日本中の「記憶にとどめた」、生活インフラ企業が瀕死から作った奇跡の軌跡

蟹瀬リーダー&イノベーション賢者の選択ナビゲーターの蟹瀬誠一です。

佐々木佐々木梓です。

蟹瀬佐々木さんね、我々の職業ってのはどうしても時間が不規則になるでしょう、そうすると睡眠時間がとりにくいってことが多いんですけども。

佐々木はい、悩みですね。

蟹瀬佐々木さんってだいたい平均睡眠時間ってどのくらいですか?

佐々木私はですね、たっぷり寝たい派なので平均7,8時間は寝るように心がけています。

蟹瀬まあ健康的。

佐々木はい、蟹瀬さんは?

蟹瀬僕はね朝犬が起こしに来るのもあってだいたい5時間ぐらいですね。

佐々木えー、5時間はちょっと短いんじゃないんですか?

蟹瀬でもね慣れてるからあんまり疲労感はないんですよ。

佐々木あ、そうなんですね。

蟹瀬ただ今の社会ってとってもストレスが多いので睡眠障害に悩んでらっしゃる方多いですよね。

佐々木そうですね、健康にも影響ありますからね。

蟹瀬寝たくても寝られない、これとてもつらいことですね。というわけで今回はマットレスで新しい睡眠環境の実現をしたいと、こういうコンセプトで製品を開発しブランド化を進めている企業に注目します。

佐々木それでは今回のゲストの方にご登場いただきましょう、株式会社ウィーヴァジャパン取締役社長の高岡本州さんです。よろしくお願いいたします。

高岡よろしくお願いします。

佐々木それではさっそくなんですが高岡社長、ウィーヴァジャパンの特徴を一言で表すといかがでしょうか?

高岡新しい素材で新たな睡眠環境を作りたいと思いマットレスパッドを作っております。

蟹瀬今お持ちいただいているのがそれなんですか?

高岡はい、これがその素材です。

蟹瀬ちょっと触ってもいいですか、すごい弾力ありますね。

佐々木ちょっといいですか、こういう素材でできてるんですね。

高岡ポリエチレンという樹脂です。

佐々木では、この番組では企業の変革を象徴する3つのキーワードで進行させていただいてるんですけども。高岡社長、最初のキーワードはなんでしょうか?

高岡はい、「叔父の遺言」です。

伯父の遺言

 

蟹瀬遺言、どんな言葉なのかね。

佐々木気になりますね。

蟹瀬じっくり伺いたいと思います、どうぞ。

1960年高岡は名古屋市で生まれる。父親は電力会社に配電機器を製造販売する会社の創業社長だった。高岡は名古屋大学で応用物理学を学びその後、父親の会社を継ぐべく、慶応技術大学の大学院で経営学を学び、さらにアメリカスタンフォード大学で経済システム工学を学ぶ。高岡が日本高圧電気株式会社の2代目社長に就任したのは38歳の時だった。社長に就任して6年目の2004年転機が訪れた、高岡の叔父の経営する工場が倒産の危機に直面したのである。高岡は叔父から工場を引き取ってほしいといわれた。

伯父の遺言

高岡父の兄である叔父が、ずっと前からプラスティックの細い糸を作る機械の機械製造業の会社をやっておりましたんですが、その経営をなんとか引き取ってほしいと言われまして。
2004年から社長兼務していたということなんですが、ただ兼務して引き取ってその会社をなかなかうまくいきませんでした。その後中部化学機械製作所を現在のウィーヴァジャパンというという会社に切り替えたんですが、ちょうどその会社の社名を変更した日がですね、叔父がなくなった日偶然なんですけど、まあ結局叔父の遺言でこの会社を引き取ったということになるわけですよね。

蟹瀬そうするとおじさまの遺言っていうのは、とにかくこの会社を残してほしいと。

高岡そうですね。

蟹瀬この一言。

高岡そうですね。やっぱり50年以上続いた会社で地元にある工場があったんで、とにかくその場所を何とか残して、それで引き取ってくれとこういうのが叔父からの依頼事項だったわけです。

蟹瀬亡くなられたその瞬間、その言葉っていうのは当然重く心にのしかかったと思うんですけど。

高岡そうですね。

蟹瀬やっぱりやってやるぞって気持ちだったんですか?

高岡やらないといけない。潰せないと。まあ引き取るときに一番簡単だったのは、機械製造業が赤字だったのでこれをやめてしまって、採算性のよい部分だけ残すってのが、あるいは会社そのものを無しにしてしまってですね。土地だけどうか運用したりするっていう方法もあったんですけど。

蟹瀬ですよね。

佐々木その条件の中最初に考え、実行したことはなんだったんですか?

高岡その会社が、射出成型という技術で細い糸をとかをそういったものを作る機械を作っていました。

蟹瀬射出って要するに噴き出す。

高岡吹き出すんですね、その技術でちょっとユニークな技術がございまして。そこで作れるクッション材が当時開発できてたんで、そのクッション材だけでなんとかこの会社を存続させようとこういう風に思いました。
ただ最初は、クッション材をいろんなとこにBtoBで、いわゆる製造業の会社さん、マットレスメーカーさんあるいはその椅子のメーカーさん、緩衝材メーカーさん、こういうとこに売っていったのですが、なかなか評価していただけなくて。

蟹瀬あまりいい反応が来なかったんですね。

高岡はい、結局2年間、そのBtoBとにかく引き取った状態で会社を運営したんですが、上手くいかなくて、結局それをマットレスのウィーヴァジャパンに転換したというのがまあ2007年ということなんですが。

蟹瀬今おっしゃった、その作ったマットレスをもう消費者に直接売るという考え方ですね、とうことはBtoCという。

高岡BtoCですね、はい。

蟹瀬だけどBtoBでやってられた方が急にBtoCに行こうと思うと思うとこれマーケットも違うし…それからいろんなビジネスモデルも違ってくると思うんですけど、その辺の大変さってどうだったと思います。

高岡おっしゃる通りだったと思います。ただBtoBでやってた時はですね、その素材を作ってお出ししてもなかなか素材に対する評価を直接受けない受けられないわけですよね、わたしども。それで技術も磨けないつまりお客様の声を聴かない限り、技術の進歩はなかなか難しいなと思いました。
そのお客さんの声を聴きたいっていうのが、この会社をBtoCに切り替えた一番の強い原因だったと思います。

蟹瀬切り替えてから一番大変だったことはなんですか?

高岡まず、全くやったことのない状態だったので…。私どもは日本高圧電気という、電力機器作る会社なんですけどもこれもBtoBです。ですからBtoCってやったことないまずその常識が違うんですね。販売ルートもない。

日本高圧電気(電力機器) → BtoB

ウィーヴァジャパン(寝具) → BtoC

蟹瀬そうですよね。

高岡何から何まで初めてですから、切り替えようと思ってから1年間準備かかりました。

蟹瀬途中でやめようと思われなかったですか?

高岡いやまあ、とにかく工場を潰しちゃいけないから…。

蟹瀬遺言があるから。

佐々木そうですよね。

高岡そこの2代目息子が何か新しい仕事をやって失敗したって言われたくないですし、やっぱり悩みました。

日本ブランドは世界で「見た目と言い方」で胸を張れ!クールジャパンの苦悩

蟹瀬賢者の選択リーダーズ・ナビゲーターの蟹瀬誠一です。

福井福井仁美です。

日本創生

蟹瀬今回のテーマは日本創生。日本を作るという意味なんですけれども。2020年の東京オリンピックを控えて日本に対する関心、国際的に非常に高まってますよね。まあそんな中、日本の製品とかいろんな文化を売り出す大チャンスなんですが具体的にどのようなビジネスにつなげていくのか大きな課題なんですよね。

福井本当にこう和食だったりとか、アニメは海外でもかなり人気も出ていますけれども他にも伝統工芸だったり、あとラーメンなんかもまだまだこれから売り込む大チャンスだなという感じはしますね。

蟹瀬まあそうした日本の強み、これをどうやって市場開拓につなげていくのか、これが大きな課題となっているわけですが。

日本のブランディングに取り組むある組織の挑戦に迫る!

蟹瀬そこで今回は世界に日本を売り込みビジネスを展開するために必要な日本のブランディングに取り組むある組織の挑戦に迫ります。

福井本日のゲスト、株式会社海外需要開拓支援機構。通称クールジャパン機構。代表取締役社長太田伸之さんです。どうぞよろしくお願いいたします。

蟹瀬どうぞよろしくお願いします。

福井まずはじめにお伺いしたいのですが、クールジャパン機構は一言で言うとどのような会社なのでしょうか?

日本の「カッコイイ」「おいしい」を世界に届けようという日本の会社を資金面でサポートする官民ファンド

太田一言で言うと日本のカッコイイ、美味しいというものを世界に届けようというそういう日本の会社さんを資金面でサポートする官民ファンドでございます。

蟹瀬まあ様々な投資をなさってるということになると思うんですけれども、具体的にどんな投資をなさっているのか、今日は楽しみにしておりますのでよろしくお願いいたします。

福井よろしくお願いいたします。

クールジャパン

福井さて太田社長のプロフィールを拝見しますと、ニューヨークでジャーナリストをされた後、イッセイミヤケの社長、そして松屋の常務など、本当にファッション業界に長く携わってらっしゃいますよね。その後にクールジャパン機構の社長を引き受けられたということなんですけれども。

蟹瀬すぐこれ引き受けてみようと思われたんですか?

太田いえいえ本当にお断りしました。どうぞ他の所行ってくださいと。最後は結局松屋の社長のところに使者が来ちゃったんで。社長と二人でこれも断れないよねと、じゃあしょうがないかと言って受けたんですけど。

蟹瀬そうなんですか。

クールジャパン機構 社長に就任

太田ただ私がおそらく選ばれた理由というのはね、僕はその世界のブランドに対して、うちに入ってくださいとお願いしたり、世界の大きないい店にうちの物を買ってくださいということをやってきた、その上で海外の方たちとの交渉で僕は意外とタフネゴシエーターなので負けないそこだけは頑張ってやってきたので、おそらくそこをどなたかが見てらしてこいつにやらせてみようかなということだったんじゃないかなと気がしてます。

蟹瀬しかし実際に入られて、クールジャパン事業ってどこからどこまでが何なのかがよく分からない事業ではありますよね。何が必要だなと思われたんですか?

太田まずクールジャパンって何と言われると分からないです。
あの個人差あるんで。その中でその事業としてこれから海外に出て行こうという時に一番肝心なことはなんといってもブランディングということですよね。やはりあのちゃんとしたものをちゃんとしたお値段で胸張って売ると、しかもきちんと説明するということが一番どんなジャンルでも大事なことじゃないかなと思いますね。

蟹瀬まあそのブランディングがあり、そのもの自体をきちんと説明するというのはマーチャンダイジングというのでしょうかね、こういうものを相当足りないって感じでしょうか?

太田私というのは実はマーチャンダイジングを教えるプロではあったんで、私がいつも言ってるのはまずはどういう方に向けて、何をどうやっていくつ売るんですかと仮説立てなさいというのをずっと教えてきたんですね。例えば東南アジア行きましょう。いいんだけど、ど の層に行くのと。そこをきちんとまず決めないと何を持っていくのか決まらないじゃないですか。そこをちゃんと立てましょうということ。海外ビジネスでも国内ビジネスでも教えてたんですけれどもね。

蟹瀬クールジャパンのクールというのは、英語で言えばかっこいいということですけれども、この辺のご自身としての構え方というのか、戸惑いというのはなかったのですか?

太田あります。個人差がありますからね。外国人の方に伺っても、とっても伝統的なものをクールだとおっしゃる方もいれば、本当にサブカルを面白い、かっこいい、クールだと。本当に人によって全然違うので。

蟹瀬こういうカテゴリーというのは何か一応大枠で分けられたんですか?

「メディアコンテンツ」「ファッション・ライフスタイル」「食」「インバウンド」

太田当然、漫画アニメのようなメディアコンテンツというジャンル、それがファッションと日本の生活グッズを売るライフスタイル、あともう一つはやっぱり食が一つございますね。プラス最近はインバウンドもやっぱりこう向こうからいらっしゃる方たちに向けたサービスや物を売ろうという仕事についても応援しましょうということになっています。

圧倒的な「ダイバーシティ人材」とガス事業の信頼でお宅のエネルギー革命を

宮川賢者の選択リーダーズ。ナビゲーターの宮川俊二です。

亀井亀井京子です。

宮川今日のテーマはエネルギーの自由化です。

エネルギーの自由化

宮川2016年の4月から電力が自由化されました。7.5兆円と言われる市場なんですけども、このマーケット目指して様々な業界から新規参入が進んでいます。亀井さんは?

亀井実はたくさんパンフレットいただいて検討したんですけど、いったい何がお得なのかちょっとよくわからないまま面倒になってしま ってここまできちゃってたのでまだ全然変えられないです。

宮川私も実はそうなんですけど。電力の自由化で市場が大きく変わるだろうと期待されたんですが、実際はお得感が分からないとか手続きがよく分からない、様子見をしてみようと様々な理由でそういった方が多くてですね、なかなか進んでないようなんですね。そこで今回はですね、長年にわたって顧客に寄り添い、信頼を築き上げて総合エネルギー事業者として最も身近なホームエネルギーパートナーを目指すある企業の取り組みに迫ります。

最も身近なホーム・エネルギーパートナーを目指す企業の取り組みに迫る!!

亀井本日のゲストは株式会社サイサン代表取締役社長川本武彦です。よろしくお願いします。

川本よろしくお願いします。

亀井まずはじめにお伺いしますが、サイサンはどのような理念を掲げている会社なのでしょうか?

川本はい、お客様第一主義で、エネルギーを通じて人類の進歩発展に貢献するという大きな理念を掲げて経営を行っております。

宮川それを今日はじっくりと伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

台所に入れる商売

亀井さてこの番組ではサイサンの今を象徴するものをお持ちいただき番組を進行させていただきます。本日は何をお持ちいただきましたでしょうか?

川本はい、あのこのLPガスのボンベでございます。

ガスボンベ

川本サイサンのメインの事業がさまざまなガスを販売してるのですけれども、一番大きなシェアを占めているのがLPガスの販売となっております。

宮川しかし、このガスボンベがなぜ今のサイサンの今を象徴するってことでしょうか?

川本2016年4月から電力の自由化が始まりまして、

電力の自由化

川本やはり電気の自由化といわれても、なかなか一般の方にはまだまだ馴染みのないところではございますので、きっちりと説明をしないとご理解いただけないのも事実かと思いますので、我々としてはこのLPガスをお客様との関係を築いておりますので、それを活かした形で大変有効に活用できたということで敢えてこのボンベをお持ちいたしました。

宮川ゴロゴロゴロといって、こんにちはと言ってね、いろいろ会話を交わしながら、やってらっしゃいますから、各ご家庭との結びつきが非常に強いということですよね。

川本台所に入れる商売というかですね、そういう数少ない業種といわれておりますので、お客様との近さ、密接な関係性を活かしながら、営業を進めております。

サイサンではLPガス事業で構築した独自のネットワークを使い、電気事業にも参入。顧客は関東を中心に全国に広がっている。サイサンのネットワークはLPガス80万世帯と宅配水11万世帯の91万世帯にのぼる。多くの新規参入事業者が当初の予想より伸び悩むなか、2016年8月現在家庭用新電力供給量ランキングでサイサンは全国337社のうち第5位と健闘。長年構築してきたネットワークと、地道な営業努力で実った結果である。

営業目標

川本当初、私としては控え目な3万件という目標を掲げたんですけれど、順調に達成しまして、これを上方修正して5万件に変えたんですけど、これもおかげさまで期限内で達成することができました。

宮川何か特別なことをおやりになったんですか?

川本うちの料金が特別安いというわけではないんですね。そういうなかで、停電になっちゃうんじゃないか?とか、会社潰れたらどうなるんだ?とか、そういうものもきちっと説明をし、具体的な年間いくらお得になるのかという試算もさせていただくということがお客様の信頼関係に繋がった、だと思います。

サイサンのガスワンサービスセンターでは従来のLPガスや宅配水のサポートに加え、電力の問い合わせにも24時間体制で対応している。

関係者サイサンに変えた場合にどれくらい安くなりますか?と聞かれるので、年間の使用量を出して、年間にどれくらいお安くなるのかというものをお出ししています。

ダイバーシティ−

宮川特にお得感を前面に出されるわけでもなく、どういう営業をされるんですか?

川本お客様が実際問題、さまざまな高齢の方も若い方も外国の方もたくさんいらっしゃいますので、我々もそういう体制じゃないとしっかりお客様に対応できないということででダイバーシティー化というものを目指していまして、若い社員もいれば年齢を重ねた社員もいる。または女性もいる、そして外国人の日本の大学を出た外国人の社員もたくさん採用してますので、さまざまな人材を揃えて仕事に携わっております。

国産医療ベンチャーが「地鳴りのように」ポジティブに変える医療現場とは?

蟹瀬ターニングポイント賢者の選択ナビゲーターの蟹瀬誠一です。

石田アシスタントの石田紗英子です。

蟹瀬健康で長生きしたい。これは誰しもみんな思ってることなんですけども、やっぱり病気をしてしまうということもありますよね。そんな時にお世話になるのがお医者様とお医者様が診断に使う医療機器だと思います。まあこの医療機器の世界もですね大変技術は日進月歩なんですね。というわけで今回は独自技術による医療機器の開発で業績を伸ばしていますベンチャー企業にスポットを当ててみます。

石田それではゲストの方に登場していただきましょう。大研医器株式会社代表取締役会長山田満さんです。

蟹瀬どうもありがとうございます。

山田どうも初めましてよろしくお願いいたします。

石田それでは早速山田会長のプロフィールをご紹介いたします。大研医器株式会社創業者の山田満会長は1932年大阪でお生まれになりました。1951年栄工業高校を卒業後、電電公社、現在のNTTに入社。1968年に医療機器のベンチャー企業大研医器を創業されました。医療用吸引器などオリジナルな医療器具の開発、販売で業績を飛躍的に伸ばしてきました。ちなみに最近プライベートの音楽スタジオ作られてドラムをされてるそうです。

蟹瀬いやーすごいですね、ドラムって結構を力入るし大変でしょう?

山田左右両足違うわけですから、だけどやっぱりリズムっていうのは一番人間には必要だと、しかもその快適なリズム、それを維持するために老化現象をある程度を食い止めないと。

蟹瀬なるほど。

山田そういうことを含めまして。

蟹瀬お仕事にも繋がってる感じが。

山田という風に言いたいんですけどね。

蟹瀬まああの最初電電公社の方にお勤めになったということですけども、これはどういう経緯で電電公社の方に?

山田実はですね、私の親父が小学校のしがない教師をしてたんですけども、私は末子でしてね、7人兄弟の。従って私が成人する頃には親父はもう退職しておりまして、収入源がないので実はアルバイトをしながら大学受験に一回失敗しましてね、予備校に行きながら、アルバイト先がたまたま今で言う現在のNTTですね。

蟹瀬そうだったんですか。

山田はいそれでアルバイトで行ってる時に、中途ながらそういう採用試験がありまして、それになんか知らないですけど合格しましてね、親父にそれを言ったら、親父の方がそれはその方がいい、と。そのままズルズルとですね、社会人になってしまったのが電電公社に入ったきっかけですね。

蟹瀬じゃあ気軽にそのアルバイトをしたのが最初の本格的なお仕事になったと。

山田結果的にはそういうことです。

蟹瀬実際にはどういう仕事内容だったんですか?

初の宅配ロッカーを生む「お客様にサービスしかできない」24時間顧客主義

蟹瀬ナビゲーターの蟹性誠一です。

石田アシスタントの石田紗英子です。

蟹瀬宅配ロッカーって非常に便利なんですけどね。

石田はい。

蟹瀬あいにく不在をしていてせっかく届けてもらった荷物をもう一回お願いしますと。こういう経験をなさった方、何人もいらっしゃると思うんですね。

石田宅配する方にも二度手間ですよね。

蟹瀬そういうところに着眼して誕生したのが宅配ロッカーなんですね。

石田はい。

蟹瀬今や新築のマンションなんかでは付いていて当たり前と言っても過言ではありません。

石田ターニングポイント、賢者の選択。今回は、サービスを拡大しています宅配ロッカービジネスの全容に迫ります。

蟹瀬新しいビジネスも展開されているということで楽しみにしております。

石田はい。ではさっそくゲストの方にお越しいただきましょう。コンピューター式宅配ロッカーシェア、およそ70%を誇ります株式会社フルタイムシステムの大表取締役原幸一郎さんです。

蟹瀬お見えになりました。

どうも。

蟹瀬今日は、お忙しいところありがとうございます。

すみません。今日は、どうも。

蟹瀬もう随分前に1度宅配ロッカーの取材等いろいろやらせていただいて、あれからかなり経ちまして。相当いろんな新しい展開もなさってるんじゃ……。

もうぼちぼちやってます。

蟹瀬今日は、そのあたりをお伺います。楽しみにしております。

いやいや。出来る限りのことを。

石田それでは、原社長のプロフィールをご紹介させていただきます。株式会社フルタイムシステム代表取締役。原幸一郎さん。高校、そして同志社大学でラグビー部で活躍。セメント会社で勤務したのちにマンション管理会社を興し、1986年に現在のフルタイムシステムを設立して今に至ります。ちなみに原社長は大学卒業後、小田実の何でもみてやろうに触発されて世界一周放浪の旅を行われたそうです。

倒産危機に「仕事が楽しくなった」見つめ直した大切なことは「世界ブランド」

蟹瀬リーダー&イノベーション賢者の選択ナビゲーターの蟹瀬誠一です。

白石白石みきです。

蟹瀬日本は戦後ね本当に世界に誇れるような素晴らしい製品を生み出してきました。工業製品、家電製品、それから自動車なんかもありますよね。

蟹瀬しかし、近年になりましてアジアのこの進行国このやっぱり力が大変強くなってきてですね日本は厳しい所に追い込まれております。そんな中で世界に通用する日本ブランド、これを生み出そうとこういう企業もあるんですね。たとえば今日ご紹介します、サマンサタバサ。まあ若い女性は白石さんを含めもうご存知でしょう。

白石大好きですね、はい。

蟹瀬そのサマンサタバサの世界戦略そちらの方に迫ってまいりたいと思います。

白石それではさっそくゲストの方をご紹介いたしましょう。株式会社サマンサタバサリミテッド代表取締役社長の寺田和正さんです。よろしくお願いします。

寺田よろしくお願いします。

蟹瀬どうぞお忙しい所ありがとうございます。ご無沙汰しています、ぜひ寺田さんの世界戦略を伺って行きたいと思います。

白石会社設立以来、ずっと持ち続けている思いがあるとお聞きしたんですけども。

寺田我々は日本のブランドなんですけど、あえて世界を目指すということで、世界を制覇しようと。

蟹瀬それは本当に大事だんですよね。

白石そうですよね、ではそのお話をじっくりお聞きしたいと思います。

蟹瀬どういう戦略なのかね、楽しみですね。

白石まずはですね寺田社長、最初の変革そのキーワードは何でしょうか。

寺田アジア進出。

蟹瀬アジア進出、どういう形で進出されるのか、じっくり伺いたいと思います、どうぞ。

株式会社サマンサタバサジャパンリミテッド代表取締役社長。寺田和正は1965年に広島で誕生した。駒澤大学在学中にカナダに留学、現地で日本向けの革ジャン輸入販売で企業。大学卒業後商社勤務を得て1991年に独立して海外ブランドの輸入卸で起業。時に若干25歳。そして1994年に製造小売り業に転身しサマンサタバサを設立。現在に至る。

蟹瀬海外ブランドの輸入の卸から、製造小売りっていう風に転換されてますよね。この辺はどういう背景があったんですか。

海外ブランドの輸入卸から製造小売業に転換した理由

寺田25歳で起業したんですけども、当時はブランドビジネスということで、日本でブランドを作るのはなかなか難しかったので、海外のブランド日本に入れていました。そこからブランドを日本で定着させていくいうようなことをやってたんですけども、なかなか他人の物なので一生懸命成長してもですね、どこかで卒業していったりとか。

蟹瀬やっぱ自分のものだっていう感じで、捉えられないわけですもんね。

寺田そうですね、当初はやっぱり自分の子供のように捉えてやってるんですけども。

既成のブランドを成長させ、売ることの虚しさに気付き、独自のブランドを立ち上げようと思った

寺田ある日突然、自分のものではないなということが気づくことが何度かあったもんですから、ちょうど気づきながら自分のブランドをつくろうとということで、サマンサタバサを作ったんです。消費税が3%から5%になるときに、大きな小売りの厳しい時代を迎えてるんですけども、その時にすべてを入れ替えて。

蟹瀬入れ替えて、まあ今お店とか拝見してると非常に順調で、成長してるって感じがしますけれども。実際にはやり始めてしばらくして、相当厳しい状況ってあったんでしょ?

寺田そうですね、海外ブランドを入れて、成長させることには成功したんですけども、17,8億ぐらいまで売り上げを伸ばすことができたんです。けどもある日突然、ガラッと時代が変わってですね。実はその前にそれはすごく自分の中で不安に思ってたことが、消費税が変わったことによって、すべてが表面化されたという。

蟹瀬その時って、負債っていいますかね、いろんなものが膨らむわけですよね、どの程度って数字はよろしいですか?

寺田確かすべて合わせると4億7,8千万ぐらいですかね。

蟹瀬その時の気持ちってどんな感じなんですか?

寺田つぶれるとも思ってないですから、ですけども周りからすると、もうつぶれてもおかしくないという風な状況です。

世界の足元へ「よろこびを敷きつめる」、創業百年を見据えた伸びしろはどこだ

蟹瀬賢者の選択Leaders、ナビゲーターの蟹瀬誠一です。

白石白石みきです。

蟹瀬今回は僕の大好きな、インテリアを取り上げたいと思います。

白石インテリアですね。

蟹瀬白石さん、インテリアと聞くとどんなものを思い浮かべますか。

白石広くいいますと、お部屋の内装から始まって、装飾品であるとか照明器具とか、床だっていろいろありますよね、じゅうたん、フローリング、カーペットなどありますけれども。

蟹瀬だいたいインテリアというと、普通の家の中のものを考えるんですけれども、実際には病院があったり、商業施設だとか、ほとんどの建物、全ての建物と言ってもいいかもしれませんね、その内装部分がインテリアなんですね。というわけで今回は、独自技術の床材やカーペットから壁紙まで扱う、インテリア業界のトップメーカーに着目いたします。

白石本日のゲスト、東リ株式会社 代表取締役社長の永嶋元博さんです。よろしくお願いいたします。

蟹瀬よろしくお願いします。

永嶋こんにちは。

白石早速なのですが、東リの特徴を一言で表現いたしますと、どうなりますか。

より豊かな住生活空間づくりに貢献する会社

永嶋より豊かな住生活空間づくりに貢献する会社です。

蟹瀬もう私たちの生活に密着しているということですよね。

白石番組では3つのキーワードで、進行させていただきます。まず最初のキーワードは何でしょうか。

匠の精神

永嶋匠の精神です。

蟹瀬匠というのは日本の強味ですからね。楽しいですね。これからどんな話が伺えるのか。

永嶋よろしくお願いします。

白石よろしくお願いします。

永嶋元博は1959年埼玉県に生まれる。1982年学習院大学経済学部卒業後、東洋リノリユーム株式会社、現在の東リに入社。2001年経営企画部次長に就任。その後経営企画部部長兼総務人事部長をなどを歴任。2007年執行役員に就任。2009年取締役執行役員、営業本部長を経て、2012年代表取締役社長に就任。現在に至る。

白石永嶋社長のプロフィールを拝見いたしますと、学習院を卒業後東リに入社されて、インテリア業界一筋で、社長にまで上り詰められたわけなのですが、東リに入社した経緯をお聞かせください。

東リ入社の経緯

永嶋私の父が古くから、内装工事業を営んでおりました。そんなあいもございまして、当時インテリア業界では床材の専業メーカーでございました、当社に入社いたしました。当時は床材の専業ということで、会社のキャッチフレーズが「喜びを敷き詰める」という言葉だったんです。そのキャッチフレーズ、「喜びを敷き詰める」という言葉が、非常に印象に残りまして、世の中に夢を与えるような、非常にいい言葉だなと感銘を受けました。こんなことも、私が会社に入った経緯の一つかなと思っております。

蟹瀬東リっていう企業は、創業されたときというのは、どういうものを扱われていたのでしょうか。

創業当時の事業

永嶋明治20年に創業者のお1人が、北陸の金沢の地で稲の藁で作りました、「由多加織」という敷物の製造で事業を起こしました。当時「由多加織」という織物をですね、輸出をしようということで、港に近い、神戸に近い、兵庫県伊丹市に移りまして、大正8年1919年にリノリウムの製造販売で操業を開始いたしました。そこから当社の歴史が始まったということになります。

リノリウム

蟹瀬リノリウムっていうのは、われわれの世代は「これだね」とすぐにイメージできるんです。白石さんなんてどうですか。

白石初めて聞いたんですけれども、どういったものなんですか。

永嶋リノリウムと申しますのは、天然素材100パーセントの床材の1つです。亜麻という植物から取れます、種から取ります亜麻仁油、それから松ヤニ、コルクの粉、それに顔料、こういったものを混ぜましてシート状やタイル状にしたものです。国産メーカーといたしましては、当社が日本で初めて製造販売をスタートいたしました。商品の特徴としましては、床の敷物として適度な弾力性がございまして、抗菌性にも優れているということで、当時は学校や病院をはじめ、公共施設ですとか商業施設、オフィス、こういった様々な場所で使われてきた床材でございます。

白石すばらしい技術だと思うんですけれども、最初のキーワード、「匠の精神」とお答えになられましたけれども、このことについて詳しくお聞かせください。

世界シェア8割の根幹!「オープンでフェア」な判断が、結束と対話をつくる

賢者の選択 A Shrewd Man’s Choice

津島今回の賢者の選択は、自動車の排気ガスや環境計測などの分析機器メーカー、株式会社堀場製作所の堀場厚社長です。

蟹瀬堀場さんの経営する堀場製作所は、車の排気ガス計測機器の分野では世界シェアのなんと8割ですね、本当にグローバルに展開するメーカーということが言えると思います。堀場さん、冒頭で伺いたいのですけども、そのグローバルに展開するというときに重要なポイントというのはどのあたりにありますかね?

堀場やはりマネージメントの中で、遠く1万キロ離れた社員、あるいはお客さんとコンタクトしながらビジネスをしていこうとすると、あるスピリットが大事だと思うんですね。

オープンアンドフェア

堀場オープンアンドフェアということで、常にやはり自分たちの立場とか考え方をオープンにする、そしてそのジャージングすることは非常にフェアにしていくと、これがやはりオペレーションをうまくやっていく一つのポイントだと思いますね。

蟹瀬なるほどですね。これはなかなか言うは易く行うは難しの分野なんですけどね。

津島はい。堀場さんが、どのようにして成功を収めたのか、お知らせを挟んでお話を伺っていきます。

京都府京都市に本社がある堀場製作所。自動車の排気ガス計測や環境計測などの分析機器メーカーとしてグローバル展開している。1945年、京都大学の学生だった堀場雅夫が堀場無線研究所を創業、50年代には酸とアルカリを計測するphメーターがヒットした。その後、「おもしろおかしく」を社是(しゃぜ)として多くの機器を開発している。

堀場やっぱりおもしろおかしい、死ぬまでおもしろおかしい人生を送らないといけないし、私の経験として、おもしろおかしくやったときは物事の成功率がものすごく高い。で、なんか義務感とか、嫌だけどこの人からだとしょうがないかな、と思ったやつは、やっぱり成功率低いんですよ。
だから会社の仕事でも遊びにしても、やっぱり面白いやつは自分で勝手にどんどん新しい発想も出るし疲れないし、面白くないやつは疲れるし発想は出ないし、結果的にうまくいかないということから、結構おもしろおかしくというのは、実利的に企業経営のやっぱり僕は基本だと思うんですよね。みんな社員がおもしろおかしく仕事をしてくれるような環境をつくるというのが、やっぱり経営者の一番大事なところです。

1992年、息子の堀場厚が社長に就任、自動車計測、分析、医用、そして半導体の四つの事業を柱に、安定した企業運営を行っている。2008年の連結売上高は1,342億円を超える。

津島堀場さんは、京都に本社があることが、グローバル展開成功要因の一つだとお考えです。そんな堀場さんが、今までどのような人生を歩んでこられたのか、年表にまとめましたので、こちらをご覧ください。1948年、京都府京都市に生まれます。1961年、京都教育大学附属京都小学校卒業。1964年、京都教育大学附属京都中学校卒業。1967年、京都府立山城高等学校卒業。そして1971年、甲南大学理学部応用物理学科卒業。株式会社堀場製作所が大証二部に上場ということです。

蟹瀬堀場さんというお名前を伺うと、私はどうしても今、大学の教師もやっているものですから、おじいさまの、大変有名な物理学者でいらっしゃいましたよね?

少年時代

蟹瀬なにかそういう研究分野にいらっしゃったと思うんですけど。

堀場そうですね。祖父のほうは京大の教授で、ドイツのほうに8年ほど

祖父:堀場信吉(物理化学者・理学博士) 1910年京都大学純正化学科卒業。1924年京都大学教授。退職後は同志社大学工学部を創設。1952年大阪府立大学学長をつとめた

堀場もともと化学(ばけがく)をやってまして、その化の世界に量子力学、いわゆる物理化学というジャンルを開いた学者だと……。

蟹瀬パイオニア的な存在でいらっしゃいましたよね。

堀場そうですね。父も京大でして原子核物理のほうをやっていまして、やはり多分教授になりたかったんだろうと思うんですけども、ちょうど第二次世界大戦が終わったところで、先輩のかたがたが帰ってきて、数えてみると定年までに講師にもなれないということもあったかもしれませんが、いずれにしてもそんなことがあって、会社というか研究をまた……。

蟹瀬堀場無線研究所ってつくられましたよね?

堀場研究所というのを始めたんですね。

蟹瀬そこでなんかすごいものも作られましたよね?

堀場そうですね。酸、アルカリを測るphメーターというのを国産で最初に開発したということですね。

蟹瀬そういう環境の中で、堀場少年はどんな少年だったんですかね?

堀場そうですね。ですから私が三つか四つ、幼稚園行く前に、その一軒家のところで仕事を始めましたんで、その中に住んでおりましたし、それから工場を新しく買って、そのときもその工場の中に住んでました。ただその工場は精密機械を作っているにもかかわらず、もともと製粉工場でして、その工場の中をバタバタと走ると粉がパーっと舞い上がっていたのを今でも覚えていますけれど。

蟹瀬ということは、働く場所と、それからそういう生活の場所と、堀場さんにとっては遊ぶ場所も一緒だったということですか?

堀場そうですね。小学校の2年までは工場の中に住んでいましたので、そういう面ではお弁当を作ってもらったり、だるまストーブの上にそれを載せて会社の人と一緒に食事したりというのは経験してますね。

蟹瀬いろんな部品が転がってて、それで遊べたわけでしょう?

堀場はい。ガラス細工とか、それから今だと大変なんですけど水銀で遊んだりもしてまして……。

蟹瀬本当、すごい危険ですね。

津島ちょっとね。

堀場だから結構強くなったのかもしれません、それで。

蟹瀬そして、その堀場少年、青年にもなってくるんですけれども、なりたかった職業とうのはなんだったんですかね?

堀場小学校のときに、京都の千本三条というところから北大路、新町というところまで市電に乗って通ってたんです。ですから毎朝、市電の運転手の横に行きまして、その操作の仕方、ブレーキのやり方とか、これ全部覚えまして……。

津島すごい(笑)。

堀場自分は絶対大人になったら市電の運転手になろうと決心してました。

蟹瀬それはいまだになれない?

堀場なれない(笑)。

蟹瀬残念でしたね(笑)。

堀場なれないことがたくさんありますけれども。

蟹瀬で、大学のほうでは応用物理学科という、やはり言葉を聞くだけでとても難しそうな。

津島難しそうですね。

蟹瀬やっぱりこういう方面へ進みたいという気持ちが強かったんですか?

堀場はい、やはり小学校のときも。

トップセールス社員を排出する人材マネジメント会社のセールスの極意

蟹瀬ターニングポイント、賢者の選択。ナビゲーターの蟹瀬誠一です。

石田アシスタントの石田紗英子です。

蟹瀬まあ不況の時、業績がなかなか伸びないときなど人材を減らすのではなくて逆に増やせと。こういう逆説的な考え方があるのですね。これは、見方を変えてみますと普段の時からしっかり人材を育てておけということだと思います。そういう意味で、企業にとってはですね。人材育成、人材教育、これがとても重要なのです。

石田私も前職で研修期間が3ヶ月ほどありましたね。けっこう長かったです。

蟹瀬それは、どういうお仕事?

石田以前、航空業界で。

蟹瀬はい。

石田おもてなしですとか。本当に、人としてどういうふうに立ち振る舞いすれば良いのか学んだつもりです。

蟹瀬ちゃんと結果は出ていますよ。というわけで今回は、人材教育コンサルティング会社においてどのような人材教育の方法、あるいはい色々なメソッドで、どういうものが使われているのか。経営者の方、起業家の方が成功するためのサポート、成功するためにはどのような人材教育をなさっているのかこのあたりの話をじっくりと伺ってまいりたいと思います。

石田お迎えするゲストは、人材教育コンサルティング会社のアチーブメント株式会社。代表取締役社長。青木仁志さんです。

蟹瀬今回は嗜好を変えまして、私の方から青木さんに、お話を伺ってまいりました。

青木どうもよろしくお願い致します。

蟹瀬どうもはじめまして。今日は、よろしくお願いします。

蟹瀬青木さんは、セールスマネージャーとして数々の賞を受賞されていると。このトップセールスマネージャーの極意を、一言でいうとどういうことなのでしょうかね。

青木セールスっていうのは、マーケット×セールス技能×有効面会件数ってこういうものがあるのです。「×マンパワー」っていうその営業の、営業に携わる人の質と量ですよね。こういう方程式をキチっと自分の中で確立をして、そして、一つ一つを高めていく。
ですから、根性論とか精神論とかではなくて一つ一つの技能をどういうふうにキチっと高めていくかっていうのが良い成績をあげる秘訣ですね。

蟹瀬ということは、今のお仕事と、ある意味で非常につながる。流れの中にある仕事だということが言えるわけですね。

青木そうですね。

蟹瀬このアチーブメント、1987年ですか。創業から23年。ご自身の会社の方でも新卒の方を当然雇われるわけですよね。

青木ええ。

蟹瀬これは、いつ頃から始められたのですか?

青木2004年から活動を始めました。今年で7年でしょうか。

蟹瀬最初は、やっぱりそういうのを始めてもエントリーっていうのは決して多くないんじゃないかっていうふうに思うのですが、どのくらいの方から応募っていうのはあったのですか?

青木最初は、1,600名くらいの応募だったのです。

蟹瀬そんなにあったのですか。

青木これは、あの私自身のセンスというよりも、うちの社員がやっぱり学生視点に立った採用の仕組みっていうのを社員に考えさせました。そして、そのセールスでもマネジメントでも採用でも、全部同じなのです。実は、相手の立場に立って全ての方策を考えるという。ですから学生側に立ってどういう会社に入りたいだろうかと。そこから始めたのが今から7年前ですね。

蟹瀬しかし、どうですか。初年度に、それだけの方が来た。若者が来たって率直にどういうふうに感じられました?

青木本当に嬉しかったです。

蟹瀬そこは、やはり魅力のあるものがそこに作り出されているっていう実感っていうのはあったのですね。

青木そうですね。採用の仕組みそのものは、学生から見て魅力的だったと思いますけどね。当時もまだうちの会社は、社員もまだ26名くらいの時の採用ですから。ある意味では、16人がうちに入ってくれたのです。1,600人が集まって、その時は、本当にある意味で大手の会社をみんな蹴ってうちに入ってくれたので感謝と言いますか、責任の重さの方がより強く感じましたね。

蟹瀬今年度は、どのくらいのエントリー数なのですか?

青木今年度は、19,700名くらいです。

蟹瀬何名くらい採用を?

青木30名採用しました。

蟹瀬狭き門ですね。

青木相当ですね。

蟹瀬その辺の採用の決め手っていうのはどのあたりですか?最終的には、面接されたのでしょう。

青木そうですね。シンプルに言うと会社の事業目的に合った人材を採用するということですね。ですから私たちは、理念経営というものを非常に大事にしているんですけれども。人材教育コンサルティング会社として私たちの企業理念。企業のビジョンに合った人材を採用します。

蟹瀬だいたい、でも経営者の人たちはそう仰るわけですよ。うちの会社の企業理念に合った方。それどうやって判断するのですか?どのあたりがポイントなのですか?

青木まず、採用までの段階で、うちの採用っていうのは落とさない採用で。8人なら8人の学生の輪がありますよね。その中から誰がこのアチーブメントに合っていると思う?って2票、自分も1票入れられるのですけど。その8人の中の……。

蟹瀬学生同士に選ばせるのですね。

青木そういうことなんです。

蟹瀬ええ。自分の名前は、書いちゃいけない?

青木自分の名前も1票は、書けば良いですね。それで、もう一人書くわけですよ。その中で残った子が次のステージに行って、またそこである。どちらかというと行動観察が私たちは中心なので。あるテーマを与えて、そこで選ばれた子が次に上がって。こういう仕組みなのです。ですから落とさない採用っていうのがテーマなんですよ。

クラウドコンピューティングの可能性。21世紀のグローバルカンパニーとは

蟹瀬ターニングポイント、賢者の選択。ナビゲーターの蟹瀬誠一です。

石田アシスタントの石田紗英子です。

蟹瀬インターネットの普及によりまして、私たちの生活、ビジネスががらりと変わりましたよね。

石田はい。

蟹瀬何か買いたいって時も、パソコンでちょっと押せば簡単にショッピングが出来てしまう。

石田ええ。

蟹瀬図書館に行っても、なにかキーワードを入れると簡単に調べられる。インターネットなしでは生きていけないという状況も起きているのかもしれません。そういう中で、これから、どういうふうに変わっていくのか。注目されているキーワードがクラウドコンピューティングです。知っていますか?

石田はい。本当に雲という表現がピッタリですけども。

蟹瀬さて、何なんですかね。変わりゆくIT社会。これからどうなっていくのか。この質問の答えを持っている方は、この方だと思います。今日は、キーパーソンをお招きしました。

石田はい。では、ご紹介します。アレックス株式会社、代表取締役兼CEO、辻野晃一郎さんです。

蟹瀬お見えになりました。

辻野こんにちは。

蟹瀬どうも、今日は宜しくお願いします。

辻野宜しくお願いします。

蟹瀬辻野さんと、初めてお話したのは、随分前で、アメリカから帰ってくる飛行機で隣り合わせになったのですよ。

石田偶然ですか?

蟹瀬そう。それで、お話を伺って「じゃあ」って言うのでソニーのいろんな商品を見せてもらったり。それ以来のお付き合いなのですけどね。

辻野そうですね。もう古いですね。

蟹瀬会うたびに会社、変わってらっしゃるからね。

辻野そんなことないと思いますけど。