切り口部分もある。しかし興味を持ったのは、「新老人」の部分だ。

肩書志向型、モノ志向型など「新老人」5分類、
定年で強制退場への不満が背景
五木さんは「老人といった場合、今は65歳あたりから老人として扱うのが適当かもしれないが、現実には65歳の人のうち、老人の実感が全くなく老人扱いされることに反抗している人たちが多い。まだ十分に実社会で活動できるつもりでいるのに、強制的に退場させられたと感じている人々だ」と述べ、それらの「新老人」を5つに分類している。五木さんは「冗談半分に区分けした」と言っているが、これがなかなか面白いのだ。

今回のコラムのとっかかりの部分に必要なので、ちょっと引用させていただこう。肩書志向型、モノ志向型、若年志向型、先端技術志向型、そして放浪志向型の5つだ。
このうち肩書志向型は、五木さんによると、60歳を過ぎれば、スーパーエリートは別にして、大多数はふつうの人になるが、一介の個人になりきれない人がいる。「体力もある。弁もたつ。組織を動かすコツも心得ている。社会も、そういう人を放っておく手はない。有能な人ほど、いろんな肩書を押し付けられる」人たちだ。

パソコンやスマホに挑戦し驚嘆の技披露の先端技術志向型、
そして放浪志向型も
 モノ志向型は、ある年齢に達すると、突然、物欲にめざめ、たとえば一眼レフのカメラや時計にこだわる人などだ。若年志向型は、五木さんによれば70歳を過ぎてジーンズをかっこよくはいたりする人だ。「あまりに流行に敏感な老人というのも、なかなか認知されにくいものだが、あくまで時代に合わせて生きようとする人びとだ」という。

残る先端技術志向型は、私の周辺には先端技術に背を向ける人が圧倒的に多いが、五木さんによると、パソコンに挑戦し達人領域に達した人、さらにスマートフォーンを2、3台所持して、驚嘆すべき技を披露して周囲を呆れさせる人で、「願わくば現役時代に、その才能を開花させてほしかった、とみんなから陰口が出る人」だ。
そして放浪志向型は、映画の寅さんを夢見る自由人で、デイバッグを背負って、よく1人で旅をする。60年代、70年代のヒッピー文化に郷愁を抱き続けた世代に多いという。さすが作家らしい分類だなと思って興味深かったが、まだまだ分類が可能だ。

スーパーシニアの日野原先生は75歳以上をシニア、
60~74歳をジュニア扱い
私の冒頭からの問題意識でいくと、五木さんの「新老人」の表現には、やや抵抗があって「新アクティブシニア」の方がいいじゃないかと思った。ところが、100歳を超えていまだ現役の医師で、しかも聖路加病院理事長と同時に財団法人ライフ・プラニングセンター理事長を兼務されるスーパーシニアの日野原重明先生が2000年に創設された「新老人の会」も「新老人」のネーミングだ。既存の「老人」とは違うという意味で「新老人」とされたようだが、この際、新アクティブシニアの会と変えてほしいと思う。

ただ、日野原先生は、発想が面白い。75歳以上をシニアと位置づけ、60歳以上から75歳未満まではジュニアと呼び、これらの人たちを「新老人の会」会員にしている。そして「愛し愛されること」「創(はじ)めること」「耐えること」の3つをモットーに、音楽コーラスや健康情報交換、スポーツなどさまざまなサークル活動を通じて交流を深め、生き生きとした日常生活を送るのが会の活動で、いま、日本国内だけでなく海外にまで支部が広がり、400支部で1万2000人を超す会員組織になった、という。

80歳エベレスト登頂の三浦さんなど数えきれないほど、
日本にはスーパーシニア
 余談だが、政府の「前期高齢者」「後期高齢者」という呼び方も、私自身、不快に思うネーミングだ。いかにも官僚の発想だが、メディアがそれを容認して、安易に報道現場で使うのもおかしな話で、率先して無視すべきだと思っている。
ところで、日野原先生は今もアクティブに活動され、その気力、体力の源泉は何だろうかと思うほどだが、こうしたスーパー・アクティブ・シニアは枚挙にいとまがないほどだ。

80歳でエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎さんもすごいが、私の周辺でも数えきれいほどおられる。旧住友銀行副頭取から旧住銀リース会長を経て慶応大教授に転出、69歳で大学発ベンチャーのエリーパワーという電力貯蔵用のリチウムイオン電池会社を起業した吉田博一さん、私も参加した東電原発事故調査の国会事故調で、政府や電力事業者から独立して厳しく調査を陣頭指揮された元委員長、かつ元日本学術会議議長の黒川清先生など、70歳超の人たちがずらりといて、いまだに現役でバリバリ活躍されている。

世界に先駆けてアクティブシニアが活性化する
日本社会をアピールするチャンス
 生涯現役の経済ジャーナリストにこだわって、私が現場取材を続けていると、本当に、素晴らしい問題意識と行動力で時代を切り開いていくチャレンジを続けておられるアクティブシニアの人たちに数多く出会う。好奇心の旺盛さ、フットワークのよさを売り物にしていた私でさえ、それらの人たちの問題意識の鋭さ、発想のすごさなどにたじたじとなるほどだ。これらの人たちを見る限り、日本は、シニア層に極めてすごい層の厚みがあると思う。その人たちのネットワーク、問題意識、構想力などを武器に、世界に先駆けて、アクティブシニアを積極活用する社会をつくればいいと、かねがね思っていた。

日本は、冒頭に申し上げたように、高齢化の「化」がとれて、世界最速で高齢社会に突き進み、人口全体に占めるアクティブシニアの比率が急速に高まる。団塊の世代が高齢社会に加わり、この人たちのさまざまな動きが医療や介護の現場のみならず、社会全体の中で大きなインパクトを与える存在となる。プラス面のみならず、逆にマイナスに作用することも多々ありえる。

政治、霞ヶ関行政組織、大企業が成熟社会対応の
システムづくりを先送りしてきた
 問題は、今の社会システムのみならず、政治も経済もあらゆる分野で、団塊の世代の高齢層のみならず、その上の年齢層のシニア世代が大きな社会的存在となった場合に備えてのシステム対応、制度設計になっていないことが最大の問題だ。政治家も、霞ヶ関の行政官僚も、また企業組織も、問題の所在をわかっていても、それへのシステムづくりの対応については、問題先送りしてきたのが偽らざるところだ。

私に言わせれば、今からでも遅くない。五木さんが分類した「新老人」層のみならず、さまざまなアクティブシニアの人たちが、若い世代と共生しながら、独自の活動領域をつくっていけばいい。場合によっては、それが新たなシニアマーケットになって、成長の新たな起爆剤になるビジネスチャンス分野づくりでもいい。その分野に新たな担い手、後継世代が必要になることを考えて、若い世代にも参加を求めてもいい。

今こそ日本は世界の誇る新成熟社会モデルづくりに
取り組め、先進モデル事例を
 大事なことは、アクティブシニア世代が企業組織や大学やさまざまな既存の分野で世代交代を進めて若い人たちにバトンタッチし、同世代のさまざまな仲間と連携して、新ビジネス分野をどんどん創出することだ。以前のコラムで、愛媛県新居浜市のクックチャムという総菜会社の藤田敏子さんというアグレッシブな女性経営者を紹介したが、藤田さんのすごさは人口の半分の女性市場をターゲットに起業して成功した。同じことは、問題意識があって、好奇心旺盛なアクティブシニアにもあり得ることだ。

冒頭にも指摘したように、政治や行政が、アクティブシニアが活動しやすいように、新たな制度設計を積極的に考えていけばいい。企業も需要創出チャンスと投資につなげていけば、事業活動領域も広がる。アクティブシニアが生き生きと活動できるような社会システムづくりをすることだ。こうして、日本が新成熟社会のモデルをつくれば、世界で一足先に高齢社会に向けて歩む日本は素晴らしい先進モデル事例を示してくれたと存在感をアピールできると思う。いかがだろうか。

メコン諸国の現場レポート2 日本は品質で強み、コスト下げて中間層に照準を

 インド自動車最大手のタタ自動車の51歳の若手社長が2014年1月26日、旅先のタイのバンコク市内のホテルから転落死したニュースに続き、ホテルの部屋には遺書があったため、思い詰めての自殺だった可能性が高い、という報道を目にして、私は思わず「えっ、本当か」と驚いた。
そのことが今回のメコン経済圏諸国のレポート2の話と、いったいどういった関係があるのだろうか、と思われるかもしれないが、これが実は、無関係でない。

インドのタタ自動車社長のサプライズな自殺、
超安値車の販売不振が影響?

 タタ自動車はインドで有力なタタ財閥の中心企業だが、その総帥かつ実力会長だったラタン・タタ氏が2003年に超割安の「10万ルピーカー」(当時の円換算で28万円)構想を打ち出し、世界中を驚かせた。ラタン氏は当時のインドで「新中間所得層」とも言われていた年間所得10万~20万ルピー層をターゲットに、オートバイからマイカーへの乗り換えによって、新しいライフスタイルの夢の実現を、という販売戦略だった。

中国に次いで10億人の巨大人口を持つインドで、独特の販売サービスネットワークを武器に割安価格の軽自動車でシェアを握った日本の軽自動車メーカーのスズキのクルマでさえ、20万ルピーだった。鈴木修会長は当時、「4人乗りの4ドアのクルマとしては価格が低すぎて非現実的だ」とコメントしたが、インド最大手メーカーがつくる「国民的大衆車」だけに、スズキにとって脅威であったことは間違いない。

「新中間層」に照準当てた安値販売戦略がなぜか奏功せず、
品質や機能に警戒も

 ところがタタ自動車の工場建設用地確保でトラブルがあったうえ、ガソリン価格の値上がりでオートバイからの乗り換えが思うようにいかず、6年後に発売した際には、意外に不人気で、売れ行きが振るわなかった。そこで、ラタン会長はGMインドで経営手腕を発揮した英国人のカール・スリム氏を社長にスカウトし経営を託したが、ゴルフでいう「リカバリーショット」が打てず、結果は、冒頭の社長自殺となった。

中間所得層が次第に増えてきていたインドで、消費者にとって手の届きやすい低価格の新車だったにもかかわらず、なぜ価格が魅力と映らなかったのか、あまりに安すぎて品質や機能面で警戒感が働いたのか、逆に消費者にはクルマは「ステータス・シンボル」で高レベルのものを求めるニーズがあり、敬遠されたのか、このあたりは定かでない。

メコン経済圏諸国はインドと対照的、
中間所得層に勢い、日本車にも強い関心

 ここでメコン経済圏諸国と接点が出てくる。タイのバンコクの場合、私は何度か旅行するチャンスがあるので、変化を見ることが出来るが、今回は、もともと多かったバイクとともに、マイカーを保有する層が着実に増え、中間所得層に厚みが出てきたな、という印象があったこと、それに渋滞解消策として登場した新都市交通の高架鉄道がすっかり定着していたのには驚いた。

これに対して、学生時代からほぼ50年ぶりの訪問となったカンボジアのプノンペン、ベトナムのホーチーミン(旧サイゴン)はバンコクと対照的に、昔と変わらずバイクの交通量がすさまじく、そのバイクが至る所で慢性的な交通渋滞の原因を作り出していた。クルマの量も目立つものの、バイクの比ではなく、まだ発展途上段階の印象だった。

カンボジアで「中古車でもいいから品質いい日本車ほしいが、
高価格で手が出ず」

 しかしカンボジア、ベトナムとも、ヒトの動きなどを見ていると、間違いなく経済に活気があった。プノンペンで出会った30代半ばのピセット君は「今のボクの所得水準ではローンでバイクを買うのが精いっぱい。でも必死でかせいでマイカーがほしい。日本のトヨタ車は品質がいいので、買うならば中古車でもいいからトヨタだが、値段が高すぎて手が届かない」と述べていた。中間所得層の声をほぼ代弁したものだと感じた。

そのカンボジアで、トヨタの誇る高級車レクサスを至る所で見かけた。富裕層が乗りまわしているのだろうが、今や国民1人あたりのGDPで日本を追い抜いて5万ドルというシンガポールならいざしらず、国民の平均的な所得水準がまだそれほど高くないカンボジアでのことだけに、率直に言ってサプライズだった。

広がりを見せる中間所得層の消費ポイントは
価格も重視だが、まずは品質

 さて、ここで本題だ。新興アジア、とくにメコン経済圏諸国は、日本のような長期間のデフレに苦しむ国と違って、一定の経済成長レベルを維持しているため、中間所得階層が急速に広がりを見せている。問題は、その購買層の消費ポイントがどこにあるかだ。

タタ自動車の場合、比較的、低所得層に近い「新中間所得層」に照準を当て、10万ルピーという超割安価格で売り出したのに、インドの消費者の関心を引かなかった。値段の安さが決め手でないことを感じさせたが、カンボジアでは、さきほどのピセット君の発言どおり、日本車人気が根強く、異口同音に、品質のよさを理由に挙げたが、輸入中古車でも値段が高く、手が出ないので残念というものだ。ベトナムの中間所得層の間でも反応は同じだった。要は、品質重視なのだ。

ベトナムで韓国車がこわれやすいなど
問題多くても手が届く価格なので購入との声

 その点で、ベトナム市場への食い込みが急速に目立つ韓国車に関して、興味深かったことがある。ホーチーミン市で知り合ったベトナム人は「日本車に比べこわれやすいうえ、補修部品の整備体制が出来ていないので、不満がある。しかし、韓国車は値段が手の届くものなので、買ってしまう」と述べていた。ミャンマーのヤンゴンでも、親しくなったタクシー運転手が韓国車に関して同じことを言っていた。

要は、品質のいい日本車がほしくても値段が高くて手が出ないため、やむなく韓国車に、というのが大勢だった。今後、中国車が次第に力をつけて、タタ自動車ほどでないにしても価格の安さを売り物に新興アジアに参入してきた場合、韓国車と同様、品質を二の次にして価格選好で売れるかもしれない。メコン経済圏など新成長センターのアジアで、日本の自動車メーカーがシェアを上げるためには何が課題かが私なりに見えてきた。

メコン経済圏歩いて日本の戦略課題が見えてきた、
強みの品質に磨きと価格下げだ

 今回のメコン経済圏諸国を歩き、いろいろ取材していても、間違いなく日本車に対する高評価の最大のポイントは、まず第1に品質の良さだった。丈夫で長持ちのうえ乗り心地がいいというのだ。続いて、補修部品が比較的そろっているうえ、補修サービスなどの体制が出来ていることを理由に挙げた。この点も韓国車にない日本の強み部分になっている。逆に不満部分は、言うまでもなく値段が高すぎる、という点だ。

成長センターのメコン経済圏への日本企業の戦略で見直すべき点がはっきりしてきた。何も日本車に限った話ではなく、エレクトロニクスはじめさまざまな消費財、サービスなどすべてに言えることだ。日本は、最大の強みの品質に一段と磨きをかけるとともに、中間所得階層の消費の手が届くようにコスト削減を続け、販売価格を引き下げる努力を続けることだ。現地での部材の調達比率をあげ、現地生産比率も高めると同時に、さらに物流コストの圧縮も考える、といったやれる手は何でも打つ、といった発想でチャレンジしていくしかないのでないだろうか。

遠藤早稲田大教授の「日本品質」が世界を制す、
という発想がいま新興アジアに通ず

 ここで、日本の強みの品質問題に関して、ぜひご紹介したいことがある。「『日本品質』で世界を制す」(日経新聞出版刊)という著作を出された早稲田大学ビジネススクール教授、遠藤功さんの指摘だ。現場を歩く私のような時代刺激人ジャーナリストの立場でも、ポイントをつく指摘だと以前から思っていたが、今回のメコン経済圏の取材の旅で、それを実感したので、その指摘の一部を紹介させていただこう。

遠藤さんによると、「日本品質」というのはこうだ。品質は市場における顧客の「欲望の質」によって鍛えられる。それは消費財だけでなく、生産財、サービス財でも同じだ。日本の場合、企業が要求水準の高い日本の「目の肥えた顧客」「うるさい顧客」に目線を合わせた品質のつくり込み、つくり上げを行い、日本の高い品質水準を生み出してきた。その意味で、成熟して目の肥えた顧客が数多くいる日本市場は、これからも「日本品質」創造のマザーマーケットとして機能する必要がある。主たる生産拠点がアジアなど海外に移ろうとも、日本におけるモノづくりの素晴らしさを維持すべきだ、という。

大阪万博をきっかけに高度成長に入った
日本の中間所得階層の動きがいまアジアに

 そして、遠藤さんは、「日本品質」に関して、「信頼という機能的品質」、つまり「見える不良」の撲滅、「見えない不良」への挑戦、それに「感動という情緒的品質」、つまり物語性(ストーリー)、希少性、優れたサービスの機微性がポイントだという。日本が新興アジアで、こういった細かい品質にこだわって消費材財、生産財、サービス財を提供していけば間違いなく日本の戦略的な強みになる、と思う。中国にも、そして韓国にもない「強み」の部分だからだ。

今後、メコン経済圏諸国に限らずASEAN(東南アジア諸国連合)の他の国々が、2015年12月の地域経済統合をきっかけに、経済成長に弾みがつけば、かつて日本で1970年の大阪万博を起点に中間所得層に新たなライフスタイルへの志向が強まり一気に高度成長経済に突入したことと同じ現象が間違いなくASEANに生じる。その当時、日本は生活のクオリティ、新たなライフスタイルを求め、それに見合ってテレビや冷蔵庫など三種の神器が生産され、大量生産・大量消費の高度成長経済が実現した。その時の高品質社会への希求が成長のエネルギーだった。それがいま、新興アジアでも起きつつあると言えないだろうか。
 

メコン諸国の現場レポート4 アジアは「中進国の罠」を克服できるか 自国の強み産業育て生産性向上がカギ

 石炭や銅、ニッケル、スズなど豊富な天然資源を誇る「海のASEAN(東南アジア諸国連合)」中軸のインドネシアが今年1月、未加工のニッケルなど鉱産物資源を国外に持ち出すことを禁じる方針を打ち出したため、国際的に波紋を呼ぶ事態となった。ところが輸出禁止措置ながら、そこには例外規定があって、「ただし、インドネシア国内で精錬・加工して付加価値をつけたものであれば輸出はOK」という奇妙なもの。

インドネシアが工業化狙いで奇策?
鉱物資源ほしい外国企業に合弁での精錬要求
 実は、このインドネシア政府の措置は2009年に制定された「新鉱物・石炭鉱業法」、つまりインドネシア国内で採掘された鉱物資源については必ず精錬・加工を義務付けるという法律にもとづくが、今回の措置は、加工などによって付加価値をつけなければ輸出が出来ないぞ、という二段階規制にするものなのだ。

どういう意味か、おわかりだろう。要は、自国産業の工業化が課題のインドネシア政府は今回の措置で、外国企業をターゲットに、ニッケルなど天然資源に付加価値をつけるため精錬・加工の工業化を促す。その際、インドネシア企業との合弁事業を求め、民族系製造業の育成を図ると同時に、完成品輸出で外貨もしっかりと獲得する、という狙いだ。
早い話が、自国産業の工業化対応には資金や技術、人材確保の面で時間がかかるため、天然資源がノドから手が出るほど欲しい外国企業をうまく活用し、インドネシア自身の工業化に弾みをつけようというものだ。

インドネシアの新措置はもろ刃の剣、
長期的にはプラスだが短期的には大マイナス
 この強引な手法には、もろ刃の剣の面がある。長期的にはインドネシアの民族系企業の工業化にプラスだが、短期的には鉱産物資源輸出で得ていた外貨収入が激減し、貿易・経常赤字の拡大要因となる。いま、米国の量的金融緩和政策の縮小に伴い新興国に投資していたドル資金が米国に還流しあおりで新興国為替相場に影響が出ている。インドネシアもルピー安になっているが、経常赤字になれば通貨安に拍車がかかりかねない。それどころか輸入物価の上昇につながり国内インフレを招く恐れもある。文字どおりもろ刃の剣だ。

外国企業は大打撃だ。中でもニッケルの輸入依存度が高い日本企業は深刻で、日本政府も、話し合い決着がつかないならばWTO(世界貿易機構)に提訴せざるを得ないと揺さぶりをかけている。このため、インドネシア政府は現在、最終決断を留保した形だ。

メコン経済圏諸国も工業化で似たような悩み、
外資依存から脱却できるか
 タイ、カンボジア、ベトナム、そしてミャンマーのメコン経済圏諸国を歩いた現場レポートなのに、なぜ、インドネシアの話なのかと思われるかもしれない。しかし、「陸のASEAN」の国々にとっても、この工業化をめぐる問題は無縁ではない。形を変えて自国の工業化をどうするか、という政策判断迫られる問題が起きる可能性が十分にあるのだ。

そこで本題だ。今回はメコン経済圏諸国の「中進国の罠」という問題を取り上げよう。 この「罠」は、経済成長に弾みがついて発展途上国から中進国にまで駆け上がった国々が直面する問題で、持続的な成長に必要な生産性向上に取り組む力が弱く、外資依存から脱して自国産業の工業化に積極的に取り組む力にも欠けるため、その上の先進国に進めない。それどころか都市化、人口の高齢化に伴う医療や教育、年金など社会インフラニーズが押し寄せても財政面で対応ができず、カベにぶつかるという話だ。中国がまさにその段階に来ているが、今回歩いたメコン経済圏諸国のうち、タイもその「罠」にはまりつつある。

タイ・バンコクの産業集積はケタ外れ、
今や巨大なサプライチェーン
 タイ、とくにバンコクの産業集積は驚くばかりだった。製造業を中心にさまざまな業種の集積は、他のベトナム、カンボジアなどに比べて突出していた。中でも日本企業の集積度合いがすごかった。サプライチェーンは、工業製品を中心に原材料の調達から部材の製造、製品の開発・製造、物流までを手掛ける企業が集積する状態をさすが、バンコクの産業集積を見ていると、タイが中進国入りしているなと実感した。

ご記憶だろうか。2011年10月から11月にかけてタイで深刻な洪水騒ぎが起き、下流域にあるバンコクの工場団地に洪水が押し寄せた時のことだ。同じ2011年3月の東日本大震災で東北地区のサプライチェーン網が寸断されたため、世界中に供給予定の産業部品がダウンして操業ストップに追い込まれる企業も出たが、このタイの産業集積地もサプライチェーン化していたため、同じ操業ストップ問題で、タイに供給を依存していた日本企業を含む外国企業にとっては致命的な打撃を蒙った。

シンガポールなどには1人あたりGDPで劣るが
タイも中進国、今やODA供与国に
 このサプライチェーンを擁するタイは、その産業集積地からの輸出などによって、GDP(国内総生産)は大きく膨れ上がった。ASEAN10か国の中でGDP1人あたり国民所得を見た場合、5万ドル超のシンガポール、産ガス国のブルネイの4万ドル超、マレーシアの1万ドル超には及ばないが、5600ドルで第4位にあり、発展途上国のレベルを越えて中進国の地位にあることは間違いない。

日本の開発援助政策にかかわるJICA(国際協力機構)のタイ駐在関係者によれば、タイは今や日本と並んでODA(政府開発援助)供与国の立場にあるのだと盛んにアピールする国に変わった、というから、タイ自身が中進国を自負していることは確実だ。

問題はタイ輸出支えるのが進出外資の現実、
一方で都市化や高齢化対応に課題
しかし、そのタイの中進国の現実を見た場合、課題が山積だ。端的にはタイの輸出に大きく寄与しているのは、タイのサプライチェーン地域に企業進出する日本企業など外国企業のタイからの輸出部分だ。中国GDPを支える輸出に関しても、実は中国に企業進出した米国多国籍企業など外国企業であるのと同じだ。タイの場合、合弁企業からの移転技術や経営ノウハウをもとに、自国の工業化をどう進めるのか、いまバンコクにあるサプライチェーンのタイ版をつくりあげ新たな経済成長の起爆剤に持ち込めるかが課題だろう。

いま、タイにはサイアムセメントなど民族系企業グループが20グループほどあるが、どちらかと言えば銀行証券分野やサービス産業分野に集中し、製造業分野でのリーディングカンパニーは数えるほどでしかない。他方で、人口の高齢化が急速に進み、すでに申し上げたさまざまな社会インフラ構築ニーズが高まっているのに、対応し切れていない。中間所得像が着実に増え、社会に厚みが出始めたが、医療や年金、教育サービスを受けきれない一方で、貧富の格差も顕在化し始めたため、社会不安が政治不安に発展して現在の政治混乱になっている、と言っていい。

他のメコン経済圏諸国は経済に勢いあるが、
さまざまな課題克服策が必要
メコン経済圏の他の国々はどうだろうか。さきほどの1人あたりGDPで見ると、ベトナム1500ドル、ラオス1400ドル、カンボジア、ミャンマーが900ドル前後なので、中進国にはほど遠く、発展途上段階と言った方がいい。しかし、これまで申し上げてきたように、各国ともさまざまな国内課題を抱えながらも、経済に勢いが出てきて、着実に中間所得層が増えてきて、その消費購買力に力がつけば、内需に力がつく。そして産業に輸出競争力がつき、内需と外需の両輪で好循環という理想の姿になれば、中進国入りも決して夢ではない。問題は、中間所得層に所得をもたらす源泉を何に求めるかだろう。

ASEANが2015年12月に地域経済統合を進め、加盟10か国間で関税率の撤廃などに踏み込めば、各国間の経済国境が低くなり、ヒト、モノ、カネなどの往来が自由になって、ASEAN全体の経済が活況になる。どの国も、それに向けての布石をどこまで打っているのか見てみたい、というのが、今回の私の取材旅行の目的の1つでもあったが、ベトナムのケースを見ても、中進国入りにはさまざまな課題克服が必要だな、と感じた。

ベトナムは自動車の輸入関税撤廃を延長したが、
自国産業の自立策は見えず
 ベトナムの自動車輸入関税に関して、ASEANは話し合いで関税率の撤廃を2018年にする特例措置を認めている。ベトナムの自動車産業が自立するまでの猶予期間というわけで、原則はすべての関税率を2015年末に撤廃としているのを、ベトナムの自動車の輸入関税撤廃については3年間、先延ばししたのだ。

だが今回、ホーチーミン市で数人の専門家に話を聞いたところでは、ベトナム政府の取り組み姿勢は猶予措置を講じてもらったにもかかわらず、産業政策対応が進んでいない。自動車工業会に加入して自動車を製造・販売する企業数が18社ほどあるのに、完成車メーカーを絞り込み、部品生産会社を育成するとか、環境にやさしいエコカーなど戦略車をどうするか、といった方向付けもない、という。

韓国自動車メーカーが日本に対抗して
ベトナムに産業集積化図る?
 このため2018年時点で、タイやインドネシアで生産された自動車が域内関税ゼロの優位性を活用してベトナムに流入すれば、メイド・イン・ベトナムの自動車メーカーは一気に淘汰されかねない。自国生産を断念し、域内の他の国々からの輸入車を販売するだけの会社になる可能性もある。

今回の取材で聞いた話で興味深かったのは、日本へのライバル意識が強い韓国企業のうち、現代自動車などがタイのバンコクに産業集積するトヨタ自動車など日本の自動車メーカーに対抗して、ベトナムを韓国メーカーの産業集積地にする動きがある、という。問題は、冒頭のインドネシアの話でないが、ベトナムの場合も、自国産業の工業化にどこまで戦略的に踏み出せるのかどうかだ。

メコン経済圏諸国は生産性向上策や
社会インフラ構築づくり急ぐ必要
 メコン経済圏諸国はどこも経済成長に対する執着心は極めて強い。しかし現実問題として、外資に依存した経済成長パターンが続いている。外資導入の際、カンボジアのように100%外資の現地法人を認め、言ってみれば外資に頼り切るケースもあるが、大半の国は合弁企業形態での進出を認め、立地する生産工場の土地や電力、水道などのインフラ設備を提供し、税制面で優遇する代わりに、現地労働力の優先雇用を求め、技術移転も確保する、輸出で外貨稼ぎも容認するが、税金支払いで国家に寄与を求める、といったやり方だ。
問題は、ASEAN地域経済統合をきっかけに、各国がどこまで自立の経済体制をつくるのか、あるいは狭い地域経済主義にこだわらず、むしろ外資を活用してWIN/WINの枠組みをつくって経済成長優先政策で臨むのか、それぞれの国にとっては、大きな岐路にさしかかる。ただ、中国やタイのケースのように、中進国に近づくと「中進国の罠」が待ち構えており、持続的成長に向けての生産性向上策をどうするのか、都市化や人口高齢化に対応した社会インフラ構築も視野に入れた対応をせざるを得ない、と言っていい。

日本の新聞は今や生き残り賭けた競争に、クオリティ・ペーパーへの脱皮チャンス ジャーナリズム評価される調査報道や分析重視を、戦略的強み活かす必要も

2010年という、新しい年に入ったにもかかわらず、日本のメディア、とりわけ新聞社の経営陣にとっては、晴れやかな気分にはとてもなれる状況でない。広告、販売収入という新聞の主たる収入源が軒並み大幅減少に見舞われ、それが一過性どころか構造問題になっているからだ。主要な大手新聞社で経営に携わる私の友人たちの年賀状のあいさつも、「ただ、耐えるしかない」「事態打開のビジネスモデルづくりに躍起」といった窮状を訴えるものばかり。
 こんなことを書きだすと、日ごろ、経済メディアからの取材記事で厳しく経営批判を浴びている企業経営者から「冗談じゃない。問題の所在がはっきりしていたのに、問題先送りしてきた結果だけなのでないか。他人を批判する前に、自身の経営再建に全力を投じるべきでないか、と言いたい」といった冷やかな批判の声が聞こえてきそうだ。そこで、今回は、今も現場で取材活動などにかかわる生涯現役ジャーナリストの立場で、毎日新聞やロイター通信での私の経済記者経験を踏まえて、日本の新聞は生き残れるのか、というテーマを取り上げてみたい。

経営体力をすり減らしながら、状況に流されジリ貧状態に陥る可能性が大
 結論から先に申し上げれば、今年はそれぞれの新聞社が生き残りを賭けた厳しい競争にさらされるが、結果的に経営体力をすり減らしながら、ジリ貧状態に陥るのは間違いない。理由ははっきりしている。ほとんどの新聞社経営者が事態を打開する大胆なビジネスモデルを持ち合わせていないか、あるいは問題の所在が分かっていても、いざ手をつけようにも実行リスクが多すぎるとみて、二の足を踏むためだ。とくに後者の方が多いのが現実だ。
 新聞社同士の経営統合も1つの選択肢だ。しかし、かつてのような部数拡張時代ならば、統合による部数の多さが一気に広告アップなどにつながるメリットがあったが、今は経営的にほとんどメリットがないので、多分、とり得ない選択だ。このため、結果的に、各新聞社で経営無策に等しいことは百も承知ながら、編集現場での取材費の切り詰め、ボーナスカット、それでも抜本解決にならない場合、大胆な早期退職者募集の形で人件費の大きなカタマリをそぎ落とす方向に走るだろう。だが、それらのあおりで、編集現場の士気が落ちて紙面の質低下を招来するという悪循環に陥るリスクがある。

問題なのは、新聞社の経営陣は、どの新聞社もほぼ、編集出身者が占めていることだ。新聞社によって政治部長、経済部長、さらに社会部長経験者とまちまちながら、トップはほぼこの3系列。販売や広告、あるいは経営企画、労務、総務の出身者がトップを極めることは、よほどの事態がない限り考えにくい。新聞社では当然のことながら編集部門が独特の力を持っている。「俺が」「俺が」の世界で、互いに力を誇示して競いあう世界なので、結果的に、新聞社組織で上昇志向、権力志向の強い人が経営トップになる。

有能な経営人材の外部招致かアドバイザリーボードが選択肢、いずれも拒否反応
 こういった人たちは、新聞社内で権力を握ることに最大のエネルギーを費やしてばかりいたため、まずはマーケットの時代、スピードの時代に対応した経営の才覚はゼロに近い。どちらかと言えば、ポスト確保の権力志向が先に働いていたので、経営のための勉強も、ほとんどやって来ていない。編集記者経験があるため、取材力や問題の所在把握力はあるが、5年先あるいは10年先を見通した経営という発想は持ち合わせていないため、どうしても状況に流されてしまい、問題先送りしてしまうケースが多い。
 私に言わせれば、新聞社の経営問題がここまで重大事態に至った限りは、経営と編集は明確に分離し、外部から有能な経営人材を招き入れるぐらいの才覚が働けばいい。今は、そのチャンスかもしれない。その場合、現経営陣はプライドが許さない面が出るかもしれないので、それに備えて、その新聞社に愛着や興味を持つ経営人材をあらかじめ見定めて、招くのがいいと思う。こういった人たちは、妙なしがらみがないため、新聞社経営の強み、弱みを見極め、強みを活かすには何がベストか、示してくれるかもしれない。一歩譲って、アドバイザリーボードに優れた外部経営者を招くというのも一案だ。率直に言って、新聞経営はそうした経営のプロに頼らざるを得ないところまで来ているのだ。
しかし、悲しいかな、いま、どこの新聞経営者の間でも、これには拒否反応を示す可能性が強い。権力闘争でやっと手に入れた経営トップの座をなぜ、経営再建のためという理由だけで、外部人材にゆだねなければならないのか、という発想になってしまうのが目に浮かぶ。

英ロイターは記者経験ゼロのM&A弁護士の経営裁量を評価、CEOに抜てき
 私が毎日新聞から転職した先の英国系ロイター通信では、米国から編集記者経験がない、しかもM&A専門の弁護士だったトム・グローサー氏を経営陣に招き入れ、ロイターの経営で何が課題かなどを学ばせてから2001年にCEOに委嘱し経営をゆだねたのだ。
当時、現場にいた私にとってはサプライズの一語だった。トム・グローサー氏の経営手法がベストだったとは、今でも思わないが、英国の通信社というプライドで経営してきたロイター通信が、自国内どころか米国から、しかも編集記者経験がない弁護士を経営陣に招き入れるのを見て、マネージメントの世界にはジャーナリストのうかがい知れない世界があるのだと思った。トム・グローサー氏は、通信社がマーケットの時代に影響力を発揮するメディアとして生き残るには経営統合による経営基盤の強化しかないと判断、カナダの金融情報サービス大手のトムソンとの統合に踏み切り、いまや社名もトムソン・ロイターに変えた。
 われわれ経済ジャーナリストの取材先の製造業で、たとえばソニーなどのようにグローバル展開している企業だからかもしれないが、外国人経営者をトップに据える経営をやっている。日本の新聞社が、英フィナンシャル・タイムズの元経営者をCEOにといったことは考えにくいが、経営再建という一点にしぼって、日本国内の企業から、外部の優秀な経営人材を招き入れる心構えが必要になる時代がやってくるかもしれない。

毎日新聞には政策提案型の新ビジネスモデルを進言したが受け入れられず
 私は、それよりも、日本の新聞社はビジネスモデル自体を大きく変える時代にあるように思う。具体的にどうすればいいか、そこがポイントだ。私がかつて在籍した毎日新聞で、転職する前に経営陣の一部に進言したのは、朝刊・夕刊セットで全国展開する新聞発行スタイルを止めて、大都市を中心にした都市型のクオリティ・ペーパーに模様替えすべきだ、というものだった。
 当時、毎日新聞は3大紙の一角を担っていたが、経営に次第に厳しさが加わり、部数が低迷どころか落ち始めていたころだった。このまま漫然と朝刊・夕刊セットの全国紙経営スタイルでは、いわゆる戦線が延び切ってしまっていて、経営が持たないこと、それよりも商業新聞の枠組みを捨てて、調査報道や分析解説、さらには政策提言などの新しいクオリティ・ペーパーで新機軸を出せば、大手新聞ではどこも導入していないビジネスモデルなのでうまくいくこと、今のままジリ貧状態になるよりもはるかに時代先取りの新聞経営スタイルでないかということ、さらに、部数拡張に躍起になっていたライバルの朝日新聞や読売新聞は人件費を含めた高コスト構造のもとで、いずれ経営に無理が来るので、それらの新聞とは一線を画す経営が重要であることーーなどが進言ポイントだった。
「お前は、それでも経済記者か。そんなことを経営方針として打ち出した瞬間に、ライバル紙の格好の餌食となり、読者や新聞販売店が食い散らかされる」と手厳しく批判されたのを今でも憶えている。この話は、すでに20年も前のものだが、今でも、やりようによっては十分に生きるモデルだ。

マードック氏はデジタル時代でもジャーナリズムの強みを発揮し生き残れると指摘
 米ウォール・ストリート・ジャーナル紙で2009年12月、新聞などのメディア買収で有名なニューズ・コーポレーション会長のルパート・マードック氏が「新技術はジャーナリズムの脅威でない」と題する寄稿の中で、なかなか興味深い指摘をしている。少し引用させていただこう。
「われわれは今、多くの報道機関が閉鎖または規模縮小している時代の真っ只中にいる。そのジャーナリズムが死に体なのは、(インターネットなどの)デジタルメディアの勝利が原因だという声が聞かれる。しかし私の意見はその逆だ。ジャーナリズムの将来は、かつてないほど明るい。(中略)新聞は読者の利益を代弁し、彼らに重要なニュースを届けることで信頼を勝ち得てきた。それは政界や財界の汚職を暴き権力者に立ち向かうことだ。デジタル技術の発展によって、ジャーナリズムはそれらの取材、報道活動を一段と大きなスケールで行うことが可能になるのだ」
 「ニューズ・コーポレーションは、放送網の一部を利用して傘下のテレビ番組と、さらに新聞のコンテンツも携帯機器で受信できるようにするプロジェクトに取り組んでいる。(中略)多くの読者がいろいろな技術を用いてニューズ社の新聞サイトに、さまざまな時間帯にアクセスしている。たとえば通勤中にブラックベリーでウォール・ストリート・ジャーナル紙の記事の一部を読むかもしれないし、オフィスに着いたらパソコン上で読むかもしれない。(中略)今後、質の高いジャーナリズムの命運は、報道機関が料金を支払うに足るだけのニュースと情報を提供することで顧客を獲得できるかどうかだ」

「新聞がすべて」の発想を止め、ニュースをパソコンなどとのメディアリンクに
 要は、時代の変化に対応して、新聞メディアがパソコンや携帯電話などさまざまな情報ツールをうまく活用し、ハードコピーとしての新聞だけが自分たちの主舞台だと思わず、あらゆるソフトの情報ツールも自分たちの戦力だと思えばいいのだ、という主張だ。
 確かに、今、日本の新聞社のウエブサイトは、スピードの時代、マーケットの時代、さらにはグローバルの時代に対応できておらず、ニュース内容が面白みに欠ける。それはハードコピーとしての新聞編集現場に優秀な記者を配置し、ウエブサイトなどのメディア編集現場には人材を配置せず、ニュースも新聞の要約ものだけを流すスタイルなのだ。マードック氏が指摘するようなハード、ソフトのリンク、さらには重要ニュースは新聞だけでなくパソコンでも携帯電話画面でも読める、ただし、情報料として課金、つまりおカネをいただく、というスタイルにはビジネスモデルそのものがなっていない。新聞がすべての経営発想から抜け切れていないのだ。
日本の新聞社の持つ編集の人的資源の優秀さ、取材力の強さは捨てたものでもない。失礼ながら、テレビ局や雑誌社などから見て、取材力の面では負けてはいない。ただ、残念ながら座標軸をしっかり持って取材する記者が少なくなっており、せっかくの強みを活用できていない。新聞社の経営陣は、本気で新しいビジネスモデルづくりに取り組み、これら他のメディアに比べて強みであるはずの記者を鍛え直して、いいニュース発信することだ。いかがだろうか。

米国は若きリーダー、オバマ次期大統領出現で何かが変わる予兆 ブッシュ政権残した負の遺産を背負っての「変革」がどこまで可能?

米国の次期大統領に決まったバラク・フセイン・オバマ氏の勝利宣言のスピーチを聞かれただろうか。なかなかメッセージ発信力のあるものだった。米国は、ひょっとしたら強い志で「CHANGE(変革)」意欲に燃える、この若き黒人リーダーの出現によって、何かが変わるような予兆を感じさせたほどだ。ただ、ブッシュ現政権が残したさまざまな負の遺産を背負っての変革は、あまりにも厳しい。米国がまだ、ダイナニズムを持ち合わせていて、このリーダーのもとで抜本的に国の枠組みを変えてくれることを期待したい。
 それにしても47歳という若さのオバマ氏のスピーチは、民族や人種などを越えて訴えるものがあった。
とくに「若者と高齢者、富める者と貧しい者、民主党と共和党、黒人と白人、そしてヒスパニック、アジア系、アメリカ先住民、同性愛者とそうでない人など、この国が寄せ集め(の集団)でなく、(さまざまな力を結集して変革を起こす)アメリカ合衆国だというメッセージを世界に伝えた」こと。
さらに「明日から向き合う難題は、われわれの時代では最大級だ。(イラクとアフガニスタンの)2つの戦争、(温暖化など環境悪化の)危機に直面した地球、そして今世紀最悪の金融危機、、、、、。それらを克服する道のりは長く、そして険しい。1年、あるいは1期(4 年)の大統領任期の間には達成できないかもしれない。だが、私は、今夜ほど達成できるという希望に満ちた気持ちを持ったことはない。私は、常にあなたたちに誠実でいる。ぜひ国家の再建に加わってもらいたい」とも。

風雪をくぐった106歳の女性の話も「米国初の黒人大統領誕生」にふさわしい
 せっかくの機会だから、人の心を動かすオバマ氏のスピーチをもう少し引用させていただきたい。
こうも言っている。「今回の選挙で初めて起きた多くのことが、今後、数世代にわたって語り継がれるだろう。アトランタで1票を投じた106歳の女性のことが、とくに印象的だ。彼女は、米国で奴隷制が終わってわずか1世代あとに生まれた人なのだ。彼女のような人が(女性という)性別と(黒人という)肌の色だけを理由に投票ができなかった時代だ。よい時も、また暗い時代もすべて経験した彼女は、(黒人大統領という私を選んだことで)米国が今後、いかに多くの変革をするか、わかっているはずだ」
106歳という年輪を感じさせる黒人女性がテレビのインタビューで「私はオバマ上院議員に1票を投じた。次期大統領に選ばれたことで、みなさんメディアが私のところへ来るだろうと思っていた。彼は、私たちの期待に応えて、この国を変えてくれるだろう」と語っていた。
オバマ氏の周辺が、当選した時のスピーチには、人種的な偏見やいじめなど、さまざまな風雪をくぐってきたこの黒人女性の話をぜひ、と働きかけがあったのだろうが、白人が我が物顔で跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)してきた米国で、初の黒人大統領誕生を彩るにふさわしい事例だ。
 知り合いの大手企業の経営トップは「うちは、厳しい経営環境下でもがんばって比較的、高収益を続けてきたのに、ここ1ヶ月ほどの米国発の株安に連動した東京市場の株価急落に巻き込まれてズルズルと値下がりしてしまい、振り回されている。企業業績と無関係に株価が落ち込むのは問題だ。投資家の不安心理が先行して市場混乱し、それが企業マインドを萎えさせたりしたら、それこそ問題だ」と嘆いている。
そういった意味で、政府が、投資家のみならず企業、さらに消費者はじめさまざまな経済主体の弱気に陥りかねない心理を変える対策を早め早めに打ち出すことが大事だ。マーケット関係者や一部のメディアは、「真水」5兆円程度では実効性は薄いといった評価だが、まずは対策のスピードがきわめて重要、そのあと実体経済の状況次第で、新たな内需創出につながる改革を含めた抜本対策を矢継ぎ早に打ち出せばいい。

米国は世界の嫌われ者なのに、欧州や中東ではオバマ氏に強い期待感
 米ニューズウィーク誌によると、オバマ氏暗殺を狙うネオナチの脅威が米国内にある、という。何とも恐ろしい国だ。
その報道によれば、4年前に比べると、イスラム系テロ組織からの脅迫はほとんどない。代わって政府の特別捜査班が警戒を強めているのが極右の過激派で、今年の夏以降だけでも3件の脅迫事件が発生、そのうちオバマ氏暗殺をほのめかした3人の白人至上主義者が逮捕された、という。
 今回の米大統領選は、米国だけでなく世界中で大きな注目、関心事だったうえ、とくに欧州ではオバマ氏を支持する動きが強かった。
ある外国メディア報道では、フランスのニコラ・サルコジ現政権のもとでセネガル移民の黒人閣僚、ラマ・ヤド外務・人権担当閣外相は「オバマ氏のような黒人大統領が出てくるところが米国という国の素晴らしさだ」と語っている。欧州は、ブッシュ政権のイラク侵攻などに強い反発があり、そういった意味で対極にあるオバマ氏の登場には、もろ手を挙げての賛成気分だったのだろう。
しかし、これは欧州に限ったことではない。何とイスラム原理主義者も多い中東でもオバマ氏のミドルネームの「フセイン」に親近感があって、米国の中東政策も変わるのでないか、という期待感を持っている、という。
米国でもブッシュ現大統領は史上最低との受け止め方が強く、それが高じて米国自体が世界の嫌われ者になっている面もあるが、オバマ氏という、数多くの意外性を持ったニューリーダーの登場で、これから世界の米国に対する見方は変わっていくのだろうか。

最大課題は金融危機克服、実体経済テコ入れで「ニュー・ニューディール政策」も
 さて、問題は、オバマ氏が来年1月の大統領就任後、米国が抱えるさまざまな重い課題に関して、どこまで課題克服ができるかだろう。「CHANGE(変革)」のスローガンはいいが、何をどうやって変化していくのかだ。
 私がジャーナリストとしてかかわる経済の分野だけでも、克服すべき課題が多すぎる。最たる問題は、言うまでもないことだが、米国の金融システム危機にどう対処するかだ。
米国政府は大手銀行を中心に公的資金をつぎ込んで自己資本比率の引き上げを図り、信用収縮に向かわないように躍起だが、資金をつぎ込んだ先の大手銀行の資本の毀損(きそん)、つまり痛み度合がいまだに見えず、一種の底なし沼の様相を呈している。 今後、米国の金融機関が、自己防衛から貸し渋りなど信用収縮の行為に及べば、それはそのまま実体経済に大きな影響を与える。すでに米国経済には急速にデフレリスクが高まってきている。
民主党員のオバマ氏としては、かつての大恐慌時に当時のルーズベルト政権が大胆に実施した公共事業による需要創出、雇用創出のニューディール政策にならった「ニュー・ニューディール政策」をとるのは間違いない。その場合、巨額の財政支出を伴い、現時点でも巨額の財政赤字がさらに悪化するだろうが、背に腹はかえられない状況だろう。 ただ、経常赤字、貿易赤字と並んでの3つの赤字によって、世界の基軸通貨のドルに対する信認が一段と不安定になり、暴落リスクさえ出てくる。
そればかりでない。米国経済の衰退を象徴する自動車産業の凋落に関しても、オバマ次期大統領は危機感を強め、労働者の雇用確保の面からも、産業政策的に保護主義的な政策を打ち出してくる可能性が高い。

格差もたらしたグローバライゼーションの問い直し、対外直接投資規制も
 保護主義といえば、私の知り合いの中前国際経済研究所代表の中前忠氏は、興味深い指摘をしている。
「オバマ次期大統領は、これまでの選挙公約にもとづいて、さまざまな格差を生み出したグローバライゼーションの見直しに手を染めるのは間違いない。その延長線上で、技術移転などを伴う対外直接投資に対しては、何らかの規制を加え、自国の産業や企業の生産を優先させる。それによって貧困層の雇用創出、所得確保を図ろうとする。保護貿易主義、自国産業保護主義的な政策を強めることになるが、その場合、米国企業の1つのビジネスモデルである多国籍企業の在り方を問うことにもなる」という。
オバマ氏は、これから数か月、大統領就任までの間、政策ブレーンたちと、米国の「変革」のためのさまざまな戦略づくりに入るのだろうが、世界の嫌われ者になった米国が再びダイナニズムを取り戻して再生することを期待するしかない。
その意味で、米国の国民がオバマ氏を次の政治リーダーに選んだのは大きな賭けであると同時に、賢明な選択だった、と言えるかもしれない。