期待ムード先行のアベノミクス カギは大胆な産業競争力強化

アベノミクスと言われる安倍新政権の経済政策は、過剰な期待感が先行しているとはいえ、「これまでとは違うな」といったムードを醸し出している。株式投資を生んで株価が上昇、これまでの行き過ぎた円高の円安方向への是正によって輸出企業を中心に企業収益の改善効果をもたらすなど、実体経済に心理的な明るさを生み出しているのは事実だ。このまま一本調子でいくとは、とても思えないが、弾みがつけば好循環というシナリオもあり得るかもしれない、といった感じを多くの人に抱かせつつある。

金融大胆緩和に危うさ残るが、産業成長戦略で成長センター生み出せ
 ただ、私自身は、経済ジャーナリストの職業柄、モノゴトを楽観視せず批判的に見る癖がついており、アベノミクスの「3本の矢」のうち、金融の大胆緩和には、依然、危うさを捨てきれないでいる。
 というのも、企業の現場に手元資金が滞留したままで、実物投資への資金需要も出ていないため、大胆に金融緩和しても金融機関の現場では貸出に回らず、行き場のないマネー増をもたらしかねない。とくに日銀が政府の増発国債について長期国債買入れ役を強いられるうえ、インフレ目標2%実現の重い荷物を背負ったままで終わるのでないかと。

 しかし、同じ「3本の矢」のうち、新政権の産業競争力会議が打ち出す成長戦略に関しては、私は積極的にやるべしと賛成の立場だ。デフレギャップを解消しない限り、また元の木阿弥になりかねないので、今度こそ、産業の成長戦略を大胆に打ち出して新規の需要創出、成長センターづくりを進め、雇用機会の創出につながる政策を打ち出すことだ。

6月に成長戦略策定は遅い、スピード感必要、官僚主導の事務局に民間プロを
 新政権は、全体の成長戦略を6月までにまとめる、という話だが、もっとスピード感を持って、4月ぐらいから戦略実現の具体化に踏み出す、といったやり方をしないとダメだ。
 そればかりでない。先日聞いた関係者の話では、官僚組織が、大胆な規制改革の提案を行う産業競争力会議の民間議員の動きに警戒姿勢を見せ、自分たちの政策領域に手を突っ込まれて規制の枠組みが瓦解するのを恐れて理屈をつけて抵抗している。しかも、官僚主導の事務局に民間のプロ意識のある専門スタッフを入れることにも抵抗している、という。

 これまで歴代の政権が何度となくデフレ脱却をめざして経済成長戦略を掲げてきたが、いずれも、絵に描いた餅に終わり、下手すると、成長戦略作文競争だけだった、というのが現実だ。しかもそろって短命政権で、持続力がなかったので、実効を伴わなかった。その意味で、アベノミクスを掲げる安倍新政権の本気度が試される。

コマツの坂根氏らデフレ下で企業収益引き上げた経営者の戦略活用を
 その点で、新政権が産業競争力会議に、民間の現役のタフな企業経営者を参画させたのは、率直に言って、なかなかのアイディアだと思っている。
 これまでは政権の経済成長戦略というと、必ずと言っていいほど、経済産業省が中心に巧みに構想を打ち上げ、首相官邸につくった民間有識者会議のメンバーの名前を借りて成長戦略を作り上げる。しかし、官僚主導の事務局が行政機関の省益や権限を維持しながら、財政資金を使って政策実現を図る、というパターンばかり。規制を大胆に打ち破って産業のさまざまな分野に新成長センターをつくりだす発想は決して生まれてこなかった。

 私が個人的に尊敬する建設機械大手、コマツの坂根正弘会長といったメンバーがいるのは心強い。デフレ経済下で、アゲインストな状況を克服しさまざまな経営戦略によって、企業収益を最高益に持っていった実績がある。あとは、政治が既得権益に固執する官僚の抵抗を抑えて、民間議員の大胆な成長戦略を政策面で後押ししていけばいいのだ。

農業も成長産業候補、企業の農業参入と同時に既存農業が大胆な経営手法導入を
 そこで、今回は、私の現場取材体験を踏まえて、農業の成長戦略を具体化すれば、農業が十分に成長産業になる、ということを実例挙げて述べてみたい。
 新政権の産業競争力会議の民間議員が最近、農業の成長戦略に関して、共同で政策提案を行った。提案のうち、企業の農業分野参入に関して「株式会社形態の農業法人の全面自由化」を打ち出している。農業の潜在成長力を掘り起こして、成長産業に持ち込むには企業の農業参入に道筋をつけ、企業の経営手腕を活用すべきだ、というのがポイントだ。

 私は、この提案に関して、全く異存がない。これからご紹介する事例も、建設業からの農業参入で、見事、成功したケースだ。しかし、私は、その前に、既存の農業の現場がまず、農業に経営管理手法を取り入れ、農業者自身が家族労働から脱皮して農業法人化、株式会社化を進めて農業経営にあたることが必要と思っている。

農業者自身で株式会社経営を、6次産業化どころか10次産業化の発想が必要
 と同時に、以前のコラムでも申し上げてきた6次産業化を大胆に進めることが必要だ。つまり、1次産業の農業が卸売市場流通に頼らず、自身で主導してマーケットリサーチして売れる農産物づくりを行い、産直で新販売ルートを探す。流通や消費者のニーズを見極めながら、カット野菜など2次産業にもかかわり、さらには自前のレストランや直売所をつくって3次産業にも手を染める。1次+2次+3次を足した6次産業化だ。

 私は、この6次産業化の先に、4次産業を加えて10次産業化シナリオを考えるべきだ、と本気で思っている。言葉の遊びではない。要は、農業現場の大自然の場に消費者の人たちを引き込んで、とれたて野菜や畜産物でゆっくり食事を楽しんでもらい同時に観光や農業体験など農業ツーリズムをリンクさせることを4次産業化と勝手に言っているだけのことだが、ビジネスモデル化したら、面白いのでないかと思っている。大事なことは、独自の経営手法で、市場流通に頼らず、農業経営に広がりを持たせることだ。

建設業から参入し日本一うまいコメづくりで実績挙げる高山の和仁さんは好事例
 これら既存の農業が自助努力で農業を成長産業に持っていくのと合わせて、新政権の産業競争力会議が提案する企業の農業参入について述べたい。既存の農業にとって、それら企業はライバル、好敵手となるが、身構えて守りの壁をつくるよりも、むしろ新規参入してきた企業農業と連携したり競争することで、農産物消費市場の拡大をめざす、とくに新興アジアの新興富裕層や中流所得階層の上の階層をターゲットにした農産物輸出戦略づくりも互いに知恵を出し合うようにすればいいのだ。

 さて、本論だ。私が今回、ぜひ紹介したいのは、取材で出会った岐阜県高山市の株式会社和仁農園社長の和仁松男さんのケースだ。今も建設業との二足のわらじ経営ながら、農業経営と両立させているところがたくましい。しかも農業参入12年で、うまいコメづくり日本一をめざした結果、最近5年連続して全国食味コンクールで、トップランクを続け存在感を示している。成功ポイントは、土木の工程管理や原価管理などを農業経営に積極導入したうえ、うまいコメづくりのための創意工夫のチャレンジがあることだ。

和仁さんは当初、農業参入障壁の厚さで苦闘、耕作放棄地対応が評価されず
 和仁さんは2000年ごろ、地方の公共事業先細りのもとで、建設業を維持しながら新たな事業展開を考えねばならない、という典型的な地方の建設、土木企業の経営ピンチに直面した。しかし農業参入のきっかけは当時、飛騨高山で地域の兼業農家などの高齢化が進み、耕作放棄地が増えて「うちの農地を何とかしてくれないか」と耕作依頼が多く、見るに見かねて引き受けざるを得なくなり、農業に参入したことだ。

 高山さんによると、建設業から農業に参入には参入障壁があり大変だった。当初は地域内の耕作放棄地の再生や耕作の受託だった。2005年にリース特区による特定農業法人への認定をめざして事業展開したが、企業の農業参入を阻む壁が依然として厚く、耕作放棄地以外の、耕作できる優良農地への法人参入が認めてもらえず大変だった、という。

農業に土木工程管理など徹底した経営管理手法を導入して成功
 興味深いのは、そこからだ。和仁さんは、農業に経営手法を導入した。とくに土木工事の管理手法を使って、厳格に工程管理、コスト管理、品質管理、そして安全管理を農業の現場に取り入れた。たとえば土木の工程管理の手法の一つに頭(あたま)落としという、端的には、ある膨大な作業量を5人でどう分担して効率的にやるかを考える管理手法で、作業の平準化のことだが、これを導入したことで、農作業がぐんと効率的になった。

 極めつけは、和仁さんがさすが企業経営者らしく、経営目標を持ったことだ。具体的には、誰もが日本一のうまいコメだと認めてくれるようなコメをつくろうと、食味を最優先にしたコメづくりを考えた。和仁さんは「今の日本農業に欠けているのは徹底した経営手法の導入だと思っていましたので、私の場合、買ってもらえるコメ、売れるコメは何かということ、それが食味を最優先にしたコメづくりでした」という。

専門の農業者が顔負けするような、さまざまな経営手法の導入は見事
 そこで、和仁さんは、慣行農法とは違う独自の農法にチャレンジした。つまり多収穫米、多収量米をめざす慣行農法とは一線を画した独自農法、言わば自立できる農業でいくしかないというもので、その一つが、作付け時期を慣行農法の5月中旬から1か月ずらして田植えし、それに合わせて稲穂の出る出穂期や刈取り期もそれぞれ9月、10月中旬に変えるやり方が1つ。それと、自社育苗に徹し、種もみの段階から自社育成して、タネは自然交配して劣化を防ぐため、塩水選という作業も導入した。企業経営者のすごさだ。

 堆肥づくりも重要で、和仁さんによると、今は連携企業の奥飛騨エコセンターに委ね、高山市内の旅館20軒から出る生ごみ、豆腐屋のおから、米ぬかなどにオガ粉をまぜて発酵させて有機堆肥にしている。その堆肥をトラクターで、刈取り後の田んぼに大規模に入れるが、年を越して雪が降ると、微生物が食べていく。堆肥はこの段階で肥料ではなくて土壌改良剤になっている、というのだ。

異業種からの農業参入12年で5年連続うまいコメづくり評価はすごい
 これらの努力が実って、和仁農園はコメの全国食味コンクールで5年連続入賞を得た。正確には全国米・食味分析鑑定コンクールで、2007年度、08年度、10年度、11年度に総合金賞、2009年度に特別優秀賞を受賞した。2012年度はダイヤモンド褒賞という功労者表彰だったが、今年もまたチャレンジする、という。

 非農業の建設業から参入して、まだ12年間で、これだけの実績を残せる、というところにすごさがある。和仁さんは特別の凄腕の経営者というよりも、建設業の土木管理技術などを農業に応用したり、日本一のうまいコメづくりをめざす経営者意識のすごさだ。既存の農業にとっても大きな先進モデル事例だ。学ぶことが多い。企業の農業参入に背を向けるよりも、一緒に刺激し合い、競争することで互いに成長センターにすることが必要だ。

「やりたい、作りたい」から。ゴールのない気遣いと妥協ない物づくりの共創

蟹瀬賢者の選択 リーダーズ。ナビゲーターの蟹瀬誠一です。

中島中島亜梨沙です。

蟹瀬今回のテーマは、「究極のものづくり」。ものづくりというのは、極めて行くと究極の逸品というのができあがりますよね。ただこれは、当然のことながら大量生産ができませんので、ビジネスとしてはやはり難しいとことがありますよね。たとえば精密機械で言うと時計があります。

中島腕時計。私も以前、スイスのとある時計工房にお邪魔したのですけれども、職人さんにしかできないという精密さで本当に驚きました。

蟹瀬僕も腕時計は大好きなのですけれども、やっぱりそういう究極の一品の背景には、一つの素晴らしい物語、それからやはり情熱を持ったファン、こういう方がいらっしゃる。そこで今回は、世界でも類を見ない高価な腕時計を作り、徹底的なサービスで顧客の心をつかむ、ある時計メーカーの戦略に迫ります。

中島本日のゲストは、リシャールミルジャパン 代表取締役 川﨑圭太さんです。よろしくお願いします。

川﨑よろしくお願いします。

蟹瀬まず川﨑さんにお伺いしたいことと言えば、今日はどんな時計を、されていますか?

川﨑はい。今日は、RM38-01 バッバ・ワトソンモデルですね。

蟹瀬バッバ・ワトソン。あの有名なゴルフのプレイヤーですね。ショックにも耐えると?

川﨑そうです。

中島ちなみに失礼ですけれど、こちらはおいくらなのですか?

川﨑9200万円、税別ですね。

中島クラっとしました(笑) 時計の魅力については、後ほどゆっくりお伺いするとして、リシャールミルジャパンは、どのような理念を掲げていらっしゃるのですか?

川﨑はい。エクストリームウォッチということで、新しいカテゴリーを……従来の高級時計をさらに上を行くというやり方で、仕事の方は、常に気遣いを忘れずに、そしてお客様をファミリーのように大事にしながら、我々は究極のサービス業に徹すると。こういう理念でやっております。

蟹瀬今日は、本当にお伺いしたいことがたくさんあります。よろしくお願いします。

川﨑よろしくお願いします。

衝撃の出会い

中島さて、川﨑さんのプロフィールを拝見しますと、大学卒業後、商社に入社されていますよね?

川﨑ええ。物を売ることが好きだったもので、やはり商売をやってみたくてというのがひとつあったのですけれども、もうひとつは、スキーをやっていまして、その関連でスキーを扱っていた商社にたまたま入ったという。

蟹瀬じゃあ、時計なんていうものには全然興味がなかったと。

川﨑全然興味はなかったです。これが竜頭というだとか、何もわからず。

リシャール・ミルとの出会い

川﨑あるブランドの、契約終了の交渉に彼が来たのです。まあ、ケンカですよね。最終交渉ですから。買う、買わないという。最後は一応「じゃあこれで」と言って握手をして、僕も「二度とこれで彼と会うこともないな」と。それで荷物を整理していた腕に、リシャールが今の原型となる001-1という時計を付けていたのですよ。

蟹瀬それを見て?

川﨑それを見て、「何?その時計は」と勇気を出して訊いたら、「これは俺の時計だ」と言うわけですよ。「あ、そう」「見る?」と取ってもらって。それでその時は素直にすっと出してくれて見せてくれたのですよ。それでパッと見たら、トゥールビヨンなのですよ。

蟹瀬トゥールビヨンというのは、機械式の……。

川﨑機械式の、超複雑機構が付いていて、「大丈夫かな」と。「あまり粗末に扱っちゃいかん」と教えられていまして、「おう、これは俺の時計だよ」と持った瞬間に、「これはこうやってできるんだよ」と、ポンと投げるのですよ。

蟹瀬えー……。

川﨑「えー」って、もう、時計でそんなことやってはって……。それで値段を訊いたら、当時の値段で1,900万円だったわけですよ。それで「これから売り出すんだよ」と。それで、リシャール・ミルって名前が入っているのですよね。「ありがとう」といって。今まで時計業界で仕事していましたけど、こんなかっこいい時計があるのかという印象です。それだけです。

蟹瀬そこから始まったわけですね?

川﨑そこからです。

リシャール・ミル。1951年、フランス生まれ。大学卒業後、いくつかのラグジュアリーブランドのマネジメントに携わる。2001年、時計ブランド「リシャール・ミル」をスイスで創業。16年間で70を超えるモデルを世に送り出す。歴史が物を言う高級機械式時計の世界で、瞬く間に老舗ブランドと肩を並べるまでに成長。新たな時計の価値観を生み出した。

中島そのリシャールさんの時計のどんなところに惹かれたのですか?

川﨑全ての黄金比率というのですかね。パッと見が、めちゃくちゃかっこよかった。セクシーでグラマラスだろってよく言われるのですけど。

リスクがあっても任せる人材育成。10兆円企業へ、先代から伝承した教えと夢

賢者の選択 A Shrewd Man’s Choice

津島今回の賢者の選択は、赤字の子会社を再生し、本社社長就任後は数々の改革で、住宅業界トップとなりました、大和ハウス工業株式会社・樋口武男会長です。

蟹瀬樋口さんは大和ハウス工業の創業者、石橋信夫さんの後に社長を務め、最近は『熱湯経営』というご著書も書かれております。その経営哲学などは後ほどじっくりお伺いしたいと思ってるんですけども、やっぱりいろんな場面で経営者としては決断をしなきゃいけない、選択をしなきゃいけないっていう状況ありますよね? そういうときに賢い選択というの基準はなんになるんですかね?

①会社が発展していくため

樋口それは、会社が将来発展していくため。

②社員が幸せになるため

樋口社員が幸せになるため。そして、

③株主さまに喜ばれる

樋口株主さんにとって喜ばれる、そうするために、どうしなければならないかということでいろいろ考えて、全役を落とすという決断をしたんですね。それから後、結果としてはV字回復なんですね。だから足かせが着いたままはいかん!ということですね。

蟹瀬なるほどね。

津島はい。そんな樋口さんが、いかにして経営者として成功を収めたのか、その秘密に迫ります。

大阪、北区に本社を置く大和ハウス工業は、1955年に石橋信夫により創業。台風に負けない鉄パイプを使った住宅は、日本の住宅を大きく進化させた発明だった。創業以来、建築の工業化のパイオニアとして、常に安全で快適な住まいづくりを追求し、住宅業界のトップメーカーとして君臨している。さらに街づくり、店舗やビル建築、都市再開発なども手がけている。連結売上高は1兆 6,184億円を超える。

津島樋口さんは、現場に知恵がある、とのお考えをお持ちです。樋口さんが今までどのような人生を歩んでこられたのか、年表にまとめましたので、こちらをご覧ください。

津島1938年、兵庫県尼崎市に生まれます。1954年、兵庫県立尼崎高等学校入学。1957年、関西(かんせい)学院大学法学部入学。1961年、関西学院大学法学部卒業、大源(だいげん)株式会社入社。そして1963年、大源株式会社退職ということです。

蟹瀬この番組では、大体一番最初に幼い頃のお話を伺ってるんですけども、お父さまは新聞社にお勤めだった?

樋口そうです、毎日新聞。

家庭環境

樋口もうずっと一筋でしたね。技術屋でしたけどね。

蟹瀬そうなんですか。実際に取材したりとかそういうほうではなくて?

樋口いや、そうじゃない、技術屋、印刷、輪転機の技術屋ですね。

蟹瀬それで、樋口少年のしつけというのはおばあさまが主になされたと伺ってるんですが。

樋口そうですね。私の今日あるのもルーツはそこにあると思いますね。大変、明治生まれの郷の虎のおばあちゃんでね。

蟹瀬僕も郷の虎なんですけど、だいぶ後ですが。

ロングセラーは「顧客のライフスタイル」が決める!?売れる必然の秘密とは

白石私なんかは美容器具とか買いますし、今すぐ必要じゃなくても便利かなと思って、買ってしまうんですよね。

蟹瀬ただものがテレビの前に置かれていて、お客様が買うかというと実はそういうわけでもなくて。その背景には大変優れたマーケティング戦略、これがあるんですね。というわけで今回は独自のマーケティング戦略で、新たなビジネスモデルを確立した企業に注目します。

この商品を知っていますか?

白石本日のゲスト、株式会社オークローンマーケティング 代表取締役社長のハリー・A・ヒルさんです。よろしくお願いいたします。

蟹瀬よろしくお願いします。

ヒルよろしくお願いします。

蟹瀬女性だけかと思ったらちゃんと。

ヒルレディースファースト、ちょっと優先しました。

白石ヒル社長、大変日本語がお上手ですよね。

ヒルまだまだですけれども、どこから見ても日本人ですね。

(一同笑い)

蟹瀬ユーモアのセンスもすごいですね。

白石失礼ながら社名を聞いたときに、あまりピンとこなかったんです。でもショップジャパンというと、やはり誰もが知っている有名な会社ですよね。早速なんですが、オークローンマーケティング、一言で言いますと、どのような特徴を持った会社ですか。

ショップジャパンの商品やサービスを通して、お客様のライフスタイルにより良い変化をもたらすブランド(会社)

ヒルお客様がわれわれの商品とサービスを通じて、より良いライフスタイルに変換して、もたらすブランドです。

蟹瀬その背景にはいろいろなマーケティング戦略とかあるわけで、そのへんのところをじっくり今日はお話伺いたいと思います。

ヒルよろしくお願いします。

白石それではここで、ヒル社長のプロフィールをご覧ください。

株式会社オークローンマーケティング代表取締役社長、ハリー・A・ヒルは1963年アメリカ合衆国カリフォルニア州で生まれる。1985年コーネル大学卒業後、来日。1990年国際ビジネスを展開する会社を日本で起業。1999年株式会社オークローンマーケティングに入社。2006年代表取締役社長に就任、現在に至る。

日本への目覚め

蟹瀬日本に関心をお持ちになったというのは、どういうことがきっかけだったのですか。

ヒル最初は大学で少林寺拳法に出会いました。

蟹瀬少林寺ですか。

ヒルはい、もう1つは大学の2年生と3年生の間に、けがして治療している間に、自分の人生を見つめなおした時期がありました。その時は『Japan as Number One』という本を読んだんです。

蟹瀬一番経済が盛んだった80年代ですね。

ヒルそうなんです。ちょうどバブルの前なんですね。勢いのあるのは日本だというふうに認識しました。それからもう1つは、当時私の周りの人は、日本のことがわかる人が誰もいなかったんです。それならば私が誰よりも先に日本のことを勉強して日本に来れば、必ず成功のチャンスがあるんじゃないかと。そう確信して、3年生から日本語勉強しはじめました。

蟹瀬日本語ってよく言われる通り、なかなかマスターするのが時間がかかる。当時日本がそれほどよく知られてなかったとすると、どういうかたちで来日されたんですか。

来日

ヒル最初は当時の文部省、英語を指導する助手として日本にきました。最初は岐阜県に配属されまして、それで岐阜県で英語の先生を通して、日本のことを覚えました。30年前の岐阜県なんですけれども、他の外国人はほとんどいなかったんです。27日連続他の外国人に会ってなかった時期がありましたね。そういうことで初めて外人という言葉、マイノリティとして初めて認識しました。

想像、創造

ヒル想像と創造。想像は英語で言うとクリエイティブ、創造はメイク。考えることを実行する。単純なんですけれども、1回考えたことはどう実行するか、それはやはり自分の性格なんです。頭がよい人は何でできないかと考えすぎます。壁は必ずぶつかります。自分で壁を壊そうとすると、自分のこぶしが絶対痛いですね。壁にぶつかったら、乗り越えたり、潜ったり、何か考えてそれを工夫して毎日やってきました。

蟹瀬今、クリエイティブとおっしゃったけれども、考え方だけではなくて、いろいろな行動においても非常にクリエイティブティがあるということでしょうね。

その後バブル崩壊の影響を受け、会社を売却することを決定。1999年、ヒルはオークローンマーケティングに入社した。

白石さてこの番組では3つのキーワードで進行させていただきます。まず最初のキーワードは何でしょうか。

キーワード① 商品寿命がない

ヒル「商品寿命がない」です。

蟹瀬商品寿命というと、短いとかね、それからすごく長いとか聞きますけど、「商品寿命がない」というのはどういう考え方なのでしょうか。

ヒル当然、永久年数ですよね。それと品質も担保しなければなりません。私たちショップジャパンはヒット商品から、ロングセラーを育て上げることはいつも考えております。例えば、こちらのご商品、トゥルースリーパーですね。これ2003年から発売したんですよ。睡眠に関してですね、こういう悩みを持っているお客様が、2003年から今日までは変わっていません。それから2007年にスチームクリーナーの市場をつくりました。それが「シャーク」シリーズなんですよ。

蟹瀬蒸気が出るクリーナー、これも画期的でしたね。

ヒルはい。より効率的、それから簡単に除菌ができる、化学生物は使わない、こういうクリーニングの目標は、これは別に年々変わることはありません。

蟹瀬潜在的に買うほうのニーズがあるわけですよね。

ヒルそうなんですよ。それからもう1つ言えるのがフードプロセッサー。より簡単に食事のできる商品なんですよ。簡単に動けると、早くて簡単にできるから。

白石どの商品も1度は聞いたことがありますし、どれも長くヒットされていますよね。

ショップジャパンはお客様が主役――ロングセラーの作り方

ヒルどうしてヒット商品からロングセラーになったか。これはお客様が主役だというふうに考えているからだと考えております。私たちの考え方は、お客様の悩みをどう解決の提案ができるかどうか。実際に商品を使いこなして、ライフスタイルの変化をもたらしてハッピーになる。使いこなすためには、私たちがテストマーケティングする。そして、お客様からいろいろな意見をいただくという流れが必要です。

蟹瀬とすると、フィードバックが来ますよね。

ヒルはい、そのことによって、どういうふうに改善すると、お客様がよりハッピーになるか。それをいつも考えております。例えシャークシリーズからは2つのアクションとりました。1つはお客様から「どういうふうに使ったらより効果的ですか」ということ。そこからお掃除ガイド作りました。
2つ目も同じようなことですが、子供をもっていらっしゃるお客様が、子供のいたずらを心配して、それからチャイルドロックを付けて、そうすると安心して使えますよという風にしました。

蟹瀬いまおっしゃったポイントって、すごくマーケティングでは大事で。顧客が「価値がある」と認めないと、当然買わないわけですよね。物の価値とかサービスの価値は、お客様が決めるんだと、ここのところを日本の場合忘れていたケースが多かったですよね。

ヒル最近よく聞かれるのは、ネットで安いものがたくさんあるのに、どうして長く売れるんですかということです。お客様が求めているのは、安いものではないんですよ。価値のあるものでも、安く買って使いこなせなければ高く感じます。でも使いこなしているものだったら、いくら払ったのかそんなに気にしないと思います。
私たちがずっとお客様の声を聞いて、寄り添ってどんどん改善していきますので、お客様の声からロングセラーが生まれます。

蟹瀬今のお話を伺ってですね、ロングセラーがなぜ生まれるのか、どうやって生まれるのか、秘密というのが少しわかった気がするのですけれども、そういうところに到達した、そういった考え方に至るまで、何か経験があったのですか?

ヒルまずこの商品から。

ビリーズブートキャンプ

白石あ、覚えています。

ヒルこれから勉強しました、実はこの商品の失敗から教訓してきました。

白石これ失敗されたんですか。すごく有名ですよね。

蟹瀬売れたでしょう。

白石みんなやっていましたよ。

ヒル商品が非常によかったんですよ。いい商品でした。ビリーも私の友人なんですけれども、非常にすばらしい人でした。ただマーケティングの失敗はありました。

蟹瀬どういうところですか。

ヒル3つの大きな反省点がありました。

白石3つですか。

ヒルはい、短期の問題、中期の問題、長期の問題が3つありました。短期の問題は何なのかというと、残念ながらたくさんのお客様から頂いた言葉は、「買いましたよ、1回やってやめました」。1回やってやめたということに関しては、非常に期待が大きかったはずなのですが、私たちがみなさんが使いこなせるような、サービスの工夫が足りなかったんです。

失敗した理由①サービスの工夫が足りなかった――ビリーズブートキャンプの失敗

ヒル最初から少しハードでしたので、みなさんが少しでも、慣れてない方でも少しずつできるようになる、そういう工夫が1つは足らなかったです。中期的な問題は愛用者の使い方です。愛用者に対しては、Before・After理想の身体になったことを上手に見せることができました。

失敗した理由②継続的な魅力を伝えられなかった――ビリーズブートキャンプの失敗

ヒル2つ目としては、継続的な魅力が見せることができませんでした。

蟹瀬そこまで考えるんですね。僕なんか腹筋がバンバンと6つぐらいに分かれたら、OKみたいな、ああはいきませんでしたけれども。

ヒル私たちが使いこなしてハッピーになるのは、考え方、気持ち、精神が変わった、内心的も大事です。

蟹瀬それが大事なんですね。

ヒル3つ目の問題。これ見てください。ショップジャパンはどこにもありません。

失敗した理由③会社・ブランド名の知名度アップに繋がらなかった――ビリーズブートキャンプの失敗

ヒル長期的には私たちがショップジャパンの知名度アップには繋がりませんでした。

蟹瀬ビリーは有名になった。

ヒルビリーは非常に有名になったんですけれども、私がショップジャパンを経営しているハリー・A・ヒルと言いましたら、みなさんが「何ですか、ショップジャパンって」。でもビリーの会社と言ったら「ビリーは知ってる」、非常に私たちにとって、もったいない3つのところでした。

蟹瀬今ご説明がありましたけれども、何が必要だったのか、今振り返って思いますか。

ヒル私のマーケティングとブランディングの調和が必要だと思います。もう1つのマーケティングとブランディングの調和と、お客様の声を活かした商品やサービスの改善ですね。

“Rule of the Game”を掲げイノベーションを生み出すインキュベーターの戦略とは

蟹瀬リーダーアンドイノベーション賢者の選択、ナビゲーターの蟹瀬誠一です。

長尾長尾愛佳です。蟹瀬さん4月に入りまして蟹瀬さんが学部長を務めていらっしゃる大学にも新入生が入ってきたんじゃないでしょうか?

蟹瀬そうなんですよ、非常に優秀な学生たちがたくさん来てくれました。期待はしてますけどね。

長尾その新入生の片方が受験の時にもしかすると思っていたかもしれないのがキットカットというチョコレートですね。

蟹瀬もうね受験生の間では願掛けになってますよね。きっと勝つというのでね。これね、商品としてもロングセラーになってます。というわけで今回はロングセラー商品のイノベーション戦略に焦点を当てます。

長尾今回のゲストはネスレ日本株式会社代表取締社長役兼 CEOの高岡浩三さんです。

蟹瀬どうもお久しぶりです。お元気ですか?

高岡はいありがとうございます。お世話になります。

長尾まず高岡さんに伺いたいんですけれども、社長に就任されたのはいつでしょうか?

高岡昨年の11月1日からです。

長尾じゃあ最近ですね。

高岡そうですね。

長尾では最初の変革、キーワードは何でしょうか?

高岡ちょっと横文字なんですけれど、コーヒーシステムソリューションです。

コーヒーシステムソリューション

蟹瀬コーヒーシステムソリューション。何か面白そうだけどよくわからない。じっくり伺いたいです。

高岡ありがとうございます。

蟹瀬今回はロングセラーの商品を通してね、イノベーションそれからリーダーシップというお話をお伺いしたいと思ってるんですけれど。インスタントコーヒーってそんなにイノベーションがないようなイメージを持ってたんですが、実はものすごい研究開発されてると。僕が記憶にあるのは、凍らせてそれを乾かしてフリーズドライというんですか?

高岡そうですね。

蟹瀬それで香りとか閉じ込めると言う。

高岡まあそれがゴールドブレンドですね。一番最初に出ました黒いラベルの、今はネスカフェエクセラと呼んでますけども、これが出ました時は熱風で熱で水分を乾燥させる、基本的には二つの技術でずっと来てるということですね。

長尾最近でも何か随分大胆なイノベーションをされていると言うことで。

高岡そうですね、昨年その50周年にあたってですね。非常に大きなイノベーションを実は世界で初めて日本で試乗したんですけど。

世界初のイノベーション

高岡そのどうしても香りの部分というのが一番大きな我々がクリアしなければならない問題だったんですけれども、それを解決するために、レギュラーコーヒーの本当の旨味の焙煎した豆の粒をですね、それをインスタントコーヒーの粒の中に入れ込むという技術を初めて開発したんですね。

蟹瀬それで香りとか入ってるわけですね?

高岡本物の香りが 立つんですね。ですからそういった意味では本当のインスタントコーヒーとは言えない。中にレギュラーコーヒーが入ってますんで。

蟹瀬なるほどなるほど。

高岡それで我々はレギュラーソリュブルコーヒーという名前で日本に登場させておかげさまで大成功させていただきました。

蟹瀬イノベーションってねコーヒーのそういう家庭で飲む場合の世界いくつかあって、一つはそういう生産過程ですよね、良い商品を作る。もう一つはやっぱりそれを家庭に普及させるためのシステムみたいな。みっつ目はマーケットにどう売っていくかという売り方というのがあるんでしょ?当然。

高岡ありますね、ございますね。

蟹瀬コマーシャルもありますけどね。その辺はどうなんですか、イノベーションと言うと。

高岡そうですね、あのもちろん今のインスタントコーヒーの売上のほとんどはスーパーマーケットを中心とするリテールで販売されてるわけです。しかしながらその商品の改良と共にですねコーヒーというのは単なる味だけではなくてその作るプロセスとかそれから雰囲気とかそれからスタイルというのが非常に今求められる嗜好品なんですね。ですから我々も当初例えば先ほどゴールドブレンドステータスを売っていたと、それから元々のネスカフェは実はコマーシャルで今までご飯とお味噌汁だった日本の朝食を実はパンとコーヒーに変えて提案したのもネスカフェなんですね。

蟹瀬そうでしたっけ?

高岡はい、それまではなかったわけですね。今度はですね、新しいインスタントコーヒーのシステム。機械で簡単においしく飲んでいただくという、これも実は世界で日本が初めて。ネスカフェのグループの中でまあ提案させていただいた。それは先程私が申し上げましたシステムソリューションというものに繋がるんですけども。

蟹瀬今結構あの家電量販店なんか行くとずらっと並んでますよね?

高岡そうですね。

蟹瀬周りにお客さんがいっぱいいて若い方が関心持って見てるなと。だけどあれをああいう形で売り出したというのはどうなんでしょう。いろんな本社の抵抗とか、いろんなところでネガティブな意見というのあったのではないですか?

高岡そうですね。それまではスイスの研究場の方で、いかにそのインスタントコーヒーの味をレギュラーコーヒーの、しかも淹れたてのコーヒーに近づけるかという研究にフォーカスしたんですね。日本は実は世界で最も大きなインスタントコーヒーの消費国、マーケットなんですね。
ですから我々の方から日本人にとってはそのもう少しスタイリッシュでスプーンでお湯をかき混ぜるんではなくて、レギュラーコーヒーのコーヒーメーカーのように、ボタンひとつで何か楽しめるそういうシステムを開発したいと。それが今回実ったですね。

長尾そういったの味の楽しみ方がありますよ、ということを一般の方にしていただく、その広告戦略などもやはり打たれたんですか?

広告戦略について

高岡はい、実はですね、あの3年前に店頭でテストをやりながらですねどういう風なコミュニケーションが最も良いんだろうかということを試行錯誤してきたんですけども。最後にですね、分かりましたのはやはり長い2分とか3分とかの尺でですねこのマシンシステムがこの日本の家庭に普及しているレギュラーコーヒーのコーヒーメーカーと比べて何が違うのかどういう優位性があるのかそういうものをお伝えするには、15秒30秒のコマーシャルではなかなか難しい。それでテレビショッピングというような形で実は初めて我々としては試みたんですね。

テレビショッピングでの試み

高岡それが爆発的なヒットに実は繋がったんですね。

蟹瀬どれくらいのセールスに繋がったんですか?

高岡実はですね一ヶ月で 5万件ぐらいのオーダーを頂いたんですね。

蟹瀬すごいですね。

高岡ですからあっという間に品切れになりまして、実は供給できなかったと。それと面白いことに先ほどをおっしゃられた量販店様で売られている商品の売上が3倍になったんですよ。

蟹瀬連動して。

高岡ハロー効果ですよね。これはさすがに我々もちょっと想像はしてなかったです。

蟹瀬あとね、もう一つ販売チャンネルで驚いたのはスーパーって言うんでしょうかね、具体的な名前だしていいのかどうか分かりませんけどもそういうところでも売られてるんですか?

高岡そうですね。これはあの実は私どもはコーヒーのシステムをインスタントコーヒーのシステムとそれからレギュラーコーヒーのカプセルタイプのシステムと二つ持ってるんですね。インスタントコーヒーのシステムはインスタントコーヒーそのものがほとんどスーパーさんで売られてますので、やはりその売り場の近くで機械を売らしていただくのがお客さんにとって一番良いだろうということで。

「本気なんだ、ブレないんだ」ビジョン浸透への執着が生む新しい金融の価値

宮川賢者の選択Leaders、ナビゲーターの宮川俊二です。

坪井坪井安奈です。

宮川今回は低金利時代の銀行業界で独自のビジョンで生き残りをかける、ある地方銀行の取り組みに迫ります。

独自のビジョンで生き残りをかける ある地方銀行の取り組みとは?

佐藤銀行は、僕は主人公であってはいけないと思っています。銀行はお客様のサポート、ビジネスとしてのサポーター。

お客様にとって、身近で信頼できる相談相手とは?

坪井それでは、本日のゲストをご紹介します。株式会社東京スター銀行、頭取、佐藤誠治さんです。よろしくお願いいたします。

宮川どうぞ、よろしくお願いいたします。

佐藤よろしくお願いいたします。

宮川今、低金利時代ということで、なかなか競争が激しいと伺っておりますが、その辺をじっくりお伺いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

数奇な運命

坪井さて、冒頭のVTRでもご紹介いたしましたが、東京スター銀行は2001年に誕生しました。どのような経緯で設立されたのでしょうか?

佐藤東京スター銀行の前身は地方銀行である、東京相和銀行という銀行だったのですが、1999年にバブル崩壊のあおりで破綻をしまして、2001年にローンスターというアメリカのファンドが買収をして、そこからスタートしています。その後、アドバンテッジパートナーズというところがまた買収をして……。ところが、リーマンショックがあって、また債権銀行が株主になって、2014年に台湾の中國信託商業銀行、CTBC銀行が株主になって……。15年間に株主が4回変わっているという……。

坪井そうなんですね……。

佐藤めまぐるしい、数奇な運命といってもいいような状態でした。

宮川冒頭でも申し上げましたが、今、低金利時代って、私たちはありがたいのですが、銀行業界にとっては非常に厳しいですね。

佐藤そうですね。

宮川これはどういうふうにご覧になっていますか?

低金利時代

佐藤やはり、金利が低いというのは、利ザヤも取りにくいということになります。どちらかというと、マーケットはシュリンク(縮小)気味である。となると、企業の合理的な経営を考えると、日本で設備投資をするということはあまりないでしょうね。とくに地方銀行は国際業務をもっておりませんので、国内での設備投資、運転資金、これがあまり伸びないということになると、お金を貸す先がない。それで、低金利で利ザヤも縮小していると。そういった意味では、非常に厳しい環境ということが言えます。

坪井プロフィールを拝見しますと、佐藤頭取は2017年に頭取に就任されていますが、こちらはどのような経緯で……。

頭取就任までの経緯

佐藤私はもともと、メガバンクでずっと勤めていたのですけれども、役員を退任して、縁があって、東京スター銀行が次期頭取を探しているというお話があって、私も銀行業界にかなり長く身を置いていますので、「自分がリーダーだったら、こういうことがしたい」ということがいろいろありましたので、2016年にまず、副頭取として、入らせていただいて、今年(2017年)の4月に頭取に就任したという経緯です。

宮川なるほど……。やはり、メガバンクではできない、あの規模だったら、佐藤さんだったら、こうできるみたいなものはおありだったのですか?

東京スター銀行の強み

佐藤やはり、東京スター銀行がどういう強みを持っているか、そこをまず、しっかり認識しようと……。強みの一つはCTBCという親銀行がいて、彼らが海外に非常に広いネットワークを持っていることです。これは日本の銀行ではメガバンクしか持っていないようなネットワークですので、これは非常に活用できます。それと、今いる行員の7割ぐらいが中途採用です。みんな、いろいろな経験を経て、プロとして入ってきています。彼らの人材力。それと、非常にユニークな金融商品。ローンスターが持ってきたような、たとえば、リバースモーゲージのようなユニークな商品。それと、非常に変化する時代ですので、2,000人弱という規模は機動性という点でなかなか強みではないかなと思っております。

坪井そのような強みを生かすために具体的にはどのような取り組みをされたのですか?

佐藤今後、我々がどうなっていきたいかということをしっかりと示すような、中期経営計画というものを作りました。

ビジョン

佐藤その経営計画の中での、いわゆる、ビジョンというのは、「Trusted Advisor」。これは英語ですが、日本語で言えば、「お客様にとって身近で信頼できる相談相手になる」。これを掲げまして、お客様がなりたい姿、あるいは、こういうことを実現したいということを理解して、それをサポートしていく。我々は銀行というものをお客様にとっての「ビジネスとしてのサポーター」というふうに定義したいと考えていますので、できるだけ、お客様に寄り添ってお手伝いをしていく、これが「Trusted Advisor」だと思っております。

宮川ビジョンを掲げても、それを皆さんに浸透させるのは、なかなか難しいと思うのですが、どういうふうにされているのでしょうか?

ビジョン浸透のために

佐藤十人単位ぐらいのディスカッションミーティングというものをずっと続けていまして、「そもそも銀行って何なの?」「どうして利益が生まれるの?」「お客様との関係というのはどうやって作っていくの?」、そういった基本的な価値観を大体1回に2時間から2時間半ぐらいディスカッションをします。けれどもやはり、従業員は「本気か?」「建前だけじゃないの?」「きれいごと?」と思うこともあると思いますので、「いや、そうじゃないんだ、本気なんだ、ブレないんだ。なぜならば、それをやることが、中長期的に持続的な成長と利益につながる唯一の道だ」と……。ですから、1回話をして、その人の中で定着する確率は、僕は5パーセントぐらいだと思っています。

宮川そんなに低いですか?

佐藤低いです。それを3回、4回繰り返すと、2割、3割ぐらいになっていくんですよ。ですから、やはり、同じことを同じ言葉で繰り返し言い続けるということが大事だと思っています。

ドーキンズ私は今、東京スター銀行の本社に来ています。佐藤頭取が掲げるビジョンがどのように行員の方々に浸透しているか取材してみたいと思います。

関係者いらっしゃいませ。お待ちしておりました。

ドーキンズドーキンズ英里奈です。よろしくお願いします。

関係者よろしくお願いいたします。では、ご案内いたします。どうぞ、こちらへ。

ドーキンズあんまり、銀行っぽくないですね。

関係者そうですね。

本店1階にあるファイナンシャル・ラウンジ。オレンジを基調とした明るいフロアに情報端末を備えたカウンター。安心して相談できる個室が4部屋用意されており、個人向けに資産形成や各種ローンの申し込みなど、情報提供やアドバイスを行っている。

ドーキンズしっかり、個室になっていますね。
このラウンジで顧客を迎える行員たちは「Trusted Advisor」、身近で信頼できる相談相手、というビジョンをどのように業務に生かしていこうと思っているのだろうか?

関係者お客様のことを今まで真剣に考えていた領域よりも、さらにもっと深く、たとえば、そのお客様だけではなくて、そのご家族の方とか、ご家族背景から得られるもの、そういったところをもっと深く、興味を持って、探求していかないといけないと感じるようになりました。

関係者私は法人を担当しておりますので、まず、お客様の今のビジネス、そして、今後の展望についてよく理解して、お客様をよく知ること。そのうえで、お客様の課題を自分なりに想定して、弊行として、どういったサービスをご提供できるのか、また、私たちが今後、どのようなサービスを提供していかなければならないのかを考えて行動することだと思っております。

永住権を持っていない外国人はほとんどの銀行で住宅ローンが利用できない。しかし、東京スター銀行ではそうした外国人に対して、積極的にサポートを行っている。

関係者日本で働く外国人は年々、増えてきています。また、働く外国人は住宅を購入したいという希望を強く持っています。家を買いたいのにできないというのは困ります。

関係者まず、お客様の話を聞いて、お客様の課題や悩みを知って、人生の見通しを立てていただくために、サポートをしてまいります。

店舗展開

佐藤私ども、従来、全国に32の店舗を持っておりましたが、どちらかというと、ターミナル駅のようなところにあるお店が多いんですね。ところが、お客様がたとえば、週末、相談に行くのに、わざわざターミナルに行くのは大変ですから、お客様の近くに行って、そこで気軽に相談できるような小型店舗を、これからある程度の数を出していきたい。

2017年11月、東京江東区のショッピングセンターで、東京スター銀行の小型店舗のオープニングセレモニーが行われた。相談特化型の小型店舗、南砂町アドバイザリープラザは佐藤が掲げたビジョン、お客様にとって、「身近で信頼できる相談相手になる」をコンセプトに顧客からの相談を受ける窓口として作られた。相談内容に応じて、各分野の専門家と直接、会話をすることができる。

お客様皆さん、行員の方は知識が豊富で、いろいろな説明をしていただけるので、助かってて…。アドバイスしてもらっています。

「患者さんに新しい治療法を」の思いとメスを置く勇気、免疫細胞治療へ挑む

白石本日のゲスト、医療法人社団、滉志会(こうしかい)、瀬田クリニックグループ、臨床研究・治験センター長の神垣隆さんです。よろしくお願いいたします。

宮川よろしくお願いいたします。

神垣よろしくお願いいたします。

宮川免疫細胞治療という言葉の認知度は大分高くなってきましたけれども、今日はこの治療法、最前線で何が起こっているのか?この治療法をけん引する、瀬田クリニックグループの神垣さんにお話を伺っていきたいと思います。今日はよろしくお願いいたします。
神垣よろしくお願いいたします。

免疫細胞治療とは?

宮川免疫細胞治療という言葉を聞くと、どういうことなのかなと、細胞治療。

神垣そうですね。免疫細胞治療というのは、人間はもともと免疫というシステムを持っていまして、それはいろいろなものが役割を担っているわけですけれども、その中で、たとえば、リンパ球、あるいは、樹状細胞といった、特殊な細胞ががんに対抗する、あるいは、やっつけてくれるものとして、人間の体の中に備わっています。

私たちの体の中では実は異常な細胞が常に発生している。普通、免疫細胞の働きで、これを抑えているのだが、免疫力が落ち、抑えきれなくなると、がんとして発症してしまうことも。免疫細胞治療とは、患者自身の免疫細胞でがんと闘う治療法。免疫細胞を採取して、活性化させるとともに、その数を大幅に増やす。そして、それを患者の体内に戻すことで、がん細胞に対抗するのだ。治療方針は患者ごとに変わるが、採血、培養、投与というサイクルを複数回繰り返して、治療を行う。

宮川免疫細胞治療の最大の特徴というと、どういうことになりますか?

副作用がほとんどないーー免疫細胞治療の特徴

神垣自分の免疫をうまく利用していく治療なので、非常にうまく治療が進んだ場合は副作用がほとんどなくて、がんに対峙していける力をもつことができるんですね。

免疫力が回復ーー免疫細胞治療の特徴

神垣しかも、がんの患者さんというのは非常に免疫が落ちているような状況がありますので、そういった治療を行うことで、免疫の状況が回復してくる場合があるんですね。そうすると、ほかの治療を受けるときでも、たぶん、そういった土台がしっかりとしてくると、標準治療である、たとえば、抗がん剤治療や手術や放射線といった治療が受けられることもあると思います。

宮川この新しい治療法、これはどういうきっかけですか?

免疫細胞治療との出会い

神垣ちょうど当時、2006年ぐらいなのですが、学会で細胞治療の話を聞くことがあって、学会を主催していた企業に連絡をしたんですね。ちょうど訳も分からない状況の中で、とりあえず、ノックをしてみようという形で、まず連絡をして、そういった中で、巡り巡って、江川先生と連絡を取ることができて。

きっかけは江川滉二東大名誉教授との出会いだった。江川氏は日本での免疫細胞治療の先駆者であり、瀬田クリニックグループの創始者でもある。

神垣大学で、実際に講演を聞いて、我々がまだ研究でやっているような治療を実際に、患者さんにすでに提供されていたということを聞いて、非常に衝撃とともに、そういった治療を日本で、たぶん、初めてだと思うんですけれども、そういう形で開始されていったというところで、非常に感銘を受けました。江川先生の思いというのは患者さんに良い治療を、もし、研究開発中の治療でも、もしそれが、患者さんの役に立つならばという思いでこの瀬田クリニックを始められたと思うんですね。

宮川そうして、この瀬田クリニックグループに移られたのが何年ということに?

神垣今から3年と少し前、2010年の1月に瀬田クリニックのほうで勤務を始めました。

宮川この治療法はあまり切らない。

神垣そうですね。

宮川これは大きな転換ですし、葛藤みたいなのはなかったのですか?

外科医からの転身

神垣そうですね。やはり、メスを置くということでは非常に迷った部分はあるのですが、がんの患者さんに新しい治療法をぜひ、提供できるように、本当に標準治療の一つとして、提供していけるように、そういった思いがありましたから、メスを置くことに関してはあまり迷わなかった。

宮川へぇ、この瀬田クリニックグループに行かれるというのは何かやはり、理由があったのですか?

神垣やはり、研究をする医療機関という性質をずっと持っていたんですね。ですから、非常に患者さんの治療したデータがしっかり保存されていて、そういった意味でほかの医療機関と違うところは、研究するマインドを持っていること。そういった意味で瀬田クリニックは私がやろうと思っていたことの、医療機関として、非常に適していた部分がありました。

瀬田クリニックは研究するマインドを持っていた

宮川今、神垣さんが責任者を務めていらっしゃる臨床研究センターですが、これはどういう活動をなさっておられるのでしょうか?

臨床研究・治験センターの役割

神垣そうですね。大学、あるいは中核病院、あるいはセンター病院といったところで、いわゆる、臨床研究、そういった新しい治療法を開発するための研究を共同で進めていくという作業を現在行っています。そういった研究をスムーズに進めていくために、共同研究者である先生方と一緒に協議しながら、そういった治験を進めます。

日本赤十字社医療センター。鈴木医師はその共同研究者の一人。

医師いわゆる、自主共同研究と言いまして、病院の中の臨床倫理委員会にこういうプロトコール(規定)で治療をやりたい、細胞療法をやりたいというのを出すわけですね。そこに、弁護士さんとか、学識経験者とか、そういう人が入った会議で倫理性などが認められるとOKが出るわけです。それで、私自身は患者さんに説明して、「こういう療法がありますよ、私はこういう考えでこういう療法が良いと思います」と説明して、で、同意をもらって、そのうえで、私のほうできちんと経過のフォローはします。その代わり、細胞を増やしたりするのは、当院の中ではできないので、それは瀬田クリニックにお任せします。ですから、瀬田クリニックに2週間おきに行って、採取して、2週間後に戻す。これを繰り返しながら、免疫力などのパラメータなどの経過を追っていく。まったくの共同でお互いにデータを出し合っていく。で、それをまとめていくというのが自主共同研究ですね。

今、共同研究によって新たながん治療の開発が行われている。根絶することが困難な多発性骨髄腫に対する免疫細胞治療だ。

医師患者さんのこの腫瘍細胞に対して、患者さんの増やしたリンパ球(免疫細胞)が取り囲んで、これをやっつけてくれるというのがはっきりと出ているんです。前例ではないのです。だから、どういう人にそれが効くのか、どういう人に効かないのか、今後、さらに解析は必要ですけれども、それによって、救える人がいる。ひょっとしたら、治癒に持っていける人がいることは確かなんですね。

神垣次の時代には再生細胞治療というのが本当に多くの患者さんに提供されるような時代が来るのだと信じています。

白石オーダーメイド医療ということなのですけれども、その辺を詳しくお伺いしてもよろしいですか?

「不趨浮利」に象徴する住友の真髄、無私の精神と「透明なピラミッド型組織」

竹内賢者の選択Leaders、ナビゲーターの竹内香苗です。今回は400年以上の歴史を持つ、住友グループの中核企業として成長し続けるある非鉄金属メーカーの取り組みに迫ります。

住友グループの中核企業として成長を続ける ある非鉄金属メーカーの取り組みとは?

松本ワンステップ高いリーダーの資質は無私の心なんですよ。自分よりも他人のことを思う気持ちがないと部下はついてこないですよ。

長年、受け継がれてきた住友の事業精神。松本が守り続ける、マネジメントの原点とは?

竹内こんにちは。

松本こんにちは。住友電気工業の松本です。今日はよろしくお願いいたします。

120周年

竹内2017年に120周年を迎えられまして、おめでとうございます。

松本そうですね。ありがとうございます。

竹内その節目の年に社長から会長に就任されまして、なぜ、このタイミングで、このタイミングにはどういった意味があるのでしょうか?

社長から会長に

松本そうですね。2004年、社長になって、足掛け13年、その間に売り上げも順調に伸びてきましたし、グローバルの戦略も効果が出てきましたし、このあたりでとは思っておったのですけれども。

2017年5月、松本は関西経済連合会の会長に就任。これを機に、社長職を井上治新社長に譲り、会長職に就くことに決めた。

松本社長と会長、これは両立はしないだろうと、時間的にも無理だなと思ったことが大きな原因なんですよね。この際、思い切って、世のために、人のために尽くそうと。大袈裟ですけれども、そういうことを考えたのが、会長になった理由なんですね。

出る杭

竹内まず、入社後はどんなお仕事から、最初はされたのですか?

松本当時、一番小さな事業部があったんです。それは粉末合金事業部と言いまして、粉末を焼き固めて、それで硬い金属にして、旋盤に乗せて、金属を削るような刃先の工具を作っている事業部がありまして、そこに入りました。

竹内松本新入社員はどんな社員だったのですか?

松本それは、ちょっとコントロールしにくい男だったでしょうね、上司にとって。かなり批判精神が強くてね。「これはちょっとやり方がまずいんじゃないでしょうか」って、入って、すぐ言うわけですよね。若いときはもう言いたい放題だったから、「勝手にやれ!」「海外へお前行け、お前はとにかくうるさい!」って感じでしょうね。それで、シカゴ駐在になるんですよ。シカゴ駐在で、今までやっていた事業部の製品を売ると。

ドーキンズ1973年、オイルショックの年、入社7年目だった松本会長はまだ、拠点がなかったアメリカ、シカゴにたった一人、駐在員として赴任することになりました。しかし、このアメリカでの経験が、その後の松本会長の仕事人生のベースになったそうです。

シカゴに赴任した松本はある商社のオフィスの片隅を間借りし、そこを拠点に粉末合金製の切削工具を営業して回った。

竹内現地でのコミュニケーションはどうしていたのですか?

松本英語ですよ。日本語ではモノを売れませんから。

竹内それでは、事前に勉強されて。

松本全然、なし。

竹内独学というか、仕事の中で。

松本現場で。初めは全然ダメ。だって、コミュニケーションができないんだもの。大学のときに、もちろん、体育会ですから勉強はしていませんわ。住友電工だって、駐在なんて、世界にはほとんどいないから、あの当時。それで一人ですもの。

竹内どのようなお仕事をどのようにすすめていかれたのですか?

松本一人でモノを売りにいかないといけない。シカゴからニューヨーク。だいたい行ったら、十日間ぐらい帰って来られませんよ。インディアナポリスからデトロイトからずっとペンシルベニアとか回って、ニューヨークへ行って、また戻ってくるわけです、自動車で。どうするかって、行く前に何を売るかということをまず考える。そして、そのモノを自動車のトランクに詰め込んで、それで、お客様のところに行って、テストをして、よければチェックをもらう。

というような生活ですね。ですから、企画、現場での売り込み、回収等を一人で全部やるわけです。そういう生活を5年間やりましたね。日本からの援助なんてあまりないんですね。「勝手にやれ!」ってことですよ。27歳ぐらいだったかな。

竹内27歳で。もう会社を辞めようとか、本当につらいなとか、心が折れるようなことは、どうしていたのですか?

松本自分の心を支えてくれた詩があるわけです。

詩を心の支えに

松本ロングフェローという人がいて、日本では明治時代。A Psalm of Life、人生讃歌という詩があるんですよ。僕はあの詩に会ったときに、この精神で行こうと思ったことと、いったん、やり出したことをここで、すごすごと逃げてしまうというのはよくないと思っていたし。

ドーキンズ工具を買ってもらうために、さまざまな工場に足を運んだ松本会長でしたが、1970年代のアメリカの会社は日本製品メード・イン・ジャパンというだけで、住友電工の製品に見向きもしなかったそうです。落胆する松本会長でしたが、そんな松本会長の様子を見た、あるアメリカ人が声をかけてくれました。

誠心誠意、シカゴでの営業

松本ミルウォーキーとシカゴの真ん中にケノーシャという町があります。アメリカン・モーターズがあって、フォルクスワーゲンのビートルみたいな車を作ってたんですよ。そこへ売り込みに行くんですけれども、一つの製品を売るのに、大体2年間かかりましたね。

竹内その2年でターニングポイントというか。

あるアメリカ人

松本それはやはり、誠実に事を運んでいけば、必ずそれを見ていてくれる人がいる。「なんか、一生懸命やっているな」と。初めて、そこの購買課長さん、だいぶ年配でしたけれども、「お前はよく来てるけど、一つも売れないじゃないか」「売れないんじゃなくて、買ってくれないんですよ」。その人は現場からデータをもらっていたようです。私どもの製品は決して、アメリカの一流品と劣ってない、同格であると言うので、「じゃあ、一つ、ラインに入れてあげよう」って言ったのが、そのマネージャーだったんですね。
仲良しになって、最後、彼がリタイアするときに、一緒に飲みましたけどね。もう、本当、楽しかったですね。それが2年間、続いたんですね。いろいろな条件が重なって、最後までやり遂げたということです。

ドーキンズ4年半に及ぶアメリカ駐在を終え、1978年に帰国。アメリカでの経験と実績を買われ、帰国後、粉末合金事業部の海外戦略担当に抜擢(ばってき)されました。

「楽しさを、手軽に」。”室内”だからこそ描ける、ゴルフ業界の救いと未来

蟹瀬 賢者の選択Leaders、ナビゲーターの蟹瀬誠一です。

福井 福井仁美です。

蟹瀬 今回はインドアゴルフの推進で新たなゴルフマーケットを創造する、あるゴルフシミュレーター販売会社の取り組みに迫ります。

インドアゴルフの推進で新たなゴルフマーケットを創造する あるゴルフシミュレーター販売会社の取り組みとは?

今野 ゴルフの世界は比較的、参入の障壁が高いと言われ続けていますので、そういった障壁を取り除くための大きなきっかけとして、シミュレーションゴルフを活用していただきたいと思っています。

そう語るのは代表取締役、今野晃広。インドアゴルフの推進で、ゴルフを身近なスポーツへ!今野が唱える、新たなゴルフマーケットの可能性とは?>

福井 それでは、本日のゲストをご紹介しましょう。GOLFZON Japan株式会社、代表取締役、今野晃広さんです。よろしくお願いいたします。

蟹瀬 どうぞ、よろしくお願いいたします。

今野 よろしくお願いいたします。

蟹瀬 私も人生、半分はゴルフという年齢になりましたので、今日はじっくり、お話を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

今野 こちらこそ、よろしくお願いいたします。

2000万人

蟹瀬 さて、今野さんのプロフィールを拝見しますと、ゴルフ業界に長く携わっていらっしゃって、その目から今のゴルフ業界はどういうふうに見ていらっしゃいますか?

ゴルフ業界の現状

今野 最盛期は1,300万人ほど、人口がいたと言われていますが、今は700万人を下回っているという現状がありますので、減っていった理由というのはいろいろあると思いますが、参入障壁が非常に高いと感じています。

ゴルフ人口低迷の理由は参入障壁の高さ

今野 若者は車も持っていませんし、以前のようにたとえば、会社で接待として、ゴルフをやらねばならないといったことが減ってきていますので、興味はあるけれども、一定の強制力、良い意味での強制力みたいなものは少し、減ってきているのかなということと、やはり、丸一日、時間をつぶさなければいけない。

蟹瀬 そうですね。

今野 子育て世代にとっては、休日の時間を丸一日つぶさなければいけないというのが非常に大きな壁になっているのかなという印象があります。

蟹瀬 そういう意味ではゴルフ人口も減ってきていて、市場環境が悪いわけですよね。そんな中で、このゴルフのシミュレーション事業というのをやってみよう、というきっかけはどのあたりだったのですか?

低迷するゴルフ業界に参入

今野 年々、ゴルフ人口は減っていますが、ゴルフに興味を持っている、潜在人口が約2,000万人いると言われています。

ゴルフに興味を持つ潜在人口がおよそ2,000万人いると言われている

今野 ここまで低迷してきている理由が参入障壁だと仮定するのであれば、我々のようなシミュレーターを使うことで、一定レベルのゴルファーを増やしていけるのではないかと考えています。

参入障壁が比較的低いゴルフシミュレーターを使うことでゴルファーを増やしていける

蟹瀬 シミュレーションのほうがやはり、お値段もお安いということですかね?

今野 そうですね。ハーフ9ホールで仮にやっていただいたとすると、一般的な市場のプライスで、3,000円程度でやっていただけますし、18ホールやって5,000円とか、そういったところが多いですね。我々の直営店で、練習場がメインのところなのですが、50分1コマで2,500円~3,500円で打ち放題ということをやっていますので、都心部では練習場が減っているという状況を考えますと、非常に手軽に楽しんでいただけるのではないかと。

蟹瀬 それは魅力的ですよね。

福井 そうですね。私も実際、このシミュレーションゴルフを体験させていただいてきたので、こちらのVTRをご覧ください。

福井 今日は、GOLFZON Japan直営のドライビングレンジ日比谷にやってきました。こちらで、早速、シミュレーションゴルフを体験したいと思います。

福井 こちらですね。こんにちは。よろしくお願いします。

関係者 よろしくお願いします。

福井 今日はシミュレーションゴルフをやりに来たのですけれども、今回、私、ふらっと来てしまって、何も持っていない、この状態なのですが、私でもできるのですか?

関係者 はい。皆様、大体、仕事帰りに来ている方が多いかなと思います。

ドライビングレンジ日比谷では、ゴルフシューズ、有名メーカー各社のゴルフクラブの貸し出しを無料で行っている。こちらがゴルフシミュレーター、GDR。全米女子プロゴルフ協会(LPGA)公認の本格的なシミュレーターで、実在するゴルフ場の映像を使い、練習・ラウンドを楽しむことができる。

福井 では、早速、よろしくお願いします。これはどういうふうに始めていくのですか?

関係者 まず、1球だけ、軽く打っていただいてもよろしいでしょうか?

福井 はい。

関係者 そうすると、お客様のスイングの動画が毎回、表示されるようになっています。プロのスイングと自分のスイングをこのように比較していただいたりすることもできるようになっていますので、自分のフォームを、こちらを見て改善されたりとか、そういう方もいらっしゃいます。あとは、打ちっぱなしのような感覚で打っていただければと思います。

福井 はい。

プロが実際のトーナメントで回るコースの下見にも利用するというゴルフシミュレーター。その高い再現性を実際に体感してみた。

シミュレーター ……OB。

福井 OB! 早速、OB。やってしまったー!

その後、グリーン付近までボールを運び、続いてはアプローチショット。ここにもリアルさを追求したある仕掛けが……。

福井 あっ、動いた! すごい、傾斜もあるのですか?

関係者 そうです。傾斜もつくようになっています。

福井 リアル……。

このゴルフシミュレーターは実際のコースの状況に合わせて、打席の傾斜もリアルに再現が可能。

福井 よし! ……若干、右下がり……なので、少しこう……、こういう感じですかね。……こんな日比谷のど真ん中で芝目を読むとは思いませんでした(笑)

福井 ああ、オーバー……。

シミュレーター ……Double Par。

福井 ダブルパー……。OBだから……。あっ、終わっちゃいました。終わっちゃうんですね(笑)

福井 今まで、ゴルフバーでシミュレーションゴルフをやったことはあるのですけど、そのときはリアルなコースでもないですし、なんか、みんなでワイワイやるという感じだったのですが、またそれとは違って、ストイックに練習できますね。

関係者 そうですね。ここに来られて、練習されている方は皆さん、結構、割とストイックに練習していただいている方が多いので、本当にゴルフの技術を磨きたいのであれば、こちらに来ていただいて、練習していただくのが一番かなと思います。

福井 そうですね。これはちょっとはまりそうです。ここに来たら、うまくなりそうでした。